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〜新型コロナ感染症を考える〜「医術と芸術」外山紀久子先生 [2020年06月17日(Wed)]

 科学隣接領域研究会メンバーの先生方からの「新型コロナウイルス感染症」に関する寄稿をご紹介いたします。第3回は外山紀久子先生(所属:埼玉大学大学院人文社会科学研究科 教授 専門:美学、芸術学(舞踊論、現代アート))から「医術と芸術」です。

「医術と芸術:浄めのアート走り書き」
外山紀久子

〇危機の時代の学問
 西洋で「美学」(感性学aesthetica)という学問分野が誕生したのは18世紀半ばですが、ルネッサンスから宗教改革を経てヨーロッパ世界の大きな地殻変動がその前史となる背景にあったと言われます。キリスト教の神様を中心とする旧世界の安定した秩序への信頼が失われ、相対主義のスピリットが深まるとともに、直感、直観、情感、「感ずることの意義」がクローズアップされました。宮廷文化の隆盛、社会規範の世俗化、美的自律性の確立といった関連する徴標に加え、グランドツアーの普及によるアルプス体験のように、人為をはるかに凌駕する「自然」の力の介入が新たな様相で経験されるようになったことも見逃せません。そもそも近世/近代への大転換が14世紀半ばから15世紀の初めにかけてユーラシア大陸全域を襲ったペストの猛威によってもたらされた──としますと、この世界は全て神の配剤によって最善の状態にあるとする「最善説(オプティミズム)」の微睡みを最終的に打ち砕いたのが1755年のリスボン大震災であったようです(吉岡洋)。危機の時代の学問の一つとして出発した美学は、生身の、病む身体、死にゆく身体との否応の無い対面のさなかに淵源があったのだと考えることもできるでしょう。
「芸術」が現在私たちの考えるカテゴリーとして成立したのも同じ頃の西洋であった、というのが西洋美学史や美学概説で語られる定番ですが、と言ってそのような近代的芸術概念、特にその自律性の確立とともに後景に退いた感のある、芸術の様々な機能(前近代的・非西洋的側面)も消えてしまったわけではありません。もともと魔術・呪術、宗教、医術、共同体の結束等と分かち難く結びついて芸術は営まれてきました。現代でも世界中の先住民文化の中で「美による癒し」が存続し、現代アートやダンスの一部にも同様の試みが見られ、「クリエイティヴ・アーツ・セラピー」や「ヒーリング・ミュージック」といった用語が示すように、心身を癒す力、医術との繋がりは実は美学の側からももっと注目されてよい芸術の「機能・功能」の一つなのです。

○芸術と浄め
 スタニスラフスキーの研究者レオニード・アニシモフは、あらゆる芸術には「人の意識を浄化すること(カタルシス)」、「意識に大きな栄養を[感情というエネルギーによって]与えること」という二つの機能があると述べています。この世で時間を過ごすにつれて意識は栄養不良となって飢えているか、悪い感情を糧としてしまっており、それが病気や死をもたらすことさえある、というのです。アニシモフは鎌田東二主催の国際シンポジウム「世阿弥とスタニスラフスキー」(2016,12/18上智大学)にも登壇しています。「そもそも芸能とは、諸人の心を和らげて、上下の感を為さむこと、寿福増長の基、遐齢延年の法なるべし」という『風姿花伝』の言葉が示唆するように、日本の芸能には古来生命(いのち)を強化する働きが認められてきました。その起源神話と言ってよいアマノウズメの神憑りダンスと八百万の神々による「魂振り」と同じく、個人にとっても共同体にとっても、衰えた生命/太陽を蘇らせ、陰から陽へ、闇から光へと転換する作用が期待されていたのです(生贄の少女を太陽神に捧げ、冬から春への蘇りを祈る《春の祭典》にも通ずると同時に、幼い子どもたちがおゆうぎしているのを見て、「寿命が延びる〜」と思うのもこれかな、と)。個体&共同体の「生命を強化する」──これはそのまま、栄養が不足し偏ってしまっている生命体を浄め、養う、芸術による「浄め」のプロトタイプに通じるものではないでしょうか。

○カタルシスとムーシケー
 「カタルシス」は、アリストテレスが「憐れみや恐れ」といったふだん忌避される感情(「悪い感情」)を惹起しつつ取り除く、同種療法的な悲劇の浄化作用に言及して以来、音楽、ダンス、詩、文芸等々の「ミューズ的芸術」の重要な特性とみなされてきました。(音楽に関しては特に、それが癒しの機能を持つという考えがずっと古くから遍く信奉されていたことは言うまでもありません。ピュタゴラス学派は、肉体は魂の墓場であり、天界への帰還には魂の浄めが必要という立場から「肉体を浄めるための医術、魂を浄めるための音楽」を標榜していました。)古代ギリシャではもともと劇場の文脈の外でも「浄め」の文化が広く浸透しており、単に心理学的な感情の浄化作用というよりは、汚れ、呪い、罪などの観念が融合した「不浄」の感覚、「物理現象的性質」として伝染し、感染し、時に遺伝しさえするものと恐れられていたそれの魔術的な浄化(秘儀・祭儀)が流布していたのでした。ドッズはそのような状況を「不浄(miasma)への普遍的な恐怖と、その相関物である典礼による浄め(catharsis)への普遍的な欲望」と言い表し、アルカイック時代に「最大の宗教的制度であったデルフォイの神託の主要関心事」もこのような浄めだったと述べています。
 カタルシスはしたがっておよそ芸術の専有物ではない(そもそも当時今のような「芸術」概念は成立していない)のですが、ムーサ(ミューズ)たちが司る「ムーシケー」(=musicの語源)もまた「その概念が示す範囲は、音楽、芸術、文学にとどまるものではなく、哲学までをも含む非常に広範なもの」「知的生活の高度な形すべて」に及び、「ギュムナスティケー」(体育)と並んで伝統的なギリシャの教育の二分野をなしていました。「哲学」はここでは問答法、つまり、対話の相手を得てロゴスを尽くして共に知を愛し求めるソクラテス=プラトン的なフィロソフィアの意味で理解する必要があります。哲学としてのムーシケーこそが「最高のムーシケー」であり、自分の魂を気遣うこと、魂が「肉体の本性に染まらず清浄であるように努めること」こそ、知恵によって真の徳に至るための「浄め」の修練(「死の練習」)なのでした。詩と哲学の覇権争い──哲学者と詩人(及びソフィストや弁論家)が、プラトンの中で「言論による魂の誘導」をめぐる積年のライバル関係にあったことが思い出されるかもしれません。ホメロス以来ギリシャで指導的な地位にあった詩人達(悲劇作家も含みます)に対しては、真に「ムーサの徒」の名にふさわしいのは哲学者の方だーと繰り返し主張されます。プラトンはまた、オルフェウス教徒の堕落した形態のことを金目当てで個人や国家を籠絡する「乞食坊主や予言者」と呼び、その浄めの祭儀に対しても極めて批判的でした。真の浄めは魔術的な儀式によってではなく哲学への献身によってのみ可能、哲学こそが「最高のムーシケー」であり真の「カタルシス」をもたらす営みなのです。

…節制も正義も勇気も[=真の徳である限り]、[快楽、苦痛、恐怖といった]これら
すべての情念からのある種の浄化(カタルシス)なのであり、知恵そのものはこの
浄化を遂行するある種の秘儀ではなかろうか。そして、われわれに浄めの儀式を定
めてくれたかの人々も、恐らくは、つまらぬ人々ではないようだ。じっさい、かれ
らは大昔からの謎めいた言い方でこう言っているらしい。秘儀も受けず浄められも
せずにハデスの国に到る者は、泥の中に横たわるだろう。これに対して、すっかり
浄められ秘儀を成就してからかの地に到る者は神々と共にすむだろう。     
(中略)僕が正しく努力して何事かを成就したのかどいうかは、かの地に着けば明
らかなことを知るだろう、神がお望みならば、思うに、それはもうすぐのことだ。
(『パイドン』69BD)

○『パイドン』の二つの謎
 ところが、ソクラテスの最後の一日を活写した対話篇『パイドン』では、この通常のムーシケーと哲学としてのムーシケーとの関係に不思議な揺らぎのようなものが窺えます。紀元前399年の春、ソクラテスは「国家公認の神々を拝まず、青年を腐敗させる」という罪状で告発されました。裁判の前日、アポロンの祭のためにデロス島へ派遣する使節を乗せた船の船尾に花飾りがつけられたため、その船が戻るまでの間は「国を清浄にたもち、何びとをも国法の名のもとに処刑してはならない」とう掟に則り、ソクラテスは裁判と死の間長い時間を牢獄で過ごすことになります。その間彼は以前には決して行わなかったこと=詩作を行なったのですが、理由を尋ねられて、生涯で幾度も訪れた同じ夢の意味を確かめようとしたからだと答えます。「ソクラテス、ムーシケーを為し、それを業とせよ」。彼はいつもはこのムーシケーを現に自分がしてきたこと(哲学)の意味と取っていました。

しかし、いまや裁判も終わり、神の祭が僕の死を妨げている間に、僕はこう思った
のだ。もしかしてあの夢は通俗的な意味でのムーシケーをなすようにと僕に命じて
いるのかもしれない。それなら、その夢に逆らうことなく、僕はそれをしなければ
ならない、と。なぜなら、夢に従って詩を作り聖なる義務を果たしてからこの世を
立ち去る方が、より安全である
からだ。                   
(『パイドン』61AB、傍線は筆者)

 肉体の桎梏から解放される死はソクラテスが(哲学という死の練習によって)終生目指してきたゴールという一方、人間は神の所有物なので神によって許されて初めてその日を迎えることができるという信念が続く箇所で語られます。死穢を禁ずるアポロンの祭りによって偶然与えられた刑死までの時間に、夢の勧めに従って詩作(アポロンへの讃歌を作り、アイソポスの物語を詩に直す)を行ない、「より安全に」、より浄められた状態で、死に赴くことを選択したわけですが、なぜカタルシスの完了に「哲学としてのムーシケー」では足りず、「通俗的な意味でのムーシケー」が必要とされたのかは謎のまま残ります。

1.png
ジャック=ルイ・ダヴィッド《ソクラテスの死(La Mort de Socrate)》(1787)、
ニューヨーク、メトロポリタン美術館蔵


 実は『パイドン』にはもう一つ「哲学史上の謎」とされる記述があります。「クリトン、アスピオクレスに雄鶏一羽の借りがある。忘れずに、きっと返してくれるように」(118A)。毒人参を潰した毒薬を従容と呑み干し、刑吏に言われた通り足が重たくなるまで歩き回り、横たわって下半身から下腹部へと麻痺が広がって、それが心臓まで及ぶ直前に、わざわざ自ら顔の覆いを取ってまで告げた、これが最後の言葉なのでした。アスクレピオスは医療の神なので、この世の生という病からの解放=癒しとしての死を迎えて感謝を表したものというような解釈が概ね優勢ですが、それ以外にも、東方ゾロアスター教で雄鶏に付与されていたシンボリズムに応じて「死後の旅路の導き手」としてその奉献を願った、とか、「光、太陽、神の顕現」それ自体を表している、とか、さらにはクリトンによる脱獄提案が含意する魂の堕落を招く事態を共に克服した証しであるとか、種々の解釈が試みられてきました。それにしてもなぜ、ソクラテスが自らその奴隷と称し、直前に讃歌まで書いた太陽神アポロンではなく(アポロンも職掌の一つに医療を司っています)、あえて(どちらかと言えばマイナーな成り上がりの)アスピオクレスなのでしょうか。

○アスピオクレス、非常時の宗教
 アスピオクレス信仰は、前5世紀末以降前4世紀の半ばまでにギリシャ語圏の多くの場所に伝播しました。ホメロス時代には人間の医師にすぎなかったアスピオクレスが比較的短い間に神格化され、主神アポロンの息子として崇敬されるようになった背景には、感染症の蔓延(とそれに伴う「呪術的治療の需要」の増大)が大きく関与していたようです。馬場恵二によれば、アテナイ軍対ペロポンネソス同盟軍による戦い(前431-422)の開戦当初からアテナイはペストとも推定されている悪疫に襲われます。田園住民を都市の城壁内に疎開させる戦術を取ったために人口過密となった中心市の惨状は、民衆の信仰心や法律の拘束力にも大きなダメージを与えました。感染の第二波の最中、前426年には、デルフォイのアポロンの神託によってデロス島の「浄め」が盛大に行われました。島内全域の墓から遺骨が掘り起こされ、「穢れたもの」として近隣の島へ移され、今後は「何ぴともこの島では生まれてもならず、死んでもならない」と定められたのです。ソクラテスも若い頃三度従軍したこのペロポンネソス戦争の中断を待って、前420年頃、同盟軍の領域(当時の適地)に属するエウダウロスの聖地からアテナイ市内にアスピオクレスが勧請され、やがてギリシャ各地にその祭祀が広がります。疫病という不浄に対応する浄めの祭儀の要請が、「アスピオクレスを二流の英雄から主要な神へと一変させ、エピダウロスの神殿を今日のルルドのように有名な巡礼地にした」(ドッズ)と推測されます。ドッズによれば前293年にアスピオクレスがローマに入ったのも同様の事情であったようで、感染症による危機の時代に勃興した「非常時の宗教」という見方が提出されます。
 したがってソクラテスの生涯の後半には、アスピオクレスは確かに病を癒す医神としてアテナイでも盛大に信仰されており、雄鶏の奉納も広く行われていたようです。ここで注意したいのは、そのアスピオクレス信仰の基本形が、「聖なる場所での睡眠(神殿での参籠)によって夢の中で神託を得ること」であったという点です。もちろんソクラテスは聖所で眠ったわけではなく、「[デロス島での]神の祭りが死を妨げている」間牢獄に留め置かれていただけですが、もしこの夢のお告げというポイントを先述したソクラテスの夢(「ムーシケーをなせ」)と関連させて考えることが許されるとすれば、夢による託宣の実行によって死出の準備が完了し、解放が許されたことを、今際の際に告げた、とする解釈も全く見当外れではない???かもしれません。少なくとも、「魂の不死について」という副題を持つこの対話篇の最初と最後に登場するエピソード(夢と試作、アスクレピオスへの奉献)を書き留めるべきこととプラトンは考えた、ということだけは言えるでしょう。

○芸術と医療:魂の浄め、肉体の浄め
 稲葉俊郎は古代の医療の一端を紹介する記述の中で、アスクレピオス信仰にも触れ、その統合医療的性格に注意を促しています。

アスクレピオス神殿でのインキュベーションは、「聖所」での眠りそのものだった。
そこには治療者はおらず、神殿で夢見ること自体が癒しとなった。        
アスクレピオス信仰の場であったエピダウロスには古代円形劇場が今でも残っており
(世界遺産に指定されている)、当時は演劇を体験することも医療行為の一部だった。
そこには劇場や眠りの聖所だけではなく、温泉場もあり、古代ギリシアでは自然、温
泉、スポーツ、演劇、音楽、芸術、夢(催眠)、神(アスクレピオス)など、あらゆ
る要素が身心の癒しにつながる医療的な行為として、一つの場で統合されていた。

 エピダウロスが観客1万数千人を収容できる巨大な古代劇場で知られているのは確かですが、劇場や競技場といったこれら「娯楽施設」は、平癒祈願者たちの日常的な使用のためというより、祭祀の普及のためにギリシャ全土から巡礼者たちを動員するのに貢献した「大祭」の際にだけ用いられたという説もあります。そこで開催された競技や上演がこの神に奉納されたものかどうかについても異論が提出されていますので、アスピオクレスと演劇等との関連を現段階で明言することはできません。それでも各地の聖所にはしばしば劇場施設が付随していること、アテナイ市内のアスピオクレス聖所はディオニュソス劇場に隣接していたということは考古学上の事実のようです。

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エピダウロスの考古遺跡:野外円形劇場(Wikimedia Commonsから)

 さらに、アテナイでの聖所落成に先立ってギリシャ三大悲劇詩人の一人に数えられるソフォクレスがこの神を自宅に招き入れ、賛歌を書き、祭壇まで築いたとも伝えられています。ソフォクレスの《オイディプス王》ではまさしく不浄(穢れ)とその浄めの物語が語られます。先王であり実の父であるライオスを殺害し、実の母イオカステと交わった──オイディプスがそれと知らずに被った穢れによって、テーバイ全土が(疫病が蔓延し、作物は育たない、子供が生まれないという)強い穢れの状態に陥ったとき、その原因と浄めの方法を教えたのもアポロンの神託でした。イオカステは自害し、オイディプスは自ら両眼を潰してテーバイを去っていきます。まさしく最高度の「憐れみや恐れ」を喚起する悲劇作品の代表です。

3.png
オイディプス(右)、スフィンクス(中央)、ヘルメス(左):アッティカ出土赤絵式壺絵(ca.440 BC)、
パリ、ルーブル美術館蔵(@Marie-Lan Nguyen/Wikimedia Commons)

 当時の演劇の上演が単なる「娯楽」や宗教施設の客寄せを超えて、あるいはせいぜい過剰な感情的負荷の軽減といった心理学的効果以上に、医療としての心身の癒しの一翼を担うものであったのかどうか──ここでも、覚束無い問いを放り出すことしかできないのですが、ソクラテスが(そして彼を師と仰いだプラトンが)ロゴスによる徹底した対話、問答法を極め、それを本然の「浄めの術」としながら、デルフォイの神託はもとより、ダイモニオンや夢のお告げを終生真剣に受け止めていたことはやはり忘れてはならないでしょう。それは理性主義からの一時的な逸脱/退歩、解釈の混乱を引き起こすノイズに過ぎないのでしょうか。プラトンその人も目の覚めるようなミュートス(物語)を細心の注意を払って対話篇の随所に織り込んでいなかったでしょうか。
 マレー半島の熱帯雨林に住む先住民の間では、夢の中で守護霊から授かるうたによって病を癒すと信じられています。詩や音楽、芸術の営みは、表層意識の及ばない領域から命を活性化するエネルギーを汲み上げる、そのための通路を持っています。稲葉が述べるように、生命システムにとっては「起きている時間(表層意識)と寝ている時間(深層意識)」の全体的なバランスの維持・更新が必須なのであり、「芸術も医療もともに人間の全体性を取り戻す営み」とすると、芸術と医療、「魂の浄め」と「肉体の浄め」は密接に関係し合っているのでしょう。眠りや夢、無意識の働き、深みからの働きかけを受けとめる芸術が生の全体性にとってどれだけ大事なものかを、この地球全体がミアスマに覆われているかのような人類史的「非常時」に、今一度思い出したいと考えています。

【参照文献】
佐々木健一『美学辞典』(東京大学出版会)、1995
テリー・イーグルトン『美のイデオロギー』(紀伊國屋書店)、1990
桑島秀樹『崇高の美学』(講談社メチエ)、2000
シンポジウム「美学vs.現代アート」(ヨコハマ創造都市センター)2011/4/23
アンドレ・ブルトン『魔術的芸術』(河出書房新社)、2002
伊藤博明『ルネサンスの神秘思想』(講談社学術文庫)、2012
河合隼雄『ナバホへの旅 たましいの風景』(朝日文庫)、2005
レオニード・アニシモフ「演劇における身心変容技法」科学研究年報誌『身心変容技法研究』第8号(上智大学グリーフケア研究所 身心変容技法研究会)、2019
『世阿弥能楽論集』(小西甚一編訳、たちばな出版)、2004
小穴晶子『なぜ人は美を求めるのか:生き方としての美学入門』(ナカニシヤ出版)、2008
『アリストテレース:詩学 ホラーティウス:詩論』(松本仁助・岡道男訳/岩波文庫)、1997
渡邊二郎『芸術の哲学』(ちくま学芸文庫)、1998
キティ・ファーガソン『ピュタゴラスの音楽』(柴田裕之訳/白水社)、2011
ドッズ『ギリシァ人と非理性』(岩田靖夫・水野一訳/みすず書房)、1972
工藤千晶「プラトンの教育課程論における「音楽」の位置に関する研究:3つの音楽概念を中心として」『音楽文化教育学研究紀要 XXVIII』、2016.3.22
『パイドン:魂の不死について』(岩田靖夫訳)、岩波文庫
馬場恵二『癒しの民間信仰:ギリシアの古代と現代』(東洋書林)、2006
カール・ケレーニイ『医神アスクレピオス:生と死をめぐる神話の旅』(岡田素之訳、白水社)、2012
土屋睦廣「ガレノスとアスピオクレス」『早稲田大学地中海研究所紀要 6巻』2008
稲葉俊郎「医学と催眠の歴史から見る心身変容」科学研究年報誌『身心変容技法研究』第8号(上智大学グリーフケア研究所 身心変容技法研究会)、2019
マリナ・ローズマン『癒しのうた:マレーシア熱帯雨林にひびく音と身体』(山田陽一・井本美穂共訳/昭和堂)、2000

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Posted by 公益財団法人 日本科学協会 at 11:00 | 科学隣接領域研究会 | この記事のURL | コメント(0)
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