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中国の大学生から届いた訪日感想文(その7) [2008年03月07日(Fri)]
中国の大学生から届いた訪日感想文(その7)


 今回は、4人の学生から届いた感想文を紹介します。
日本滞在中には、流暢な日本語、豊富な日本知識、真摯さ、バイタリティ、逞しさ、思いやり、無邪気、愛嬌…と、いろいろ顔で沢山の感動と驚きを与えてくれた訪日団員たちでしたが、今度は中国から新たな感動を贈ってくれました。
 日本語の感想文は原文を尊重して手を加えず、中国語の感想文は原文に忠実に翻訳して掲載しました



琉球舞踊の踊り手たちと(葛さん、周さん)



貴重な1日を共にした日本の大学生と(張さん)



貴重な1日を共にした日本の大学生と(金さん)




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浙江工商大学 日本語学部 4年 葛ヨウ


日本への旅

                             
  ※原文は、中国語です。


 日本での懐かしい旅の出来事を再び思い出そうと、感じたことを書き出してみることにしました。時の流れとは無情なもので、つい先日の心打たれた思い出が色褪せてしまっているのではないかと正直心配していました。しかし、いざ筆を取ってみると、日本で体験した事柄が昨日のことのように、より強く一層鮮やかに私の目の前に蘇ってきました。

 今回の旅は自分にとって二度目の訪日になります。一回目は大学2年の時で、その時は一年間の日本留学をしました。しかし、「日本への旅」という意味においては、今回が初めての訪日だと言えると思います。東京、沖縄、神戸、京都、大阪と、私たちは日本中を旅することで、地理的にも人文的にも、また、歴史から文化に至るまで様々な形で交流を図り、人々の心に直に触れることができました。

 空港に降り立つと、知らない土地なのにどこか見たことがあるような懐かしい風景がありました。高層ビルが建ち並び、車が流れるようにせわしなく行きかい、道行く人も自分達と同じような黄色い皮膚と黒い瞳でした。日本もインフラ面では自分の国とさほど差がないと思い、正直ここ数年母国の急速な発展を心から誇らしく思っていました。しかし、すぐに気づいたのは、形のない「ソフト」の面で、まだまだその部分には大きな開きがあると実感したことでした。街にはごみのかけらもなく、信号を無視する通行人も見当たらない。クラクションを鳴らす騒音も無く、大声で騒ぐ人もいません。特に印象深かったのは、地下鉄のエスカレーターで右側を通行人にあけるように、みんな自然に左側に並ぶシーンでした。思えば中国の階段は、前の人達が横並びでふさいでしまうことが多く、急いでいるときなどは追い越そうにも追い越せなく非常に大変です。約65億人もの人間が住んでいるといわれている地球で、誰かとふれあうこと自体が一つの縁だとしたら、どんな時でも他人に思いやりを持つべきでしょう。日本では「遠慮」という言葉がありますが、その意味をより深く理解できた気がしました。

 今回の旅で幸運にも、日本人でもあまり行ったことがない沖縄を訪れることができました。平和祈念館を見学した時、平和の大切さを切々と感じました。そして中日の友好関係をより強く、より継続的に発展させなければならないという信念と情熱がますます高まりました。祈念館でおばあさんの戦争の悲惨な体験を聞きながらふと思ったのは、どんな国でも苦難の歴史があるということ。お互いの理解を深めるにはまずお互いのことを知らなければならないと感じたことでした。あの時のおばあちゃんの面影から、なぜか小さいころ祖母から聞かされた波乱と苦難に満ちた過去の日々が思い浮かびました…

 本場の沖縄料理でもてなしを受けた時、幸運なことに沖縄独特の伝統芸能「琉球舞踊」を鑑賞することができました!美味しいものをいただきながら美しい舞踊を眺める、まさに一石二鳥!極上のひと時でした!

 沖縄に続き神戸、京都、大阪にも訪れ、それぞれの地方の地理、歴史、文化に直に触れることができました…

 別れが近づいた時は本当に後髪が引かれる思いでした。別れたくないのは、8日間も一緒に過ごした先生と仲間だけではなく、日本財団/日本科学協会の先生や、記者の方々、1日という短い時間でしたが、一緒に熱く語り合った日本の友人達でした。同じ国同士の連帯感も、日本で堅く結ばれた友情もどちらも大切なものだと感じ、別れを目の前に涙が止め処もなく溢れて来ました。




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中国海洋大学 日本語研究科 2年 張潔


実現した夢を味わう

                          
 ※原文は、日本語です

 今回の遊学は、八日間の間でこんなに多くの「初めて」を作り出した。初めて日本の国土に足を踏み出した。初めて自分の肌で日本を感じた。初めて日本のおいしい空気を満喫した。初めてそんなに多くの日本人と接触して日本人に対しての実感ができた。私はうれしいか、ショックか、感激か、感嘆か、一言で言い切れない。一生忘れがたいことがいっぱいあるが、一番印象に残ったのはやはり東京の上野公園でボランティアに出会ったことと沖縄で迷子になったことです。

 日本人の大学生のお供で魯迅先生が『藤野先生』の中で言及した上野公園に行った。公園の入り口で黄色い作業服を着た何人かと出会った。私は西郷隆盛の銅像の下で記念写真を撮っているあいだ、日本人の学生はその中の一人を連れて私たちのほうへ来た。その方はガイドとして私たちを案内してくれた。そのガイドはボランティアだと気づいたとき、私たちは驚いた。彼のことについて興味を持つようになっていろいろ聞きました。彼は今年72歳で、定年した。歴史に対して興味があるし、何か有意義なことをしたいから、ボランティア協会に入った。協会からお金をもらわないどころか、毎年協会に年費のようなお金を提出するのだ。これは中国のボランティアとはだいぶ違う。中国のボランティアは大体若者だし、交通費ぐらいの経費でも自分で負担する場合は少ない。なぜそんなに違いがあるかと考えたり、一緒に検討もしたが、観念の問題かというより、むしろ現在の中国の経済力で決めたことではないかと考える。中国人の主体は農民で、彼らは60歳になっても、65歳になっても定年がなく、力があれば働くのだ。そんな人たちは勤勉であっても、興味があっても、ボランティアする余裕がない。都市で住んでいる人たちは定年して、孫の面倒を見たり、自分の仕事を続ける人が多い。もちろん、怠け者もけっこういるかもしれない。要するに、中国ではまだ「ボランティア」という観念がまだ薄い。

 今年オリンピックが北京で、ヨットの試合が青島で行われる事になった。地元の多くの人がボランティア活動に参加した。これをきっかけとして、これからの「ボランティア」意識が少しでも強くなるかなあと思う。中国に戻って上野公園で出会ったボランティアのメールをいただきまして、とてもうれしかった。彼の情熱は私を盛り上げた。年寄りになったら、彼のように何かしたい。

 今回の遊学でいろいろなところへ行って、どこもそのところが持つ独特な風景があるし、どこも美しい、東京のきれいな日本語、神戸の有馬温泉、京都の古い寺、大阪のにぎやかな町、みんな大好き。しかし、一番大好きなのはやはり沖縄だ。沖縄の熱帯風景が魅力的で、みんな日本語をしゃべり、日本人であるのに、どこか雰囲気が違うように思う。沖縄の海、沖縄の獅子、沖縄の首里城…とりわけ沖縄の夜はわすれがたい。

 というのはその夜、私ともう一人の女の子は国際通りでぶらぶらしてつい時間を忘れた。気付いた時はもう11時ぐらいだった。地図を見ながら帰り道を探した。時々バイクがそばから飛び去ったし、道の両側の電灯も少ない。すこし心細いが、友達は「ここは日本だから、大丈夫」と言って、私も元気になった。幸い、ホテルの辺りに行ったが、ホテルはなかなか見つからなかった。そのとき「無料案内所」を見た。聞いたら無料で親切に教えてくれて、やっと助かった。このことは私がいつまでも異国で経験した忘れがたいものとして大切にする。

 日本から帰ってもうする一ヶ月になるが、顧先生、宮内さん、浅山さんの笑顔は昨日見たばかりの感じがする。空港で顧先生と会ったときも、家に着いた感じがした。みんな家族の人のようで、親切してくれて、本当にうれしくてたまらないほどだった。昨日、『蛍の光』というドラマを見たら、「表参道」が目についた。そのドラマが自分のそばで起こったもののように感じた。日本に行って本当によかった。



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