山口・循環人を訪ねて(小田ひろしさん)[2015年05月08日(Fri)]
ここでは、私が思う山口県内の「循環人(じゅんかんびと)」を、随時ご紹介させていただきます。併せて私の人生の記録として、私とのエピソードなども書かせていただきます。お時間のある時にお読みください。
さて本日ご紹介するのは、山口県環境保全型農業研究会の現会長である小田ひろしさんです。2015年5月5日、10年ぶりに小田さんの農園にお邪魔してお聞きしたことをまとめてみました。
<お断わり>写真を撮り忘れましたので、文章だけの見難いものとなっています。山の中の圃場やニワトリ小屋を頭に描かれながらお読みください。
上記のように書いていましたら、知人から小田さんと農場の一部の写真が届きましたので、本文に添付させていただきます。ありがとうございました。
小田さんは、公務員を退職した後、農業を始められた方です。私がなぜ小田さんを「循環人」と思っているかといったことから、ご説明しましょう。小田さんは、有機農業に取り組まれる一方で、循環するニワトリ飼いを行っておられます。小田さんは、廃棄される魚から自家製魚粉を作られています。さらに廃棄物と呼ばれてしまっている、おから、古米、糠に、魚粉を混ぜたものを土着菌で発酵させて、ニワトリの飼料を作られています。しかも雄鶏を数羽入れて、命の宿る有精卵づくりを行っています。7割程度は有精卵ではないかとおっしゃっています。私が小田さんを「循環人」と思っている理由が分かっていただけましたでしょうか。

さて次に、私と小田さんとの関わりについて、お話させていただきます。
小田さんとは、2003年9月に、山口県長門市にある大寧寺で「地域づくりフォーラムin長門」を開催した際、パネラーをお願いして以来のお付き合いです。農業に興味を持ち始めていた私は、2004年から小田さんの農園の一部をお借りして、エゴマなどを栽培し始め、農業のまねごとをしていました。なぜエゴマを作ろうと思ったのか、今でははっきりとは思い出せません。効率性重視の時代に見捨てられたエゴマに強く惹かれたのかもしれません。また血圧が少し高かったので、高血圧にαリノレン酸がよく、そのαリノレン酸がエゴマに多く含まれているということを聞いたからではないかとも思われます。エゴマの全国大会に参加するため岐阜県の下呂まで行ったり、エゴマの特産化に取り組んでいる広島県福富町へ現地調査に行ったり、山口県楠町(現宇部市)にできたエゴマの会に入いったりと、エゴマに取りつかれたようになっていました。
初めての本格的な畑仕事であったためか、十分な収穫はできず、次の年の種程度しか採れなかったように記憶しています。一方、隅で栽培した大根の方は、家族もおいしいと言ってくれました。また体にいいといわれていたヤーコンも小田さんの勧めで育ててみました。料理家の辰巳芳子さんが大豆の大切さをラジオで話されているのをたまたま聞いた私は、2005年は、エゴマに加えて大豆も植えることにしました。エゴマにはイノシシを寄せ付けない作用があると聞いたので、周囲にエゴマを中に大豆をということしました。小田さんには、あなたは収穫の難しいものばかりを植えるねと言われました。思い優先で収穫の大変さを十分認識していなかったものと思われます。エゴマも大豆も20〜30cm程度に育ってやれやれと思っていた矢先の7月23日、私は脳出血でたおれてしまいました。収穫物をみることもなく、私は近づくことさえできなくなってしまったのです。
今回なぜ小田さんの農園に行ったかといえば、小田さんから農園に遊びに来ないかといったお誘いがあったからです。お誘いがあってほぼ半年近くになる2015年5月5日、やっと10年ぶりに出かけて行ったのです。私が使わせてもらっていた畑は、レンゲ畑となっており、田んぼに返っていました。小田さんの農園への道は狭いので、今の私には怖くて運転できないということで、途中まで小田さんに迎えに来てもらいました。当時、友人にもよくあんな狭い道を通って行っているねと言われていました。今回、10年ぶりに通って、よくもこんな狭い道を運転していたなと、私も思いました。当時は、少し狭いかなとは思っていましたが、特に狭すぎるとは感じていませんでした。病気の後遺症で、空間認識が鈍くなってしまったといった面もあるようです。

その当時から、ニワトリを飼うという話は出ていました。ニワトリ小屋の柱や梁にするため、手当たり次第に竹を伐り出した記憶があります。しかし私が小田さんの農園を出入りできていた時には、ニワトリ小屋はできていませんでした。ところが、現在は、4棟のニワトリ小屋ができ、3種類のニワトリが飼われていました。4人の仲間もでき、ローテンションを組まれて、うまく回っているようです。80歳を過ぎられているにも関わらず、片道100kmの遠出や飼料集めに卵の配達にと、とても元気にしておられます。どうしてそんなにお元気なのかが不思議なくらいです。卵は1個50円で卸しておられるそうです。市価の約2.5倍になるそうですが、消費者からは、とてもおいしい、もっと高くてもいいよと言われているそうです。その声が励みにもなるとおっしゃっていました。まさに絵に描いたような循環するニワトリ飼いを実践しておられます。卵だけでなくおいしい鶏肉づくりにもチャレンジしておられます。餌は1日2回で途中に野菜などの緑物を与えているとおっしゃっていました。私が元気であれば関わることができたのにと思うと、残念でなりません。
さて本日ご紹介するのは、山口県環境保全型農業研究会の現会長である小田ひろしさんです。2015年5月5日、10年ぶりに小田さんの農園にお邪魔してお聞きしたことをまとめてみました。
<お断わり>写真を撮り忘れましたので、文章だけの見難いものとなっています。山の中の圃場やニワトリ小屋を頭に描かれながらお読みください。
上記のように書いていましたら、知人から小田さんと農場の一部の写真が届きましたので、本文に添付させていただきます。ありがとうございました。
小田さんは、公務員を退職した後、農業を始められた方です。私がなぜ小田さんを「循環人」と思っているかといったことから、ご説明しましょう。小田さんは、有機農業に取り組まれる一方で、循環するニワトリ飼いを行っておられます。小田さんは、廃棄される魚から自家製魚粉を作られています。さらに廃棄物と呼ばれてしまっている、おから、古米、糠に、魚粉を混ぜたものを土着菌で発酵させて、ニワトリの飼料を作られています。しかも雄鶏を数羽入れて、命の宿る有精卵づくりを行っています。7割程度は有精卵ではないかとおっしゃっています。私が小田さんを「循環人」と思っている理由が分かっていただけましたでしょうか。

さて次に、私と小田さんとの関わりについて、お話させていただきます。
小田さんとは、2003年9月に、山口県長門市にある大寧寺で「地域づくりフォーラムin長門」を開催した際、パネラーをお願いして以来のお付き合いです。農業に興味を持ち始めていた私は、2004年から小田さんの農園の一部をお借りして、エゴマなどを栽培し始め、農業のまねごとをしていました。なぜエゴマを作ろうと思ったのか、今でははっきりとは思い出せません。効率性重視の時代に見捨てられたエゴマに強く惹かれたのかもしれません。また血圧が少し高かったので、高血圧にαリノレン酸がよく、そのαリノレン酸がエゴマに多く含まれているということを聞いたからではないかとも思われます。エゴマの全国大会に参加するため岐阜県の下呂まで行ったり、エゴマの特産化に取り組んでいる広島県福富町へ現地調査に行ったり、山口県楠町(現宇部市)にできたエゴマの会に入いったりと、エゴマに取りつかれたようになっていました。
初めての本格的な畑仕事であったためか、十分な収穫はできず、次の年の種程度しか採れなかったように記憶しています。一方、隅で栽培した大根の方は、家族もおいしいと言ってくれました。また体にいいといわれていたヤーコンも小田さんの勧めで育ててみました。料理家の辰巳芳子さんが大豆の大切さをラジオで話されているのをたまたま聞いた私は、2005年は、エゴマに加えて大豆も植えることにしました。エゴマにはイノシシを寄せ付けない作用があると聞いたので、周囲にエゴマを中に大豆をということしました。小田さんには、あなたは収穫の難しいものばかりを植えるねと言われました。思い優先で収穫の大変さを十分認識していなかったものと思われます。エゴマも大豆も20〜30cm程度に育ってやれやれと思っていた矢先の7月23日、私は脳出血でたおれてしまいました。収穫物をみることもなく、私は近づくことさえできなくなってしまったのです。
今回なぜ小田さんの農園に行ったかといえば、小田さんから農園に遊びに来ないかといったお誘いがあったからです。お誘いがあってほぼ半年近くになる2015年5月5日、やっと10年ぶりに出かけて行ったのです。私が使わせてもらっていた畑は、レンゲ畑となっており、田んぼに返っていました。小田さんの農園への道は狭いので、今の私には怖くて運転できないということで、途中まで小田さんに迎えに来てもらいました。当時、友人にもよくあんな狭い道を通って行っているねと言われていました。今回、10年ぶりに通って、よくもこんな狭い道を運転していたなと、私も思いました。当時は、少し狭いかなとは思っていましたが、特に狭すぎるとは感じていませんでした。病気の後遺症で、空間認識が鈍くなってしまったといった面もあるようです。

その当時から、ニワトリを飼うという話は出ていました。ニワトリ小屋の柱や梁にするため、手当たり次第に竹を伐り出した記憶があります。しかし私が小田さんの農園を出入りできていた時には、ニワトリ小屋はできていませんでした。ところが、現在は、4棟のニワトリ小屋ができ、3種類のニワトリが飼われていました。4人の仲間もでき、ローテンションを組まれて、うまく回っているようです。80歳を過ぎられているにも関わらず、片道100kmの遠出や飼料集めに卵の配達にと、とても元気にしておられます。どうしてそんなにお元気なのかが不思議なくらいです。卵は1個50円で卸しておられるそうです。市価の約2.5倍になるそうですが、消費者からは、とてもおいしい、もっと高くてもいいよと言われているそうです。その声が励みにもなるとおっしゃっていました。まさに絵に描いたような循環するニワトリ飼いを実践しておられます。卵だけでなくおいしい鶏肉づくりにもチャレンジしておられます。餌は1日2回で途中に野菜などの緑物を与えているとおっしゃっていました。私が元気であれば関わることができたのにと思うと、残念でなりません。
タグ:東孝次
Posted by 東 at 09:53 | 研究員からの情報 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)