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ママーがんばってー [2010年04月30日(Fri)]
甥の堅太郎が5月1日に結婚する。

大失敗の話。結婚がではない。25年前の私の行動が・・・。

彼が赤ん坊のころ、姉夫婦はアメリカに留学していた。帰国時に姉夫婦が中東などを周り帰国をすることになったため、母がアメリカまで迎えに行き、暫く実家で預かっていた。

大学生であった私は、実家近くのコートで行われた友人達の試合に、赤ん坊の堅太郎を抱いて応援にいった。女子ダブルスの試合が始まろうとしていた。

フェンス外からわが大学ペアの対戦相手女子ペアに向かってやってしまった。抱きかかえた堅太郎の腕を持ち上げて
「ママー頑張ってー」
と左右に振ったのだ。

冗談のつもりだった。しかし、ギクッとされた途端に、単なる冗談がスポーツマンシップに相当悖(もと)る言動に転化してしまった。


ついこないだの失敗だったような気がする。堅太郎も大きくなってテニスをやった。大学では主将にまでなった。その彼が結婚する。

おめでとう。
アドバイス禁止 [2010年04月29日(Thu)]
息子(中2)がテニスの試合。

「応援に行こうか?」
「大きな声でアドバイスしないでよ」
「恥ずかしいか?」
「いや、負けになる」
「えっ?」
「アドバイス受けるのは反則」
「へー、じゃお前が負けそうになったら相手にアドバイスしようか?」
「うーん」

色々なルールが大会ごとにできる。

多分、スポーツマンシップとかマナーとかを見苦しく逸脱する保護者がいるのだろう。息子の理解は「アドバイス」だが、多分「アウト!」判定に対する「ボール入ってんだろー」といった審判判定に対するヤジもあるのだろう。判定の権限は審判にある。

という私も、学生の試合で熱くなって審判に「○○のはずですよー」と叫んだことがある。朝の監督会議で発表されたルールと違う処理が成されたからだ。判定ではなく、手続きの問題だった。

それでも抗議をする権限は観客には無い。講義できるのは監督のみ。恥ずかしい思い出・・・。
日本語化・漢語化 [2010年04月28日(Wed)]
スポーツコミュニケーション実習授業。

今回は「血」の話からスタート。

松井家はお祖父の代で血のつながりが途絶えている。子供がいなかった曾祖父が神野家に生まれた祖父を養子にしたのだ。日本は血ではなくは家族・組織・団体・国家などを維持できる。

ミド・ファド・れっしー・そらおも「毎日会った」だけで兄弟だ。ヤクザの世界も盃交わして兄弟になる。一方ゴッドファーザーを見れば、それが「血」の物語だとわかる。人が殺され血が流れるという意味ではない。コルリオーネ一族の「血」の物語だ。

血のつながりがなくても、絆が強い仲間になる文化に育ったものは、外国で友達も作るが、「裏切られた感・疎外感」を感じやすい。もう一度、コミュニケーションの基盤となる自分たちの文化特徴を確認する必要がある。

自分たちが使う日本語に関して2段ブレイクスルーを提示した。

<第一段階>
「ところで、英語はコミュケーションの「ツール」だといったが、「ツール」って何?」
「道具です」
「ツール=道具なら、どうして私は「ツール」という言葉をつかったの?」
「・・・」
「君たちをごまかすため?」
「・・・」
「いや、特別な意味があればいいけど、そうでないのなら、日本語を使うのがいいだろうね。他者と情報を共有化することに目的があるから。そんなカタカナ語の意味は常識だと思っていると、思わぬところで伝わらない。江戸から明治にかけての先輩は新しい概念を一所懸命「日本語化」した。それで我々は大学でも学問を日本語で学ぶことができる」

<第二段階>
「さて、日本語化と言ったけど、それは本当に日本語化なの?漢字に置き換えているだけ=漢語化だね。中国の言葉に直したのだ。じゃあどうする?選択肢は二つ。民族独自のものに置き換える。例えば隣国でハングル文字が使われているような方向だ。もう一つは寛容になるという方向だ。英語が標準化しているのなら、日本語の表記もローマ字化してもいいかもしれない。元々日本の文字も中国からの借り物だ。」
「・・・」
「本当?」


パラダイム転換があっただろうか。次回は各国の名前の表記の話だ。英語での自己紹介実習をしながら、朝鮮半島・中国・ベトナム・日本が如何に違うかをカギに考える。
時間をつくる [2010年04月27日(Tue)]
中学校でクラス担任を持った卒業生が、最初の保護者授業参観に向けて準備中。保健体育の授業ではなく、道徳の授業が参観対象となる。

クラスをまとめキチンと運営できる教員か。保護者の信頼を得られるかどうかで、家庭内での話も変わる。感化力も大きく変わる。学級掲示も大切。



気合が入る。「さわやか三組」の雰囲気。

保健体育教員は保健・体育だけでなく、様々なことを指導する。また保健・体育を通じて様々な気づき、社会人としての知恵を授ける。

学校では本当に忙しい。日々授業以外の様々な仕事に追い回される。時間は無い。それでも時間を作る。「ワープロで印刷すれば済む」のかもしれない。決して上手くない(私より相当上手いけど)。

しかし、書に先生の気持ちが出る。この先生は、にこにこしながら、何度も書き直している。そんなことが生徒に伝わる。
宇宙ステーション [2010年04月26日(Mon)]
今朝は3:30に起床した。Twitterを見ると宇宙飛行士の野口から「4:22頃、東京上空を通過します」というツイートがあった。

4:21AM頃にベランダに出たが見えない。無理なのか。

ネット上で宇宙ステーションの位置を調べると、まだ中国上空の表示。暫く待つと北北西から明るく輝く星が、凄いスピードで南下していく。
「見えた!」

中2の息子を起こして引きずってベランダに出た。

「どれ?」
「あの南下していく明るい星」
「わー凄いスピード」

人工衛星と違って、それに人が乗って実験していると思うと感動する。
地上350kmの軌道上を飛ぶ73m×109m×20mの国際宇宙ステーションが、太陽の光を反射して光り輝いていた。


追記:夜に息子に電話した。

「今朝の凄かっただろう」
「えっ何?」
「覚えてないの?宇宙ステーション?」
「あー何で知っているのかと思った。本当だったんだ」
「えっ、夢だと思っていたのか?」
「あの後、見た夢と区別がつかなくなってた」
絶滅危惧種=権威 [2010年04月24日(Sat)]
締め切りが近づき、東京駅で緊急会議となった。場所として地下喫茶店を提案するメールが来たので、拒否した。ミーティングに雰囲気は大切。もっと明るいところ。地上のスターバックスぐらいをイメージした。

返信がきた。
「ペニンシュラにタクシーで移動します」

こっちはセーターにスウェーデン陸軍オーバー。持ち物はガムテープバッグにカンボジア長距離バスの銀色傘。とてもペニンシュラにそぐわない。

「無理です」
「行きましょう」

負けた。神子氏の後に続いた。
ペニンシュラは優しく受け入れてくれた。
銀食器でサーブされるテーブルの上に、資料を出しながらお話し。ミーティングは充実した。


ペニンシュラは初めてのお客さんでも、朝食をとりに食堂に行くと、フルネームで「松井完太郎様、おはようございます」声をかけられるらしい。一番安い部屋の客でもね。

お金持ちが泊まる高級ホテル。お高くとまりやがって?
いや、こういう場所は、こういう場所として保護しないとだめだ。

「いつかはペニンシュラ」
なんて思うのは「可愛い」じゃないか。
青年に力をもたらすならそれでもいい。

権威は否定されるべきかい?そうだね。
否定される為には存在しないとね。
否定することが青年の力になるなら保護されないと。

折角の雰囲気をおじさんが壊してどうする。
というのが私の反省だ。

権威は今日、絶滅危惧種だ。
「可愛い家畜を食っちまう」と何でもかんでも駆逐しているうちに絶滅しそうだ。

今後、貧富の差が広がってくるから同意できない?
それでも豊かさの基準が変わると信じている。


追記:ペニンシュラHPの写真がいい。従業員のこどもが職場でのお父さん・お母さんを見学に来たときのものだろうか。すべてを雄弁に物語る。
就職率 [2010年04月23日(Fri)]
3月に卒業した学生達の就職率が発表された。

就職率99.2%。

学科別では武道学科と国際スポーツ文化学科が100%(人数が少ないからね。武道学科120人、国際スポーツ文化学科60人。公務員決定率は武道28%、国スポ23.1%。消防・警察が多い)。

この厳しいご時世にすごい数値だ。
しかし、この数値は表面的な宣伝材料となっても、実は重要ではないと国際武道大学が理解していることが誇りだ。「他大学に比べてこんなにすごい!」などと大宣伝しまくることはしない(次号のWayはそこら辺の特集にしたい)。

1人の就職で就職率は0.2%上がる。しかし、0.2%をあげるために大学は学生に就職支援をするのではない。1人の学生の就職は、その学生の人生総て=100%だ。

1人の学生の就職にかかわる我々は、100%にかかわるのであって、0.2%にかかわるのではない。往々にして数値は感覚を麻痺させる。

「M8大地震 死者17名」となっているとホッとしてしまう。
17人だろうが1700人だろうが、1人1人の人生が重大な意味を持っている。

浪人して消防士を目指している学生がいる。色々悩んで、全く新しい世界に飛び込んでいった学生がいる。そういう1人1人と共にある大学でなければ意味が無い。99.2%はその単なる積み重ねた結果だ。

国際武道大学の学生の就職がいいのは、学生がアスリートとして研鑽しているからだと思う。目の前の苦しいトレーニングを「やりたいこと」と位置づけ、自分と仲間を動かして、継続して楽しみ、成果を実現させているのだ。メタファーではない。その物語はどの世界にも応用できるから求められる人材になっているのだ。


大学が就職支援できることは周辺に過ぎない。核となる実力は、学生達がスポーツに打ち込み始めたときから積み重ねられたものだ。もっと肯定的に自分の実力を評価すべきだ。

「俺は世界を変える」と10回唱えて、本当に世界を変えるのが君たちだ。

「精神論か?くだらねー」
どうぞ。座って見てなさい。

このスリーポイントシュートが決まると信じない者は、シュートを入れられない。いや、シュートを打たないのだ。そんなことを当たり前に知っているのが諸君だと信じている。
苦言に対して [2010年04月22日(Thu)]
大学院新入生歓迎会。大学院2年生(M2)のアレンジで指導教員と大学院生が峯山研修所に集まった。

新入生(M1)が1人1人挨拶する。
「スポーツ医科学系の○○です。一所懸命研究をいたします。陸上競技部にも所属し頑張っています。御指導よろしくお願いします。」

爽やかだ。
そんな自己紹介が続いた。

先生方が挨拶する番になった。
お一人お一人挨拶が進む。
最後の方で、ある先生が吠えた。

「君たち、挨拶が面白くないぞ。○○部所属なんて関係ない。もっと何ができるかを言うべき。印象に残こる挨拶、名前を覚えてもらえるような挨拶をすべきだ」

もっともだ。私自身の挨拶について反省もした。
先生方の挨拶が終わり「次はM2!」と言うことになった。
苦言の後のM2は苦しい。

最初に挨拶した大学院生は対応した。
面白い。印象深い。

別の2年生が前に出た。
ドスがきいた声で挨拶。
「スポーツ医科学系の○○です。陸上競技部所属、研究と両立させています」

円盤を50m以上飛ばす大男だ。
これまた感動した。
怖い先生の苦言を理解した上で、でも俺はこの道という気迫があった。

柔軟型も貫徹型もアスリートの鑑。
We need to change as well. [2010年04月21日(Wed)]
我々も変わらなければならない。
南アフリカ代表ラグビーチーム主将ピナール(白人)の台詞。

国際スポーツ文化学科1年生向け、初年時教育授業スタート。初回メインは木村寿一先生。スポーツを様々な角度から見る「入口」を数多く示していく。

学生達が将来教員になったときのネタの宝庫。
熱心にメモを取る学生達。

その一例として授業の中盤であつかった話題。

映画「インビクタス - 負けざる者たち -」(Invictus)の映像を見せて、木村先生が語る。

「私は南アフリカの隣、ジンバブエで青年海外協力隊員として活動した。そのときはまだ、南アフリカにはアパルトヘイトがある白人国家だった。なかなかこの状況は変わらないと思っていた。この映画を見ていると、もっと自分にもできることがあったのではないかと思えて、悔しくなる」



自国チームを応援してきた白人と、相手国チームを応援してきた黒人が、南アフリカラグビーワールドカップを契機に一つに変化する物語。

We need to change as well.
青春の後悔は重要だと思う。
過去の自分は変えられないが、今の自分は変えられる。
今を、未来を変える大きな力になる。

木村先生の言葉を聞きながら、そう思った。

「ラグビーで政治を動かすの?」
「いや、人の心を動かすんだ」
配布ミス対応 [2010年04月20日(Tue)]
昼休みに学生たちを対象に履修確認表の受け渡しがあった。国際スポーツ文化学科の2年生が8308教室に取りに来る。履修ミスがあった学生に追加登録の方法を教えたりしながら配布する。

学生たちが大学に入り浸る体育大学ならでは。

途中まで配布したところで、もう一部配布すべきシート(累積履修科目一覧シート)が届けられた。約30人ほどが既に帰ってしまっていた。

掲示して「再度、教務課に取りに来るように」と掲示することも検討したが、それでは早くから受け取りに来てくれた熱心な学生達に申し訳ない。こちらのミスだ。

清水宣雄先生が3時間目が教員を目指す学生たちが必ず履修する「安全教育」であることを思い出した。
「そこに持って行こう」
残ったシートは2名を除いて「安全教育」を履修していることがわかった。2名の履修科目もわかった。手分けして教室に持って行き、3時間目開始前に配布し終えることができた。

「申し訳ない」
「いいえ、わざわざありがとうございます」

こちらのミスなのに学生たちから礼を言われる。
いやいや申し訳ない。

今回はどうにか対応できた。
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