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私たちが失ったものとは? [2011年04月21日(Thu)]


私が市民活動支援/NPOという手法を梃に日本社会の変革を志し動き出したちょうどその頃、結城登美雄さんは、東北の農村なかんずく過疎へき地と呼ばれる山村漁村を訪ね歩きはじめた。1995年8月から3年間の新聞連載をまとめた本書は、結城さんが歩いた町村の人々の飾り気のない真摯な生活が写されている。

都会でエコやオーガニックや自然保護を語る人は、ぜひ本書を精読して欲しい。福島原発に事故が起きて初めて、自分たちの使っている電気をどこで誰が作っているのかわかったという人々が多いことにいまさらながら驚くが、同じように私たちは、自分が食べている野菜や魚や米が誰のどのような努力によって支えられているのか、ほとんど無知である。

宮城県唐桑町、冬の味覚の代表格である牡蠣を出荷するための牡蠣殻むき作業は、製造物責任法の影響で午前1時から始めないと間に合わないという。そのためこの期間、午後6時就寝午前零時起床が海に生きる人々の暮らしのリズムである。

岩手県田野畑村、真夏なのに雨が降り気温14度の午前4時、港では黙々と昆布についたコケムシを洗い落としていた人々がいた。

福島県熱塩加納村、冬の吹雪でナラの原木も凍る中、ホダ木づくりが進む。1本20個1日1200本、ひたすら春まで作業は続く。

結城さんが訪ね歩いた三陸沿岸から福島の海辺までの町村に、容赦なく地震と津波が襲った。牡蠣や昆布の豊饒をもたらす唐桑や田野畑の海が牙をむいた。放射能が降り注いだ福島県では、原発からはるか離れた会津の熱塩加納村の椎茸は、はたして今年は売れるだろうか?

宮城県名取市閖上港は、城下町時代から300年間続く行商のおばちゃんたちが午前6時のセリの主役である。その「閖上のおばちゃん」が活躍した港は壊滅した。

地震と津波と原発事故で私たちが失ったものは、建物や堤防や自然ではない。ましてや誤解を恐れずに言えば、1万人とも2万人とも言われる数量化された命ですらないのではないか。

生きるとは、域を息ることだ、と村瀬学は書いている。海に生き、農に生き、牛と共に暮らす人々に、放射能が危ないから早く避難したらいいのに、という親切な声が届く。域を息るものを知らぬ戯言である。逃げられる人は例外的な人々である。逃げ出した隣の県で農業ができるか?牛が飼えるか。魚がとれるか。

作家の熊谷達也は、河北新報4.16の震災と作家たちというコラムで「安易な言葉 もう沢山だ」と怒っている。

「あるいは、今後は津波の来ない場所に町を再建すべきだと、訳知り顔で言ってのける者もいる。何度津波が来ようと、海のそばでしか暮らせない人々の、海のそばで暮らしたい人々の、その気持ちがなぜわからない。いつも海を見ていたい人々の心の在り方に、どうして思いが至らないのか。」

数量化できるものしか見えない者には、数量化できるものしか復興できない。数量化できないものは、もう一度、ほんとうに失われる。

公共という言葉が泣くような、公共広告機構の広告が垂れ流されている。まさに「安易な言葉もう沢山だ」である。代わりに、この結城登美雄さんが書いた東北の山と海に生きる人々の暮らしの記録をただ朗読する、そんな広告のスポンサーになる勇気ある企業はないか。数量化できない失われたものを私たちが取り戻すために。

結城登美雄さん、昭和20年、旧満州生まれ。広告業界を経て、東北の各地をフィールドワークしながら地域づくりに関わってきた。昨年、私が入院しているときに、彼も倒れたと聞く。その後、奇跡的に健康を取り戻し、また各地の人々に頼りにされているという。

結城さんは、実は、私が仙台で最初にちゃんと勤めた広告代理店の先輩であった。4つ年上の先輩社員として1年間お世話になったまま、私は危ない会社の社長に誘われて、倒産寸前の会社に転職、その後会社は倒産して、26歳のときに起業、30代から市民活動を始めたわけだが、広告業界で頭角を現した結城さんは、やはり起業し、会社を大きくしていった。同時に、黒テントを呼んだりしていた。今は無き、八重洲書房という本屋で会えば挨拶を交わす程度のつきあいが続き、やがて結城さんは50歳にして会社を整理し、東北の山や海に生きる人々を訪ねて歩き出したのである。その仕事の最初のまとめが本書である。

私は、この先輩の仕事に、とても大きな敬意と畏怖の念を抱いている。私にはとてもできない仕事だと観念しているが、いつかはその境地に近づいてみたいものだと思っている。


「山に暮らす海に生きる」結城登美雄著、無明舎出版。
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