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津波で亡くなった少女の「灯台ハンカチ」がハワイへ [2018年03月19日(Mon)]

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 3月11日で、東日本大震災(2011年)から、まる7年が経過した。
 同震災の津波で命を失った福島県いわき市の鈴木姫花(ひめか)さん(当時10歳、豊間小4年)の描いた灯台の絵が、ハンカチとなって海を越え、米国・ハワイ州の太平洋津波博物館に今年1月から飾られている。

 姫花さんはデザイナーになるのが夢で、塩屋埼灯台(いわき市)を描いた絵が、2009年度の「灯台絵画コンクール」(燈光会主催)で見事入選した。
 震災当日は、下校後に近くの実家に行っており、津波の犠牲となった。福島保安部の連絡で知った燈光会の配慮で、この灯台の絵が父・貴(たかし)さんら家族に手渡された。

 このニュースを知った京都のデザイナーが中心となり、12年11月、姫花さんの絵をもとに「デザイナー鈴木姫花」のハンカチを作成。ハンカチ展などに出品され、反響を呼んだ。
 このハンカチを、姫花さんの両親が「お世話になった人たちへの感謝の気持ちに」と自費で約1000枚を作成。今も塩屋埼灯台のふもとの土産店(山六観光)で販売され、売り上げがいわき市に寄付されている。

 また、震災被害を受けた塩屋埼灯台は14年2月に復旧工事が終わり、参観灯台として一般公開を再開した。灯台の構内にある燈光会の掲示板には、姫花さんの絵のレプリカが飾られ、灯台を訪れる人々が目を止めている。

 今回のハワイへの展示を働きかけたのは、福島県郡山市出身の写真家・橋本直樹さん(愛媛県在住)。
 姫花さんのハンカチのことをネットなどで知り、「同じ福島県人として何かできないか」と考えた。昨年8月に、ハワイの太平洋津波記念館を訪れたとき、東日本大震災のコーナーに福島県に関する展示品があまりないのを知った。
 このため同11月に、同館のマーリン・ムリー館長が日本を訪れた際に、姫花さんのハンカチを飾ってほしいと要請。館長は「10歳の少女の明るい未来を津波が奪った。二度と悲劇を繰り返さないため、世界の人々に姫花さんの作品を見てもらいたい」と快諾してくれたという。

 同館の展示コーナーには額に入れた姫花さんのハンカチと、貴さんのメッセージの英訳が展示されている。

 貴さんはメッセージで「亡くなった娘のために、親として一体何ができるだろうかと考えました。震災から半年が過ぎたころ、娘の描いた絵を信頼のおけるデザイナーに託し、ハンカチにしてもらいました。娘は天国でデザイナーになる夢を叶え、ハンカチとして人の役に立ち、彼女が稼いだお金は浄財となります。私たち夫婦は、そのお手伝いをすることで、彼女が生きているように感じ、私たちもまた生きていることを感じることができます。命や教訓、大切なものが忘れられませんように」と述べている。
 
 福島では、港の復興、試験操業の拡大、帰宅困難区域の一部解除など、復興に向けての営みが着実に進んでいるものの、まだ道半ばにある。姫花さんのハンカチは、震災の悲劇や教訓を、途絶えることなく語り継ぐことの大切さを教えてくれる。      (福島海上保安部)

写真は写真家の橋本直樹さんと姫花さんのハンカチ