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新しい公共? [2010年03月02日(Tue)]
政府の「新しい公共」円卓会議というものが始まっています。
チャリティプラットフォームの佐藤大吾さんたちがボランティアで事務局をして
いるという円卓会議です。その電子版の呼びかけ人になってくださいというメー
ルをいただいたので、それはそれとして、こんなことを考えませんか、という返
事を出しました。以下、ご覧ください。

> ─────────────────
> 新しい公共電子会議(ベータ版公開中)
> → http://www.newpublic.jp/
> ─────────────────

まず、「公共」という言葉を「名詞」として使う言い方になじめません。
もともとPublicは、@多くの人々に関係している、A開かれていてアクセス可能
である、という意味があり、Bとして「政府の」という意味になりました。いず
れも形容詞です。だから、Publicを訳したら「公共性(的)」と訳すのがわかりや
すいと思います。それを名詞化して「政府」または「公共サービス」の意味で使っ
ているのが、最近の流行である「新しい公共」とか「新たな公」という言い方で
すね

新しい公共電子会議HPから
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今、政府が「新しい公共」を推進しようとしています。これまでは政府や自治体
などの「官」が公共を担っていました。しかしそれではもはや限界が浮き彫りに
なってきているのが実情です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というような書き方をされていますが、これでは既にして政府の公式見解と同じ
ですね。私はこれに違和感があります。↓

>
> また、「新しい公共」という考え方の説明自体に、イマイチ乗り切れません。
> 役所の人たちは、必ず、今までは全部行政が公共のことをやってきたが、財政難
> とニーズの多様化のために(市民がわがままになったために)、このままではやっ
> ていけないからNPOなど市民が公共の担い手となるのだ、という説明をします
> よね。聞くたびに腹が立ちます。
>
> もともと市民は公共的なことをたくさん担ってきたのです。門前清掃だって、町
> 内会の役員だって、子ども会の世話だって、みんな公共的なことですよね。それ
> なのに、公共的なことは役所だけがやってきたと言う。そうではなく、役所がやっ
> てきたことだけを公共と呼ぶ「古い公共観」が社会を支配していたのであり、
> 「行政による制度化された公共」だけではなく「市民による自発的な公共」も含
> めて公共空間を考える「新しい公共観」への転換が必要だということだと思いま
> す。そのあたりが理論的にダメだから、行政職員がみんなそろって、NPOや市
> 民への負担のたらいまわしを協働だと誤解しているのですね。
>
> 岩沼市の協働の指針づくりの委員会のお手伝いをしており、提案書に「新しい公
> 共観」という言葉を盛り込みました。
>
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
>  岩沼市では、平成16年に策定した新総合計画において「成熟安定のまちづく
> り」への転換を図るために、行政が、高品質、高付加価値な行政サービスの提供
> を目指すだけでなく、市民(※1)一人ひとりが様々な立場で責任と役割を担い、
> 参画・連携の意識を持って、互いに協力していくことにより、「協働」によるま
> ちづくりを進めることとしています。
>  これまでも地域においては、町内会やNPO、事業者といった民間の様々な主
> 体が、あらゆる分野において公共的な仕事を担ってきましたが、行政がやってい
> ることだけを公共と呼ぶといった「古い公共観」が根強く残っていることも否め
> ません。
>  そのため、本提言書は、この「古い公共観」から脱却し、市民をはじめとした
> 民間の様々な主体による自発的な「新しい公共」と行政による「制度化された公
> 共」が対等に連携し、公共的な仕事をしていく「新しい公共観」に立ち、協働に
> よるまちづくりを進めるための方向性を示す役割を果たすものであると考えます。
> ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

もう一つ、気にかかることは、「サービスの公共」については議論されているが、
「意志決定の公共=参加と議論の公共」については触れられていないというこ
とですね。Publicという言葉や「公共圏」という言葉には、サービスの公共では
なく、参加と議論の空間としての公共性が含まれています。

確かに、行政の公共について言うと、参加と議論の公共は、議会と首長選挙に制
度化されており、行政としてはそこには手を触れず、サービスの公共の担い手を
市民に求めるという発想になりがちです。

しかし、協働という言葉で切り拓かれるべき地平は、単なるアウトソーシングや
公共サービスの担い手の多様化以前に、行政に対する市民の参加と議論の空間の
保証、そして、地域のひろば(参加と議論の公共空間)の再生という大きな課題が
あると思います。

そういう意味で、役所がやってきたことだけを公共と呼ぶ「古い公共観」から脱
却し、「市民による自発的な公共」も含めて公共空間を考える「新しい公共観」
が必要だというのが、私の主張です。制度設計以前にちゃんと考えなければなら
ないことがあるんじゃないの、ということですね。
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