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仙台航空基地の機動救難士 出動300回 [2018年05月25日(Fri)]

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東日本大震災が発生した年の2011(平成23)年の10月に発足した仙台航空基地の機動救難士。発足から約6年半が経過した18年4月20日、宮城県気仙沼沖で漁船が行方不明との情報が入り、ヘリ(MH968)に同乗した機動救難士が出動し、この出動が発足から出動300件目となった。

 仙台航空基地は東日本大震災で被災し、機動救難士発足当初は震災の爪跡が残るプレハブ庁舎からのスタートだった。
 1件目の出動は、11年11月14日で、奇しくも300件目と同じ気仙沼沖の漁船行方不明対応だった。この事案に出動したのが、発足当初から現在も機動救難士として活躍している秋田雄樹・機動救難士(37)=写真=だ。
 
 秋田官は、兵庫県尼崎市出身で、中学生のころに阪神大震災を経験した。また、東日本大震災の発生時には、巡視船「くりこま」の潜水士として行方不明者の捜索対応にあたった。二つの大きな震災を経験している秋田官の、救助にかける思いは特別のものがある。どんなに厳しい訓練でも率先してこなし、出動の際は心の中で闘志を燃やしつつ、冷静沈着に対応する。

 今年で機動救難士歴7年目の秋田官は、豊富な経験と知識、技術を生かし、新人機動救難士のOJT担当として人材育成にあたっている。
 機動救難士として必要な技術・知識だけではなく、救助隊員としての在り方、「オレンジ服」の重みを伝えてきた。               (仙台基地)

鹿児島基地 機動救難士 出動1000件達成 [2015年03月27日(Fri)]

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 鹿児島航空基地に配属されている機動救難士(9人)が2月18日、出動1000件を記録した。平成16年4月に同基地に機動救難士が配備されて10年11カ月での達成。これまでの救助人員は409人にのぼる。

 2月17日午後7時ころ、垂水フェリー「第八おおすみ」から十管本部に「フェリーから人が海中に転落した」との118番通報が入った。
 本部オペレーションから「捜索救助にあたれ」との指令を受け、同日午後8時ころから翌日午後3時ころまで、ヘリMH976(まなづる)に機動救難士2人が搭乗し捜索救助に向かった。
 同機はさらに18日午前6時過ぎと、午後0時過ぎにも捜索に出動。最後の出動が1000件目となった。

 海上保安庁が機動救難士が配備したのは、平成14年10月が最初で、現在8基地に配備されている。機動救難隊の出動1000件達成は、平成25年6月の福岡航空基地、同年12月の函館航空基地に次いで3基地目となる。

 鹿児島航空基地の機動救難隊は、平成16年4月に4人体制で発足。その後、平成19年には8人、そして平成24年に現在の9人体制となった。出動1000件までの道のりは決して平坦なものではなく、過酷な現場でも負けないよう日々鍛錬し、訓練してきた先人たちによって築き上げられた歴史でもある。

 1000件の歴史の中で主な出動事案としては、平成24年4月、鹿児島県佐多岬の南西2`の海上で、鹿児島から屋久島向けの高速旅客船「トッピー1」(乗員乗客189人)がクジラと衝突し航行不能となり出動したケースがある。

 多数の負傷者が発生しているとの情報から、直ちに機動救難士3人がヘリに搭乗のうえ現場に出動。同船内で乗員乗客のトリアージや状況調査を行い、緊急搬送が必要な3人を海上荒天の中、吊(つ)り上げ救助するとともに、巡視船による船体の曳航(えいこう)作業を支援した。
 
 約8時間にわたる曳航の間も船内の巡回、乗員乗客へのケアを行い、山川港にて無事、乗員乗客全員を待機する救急隊、医療班へと引き継いだ。
 
 鹿児島航空基地の所属する第十管区は、鹿児島、熊本および宮崎県の区域並びにその沿岸水域を管轄区域とし、海域は南北約700`、東西約1000`に及ぶ。また多数の離島や国際海峡(大隅海峡)を抱えており、好漁場、マリンレジャーも盛んで、しばしば重大な海難が発生する海域だ。
 現役の機動救難隊たちは「現状に満足することなく『要救助者のため』という強い信念の下、安全、迅速、確実な救助を目指し、これからも自己研鑽(けんさん)に励んでいく」と決意を新たにしている。                   (鹿児島基地)