「農」を考える ― なぜ有機農業は拡がらないのか ―[2017年03月19日(Sun)]
小見出しは、次のとおりです。
はじめに
価値観の変更が求められる
もう一度、考え直す
「農」の本質は
はじめに
「農」に関して、様々な刺激を受けましたので、私の考え方の変遷をお伝えしながら、この「農」について考えてみたいと思います。まず私の考え方の変化をお話します。
私は「農」に関する何冊かの本を読む中で、「農」は今日の市場経済にはそぐわないものではないかと感じていました。つまり自然災害との付き合いや日々の肉体労働の辛さがあると思われるものの、「農」は儲けるための産業ではなく、自然と共に生きることの喜びを感じることのできる仕事だと思っていました。ところが、その辺りを考え直さなければならないことが、農業に関するセミナーを聞き、ある知人と議論する中で起こったのです。有機農業を拡げるためには、今までの考え方を根本から見直さなければならない、つまり市場経済優先の現代社会では“もうける農業”を目指すことも必要なのかなと思ってしまったのです。その後、何人かの人に会ったり、金子美登さんや宇根豊さんの講演を聞いたり、宇根さんの著書「農本主義のすすめ」(宇根豊著 筑摩書房 2016年)を読む中で、確信を持って元の考え方に戻りました。
それでは自然と共に生きることの大切さに気が付いていた私が、どうして現代社会では“もうける農業”を目指すことも必要なのかなと思ったのか、さらには、なぜもう一度、考え直ししたのかについてながめていきたいと思います。農業を本格的に取り組んだことのない者の考えですので、農業を実践しておられる方をはじめ多くの方々のご叱責をお受けしたいと思っています。よろしくお願いします。
価値観の変更が求められる
1971(昭和46)年、有機農業の実践などを目的に、生産者と消費者、研究者が手を携えて結成された「日本有機農業研究会」(現在はNPO法人)が、自然と調和した農と食を目指した様々な活動を展開してきました。しかし研究会設立から46年近く経過しているも関わらず、圧倒的な慣行農業の奨励の前に、有機農業はなかなか普及しないでいます。なぜなのでしょう。複雑な問題があり、そう簡単にはその原因を言い当てることはできないと思います。限られた知識の中で敢えて申し上げますと、有機農業に取り組むためには価値観の変更を伴うということではないかと思っています。ところが、この価値観の変更には大きなきっかけが必要で、同時に困難が伴うことも多いのです。しかし現代人の多くは、今までと異なることや困難なことはできる限り避け、安易な方向にどうしても流れてしまうのではないかと思います。
そこで有機農業を拡げていくためには、価値観を変えなくても有機農業に取り組める仕組みを考える必要があるのではないかと思ってしまったのです。前出の知人が有機農業の取組に関わっていることを知り、早速、小田さんと取り組んでいる産直提携のプロジェクトに参加してほしいと連絡を取りました。というのは、彼は、中山間部の地域おこしに深く関わっており、自己研鑽にも努めていましたので、ぜひ力になってほしいと考えたのです。ところが彼は、「戦後の農政により慣行農業が普及しており、地域は高齢化が進んでいるなど、既に中山間は疲弊しきっている。地域には有機農業に戻す元気は既にない。20年遅い。そのような活動を否定する訳ではないが、古臭い産直提携のような仲間内での運動では、決して有機農業を拡げていくということにはならないのではないか。意識を持った消費者は、既に取り込まれている」といったような趣旨のことを言いました。そしてさらに「これからの農業は、福岡にある『潟Nロスエイジ』(https://crossage.com/)のような『流通・商品・生産といった3つの角度から農業を総合プロデュース』する会社を介して、やる気のある人たちによるものとする必要がある。このような取組こそ、大きく農業を変えることができる。『潟Nロスエイジ』は、若いメンバーで、山口大学にもリクルートに来るというほど、成長力のある会社だ」と言われてしまったのです。彼の主張には説得力があり、すっかり意気消沈してしまいました。
彼の考えを素直に受けいれたのは、その前に、市主催の「みんなに喜ばれる『もうかる農業』を目指して」と題するセミナーがあったからです。そのセミナーのコーディネーターである浅川芳裕さんから「株_業総合研究所」(http://www.nousouken.co.jp/)の取組の紹介があり、農業を経済的に成立するためには、流通の仕組みを変革する必要があると思い込んでいたからです。「株_業総合研究所」の取組に深い感銘を受け、生産者と消費者を繋ぐプロデューサーの存在の必要性を強く感じました。そのようなこともあって、彼の説得力のある発言を受け入れてしまったのです。
そこで有機農業を拡げていくためには、価値観を変えなくても有機農業に取り組める仕組みを考えなければならないのではないかと思い込んでしまいました。そのためには有機農業の世界では評判の悪い“もうかる農業”について、真剣に考える必要があるのではと思ったのです。有機農業の世界では“暮らせる農業”を目指すべきだとよく言われます。私も農業とは本来そういうものだと思っています。ただ環境への負荷や食の安全安心に余り重きを置かない農業者や年金などのない農業従事者にとって、もうけるということが大きな比重を持つことになると想像することも必要かなと思い始めたのです。そして経済優先の時代、原則ばかりではなく、現実に妥協して、有機農業を進めてみてはどうだろうと思ったのです。
【下の写真は、「潟Nロスエイジ」のスタッフです(「潟Nロスエイジ」のHPより)】
もう一度、考え直す
その後、幾人かの人に会ったり、金子さんや宇根さんの講演を聞いたりして、もう一度、考え直してみました。安易に妥協するのではなく、時代は着実に有機農業を評価する人たちが増えてきており、このような価値観を変えた人々と連携することが大切だと思い直したのです。金子さんは講演の中で様々なヒントをくださいました。金子さんの地元の下里地区では、“有機の里”が既に実現しています。 “有機の里”が実現できた主要な要素として、金子さんは3点挙げられました。1つは金子さんの30年にわたる地道な有機農業の実践です。2つ目は地区の有力者の理解です。3つ目は生産物がそれなりの価格で販売できるということです。
また金子さんは講演の中で、有機農業を拡げるための様々なヒントをくださいました。箇条書きさせていただきます。
・地場産業との連携(内発的発展の村おこし)
…有機農産物の消費者となってもらうことだけでなく、酒、豆腐、醤油、麺の原料としての購入
・有機農業後継者の育成
・消費者との交流…産直提携、農業体験、収穫祭
・エネルギーの自給
・共生植物に対し成長促進効果のある菌根菌や在来種の活用
これらのうち特に重要な視点として、「地場産業との連携」があるのではないかと感じます。酒、豆腐、醤油、麺の原料として一定の価格で販売できるようになると、小川町下里地区のように有機農業参入者が増えてくる可能性が出来てくるのではないでしょうか。やはり苦労が報われる仕組みをつくり出していかなければなりません。それに既に取り組まれていることだと思いますが、金子さんのように「有機農業後継者の育成」ということを積極的に取り組む必要があります。全国に多くの卒業生がいらっしゃり、各地で有機農業を実践されています。02/26の講演会にも、山口県在住の卒業生が金子さんに挨拶に来られていました。毎年開かれる「研修生OB会」参加の皆さんの笑顔に日本の未来を感じます。金子さんの場合、自宅を使っての研修であるため、家人の協力が必要です。一方、広島県神石高原町のように廃校を活用した「神石高原有機農業塾」などだと、個人的な負担が少なくなるかもしれません。
【下の写真は、神石高原有機農業塾の外観です(「かたつむり会」のHPより】
「農」の本質は
さらに宇根さんの講演や著書で、「農」の本質に立ち戻ることができました。このような検討の中から、有機農業者の気持ちが分かり、流通、販売・生産に強い人の存在が必要だと感じています。小川町下里地区で見られたように、生産された作物が確実に引き取ってもらえるということが目に見えれば、有機農業は大きく前進するのではないかと考えられます。そのため「潟Nロスエイジ」や「株_業総合研究所」の取組は、大いに参考にすべきだと思われます。さらに最近NHKでも放映された「地域商社」の考え方は、有機農業の世界でも生かしていく必要があるように思います。ただここで重要なことは、市場経済に走るのではなく、「農」の本質を忘れないことです。有機農業者の立場から、農業指導し、流通システムを考え、販売先を開拓するといったことも、今の有機農業には必要なことではないかと思っています。
最後に宇根さんの著書を引用しながら、現在の私の「農」に対する考えを書かせていただきます。
宇根さんは、「農」には「百姓仕事への没入の楽しさである『忘我』の心境」(P66)を味わうことができる、さらに「百姓を好きで楽しむ人間になれば、一切百姓の辛さは無くなり、仕事が道楽になるのであります」(P67)と著書に書かれています。私も農の真似事をしていた時、この「忘我の心境」に近い感情を味わったことがあります。このことが「農」の本質ではないかと考えています。さらに仕事の中で「忘我の心境」を感じながら生きてゆくことは、たまたまこの世に生を受けた、私たちの生き方のひとつといえるのではないかと思っています。
私は“物質の循環”という自然の摂理に基づく有機農業を一日でも早く拡げないと、土の中の微生物たちが悲鳴を上げ続けると考え、焦っていました。しかし宇根さんは「有機農業を無理に拡げる必要はないのではないか」と、こともなげにおっしゃったのです。さらに「市場経済は終焉を迎えており、もう暫くすると経済優先ではない時代が来ると考えられるので、市場経済に妥協してまで、有機農業を拡げる必要はないのではないか」といったような趣旨のことをおっしゃいました。私が生きているうちには、残念ながらそのような時代が来るとは到底思えませんが、この宇根さんのお考えを聞き、つき物がとれたように焦燥感がなくなりました。
【下の写真は、宇根さんの著書の表紙です】
次は、市場経済では認められないが、私たちの生活をより豊かにしてくれるものを評価しようという「環境支払い」についてです。日本でも国会で議論されたことがあったように記憶しています。宇根さんの本によると、EU諸国の百姓の所得の3分の2は税金で賄われているのだそうです。その根拠として、「農の経済価値ではない、自然環境や風景や国防の役割を評価しても、その対価は市場では得られないから、住民の公的な負担(税金)で支えようとする政策が実施されているのです」(P123)と書かれています。つまり「自然を守っているという理由で、風景や自然環境の価値や、それを支えている農法に支払われる『環境支払い』という政策」(P244)が必要だともおっしゃっています。日本でも農業には様々な補助金が出されてきました。そろそろ「農」は市場経済にはそぐわないものであるという認識のもと、市場経済では評価されない「自然環境や風景や国防の役割」を、私たちの生活をより豊かにしてくれるものとして評価していく時代になってくれないかなと思っています。
このような考え方を基本にして、宇根さんのおっしゃる「経済を優先とはしい時代」が来ることを楽しみに、金子さんなどからのヒントを活かしながら、生産者と消費者との信頼関係に基づく産直提携を進めていきたいと考えています。今後とも、よろしくお願いします。
タグ:東孝次
Posted by 東 at 16:27 | 研究員からの情報 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)