【唐桑ルポ24】原田燎太郎氏の唐桑中講演会 [2015年03月21日(Sat)]
1月28日、「福祉と人権を考える会 」の授業の一環で唐桑中学校の学生に向けて
中国のハンセン病回復村で活動する原田燎太郎さんの講演が行われました。 また、からくわ丸事務局・加藤との対談もありました。 中国のハンセン病回復村と気仙沼市唐桑町。接点のないようなこの2つの場所で活動するおふたりには共通の志があったのです。 おふたりの活動の指針となっている「志」とは?それを受け中学生はどんなことを感じたのでしょう。 「僕はかめさんになりたかった。」 冒頭で原田さんは 「いつも人と比べる子供で、言いたいことも言えない、やりたいこともやれない子供だった。中学2年までいじめをうけていたし、なんとか大学にも入ったけど就職活動で失敗して、僕は社会からもいらない存在とされてるんだ。と感じた。」と語った。 「どーんと、でっかいことやろうぜ!」 そんなとき、一人だけ原田さんを必要としてくれる先輩がいた。 その先輩が言うでっかいこと、それは『中国のハンセン病回復村でのワークキャンプ』だった。 「明日出会う人が自分の人生を変えてしまうかもしれない予感」 原田さんはいう。 「行くまでは、中国のこと嫌いだったんだよね。メディアの言うことを信じてた。でも行ってみたら、そこで人生を変えてしまう人に出会った。」 ハンセン病は極めて感染力が弱く現在は薬ですぐに治るし、後遺症もでることはない。 しかし、かつては有効な治療法がなくその後遺症から恐ろしい病、遺伝病とされてきた。 ハンセン病を発症すると家族ごと村八分にされるため、山奥や孤島に隔離された歴史がある。 治っても家族のもとに帰ることはできない。 社会からつながりを断たれたハンセン病回復村で、原田さんは蘇おじさんという回復者に出会った。 彼は、ハンセン病を病んだという過去をうけとめ、ありのままの自分を受け入れる強さをもっていた。 「心の英雄の叫びに従え」 ありのままの自分をうけとめられない自分。就活に失敗して絶望している自分。 そんな自分が「ちっちぇー」と情けなくなった。と原田さんは語る。 「蘇おじさんに学びたい。」 そう決心して2003年、大学卒業後にハンセン病回復村嶺后村に住み込んだ。 「ありのままの自分を認められたとき、自分の心の中の英雄が叫びはじめた。」 原田さんが活動を始めて10年以上が経ち、今では毎年2000人程の日中の学生が回復村でワークキャンプを行っている。 つながりの破壊の象徴である村が、つながりを生む場となった。 「他人同士いがみあうそんな世界ではなく、仲間同士として支え合う世界を作りたい。」 中学生は目を輝かせて原田さんの話を聞いている。ヒーローでも見ているようだ。 しかし、次の言葉を聞いて、ハッとしたようだった。 「でも、でっかいことばっか言っててもだめで、大切な人は身近にいる。夢はもちつつ、周りの人を大切にして生きていきたいな。みんなに言っているようで、自分にも言い聞かせてるんだけどね。」 パート2につづく。 (文:佐々木美穂) |