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中国の若者が綴る“感知日本 ”―「中国語の作文コンクール」第6回入賞作品他―A [2009年12月09日(Wed)]
遅れてきた感謝


四川省 王暁

 2008年5月12日14時28分、四川省汶川地区で世界を驚愕させる大地震が発生した。私の住む綿陽市の北川羌族自治県は最も被害が深刻な地区だった。私は被災地の警官の一人として、大震災の翌日に北川県へ救援に行くことを自ら申し出た。見渡す限り被害の跡と化した北川県の被災地区には、すぐさま全国の部隊、公安、医療チーム、ボランティアが駆け付けただけでなく、ロシア、米国などからの救援隊員やボランティア達も瓦礫の中で活躍した。

 その時とても意外に感じたのは、日本からの専門救援チームも被災地の救援現場に現れたことである。しかも、このチームが、5.12大地震発生後に国外からやって来た最初の専門チームだったのである。彼らは苦労を厭わず、危険を恐れることもなかった。動きには熟練の程が窺われ、専門的なきめ細かさを備えていた。報道で知ったのだが、日本の救援隊員は廃墟の中から一人の被災者を掘り出した後、遺体を丁寧に整えて包み込み、隊員全体がその傍らで頭を下げて黙祷していたという。この情景は、私の心を感慨と感動で満たした。日本の救援隊員達の心からの哀悼により、隣国からの暖かさを感じ取った被災地住民も少なくない。私にとっても、身近に日本人の友情を感じたのはこれが初めてだった。

 その後、私は何度か北川県の被災地へ赴いた。被災地の仮設テント村では、国内の民間による大量の救援テントが張られていただけでなく、被災者が“万国テント村”と呼ぶところには、多くの国や国連などの国際組織が援助のため各種テントを張っていた。“万国テント村”に“JAPAN”と記されたテントを見つけた時、私はひと味違う感慨を覚えた。隣国である日本の願いをより深く理解することができた気がしたのだ。

 前世紀、あの戦争が中日の間に暗い影を落としたこと、それが今なお国民の胸のうちに浮かぶことは隠すまでもない。祖父はあの戦争で侵略軍に抵抗し、その血を流した。日本軍による砲弾の破片は、死ぬまでその体に残っていた。長いこと軍隊に勤めていた父は、祖父の影響を強く受けていた。特に、一部の日本人があの侵略戦争に対して全く反省の意を示さないことをいつも気に掛けており、わだかまりを抱いていた。

 私自身は、1980年代に生まれた若者である。私の記憶には、孫悟空、猪八戒だけでなく、ドナルドダック、ミッキーマウス、日本のアトム、竜の子太郎もいる。年を経るにつれ、より多くのルートから日本に関する情報を理解できるようになった。実際、中国と日本には何千年もの付き合いがある。果てしない歴史の流れの中の大半の時代において、中日関係は友好的なものであった。戦争というモンスターは中日の間に氷山を築き上げ、両国民に傷を与えた。だが、あれは歴史の挿入歌に過ぎない。私達は勇気をもって歴史と向かい合い、歴史を尊重するだけでいい。中日両国民の魂の間にある氷山は、時間が完全に融かしてくれる。日本の震災救援隊員が相手の危機に際して差し伸べた暖かな救いの手は、ゆっくりと傷口を撫でてくれる。
 新しい世代の中国の青年として、私達は中国と日本の過ぎ去った歴史を正しく認識するだけでなく、中国と日本とが友好的に付き合える素晴らしい未来を創造することに着目する必要がある。私が被災地で見かけた日本の救援隊員は、誰もが若いようであった。きっと彼らも、私と同様、歴史が沈降させた重い心理的な負担などないのだろう。彼らが人を危機から救った時の挙動は、人類共通の良心と本性から出たものに違いない。

 去年、「笹川杯作文コンクール−感知日本」が初めて開催された時、震災復旧の責任の重さから、私は応募することができなかった。ブン川の大地震から一年余りが経った今、今年のコンクールという機会を借りて、日本の地震救援隊員へ感謝の意を表したいと強く思ったのである。中華民族は恩義の分かる民族だと思う。被災地住民は、中国全土の皆さんが危機に際して助けてくれたことだけでなく、世界各国からの協力やサポートも、もちろん日本からの誠実な救援も、忘れることはできないだろう。一年余りが経ち、ここ四川省の被災地は最も困難な時期を乗り切った。日本の地震救援隊員を含め、四川地震の救助や復興に参加してくれた各国の皆さんが、再び四川省を訪れ、被災地の新たな表情を自らの目で確認していただきたいと望んでいる。
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