(1) れんげ畑に
怒涛の一週間でした。
未曾有の大震災、すべてのものが根底から崩れたような一週間でした。
しかし、どんな悲惨な事態になっても、どんなに傷ついても、
人は立ち上がり、暮らしを再建し、愛し合い、生き続けていくものと思います。
私は、そのことをまだ信じています。
一月四日
れんげ畑に
小さな女の子達が集まって
花遊びをしていた
そこからは 海が見え
風はなかった
出会った親達は ひたすら生業を語っていたが
それは あるべきこの世の苦しみを 交わしていることにすぎなかった
れんげ畑に
小さな女の子達が集まって
ひたすらに花遊びをしていた
山尾三省
(『自己への旅』山尾三省著 聖文社より)
山尾三省さんの遺言を友人が報せてくれました。
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僕もこの1週間、三省さんの遺言の願いを何度も思い返してます。
神田川の水が飲めるようになること
原子力発電が地上から無くなること
そして、世界平和へ追求への祈り。
http://bit.ly/ihEEud(2) せんだい・みやぎNPOセンターの動き
センターは、紅邑事務局長を先頭に、スタッフ一丸となって、
緊急時に即応した態勢を構築、求められる役割を自覚し、
しっかりと動いています。
ありがたいことだと思っています。
機会がありましたら、励ましをお寄せ下さい。
■東日本大震災 仙台・宮城における災害救援活動情報
「みやぎ連携復興センター準備室」始動!!
http://fuda.jp/saigai/■みやぎのNPOの活動情報がリアルタイムでわかる「みんみんポータル」
http://minmin.canpan.info/(3) 私の治療
私自身は、ちょうど転移が見つかり、再発の告知を受けて、
抗がん剤治療のため病院を転院するところで被災しました。
現在、仙台市内の大きな病院は、被災地からの緊急の患者の受け入れなどもあり、
転院先も、新患の受付がししばらくはできないとのことでした。
もとの病院の主治医と交渉し、病院を戻って、
抗がん剤の標準的な治療を始めることができるようになりました。
代替治療も模索していますが、まだ物流が回復せず、抗がん剤補助や免疫向上の
漢方薬などを取り寄せるのは、もう少し時間がかかりそうです。
このような大災害の最中でもあり、今後、小生の病気の話は、
当分遠慮させていただきますが、治療の方針も定まったことであり、
ご心配をいただいておりましたが、体調もよく、
しっかり治療に取り組みたいと思います。
ご安心下さい。
(4) 長い旅の途上で
さて、久しぶりに書庫に入り、崩れた本の山を見ながら、
ふと手に取った本が数冊あります。病院で読もうかというつもりでした。
その中の一冊が、山尾三省さんの『自己への旅』(1988.8.1)です。
ずっと忘れていたのですが、
この本には、三省さんが仙台を訪ねたことが書いてあります。
その記述を読みながら、私も長い旅をしてきたのだと感慨深いものがありました。
冒頭、亡くなられた奥様の順子さんのふるさとの山である安達太良山が、
順子さんの「わたしの山」であり、それが三省さんの「僕の山」になり、
「人は山によって人となり、山は人によって山となるのである」と続きます。
その後の記述には、三省さんの深い理解と思いが込められており、
私には過分に過ぎるものですが、末尾に添付して、皆さんにご覧に入れます。
(読むときは[表示]→[表示を回転]→[右90度回転]を選んでください。)
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加藤さん達は、核兵器を憎むのでも原子力発電所を憎むのでもなく、また国家権
力を憎むのでもなく、そういうものの存在しない世界を、百番目のサルの神話の
ようにささやかに、しかしながら確実に創り出して行こうと悲願しているのだっ
た。憎しみでなければ何をバネとするのかといえば、愛をというのが普通である。
それはむろんそうなのであるが、加藤さんにあっては「涙」をもって、と答える
のが正当であるような、モーツァルトの短調の旋律のようにほとばしり悲しむも
のがあった。
(同書144pより)
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改めて、原子力発電所の大きなリスクを突きつけられたこのときに、三省さんの
ことばをかみ締めています。
水が流れている
山が在って
その山の 底を
水が 流れている
その水は わたくしである
水が 流れている
水が 真実に 流れている
山尾三省
(『自己への旅』山尾三省著 聖文社より)