通りに面した葦船花壇が人気を呼んでいる。
昨年、河川浄化活動の一環として作成した2艇の船だが、
「生命の儀式」
をして命を吹き込んだ大切な仲間なので、川に浮かべ終わったからといってむげには出来ない。
ということで、畑で第2の人生を送っている。
通りに面したこの場所は、かつては空き缶やレジ袋のポイ捨てスポットだったが、これだけゴージャスに整備されたいまではポイ捨ては、ほとんどみられない。
「ブロークン・ウィンドウズ理論」はNYだけでなく、ここでも証明されたわけだ。
かわって立ち止まる見学者が増えた。
通りがかった人は、しばらくこの物体の意味がわからない。
「??」
人は、自分の経験を超えた状況に出くわすと思考が停止するものだ。
看板をしばらく眺めたあと
「この船が写真の船なのか?」
「この葦船が本当に浮かぶのか?」
「水は漏れないのか?」
「何で出来ているのか?」
「何で花壇なのか?」
などなど、質問の嵐を浴びせる。
一方で、子供たちはその意味がすぐにわかるらしい。
「遊べるか、遊べないか」
頭で考えるのではない。匂いをかいで判断するのだ。
葦船はすぐにシーソーになった。母親も混じって遊んでいる。
「そんなことしちゃだめでしょ!」
などと無粋なことを言わず、一緒になって遊ぶ母親の子育て方針は素晴らしい(でも隣の家のフェンスに上るのは注意して欲しい)。
彼らの中から、サッカー日本代表のFWが育てば、得点力不足は解消されるかもしれない。
こうやって、花壇として観てもらい、遊び場として乗ってもらい、彼らは朽ち、その役割を終える。
生みの親のひとりとして、その過程をともにしている喜びを感じている。