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57甲子園会懇親会と野球の定石 [2011年01月07日(Fri)]
57甲子園会の懇親会で・・・私のお隣の席に座られたスポーツライターの藤井さんとお話をする機会がありました。藤井さんと言えば・・日刊スポーツにコラムを書かれているライターさんですが・・本も出されています。昨年10月に発売された監督と甲子園5・・・この第1章に・・この57甲子園会の会場となった中京大中京の大藤監督の記事もあり・・何か縁があるんですね・・是非、皆さんも買って読んでくださいね。私も買ってみたいな・・と思って近くの本屋さん行きましたが・・売り切れのようで・・代わりに・・藤井さんが書いておられた記事があった「甲子園の星」を買って読んでます。







監督と甲子園5
(藤井利香/日刊スポーツ出版社)




高校野球監督にスポットを当てた人気シリーズの第5弾。
今回はサブタイトル「頂点に挑んだ男たち」にあるように、春夏の甲子園で決勝まで進んだことのある監督たちを取材している。
以下、印象に残った章を挙げます。

第1章に登場するのは中京大中京・大藤監督(2010年夏退任)。伝統と実績ある野球部だが、驚きの事実がいくつかある。1、専用球場なし。2、寮なし。3、部員数は各学年約25人。
第5章は駒大苫小牧・香田誉士史元監督(現鶴見大コーチ)。連覇を果たした後の異常な盛り上がり、不祥事によるバッシングによる心の傷は今も癒えていないという。しかし再び高校野球に戻りたいという意欲はあるとのこと。
第6章は興南・我喜屋優監督。春夏連覇してもこともなげな監督だったが、言うことも他とはひと味違って非常に個性的。連発される名言に注目。

最後にちょっと苦言。今回は優勝か準優勝を経験した監督だけが登場している。見方を変えれば「実績だけでノミネート」ともとれる。パート6は、以前のように甲子園にはなかなか来ないが個性的な監督を取り上げるスタイルに戻って欲しい。

☆構成
第1章 大藤敏行(中京大中京)
第2章 西谷浩一(大阪桐蔭)
第3章 百崎敏克(佐賀北)
第4章 和泉実(早稲田実)
第5章 香田誉士史(元駒大苫小牧)
第6章 我喜屋優(興南)
第7章 岡本幹成(聖望学園)
第8章 多賀章仁(近江)
第9章 中原英孝(長野日大、元松商学園)
特別編 尾藤公×松下博紀(箕島)

57甲子園会懇親会の会場が八事日赤病院の近くのお店でした。
藤井さんとお話した時に・・「野球の定石」にまつわる山内さんの記事を書いてる最中だとか・・もちろん、野球の定石も・・手に入れ、早稲田関係の取材にこれから向かわれるとの事でした。山内さんの奥さんは『化学物質過敏症と言う病気が原因で・・亡くなられたわけですが・・この亡くなれた場所が・・この懇親会の会場から北へ4Kほど行ったところにあります。不思議ですね・・何だか・・「野球の定石」に導かれるように・・ここに来たのかな・・と、ふと感じましたね。


「自殺願望の妻の自殺助けた疑い、公立高教師を逮捕 愛知」

自殺願望がある妻(34)の自殺を助けたとして、愛知県警は25日、
名古屋市名東区平和が丘、滋賀県立高校教諭の夫(44)を
自殺幇助(ほうじょ)の疑いで逮捕した。
千種署の調べでは、夫は25日午前2時ごろ、「死にたいからどこかに
連れていってほしい」と妻に頼まれ、自宅から同市千種区千代が丘の
12階建て公団住宅へ、自転車に2人乗りして連れていった。
説得してもさらに懇願されたため、11階の踊り場へ行き、手すりに
腰掛けさせたところ、妻は午前2時半ごろ、手すりから飛び降りたという。
妻は全身を強く打って死亡した。夫は「反省しています」と容疑を認めている。
夫は同市名東区の自宅から滋賀県内の県立高校に通い、妻と2人暮らし。
妻は病気に悩み、以前から夫に「死にたい」と漏らしていたらしい。

(朝日新聞より)
野球の定石と梅村清弘氏・・ [2010年06月24日(Thu)]
先日の親睦会で蛭間先生より山内政治さんが書かれた「野球の定石」をいだきました。
今、話題の本ですからね・・野球の定石はこのプログでも良く紹介していますし、詳しい事を知りたい方はカテゴリーにある野球の定石にまとめてありますのでご覧ください。




まずは・・ざっと本の内容を見ると・・
@メンタル編
Aメンタルコンデショニング
B守備編
C攻撃、打者編
D攻撃、走者編
以上の内容で構成されています。

野球の定石に関しては・・野村前楽天監督の事が大きくクローズアップされています。
思聞のひとりごと・・プログでも・・野村監督の事が紹介されています。

昨日野村克也さんに贈呈したところ、「よくここまで纏めたね。高校生の良い指導書が出来た」と言われたことも弾みになりました。
事前に「監督の著書からも引用させていただいております」と了解を求めたところ、「自費出版するからにはキチンとしたものを作りなさい」と励まされました。

下の山内さんプログにも・・野村監督の事が書かれています。


私は高校野球で弱いチームの監督をしていましたので、プロ野球で巨人を倒すチームの野球は大いに参考になりました。ですからアンチ巨人です。小学校3年生から大学卒業までは、劇画「巨人の星」の影響で巨人ファンだったのですが・・・。それで、野村克也監督、森祇晶監督、廣岡達朗監督の著書は全て買いました。
 野村監督の影響で、私も『野球の定石』という教本を作りました。私の教え子には勿論、早稲田大学の應武篤良監督をはじめ、仙台育英学園高校の佐々木順一朗監督、早稲田実業学校高等部の和泉実監督、宮崎県佐土原高校の大富省三監督、所沢商業高校の福地利彦監督にお渡ししています。目指す野球は、ミーティングで試合の疑似体験をさせ、試合ではサインのいらないアイコンタクトで行なう究極の野球です。野村克也監督に近づくことです。 廣岡達朗監督からは哲学を学びました。中村天風という哲学者に辿り着きました。『野球の定石』のメンタル編は、ほとんどが中村天風の哲学です。
(山内さんプログより抜粋)

この本の最後に参考文献について・・と書いてあり、故人の書棚には137冊の野球に関する本が遺されていた。現在、そのすべては滋賀県能登川高等学校に寄贈された。

本来、参考文献を明記すべきところではあるが、故人となった今、特定が「不可能のため、蔵書の著名を明記させていただくことでご理解を賜りたい。ここに心より感謝申し上げる。

そしてこの参考文献に方々の名前の中に梅村清弘氏の名前が記載されていました。
梅村氏と言えば著書に「コーチの社会学」や他にもたくさん、本をお出しになってます・・中京大や中京大中京を運営する梅村学園の理事長でもあり、あの中京大中京、大藤監督の勇退の人事にも・・この梅村氏の承認がなければ・・ありえなかっただろうし、大きな影響力を持ってる方と申し上げておきましょう。

その梅村氏と野球の定石の関係は・・と言うと、不明ですが・・少なくとも山内さんが・・梅村氏の本を読まれたことだけは確かなようです。
「野球の定石」第三版 増刷しますのご案内 [2010年03月09日(Tue)]
このプログでも話題の「野球の定石」・・先日も糟谷監督の講演会で・・ある方とお話した時もこの・・野球の定石が見たいんで・・手に入ったら見せてくださいね。言われましたが本日の「思聞のひとりごと」さんのプログに・・増刷の案内が出てましたので興味のある方はどうぞ、ご覧ください。

以下は思聞のひとりごと・・さんからそのままコピーです。すいません


「野球の定石」第三版 増刷します
<< 作成日時 : 2010/03/08 15:17

個人的には、もうそろそろ…という思いですが、依然として希望者が多く、第三版を増刷することになりました。(300冊)

お申し込みは今まで同様ファックス(079-281-2487・善教寺 結城思聞)でお願いします。
住所、氏名、連絡先、ミニコメントを添えていただけたら有り難いです。

お手元に届くのは時間がかかるのを御承知おきください。

物事、すべて幕引きが一番大事で、難しいんですがね。
ある高校野球監督の死・・野球の定石C [2010年02月09日(Tue)]
このところ・・野球の定石から松倉さんのプログ「思聞のひとりごと」がほんとに面白い・・
今日は坂本佳一さんのことが・・書いてありましたね・。

坂本佳一さんといえば・・1977年(昭和52年)夏の準優勝投手・・愛知県勢は昨年の中京大中京が甲子園決勝進出を果たしたが・・この夏の決勝進出も・・この1977年以来・・の出来ごと。坂本さんはバンビの愛称で東邦高校の1年生ながら、甲子園で先発、その可憐な投球から、全国に女性ファンが広がったのは有名ですね。
若い人はご存じないかもしれないが・・2年前の東愛知の決勝・・成章×大府のNHK解説をやられてましたし・・田原市の滝頭球場で・・中学生相手に講習会が行われ・・成章の小久保投手も・・坂本さんから指導をうけ・・その様子が新聞に掲載されてました。
その事を以前のプログにも紹介したが・・いつだったか・・(笑)




その坂本さんが東邦時代に・・成章グランドに練習試合にきたことは・・有名な話です・・
当時は成章の女子生徒も・・坂本君見たさに・・成章グランドまで押し掛けたとか・・
今で言えば・・中京大中京の堂林君が・・成章グランドに来たようなもんですね。笑顔

このところ・・続けて・・山内さんの野球の定石を紹介せてもらってますが・・
昨日、プログを書き終えてから携帯のメールを見たら・・高校野球監督さんから
メールで・・・

ななななななななななななななななななななな〜んんんと・・あの話題の「野球の定石」を私のために1冊確保してくださった・・とのうれしい・・メール・・が届きました。
kurodaさんが泣いて喜ぶような・・お話です。
楽しみに待ちたいと思ってます。

野球監督さんからのメールで・・「ぽぽのがんがれ日記」にもこの野球の定石が紹介されているようで・・こちらのプログも慶応に関する話題で・・非常に面白いです。
あの白村投手のピッチングがユーチューブで見れます。
ある高校野球監督の死・・野球の定石B [2010年02月08日(Mon)]
遺稿「野球の定石」への思い

山内先生はミーティングで技術や戦術が書かれたノートをコピーしたものを使ってました。だから自発的にノートをとるように変わりましたね。技術があってもメンタル面がしっかりしていないと意味がない」よくそう話されていた。目指したのはサインのいらないアイコンタクトで戦える野球でした。

山内さんは1冊の小冊子を残して死んだ。タイトルは「野球の定石」その内容はメンタル編に始まり技術編では攻守におけるシチューションごとの考え方、動き方などがこと細かくびっしりと書かれたいる。様々な野球関連の本に目を通し、いいと思う部分を抽出してまとめあげたのもだ。そこには・・山内さんの心血がそそがれいる。
(週刊現代より)

この中には元、楽天監督、野村さんの著書からも引用されてあったため、松倉さんが了解を得て・・出版となりました。

この本は各方面で話題となり・高校野球研究会でも紹介されました。
メンタル面というのは・・野球において・・大きな意味がありますね・・
よく聞くのが・・私学4強との対戦・・もう気持ちで負けている・・だから勝てないんだ。
とある野球部OBの方は語ってくれます・・
相手は強い・・勝てっこない・・たしかに・・それは一理あるが・・
せめて気持ちの面で相手を上回る・・物が必要だ・・
走塁、盗塁、・・・とにかく気迫のプレーで相手を上回ってほしですね。

昨年の試合だったか・・ある選手が代打で出た・・彼は何回もバッターボックス内でバットを振る・・気合い十分の構え・・1回・・2回。3回・・何回、バットを回しただろう・・

絶対に打ってたる・・その気持ちが・・見ている私たちにも伝わってきた。
彼は見事、タイムリーだを打った・・気持ちが相手の投手を上回っていたのだ。

野球の定石から松倉さんのプログ『思聞のひとりご」を見てますが
実に・・面白いプログですね・・神戸っ子にもリンクさせていただいた。
皆さんも過去の記事を読まれるといいですよ!
野村監督、貴乃花、・・高校野球と芸能人との交流も広い。

そんな中からある高校野球の試合についての
プログが・・面白かった。

ある高校野球監督の死・・野球の定石A [2010年02月07日(Sun)]
実は名古屋で自殺幇助のニュースがあったことは・・何年か前に・・ニュースステ-ションで見ましたね。わずかですが覚えています。
しかし・・その時の山内さんが・高校野球監督とは知りませんでした。

その時には私も深く留めていなかったのですが・・こうやって・・野球の定石という本を通じて見ると・・その経過が知りたくて・・ネットのプログ上に山内さんがテレビ出演したの時の様子を紹介したプログがありました・・勝手ながら・・一部、抜粋させて紹介させていただきますね。


〜壮絶妻の自殺幇助で有罪に・・・元夫激白『悪魔の病気』との闘い〜

山内さん「私の最後を看取ってくれてありがとう。“さよなら”って言って飛び降りました。。。」

(ナレーション):「生きていても苦しい。死んで楽になりたい。」

ナレーション:夫婦の人生を狂わせたものは恐るべき病だった。妻は苦痛から逃れるために死なせてと自殺の手伝いを夫に哀願。そして・・・。
妻の自殺を手伝ったとして有罪判決を受けた元夫が地獄のような闘病の日々を告白。

山内さん「この病気がなかったら我が家はこんな目には遭わなかった。病気が悪魔のように思えました・・・。」

ナ:2005年4月25日

Q.これは血痕なんですか?
マンション住民「そうです。掃除のおばさんが一生懸命やられてもですね、取れません。」

ナ:名古屋市のあるマンションから病気を苦に女性が飛び降り自殺をした。その時、女性の夫は自殺を手伝ったとして逮捕された。夫の名は山内政治。(山内さんの紹介)夫婦は長年、恐ろしい病と闘ってきた。そして、妻智子さんは死ぬことでこの病魔から逃れる方法を選んだ。彼女は山内さんに自殺の手伝いを哀願。
4月21日(水) 自殺の付き添いをせがまれる
4月22日(木) 「死ぬのにいい場所がある」と告げられる
4月23日(金) 近くのマンションに2人で行くが帰宅
死にたいという智子さんを山内さんは何度も思いとどまらせた。しかし、この日も

(ナ):「今晩死ぬ。苦しいから連れて行ってよ。」
ナ:深夜、智子さんを自転車に乗せ 近くのマンションに向かった山内さんは エレベーターで11Fまで智子さんを運んだ。
(ナ):「私をおんぶして、お願い。最後のお願いだから。 この壁にすわらせて・・・」
妻の最後のお願いという言葉に踊り場の壁に腰掛けさせた山内さん、そして。。。


マンション住民「ドスンという音がしまして“なんだろうな?”ということで5分くらい経ってからピーポーピーポというかたちで救急車が来た。」
ナ:山内さんはその場で警察に電話をかけ、駆けつけた警察官に自殺幇助の疑いで逮捕された。

〜初公判から〜

山内さん(ナ):「絶対に妻を落としてはいけないと思い、妻の両足を支えたが妻がエビ反りになり持ちこたえることが出来ず落ちていった。」
ナ:初公判で泣きながら当時の様子を語った山内さん。結果は執行猶予付きの有罪判決だった。

〜初公判2004年6月名古屋地裁 懲役2年2ヶ月 執行猶予3年の有罪判決〜

ナ:教職を失った山内さん、執行猶予があけたいま、智子さんが飛び降りた瞬間の様子を私たちに語ってくれた。
山内さん「私に迷惑をかけたことを非常にわびていましたね。長い間迷惑をかけてごめんねって、最後の言葉でしたけど・・・」

〜1994年2月結婚〜

ナ:山内さんが塾の講師をやっているときの教え子だった智子さん、結婚した当初からすでに智子さんの体は微量な化学物質にも反応し苦しがっていたという。彼女を苦しめていた病気とは。。。

『化学物質過敏症』

私たちは呼吸や飲食をすることで現代社会に溢れているさまざまな化学物質を知らず知らずのうちに体内に摂り込んでいる。しかし、この量が体の適応能力を超えるとさまざまな症状が発生する。その症状は個人差も大きく、治療どころか診断できる医師すら少ないという。

〜頭痛・めまい・吐き気・アレルギー 症状には個人差がある。〜

山内さん「嗅覚に関しては犬や仙人に匹敵するような嗅覚でしたから。」

ナ:智子さんは化学物質の臭いに怯え、家からほとんど出なかったという。

山内さん「合成洗剤・柔軟材とかですね。その臭いが耐えられなかったみたいですね。行きましたですよ。恐れ入りますが合成化学洗剤じゃなくて無添加の洗剤を使っていただけますかって」

Q.近所に?
山内さん「近所に 隣の人に」

Q.「近所の人はどうしました?
山内さん「公団に訴えました。(私が)訴えられました。」

Q.普通、理解されないですよね?
山内さん「理解されないですよ。住む場所がないですよ、本当に・・・」

ナ:山内夫婦は行き場を求めて5回引越しをした。
当時、智子さんから相談を受けていた元患者の女性が語る。

相談した女性「治るかしらって。色んなものに反応してね、苦しくって仕方がない。夜も眠れない。」

ナ:智子さんが送ったFAXにはその当時の辛い状況が書かれていた。

FAX:あまりの激痛に鎮痛剤を飲んでしまいました。朝の4時まで苦しくて眠れません。

ナ:見えない化学物質が容赦なく智子さんの体を蝕んでいく。献身的な夫の介護。しかし引越しを繰り返したことで山内さんの職場はどんどん遠くなり、通勤時間は往復6時間になってしまった。さらに洗剤が使えない智子さんに代わり、手洗いの洗濯と皿洗いを毎日深夜まで。睡眠時間はほとんどなく、山内さん自身(も『うつ病』と診断される)病院に通うことになったという。

Q.いつかは病気が治る?
山内さん「それは期待していました。他の患者さんの家庭の方もね、私と同じことを思っているんじゃないのかと思うんです。それほど・・・あの。患者さんが悪いんじゃないんです。病気が悪いんです。」

ナ:しかし、治したい一心で化学物質を避けようとすると食材は有機野菜、衣服は天然素材といった高価なものになり、月々の支出は80万円に膨れ上がった。憔悴した夫、悪化する病状、圧迫される家庭。

Q.あの事件がなければ あの生活を続けていられましたか?
山内さん「いや、それはなかったと思いますね。どっちかが死ぬか、または両方死ぬか、それしかなかったと思います。」

番組内で山内さんは・・こう語っている。
「がんとか白血病だったらかわいそうだと言われるでしょう。化学物質過敏症はね、言われないですよ。で、自殺するんですよ。周りの人は自殺してよかったな思うんですよ。死んだ後もあの人がいなくなってよかった、と。そんな病気なんです。」
(テレビ朝日系スーパーモーニングより)


☆この度の「山内政治を偲ぶ会」で西浦さんが熱唱してくれた。
山内が自殺幇助罪で執行猶予期間中、早実の優勝をテレビで観ていて、エンディングテーマに心うたれ、自分自身への応援歌とした。
そして、「化学物質過敏症患者」の為に立ち上がり、あえて実名で事件を振り返り、病への理解と支援を求めたのだった。
その甲斐あって、この10月から健康保険の適用が受けられるようになったのである。
(思聞のひとりごとより抜粋)

西浦達雄さんはこのプログでも度々紹介していますね。「化学物質過敏症」という病気をたくさんの方に知っていただき、患者さんの救剤になればいいですね。




ある高校野球監督の死・・野球の定石@ [2010年02月06日(Sat)]
ここに1冊の本がある・・この本には・・ある秘められたいきさつがあります・・

「野球の定石」

今、高校野球の指導者や野球関係者から注目を浴びている・・本でもあります。
著者は滋賀県立能登川高校野球部、元監督、山内政治さん・・

この本のことを紹介してくれたのは・・知り合いの高校野球監督さん・・からメールで週刊誌に野球の定石に関する記事が出てると言うので・・早速、買って読みました・・久しぶりに週刊誌を買ったが値段は390円・・いや・・いつから、こんなに高くなったのかな・・
昔は週刊明星とか・・よく買ったな・・



週刊現代2月13日号・・です。売れきれない内にお早めに・・




59年滋賀県で生まれた山内さんは県立彦根東高校でレギューラとして活躍し早稲田大学に進学。4年時には、1,2年生を指導する新人監督の大役を任された。卒業後は87年から東京菅生高校で野球部コーチ、90年に母校の彦根東でコーチ、監督。91年、滋賀県立甲西高校、96年からは01年まで能登川高校で監督を務めた。97年には春季県大会で優勝を果たした。だが・・彼はその後、愛する夫人に自ら命を絶たれ、その自死を手伝ったとして逮捕、教員の免許を剝奪されえてしまう。それでも死ぬほど野球が好きだった彼は東京で別の仕事を続けながら野球指導者としての復活を目指した。ようやく私立高校の野球部監督の話がまとまりかけていた。その矢先に・・腸間膜出血で倒れ、一人暮らしの部屋で孤独死を遂げる
(週刊現代より抜粋)

親交があった元、フジテレビ放送のアナウンサーだった松倉さんが(兵庫県姫路市善教寺住職)「生きた証しに…」と関係者に働きかけ出版したのが練習マニアル「野球の定石」である・・
この本の評判は・・すごい!一度は手にして読んでみたいものです。

続く・・