先輩研究者のご紹介(飯塚 希世さん)
[2019年07月29日(Mon)]
こんにちは。科学振興チームの豊田です。
本日は、2018年度に「明治〜戦前期の点字図書の調査及び書誌的分析 筑波大学附属視覚特別支援学校資料室所蔵資料を手がかりに」という研究課題で笹川科学研究助成を受けられた、お茶の水女子大学図書・情報課(附属図書館)所属の、飯塚 希世さんから助成時の研究について、コメントを頂きました。
<飯塚さんより>
一般に「点字」というと、視覚に障害のある人が読む文字として理解されています。今日では「点字」は、小学校の授業で取り上げられ、日常の様々な場面で目にする機会が増えました。
日本における点字は、1890(明治23)年に東京盲唖学校(現筑波大学附属視覚特別支援学校)内でフランス点字を土台にして協議・制定されたものです。点字制定とほぼ同時に、点字を書く道具(点字盤)や点字を印刷する機械(点字製版機、点字印刷機)が開発され、点字による様々な図書が作られてきました。現在の点字図書は、大きさ、製本方法、版面、点字1文字ごとの大きさなど概ね定まっていますが、明治時代の点字図書はそれぞれに異なった形態をしているという印象がありました。また、今まで点字図書の歴史については、内容や表記法、製作者など、「テキスト」に関する研究や記録はありますが、形や大きさ、紙といった「もの」としての要素をふまえた研究はほぼありませんでした。
そこで今回研究助成をいただいて、明治期から戦前の点字図書のうち、文学に関する領域と視覚障害者にとって歴史的にも重要な職業である鍼灸あんまの教育に関する領域を対象に、「もの」の部分について項目をたて、1点ずつ記録していきました。具体的には、製作方法(手作業で書き写したものか印刷によるものかなど)や製本方法、製作時期、製作者(個人か印刷を行う団体かなど)、版面(1行あたりの文字数、1ページあたりの行数、ページ付の位置など)、装丁などです。項目作成にあたっては、日本や西洋の古典籍の書誌調査の方法に学び、検討しました。現在、文学と鍼灸あんまの教育に関する領域以外の図書へも対象を広げて、調査を継続しています。筑波大学附属視覚特別支援学校の資料室には、点字制定直後から日本で製作された点字図書が 1000 冊余保管されています(海外からの点字図書も1800年代に刊行されたものからあります)ので、まだまだ調査に時間がかかりそうです。
調査は日常点字を使用する方々に協力をいただきましたが、現代の点字とは1文字の大きさも表記の仕方も異なり、読むことにとまどうことも多々あったようでした。しかし、日本の点字制定のきっかけを作った人物、小西信八(1854-1938.東京女子師範学校附属幼稚園の園長を務めた後、東京盲唖学校の校長に着任、盲学校と聾唖学校が分かれた後は東京聾唖学校長)自らが点字を打った本や、点字制定後まもなく、1890年代の図書を実際に手に取っての感動もあったようです。
先行研究で点字印刷による「最初の本格的な出版物」といわれる点字図書(今田束著『実用解剖学』東京盲唖学校鍼按学友会.1902)についてその原本は知られていましたが、単なる点訳本(原本の文章通りに点字にしたもの)ではなく、当時の東京盲唖学校長・小西による序文と原本の出版者が点字本に寄せた跋文が載っていたことに、当時の点字図書刊行にかける意気込みを感じました。また、調査した点字図書は点訳本だけでなく、当事者が自ら執筆し、始めから点字で書かれたものもありました。こういった図書には、点字に対して「墨字」といわれる、目で見て読む文字では刊行されていないものがあります。
さて、ここでは、初期の点字図書の紙面をご紹介します(見にくいかもしれません)。
いずれも、26cm前後の大きさ(B5サイズ)の図書ですが、点字1文字ごとの大きさが違うこと、ページ付の位置が異なる(現在の点字本では奇数ページの右上にある)ことが見えると思います。また、図3,4のページ上部にあるコロン(:)のような穴(紙を押さえた際にできる)が点字盤を使用したものの特徴です。盲学校に在籍した生徒や卒業生が1点ずつ点字を打って作った、いわゆる1点ものが多くありました。どの点字盤をつかったのか、なども、今後調べたいと思っています。
製本方法はいずれも同じですが、なぜこの方法が用いられるようになったかについては検討していきたい課題です。1900年より前の西洋の点字本や日本における一般の図書の製本方法に、今のところ類似の方法は見つかっていません。
最後に、点字は文字です。文字は読むことと同時に、書くこと、記録し伝えることにも重要な役割があります。視覚に障害がある人が読む文字として理解されている点字ですが、当事者自ら書くことができる文字を得たことは大きな喜びであり、点字の制定直後から当事者が積極的に本を作っていったことに表れていると思います。
(なお、掲載写真の資料はすべて、筑波大学附属視覚特別支援学校資料室のものです)
今では、エレベータのボタンや電車のドアなど、様々なところで点字を見かけますが、普及するまでには様々な苦労があったかと思います。また、点字が制定されたことで、視覚に障害がある人が読むだけでなく、文字を書くということが出来るようになったという側面があることは始めて知り、驚きました。バリアフリーな社会が作れるよう今後も研究を続け、頑張っていただきたいと思います。
日本科学協会では過去助成者の方より、近況や研究成果についてのご報告をお待ちしております。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
本日は、2018年度に「明治〜戦前期の点字図書の調査及び書誌的分析 筑波大学附属視覚特別支援学校資料室所蔵資料を手がかりに」という研究課題で笹川科学研究助成を受けられた、お茶の水女子大学図書・情報課(附属図書館)所属の、飯塚 希世さんから助成時の研究について、コメントを頂きました。
<飯塚さんより>
一般に「点字」というと、視覚に障害のある人が読む文字として理解されています。今日では「点字」は、小学校の授業で取り上げられ、日常の様々な場面で目にする機会が増えました。
日本における点字は、1890(明治23)年に東京盲唖学校(現筑波大学附属視覚特別支援学校)内でフランス点字を土台にして協議・制定されたものです。点字制定とほぼ同時に、点字を書く道具(点字盤)や点字を印刷する機械(点字製版機、点字印刷機)が開発され、点字による様々な図書が作られてきました。現在の点字図書は、大きさ、製本方法、版面、点字1文字ごとの大きさなど概ね定まっていますが、明治時代の点字図書はそれぞれに異なった形態をしているという印象がありました。また、今まで点字図書の歴史については、内容や表記法、製作者など、「テキスト」に関する研究や記録はありますが、形や大きさ、紙といった「もの」としての要素をふまえた研究はほぼありませんでした。
そこで今回研究助成をいただいて、明治期から戦前の点字図書のうち、文学に関する領域と視覚障害者にとって歴史的にも重要な職業である鍼灸あんまの教育に関する領域を対象に、「もの」の部分について項目をたて、1点ずつ記録していきました。具体的には、製作方法(手作業で書き写したものか印刷によるものかなど)や製本方法、製作時期、製作者(個人か印刷を行う団体かなど)、版面(1行あたりの文字数、1ページあたりの行数、ページ付の位置など)、装丁などです。項目作成にあたっては、日本や西洋の古典籍の書誌調査の方法に学び、検討しました。現在、文学と鍼灸あんまの教育に関する領域以外の図書へも対象を広げて、調査を継続しています。筑波大学附属視覚特別支援学校の資料室には、点字制定直後から日本で製作された点字図書が 1000 冊余保管されています(海外からの点字図書も1800年代に刊行されたものからあります)ので、まだまだ調査に時間がかかりそうです。
調査は日常点字を使用する方々に協力をいただきましたが、現代の点字とは1文字の大きさも表記の仕方も異なり、読むことにとまどうことも多々あったようでした。しかし、日本の点字制定のきっかけを作った人物、小西信八(1854-1938.東京女子師範学校附属幼稚園の園長を務めた後、東京盲唖学校の校長に着任、盲学校と聾唖学校が分かれた後は東京聾唖学校長)自らが点字を打った本や、点字制定後まもなく、1890年代の図書を実際に手に取っての感動もあったようです。
先行研究で点字印刷による「最初の本格的な出版物」といわれる点字図書(今田束著『実用解剖学』東京盲唖学校鍼按学友会.1902)についてその原本は知られていましたが、単なる点訳本(原本の文章通りに点字にしたもの)ではなく、当時の東京盲唖学校長・小西による序文と原本の出版者が点字本に寄せた跋文が載っていたことに、当時の点字図書刊行にかける意気込みを感じました。また、調査した点字図書は点訳本だけでなく、当事者が自ら執筆し、始めから点字で書かれたものもありました。こういった図書には、点字に対して「墨字」といわれる、目で見て読む文字では刊行されていないものがあります。
さて、ここでは、初期の点字図書の紙面をご紹介します(見にくいかもしれません)。
いずれも、26cm前後の大きさ(B5サイズ)の図書ですが、点字1文字ごとの大きさが違うこと、ページ付の位置が異なる(現在の点字本では奇数ページの右上にある)ことが見えると思います。また、図3,4のページ上部にあるコロン(:)のような穴(紙を押さえた際にできる)が点字盤を使用したものの特徴です。盲学校に在籍した生徒や卒業生が1点ずつ点字を打って作った、いわゆる1点ものが多くありました。どの点字盤をつかったのか、なども、今後調べたいと思っています。
製本方法はいずれも同じですが、なぜこの方法が用いられるようになったかについては検討していきたい課題です。1900年より前の西洋の点字本や日本における一般の図書の製本方法に、今のところ類似の方法は見つかっていません。
最後に、点字は文字です。文字は読むことと同時に、書くこと、記録し伝えることにも重要な役割があります。視覚に障害がある人が読む文字として理解されている点字ですが、当事者自ら書くことができる文字を得たことは大きな喜びであり、点字の制定直後から当事者が積極的に本を作っていったことに表れていると思います。
(なお、掲載写真の資料はすべて、筑波大学附属視覚特別支援学校資料室のものです)
<以上>
今では、エレベータのボタンや電車のドアなど、様々なところで点字を見かけますが、普及するまでには様々な苦労があったかと思います。また、点字が制定されたことで、視覚に障害がある人が読むだけでなく、文字を書くということが出来るようになったという側面があることは始めて知り、驚きました。バリアフリーな社会が作れるよう今後も研究を続け、頑張っていただきたいと思います。
日本科学協会では過去助成者の方より、近況や研究成果についてのご報告をお待ちしております。最後までお読みいただき、ありがとうございました。