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絆が苦手 [2011年05月13日(Fri)]


4月30日に「20年目の春」と題して、京都から齋藤洋さんが訪ねてみえられたことを
書きました。そのとき、齋藤さんは、二つの目的を持って、被災地を訪れていました。

ひとつは、私のブログにも紹介した、ものづくりを生業とする人たちへの支援方法を探ること。もうひとつが、避難所や、これから移り住む仮設住宅や当地の学校などで、亡くなった方たちに向けて〈メモリアル・キルト〉を作ることができないだろうか、ということだったのです。

その齋藤さんから、「風の便り」と「呼びかけ文」が届きました。

針と糸を持ち、布に亡くなった人の記憶を縫う共同作業の場は、豊かな喪の時間を提供してくれます。お読みいただいて、興味がある人は、齋藤さんに連絡を取ってください。

また、齋藤さんは、「絆」という言葉についても、こんなことを書いています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は絆という言葉が苦手です。この文字の糸へんの横の半のようなつくりは、牛を表す象形文字から来ています。
絆とは、牛や馬をつなぎとめるロープのことで、自由を奪いわがものにするというのが本来の意味です。みんなの心を一つに頑張ろうという言葉はもろいと私は思っています。そのために絆のような<たが>がセットされやすいのだと思います。それも国家的なるものによって。
わたしは今この厳しい状況の中で言葉を見つけるとしたら、絆ではなく、ほどけ、とけあうというようなイメージだと感じています。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「ほどけ、とけあう」というイメージがどんなことなのか、ぜひお読みください。





オブジェ2 [2011年04月28日(Thu)]


新しい震災オブジェが完成じした。
今度は、顔がテーマです。

たくさんの人々が亡くなったり行方不明になっていたりします。
数字ではなく、一人ひとりの顔があり、人生があるのですね。




私たちが失ったものとは? [2011年04月21日(Thu)]


私が市民活動支援/NPOという手法を梃に日本社会の変革を志し動き出したちょうどその頃、結城登美雄さんは、東北の農村なかんずく過疎へき地と呼ばれる山村漁村を訪ね歩きはじめた。1995年8月から3年間の新聞連載をまとめた本書は、結城さんが歩いた町村の人々の飾り気のない真摯な生活が写されている。

都会でエコやオーガニックや自然保護を語る人は、ぜひ本書を精読して欲しい。福島原発に事故が起きて初めて、自分たちの使っている電気をどこで誰が作っているのかわかったという人々が多いことにいまさらながら驚くが、同じように私たちは、自分が食べている野菜や魚や米が誰のどのような努力によって支えられているのか、ほとんど無知である。

宮城県唐桑町、冬の味覚の代表格である牡蠣を出荷するための牡蠣殻むき作業は、製造物責任法の影響で午前1時から始めないと間に合わないという。そのためこの期間、午後6時就寝午前零時起床が海に生きる人々の暮らしのリズムである。

岩手県田野畑村、真夏なのに雨が降り気温14度の午前4時、港では黙々と昆布についたコケムシを洗い落としていた人々がいた。

福島県熱塩加納村、冬の吹雪でナラの原木も凍る中、ホダ木づくりが進む。1本20個1日1200本、ひたすら春まで作業は続く。

結城さんが訪ね歩いた三陸沿岸から福島の海辺までの町村に、容赦なく地震と津波が襲った。牡蠣や昆布の豊饒をもたらす唐桑や田野畑の海が牙をむいた。放射能が降り注いだ福島県では、原発からはるか離れた会津の熱塩加納村の椎茸は、はたして今年は売れるだろうか?

宮城県名取市閖上港は、城下町時代から300年間続く行商のおばちゃんたちが午前6時のセリの主役である。その「閖上のおばちゃん」が活躍した港は壊滅した。

地震と津波と原発事故で私たちが失ったものは、建物や堤防や自然ではない。ましてや誤解を恐れずに言えば、1万人とも2万人とも言われる数量化された命ですらないのではないか。

生きるとは、域を息ることだ、と村瀬学は書いている。海に生き、農に生き、牛と共に暮らす人々に、放射能が危ないから早く避難したらいいのに、という親切な声が届く。域を息るものを知らぬ戯言である。逃げられる人は例外的な人々である。逃げ出した隣の県で農業ができるか?牛が飼えるか。魚がとれるか。

作家の熊谷達也は、河北新報4.16の震災と作家たちというコラムで「安易な言葉 もう沢山だ」と怒っている。

「あるいは、今後は津波の来ない場所に町を再建すべきだと、訳知り顔で言ってのける者もいる。何度津波が来ようと、海のそばでしか暮らせない人々の、海のそばで暮らしたい人々の、その気持ちがなぜわからない。いつも海を見ていたい人々の心の在り方に、どうして思いが至らないのか。」

数量化できるものしか見えない者には、数量化できるものしか復興できない。数量化できないものは、もう一度、ほんとうに失われる。

公共という言葉が泣くような、公共広告機構の広告が垂れ流されている。まさに「安易な言葉もう沢山だ」である。代わりに、この結城登美雄さんが書いた東北の山と海に生きる人々の暮らしの記録をただ朗読する、そんな広告のスポンサーになる勇気ある企業はないか。数量化できない失われたものを私たちが取り戻すために。

結城登美雄さん、昭和20年、旧満州生まれ。広告業界を経て、東北の各地をフィールドワークしながら地域づくりに関わってきた。昨年、私が入院しているときに、彼も倒れたと聞く。その後、奇跡的に健康を取り戻し、また各地の人々に頼りにされているという。

結城さんは、実は、私が仙台で最初にちゃんと勤めた広告代理店の先輩であった。4つ年上の先輩社員として1年間お世話になったまま、私は危ない会社の社長に誘われて、倒産寸前の会社に転職、その後会社は倒産して、26歳のときに起業、30代から市民活動を始めたわけだが、広告業界で頭角を現した結城さんは、やはり起業し、会社を大きくしていった。同時に、黒テントを呼んだりしていた。今は無き、八重洲書房という本屋で会えば挨拶を交わす程度のつきあいが続き、やがて結城さんは50歳にして会社を整理し、東北の山や海に生きる人々を訪ねて歩き出したのである。その仕事の最初のまとめが本書である。

私は、この先輩の仕事に、とても大きな敬意と畏怖の念を抱いている。私にはとてもできない仕事だと観念しているが、いつかはその境地に近づいてみたいものだと思っている。


「山に暮らす海に生きる」結城登美雄著、無明舎出版。
震災オブジェ [2011年04月13日(Wed)]


震災一ヶ月を記憶するものとして、オブジェを作りました。

雑誌の震災グラフ特集号や新聞記事をビリビリ破り、須賀川のイチゴの箱に貼り、ペットボトルの中には、同じく被災地の写真を入れて潰しました。

よく見ると、ペットボトルの中も被災地です。箱は裏まで被災地の写真で埋め尽くされています。

一枚一枚の記事や写真を見ながら、黙々と貼り込んでいくとき、被災した一人ひとりの涙と悔しさが私の胸にも刺さってきます。




「なじらない」「あおらない」 [2011年04月11日(Mon)]

以下は、震災1ヶ月目にあたり、スタッフと理事・監事・顧問の皆さん宛に出した、
加藤のメッセージです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

せんだい・みやぎNPOセンター
スタッフの皆様

               cc 理事・監事・顧問の皆様


◆加藤です。
毎日、ご苦労様です。
あっという間に、大震災発生から1ヶ月が経ちますね。
下手をすると記憶もないというほどの忙しさだったのではないでしょうか。

以前に、朝日新聞の仙台支局にいて、HIV訴訟支援でたくさん記事を書いてい
ただいたMさんという女性記者さんは、そのあと和歌山支局に転勤となり、例の
和歌山カレー事件の取材にあたります。後にお会いしたときに聞いた話ですが、
その1年間の記憶がほとんどないと言っていました。怒涛のような取材合戦に巻
き込まれ翻弄されたとき、人は記憶も封印して自分の身を守ろうとするのかもし
れませんね。

今日の朝日新聞の池澤夏樹さんのコラム「終わりと始まり」は、とても良い文章
でした。その一部です。池澤夏樹さんは、紅邑さんが大ファンの文学者でもあり
ます。私も信頼している文学者の一人です。知っていますか?

              ↓

■正直に言えば、ぼくは今の事態に対して言うべき言葉を持たない。
 被災地の惨状について、避難所で暮らす人たちの苦労について、暴れる原子力
発電所を鎮めようと(文字どおり)懸命に働いている人々の努力について、いっ
たい何が言えるだろう。
 自分の中にいろいろな言葉が去来するけれど、その大半は敢えて発語するには
及ばないものだ。それは最初の段階でわかった。ぼくは「なじらない」と「あお
らない」を当面の方針とした。
 政府や東電に対してみんな言いたいことはたくさんあるだろう。しかし、現場
にいるのは彼らであるし、不器用で混乱しているように見えても今は彼らに任せ
ておくしかない。事前に彼らを選んでおいたのはわれわれだから。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

加藤の書いた「NPOマネジメント」(4月末発行予定)の連載「蝸牛点晴」の最終回
原稿をみなさんにも読んでいただきたいと思い添付します。池澤さんとほぼ同じ
ことを別の言葉で書きました。(→ これは、『NPOマネジメント』誌が、4月末には
発行されますので、その後にアップします。)


◆さて、「震災躁の後で震災鬱がやってくる」と言います。そんなとき、私たち
は、自身の精神の安定を図りながら、的確に被災者への救援活動を広げて
いかなければなりません。小さくても、具体的に動いて、何かをすることが
一番いいと池澤さんも言っています。

センターの仕事は、救援活動としてはなかなか見えにくいものです。つなプロや
れんぷく、宮城のNPOのメーリングリストなどを見ているものには、センターが
さまざまな支援と地元団体と自治体と現場のつなぎ役として、大きな役割を果た
していることがわかりますが、スタッフによっては、そこが見えていない人たち
も多いと思います。

各施設と大町の幹部スタッフは、そのあたりのフォローをしっかりお願いします。
そして日常業務をしっかり進めると同時に、自分たちでも、小さなことでいいの
で、自発的な取り組みを進め、地域の被災者支援のコーディネートをすることが、
震災欝や業務に対する虚無の心からのもっともいい処方箋になることでしょう。

先は長いです。

隊伍を整え、持ち場を守り、足りないところは互いに補い合い、外からの力も大
いに借りて、ひとり一人の創意工夫が輝くセンターになりましょう。


◆紅邑さんの代表理事就任についてですが、今までの加藤、大滝代表理事体制は、
外部からの監視役としての意味もある理事会のトップが大滝代表理事。内部の執
行は、加藤−紅邑のラインで、現場の執行理事体制というものでした。従って現
場のCEO(最高執行責任者)は、意志決定は二人の合議で担い、外の顔としての
仕事、自治体コンサル、講演他の仕事の多くを加藤が、内部的な実務の多くは紅
邑さんが担っていたわけです。

しかし、加藤の病気と、この大震災の現場の指揮ということを考えたとき、CEOの
役割は、紅邑さんに一元化した方がいいとの理事会判断で、代表理事に就任
いただきました。また、昨年の入院以来、加藤の外部的な仕事の多くも、紅邑さ
んと幹部スタッフにお渡ししてきました。加藤は、ベッドの上からでのアドバイ
スはし続けますし、体外的には代表理事の肩書きで行動しますが、基本的な組織
の執行部分の意志決定は、紅邑代表理事以下、幹部のスタッフの皆さんによって
担われることになったと理解してください。もちろん紅邑さんには紅邑さんの得
意不得意があります。皆さんで補いつつ、センターを支えてください。


◆加藤の治療経過です。
抗がん剤治療の第一クール(週一回×3週点滴+一週間休み)の3回目点滴が終わり
ました。大きな副作用もなく、白血球も上昇に転じ、第二クールの治療に来来週
から入れる予定です。第二クールに入れれば、通院治療も可能なので、退院も視
野に入れます。(自宅のガスが復旧しないと風呂に入れませんが・・・)


以上、大震災、1ヶ月目を前にして、加藤から皆さんへのお願いです。


加藤哲夫

震災1ヶ月になりました。 [2011年04月11日(Mon)]


今日で震災一ヶ月になりましたね。病院では、午後2時46分になるとスタッフが一斉に黙祷しました。一緒にわたしも静かに黙祷を捧げました。

たくさんの被災された方々の涙が想われます。怒涛のような一ヶ月が過ぎて、無力感に囚われることが増えるでしょうね。不安感や恐怖心にも襲われるでしょう。でも、それが普通です。あたりまえです。無理に元気にする必要はないと思います。ただ、コツコツと何か人の役に立つこと、仕事をすることが、救いになるようです。

一ヶ月目の売店には、たくさんの震災特集が組まれた雑誌が並んでいました。いくつか買いましたが、被災地の人々に届く言葉はあるでしょうか?

ここまで書いて、携帯から、CANPANに投稿しようとしていたら、ジャン!!
大きな揺れが・・・・
またまた余震です。

ラジオを聴くと、福島県の浜通り南部内陸部の直下型地震だそうです。
おいおい、浜通り南部って、原発に近いよね。
なんとかヨレヨレになって沈静化を図っている第一原発の直下だったりしたら、
どうするの?!と思いましたね。

ラジオでは、第一原発の外部電源が切れたという報道も・・・
あやや・・・まずいのではないですか?
しばらくすると、外部電源復活という報道がありました。

ふう・・・・

こんなふうに、原発は、安全に止まったからといって安心できないんですね。
(福島第一はまだまったく安全に止まっていないですけれど・・・)

すっと、私たちは、ふう・・・・と言いながら、
この状況を乗り越えていかなければなりませんね。

ふう、とんでもない、震災1ヶ月目でした。

福島からイチゴが届いた。 [2011年04月05日(Tue)]


福島県須賀川市の農協直売所から真っ赤に熟れたイチゴが届いた。

友人が原発事故の風評被害に泣く福島の農家に何かできることはないかと考えて、
自分の分の野菜や果物や米を注文したついでに、
病院の私宛てにイチゴを送ってくれたのだ。

真っ赤に熟れたイチゴは、ほんとうに美味しくて、
ついつい食べ過ぎないように我慢するのが困難なほどだった。


微量でも放射能は危ない!という考え方もあるが、
広範囲に放射能が降った今回の福島原発事故は、
そういう原則論を唱えるだけでは割り切れない問題を提起した。

危ないなら危ないとして、どの程度までを受忍するか?しないか?
しないとすると、その地域で生きる農家や漁師たちはどうなるのか?
隣の県の野菜や果物はやはり微量の放射能がついたと考えられるが、
政府や県の安全宣言を信じないとすると、
一切を拒否して、九州や四国の産物だけを買うべきなのか?

わたしは福島県の生まれだから、今回の事故は、遠くの出来事ではない。
現在進行形の出来事であり、
かなり放射線量が高い福島市には母親が一人で暮らしている。

先日は、30年間有機農業をしてきた福島県須賀川市の男性が、
県の出荷停止の発表の翌日自殺した。

そんな中、わたしは福島県の野菜や果物や米を買おうとしてくれた
友人の行為が心に響く。

友人は決して放射能に無知なのではない。
微量放射能の危険性を訴える学習会にも出ていたという。

放射能汚染は恐ろしい。だから原発に反対してきた。
にもかかわらず事故は起きてしまい、私たちは生きている。
理不尽な原発の被害を受けながらも、
そこで生きていかなければならない人たちがいる。
だから私も逃げない、避けない。
福島県の野菜や果物を米を買い続ける、のだと。

科学的な論争は、事故前から、推進派と反対派ではずっと平行線である。
事故後の「AERA」の原発学者アンケートでも、
双方はもともとの主張を1ミリも変えていない。

多くの人びとに届く言葉は発せられているか?


活動支援金・寄付 [2011年04月02日(Sat)]

あっという間に4月になりましたね。
被災地では、生きるためのまだまだ厳しい闘いが続いています。

私は幸い、病院なので、衣食住には困らない状態で、申し訳ないくらいです。
抗がん剤治療は、3/23開始以来、2週間目です。
少し便秘気味で、お腹が張ること、白血球値がかなり下がったことなどが副作用でしょうか。
まだまだ元気ですから、ご安心ください。

各地の皆さんからセンターへの寄付の申し出をいただいています。
ほんとうにありがたいことです。

いろいろと支援の内容によって、分けてお預かりすることにしているのですが、中には、

  応援者は私たちと同様に、貴団体とはこれまでの信頼関係を基本に置いており、
  貴団体の社会的存在とこの事態への対応の的確性に期待するものです。
  したがって「任せてください基金」のような性格の基金があればうれしいのです。

などと言っていただくことがあり、嬉しいと同時に、責任をひしひしと感じるものです。

なかなかわかりにくいセンターがしている仕事の説明は、こんな風にしています。

                        ↓

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

皆様

連絡ありがとうございます。
また、寄付の告知など協力ありがとうございます。

当センターのような活動は、現場の炊き出しなどをやっているわけではないので、
活動がわかりにくいと思います。

この約20日間に立ち上げたセンターの救援活動支援の一端をご紹介します。

1.「大震災NPO連携ネットワーク会議」という地域のNPO、それに企業も行
政も参加する大きな会議を、せんだい・みやぎNPO他複数団体の呼びかけでつ
くりました。メーリングリストも動いています。そして、物流部会と子ども支援
部会が動いています。いろいろな団体から持ち込まれる提案や支援とこまごまし
た支援要請は、このメーリングリストで各地の支援拠点や支援者とつながってい
きます。実働している地元団体の参加が多いので、即戦力部隊同士の連携
大作戦ですね。

2.みやぎ連携復興センター http://fuda.jp/saigai/archives/292 も立ち上
げました。これは、
・被災者をNPOとつないで支える合同プロジェクト(略称:つなプロ)
・認定NPO法人ジャパン・プラットフォーム
・公益社団法人仙台青年会議所
・一般社団法人パーソナルサポートセンター
・NPO法人せんだい・みやぎNPOセンター
の5団体が中心なっているセンターで、連携して復興することを、団体間コーディ
ネートを中心に行っています。かなり規模の大きな話も進めることが多くなっています。

3.つなぷろ https://blog.canpan.info/tsunapro/ です。これは、IIHOEの川
北さんはじめ全国の皆さんに関わっていただいている大きなプロジェクトで、
外からアセスメント部隊を入れながら、避難所でのスペシャルニーズ(←マイ
ノリティニーズという言い方もしていましたが、私はスペシャルニーズと言った
らどうかと思います。少数者、ハンディキャップパースン等のニーズ)に応えて
いこうというものです。いよいよ本格的に動き出しています。
せんだい・みやぎNPOセンターは、プロジェクトの構成メンバーであり、地元
自治体やNPOとのつなぎ役として動いています。このアセスメント手法を使って、
既に多賀城市では、サポートセンター職員が避難所をまわり、市と対策を構想
しています。一過性のボランティアでもなく、タテ割りの行政でもなく、私たちだから
提案できる方法を実践していると理解ください。

4.仙台市市民活動サポートセンターHP http://www.sapo-sen.jp/  
  仙台市シニア活動支援センター https://blog.canpan.info/sendai-senior/  
  多賀城市市民活動サポートセンター http://www.tagasapo.org/
                    https://blog.canpan.info/tagasapo/ 
以上の3施設は、市と話し合いを重ねて、仙台市は既に、多賀城市はもう少し
経ったら、災害救援の市民活動に特化した支援センターとして時期を限って開館
することになります。暖房がまだなど、通常の市民利用施設としては条件を満た
さない施設を、安全を確認した上で、緊急時の支援活動に活かすという選択をし
ていただきました。名取市のセンターだけは、施設の破損がひどく待機状態です
が、ブログを活用した情報提供と利用団体の安否・活動確認を行っています。
  名取市市民活動支援センター https://blog.canpan.info/natori/

5.災害救援活動情報サイト http://fuda.jp/saigai/ 
 以上のようなセンターの活動を常時発信し続けるサイトとして開設しました。

もちろん、以上の活動以外にも、さまざまな問い合わせ対応とコーディネート、
それに通常業務の山との格闘があるわけです。

上記の活動には、もともと事業予算がゼロだということもおわかりいただけると
思います。
今回ご寄付をいただける資金は、上記のような活動を支えるセンターの資金
として、適正に活用させていただきます。

ありがとうございました。

加藤哲夫

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
サトロさん動画が・・・ [2011年03月21日(Mon)]

ミュージシャンの苫米地サトロさんに、
震災直後、なかなか連絡が取れず、やきもきしていました。

その後、無事がわかってほっとしていたのですが、
なんとチャイルドケモハウスのブログに動画を発見!!

https://blog.canpan.info/kemohouse/

サトロさんの住んでいる亘理町の被災の様子もわかります。
動画撮影は、伊勢真一監督のプロダクション。
ちょうど映画の上映会をしていたらしい。

いろんなつながりが、このブログの映像から読み取れます。

そう、気仙沼市のネットワークオレンジの理事長小野寺美厚さんから
今日、電話がありました。
ブログにも書いていらっしゃるけれど、
とりあえずスタッフ、利用者は無事だったとのこと。
事業所は全滅だけど、復興に向けて頑張っていくと元気でした。

公志園で培った人脈も復興に大きな力になるはずだから、
きっと気仙沼を元気にしてくれると思います。

お電話していて、ついついウルウルしてしまう私でした。


新サイト開設 [2011年03月18日(Fri)]

せんだい・みやぎNPOセンターでは、この一週間、「みんみんブログ」を、今回の地震関連の支援情報の共有・発信のために運用してきました。毎日1000件から2000件のアクセスをいただいており、一定の役割を果たしてきたと思います。

今日から、新しく、災害支援活動情報専用のサイトを開設しました。
今後は、こちらのサイトもご覧下さい。

                ↓
                ↓

東日本大震災 仙台・宮城における災害救援活動情報
http://fuda.jp/saigai/
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