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久米さんが来た! [2010年11月28日(Sun)]



今日は仙台市市民活動サポートセンターの市民活動カラフルフェスタです。
外出リハビリを兼ねて、参加しました。

午前中の講演会の特別ゲストは、墨田区の久米繊維工業社長の久米信行さんです。久米さんとは、日本財団CANPANセンターのブログ大賞などでお会いして以来のお付き合いで、まちづくりネットワーカーとして活躍している元気な方です。お話楽しみにしています。

新しいWeb技術をどんどん活用してのまちづくり手法は、いろいろな団体の活動に大いに参考になると思います。当センターももっと活用しなければ!!

なんと久米さんは、経営者向けに書いているブログに、新しい本の原稿の事前公開をしています。この本は「考えすぎて動けない人のための『すぐやる!技術』」の続編で、これがおもしろいです。

 http://office.keikai.topblog.jp/blog/k/10013488.writeback

エコロジー事業研究会 [2010年11月27日(Sat)]
1993年から2004年まで10年間、エコロジー事業研究会という環境事業中心のネットワークを主宰していたことがある。今なら、コミュニティビジネスやらソーシャルアントレプレナーやらカタカナ語で説明するような仕事を、各地で実験的に始めた人たちのつながりを全国的につくっていたわけだ。そのOB・OG会のようなメーリングリストがあり、数十人が参加していると思うのだが、ときどきそこに書き込みをしたり、互いに情報交換をしたりしていた。

病気になって入院以来、そのメーリングにはご無沙汰をしていた。何人かの方からは見舞いの手紙やはがきをいただいたりした。お礼も兼ねて一言、近況報告をしたら、若い友人のアースガーデン主宰、南兵衛くんこと鈴木くんからメールが来て、彼も私の事をブログに書いていた最中に私からのメールが届いたと驚いていた。
 http://nanbei-earth.blogspot.com/

彼はアースデイの取り組みの裏方として活躍してきたし、エコロジー関連の事業者のまとめ役としても、各種のエコマーケットの仕掛け人としても面白い仕事をたくさんしている。ぜひ、Webで彼の仕事を知っておいてください。
 http://www.earth-garden.jp
「街場のメディア論」を読みながら・・・(2) [2010年11月24日(Wed)]

                    写真は私の執筆風景。手前に本、向こうにPCという配置。

蝸牛随想(3)

「街場のメディア論」を読みながら・・・(2)

 ガリ版印刷の話を書きましたが、鉄筆とヤスリ板により、蝋びきの原紙をカリ
カリと「切る」(文字を書く)作業によって、孔版印刷という仕組みが成り立っ
ていたことなど、今の若い人たちはもう理解できないでしょうね。1861年にエジ
ソンが電気で振動するペンによってロウ原紙に穴を開ける製版技術を発明、後に、
プリントごっこやリソグラフのような孔版印刷につながっていくのですが、ガリ
版印刷つまり謄写版は、1894年に堀井新次郎が鉄筆とヤスリ板の組み合わせによ
る手書き製版とシルクスクリーン印刷のようなロウ原紙とローラーの組み合わせ
による印刷という手法をつくりだしたのです。その新しいメディア技術は瞬く間
に広がり、教育の世界では生活つづりかた運動の土台となります。また、世界の
各地に広がり、タイやフィリピンなどの民主化運動の支えにもなっていきます。

 私の20代前半までが謄写版の最後の時代であり、その後は、新しい製版技術と
輪転機の時代に入る、ちょうど両方の技術を体験していることになります。1981
年に「小さなメディアの必要」を読んでいた頃は、ちょうど自作の謄写版手刷り
印刷から、ローラーに巻きつけた原稿を回転させて、その信号を電気的に拾い、
振動に変えて原紙を製版する機械の中古品を購入し、手廻しの輪転機を使って印
刷するようになっていました。当時、私が発行していたマイクロメディア(ミニ
コミという言葉が一般的でした)は、ガリ版印刷した本体に白黒コピー(1枚40
円!)の表紙という教育関係ミニコミの「北斗」から、新しい中古製版機と手廻
し輪転機による個人誌「オーダハローヴォ・フリープレス」、自然と食と農を考
える研究会の会報「玄米家族」、本の紹介を勝手にしてしまう「ブックニュース」
(これだけは手書き版下、軽オフセット印刷でした)などでした。

 既にずいぶんたくさんのメディアをつくっていたことがわかると思います。当
時私は、一ヶ月に約3週間は東北各地を出張する仕事をしていましたから、その
合間に、このようなことをしていたのですね。「ブックニース」などは、大阪の
食堂や名古屋のアングラ劇場、東京の青林堂書店などにも読者の伝手で置いても
らいました。仙台の今はない八重洲書房という書店の一階から二階にあがる階段
の手すりにはたくさんのミニコミが吊り下げられていましたが、「ブックニース」
はそこで人気のミニコミでした。後に一緒に「センダードマップ」という情報本
をつくることになるライターの大泉浩一さんは、その吊り下げられた「ブックニー
ス」の愛読者だったといいます。

 当時は、市民活動サポートセンターのような公共施設などありません。市民が
情報発信しようとすれば、組合や学校など印刷機のある職場に勤めている人に依
頼するか、公民館などのサークルとして認められる必要がありました。さもなけ
れば自分たちで謄写版の鉄筆とヤスリ板、それに印刷機一式を購入するか、タイ
プ印刷など専門の印刷業者に発注するしか方法はなかったのです。メディアを手
にすること自体が難しい時代だったのです。印刷のためには、活動している人た
ちの中に必ず組合などに伝手のある人がいたのです。サポートセンターなどで、
無料や非常な低価格で製版印刷機が利用できるようになったのはごく最近のこと
ですから、今は夢のような時代です。

 私は市井の一市民として市民活動を始めたものですから、そのようなメディア
の手立てがありませんでした。そのため自身で自作または購入して製版機や印刷
機、それにコピー機などを所有するしか、自前のメディアを持つこと、すなわち
情報発信をしていくことができなかったわけです。まだ赤ん坊を抱えて暮らして
いた六畳と四畳半の小さな部屋の中に、大きな印刷機や製版機、コピー機などを
購入したときは、搬入に来た文具屋さんがびっくりし、気の毒がっていたことを
思い出します。

 なぜこんな思い出話を書いているかというと、メディアをつくり、情報発信を
していくことは、今も昔も変わりない市民活動の大事な仕事だと思うからです。
ところが、印刷機はほぼ無料で借りられる。インターネットもただ同然で各種の
サービスが利用できる。コンピュータを使えば、プロのデザイナーと見紛うばか
りの高品質なデザインのカラーチラシがきわめて低価格でできる。そういう時代
になっているにもかかわらず、市民活動団体の情報発信はまだまだ貧しいと思う
からです。どんなに素晴らしい活動をしていても、それを誰かに伝えたいという
思いを持ち、メディアをつくり、何らかの方法で手渡していかなければ、その活
動は存在していないのと同じです。もっと発信しよう!と思うことが多々あるも
のですから、敢えて昔の話を書いています。

 さて、こんな風に書いていくと、いかにも特殊に本が好きな人の随想という受
け取られ方になっていないか、ちょっと危惧しています。「小さなメディアの必
要」の冒頭の一章「森の印刷所」は、渡部昇一の「ウィリアム・モリスは金儲け
の天才だった」という奇説に対する反論から始まっており、「行動中心の読書」
を提唱した梅棹忠夫「知的生産の方法」(岩波新書)の反動として、「所有中心
の読書」を謳った「知的生活の方法」(講談社現代新書)を渡部昇一は書いたと
津野は指摘しています。渡部昇一には私もいろいろと因縁があり、また脱線したい
誘惑にかわれるのですが、それは別の機会に譲ることとして、私がこの随想でし
ていることは、私の「行動中心の読書」の実践と報告だということです。そのた
めに、2010年に出版された「街場のメディア論」を読み進みながら、1981年に出
版された「小さなメディアの必要」に言及し、自身のメディア環境について語っ
てきました。
 まだまだ続きます。

                                         続く
「街場のメディア論」を読みながら・・・ [2010年11月23日(Tue)]



蝸牛随想(2)

「街場のメディア論」を読みながら・・・

 内田樹の「街場のメディア論」(光文社新書)は、最近のおススメ本のひとつで
す。私の読書は、何冊も同時に走り読みをすることが多いのですが、その中にこ
れはという本が見つかると、今度は何度も読み返し、ページの上や下の角を三角
に折り返し、やがてそれでも足りなくなって、傍線をたくさん引き出します。
「街場のメディア論」は、この傍線多数本のひとつになりました。

 この本は彼の他の「街場の・・」本と同様、大学の講義を元に再構成、加筆し
た本です。もともと著者の本は読みやすいのですが、この本もとても読みやすく
できています。第一講では、この授業が「キャリア教育」の一環であることが明
かされ、それに対して、現在の行政主導で行われているキャリア教育が根本的に
間違っていると指摘されます。現在行われているキャリア教育は、基本的に「自
己決定・自己責任」論と「自分探し」論だからです。それに対して著者は、こう
言います。

 繰り返し言うように人間がその才能を爆発的に開花させるのは、「他人のため」
に働くときだからです。人の役に立ちたいと願うときにこそ、人間の能力は伸び
る。それが「自分のしたいこと」であるかどうか、自分の「適性」に合うかどう
か、そんなことはどうだっていいんです。とにかく「これ、やってください」と
懇願されて、他にやってくれそうな人がいないという状況で、「しかたないなあ、
私がやるしかないのか」という立場に立ち至ったときに、人間の能力は向上する。
ピンポイントで、他ならぬ私が、余人を以って代え難いものとして、召喚された
という事実が人間を覚醒に導くのです。
 宗教の用語ではこれを「召命」(vocation)と言います。神に呼ばれて、ある責
務を与えられることです。でも、英語のvocationにはもう一つ世俗的な意味もあ
ります。それは「天職」です。callingという言葉もあります。これも原義は
「神に呼ばれること」です。英和辞典を引いてください。これにも「天職」とい
う訳語が与えられています。(同書p30)

 私自身は、ずっと、たくさんの「仕事」をしてきたと思いますが、その大半は、
自分がしたいことや向いていることを選択したのではなくて、内田氏が言うとこ
ろの、他者からの召喚によるものです。それ以外の稼ぎについても、偶然と成り
行きによるところが多いですね。ですから「自分に向いた好きな仕事がないんで
すう」などといい年をして無職でいる人に質問されたりすると、「あんたの好き
なことにお金を払ってくれる奇特な人なんかいないよ。それよりあんたは何か世
の中の役に立つってことがあるのかい。何らかの役に立つから、世の中はあんた
にお金を払うんだよ。まずは何でもいいから役に立って見せな」などと意地悪な
言い方をしてしまうのでした。仕事の大部分は、やっている中で能力が開発され、
役に立ち感謝され、その結果好きになるという順番なのです。私もまた結果とし
て、自分がしてきた仕事が好きです。だから内田氏の言いたいことが痛いほどよ
くわかります。


 第二講「マスメディアの嘘と演技」では、最初にこの本で扱う主要な論点を5
つ示し、まず「マスコミの凋落」について論じています。マスメディアの凋落は、
単にインターネットが普及したからではない。端的に言えばジャーナリストの知
的な劣化が原因だと。メディアのクオリティを評価するいろいろな基準が考えら
れるが、最終的には発信された情報の「知的な価値」、つまり「その情報にアク
セスすることによって、世界の成り立ちについての理解が深まるかどうか」だと
著者は言います。「命がけの知を発信するのがメディア」だと。そして、メディ
アの「危機耐性」と「手作り可能性」がメディアの有用性を考量する場合の重要
な指標と触れられています。危機耐性とは聞き慣れない言葉ですが、権力的
干渉(当然、政治もスポンサーも含まれる)に対して強いかどうかということです。

 この章を読んで私は、津野海太郎著「小さなメディアの必要」(晶文社)という
本を思い出していました。幸い、退院後の居場所づくりで書斎の大掃除をしてい
た中に、この本を見つけたばかりだったので、たちまち読み直しました。紹介す
るにあたって、この本は1981年に出版された本なので、今では手に入るのだろう
かと思い、ネットで調べて見ました。

 『小さなメディアの必要』は、紙版が絶版となり、電子で復刻された本は理想
書店で販売され、青空文庫にも収録されている(入力したのはなんと、萩野正昭
さんと八巻美恵さん!)。理想書店のサイトには「フィリピン、タイ、メキシコ、
イタリア、沖縄。各地の文化運動の実際にまなびながら、『流言飛語』生産のた
めの小さな技術の可能性をきりひらく」と、やや挑発的な言葉で紹介されている。
お手軽なハウツーではけっしてない。津野さん自身の体験や見聞にもとづいた記
述がぎっしり詰まっている。なかでもわたしが興味をそそられたのは、T章に収
められている「ガリ版の話」だ。詳しく書いているときりがないが、ガリ版とと
もにはじまった北方つづりかた運動と共同体運動と結びついたフィリピン・ミン
ダナオのマイクロ・メディア運動の取り組みは、考えさせられることが多い。
 (「論駄な日々 働きながら学ぶ社会人院生・畑中哲雄の日常風景」
  http://hatanaka.txt-nifty.com/ronda/2005/06/post_647f.html から)

 「論駄な日々」というブログに、上記のような紹介がありました。青空文庫と
は、著作権フリーになった書籍と「自由に読んでもらってかまわない」とされた
書籍をWeb公開することを目的としたインターネット電子図書館で、多くのボラ
ンティア市民による入力が支えです。http://www.aozora.gr.jp/ 理想書店は電
子書籍ショップのことです。「小さなメディアの必要」は、どちらでも無料で入
手できます。津野氏は、ずっと「本とコンピュータ」という季刊雑誌の編集長で
もあり、電子書籍の到来を見越して、本の未来を考え続けてきた人で、その人の
本が絶版でも、青空文庫で読めるというのは、さすがインターネットの功績です
ね。

 「小さなメディアの必要」は、私にとって非常に重要な本のひとつです。1981
年、私が小さな出版社カタツムリ社を興し、仙台の市民活動の世界に足を踏み入
れた年に出版されています。内容の紹介は理想書店に譲りますが、ウィリアム・
モリス、小野二郎、「全地球カタログ」、森の印刷所、ガリ版の話、生活つづり
かた運動などなど、私のその後の活動の基盤となった考え方やアイディアの源流
がいっぱいに詰まっている本なのです。

 ガリ版印刷というのは、まさに危機耐性の強いメディアです。戦前の共産党な
どの地下活動の情報は、ガリ版印刷によって支えられていました。あのソ連が崩
壊するまで、ソ連では、印刷所で何を印刷するかは国家管理であり、コピー機は
一台一台KGBの支配下にあったのです。それにもかかわらず反体制の新聞や冊
子が次々と制作され、人々に配布されていました。旧ソ連の崩壊は、1986年4月
に起きたチェルノブィリ原子力発電所の事故の被害とアフガン出兵の痛手と新し
いメディアの発達の3つだと私は思っています。

 もうひとつ、この本には面白い紹介がありました。フィリピンのミンダナオ島
におけるマイクロメディア運動についての記述に、「フォトランゲージ・フィリ
ピネス」という写真集のことがあります。−−−写真集といっても芸術的・報道
的なものではなく、「自分」「関係」「生をたたえる」という三部に分類された
数百枚の写真が、バラバラにホルダーにおさめられている。九人から十二人の人
びとが集まって、これらの写真を床にばらまく。そしてそれぞれが自分の気持ち
にひっかかった写真をえらびだし、なぜそれをえらんだのかを話しあいながら、
たがいの「沈黙の言語」を意識化していく。そのための道具がこの写真集なので
ある。−−−今なら、こいうことは国際理解教育などの世界で教材として取り入
れられ、ワークショップなどという呼び名をつけられているわけですが、当時は、
第三世界の最深部での闘いの営みとして、紹介されていたのですね。私自身が
ワークショップという手法に興味を持ちだしたのは、このあたりがひとつのルーツ
なのです。

                                           続く

ベーゼンドルファーに魅かれて [2010年11月21日(Sun)]


今日はポカポカ陽気に誘われて、長町にある遊楽庵びすた〜りというレストランに来ています。ここでウォン・ウィン・ツァンさんのピアノソロライブが開かれるからです。センター事務局長やOGの青木さんたちが主催で、わたしは快気祝いに招待されました。

ウォンさんとは10年くらい前にお会いして以来の再会でした。同い年です。

びすた〜りは、築120年の古民家を改築したレストランで、障害のある人たちが働いています。素敵なレストランです。

美味しいランチをいただいて心地好いピアノに酔う、なかなかの贅沢をさせてもらいました。
感謝!!


二人の老い [2010年11月20日(Sat)]




蝸牛随想 「二人の老い」

 ちょっとふたつの文章をご覧下さい。どちらも私がいま読んでいた文庫本から
の引用です。


A: 切通しに向いた細い庭には、小さな蝋梅があります。正月の七草のころ、
ひと雨降った夕方でした。もう咲いたかな、と思いつつ庭に出て、蝋梅に近寄っ
てみると、微妙な薄黄に透きとおる花びらが開いていた。
 花びらの先端には水滴があって、花よりさらに透きとおった水玉を光らせてい
ます。花を眺め、漂ってくる香りをかぎながら、今年もまたこの花に会えたこと
に、不思議な喜びを覚えたのでした。
 桜を見て、「命なりけり」と言った人がありますが、いまの私は蝋梅から同じ
感情を呼びおこされるのです。その一枝を切りとって、小壺に挿して机上に置き、
それを前にしてこれを書いています。
 あなたも、出逢うごとに自分の「命のありよう」を思い出すような、そういう
花をお持ちでしょうか。
 私は少年期から壮年期にわたって、ずっとそんな花を持ちませんでした。なに
しろ大都会の下町で生まれ育ったばかりか、青年期も自分の知的、肉体的欲望の
ままに過ごした者です。壮年期には少し信州の自然に接したのですが、その時は
まだ、花は私に心を浸みこまないまま、いつしか還暦に達したのでした。
 (中略)
 雪の中に立つ蝋梅の姿と香りは、生きていくものの凛々しさを伝えたのです。
誰の目を求めるのでもなく、誰の期待に応えるのでもなく、ただそこに、粛然と
咲いている花---それは泥だらけの私の中に、「ただ在るもの」への信頼をよみ
がえらせたのでした。
 こう書いてから思い出したのですが、私にはもうひとつの花があります。夏に
咲く夕菅の草です。この十年ほど、伊那谷にゆくごとに気づくようになって、い
までは私の夏と深く結びついた花になっています。その出会いからの関係につい
ては「いくたびかの夏がすぎて」という小文を書いています。
 とにかく冬の蝋梅、夏の夕菅の花はいまの私にとって、「命なりけり」の花な
のです。出逢うごとに、自分の命の喜びを自覚する花となっているのです。


B: 深大寺のそばに住んでいたとき、近くの民家に巨大なこぶしの樹がある家
があった。早い春になると、ぼんやりとした空に真っ白な気球の様なこぶしの花
が浮いていた。どんなに金が無くても、どんなに我が身がままならなくてもその
巨大な真っ白な花の固まりを見ると、ア、ア、ア、とか、ウーとか感動せずにい
られなかった。腹の底から喜びが湧き上がって来て、喜ぶ自分が、嬉しいような、
いまいましい様な気がした。
 花が散り始めると、私はもう来年のこぶしの花を待っているのだった。ある年、
どうしてもそのこぶしの花がみつからなかった。切り倒されてしまったのだ。何
故何故? 私の目は空しくぼんやりとした春の空をうろついている。何年も、そ
こを通ると私の目はうろうろして、大きな喜びが切り倒された事を確認して腹が
空いている様な気がした。
 ここらの春はいっぺんにやって来る。山が笑いをこらえている様に少しずつふ
くらんで来て、茶色かった山が、うす紅がかった灰色になり、真っ白な部分と、
ピンクのところとが、山一面にばらまいた様に現れる。こぶしと桜がいっぺんに
咲くのだ。くそ面白くもない毎日をすごしている私は、いとも軽薄に、腹の底か
ら踊り狂うように嬉しくなる。やがて山がサラダ菜の様な若葉になると、私はま
た来年のこぶしの咲く山を待っている。
 私が死んでも、もやっている様な春の山はそのままむくむくと笑い続け、こぶ
しも桜も咲き続けると思うと無念である。


 タネを明かせば、Aの文章は、大失恋の後、60歳を過ぎて老子に目覚め、信州
伊那谷に独居しながら、タオ(道)を歩む、加島祥造さんの六十代に書かれた文
章を集めた『老子までの道』(加島祥造著 朝日文庫)の中の「蝋梅記」より引
用したものです。
 一方Bの文章は、『100万回生きたねこ』の作者で先日亡くなった佐野洋子さ
んのこれまた六十代の前半に書かれたエッセイ集『神も仏もありませぬ』(佐野
洋子著 筑摩文庫)に収録されている「納屋、納屋」というエッセイからの引用
でした。

 私はいま61歳と3カ月ほど馬齢を重ねていますが、ちょうどお二人がこれらの
エッセイを書かれた年齢であり、そのどちらにも惹かれるものがあるので、手元
には二冊の文庫本があるというわけです。
 そして、上記AとBのように、根本的には同じことを感じているのだと思うのです
が、その反応の極端な違いがなんとも言えない味わいを醸し出していて、同時に
二冊の本を読む醍醐味というものを味わわせてくれるのでした。

 このふたつの文章は、自然の中のエネルギーの受け取り方が描かれていますが、
同じように自身の「老い」の受け止め方にも二人の特徴が良く出ています。

 (大学での講義「ユーモア論」の最中に入れ歯を吐きとばした話を十年後に書
いている文章です。加藤註)
 思い返すと、その当時の私の容姿も、さらに滑稽さを増すものです。今のよう
にムサい姿の自分ではなく、髪はあのころの流行語の「ロマンス・グレイ」であ
り、口髭と顎鬚も短く刈り込んであって、服は丸善の海島綿の白の上下を着こん
で、なかなかの洒落者でした。健康は前に言ったようにまだ衰えずにいたし、講
義するユーモア論も得意の題目でした。
 こんな洒落男の大学教授が、笑いのついての講義の最中に、入れ歯を飛ばせて
ユーモアを自ら実演してみせたのでした。
 アラン・ワッツは(1973年亡)は今世紀では最も柔軟な知性の人と思います。
彼の『ザ・ブック』に一章”It”(それ)のはじめにこんな言葉があります----

「本当のユーモアとは、自分自身に向けた笑いであるのと同様、本当の人間性と
は、自分自身を知ることにある。」

 ワッツの言うとおりだと思います。たしかに本当のユーモアとは自分自身を笑
うことですが、それはなかなか実行しがたいことです。自分をあざけり笑うこと
はできますが、温かなユーモアで自分を省みることは、壮年期まで、まるででき
なかった。そんなことは一度もしたことがなかったと思います。
 晩年になって、はじめて、自分自身をそういうユーモラスな眼で見るようになっ
たのです。
         (加島祥造:「滑稽さについて−麻の白服と入れ歯」より)


 私は年老いることをずっと確認しながら生きて来た。姿形だけでなく、中身も
年月と共にズダ袋にゴミを入れたようにふくらんで来ていた。生物の宿命は自然
のいとなみであり、その様に宇宙は成り立っている。人が年を取るのは何の不思
議もないの。あの人も年よねェ、私も年よねェ、わかっているの。でも鏡を見る
と「ウッソー、こ、これ私、ウッソー」と思ってしまうの。ペテンにかかったん
じゃないか。(中略)
 鏡を見て、「ウソ、これ私?」とギョッとする瞬間以外、一人でいる時、私は
いったいいくつのつもりでいるのだろう。青い空に白い雲が流れて行くのを見る
と、子供の時と同じに世界は私と共にある。六十であろうと四歳であろうと「私」
が空を見ているだけである。突然くもの巣が顔にはりついたりする時の驚きは、
七歳も四十歳も今も同じでただ私が驚いている。
                    (佐野洋子:「これはペテンか?」より)


 いやはや、いかがですか? 単純にこれを男女の感性の違いとひとまとめにし
たいとは思いません。しかし、私の感性は、この二人の感性の間を揺れ続けるの
ですね。少しエエカッコシイで、すぐに体験したことを大きな世界観の中に位置
づけたり、理屈をつけたりしたがる私がいて、一方で、自分も含めた全体を丸ご
と味わい、むさぼり、嘆き、体感する、そういう感性に永遠の憧れを持っている
自分にも気がつくのです。

 私も還暦を過ぎて、執行猶予5年を言い渡され、自身の老いと行く末について
思い巡らす時期になりました。蝸牛随想は、そういう私の軌跡を書きとめていこ
うと思っています。


病理診断結果がわかりました。 [2010年11月17日(Wed)]


昨日は突然、硬派の論考を掲載したので、びっくりされた方もいらっしゃるかも
しれませんね。あれは、私がこう考えるというよりも、こんなに考えなければな
らないことがあるのに、何も報道しない、調べようとしない、そして、わかりや
すい善悪二元論で説明してしまうマスコミはどうなっているのか。また、おかし
いという声を挙げないで、毎日テレビや新聞を見ている私たちはどうなってしま
うのか。そういうことを言いたくて書きました。題して「蝸牛試論」今後も続き
ます。


さて、リハビリ続報です。

手術をして患部と癒着していた臓器を摘出したのが10月20日のことでした。経過
は順調で、11月2日にはとりあえず退院ということになりました。問題の患部を
摘出したことで、内部からの熱や痛みはなくなり、手術痕の修復が次第に進むの
を退院して見つめることになりました。それはそれで結構大変なのでしたが、ま
あ、一日一日と薄皮をはぐように回復していくのは、元気の出ることです。

ただ、退院は仮釈放みたいなものだと感じていました。そもそも摘出した患部は、
間違いなく大きな膵臓癌のかたまりでした。癒着していた胃、大腸結腸、脾臓な
どに癌が浸潤していないか。リンパ節に転移していないか。病理診断の結果を待
つ必要があったのです。


今日、主治医から連絡が来て、結果を聞いてきました。またまた驚くべきことが
わかりました。(毎回、驚いています。)

それによりますと、私の膵臓癌は、膵臓の外分泌をつかさどる(消化液をつくる)
ところに出来た癌だけれども、その輸送管に出来たいわゆる膵菅癌ではないとい
うことです。この膵菅癌は、浸潤性(他の臓器や血管、リンパ節などに広がって
いくこと)が高いものが多く、短期間で死に至ることが多いといわれています。
普通使う5年生存率ではほとんどが死亡するため、3年生存率という指標を使うそ
うです。だから私の癌がもしそれだったらかなり厳しいことになっていたはずで
す。

ところが、私の癌は、消化液をつくる細胞そのものの癌でして、膵腺房細胞癌と
呼ばれる、世にも珍しい癌でした。膵臓の消化液をつくる細胞の一部が癌化して、
出口を塞ぎ、あふれた膵液がのう胞をつくるというプロセスで進行し、さらにそ
の癌が急速に大きくなったというわけです。だから、ずっと、膵嚢胞だと思って
いたわけです。手術して初めて癌だとわかったという理由がわかりました。

この世にも珍しいというのは誇張ではありません。主治医が調べてくれたところ
によると、過去10年間に米国での報告された症例が、30例ほどしかないのだそう
です。そのデータによると、平均余命が30〜35ヶ月、手術をした後の平均余命が
50〜58ヶ月。再発率は30%だそうで、再発後も予後は良く、余命の延長もありう
るということでした。日本の例もほぼ同数程度のようですが、データとして整理
されていないので比較が出来ないとのことです。

通常の膵菅癌なら、5年生存率はゼロに等しいらしいのですが、それと比べると、
手術をしたなら、平均5年の生存可能性があるということですね。もちろん平均
ですから、もっと長い人も早く亡くなる人もいるわけですが。それとデータ数が
少ないので、そう確定的なことは言えないということもありますね。でも、かな
り希望の持てるデータです。ですから、かなり浸潤性の低い、おとなしい癌だと
いうことが判明したのでした


もう一つ、朗報がありました。
癒着していたために一緒に摘出した胃壁、大腸壁、脾臓への浸潤は確認されず、
リンパ節への転移も見つかりませんでした。それで主治医は、米国のデータと病
理診断の結果から、膵臓癌のステージUであると判断を下しました。ステージU
は、他の組織やリンパ節への転移が見られないという状態のことです。

以上が、病理検査結果と米国のデータからの診断です。
これを見てもかなり生きているのが、そして術後の経過が良いのが奇跡的なこと
だとわかります。私自身はもっと厳しいことも予測していたので、ほんとうにあ
りがたいことと受け止めています。


今後のことですが、来月、内科の主治医と相談することになっていまして、抗が
ん剤の効果は不明とのこともあり、継続して通院し、検査をしてもらいながら、
もし異常が見つかったらその時点で最良の方法で対処するということにしたいと
思っています。今は、まず体力の回復を最優先させ、少しずつストレスの少ない
仕事を中心に復帰していくことを考えています。復帰も、従来の仕事のペースは
自殺行為ですから、大幅に制御し、むしろ別の仕事の仕方を確立するくらいの気
持ちで行きたいと思います。それは依頼される仕事というより、自身のライフワー
クの集大成を中心にするということになると思います。

それと、蝸牛試論のように、ほんとうに言いたいことで、なかなか組織の長とし
ては発言しにくかったことも、どんどん発言していくことになろうかと思います。
そういう私の視点が何かの役に立つなら本望です。
尖閣諸島問題を考える(2) [2010年11月16日(Tue)]

さて、ビデオの流失に関わる発言です。ワイドショー的な犯人探しから、海保の
職員による流失ということがわかった時点からの同情論、義挙論があふれていま
すね。わが国の人々は、こういうことに弱いんだなあと思います。法の持つ冷酷
さにいつまでも慣れることができない。法より義理や人情が優先する。そういう
風土なんでしょうか。私はいつも、日本は法治国家ではなく放置国家だ、と講演
で話してきました。法によって現実を変えるのではなく、行政指導や業界団体の
申し合わせによってようやく変化した現実を法が追認するというのが、わが国の
法概念だからです。

この件についてもすっきりしたことを言う人は少なかったですね。ほとんど唯一
でしょうか、作家にして元外務省主任分析官の佐藤優氏は、朝日新聞11月12日の
耕論「流失」で、「同情にも称賛にも値しない」と書いています。

佐藤氏の主張は二つです。一つは、流失ビデオは何らかの意図によって(当然、
海保の行為を正当化しようという意図によって)編集されたものであり、リーク
や情報操作の入り込むスキがいくらでもあるものだから、国民の知る権利に応え
るものになっていないということ。二つには、歴史に学べということだという。
武力を持った公務員に対して、統制が取れていない行為を認めることの危うさを
肝に銘じておくべきだと。

「1932年、帝国海軍将校が時の犬養毅首相を暗殺した五・一五事件の時に、「方
法はともかく、動機は分かる」と刑の減免を求める運動が起こり、軽い処分で収
束した。この対応が後に二・二六事件を誘発した。海上保安庁が機関砲を所持し
ている官庁だということを忘れてはならない。・・・・二・二六事件以降、政治家も
論壇人も軍事官僚を恐れ、日本は戦争になだれ込んでいった。人間は暴力装置に
は逆らえない。だからこそ、武器を持っている官庁には特別なモラルが求められ
る。」(佐藤優氏の記事から引用)

私なりにもう少し簡単に言うと、こういう職員が出るたびに、長官や大臣の首が、
場合によっては内閣の崩壊につながるということがわかったら、勘違いして国士
気取りで刺し違えようという奴がどんどん出てくると思いますね。野党は、その
手伝いをしているのではないですかね。


さて、長々と書いてきました。
私はこれらのことを、ほぼ数個の新聞記事とネットのニュースを読むことで組み
立てました。参考にしたものを挙げておきます。

・11月10日 朝日新聞 ザ・コラム「正論ですめば苦労はいらぬ」若宮啓文
・11月11日 朝日新聞 「尖閣の海洋資源共同開発が最適」記事
・11月12日 朝日新聞 耕論「流失」「同情にも称賛にも値しない」佐藤優
・11月16日 朝日新聞 「2島返還に基づく交渉しない」記事
・田中宇の国際ニュース解説 無料版 2010年9月17日 http://tanakanews.com/ 
 「日中対立の再燃」
・田中宇の国際ニュース解説 無料版 2010年10月16日 http://tanakanews.com/
 「劉暁波ノーベル授賞と中国政治改革のゆくえ」
・内田樹著『街場のメディア論』光文社新書

では、どうすれば良かったのか。それは書かなくても、賢明な皆さんならおわか
りいただけるのではないでしょうか。

マスコミには、原理主義的正論を排し、歴史的な経緯を尊重しながら、一国の狭
い国益だけではなく、東アジア全体の地域益を考慮に入れた、対米自立型の外交
を展開する。そういう可能性をもっと論じてもらいたいものです。


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尖閣諸島問題を考える(1) [2010年11月16日(Tue)]

入院中の出来事で、大きな話題になったものは、尖閣諸島の中国漁船衝突事件
(いつの間にかビデオ流失事件になってしまいましたが)とチリの鉱山の救出劇で
しょうか。

特に前者について、いくつか気になることがあったので、覚書風に列記してみま
す。

気になることの中心は、マスコミの報道があまりに画一的で、誰でも言いそうな
ことを垂れ流しているということです。世論というのは、「誰もその言責を引き
受けない言葉」のことです(内田樹氏の言葉)。そういう言葉があふれている。今
に始まったことではありませんが、それにしてもひどい。入院していたから、久
しぶりに長時間テレビを見てそう思いましたね。

さて、尖閣諸島事件です。細かいことは調べてください。

まず、ロシアの大統領が国後島を視察に訪問したことでもそうですが、北方領土
も尖閣諸島も、加えれば竹島問題も、いずれも歴史的な経緯があるわけです。北
方領土などは、昔、毛沢東は千島列島全体が日本の領土だと社会党の訪中団に
語ってソ連を激怒させたことがあり、二島返還で話がつきそうになったときに、四島
返還でなければ沖縄は返さないと凄んだのがアメリカだったなど、一筋縄ではい
かない外交の妙でしょうか。そもそもヤルタ会談の秘密協定でソ連に千島列島の
領有権を認めたのはルーズベルトです。尖閣諸島は日本が台湾を獲得した日清戦
争のさなかに、竹島は韓国併合に道をひらいた日露戦争のさなかに、自国の領土
に編入したものです。日本の立場では手続きに瑕疵はないとしても、相手は当然
ながら戦争のどさくさに紛れてと思っているわけです。

いずれにせよ、日本の理屈だけで正論を語っても、ハイハイと相手が飲むはずが
ないことを、マスコミはもっと国民に伝えるべきでしょう。APEC首脳会談の成果
がないとマスコミは騒いでいますが、正論を語れと圧力をかけておいては、相手
も正論を返すしかないわけで、成果がないのはあたりまえでしょうに。尖閣諸島
に領土問題は無いと繰り返す日本と同じ態度を相手も取るに決まっているではな
いですか?
マッチポンプのようなマスコミの態度にうんざりしてしまいます。(朝日新聞の
「ザ・コラム」若宮啓文氏の『正論ですめば苦労はいらぬ』だけが、このような
視点での指摘をしているものでした。)

北方領土でも「不法占拠」という言葉は禁句でした。それを使ったのは麻生太郎
首相であり、前原外務大臣です。プーチン大統領のときには、ロシアはまず二島
返還、そのうち残り二島も返還というサインをチラつかせていたというのに、気
づかなかったのか、気づかないふりをしたのか「不法占拠」発言で台無しにした、
それが麻生政権です。11月16日の朝日新聞のモスクワ発の記事に、ロシアの有力
紙コメルサントが15日付で、ロシア代表団消息筋の話として、ロシアは北方領土
をめぐる交渉方針を転換し、歯舞・色丹の二島引渡しを明記した1956年の日ソ共
同宣言に基づいた交渉はもう行わない、と報道しています。(こういうことは、
片隅のニュースを読み解かされるのではなく、きちんとした解説記事として読み
たいものですが、このあたりのことをいつもはっきり書いているのは、外務省を
追われた佐藤優氏です。)

中国も日本も、原理主義的な正論を叫ぶ人々にいつも悩まされてきました。白か
黒か。日本の領土か否か。そういう反応しかできない人々のことです。しかし、
外交は相手があるもので、相手には相手の理屈と都合があるということを避けて
通れるものではありません。しかし、ときの権力者は都合が良いときには、その
ような人々を利用し、都合が悪くなると弾圧するということを繰り返してきまし
た。「正論ですめば外交はいらぬ」と言いたいですね。


さて、尖閣です。9月7日、沖縄県の尖閣諸島・久場島の沖合15キロの海上で、
中国漁船が、日本の海上保安庁の巡視船を振り切ろうとして衝突し、船長らが公
務執行妨害で海保に逮捕される事件が起きました。

報道によれば中国漁船は160隻の船団を組んで漁をしていたわけで、これは日常
的な光景だったのではないか、という疑いを抱かせます。つまり、今までも日常
的にこの海域においては中国漁船は船団を組んで漁をしていたのだということを
推察させますね。(その程度のことについてもマスコミはほとんどコメントして
いませんね。)

歴史的な経緯を見ると、尖閣列島以北の東シナ海(東海)では、日中間に何度も更
新された漁業協定が存在します。最新のものは、97年に締結された日中漁業協定
です。しかし、協定は、北緯27度以北について定めたもので、尖閣列島以南につ
いてはなんの定めもないようです。定めはないが、もともと78年に日中平和友好
条約を結んだとき、トウ小平の提案で日中は尖閣諸島の領土紛争を棚上げした経
緯があります。従って海保は、香港や台湾の漁船については、激しく追跡し中に
は沈没させたこともあるようですが、中国の漁船については恐らく穏便に退去さ
せることが常で、拿捕したことはないのです。

また、もし尖閣列島以北のように漁業協定を結ぶとすると、トウ小平と約束した
領土問題棚上げの上、日中両国の漁船が自由に操業できる暫定措置水域にするし
か方法はないわけです。そして、協定はないけれども、実際には、そのように運
用されていたのではないでしょうか。

そうすると、今回に限って、なぜ海保は強硬策をとったのか?しかも、民主党の
代表選の最中に、です。中国と日本の対立を煽り、それが自分たちの利益となる
ものたちの意図が関わっていないか?日本の戦後政治の底流には、ずっと対米従
属派と自立派(=親中派)の対立があるわけですが、外交においてアジア重視の姿
勢を強めた鳩山−菅民主党政権に対する対米従属派官僚の抵抗勢力の策動という
可能性も否定できません。またアメリカの策謀という可能性だってありますね。

海保の一巡視船の判断で拿捕や逮捕はできません。映画『海猿3』の試写発表会
で、海保の長官は、「こういう現場には長官が行くんだ。長官が出ていないのが
残念」と語っていました。数時間に渡る追跡劇の間、海保の長官に直通の連絡が
取られていないはずはなく、長官は所轄の国土交通大臣の許可もとっていたはず
です。その国土交通大臣が、後に外務大臣になった前原です。外務省は徹底的な
対米従属派の牙城、前原は思想的に極めてネオコンに近い。そのあたりいろいろ
臭いますね。

もう一つ、公開されてしまった海保の研修用ビデオ映像によると、中国漁船は悠
々と網を引き上げ、逃走し、かつ意図的に巡視船に衝突してきたように見えます。
(あくまで2時間以上の録画の一部を証拠・研修用に編集した内容を前提にしての
話です。全体を見ないと本当のことはわかりません。) そうだとすると、なぜ
あの船長は体当たりを敢行し、帰国して英雄となったのでしょうか?ひよっとし
てあの行動は事前に計画されたものだったのではないでしょうか?だとすると、
船長一人の裁量でそのような計画ができるものではありません。中国側であのよ
うな行動を計画するものは、どのような勢力でどのような利益があるのかを問わ
なければなりません。

折りしも中国側では、10月15日に共産党の中央執行委員会が開催される予定でし
た。今年に入って温家宝首相は、さまざまなメディアや演説で、経済的な改革開
放だけではなく、政治的な改革開放を進めなければならないというメッセージを
繰り返し発しています。しかし中国国内では発言は無視され、ほとんど報道され
ていないようです。日本のマスコミもかな。それでも10月8日の劉暁波氏のノー
ベル平和賞授賞の発表もあり、内部でも政治的な改革開放を求める声は高くなっ
ています。当然、保守派強硬派は気に入らないはずです。そういう場合、対外的
な緊張を高めることによって、改革開放派を追い落とすことができる、というの
が常套手段です。メディアはそういうことをもっと疑ってもいいのです。

小さな記事ですが、興味深い記事が11月11日の朝日新聞にありました。台湾の馬
英九総統が10日に日本のメディア各社と会見した記事です。そこで馬総統は、尖
閣諸島(台湾名・釣魚台)の領有権について、従来どおり中華民国(台湾)の主権を
明確に主張すると同時に、日中台間の紛争を解決するのは、海洋資源の共同開発
が最適の解決方法だと述べています。また、日台間では、尖閣海域の漁業交渉が
停滞しているため、交渉者のレベルを上げて解決できれば地域の安定に資すると
発言しています。

私たちは忘れがちですが、尖閣諸島問題は日中間だけではなく、日台間の問題で
もあり、三つ巴の問題なのです。正論居士ばかりだと台湾も中国と手を組むとい
う方向へ追いやってしまうところでしたが、馬総統は、日本にある種のエールを
送っているのです。中国寄りの国民党政権でありながら、日米安保条約を支持し
、尖閣諸島に対する自国の領有権主張を堅持し、しかし実際には、漁業交渉の実
を得ようとする。これが外交です。一つの中国論という正論に惑わされて、現実
に存在する中華民国のことを考慮に入れないとしたら愚かなことです。

                                             続く
ご無沙汰お詫びします。 [2010年11月14日(Sun)]


お久しぶりです。
退院してから13日目です。
ブログを一度しか更新していないので、心配されている方もいらっしゃると思い
ます。すみません。

いくつか理由があってブログの更新をしないでおりました。

一つは、体力的なことです。自宅療養になってから、思っていたよりも体力の不
足を痛感させられています。まあ、2ヶ月以上ベッド生活だったわけですし、体
重も50kgしかない男が、42kgになってしまったですから、体力が無いのは当た
り前なんですが、なかなか慣れないものです。

退院してほぼ毎日、外出をして部屋の模様替えのための買い物をしておりました。
それだけでも疲れるわけです。その上、回数を増やして食事をしなければならな
い。食事自体が疲れるのです。しかも、ちょっと食べ過ぎるとたちまち強烈な腹
痛に襲われる。そのたびにベッドに倒れこむわけです。病院にいたときよりも、
ブログ更新の余力がなかったというのが正直なところです。

二つには、今回の退院は、外科的な処置の完了というものですから、まだ摘出し
た臓器の組織検査の最終の結果が出ていません。自宅療養を続けて、自然治癒力
を上げなさいという判断です。つまり、なんとなく仮釈放ですが、近々判決がで
る被告人の心境です。そのあたり、検査結果を聞いてからでないと、次の方針が
出せないため、なかなかブログに書くことができなかったとご理解下さい。

三つ目は、書く内容のことです。今までは、たくさんのお仕事をいただいている
公人としての責任から、小生の生死に関わる情報をブログにアップしてきました。
とても勇気づけられたことに、毎日数百人の方々がブログを読み、コメントやメー
ルを寄せてくださいました。ほんとうにありがたかったです。

しかし、退院してからのリハビリの様子など、お伝えするに値するかどうか疑問
に思っています。そもそも身辺雑記を書くつもりはありませんでした。ブログは
私にとって表現手段の一つです。どうしても伝えたいことがあるから書く。私で
なければ言えないことがあるから書く。そういうものとして書きたいと思ってい
ました。

けれど、入院前には、あまりまめに更新できていなかったと思います。
私の中の優先順位が低かったわけです。直接、講演や講座でお話できること、
原稿を書いて発表できること、そういうことの次に、余力があればブログにも書
こうというスタンスでした。ですから、あまり読者もいなかったのです。(毎日100
人程度でした。)それが入院で一変します。ブログはほぼ唯一の表現手段になり
ました。そして退院後も、もとのような仕事への復帰は不可能と考えていますか
ら、ブログやその他のメディア(本など)による表現活動は、私のこれからの人生
の大きな柱になると感じています。

なので、どのような内容のものを書いていこうかといろいろと考えていたのだと
ご理解下さい。いくつかアイディアも湧いてきました。今後のブログにご注目下
さい。

・朝日新聞の連載「ニッポン人脈記」に登場する予定でしたが、掲載が延びてい
ます。12月の8日がスタートになったようです。ニイタカヤマノボレで太平洋戦
争を開始した日、ジョンレノンが殺された日ですね。

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