研究者コラム(1) 有機化学研究者 米澤宣行先生
[2023年06月01日(Thu)]
みなさんは、研究者とじっくり話したことがありますか?
大学生になったサイエンスメンタープログラムのOB・OGが、研究者にインタビューして、研究者を紹介するコラムをお届けします。研究者についてもっと知りたい方必見です!
第1回は有機化学者の米澤宣行先生、インタビューアーは石井辰美さんです。
「米澤先生の歩み」
石井辰美(中央大学4年生)

米澤先生は1955(昭和30)年に静岡で生まれ、有機化学を専門とされている。実は「化学」には大きく有機化学、物理化学、無機化学などの分野があり、中学や高校で学ぶ「化学」は、それらを広く浅く全体的な基本知識として学んでいるというわけだ。大学に入ってからそれぞれの分野を深く勉強することになるのでお楽しみに。
米澤先生はそのうちの一つである有機化学という分野を扱っている。「有機化学ってなに?」と思ったみなさんのために簡単に説明すると、炭素原子と水素原子の結合を含む物質である有機物をいろいろ勉強する分野で、その研究の姿は、『実験室での実験』という、誰もが「The・化学」と思える風景を想像して貰えばよいかな、と私は考えている。世間に知られている、膨大な数の有機化学物質があるのだけれど、それらのさまざまな化学,反応・形・作り方などを扱うのだ。記念すべき第一回のコラムでは、そんな有機化学に取り組んできた米澤宣行先生を紹介しよう。
米澤先生の生まれた当時の静岡市はとてものんびりとした環境だったという。物心ついた時の暖房器具は火鉢。調理の加熱器具はかまどと七輪を使っていたし、お風呂は薪で沸かしていた。その後の半世紀強、技術と社会生活は猛スピードで変化を遂げ、米澤先生はその変遷の目撃者であり、当事者でもあった。米澤少年はよく学研などの科学系の本を読み、図鑑などを見ながら実験を自分でやってみていたそうだ。そんな雰囲気の下で過ごしたからか、ごく自然に理科的、技術的な考え方を身につけたらしい。
中学では文学や歴史が好きだったそうで、中央公論社の『日本の歴史』、『世界の歴史』それに加え、読売新聞社の『日本の歴史』、計60〜70冊ぐらいの歴史書を読破したそうな。これには私もびっくり仰天してしまった。しかし年数が覚えられずに、高校の日本史のテストでは赤点になってしまう点数を取ったこともあったそうだ。またまたびっくり仰天してしまった。
高校では数学や物理でテストの点数は取れるものの、綺麗な論理だと納得のいくように解くことができず、能力がないと考えていた米澤青年。当時、親戚や高校の担任の先生には経済学部や法学部、医学部などを薦められたが、「この分野だったらもしかしてなんとかなるかな」と考えたのが化学だった米澤青年。こうして東京大学の理科一類から合成化学科へ進学することとなったのである。
大学4年生の春、研究室に配属されて初めて研究に携わった米澤青年が卒業研究に選んだテーマは、当時人気のあった『人工酵素モデル』を作ることであった。ところが、このテーマに1年間取り組んだ感想として米澤青年は「いろんな実験技術や知識が全く身に付かなかった」と思ったそうな。考えた米澤青年は、次の修士課程のテーマとして『生分解性ポリマー』を作ることを選んだ。生体内で小さな分子に分解してそのまま吸収される手術用縫合糸のようなもの、といえばイメージしやすいだろうか。だが、やはり勉強不足だと感じた米澤青年は博士課程でなんと基礎有機化学分野にテーマを変えてしまう。米澤先生曰く、「それまでが周りから見てよさそうだという分野を選んでしまって大変後悔した」。その後、助手 (現在の助教) として4年間過ごした後に企業へ転職、再び大学の助手、そしてさまざまな出会いや経験を経て東京農工大学の教授となった。
東京農工大学の教授に就く頃までは企業在籍時の開発対象であったフェノール樹脂から展開して,硫黄を含まない、炭素,水素,酸素の三つの元素のみで超高性能という金属材料並みに強い性質の有機物質であるエンジニアリングポリマーを作ることに挑戦。困難さを楽しみつつ仕事を進めていったのだけど,ある時、この芳香族のポリマーは、植物の構造を支えていた物質が黒鉛、石炭に変化していく過程という、自然界の物質・元素循環の中の途中の形なのだと米澤先生には思い浮かんできた。この物質が変化していく過程の途中で人間が少しの間それを利用し,気配りしながら元の流れに戻すということができれば物質の循環への影響を小さくした利用が可能かもしれないと考えた米澤先生は、有機化学の中でも有機構造化学とそれと関係づけた有機反応化学を専門とすることに。そしてそれが、大学教授を退職するまでの仕事となったのであった。東京農工大学で研究室を引き継いだ岡本昭子先生と共同での論文作成を現在も継続中だ。
「大切なことは、『仕方がない』とは言わないこと」と米澤先生はおっしゃった。「仕方がない」と口にすることで自分を満足、納得させてしまってはいけない、という意味だ。追究することが大切なのかな、と私は考えたのだがそうではなく、「自分に見えていないものがきっとあるから、違う意見の考え方を謙虚に聴いてみよう」という姿勢が必要だそうだ。
このことを私自身に置き換えてみると、私も研究室では先輩の話は素直になんでも聴くようにしている。「普通は先輩の言うことは聴くでしょ」と思うかもしれないが、自分の性格もあって素直に聴けない時期があったのだ。しかし、先輩が言っていることはやはり正しいことの方が多い。意見が衝突してしまっても、素直に聴くことで冷静に自分の考え方と比較でき、新たな知見を得ることができる。謙虚な姿勢は大切である。
最後に、米澤先生から皆さんへ向けてメッセージをいただいた。
「基礎ができていないと、何が新しいのか、違うように見えるけれど本質は同じことということ、わからない。そして、現在『揺るぎない法則』だとされて教わっているものが、突き詰めたらどういう意味をもつものかを理解した上で、それぞれに違った立場で対応することが重要だと思います。そのためにはやっぱり基礎を学ぶ。基礎を学ぶためには今置かれている状況でできる範囲の最も上の水準の研究を行って、同時に歴史からも学ぶ。過去の人達が来た道、それからサイエンティフィックには何が本筋で本質なのかということを見極める姿勢をみんなが採って、化学の世界と同様、うまく共和国的に共存していくことが必要なのかな。若い人には勉強と研究をコツコツと続けていってもらいたいと思います。」

左:米澤先生 右:石井さん
○紹介
米澤先生は1955(昭和30)年に静岡で生まれ、有機化学を専門とされている。実は「化学」には大きく有機化学、物理化学、無機化学などの分野があり、中学や高校で学ぶ「化学」は、それらを広く浅く全体的な基本知識として学んでいるというわけだ。大学に入ってからそれぞれの分野を深く勉強することになるのでお楽しみに。
米澤先生はそのうちの一つである有機化学という分野を扱っている。「有機化学ってなに?」と思ったみなさんのために簡単に説明すると、炭素原子と水素原子の結合を含む物質である有機物をいろいろ勉強する分野で、その研究の姿は、『実験室での実験』という、誰もが「The・化学」と思える風景を想像して貰えばよいかな、と私は考えている。世間に知られている、膨大な数の有機化学物質があるのだけれど、それらのさまざまな化学,反応・形・作り方などを扱うのだ。記念すべき第一回のコラムでは、そんな有機化学に取り組んできた米澤宣行先生を紹介しよう。
○育った環境、そして、科学との出会い
米澤先生の生まれた当時の静岡市はとてものんびりとした環境だったという。物心ついた時の暖房器具は火鉢。調理の加熱器具はかまどと七輪を使っていたし、お風呂は薪で沸かしていた。その後の半世紀強、技術と社会生活は猛スピードで変化を遂げ、米澤先生はその変遷の目撃者であり、当事者でもあった。米澤少年はよく学研などの科学系の本を読み、図鑑などを見ながら実験を自分でやってみていたそうだ。そんな雰囲気の下で過ごしたからか、ごく自然に理科的、技術的な考え方を身につけたらしい。
中学では文学や歴史が好きだったそうで、中央公論社の『日本の歴史』、『世界の歴史』それに加え、読売新聞社の『日本の歴史』、計60〜70冊ぐらいの歴史書を読破したそうな。これには私もびっくり仰天してしまった。しかし年数が覚えられずに、高校の日本史のテストでは赤点になってしまう点数を取ったこともあったそうだ。またまたびっくり仰天してしまった。
高校では数学や物理でテストの点数は取れるものの、綺麗な論理だと納得のいくように解くことができず、能力がないと考えていた米澤青年。当時、親戚や高校の担任の先生には経済学部や法学部、医学部などを薦められたが、「この分野だったらもしかしてなんとかなるかな」と考えたのが化学だった米澤青年。こうして東京大学の理科一類から合成化学科へ進学することとなったのである。
○米澤先生の研究人生
大学4年生の春、研究室に配属されて初めて研究に携わった米澤青年が卒業研究に選んだテーマは、当時人気のあった『人工酵素モデル』を作ることであった。ところが、このテーマに1年間取り組んだ感想として米澤青年は「いろんな実験技術や知識が全く身に付かなかった」と思ったそうな。考えた米澤青年は、次の修士課程のテーマとして『生分解性ポリマー』を作ることを選んだ。生体内で小さな分子に分解してそのまま吸収される手術用縫合糸のようなもの、といえばイメージしやすいだろうか。だが、やはり勉強不足だと感じた米澤青年は博士課程でなんと基礎有機化学分野にテーマを変えてしまう。米澤先生曰く、「それまでが周りから見てよさそうだという分野を選んでしまって大変後悔した」。その後、助手 (現在の助教) として4年間過ごした後に企業へ転職、再び大学の助手、そしてさまざまな出会いや経験を経て東京農工大学の教授となった。
東京農工大学の教授に就く頃までは企業在籍時の開発対象であったフェノール樹脂から展開して,硫黄を含まない、炭素,水素,酸素の三つの元素のみで超高性能という金属材料並みに強い性質の有機物質であるエンジニアリングポリマーを作ることに挑戦。困難さを楽しみつつ仕事を進めていったのだけど,ある時、この芳香族のポリマーは、植物の構造を支えていた物質が黒鉛、石炭に変化していく過程という、自然界の物質・元素循環の中の途中の形なのだと米澤先生には思い浮かんできた。この物質が変化していく過程の途中で人間が少しの間それを利用し,気配りしながら元の流れに戻すということができれば物質の循環への影響を小さくした利用が可能かもしれないと考えた米澤先生は、有機化学の中でも有機構造化学とそれと関係づけた有機反応化学を専門とすることに。そしてそれが、大学教授を退職するまでの仕事となったのであった。東京農工大学で研究室を引き継いだ岡本昭子先生と共同での論文作成を現在も継続中だ。
○研究者を目指すにあたって
「大切なことは、『仕方がない』とは言わないこと」と米澤先生はおっしゃった。「仕方がない」と口にすることで自分を満足、納得させてしまってはいけない、という意味だ。追究することが大切なのかな、と私は考えたのだがそうではなく、「自分に見えていないものがきっとあるから、違う意見の考え方を謙虚に聴いてみよう」という姿勢が必要だそうだ。
このことを私自身に置き換えてみると、私も研究室では先輩の話は素直になんでも聴くようにしている。「普通は先輩の言うことは聴くでしょ」と思うかもしれないが、自分の性格もあって素直に聴けない時期があったのだ。しかし、先輩が言っていることはやはり正しいことの方が多い。意見が衝突してしまっても、素直に聴くことで冷静に自分の考え方と比較でき、新たな知見を得ることができる。謙虚な姿勢は大切である。
○読者の皆さんへ向けて
最後に、米澤先生から皆さんへ向けてメッセージをいただいた。
「基礎ができていないと、何が新しいのか、違うように見えるけれど本質は同じことということ、わからない。そして、現在『揺るぎない法則』だとされて教わっているものが、突き詰めたらどういう意味をもつものかを理解した上で、それぞれに違った立場で対応することが重要だと思います。そのためにはやっぱり基礎を学ぶ。基礎を学ぶためには今置かれている状況でできる範囲の最も上の水準の研究を行って、同時に歴史からも学ぶ。過去の人達が来た道、それからサイエンティフィックには何が本筋で本質なのかということを見極める姿勢をみんなが採って、化学の世界と同様、うまく共和国的に共存していくことが必要なのかな。若い人には勉強と研究をコツコツと続けていってもらいたいと思います。」
米澤宣行先生
所属:元公益社団法人日本作業環境測定協会専務理事
専門分野:有機化学
経歴:東京大学で工学博士取得。その後東京大学助手、日本鋼管(株)主任研究員、群馬大学助教授、東京農工大学・大学院教授、公益社団法人日本作業環境測定協会専務理事を歴任。日本化学会功労賞・化学教育賞受賞(2013)。現在、サイエンスメンタープログラム事業委員。

専門分野:有機化学
経歴:東京大学で工学博士取得。その後東京大学助手、日本鋼管(株)主任研究員、群馬大学助教授、東京農工大学・大学院教授、公益社団法人日本作業環境測定協会専務理事を歴任。日本化学会功労賞・化学教育賞受賞(2013)。現在、サイエンスメンタープログラム事業委員。
石井辰美さん(中央大学理工学部応用化学科4年生※インタビュー当時)
米澤先生・石井さんありがとうございました!!
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サイエンスメンタープログラム当時の情報
研究期間:2017.9 - 2018.8
研究課題:「箱根火山について」
学校名:神奈川県立神奈川総合高等学校
メンター:斎藤靖二先生(神奈川県立 生命の星・地球博物館 名誉館長)
研究期間:2017.9 - 2018.8
研究課題:「箱根火山について」
学校名:神奈川県立神奈川総合高等学校
メンター:斎藤靖二先生(神奈川県立 生命の星・地球博物館 名誉館長)
米澤先生・石井さんありがとうございました!!
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