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講座奮闘記

参加した講座と学習記録です。


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免許更新を利用して [2007年05月11日(Fri)]
高速道路のインターチェンジの合流点、そしてパーキングからの合流点、何時もながら危険地帯です。デンジャラスゾーンです。

基本的にトラックは加速が悪いので、合流点手前の加速地帯だけでは、80キロ迄には至りません。

そこで、左側の走行車線の車に、右側の追い越し車線に移動して貰うか、減速して頂くかして、やっとかっと合流出来る訳です。

高速道路に慣れた方は、そこら辺の事情を理解して頂けるとは思いますが、なかなか、ドライバー全ての共通認識とまでは至ってないようです。

もちろん、トラックや落ち葉マークの方が合流してきたら、ほとんどの皆さんは、道を空ける努力をして下さいます。

そして、インターチェンジの出口や、パーキングの入り口が近づくと、車間距離を空け、追い越しは控えるのが最低のマナーてのもご存知ののはずなんですが。平気で併走する車、初めから割り込ませる気のない車、なんてのがけっこういます。

トラック、落ち葉マークに限らず、加速の苦手な方も当然おられる訳で、仕事で高速道路を頻繁に利用する方であれば、危ない所を見かける事も多いと思います。

高速道路のマナーは、一般道のマナーに通じています。まさかコレが理由だとは思いませんが、免許更新の講習でも『高速道路の走り方』を特に教えるなんて事は未だかつてありません。
(少なくとも熊本ではありません。)

更新の簡素化の一貫で、無事故無違反の場合は、講習免除なんてことになってしまいますから、運転に今一慣れてないドライバーに限って、学ぶチャンスがありません。

三年〜五年に一回位は、せめて半日、出来れば丸一日の拘束ぐらいは、免除を持つ者のたしなみとして受け入れようではありませんか!

自転車のマナーの悪さが問題になったりしますが。それとて、初めに教育ありきでなければなりません。そして歩行者にもマナーが有るはずです。

ペーパードライバーだからと言う開き直りは、通常の社会生活を営む人であれば、あり得ません。少なくとも歩行者ではあるはずなんですから。

免除更新の機会を単に交通指導と捉えるのではなく、もっと広い意味での社会教育の場に出来ないだろうか?と密かに思ったりして下ります。


…携帯より…
時代劇に望むもの [2007年04月22日(Sun)]
時代劇で言う『火事と喧嘩は江戸の花』って言葉は、やたら喧嘩が多い印象を与えますが、江戸の喧嘩は潔く後腐れがないようやるのが、江戸っ子なんだそうです。

今の東京より人口密集度が高かったお江戸で、いさかいがない方が不気味なわけで、「江戸しぐさ」とて万能ではありません。

しかし、「弱いものには手を出すな」「素人衆には手を出すな」のような決まり事は存在していたようです。特に弱いものいじめは、江戸っ子の恥とまでいわれていたようです。野暮の代表格です。

江戸を何度も襲った大火事でも、復興の主導は町の親方衆でしたが、率先して復興のお手伝いをする町人の「心いき」と「困った時はお互いさま」などの江戸しぐさの精神が、いち早い復興を後押ししていたようです。

喧嘩の度、大火にみまわれる度、お江戸で暮らす人々の絆と、より住み良い町づくりの意識が高まって行ったのは確かのようで、その結果が260年の江戸の町民文化の発展の基盤になっているのには違いないと思われます。

このような視点から「お江戸」を見る機会は、今までの私の生活の中にはありませんでした。

どちらかと言うと、時代劇の江戸が全てで、それ以上でも、それ以外でもなく、植え付けられた先入観とは実に恐ろしいものだと再確認しました。

しかし、時代劇を死ぬ程観てきたわけではありませんから、むやみに断定するわけにはいきません。

願うことなら、お江戸を町人、親方衆から見た時代劇を「江戸寺子屋」「講」の様子をふんだんに織り込み「江戸しぐさ」を動画(時代劇)の中で仮想体験してみたいものです。

ドキュメンタリー映画【不都合な真実】でも証明されているように、何と言っても啓蒙活動には動画です。


…携帯より…
江戸の講は生涯学習 [2007年04月21日(Sat)]
『江戸しぐさは、忍耐のマナーとも呼ばれています。江戸しぐさを身に付けた人は、物の道理がわかっていますから、その態度は謙虚で、常に冷静な判断ができ、世間様に丁寧に対処できる。』う〜ん…理想形です。叶う事なら会得してみたいものです。

江戸では、みんなが欲張らずに助け合っていたからこそ秩序が保たれていたようです。しかし、この場合の「欲張らず」は、「頑張らない」「精進しない」とは違うようです。『仕事は即学問』と考えられていましたので、ありとあらゆる物に対しての探究心は旺盛だったようです。

その証拠に、「江戸しぐさ」が発展した基となったとされる寺子屋の大人版、【講】には、ありとあらゆる講があって、大変な盛況ぶりだったようです。

江戸っ子は、「忙しい」と言う言葉を極端に嫌い、「忙しくて〜できない」などというのは、野暮の言い訳とされていたそうです。

「忙しい」というのは、心を亡くす言葉と敬遠され、言うのも言われるのも嫌ったそうです。また、「忘れる」と言う言葉も同じ理由で敬遠されていたそうです。

江戸の人々は、仕事をしながら考えるのが当たり前で、歩きながら、今ある状況の中で学んだり考えたりしていましたから、『勉強したくても時間がない』などと言い訳はしなかったようです。

現代の講座、セミナー、講演会に出向くには、時間に折り合いを付ける必要があります。もちろん江戸時代の講に出席していた先人たちもそうです。しかし、「身の回りの出来事全てが学びの場であり、考える材料である」と考えると、時間が無ければないで、それが勉強出来ないことえの理由付けにはなりません。

江戸っ子は、本腰を入れたい学問があれば、その専門の講に入ります。江戸市中を探せば必ず思うような講があったようです。そして時間が無ければ、学識のあるご隠居などに書いて貰った紙を懐に入れ、仕事をしながら覚えていたそうです。

異文化が平和で住み良い町づくりをするには、学び続ける謙虚な姿勢と、『見る、聞く、話す、更に考える』の江戸寺子屋の精神が大切なようです。

…携帯より…
江戸の誕生紐解けば [2007年04月20日(Fri)]
江戸の町は、家康に呼ばれた1000人程の大阪商人達が造りました。そこで家康は、江戸に幕府が開かれた時、町の人々の上に立つ町衆に対し、政治向きのことには口を出さず、謀反も起こさせないように約束させました。その代わりに町向きのことには一切干渉しないことを約束しました。

このように説明すると、何やら自然の流れのようですが、世界中を見回しても、このような都市の成り立ちはないんだそうです。日本誇りです。

さらに驚いたことに、士農工商でいくと、上下の関係にある武士と商人が、対等に渡り合い、お互いの領分を侵さず。武士は政治向きのことに専念し、町人(商人)は町の治安やインフラの整備まで賄ってしまう。お互いが平和で住みよい町づくりを目指していたようです。

時代劇を観る限り、御奉行所の活躍ばかりが目に付きますが、意外に治安の行き届いた「お江戸」だったようです。

その根底にあるのが、「江戸寺子屋」「江戸しぐさ」でありそれを親方衆が、率先して行い、私財を投入し、江戸寺子屋などを通じて子供達を教育し、3代目の頃には立派な「江戸っ子」として、コミュニケーションの達人となるって寸法です。お江戸が260年続いたのは、恐怖政治の成せた業では無かっ訳です。

「あますえびす」といわれた未開の地で、一旗揚げようと集まった、様々な考えの異なる人々が、「イジメをさせない、したくなくなる」「いくさをさせない、したくなくなる」そんな願いが込められて、生まれたコミュニケーションツールが「江戸しぐさ」だったようです。

異文化の共生が町方の努力で成し遂げられた「お江戸」。私達の置かれた世知辛い世の中に、光をもたらすヒントに成り得るでしょうか?それには、地道な啓蒙活動と、しっかりとした教育が不可欠です。

しかし、今日の教育再生会議(国会)を聴いていると、相変わらずの陣取り合戦です。やっと前向きかと思えば、諸外国はこうやってるとか、予算?の配分はこうだとか、成功例の真似しか頭にありません。その挙げ句が、ゆとり教育の失敗です。「理念は間違ってなかった」なんてまだ言ってる始末です。失敗を潔く認めることすらできません。

江戸の賢人は、犬を見て悟ったそうです。『犬は生後3ヶ月迄に「躾」を施さないと駄犬になってしまう。人間も同じである。』と言う考え方の上に立って、幼い頃から成長に合わせた子育ての方針を立て、自らの私財で江戸寺子屋を開き、それを実践して行きました。

手本は、身近な所にありました。具体的なご紹介は改めて。


…携帯より…
江戸寺子屋 [2007年04月19日(Thu)]
町方の子供達の学ぶ場は、一般の寺子屋と、江戸寺子屋と言うのが、2種類あったようです。

一般の寺子屋では、「読み書きソロバン」か中心でした。一方、【江戸寺子屋】とは、「人が人の心を分かり合える基本」を学ぶ場?と言うと難解ですが、お江戸の発展、平和のために、礼儀、作法 などを教える「江戸しぐさ塾」と言ったものだったようです。

江戸寺子屋を支えているのは、商家の旦那衆で、入門資格は「どんな身分も分け隔てなく」がもっとうで、学ぶ意志があって江戸のためになるならば、誰でもどうぞと言うような大らかなものだったそうです。

裏を返せば、どれだけ町の親方衆が「住み良い町づくり」に熱心だったのかが伺えます。ただし、仮名を七文字「いろはにほへと」は書けるようになってからでないと駄目だったようではありますが…。

『将来性のある者にはその長所を生かし、出来損ないはその短所を矯正し、海の者とも山の者ともわからない人間にはその良い芽を引き出してやるべし』が信条で。

江戸寺子屋で子供達がまず言われることは、『皆さんもこの寺子屋で、人と人がしっかり手を取り合ったお付き合いができる人間になって下さい。そして、日本一のお江戸で、人の心が分かる商人になって下さい』だったそうです。

それに比べ現代の義務教育は、なんのための教育なんでしょうか、塾にしたって評価されるテクニックを教えるだけで、『人が人の心を分かり合える基本』などと言うものとは程遠く?と言うより無縁です。

国会の審議の中でも、『躾は家庭で』の考え方が主流で、教育関係者の中からも似た意見が大半です。あくまで両親揃った恵まれた家庭が前提です。

それでは、虐待の中で育った恵まれない子供はどうすればいいのでしょうか?江戸の商人達が目指した『住み良い町、安全な町』が江戸寺子屋などの独立した教育機関?から生まれたものだとすれば、人権、道徳の時間を増やすだけで解決出来るものではなさそうです。


…携帯より…
結構イケル江戸仕草 [2007年04月18日(Wed)]
江戸っ子は三代続いて、初めて「江戸っ子」と言われるそうです。なる程って感心してはみるものの、江戸の町の成り立ちを考えてみると、土着の江戸っ子なんていなかった訳で、それは何も江戸に限られたことではないような…気もします。

ともあれ、江戸っ子のたくましさは、徳川260年の歴史の中で、幕府の支配が当然あった(はずなのに?)にも関わらず、町人自らが「お江戸を」心地よく住みやすい環境に作り上げていったところにあるそうです。

「お江戸」の人口密集度は、現在の東京よりはるかに高く、江戸の市街地の大半を武家屋敷が占めていたことなどを考えると、江戸の人口の大半を占める町人の密集度は半端ではなかったようです。

そこで生まれたのが町人の心得たる「江戸しぐさ」成るもので。『自分の見識を尊重しながら相手を思いやることを第一義』とし。封建制度の中にあっても幕府に拘束されず、自由人たるのが「江戸っ子」らしく、その基本が「江戸しぐさ」ってことのようです。人が密集してる分良好なコミュニケーション無しでは、生きて行けなかったのかも知れません。

さらに付け加えると、『頑固だけれど、何となく思いやりがあって、身分や血筋、家柄に捕らわれず、自由な発想が出来る人間』を江戸っ子として認めていたようです。

「打てば響く」と言われるように、江戸っ子は『臨機応変に素早く対応する事を身上とし』その切れ味が江戸っ子(江戸しぐさ)の醍醐味だったようです。

この「江戸しぐさ」昔は古いものとして捉えられていましたが、今の若い人達には、新しい物として受け入れられ初めているそうです。

携帯電話の使い方一つを取っても、マナーを守って貰おううとすると、注意書きが幾つも生まれ、保険の契約書状態になってしまいそうですが。かといって、いちいち細かく注意されると、つい反発したくなるもの理解できます。しかし、江戸しぐさの粋な部分や、相手を思いやる心の格好良さを理解してくれた若い子達は、おのずとチャンとした使い方をしてくれるようになるようです。

ホントかいな?って気もしますが、東京ディズニーランドの中でも「江戸しぐさ」を取り入れ、紙芝居まで作って啓蒙活動が熱心に行われているようです。

何でも、ディズニーランドの接客心得と江戸しぐさは、相通ずるものがあって、接客マニュアルの日本語版より、分かりやすい部分もあるそうです。「お客様の満足が先で、お金は後からついてくる」って考え方は、江戸しぐさの代表的な考え方らしいのですが、それもディズニーランドの経営方針と一致しているそうです。
(富山の薬売り?)

『大切な物をみんなの共有物と考え、相手を尊重し思いやる心。』果たして、21世紀を生き抜くヒントに成るでしょうか?
この際、使えるもんなら何でもいいんですが、『江戸しぐさ』って言い回しが気に入ってしまいました。


…携帯より…

政治屋と政治家 [2007年04月11日(Wed)]
『政治屋(や)より政治家(か)を目指して欲しい』当たり前です。それとも、改めて言葉にしなくちゃならないくらいの悪行三昧って所なんでしょか?

一部の利権大好きな政治屋の、傍若無人振りにばかり目を奪われ、『政治家は儲かる』という先入観が先行して、どうも信じきれないのも事実です。

しかし、政治家さんの話を聞いてみると、意外に地味で真面目な方が多い??のに驚きます。永田町では『当選して、「志」を貫こうとモガク間は「政治家」、次の選挙の糧を探し始めたら「政治屋」』なんだそうです。

ところが、政治屋さんも政治家さんも、いざ選挙となると相変わらずの「ねずみ講」方式。マニフェスト方式が登場して、微かな光が差して来たようにも見えますが。選挙戦の間は手を振り名前の連呼の繰り返し。これじゃ変わりようもない気もします。

若い人達の中には、政治家を学歴不問の職業と捉え、果敢に立候補される方もいらっしゃるようですが。良い悪いは別として、若い内から政治に興味を持ち、自らが立候補するに至った情熱を、是非失わずに居て欲しいと思います。

若手立候補者の乱立で、危機感を持つ年配?の現職立候補者の言い分は、『地縁の中から、どれだけ自分の票が奪われるか?』の一点のようです。

地縁血縁、同窓会迄巻き込み、ねずみ講方式を貫ている限り。政策論争など、いかほどの意味を持つのでしょうか?

そう言えば、熊本市のお隣の益城町の副町長が、自分の地位利用を利用して、町役場の職員数人に特定候補への投票などを依頼したとして逮捕されました。

依頼された職員は取り調べに対し「圧力を掛けられた」と話しているそうですが。【見せしめ逮捕】にしては、この副町長、お気の毒過ぎます。
(圧力を掛けたのはホントは誰?誰なのよ?)

「どこにだってある話」だと思っていましたし、聞いてましたんで。まさか逮捕までされるとは…。それだけ選挙違反に対する意識が改善されて来ていると、前向きに受け取るべきなんでしょか?

『どっか変だよ日本!』ってフレーズが…鮮やかに蘇ります。

せめて、立候補者の乱立が投票率の向上につながれば良いなと祈るばかりです。


…携帯より…
マスコミを操る市長 [2007年03月18日(Sun)]
最終的判断を下す覚悟を胸に、厚生労働省と協議し、結果文書解答にはならなかっが、中央官庁や大臣、総理に一石を投じ、「共に考えましょう」と迫った今回の一連の熊本市長の行動には、もどかしさを感じながらも、エールを送りたいと思います。

お墨付きに対し、「一般化される」「指針とされる」と懸念して、正論を盾に終始逃げ腰な政府に問題提起と言うより、マスコミを通じての世論の高まりをを意識しての上京だったのかもしれません。

「命が救われるのであれば、否定されるものではない」と終始賛成の立場で発言してきた熊本県知事の言うように、先ずは優先されるものが何かを、最優先に考える姿勢が、日本の政府、引いては行政の抱える一番の問題であるように思います。

『中央官庁などには「地方分権の時代、許可権者の市長が判断すればいい」との声もあるが?』というインタビューに対し、これまた熊本市長が『それは、地方分権の履き違い。全国的に影響がある問題を地方と共に考えるということは、分権とは別の次元でやらなければならない』と発言されてましたが、いちいち腰の引けた中央官庁には処方箋無しって感じさえします。

経費節減の数値目標のためには、なりふり構わず、【賃金格差の助長】を暗に手助けするような、外部委託を無理やり推移する政策を押し進める一方で、子供の命すら積極的に救おうとしないお役所って所は、【志】を失ってしまっているようです。

「こうのとりのゆりかご設置」に首相らの反対の声に対し、『いろんな意見がある。ただ熊本市としては、出されている設置申請に対し、(実際に子供が捨てられる)現実に、どのような対処をするかという話しだ。』と締めくくった熊本市長の英断を祈るばかりです。頑張れ!!


…携帯より…
早く来いこうのとり [2007年03月17日(Sat)]
「こうのとりのゆりかご」のモデルとなっているヨーロッパでは、捨てられた子供に対する認識が少し違うようです。

捨てられた子供を「可哀想」と考えるのではなく、自分達の未来を写す鏡ととらえ、「社会の器大きさ」と考えているようです。

修道院で始まった「ゆりかご」(赤ちゃんポスト)の試みは、文字通り誰でもそのゆりかごに赤ちゃんを置いて行けるシステムで、置いて行かれた赤ん坊には、とことん英才教育が施されたそうです。

音楽家になる者、会計士になる者など、それぞれの興味のあるものや、得意な分野を見いだし、伸ばす方向で教育されていたようです。

「誰でも産んだ子供と暮らしたいと思っている」と言う前提に立った考え方の上に成り立っているようです。堕胎が許されていなかったヨーロッパだから考え出された究極の救済方法です。

自宅や、公園のトイレで人知れず出産したとしても、「ゆりかご」に赤ちゃんを委ねれば、その子は救われると言うのが常識となれば、何人の母子が救われるのでしょうか?

「安易に子供を捨てる手助けになる恐れがある」と言って、民間の試みを牽制する前に、子供を身ごもり悩んでいる母親を追い込んでいるのが、今の日本の社会です。

子供を身ごもり産むまでの支援が極端に少ない日本で、この試みも認められないのであれば、少子化は永遠に解決出来ないようにおもいます。


…携帯より…
悪魔学と鬼伝説 [2007年03月16日(Fri)]
ヨーロッパの宗教にとって悪魔は必要不可欠な存在で、神様と悪魔は、表裏一体の存在ようです。

さしずめ悪魔は日本で言う所の赤鬼や青鬼なんでしょうが、鬼が転じて神になるなんてことはないようです。

つまり、ヨーロッパにおける悪魔が優しい悪魔になることはあり得ない訳です。言い換えれば、悪魔はいつまで経っても悪魔なんです。

一方、日本はというと、民話のなかにもあるように、優しい鬼、改心した鬼が数多く存在しますし。実際、鬼が転じて神様として祭られてたりします。つくづく日本文化の奥深さを感じずにはいられません。

日本人は、宗教に対し誠実でないとか、一貫性がないとか思われていますが、根っこはそこら辺にあるようです。

多神教を誇れるぐらいにならないと、日本らしさがドンドン削り取られて行きそうです。

正月は、宗教の垣根を超えて初詣。バレンタイン、エイプリルフール、感謝祭、そしてクリスマスまで取り込んで、たくましく生きる日本人の姿は、端で見る外国人にはどのように映っているのでしょうか?

ヨーロッパの宗教と悪魔の関係を見る限り、日本人の持つ八百万の神と鬼の関係の方が、より高度で、柔軟性に満ちています。

日本人もアメリカ並みに訴訟時代に突入したともいわれていますが、イマイチ思い留まってしまうのは、悪(鬼)を悪(鬼)のままでは終わらせない文化があるせいなのかもしれません。

吠えたモン勝ちの風潮を何とかせねば、アインシュタインの言った、謙虚で美しい心を持つ日本人は絶滅してしまうことでしょう。


…携帯より…
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