「限界は他人が決めるものではなくて、自分自身で・・吉田知那美選手 [2018年02月28日(Wed)]
「限界は他人が決めるものではなくて、自分自身でしっかりと乗り越えていくものだと」 女子カーリングで銅メダルを獲得したチームジャパン 吉田知那美選手の言葉が とても印象に残ってます。 その裏には戦力外と通告されていたようで
何かこの言葉に説得力があります。 プロ野球でも戦力外を言い渡されても まだ自分は限界じゃない・・と 他のチームに移籍して最後の花を咲かせた 選手もたくさんいます。 自分の限界は自分自身が良く分かってるから 納得するまで現役でいたいのです。
以下はネットの記事から カーリングのまち、北見市常呂町で生まれ育ち、妹でセカンドの夕梨花選手(24)とともに、7歳でストーンを投げた。ソチ大会に続く五輪出場。明るい性格で、試合中はショットが成功すれば「ナイス!」と率先して声をかけるムードメーカー。そんな吉田知選手だが、ソチ五輪後、大きな挫折を味わった。所属していた道銀から戦力外通告を受けたのだ。失意の中、LS北見主将の本橋麻里選手(31)に誘われ、再びプレーをする場を得た。それだけに、チームに貢献したいという気持ちは強い。
東京でのセレモニーを終えて北海道に帰って来た 女子カーリングチーム・・ 空港での歓迎セレモニーで涙で 感謝を述べる吉田選手・ ここまで来るのに吉田選手に何があったのか?
以下はネットの記事から ソチ五輪で準決勝進出を逃した数日後、吉田選手は五輪公園の会議室に呼び出され、「戦力外」と通告された。
リンクに上がることさえ嫌になり、ソチから帰国後、一人旅に出た。最初に訪れたのは、金沢市。加賀友禅の絵付けや着付けを体験した。教えていた加賀友禅作家の浜田泰史さん(53)に、いつの間にか身の上相談をしていた。「人生としてはまだまだこれから」。浜田さんの言葉が胸に染みた。
富山、軽井沢、東京。出会った人たちと交流しながら、一人旅を続けた。初対面の人の言葉はすっと心に入った。
1か月後、新千歳空港から、地元の北海道北見市でLS北見を結成した本橋麻里選手(31)に電話をかけ、「チームに入れてほしい」と頼んだ。「私の人生はここで終わりじゃない。納得して終わろう」と思えるようになった。
吉田選手は帰国後・・いろんな人と出会い 最後にLS北見の本橋選手に チームに入りたいと連絡したそうです。
屈辱の日に耐えながら・・ 新しチームで五輪出場を獲得し カーリング女子初めての銅メダル 笑顔が絶えない吉田選手・・
コーチから戦力外を言い渡されても 諦めずに夢を叶えた吉田選手・・・ カーリングの神様は彼女を見捨ててはいなかった。
マイナーなカーリングを メジャーにしたいと言う吉田選手 ほんとに素晴らしいです!
過去の事は忘れ・・新たな挑戦に 向かって欲しいものですね!
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Posted by
tamo
at 00:08 |
五輪 |
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