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新人研修終了! [2007年08月31日(Fri)]
二ヶ月間にわたる新人研修・・・
本日のプレゼンテーションをもって終了いたしました!
プレゼン内容:「日本のソフトパワー」

この2ヶ月を通して、大きく世界が広がった気がします。

重症児の方のオムツ替えから始まり、NPOコミュニティサイト、熱かった夏の湘南・海のマラソン、感動の逆転勝利競艇初体験、森の男「木こり」体験・・・

ほんとにいろんなことを学びました。

海は広い。
そして、世界は大きい。

これが、この期間の結論でしょうか。

この間、研修を準備して下さった方々、指導してくださった方々に心から感謝しています。
9月3日より、いよいよ配属先でのスタートです!

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 17:09 | 日本財団の仕事 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
曽野綾子『日本財団9年半の日々』 [2007年08月29日(Wed)]
非営利事業、ボランティア活動、日本財団を知るための課題図書 感想A

『日本財団9年半の日々』曽野綾子(徳間書店)

 曽野綾子さんが日本財団会長に就任したのは、財団が「組織・業務改善調査会」を設けて新体制をスタートさせた翌年の95年。会長が変わったのも創立以来初めてであり、愛称もこの時期に変わり、名実ともに組織が大きく変わっていった時期に重なる。その変革の時期に貫いてきた組織運営の哲学や姿勢を、著書を通して感じることができた。

 特に一貫していると感じられたのが「神との契約」という考え方。つまり、約束したことをしっかり守り、やり通すという姿勢。会長就任時の挨拶で、仕える者としての謙虚さお金と物に対する厳正な気持ち相手を愛し続ける必要性の三点が述べられていたが、そういった姿勢が財団運営や事業の取り組みに現れていたのだと感じた。
たとえば、イベント一つにおける一人当たりの経費を考え、コスト意識を持つようにさせたこと。助成先の調査・監査を厳しくしたこと。また、在任期間に情報公開を積極的に進めたのも、契約の概念、あるいはお金に対する厳正な気持ちの現れであったのだと思う。
曽野前会長が職員に繰り返し語られていた「私たちの働く意味とその現実を、細部まで透明なものにしてください」という言葉は、今も会長・職員ブログなど財団の情報公開の精神に通じている。

 また、前例、慣習、業界常識を破る姿勢についても大いに学んでいきたい内容だ。そもそも、作家でありながら日本財団という巨大財団、しかも公営競技に関わる団体の長にいきなり就任すること自体が前例になかったことだと思う。もちろん、在任期間を通して、積極的に、素直に学ぶ姿勢を持たれていたようだが、外部の人間だったことを逆にいかして、業界とは別の角度からの発想で改革を行っていったように思える。
愛称やロゴの作成、記者会見の財団ビルでの実施、日本財団図書館の開設を始めとした情報公開事業などは、これまで内にいたら発想、実現できなかったのかもしれない。北朝鮮工作船展示の際に、工作員の死を哀悼し、花と献辞を添えたことも曽野さんらしい試みだったと思う。私自身、ゼロベースの発想と、外からの視線を常に意識し取り入れることを続けていけるようにしたい。

 最後に、財団職員に対する愛情が文章の中からにじみ出ていたことに、現職員として、時を越えて温かいものを感じたと同時に、組織のトップを務める要件を垣間見た。

「交差点の向こう側(霞が関)は、できない理由を素早く言える秀才のいるところ。交差点のこちら側は、どうしたらできるかという方法を考えてあげる鈍才のいるところにしてください。」

「あれだけ悪評に晒されていた時代に、それをものともせずに敢然と入ってきた骨の太い職員たちがいます。・・・世間の評判に流されなかったというのがうれしい。」

「財団には、ほんとうにひたむきで型にはまらない有能な青年たちがたくさんいて、世間の人たちも褒めてくださいます。」

「日本財団なんか潰れたってどうでもいいけど、あの若い人たちの集団が、生き生き伸び伸びと、しかも厳しく働ける場は続いたほうがいいですね。」


これらの言葉にふさわしいだけの財団職員として、仕事への誇りと厳しさ、仕える立場としての謙虚さ、愛情をもって励んでいきたい。


前回:『世界のハンセン病がなくなる日』笹川陽平(明石書店)
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 16:09 | 読書 | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(1)
日本財団評議員会・理事会 [2007年08月29日(Wed)]
今日は評議員会が開かれます。事前準備を手伝わせてもらいました。
明日は理事会があり、当日の運営補助(といってもたいしたことではありませんが)も行います。

今回はお手伝い程度ですが、こういった場での裏方の努力を垣間見ることができ、勉強になります。

日本財団評議員会

石黒 克巳 元・毎日新聞社 代表取締役専務
近藤 恭子 千葉商科大学 政策情報学部教授
下村 のぶ子 (株)海竜社 代表取締役社長
鈴木 富夫 出版倫理協議会 議長
高木 剛 日本労働組合総連合会会長
千野 境子 産経新聞論説委員長
土井 勝二 日本空港ビルデング(株) 代表取締役副社長
中平 幸典 信金中央金庫 理事長
野中 和夫 (社)日本モーターボート選手会 会長
松井 義雄 読売新聞東京本社 代表取締役会長
松本 健一 麗澤大学 国際経済学部大学院国際経済研究科教授
三好 正也 (株)ミヨシ・ネットワークス代表取締役会長 (元・経団連事務総長)
屋山 太郎 政治評論家
米長 邦雄 (社)日本将棋連盟 会長・永世棋聖


日本財団理事会

会長    笹川 陽平 (社)全国モーターボート競走会連合会 名誉会長
理事長   尾形 武寿 元・日本財団 総務部長
常務理事 大野 修一 元・日本財団 国際部長
常務理事 田南 立也 元・日本財団 国際協力グループ長
常務理事 長光 正純 元・海上保安庁次長
常務理事 前田 晃 元・日本財団 経営企画グループ長
常務理事 三浦 一郎 元・日本財団 公益・ボランティア支援グループ長
理事    牛尾 治朗 ウシオ電機(株) 代表取締役会長
理事    蔭山 幸夫 (社)全国モーターボート競走会連合会 会長
理事    田久保 忠衛 杏林大学 客員教授
理事    竹内 俊夫 全国モーターボート競走施行者協議会 会長、青梅市長
理事    間野 忠 (財)日本海事協会 名誉会長
理事    渡部 昇一 上智大学 名誉教授
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 10:29 | 日本財団の仕事 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
『世界のハンセン病がなくなる日』笹川陽平 [2007年08月28日(Tue)]
研修の一環として課題図書が出ているのですが、その感想をほぼそのまま掲載します。

『世界のハンセン病がなくなる日』笹川陽平(明石書店)

著書を読んで、以下の二点が非常に印象深かった。一つ目は、笹川会長が同じメッセージを何度も繰り返し訴えられていること。二つ目は、ハンセン病制圧という、人々がさほど注目していないが重要な問題を継続して取り組むことで成果と評価を得てきたことだ。

「語り場」(財団職員が会長はじめ役員に新規事業の案をプレゼンしたりする場)を初めて見学させてもらったとき、会長がこうおっしゃっていた。

指導者の要件として、何度も繰り返して同じことが言える素質というのがある。この人と会ったら、またこの話をされると思われるくらいにならないと伝わったとは言えない。」

その場では、自らが考え、行動し、新しいものを創造する姿勢が必要だという、日本財団職員の心得を強調されていた。本著では、ハンセン病についての最も基本的なこと、「ハンセン病は治癒可能」、「治療が無料で受けられる」、「社会差別は容認できない」というシンプルなメッセージを笹川会長があらゆる機会、メディアを通して繰り返し訴えられてきたことが分かった。

継続して訴えるということは、継続してその事業に取り組むということでもある。ハンセン病は、初期の頃から故笹川良一元会長を中心として日本財団が取り組んできた課題であり、それを継続してきたことによって、これほどのまでの実績と成果、そして社会からの評価が得られたのだということが感じられた。また、一つの事業を継続して取り組んできたということは、世間的な流行に乗るのではなく、明確な問題意識を持って取り組んできたということでもある
ビル・ゲイツ財団の担当者からハンセン病以外に関心がないのかと聞かれたのに対して、「われわれの財団は広く世の中を見渡して、人々の気付かない問題を探し出し、焦点をしぼって活動をすることを得意としている組織だ」と説明されたことが印象的だ。限られた資源を最大限に有効活用し、他が注目しなくとも大事な問題を見つけ出して解決していくという姿勢が日本財団職員に求められているのだということを感じた。

ハンセン病は「忘れられた病気」として注目されていなかった。現在も、それほど注目されているとは言えない。しかし、継続的な訴えと取り組みによって、まずはWHOとの協力体制が整い、病気としての制圧活動に弾みがついた。そして、今度は差別や社会復帰の問題を解決すべく、国連人権委員会でも取り扱われるようになった。同じことを訴え続けるにしても、重要機関とパートナーシップを結んで行えることは大きい。ピンポイントで渉外を進めていくことは、資源を有効活用するための一つのアプローチだと言えよう。さらに、五年間のMDT(治療薬)無料配布によって、世界に「波」を起こしたことも注目すべきだ。事業にメリハリをつけることで、世間の注目を呼び、関係者をその気にさせ、それをテコにして大きな波を起こすことができた。日本財団は財源が限られているといっても、民間財団としてはかなりの規模を持つ。「選択と集中」によって、呼び水の機能を果たすという観点も重要だと感じた。

本著はハンセン病への取り組みの歴史が綴られていたが、事業を行う上でのより普遍的なポイントを多く学ぶことができた。今後の財団での活動に大いに生かしていきたい。


ハンセン病に関心のある方は、ハンセン病資料館と多磨全生園を見学したときの日記日本財団HPも参考にしてみてください。
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 15:31 | 読書 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
ホスピス「死を見つめ今を生きる」 [2007年08月27日(Mon)]
ホスピスという言葉をご存知でしょうか?

人生の終末期を迎える方々が、自分らしい最期を送るためのケア(ターミナルケアを行う施設や在宅ケアのことを指します。また、終末期に関わらず、治療や延命ではなく、身体精神的苦痛の除去を目的とした緩和ケアの概念も含まれます。

ホスピスの形態としては主に五種類あり、@病院内病棟型、A病院内独立型、B完全独立型、C病院内緩和ケアチーム、D在宅ホスピスケアに分けられるそうです。現在、約180まで増えたホスピス施設の中で、ほとんどが@Aになります。

そのなかで、日本で初めての完全独立型として1993年に創立された、ピースハウス病院を訪問してきました。



ピースハウスを運営している(財)ライフ・プランニング・センターの理事長は『生き方上手』で日本最高齢のミリオンセラー作家にもなった日野原重明先生です。日本財団が主催している「メメント・モリ」講演会や笹川医学医療研究財団でも非常にお世話になっている先生です。

施設に初めて訪問してみて、病院らしくないホテルのようなイメージを第一印象として感じました。本当にきれいで、落ち着くところです。
季節ごとに飾りつけを変える天井吹き抜けのアトリウムや、白熱灯の使用、医師看護師が白衣をつけずにエプロンのみ使用するなど、柔らかいイメージをつくり出す工夫が随所にほどこされています。また、音楽療法室やアートプログラム用の部屋、美容室などもあり、終末期をその人らしく生きるというコンセプトが実際に感じられました。

他にも、一般の病院と違うと感じたことは、100名近い多数のボランティアの方々が協力している点です。(ちなみに病床は22床で、そんなに大きいわけではありません。)上述の美容師やアートプログラムにおける音楽、俳句、絵などのプログラムをボランティアの方々に支えられているそうです。

施設見学と一般公開セミナーの後に、ホスピス教育研究所所長の松島たつ子さんとお話させていただきました。今後は在宅ケアを増やしていくという流れがあり、ホスピスと在宅をつなぐネットワーキングの重要性を訴えられていました。
ホスピス施設が増加しているといっても、現在全国で約3000床で、まだまだ不足状態にあります。また、終末期の生き方においても家で家族と過ごす意義が重要視され始めてもいます。
ホスピス病棟で緩和ケアをしながらも、大丈夫そうであれば随時在宅ケアに切り替えていく、在宅ケアをしながらも痛みが強くなればホスピスに戻るということができるようになるのが望ましいようです。日本財団は最近では、ピースハウス病院内のデイケアセンター開設を支援し(日本財団ブログ・マガジン)、このネットワーキング事業を応援しています。



また、印象深かったお話として、ホスピスは特別なことをするところではなく、看護の基本的なことをしている。ピースハウスにきてようやく、医療の補助ではなく、看護らしい看護をすることができた」という看護師の感想がありました。

ホスピスの概念はもともと、死から目をそむけるのではなく、「死」をみつめることで「今」を生きようとするところ、それを支えていくところから始まっています。死を否定的なものとして捉え、治療や延命のみを目的とする近代医療の考え方を覆すとまではいかなくとも、大きく補完するパラダイムだと思います。医師が看護師の上に立つという医療界の現状に対する疑問も挙げられてます。

ホスピスが注目を浴びつつある今日、医療のあり方、あるいは、人間の生と死の概念を根本的に考え直すような時期にあるのかもしれないと感じさせられました。
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 10:32 | 助成先・関係団体 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
海にて山にて [2007年08月23日(Thu)]
最近は、外での研修が多く、更新が遅れました。

8月17日
横浜港振興協会学校現場における海洋教育の事例として、横浜税関、横浜植物検疫所、横浜港メガターミナル、港務艇「おおとり」の見学をさせてもらいました。

8月20・21日
東京都で唯一の林業家、田中惣次さん天皇杯も受賞)のご案内のもと、東京都檜原村にて、森林整備の体験活動を行いました。

8月22日
精神障害者の就労支援を先駆的に行っている(福)はる「パイ焼き窯」を見学しました。

8月23日
自然体験活動を推進している団体(ボーイスカウトや野鳥の会など)のネットワーク事業を行っている自然体験活動推進協議会(CONE)の事務所に訪問し、活動概要をお伺いしました。


どちらも、貴重で先駆的な仕事をされています。
ここ一週間で、いくつもの新しい視点が開かれました。詳しい考察については、時間がありましたら後日報告します。
関心のある方は、リンクからのぞいてみてください。
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 17:01 | 助成先・関係団体 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
日本の国境 [2007年08月16日(Thu)]
『日本の国境』をずいぶん前に読み終えましたので、レビューを書き留めておきます。

前に紹介した『海賊の掟』の著者で、日本財団の先輩である山田吉彦さんが書かれた本です。

日本国民はみな知っておくべき内容だと感じました。海に囲まれ、平和を享受している日本の国境が、どのような歴史を持ち、どのような実態にあるのかは知っておくべきでしょう。僕自身、知らなかったことが多く、恥ずかしく思います。

山田さんは、この問題に仕事上で関わっていただけでなく、個人的にも実地調査をされていて、描写にリアリティがあって面白く読めます。
沖ノ鳥島の視察団の体験談なんかはとても面白いです。日本財団が主催したもので、山田さんご自身が事務局長を勤められたプロジェクトなので、直接お話もお聞きしました。沖ノ鳥島を「島」として守る具体案や研究なども解説されていて、国民一人一人が深く考えてみるべき内容だと思います。

沖ノ鳥島出向なんてのもいいね。現地での経済活動があれば「島」として認められるから、国益に大きく貢献できるよ。」
なんていう冗談も。w

他にも尖閣諸島北方領土竹島など、国際関係の問題となっているテーマが、分かりやすく適切に臨場感をもって解説されています。

竹島問題なんかも日本では一般的に関心が薄いですが、韓国で独島(竹島の韓国側呼称)といえば、かなりの関心の高さがあり、いつでも酒のつまみになる話題です。僕もよく韓国人に話しを持ちかけられていました。韓国で指導していた日本人高校生の教え子は、実際に竹島に見学にも行ってました。今は、韓国側が実効支配しているのが現状です。


8月15日終戦記念日に、平和について考える行事が各地で開催されたことと思います。またお盆に海水浴に行かれた方も多かったでしょう。(僕も行ってきました)
そんな折、日本を守ってきた海と、その上にある日本の国境について想いをめぐらす時間をもってみてもよいのではないでしょうか。
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 10:50 | 読書 | この記事のURL | コメント(2) | トラックバック(0)
初競艇! [2007年08月15日(Wed)]
初競艇行ってきました!

といっても、遊びに行ったわけじゃないですよ。新人研修の一環として、財団の財源になっている事業を学びにいくという一応の趣旨のもと行ってきました。

場所は平和島。



競馬、競輪、パチンコも含めてギャンブルは初めて。ということで、ちょっとドキドキの「研修」。初めて訪れた競艇場は想像以上に大きく、レースを直接観戦するスタンド以外にも、シアター形式の場所や小型モニターのたくさんある場所などがあり、ファンはそれぞれの楽しみ方で居場所を確保。「お客様第一宣言」をスローガンにする競艇業界のエンターテインメントの努力の一端を垣間見ました。

レース観戦の前には、ボートや選手がひかえている競技部を見学。選手はボートの転覆、プロペラによる大事故と常に背中合わせにある命懸けのレースにのぞみます。レース前の緊張感と、モーター、ボート、プロペラにかける想いを肌で感じることもできました。

他にも審判部で実況中継やレースの審判現場を見学。「公正」を何よりも大事にする現場の、こちらも一味違った緊張感。

そして最後には、実際にレース予想に挑戦!!
実際にやってみないとファンの心が分からないですからね。
合計4レースにチャレンジしました。
1レース目は負け。2レース、3レース目は「二連複(1,2着を順不同で当てる。一般的にオッズは低い)」が当たるも、微小勝ち。この時点では数百円の負け状態。(1レース1000円分くらい賭けてました。)
最後に望みをかけて、この日最終レース。

競艇は、最初のターンで勝負の8,9割が決まってしまうくらい、レース頭にクライマックスがあるのですが、前半の順位では僕の買った券はなし。このままでは負け。。

しかし!
最後のターンで4着のボートが逆転し3位に!
そして、僕が買っていた「三連単(1,2,3位を着順に当てる券)」の着順でゴール!



見事、最後の最後で三連単当たりました!この日の合計も「勝ち」に。まさに、競艇の醍醐味を味わさせてもらいました。一気にはまっちゃいそうなくらい楽しめました。といっても、この「楽しみ」を知ることが今日の仕事でもあったわけですが。
迫力、緊張感、技術、スピード感・・・真剣勝負のスポーツの楽しさに、ファンのお財布も加わった真剣勝負。これは楽しいですね。でも、楽しいだけに、「はまりすぎ」にはご注意ください。

ところで、競艇好きで有名なえ○すさんにも会いました。お隣の部屋で楽しんでたようです。オッズのモニターを見てたらすぐ隣にいたのでびっくり。え○すさんもこの日心置きなく楽しんだのでしょうか。

それはともかく、もしまだ行ったことがない方がいっらっしゃったら、一度行ってみたら楽しめるかもしれませんよ。競艇について楽しんで学びたい方は、漫画『モンキーターン』も人気なのでご一読を。
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 22:14 | 日本財団の仕事 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
祭り [2007年08月13日(Mon)]
先日紹介した湘南オープンウォータースイミングに、運営手伝いとして参加してきました。

実は、その前日の金曜日は職場の地元で開催される「琴平祭り」というお祭りに参加し、御輿を担いできました。(詳しい様子とちょっとお恥ずかしい写真は、日本財団の先輩、本多さんのブログに掲載されています。)

肩のヒリヒリと筋肉痛が覚めやらぬまま、今度は海の祭典オープンウォータースイミングと、ここ最近祭り続きで、「一体どんな仕事だ!?」という感じであります。

それはともかく、土曜日10kmに続き、日曜日は2.5km。
約1100名の参加だったようです。前にも書いたように、日本最大級です。



1100名、しかも中には小学生や70歳代の年配の方もいるなか、海を2.5km泳ぐとなれば、どれだけ大変で危険かということは、想像に難くないかと思います。
海にはライフセーバーの方々、陸には、医師看護士の方々が控えると同時に、多くのボランティアの力があって、無事に成功しました。皆さん本当にありがとうございました。そして、選手の皆さん、お疲れ様でした!

僕はというと、スタート地点で選手の荷物を預かり、ゴール地点にお届けするというお仕事でした。手作り感ががありながらも、年々効率よくなるように改善されているようで、お手伝いする立場としても、テントの日陰のなかでお仕事ができて助かりました。あれで直射日光だったら・・・かなりやばかったでしょうね。

とはいうものの、日本ではまだまだ開発途上のオープンウォータースイミング。改善する点もまだまだたくさんありそうです。北京オリンピックでは正式競技にもなるだけに、日本でもマラソンのように人気になるといいですね。ちなみに、今回の10kmの優勝者は東翔選手というあの鈴木大地さん(金メダリスト)の教え子で、2年連続優勝です。北京の候補でもあるようですね。(神奈川新聞記事

オープンウォーターを広く知ってもらうために、僕がもし事業担当するなら、浜辺に大画面を置いて実況中継し、より多くの観客に応援してもらえるような仕組みを作りたいです。できれば地元テレビの生中継も。(無責任な立場での夢ですが。)

皆さんも、関心もってみてください。
僕も、裏方でお手伝いしているうちに、泳ぎたくなりました。今年はボストンで初マラソン感想を達成しただけに、今度は海でやってみましょうか・・・
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 10:33 | 助成先・関係団体 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
日本のソフトパワー [2007年08月10日(Fri)]
新人研修の最後(8月末)に発表会があるのですが、そこでテーマを自由設定しプレゼンを行います。

だいたい大学の卒論/修論をテーマに発表するのですが、僕の場合、ハーバードでの正規過程で研究した内容(国際教育政策)は分析系が多いのでここでは控えます。代わりに、課外活動として参加したハーバード松下村塾において、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』で有名なエズラ・ボーゲル先生指導のもと研究した「日本のソフトパワー」について発表しようと思います。

ソフトパワーという言葉はいろんなところで聞くようになりましたが、実際はしっかりとした研究がなされていないものでもあります。
ハーバードでは、日本論の大家でもあるボーゲル先生と、ソフトパワーの生みの親であるジョセフ・ナイ教授の直接の指導を受け、優秀で情熱的な塾のメンバーに恵まれたこともあり、有意義な示唆を多く得ることができました。

日本財団(あるいは公益法人、NPO)が担う日本のソフトパワー戦略に関しても、真剣に考えてみてもよいのではないかと感じています。ちょうど、笹川会長ブログで紹介されていた北京大国際関係学院の日本受け入れ研修生にも、日本のソフトパワーを扱っている方が二人いらっしゃるようです。

読者の皆さんも、機会がありましたら、どうぞご意見お聞かせください。
 
ブックマークに追加する Posted by 本山勝寛 at 13:45 | 思想 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)
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