• もっと見る
«ビンラディンとNPOマネジメント | Main | 子供の日»
プロフィール

カタツムリさんの画像
カタツムリ
プロフィール
ブログ
<< 2011年08月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
カテゴリアーカイブ
最新記事
最新コメント
岡山NPOセンター川上
ウォンウィンツァンさんコンサート (08/26)
ソルティはかた
人生、最高の書斎にて (08/15)
ごとう
やっと発刊! (07/14)
pnetねこ
蝶の舞う海 (05/22)
さいとう
絆が苦手 (05/13)
最新トラックバック
NPODay (06/11)
月別アーカイブ
リンク集
田口ランディさんの原発論 [2011年05月05日(Thu)]

■田口ランディさんの原発論

皆さん、覚えていますか?

1999年9月30日に、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃
料加工施設、株式会社ジェー・シー・オー(以下「JCO」)が原子力事故(臨界
事故)を起こしました。死者2名と667名の被曝者を出したこの事故の教訓が少し
でも活かされていたら、今回の福島の事故後の社会的な対応は随分ちがったもの
になったのではないか、と思うのですが、事故自身の検証は行われても、周囲の
人々にどう対処したのか、それでほんとうに良かったのか、その後の追跡調査は
しなかったのか、というような視点からの評価と対策の立案はほとんどなされて
いなかったのではないでしょうか。なぜなら、公的にも2名の死者と667名の被曝
者を出したといわれているのに(Wkipediaによる)、そして実際には、その何倍も
の人々が被曝し、放射線の恐怖を味わい、今もなお苦しんでいる人々がいるにも
かかわらず、ほとんど話題にもならないという事実が、それを証明しています。
無策というより、意図的な無視、ネグレクトを思わせるものです。要は、無かっ
たことにしたいのですね。

そのことが、今回の福島の原発事故の対策に、そして事故後の対処に、大きな影
を落としているのではないでしょうか。どうして簡単に、こんなひどい悲劇を忘れて
しまうのでしょうか。政府もマスコミも、そして私たちも。チェルノブイリのことはさすがに
無視できなくなりましたね。


JCOの事故をきっかけに、その6年前に自分が参加したディープエコロジーの
ワークショップのことを思い出し、メルマガに書いた人がいます。今は作家とし
て有名になった田口ランディさんです。そのメルマガには、私の名前も出ており、
その後、そのまま単行本に収録されたらしく、ときどき、ランディさんの本に加
藤さんが出ているよ、と言われるようになりました。

その当時は、メルマガの原文を送ってもらい、事実誤認の訂正と田口さんのよう
な原発に対する考え方をする人は多いだろうなと、その問題点を指摘するコメン
トを書いて、私が主宰していたエコロジー事業研究会の会報「月刊エコ・ファイル」
に掲載しました。まだ、それほどインターネットを活用していない頃でした
から、Webサイトにアップすることもなく、そのままになっていました。

今回、パソコンのデータをチェックしていたら、当時の文章を発見しました。読
んでみると、なかなかに大事なことを書いているなぁと自分でも感心したので、
もともとの田口さんのメルマガで転載自由と書いてあることだし、1999年のJCO
の事故の後に、田口ランディさんは原発をどう考えており、私はどうコメントし
ていたのか、ということを見てもらうことで、現在の福島の事故の後の社会を、
そして脱原発の政策をどうしていったらいいのかということを考える参考になれ
ばと思い、当時の文章を公開します。

添付のファイルには、最初に田口ランディさんの1999年10月27日付の田口ランディ
のコラムマガジン「原子力への怒りと絶望を超えて」と題するメルマガをそのま
ま掲載し、その後に、私の11月14日に書いたコメントを付け加えています。ただ、
当時の文章だけでは分かりにくい点に脚注を追加しています。

ぜひ、ご覧ください。


コメントする
コメント