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先輩研究者のご紹介(福地 智一さん) [2020年03月30日(Mon)]
 こんにちは。科学振興チームの豊田です。
 本日は、2018年度に「マウス肝臓発生における網羅的遺伝子発現の数理ネットワークモデル構築」という研究課題で笹川科学研究助成を受けられた、静岡大学創造科学技術大学院自然科学系教育部バイオサイエンス専攻所属の、福地 智一さんから助成時の研究について、コメントを頂きました。

<福地さんより>
 昨今では次世代シーケンサーを初めとした高度な測定技術の普及により、生体内のすべての遺伝子の発現情報を低コストかつ短期間で測定することが容易になりました。またコンピューターの性能が大きく向上したことで、特別な計算機を用いなくても大規模なデータを解析することが可能になりつつあります。これにより大規模な生体データを情報科学的な手法を用いて解析する、バイオインフォマティクスの分野は急速に発展し現在も大きな注目を集めています。

 私は主に哺乳類の肝臓の発生や再生について研究しています。肝臓の発生についてはこれまでにも様々な研究が行われてきましたが、そのメカニズムのすべてが分かっているわけではありません。最近では網羅的データを用いた解析も行われ、様々な遺伝子やタンパク質の相互作用が明らかとなりましたが、これらの多くは膨大な生体シグナルのうち、少数の因子を断片的に見ているものがほとんどです。肝臓の研究に限らず、大規模データの有効な解析手法の開発とその体系化は今後の生物学における非常に重要な課題であるといえます。

 そこで私は笹川科学研究助成金によるプロジェクトの中では、肝臓発生時の遺伝子発現パターンを数理モデル化し遺伝子間相互作用を推定することで、そのネットワークモデルの作成を行いました。(図1)

図1 正常マウス肝臓の発生における発現変動遺伝子群の相互作用解析.jpg
図1 正常マウス肝臓の発生における発現変動遺伝子群の相互作用解析

 さらに、ヒト多嚢胞性肝疾患に類似した組織異常を示す、肝臓特異的Hhex欠失マウス(図2)における網羅的遺伝子発現と比較することで、肝臓発生における分化制御と病変の発生メカニズムの解明を試みました(図3)。今回の結果は網羅的発現データを用いた研究を行う際に、未知の遺伝子相互作用を予測する解析手法として、重要な成果であると考えています。

図2 胎生期のWTおよびcKOにおける組織変異.jpg
図2 胎生期のWTおよびcKOにおける組織変異
矢印=嚢胞、PV=門脈、スケールバーは100μm

図3 Hhexマウスのおける嚢胞発生の遺伝子ネットワーク予測.jpg
図3 Hhexマウスのおける嚢胞発生の遺伝子ネットワーク予測

 網羅的発現解析の低コスト化が進んでいるとはいえ、ビッグデータの解析には多くの予算が必要となります。助成金を頂いたことによって、非常に有効なデータを多数得ることができました。予算の運用以外にも申請書や研究報告書の作成を通じてひとつの研究プロジェクトを自分自身が主体になって遂行するという貴重な経験ができました。

 非常に挑戦的な研究であったにもかかわらず、多額の研究助成という形でチャンスを与えてくださった日本科学協会様にこの場を借りて改めて御礼申し上げます。これからも科学の発展に寄与するため精進していきたいと思いますので、今後も見守っていただければ幸いです。
<以上>

 笹川科学研究助成では、若手研究者が主体となって自身の研究プロジェクトを遂行するということを応援しており、次世代シーケンサーとビックデータの解析を組み合わせた、挑戦的な研究をすることができたとのこと、うれしく思います。今後も、科学の発展のために、頑張っていただきたいと思います。

 日本科学協会では過去助成者の方より、近況や研究成果についてのご報告をお待ちしております。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Posted by 公益財団法人 日本科学協会 at 12:01 | 笹川科学研究助成 | この記事のURL | コメント(0)
先輩研究者のご紹介(飯島 孝良さん) [2020年03月16日(Mon)]
 こんにちは。科学振興チームの豊田です。
 本日は、2018年度に「一休の「像」の文化史的研究 -室町期から近現代における「禅」イメージの形成史として-」という研究課題で笹川科学研究助成を受けられた、明治大学文学部所属の、飯島 孝良さんから研究についてのコメントを頂きました。

<飯島さんより>
●我々は「禅」にどのように出会っているのか
 先日、恩師がタイに行った際に土産を買ってきてくださいました。

写真 (1).jpg
【@2020年の正月をタイのバンコクで過ごした恩師の土産。でも、どうやらこの小坊主はタイ人ではないらしく……】

 これは何だろうかと思っていると、「土産物屋が、この小坊主を『イッキュウさんだ』というから、買って来たんだよ」とおっしゃるのです。一瞬、「えっ、どういうことだ?」と思いながらも、すぐに合点がいきました。
 というのも、タイや中国など、アジア諸国ではずいぶん前からアニメの『一休さん』が人気で、いわばあの名作ドラマ『おしん』のような知名度です。タイのお母さんのなかには、息子に「イッキュウ」と名づける方がおられるほどだそうです(NHK『日本人のおなまえっ!』2018年7月19日放送分)。
 とはいえ、気になる点はいくつも残ります。まず、このポーズ。どうして口をふさいでいるのでしょうか。あたかも「見ざる聞かざる言わざる」の「言わざる」のようですが、一休が臨済禅の僧侶であることを考え合わせると、「もしかしたら、禅宗で重んじられる“不立文字”(経典などのことばによって知性や判断を縛りつけられてはならない)という教えを示しているのでは」と思われてきます。ただ、もうひとつ気になるのは、タイは所謂上座部仏教に属しており、日本の臨済宗など禅宗が属する大乗仏教とは異なる流れにあります。そういう意味では、タイでの一休さん人気は、仏教の歴史的な流れとは無関係という外ありません。にもかかわらず、一休さんがここまで受容されているのは、仏教国のタイならではの「美しき誤解」といえるのでしょうか。
 実は、一休さんも、禅も、古今東西を問わずさまざまな形で我々の前に現れてきます。「禅文化」にちなんだものに、我々は意外なところで出逢うことが多いのです。それはどうしてなのだろうか?――端的に言えば、私の研究関心はこうしたところにあります。

●禅文化のなかの一休―その「語られる」イメージ 
 私が研究テーマとしている一休宗純いっきゅうそうじゅん(1394〜1481)は、御小松天皇ごこまつてんのう(1377〜1433)の御落胤ごらくいん(天皇の落とし子)とされる一方、居酒屋や色町など民の集う十字街頭を自由闊達に行き来する臨済宗大徳寺派の禅僧でした。更には、当時の主流派における堕落を痛烈に批判しながらも、晩年は大徳寺住持(四十七世)となって再興に尽力しています。これらは一見すれば矛盾してみえるのですが、その言動は凝り固まった常識や傲り高ぶり、或いは権威化や形骸化を一貫してゆるさない厳しい姿勢とも捉えられます。破天荒といえるその姿は、総体として在世当時から多くの耳目を集めることとなっており、近年にとんち話やアニメで知られる「可愛らしく賢い小坊主」というイメージと大いに異なるものです。
 その一休は、多くの文人や茶人と交流したと言われています。例えば『山上宗二記やまのうえそうじき』(天正十六[1588]年)によれば、一休が「茶祖」といわれる珠光しゅこう(1423〜1502)に宋代の高僧・圓悟克勤えんごこくごん(1063〜1135)の墨蹟を授与し、茶道は禅から強い影響を受けたといわれてきました。ただ、この逸話にある一休と珠光の交流には、現在は歴史学的に疑義も呈されています。つまり、一休と茶道との影響関係は、ひとつの「物語」として重んじられてきたものだというのです。ただ、少なくともここで重要なのは、何故そうした逸話が残されたのかではないでしょうか。
 茶道では、師資相承ししそうじょう(師から弟子に脈々と教えが受け継がれていくべきこと)が重視され、その作法において平常無事びょうじょうぶじ(普段どおりのありのままにこそ教えが体現されるべきこと)が重んじられますが、これらは禅宗で強調される基本的な姿勢そのものです。こうしたものに見出せる禅からの影響関係の出発点に、他ならぬ一休が据えられていたことに、「禅文化」の大きな特徴が見出せるように思います。言い換えれば、一休の〈像(イメージ)〉を介した「語り」の形成にこそ、禅が日本文化の中に位置づけられた一端が見出せるのです。
 一休に深く傾倒し私淑した文人は少なくなく、寛永年間頃には、一休のつい棲家すみかとなった酬恩庵しゅうおんあん(京都府京田辺市)に多くの文人が集い、一種の「禅文化」のサロンの様相を呈しました。佐川田喜六昌俊さがわだきろくまさとし(1579〜1643)は茶人や庭師や禅僧とも密接な交流を重ね、隠居後には酬恩庵のすぐ傍に黙々庵もくもくあんと号した居を構え、一休の下で生を全うせんと願ったと伝えられています。

写真 (2).jpg
【A黙々寺跡を示す石碑。現在の酬恩庵の裏山に位置し、往時をしのばせる。】

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【B黙々寺跡にある石碑のひとつ。卵塔(禅宗によくみられる墓石)のような形状をしたところに「是什麽」(「何だ」の意)という禅語――禅の問答で相手の境地を訊ねる基本の句――が刻されているが、これは茶席に掲げられる墨蹟としても非常に多くみられるもの。】

 一休がこれほど人気を集めたのは、前述しましたように、常識や形骸化を繰り返し批判したその精神が、新たな文化を切り開こうとする文人へインパクトを与えたからだといえます。こうした影響を明らかにすることで、中世から近現代に到る「禅文化」の展開が窺い知れるのではないか――そう考え、関連の文献や史跡の調査のために東京と京都を行き来する日々を送っています。こうした作業を進めるうえでも、日本科学協会の研究助成はたいへん貴重な援助となりました。とくに当方は2年間にわたる助成を賜ることが出来、ここに改めて深謝致します。

●禅からZenへ―そして「日本」を捉え直す視点として
 こうしたことについては、国外でも御話しさせて頂くことがあります。縁あって、2018年春にはシカゴ大学で開催される日本研究ワークショップで研究を発表する機会がありました。“Problematic issues on the image of Zen culture and Ikkyū Sōjun”(「禅文化と一休宗純のイメージにおける諸問題」)と題した発表には、御列席の方からさまざまにリアクションを頂戴し、たいへん有難い一日でした。

写真 (4).jpg
【C5th U ToKyo / U Chicago Graduate Japan Studies Workshopのパンフレット。】

 ここでは、日本仏教を研究しようとシカゴ大学に留学している各国の研究者と出逢うことが出来ました。歓待して下さった諸氏の研究にかける熱意は、ときに驚嘆と感激を与えてくれる程のものでした。大正大藏経を開きながら密教について熱っぽく語り合ったオランダからの研究者、近代日本仏教を瑞々しい視座から論じているイタリアからの研究者、……シカゴビールを傾けつつ、飽きることなく長時間にわたり語り尽くしたその空間は、初春の寒風をものともせぬものになりました。

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【Dシカゴ大学で催されたワークショップの様子(著者はスクリーンのすぐ左で拝聴している)。】

 このシカゴは、『禅と日本文化Zen and Japanese Culture』(英文初版1938年)などで国際的に禅文化を伝えた鈴木大拙(1870〜1966)が長く苦しい研究生活を営んだゆかりの地でもあります。大拙をはじめとして、20世紀は禅からZenへ「語り」が広く展開する時代でもありました。その意味でも、このワークショップは非常に印象深い催しとなりました。
 中世から近現代にかけてさまざまに展開した「禅文化」という「語り」を探究すると、それが如何に重層的な構造を有してきたのかを考えさせられます。日本の禅が歴史の中でインドや中国から多くの影響を受け、日本において「禅文化」という特徴ある変容を遂げ、更には世界各国にZen culture(s)として広く展開していった過程が明らかになればなるほど、禅が現代の我々にみせてくれる「イメージ」が如何に多様で豊かであるかを深く知り得るのではないか――そう考えています。そしてそれは、現代の日本人がどのように自己を認識するかという、きわめて本質的で不可避の問いを多角的に照らし直すものになるのではないでしょうか。

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【E一休研究の最新の成果は、芳澤勝弘編『別冊太陽 一休―虚と実に生きる』(平凡社、二〇一五年)を御参照頂ければと思います。拙論「一休はどう読まれてきたか」などが収録されています。】

<以上>

 一休さんは絵本などでも取り上げられるので、「桃太郎」や「金太郎」のような存在とみられることも多いように思います。一休はもちろん実在の人物で、禅の文化の普及に強い影響を与えたそうです。また、現代でもアニメがアジア諸国で放送されることで、禅の文化を広め続けているということに驚きました。今後も世界中でご活躍されますよう、陰ながら応援させていただきます。

 日本科学協会では過去助成者の方より、近況や研究成果についてのご報告をお待ちしております。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Posted by 公益財団法人 日本科学協会 at 08:33 | 笹川科学研究助成 | この記事のURL | コメント(0)
先輩研究者のご紹介(牛場 崇文さん) [2020年03月09日(Mon)]
 こんにちは。科学振興チームの豊田です。本日は、2018年度に「極低温環境下における高ダイナミックレンジ光ローカル変位センサーの開発」という研究課題で笹川科学研究助成を受けられた、東京大学宇宙線研究所所属の、牛場 崇文さんから、研究について、コメントを頂きました。

<牛場さんより>
 私は重たい星同士の合体や超新星爆発などの宇宙で起こる非常に激しい天体現象から発せられる重力波を捉える研究をしています。重力波は1916年にアインシュタイン博士によって存在が予言され、約100年後の2015年にアメリカのLIGO検出器によって世界で初めて検出されました。2017年にはイタリアのVirgo検出器がLIGOに引き続き検出に成功しており、重力波の検出によって「ブラックホールがどのように形成されるのか」や「重元素合成がどのように行われるか」といった宇宙の大きな謎の解明に貢献することが期待されています。

 日本では三台目の検出器となるべくKAGRAと呼ばれる重力波検出器が建設されました。KAGRAは2019年10月に建設が完了し、2020年の2月25日から単独での観測運転を開始しました。現在は2020年4月までに国際共同観測に参加できるよう精力的に研究が続けられています。KAGRAはLIGO検出器やVirgo検出器と同様にレーザー干渉計型の重力波検出器となっており、複雑な構成のマイケルソン干渉計を構築して重力波を検出します。一方、KAGRAは他の二つの検出器にはない特徴を有しており、20K程度まで冷却したサファイア製の鏡でレーザー干渉計を構成します。

 助成時の研究ではKAGRAで冷却する鏡の位置を読み取る変位センサーの開発を行いました。KAGRAで構成する干渉計は3kmという非常に巨大なもので、鏡の角度が1°変わってしまうだけでも、3km先の光の位置は100m近く移動してしまいます。そのため、非常に高い精度で鏡の位置や角度を制御しなければ干渉計を構成することができません。加えて、KAGRAでは鏡を低温に冷却するため、極低温環境下でも使用可能なセンサーでなければなりません。そのため、センサー自身を独自に開発・性能評価を行う必要がありました。

 開発したセンサーは反射型フォトセンサーと呼ばれるもので、測定対象に非接触かつ非常に広いレンジで変位の測定が可能なものです(図1)。このセンサーに関して、低温でのキャリブレーション、低温化による出力変化、低温での長期安定性、センサーの個体差などの測定を行いました。これにより、重力波検出器KAGRAでの使用のみならず、衛星への搭載などの応用を見据えた非常に重要な基礎データの測定を行うことができました。また、本研究によってLEDのビームプロファイルを適切に用いることで、非常に精度よくセンサーのキャリブレーション結果を説明可能なモデルの構築にも成功しました(図2)。

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図1 反射型フォトセンサーの概念図と実際に用いたセンサー

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図2 LEDのビームプロファイルとキャリブレーションカーブのモデル
 ビームプロファイルを適切に用いることにより、キャリブレーションの測定結果を説明できるモデルを構築した(右図青線)。

 日本科学協会笹川科学研究助成は駆け出しの研究者で研究資金の乏しい時期に非常に助けとなりました。また、研究途上の計画変更による予算執行の変更にも非常に迅速に対応していただき、結果として当初予定していた以上のキャリブレーションモデルの構築という成果を出すことができました。この場をお借りしてお礼申し上げます。
<以上>

 重力波検出器を建設するという壮大なプロジェクトであっても、センサーの開発といった基礎的なことの積み重ねが、非常に大切になってくると思います。KAGRAは岐阜県飛騨市神岡町にあり、スーパーカミオカンデの隣にあるそうです。KAGRAもノーベル賞級の成果が出せるよう頑張っていただきたいと思います。また、笹川科学研究助成は1年間という短い期間の助成制度ではありますが、研究者の方が使いやすい制度となるよう、事務局一同頑張りたいと思います。

 日本科学協会では過去助成者の方より、近況や研究成果についてのご報告をお待ちしております。最後までお読みいただき、ありがとう
Posted by 公益財団法人 日本科学協会 at 11:06 | 笹川科学研究助成 | この記事のURL | コメント(0)
先輩研究者のご紹介(設樂 拓人さん) [2020年03月02日(Mon)]
 こんにちは。科学振興チームの豊田です。本日は、2018年度に「最終氷期の遺存植物チョウセンミネバリの本州中部における分布と植生の実態の把握」という研究課題で笹川科学研究助成を受けられた、琉球大学所属の、設樂 拓人さんから助成時から最新の研究について、コメントを頂きました。

<設樂拓人さんより>
 私が笹川科学研究助成を頂いて取り組んだ研究課題は、日本国内での分布や生態が不明だった「チョウセンミネバリBetula costataの本州中部での分布の実態の把握」でした。チョウセンミネバリはカバノキ科カバノキ属の落葉広葉樹で、極東ロシア沿海州や朝鮮半島、中国などの北東アジアの大陸部の針広混交林に広く分布しています。また、日本でも栃木県などの本州中部山岳で観察例があります。本種は、日本列島が現在よりも寒冷乾燥な気候だった最終氷期(約7万年から1万年前)に、日本に広く分布していたと推定されていることから、最終氷期以降の気候変動の中で生き残ってきた貴重な遺存植物だと考えられています。それにもかかわらず、日本では観察例がとても少なく、未だに日本の植物図鑑にはちゃんと掲載されていません。また、国内でのチョウセンミネバリの写真も掲載されていませんでした。そのため、国内でのチョウセンミネバリの正確な分布や生態に関する情報が十分に把握されていませんでした。

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(写真1 チョウセンミネバリの樹形)

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(写真2 枝葉)

 そこで、私は本州中部におけるチョウセンミネバリの正確な分布情報を把握するために、本州中部山岳でチョウセンミネバリを探し回りました。私は、極東ロシア沿海州でチョウセンミネバリを観察したことがあるため、チョウセンミネバリを見分けることが出来ました。そして、調査を進める中で、長野県や富山県でチョウセンミネバリを見つけることができ、その分布情報や生態を以下の学術雑誌に発表しました。私の知るかぎり、この論文に掲載されたチョウセンミネバリの写真が、正式な書面に掲載された国内初のチョウセンミネバリの写真です(写真1,2)。

1. Shitara T, Ishida Y, Fukui S, Fujita J. (2019) New Localities of Betula costata (Betulaceae) from Nagano Prefecture, Japan. Journal of Japanese Botany 94(2): pp112-116.
2. 設樂拓人, 相原隆貴. (2019) 富山県におけるチョウセンミネバリBetula costataの分布の現状. 植物地理・分類研究67(2): pp149-151.

 チョウセンミネバリは、一見、ダケカンバBetula ermaniiに似ています。しかし、ダケカンバの葉の側脈は8-13対であるのに対し、チョウセンミネバリは8-15対前後であり、葉全体がダケカンバよりも細長く見えます(写真3)。また、種子につく「翼」は、ダケカンバよりもチョウセンミネバリは大きい傾向があります(写真4)。さらに、ダケカンバは、標高約1500m以上の亜高山帯に分布しているのに対し、チョウセンミネバリは、標高約1000mから1400mに分布している傾向があります。

写真3-001.jpg
(写真3 ダケカンバとチョウセンミネバリの葉)
写真4-001.jpg
(写真4 ダケカンバとチョウセンミネバリの種子)

 笹川科学研究助成のおかげで、中部地方の広範囲でチョウセンミネバリの分布を調査し、論文を出版することが出来ました。心より感謝しております。この研究を励みにこれからもより一層、面白い研究を皆さんにお伝えできるよう、努力していきたいです。
<以上>

 日本国内でも、まだ図鑑に載っていない植物があることに驚きました。山岳での調査は危険も伴い大変だったかと思いますが、このような地道な研究が研究成果につながるのだと思いました。今後も、図鑑に載っていないような植物を発見できるよう、頑張っていただきたいと思います。

 日本科学協会では過去助成者の方より、近況や研究成果についてのご報告をお待ちしております。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
Posted by 公益財団法人 日本科学協会 at 10:18 | 笹川科学研究助成 | この記事のURL | コメント(0)