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微生物の世界から農業を科学する -「土壌づくりのサイエンス」の要約 - [2020年03月11日(Wed)]

小見出しは、次のとおりです。

  はじめに
  自然界の物質循環…植物と微生物との共生関係
  なぜ慣行農法が問題なのか
  有機農法・自然農法の課題は
  化学肥料と有機肥料の特徴は
  主な肥料成分とその役割
  土壌燻蒸により消毒の弊害
  微生物が土壌中で担う役割と働き
  微生物が活発に働く農地を目指して
  おわりに


はじめに
 農業を実践していない私には農業を語る資格はないのですが、敢えて「微生物の世界から農業を科学する」と題して農業について考えてみたいと思います。その直接の原因は、「土壌づくりのサイエンス」(久保幹著、誠文堂新光社、2017年。以下「土壌づくり」と表記します)を読んで、有機農法・自然農法の必然性をますます感じたからです。私見を交えながら「土壌づくり」の要約を試みようと思います。参考にしてみていただけたら幸いです。

自然界の物質循環…植物と微生物との共生関係
 自然界の物質循環とは、動植物の死骸などの有機物が、土の中の微生物によって無機物に分解され、植物の栄養となるという物質の流れのことです。つまり良好な物質循環によって、土の中の微生物の活性化と植物への栄養の供給が円滑に行われているのです。このことは皆さん周知のことだと思います。
 この物質循環を植物と微生物との関係でもう少し具体的に眺めてみたいと思います。「微生物ってなに?」(日本微生物生態学会教育研究部会編著 日科技連 2006年)では、次のように記述しています。

 植物と共生する微生物
 植物の根からは、糖、アミノ酸、さらにビタミン類などの栄養物が分泌されるため、それらを求めて多くの微生物が集まります。集まった微生物は、植物から栄養の提供を受ける見返りとて、土壌の中の窒素やりン酸などを植物に供給し、相互に利益を得る共生関係を築いています。マメ科植物の根に共生して「根粒」と呼ばれる構造物を形成する根粒細菌や、多くの陸生生物の根に侵入して、「菌根」と呼ばれる構造物を形成するカビの仲間の菌根菌はその代表です。
 根粒細菌は、植物根内で空気中の窒素ガスをアンモニアに変換して植物へ供給します。一方、植物は光合成で作った炭水化物を根粒細菌に与え、さらに根粒内を嫌気的に保って、根粒細菌の活動に最適な環境条件を提供しています。マメ科植物が窒素不足(貧栄養)の土壌でも生育できるのは、この根粒細菌のおかげです。(P134-P135)


 また同じ本の別の個所には、微生物が持つ能力について、次のように書かれています。

  微生物が持っている多様な機能は、単に食品や医薬品などの製造分野に利用されることによって、人間社会に役立てられているだけではありません。微生物は、肉眼で認識することができないほどに微小な生物でありながら、動物や植物にはないさまざまな代謝能力を持っています。また、通常の化学反応ではとてもむずかしいと考えられる化合物を合成したり分解したりする反応を、ごくふつうの条件の下で(わたしたちが経験しているごく当たり前の温度や圧力などの下で)行うことができます。(P156)

 さすが生物の起源である微生物です。このような優れた能力を持つ微生物に着目しない手はありません。ということでここでは、植物と微生物との共生関係や微生物の能力を前提にして考えていきます。つまり微生物の世界から農業を科学してみようということです。

なぜ慣行農法が問題なのか
 なぜ慣行(化学)農法が問題なのでしょう。慣行農法は、農業機械の開発により、大規模な農業を可能にし、労働力の効率化を進めてくれました。また農薬、化学肥料の開発や品種の改良により、単一品種の連作を実現し、むらのない収穫と高い収量を保証してくれました。その結果、慣行農法は、肥料成分の制御が容易であり、極めて再現性が高いことから農作業を比較的楽にしてくれ、食糧生産の著しい増加をもたらしてくれました。また農業を産業の一つとして捉えることをも可能としました。
 しかし、そこには大きな落とし穴があったのです。微生物の活性化や増殖を全く考慮しない慣行農法は、植物と微生物との共生関係の中で成立する自然の仕組みを破壊してしまったのです。過剰に投与される化学肥料は、土や水を汚染し生態系に大きなダメージを与えてしまったのです。また慣行農法に起因する病害虫の駆除のために使われる農薬は、自然界の有用生物をも減少させ、農薬に対抗できる耐性を持つ病害菌や害虫をも実現させたのです。さらに、残留農薬の問題や慣行農法による農産物はミネラル分などの含有する成分が少ないといった品質上の問題が、人間の健康に大きく関わっていることから、慣行農法の見直しが必要となったのです。
 下図は「イギリスの調査で、ニンジン、タマネギ、メロン、スイカにおけるマグネシウム含有量が、1929〜2002年でどう変化したかを示す。昔を100としたとき、2002年はそのうち何%まで減少したかが視覚的にわかる」図です【出典:「土壌づくりのサイエンス」P79】。見た目は全く同じでも内容成分に違いがあるのです。

P79.jpg

 このようなことからも慣行農法を見直さなければならないことがわかります。このような内容成分を数値化する調査が適宜行われれば、有機農法・自然農法による農産物の優位性が目に見えるようになるのではと考えます。このような市民の健康に関わるようなことを調査するのが公的研究機関の使命だと思うのですが、いかがでしょう。

有機農法・自然農法の課題は
 次に、自然界の物質循環を前提とする有機農法・自然農法には、どのような課題があるのかを見ていきましょう。
 生態系へのダメージを最小限におさえ、持続可能な食料生産システムを実現できることから、有機農法・自然農法を目指す必要があると考えているのです。しかし、これらの農法には、様々な課題があります。投入した有機物の土壌中での分解に時間がかかることから、肥料の効果が出るまでに時間がかかり、農産物の生産性が低くなるのです。そのため、慣行農法と同じだけの収量を得にくいといった点があります。下図は、「慣行農法の収量を100とした時、果樹以外の有機農法では収量が60%程度下がるというデータ」です【出典:「土壌づくりのサイエンス」P55】。

P55.jpg>

 そのため、より広い農地の面積が必要となり、その結果として、広範囲にわたる森林破壊と生物多様性の損失をもたらすことになり、逆に環境の衰退を招くといった考え方もあります。その上、有機農法や自然農法は、再現性という点で大きな課題を抱えています。

化学肥料と有機肥料の特徴は
 続いて、肥料について考えてみたいと思います。まず肥料の歴史を簡単に眺めてみましょう。人類は多くの食料を得ようと、植物残渣、湖沼にある水草、人間や動物の排泄物、またマメ科植物の緑肥などの有機肥料を使ってきました。この農法を大きく変えたのは、ドイツ人リービッヒ博士による、植物は窒素、リン、カリウムの無機物のみで生育するという1840年の発見です。その後、空気中の窒素と石油の水素を高温高圧下で化学合成することができるようになるなど、空気中の窒素や地下資源から有機肥料に代わる化学肥料かつくられるようになったのです。このため自然の摂理である植物と微生物との共生関係が崩れ、微生物に代わって人間が植物の栄養を人工的に供給するようになったのです。このことにより世界の農業は、有機農法から化学肥料を使う慣行(化学)農法へと大きく舵を切ったのです。
 次に、化学肥料と有機肥料の特徴について見てみましょう。化学肥料は水に溶けやすく植物成長に即効性があることから、食料生産量を大幅に向上させました。さらに施肥の手間を削減させ、農業生産の安定化や大規模化を促進し、肥料製造を含めた新しい産業を創出することもできました。その一方で、化学肥料は地下資源である鉱物や石油を使うため、エネルギー消費型の産物でもあります。さらに持続性がなく環境に流出しやすいため、頻繁な追肥が不可欠となります。頻繁な追肥を避けるため、一度に必要以上の施肥を行う傾向があることから、植物が使い切れなかった化学肥料が、河川や湖沼または海洋に流出し、環境を汚染することになります。化学肥料は土壌微生物の餌にはならないため、土壌微生物の数や種類が徐々に減少すると同時に、農地に棲息するミミズなどの生物にも悪影響を及ぼします。その結果、土が固くなり、土の「物理性」が低下することになります。この点が微生物の世界からは大問題なのです。
 一方、有機肥料の方はどうでしょう。有機肥料の特徴としては、大きな分子量の物質であり、植物は直接吸収できず、土の中の微生物による分解(低分子化)が必須です。そのため土壌中に微生物が多くいる必要があり、肥料としての効果を発揮するには時間がかかってしまいます。
 そのメリットとしては、有機肥料の中には、窒素、リン、カリウムの他にも、様々なミネラル分を含んでおり、微生物による分解の過程で、これらのミネラルが溶け出してきて植物の栄養素となります。じっくりと出てくる肥料の効果は、長続きし、有機物は水に溶けにくいため、農地中での保持力が高く環境流出が少ないといったことが挙げられます。その反面、デメリットとしては、次のようなことが挙げられます。肥料効果か現れるのに時間を要し、窒素、リン、カリウムなどの肥料成分が混合しているため、正確な肥料投人か難しい、そのため経験や勘で有機物を投入しているのか現状であるといった状況です。

主な肥料成分とその役割
 次に、主な肥料成分とその役割について簡単に眺めてみましょう。植物の成長には、必要とする栄養成分を与えなければならなりません。酸素、炭素、そして水素が絶えず必要です。酸素は空気中から供給され、炭素も空気中から二酸化炭素(CO2)の形で取り込まれ、水素は、雨が降り土の中の水(H2O)から吸収されます。
 農産物の成長にとって.肥料は欠かすことができません。窒素、リン酸、カリウムは肥料の3要素とも呼ばれ、最も重要であることは、皆さんご承知のとおりです。この3要素は多量要素とも呼ばれます。植物が成長していくためには、タンパク質や糖質(炭水化物)をつくっていかなければならなりません。そのためには、たくさん必要な多量要素、ある程度必要な中量要素、そしてほんの少し必要な微量要素が必要です。
 それでは多量要素について、確認の意味でその役割をながめてみましょう。窒素(N)は、作物のタンパク質や葉緑素などをつくるために必要な成分で、植物の細胞の分裂、増殖を促し、主に葉や茎を大きくし、葉の色を濃くします。リン酸(P)は、植物の細胞を構成する成分で、細胞分裂が盛んな茎や根の先端に多く含まれ、根や茎の成長を促進し、開花や結実に役立ちます。カリウム(K)は、植物の生理作用を円滑に行い、成長促進を図っており、根や茎を強くし、病気や寒さなどに対する抵抗力をつける作用もあります。
 中量要素と呼ばれる成分は、マグネシウム(Mg)、カルシウム(Ca)、硫黄(S)があり、微量要素には、鉄(Fe)、マンガン(Mn)、ホウ素(B)、亜鉛(Zn)、モリブデン(MO)、銅(Cu)、塩素(Cl)があります。これらの肥料成分の必要量は、作物によって違いがあるので、それぞれの栽培マニュアルを参照する必要があるようです。
 ところで植物の成長には不可欠な窒素の供給過多には注意が必要なようです(中村進卓さんがよくおっしゃっています)。“過ぎたるは猶及ばざるがごとし”のようです。硝酸態窒素はホウレン草などの葉を青々とさせ、いかにも栄養豊富で美味しそうに見えます。しかし実は逆で、苦くえぐみがあり味を落としているのだそうです。その上硝酸態窒素は、発がん性など人間に危害を及ぼすとも言われています。このようなことから、田布施町の「協同組合田布施地域交流館」の直売所では、野菜内の硝酸値が世界で一番厳しいと言われるEU基準よりも更に低い、1,500ppm以下をブランド品として認定し、「たぶせ健康野菜」として販売されています。

土壌燻蒸により消毒の弊害
 農薬による土壌への影響をながめるために、土壌燻蒸により消毒の弊害について触れておきたいと思います。
 土壌燻蒸の使用目的は、土壌中に生息する微生物による土壌伝染病の発生に伴い、その原因となる微生物を根絶するための消毒です。その弊害は、微生物の世界から言えば、土壌に大変な危害を与えてしまうのです。有害な微生物ばかりではなく、作物に加害することのない無言な微生物ばかりか、そのままでは植物は吸収できない分子の大きな有機肥料を、植物が吸収できる分子の小さな無機物にまで分解してくれる有益な微生物まで殺してしまいます。さらに土壌燻蒸をやめても微生物叢はなかなか戻らない上、使えば使うほど燻蒸剤は効きにくくなるので、安定した農業生産を維持するために燻蒸剤の濃度を高めなければならなくなり、土壌はますます疲弊してしまうのです。
 「土壌づくり」の著者久保幹教授による土壌燻蒸剤としてよく使われるクロロビクリン剤とDD剤による影響の実験結果は、微生物にとって惨憺たるものです。クロロビクリン剤による影響は、大腸菌、納豆菌とも推奨濃度だとまったくいなくなってしまっています。一方DD剤による影響は、大腸菌、納豆菌ともに根絶とまではいかないまでも、いずれも激減しているといったものになっています。

微生物が土壌中で担う役割と働き
 さて、ここで微生物が土壌中で担う役割について確認しておきます。
 有機物を分解し、それによって植物への栄養を供給します。また生物的窒素固定の役割を担い、ミミズなどの土壌動物と協働して土壌物理性の改善を図り、植物成長促進物質の供給も行います。さらに病害虫からの保護も行っているのです。さらに微生物について詳しく眺めてみましょう。微生物には、主に細菌類、糸状菌、藻類等があります。
 細菌類は、土壌微生物の中で、最も小さく、種類が多いのです。細菌類は、炭素、窒素、リンの循環に大きな役割を果たしており、農産物の成長に大きな役割を果たしている窒素の循環においては、動物の排泄物や遺骸などを様々な土壌動物や微生物が有機態窒素へと分解し、さらにそれをアンモニア化細菌、硝酸化細薗などが連携して、作物が吸収できる無機態の窒素へと分解しているのだそうです。マメ科の植物の根に共生する根粒菌は、空気中の窒素ガスから土の中にアンモニアの形で窒素を固定しています。水田の冠水期においては、硝酸還元菌や脱窒菌などの働きよって、イネが肥料成分を吸収しやすい状態をつくっています。リンの循環においても、落葉や動物の遺骸、排泄物などが様々な微生物によって分解されリン酸となるのだそうです。このリン酸は土の中でアルミニウムや鉄などと結合してしまい、植物に吸収されにくい難溶性リン酸になってしまう場合があり、細菌の中には、この難溶性リン酸を植物が吸収しやすい可給態リン酸へ溶解するリン酸溶解菌も存在しているのだそうです。
 糸状菌(カビ)は一般的に木材などの有機物を分解するものが多くあります。キノコや植物と共生して、難溶性のリン酸を作物が吸収しやすい可給態のリン酸に変えてくれる菌根菌(AM菌)も存在します。糸状菌の中には、フザリウ厶などのように、植物の組織を破壊してしまう植物病原菌もいるので注意か必要だそうです。
 藻類はいわゆる藻ですが、主に水田の冠水期に大量に増殖するのだそうです。藻類は光合成を活発に行って、空気中の窒素ガスを土壌に固定し、窒素肥料を供給しており、死滅した後は、有機物として他の微生物の餌となるのだそうです。
下図は、土壌中の物質循環を示したもので、「左側は化学農法における土壌中のイメージ、右側は有機農法の土壌中のイメージだが、微生物が少なければどれだけ有機物が多くても、植物の栄養にはならない」と解説されています。

P129.jpg

微生物が活発に働く農地を目指して
 古来より農業は、農業者の経験と勘を通じて、有機資材、有機肥料を用いて行われてきました。ところが、1840年のリービッヒ博士による画期的な発見と、それに続く空気中の窒素や石油、鉱石といった資源を使って、微生物に代わり人間が人工的に植物へ栄養を与えることができるようになりました。このようにして、20世紀初頭、化学肥料の工業的基盤が整い、世界の農業は有機農法から化学農法に大きく変わっていったのだそうです。しかし既に見てきましたように、化学農法には大きな弊害があり、環境意識の高まりから、有機農法・自然農法が見直されるようになってきているのです。
 自然の摂理である物質循環に基づいた農産物を栽培するための土を、微生物の世界から言えば、「微生物か気持ち良く生息・増殖し、そして元気に動き働く土」となります。微生物が活発に働く土の「炭素量」と「窒素量」を指標として、それらの量と比を整えていく。土の中の微生物に良質な餌を与えるというイメージになります。その時、重要なことは、バランスの取れた良質な堆肥や有機資材を使うことだそうです。
 なお連作障害については、そもそも土壌中の微生物叢の偏りが原因で生じているとし、様々な養分を含む有機物で微生物の多様性を上げることが、良い農産物を栽培するための土づくりになり、連作障害対策にもなるのだそうです。
 農業と自然環境の共生、そして持続可能な農業を実現するためにも、物質循環を活用した農業システムが必要です。この「物質循環型農業」が食料問題を解決し、自然資源や生物多様性を維持することにつながっていき、人の健康と幸福に寄与する自然の流れに立脚した農業といえるのではないかと思います。

おわりに
 「土壌づくり」の著者久保幹教授は、経験や勘に頼らない方法として自ら開発されたSOFIX(土壌肥沃度指標)による土壌の診断を推奨されておられます。自らが代表理事を務められる「一般社団法人SOFIX農業推進機構」のホームページによると診断・改善方策の提案で91,300円(会員価格)となっています。少し高いですが、微生物の役割を前提とした有機農法・自然農法を行うには、有用なようにも思えます。このような診断・提案を県農業試験場や県農業大学校などで無料実施してもらえる時代の到来を望みたいところです。
 また、ここでの引用文献である「土壌づくり」と「微生物ってなに?」は、いずれも山口市立図書館にあります。お時間の取れる方は、ご一読をお願いします。

Posted by 東 at 11:27 | 研究員からの報告 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

微生物を考える[2019年12月10日(Tue)]

小見出しは、次のとおりです。
  はじめに
  なぜこのテーマを
  友人から、「あなたの体は9割が細菌」を薦められたに
  「闘う微生物」から微生物を考える
  続いて「土と内臓」から微生物を考える
  「闘う微生物」や「土と内臓」を読んで、どのようなことを考えた


はじめに
 私は微生物の魅力に取りつかれています。多くの方々に微生物について考えてほしいと思い、いつものように、参考文献を引用しながら、微生物の魅力を紹介させていただきたいと思います。今回の引用図書は外国の著者によるものです。「闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守る」(エミリー・モノッソン著、小山重郎訳、築地書房、2018年)と「土と内臓―微生物がつくる世界」(デイビッド・モンゴメリー、アン・ビクレー共著、片岡夏実訳、築地書房、2019年)です。これらを引用しながら、少し考えてみたいと思います。微生物の世界を知ることで、様々なことが見えてくると思います。特に「土と内臓」の方は300頁を超える大作ですが、比較的読みやすく、多くの方々に読んでほしいと思っています。
 「土と内臓」から多量に引用したことから、結構長いものとなりました。時間の取れる時にお読みいただければと思います。なお言葉の後ろの[ ]書きは、本書のキーワード解説から引用しています。また文中の挿絵は、「土と内臓」から勝手に転写させてもらっています。

なぜこのテーマを
 私が微生物に関心を持つようになるきっかけをつくってくださったのは、中島紀一茨城大学名誉教授にいただいた資料によってです。中島先生は、2017年11月4日の「山口市有機農業推進協議会」設立総会で記念講演をお願いした先生です。先生は農業に全く素人の私に何篇かの資料をくださいました。十分理解できないなりに興味深く読み、農学の奥深さを感じることができました。
 特に次の3点に大きな関心をもちました。
 まず1点目は、「有機農業・自然農法の技術的メカニズムが少しずつ見えてきた―最近の先端的研究の成果から―」と題する資料には「米ぬかを速やかに受けて入れる土と受け入れにくい土の違いは、土の微生物(主にバクテリア)の組成(群集構造)とその力能にあった。それは土の有機物のあり方、すなわち土づくりの状態と履歴による」とありました。さらに「土には、有機農業・自然農法が作っていく系と、近代農業が作っていく系の2種類がある。有機農業・自然農法が作る土に多くの有機物があり、そこに動的な生物構造が作られているということ」とありました。有機農業の有効性・重要性を感じるとともに、土の中の微生物に着目することの重要性を強く認識することができました。
 2点目は、「地力論の見直しと有機農業・自然農法の土壌論の課題」と題する資料です。冒頭に「肥料を沢山やっていろいろ手間をかけて生育をうまく調整すれば、生育量は増して、お米もたくさん穫れます。でも、肥料をやらなくても、ただ放って置いて、毎日、見つめるだけで、あまり勤勉に働かなくても、うまく工夫すれば、長期にわたってそれなりに穫れ続けていく。収量は肥料たっぷりの周りの田んぼの7〜8割です。手間もかからず、経費は格安です。前者は単純な物質循環論でおおよそ説明できると考えられてきました。農学はその線を一途に追究してきたわけですが、後者のあり方は、その理論ではなかなか説明できない。そして周りの空き地や森や沼地などの多彩な植物の育成はむしろ後者に近い」とありました。有機質たっぷりの肥料を圃場に撒き豊かな農作物を収穫するといった物質循環論を自明の理だと信じ込んでいた私に疑念をもたせるご指摘は、青天の霹靂でした。確かに自然界をじっくり観察すると、物質循環論だけでは説明しきれない事象があるように思えます。
 3点目は、「説明仮設としての『物質循環論』(覚書)」と題する資料です。そこには「農業においてはインプットとアウトプットとは必ずしも対応しない。両者の間には複雑なそして変動的な、さらには生命連鎖的な内部構造がある。さまざまな気候条件があり、さまざまな土壌条件があり、さまざまな作物側の条件があり、そして農家の実に多彩な営農対応がある。こうした全体構造の視野からすれば、インプットもアウトプットも系の動態にかかわる一要素でしかない。そしてその複雑な全体構造の動態をできるだけ丁寧に、短期視点、中期視点、長期視点から観察し、解析していくことが、農学の基本的あり方であり、課題なのだ。こうした点にこそ農業生産と工業生産、農学と工学の基本的な質的相違点があるだろう」とありました。このようなことを高校時代に聞いておれば、農学の世界に進んだのにと後悔しています。もっとも高校時代このような説を理解できたとは思えませんが。
 長々と書いてしまいましたが、以上のような出会いがあり、微生物の世界に大きな関心を寄せるようになったのです。

細菌.jpg

友人から、「あなたの体は9割が細菌」を薦められた
 さらに友人から、「あなたの体は9割が細菌―微生物の生態系が壊れはじめた」(アランナ・コリン著、矢野真千子訳、河出書房新社、2018年)という衝撃的な題名の本を薦められました。この本により、私はさらに強く微生物に関心を持つようになったのです。訳者によると、この本の著者はイギリスのサイエンス・ライターだそうです。この著書を書くようになった経緯と抗生物質に対する見解を次のように「訳者あとがきで」で記しています。

 彼女は、マレーシアでたった一度ダニにかまれただけで、数年間まともな暮らしができなくなるほど体を病んだ。そこから抜け出せたのは専門家による正確な診断と、原因を退治するための大量の抗生物質だった(本人によると、家畜の群れをまるごと治療できるほどの量だったという)。そんな経験もあって、彼女はこの本で再三、抗生物質をすべて「悪」と決めつけてはいけないと言う。微生物は人類にとっていまなお恐ろしい敵であり、抗生物質はそれに対抗しうる貴重な手段だということだ(P323-324)

 このように著者は抗生物質の有効性は評価した上で、その濫用を戒めているのです。また訳者は、この本のテーマについて、次のように記述しています。

 2003年にヒトゲノム・プロジェクトが完了したとき、研究者たちはヒトの遺伝子が線虫と同じ、21,000個しかないことに驚いた。ヒトはなぜ、そんなに少ない遺伝子でこんな複雑な生命活動ができるのだろう? そのカギは、体内に棲む微生物に多くの活動を「アウトソーシング」していることにあった。赤ん坊は産道を通るとき、母親から微生物一式を受けとり、その微生物集団と共に成長する。ところが最近では、赤ん坊がその微生物を受けとれなかったり、せっかく育ったコロニーを消滅させてしまったりすることが増えてきた。肥満、過敏性腸症候群、アレルギー、自己免疫疾患、自閉症など20世紀後半から先進国で急増している病気は、人体内に存在する細胞の90%を占める微生物の様相が従来とは変わってしまったことで生じている。というのがこの本のテーマだ。(P322)

 さらにこの本の知見について、次のように訳者は指摘しています。

 この本で紹介されている知見は、2008年にはじまったヒトマイクロバイオーム・プロジェクトの研究成果がベースになっている。このプロジェクトの何が画期的かといえば、分離と培養をしなくても、体内にいる微生物種をDNA配列から直接特定できることだ。これを可能にしたのは、ヒトマイクロバイオーム・プロジェクトのおかげでコストと時間が大幅にダウンした塩基配列の解析技術(シークエンシング)だ。以前から、腸内細菌がヒトの健康とかかわりがあることは経験的に推測されていた。だが細菌を人体の外に取り出して調べるということが恐ろしく困難だったため、そもそも腸内にどんな細菌がどのくらいいるかすら知ることができなかったのである。
 とはいえ、特定の健康状態と特定の細菌が一対一で対応しているわけではもちろんない。細菌を一方的に「いい」「悪い」と区別して、悪い細菌をとりのぞき、いい細菌を入れてやれば健康になるというほど単純な話ではないのだ。生き物にとって棲息地はつねに戦場だ。細菌どうしでスペースを奪い合い、その時々の環境に少しでも適応力のある細菌がそうでない細菌を駆逐する。ニッチを確保した細菌はあらゆる手段でそれを守ろうとするだろう。彼らには彼らなりの都合があり、こちらの思い通りにふるまうとはかぎらない。(P322-323)


 この本から、私は次の3点について知ることができたように思います。
 1点目は、既に訳者がこの本のテーマとして記述しているように、出産時における母親の微生物の赤ん坊への伝達の不思議です。このため著者は安易な帝王切開の乱用を戒めています。また出産をする女性には特に有用な微生物が多く住める腸内環境とするために、食事に留意してほしいなと思いました。さらに言えば、このことを保障する地域、社会にしていく必要があるなとも考えました。
 2点目は、糞便移植についての一般化の必要性です。既に中国では古くから行われていた治療法だそうで、その有効性について微生物に着目した研究が深まることを期待しています。なおネットによると、既に糞便移植を導入している病院もあるようです。その有用性が認められ、保険適用ができるようになってほしいと思っています。
 3点目は、抗生物質の濫用防止の徹底です。抗生物質が安易に処方されることももってのほかですが、成長ホルモンとして畜産に使用されていることは、即座に止めてほしいと思います。お金儲けの畜産ではなく、消費者に美味しくて安全な肉を食べて欲しといった本来の畜産に立ち返ってほしいと考えています。

闘う微生物.jpg

「闘う微生物」から微生物を考える
 それでは本題に入りましょう。まず「闘う微生物―抗生物質と農薬の濫用から人体を守る」を引用しながら、微生物の素晴らしさ、怖さについて考えてみましょう。訳者によると、この本の著者はアメリカの自らを生態学にもとづく独立した毒物学者だと言っているそうです。またこの本の中で著者が強調していることを「訳者あとがきで」で次のように記しています。

 著者がこの本の中で強調しているのは、人間の健康と食物を守るために抗生物質の有効性を維持し、農薬の使用を減らすことである。そのために、生態学にもとづき、最近のゲノム学、コンピューター学の進歩を取り入れるならば、自然と敵対するのではなく、自然を味方につけた解決方法が生み出されることについて、彼女は楽天的である。(P225-226)

 著者はこの本を書いた動機を「まえがき」で次のように述べています。

 これは、1つの解決策についての本である。2年前、私は現代農業と医学の問題点について、ある講演を行った。この講演では、病害虫と病原体が、農薬と抗生物質に対する抵抗性を発達させることによって、薬がしだいに効かなくなっていることについて述べた。講演後、一人の聴衆が「それでは、どうしたら良いのでしょうか?」と尋ねた。私は肩をすくめて、「あまり使わないことです」と答えた。聴衆の中に小さな笑いと、私が次に何を言うかを待つひと時があったが、私は、それ以上何も言うことが出来なかった。私たちは薬効範囲の広い抗生物質なしに、いかにして病気を治すことが出来るだろうか?
 あるいは、出来るだけ農薬を使わずに作物をいかに守ったら良いのだろうか? この本は、私かこうした質問に答えようとするものである。(P3)


 訳者は、この本の内容を次のように「訳者あとがきで」で整理してくれています。少し長くなりますが、引用させていただきます。

 この本はこのような医薬と農薬の現状に対して、どのように対処すべきかを、最新の情報にもとづいて、特に微生物に焦点をあてて紹介したものである。
 第1章と第2章では、自然にある私たちの味方になる微生物について紹介される。
これまでは、自然には特定の病気や病害虫が単独に存在して、人や農作物を襲うという考えであった。しかし、これらの微生物は単独に存在するのではなく、多くの無害な微生物と共に「微生物群」をなし、お互いに影響し合っている。人体には多くの微生物がおり、それが影響し合って、そのうち病原性を持っているものが優勢になった時に病気が発生する。農作物の場合には土の中に微生物群があって、特定の病原菌が多くならないように働いている。しかし、抗生物質や化学合成農薬は、病原菌の多発を抑えてくれる私たちの自然の味方を含めて、無差別に攻撃した。その結果、病原微生物や害虫を抑えていた働きが弱まって、病気や作物の病害虫がかえって増えるようになってしまったのである。普段は病原性がなく、人間と平和に共存していた微生物が病原性を持つようになることもあった。
 第3章と第4章では、私たちの敵である微生物と闘っている微生物や自然の化学物質を、私たちの友としていかに利用すべきかについて述べている。
自然界には細菌よりもはるかに小さいウイルスがいることがわかったのは最近のことである。ある液体の中の細菌を濾すために、磁器で作られた濾過器があったが、これを通り抜けた液体が病原性を持つことがわかり、これを濾過性病原体と名付けた。電子顕微鏡の発明によって、その正体が明らかになり、これはウイルスと呼ばれるようになった。インフルエンザなどの病気はこのウイルスによって起こる。ところがこのウイルスの中に細菌を食うものが見つかった。これをバクテリオファージ、あるいは単にファージという。このファージを地力論に使うための研究が始まったが、抗生物質の発見によって研究は停滞した。しかし、このファージは抗生物質のように多くの種類の細菌を皆殺しにすることがなく、特定の病原菌のみ抑えるという有利な点があり今後が期待される。
 作物害虫の場合には、ある種の害虫の防除に利用出来る化学物質が紹介されている。それは、昆虫の雄と雌の交信のために使われているフェロモンという化学物質である。この物質を合成して広範囲に散布することによって、雌雄間の交信をまどわし、交尾の機会を失わせることによって、防除の目的が果たされる。
 また、害虫の被害を受けた作物が、ある化学物質を放出して、さらに害虫が来ることを防ぐと共に、害虫の天敵を呼び寄せるという働きがあることも最近わかってきた。これは、農薬にかわる自然の化学物質として重要である。
 第5章と第6章では、病原微生物を抑えるための遺伝子組み換え技術の利用について述べられている。
 生物の遺伝をつかさどっている物質がDNAであることは広く知られるようになっている。DNAはアデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という4種類の塩基と呼ばれる分子が、鎖状に並んでいる大きい化学構造を持っているが、この塩基の特定の配列が特定のアミノ酸を合成し、そのアミノ酸が特定のタンパク質を構成する。生物の体と働きはすべて、このタンパク質によって行われているので、ある生物の性質はDNAの特定の塩基配列によって特徴付けられている。すなわち、親の性質を子に伝える「遺伝子」を保持しているのがDNAである。
 遺伝子組み換え技術はこのDNAの一部を、別の生物から持ってきて組み込むという技術である。例えば、昆虫の病気を起こす細菌のバチルス・チューリンゲンシス(Bt)のDNAを作物のDNAに組み込むと、その作物を食った昆虫は殺される。Btはすでに農薬として使用されているが、Bt作物はそれ自体が昆虫を殺す存在となるのである。また、遺伝子組み換えによって除草剤に抵抗性のある作物を作り、畑に除草剤を撒いて雑草のみを枯らす(その作物だけが生き残る)という方法も広く行われてきた。このような遺伝子組み換え作物は大豆、コムギ、アブラナ、ワタなど多くの作物で作られ、欧米を中心に普及してきた。
 しかし、遺伝子組み換えは自然に対する人間の過度の介入ではないかという論争が今もつづいている。Bt作物の人間に対する安全性が確認されたとしても、これが自然の近縁植物と交配して、Bt植物が生み出され、害虫ではない昆虫を殺す可能性がある。また、除草剤に抵抗性のある遺伝子組み換え作物は除草剤の使用量を増やし、その結果、除草剤に抵抗性のある雑草の系統が発達することもあるだろう。
 著者はこのような遺伝子組み換えに対する反対論には配慮しているが、農薬の使用を減らすために病害虫抵抗性の品種を育種する上での遺伝子組み換えは認めるべきであると言う。新しい病害虫抵抗性の品種を、自然に起こる突然変異のみに頼って育種するためには、十年以上の年月がかかるが、遺伝子組み換えによって、近縁の植物からの抵抗性遺伝子を組み込むことで、抵抗性品種を短期間で作ることが出来るからである。インフルエンザウイルスのようにその系統が毎年変化する病気に対しても、すみやかに対応できると考えている。
 最近、「遺伝子編集」という新しい技術が開発され、遺伝子操作が一層簡単に行えるようになった。訳者はこれらの問題について、研究者だけでなく、政策立案者や一般市民を含めた幅広い議論の場が早急にもうけられるべきだと考える。
 第7章と第8章では、人や農作物の病気の原因がどういう病原微生物によるものかをより速く診断する方法について述べている。
 どういう病気や病害虫でも、それが何であるかを知ることによって適切な対応が出来る。これが診断である。病気の場合、病原菌を培養して調べるためには数日〜数週間が必要であった。その間は病気が進行したり、まわりの人に感染させたりするおそれがあるので、医師はやむなく抗生物質のような、体内の微生物を無差別に攻撃してしまう薬を処方してきた。これが抗生物質の濫用をまねいている。病害虫の場合でも、かつては、その道の権威者が見ないと正確に診断出来なかった。そういう権威者がいないアフリカなどの遠隔地では、診断されないままに被害がひろがっていた。
 そこで、速やかで正確な診断が求められているが、DNA塩基配列を判別する機器の発達によって実現の可能性が出て来た。また、スマートフォンに代表される情報通信機器が作物病害虫の映像による診断を加速する可能性がある。このような機器の開発は、まだ始まったばかりであるが、簡便な機器はアフリカのような地域でも正確で速やかな診断を可能にするであろう。(P221-225)


 続いてこの本を読んで重要な指摘だと感じた個所を順次列記していきたいと思います。
 まず著者は、抗生物質の誤用あるいは濫用の恐ろしさについて、次のように記述しています。なお、「ひろく抵抗性のある」病菌は、アメリカでは毎年少なくとも23,000人の命を奪っていると書かれていますが、日本では薬剤耐性菌による死者数が8,000人を超えたと報じています。

 この本の全体を通して、私たちは病院や開業医や農場における抗生物質の誤用あるいは濫用の結果を見てきた。化学薬品の使用開始から1世紀後、病菌は反撃しはじめた。2016年に研究者たちはコリスチン《抗生物質》に抵抗性のある大腸菌をはじめて識別した。コリスチンはその毒性により50年近く前に評判を落とした、「最後の手段」の抗生物質である。しかし、それは抵抗性への対応のために再び兵籍に入った。病菌それ自体は他の抗生物質で治療出来るが、DNAの小片の上に抵抗性遺伝子が存在し、それが他の細菌に容易に分け持たれることが恐ろしいのである。「ひろく抵抗性のある」病菌はアメリカでは、ある尿路感染の患者から培養された。そこでは抵抗性が毎年少なくとも23,000人の命を――抵抗性の感染による合併症で死んだ人を含めればもっと多い――奪っている。この出来事はこの世の終わりという見出しで、インタビューと共に突然報道された。もし、抵抗性と感染への新しい解決法がすぐに見つからなければ、アメリカと世界(毎年数十万人が抗生物質に抵抗性のある微生物によって死んでいる)の両方での死者の数は2050年までに数百万人に増えると見積もられている。抗生物質に抵抗性のある微生物は人を殺すだけではなくて、費用もかかる。アメリカだけで医療費は1年でおよそ200億ドルにのぼる。それは家族、仕事、病院の収容人数に影響する。抗生物質に抵抗性のある微生物は大きく数十万の患者とその家族に被害を与え、広域的抗生物質による体内の微生物群に手の込んだ被害を与え、それはクロ・ディフのような日和見的な病菌による荒廃地を腸内に作り出す。(P164)

 抗生物質の耐性菌については、医学界でも問題視され、その認識の普及と対応策についてのシンポジウムが開催されたことが報道されていました。その対応策として、著者は次のように述べています。

 もし、私たちが抗生物質を保持し、私たちの微生物群と共に働き、世界中で病気の大発生を本気で阻止するならば、細菌、ウイルス、原生動物、そして菌類の速く、正確な識別を行うことは必須である。私たちは有益な微生物群を守り、維持する一方、クロ・ディフ、MRSA、淋病、そして結核茵のような日和見的病菌をゼロにする必要がある。これらの21世紀の技術は診断を新しい時代に導くことか出来、私たちの自然の味方の協力を仰いで、敵とわかる場所で、それに対して防御することが出来る。(P182)

 著者は、私たちは無数の微生物のただ中に生きており、これらの微生物のあるものは危険であるが、大部分は有益であり、この「私たちの自然の味方」との付き合い方を変えつつあると次のように記述している。

 抑制と正確さは半世紀前の計画には入っていなかった。その時、ボイドは一人の詮索好きな学生としてワタ畑に採集に出かけた。今日、私たちは害虫と病原体を化学物資によって破壊しても、単純に撃退出来ないことを認識している。私たちは生態学、生物学、化学、そして遺伝学からより良い情報を得る必要がある。目標は抗生物質と農薬が効果を保ちながら、私たちの自然の味方――私たちの腸の中の微生物から農場にいる有益な微生物と昆虫に至るまで――を維持することである。私たちはこれまでの全面的戦争から、昆虫と細菌を含む「野生生物」の新しい理解にもとづく管理へと戦略を変えつつある。
 新しい科学技術は、私たちを、かつては目に見えなかった世界に導いてきた。今や、私たちが無数の微生物のただ中に生きていることを知っている。そして、ゲノム学は私たちの体内、皮膚、根、芽、そして、植物のまわりの土に生存する1兆の細菌の種類を特定するまでになった。これらの微生物のあるものは危険であるが、大部分は植物、人間、そして他の生物に有益である。遺伝子工学における進歩もまた、新しいワクチンや、病気に抵抗し、殺菌剤を減らすように改良した植物を作り出している。(P184)


 著者は、害虫と病原菌との対抗の仕方について、今までのやり方を改めるべきであると、その理由を次のように述べている。

 害虫と病原体は常に存在する。黄色ブドウ球菌、結核菌、エボラ出血熱と淋菌のような、病気の原因となる細菌は今後も発生するだろう。蚊、アブラムシ、蛾もいるだろう。農業生産者は永久に害虫と雑草を防ぐであろう。これが、なぜ、私たちが害虫と病原菌を消滅させる戦術を考え直す必要があるかの理由である。この戦術はうまくいかない。彼等は生きのびる。たとえ私たちがある目標の害虫を成功裏に破壊したとしても、別のものがそこに現れるだろう。(P185)

 農業の専門家である訳者は、著者との農業に対する考え方の違いを、次のように記述しています。

 著者は、有機栽培を必ずしも否定してはいないが、労働生産性が低いので、まもなく90億人になろうとする世界人口を有機栽培だけで支えることは困難であり、必要な場合には農薬も使わなければならないと言う。そのためには、速やかで的確な診断と、その病害虫のみに有効で、味方になる生物を殺さないような薬剤を開発することか不可欠であると主張し、この本でその可能性と展望を示している。
 このような著者の見解に対して訳者は、人類か歴史的に土地からの収奪をくりかえし、現在では化学肥料と農薬に依存した大規模単作農業が行われていることか病害虫の大発生と、それによる食料不足の真の原因であると考えている。これに対して有機栽培は。有用な土壌微生物を増やすことによって作物の病害虫抵抗性を強め、輪作や間作によって天敵類を豊冨にして害虫の発生を減らすなどの技術であって、これをさらに発展させることによって、生産性を減らすことなく農薬を減らすことか可能であると考える。医薬について述べる能力を訳者は持たないが、おそらく健康と疾病の関係についても同じようなことが言えると思う。
 しかし、著者と訳者の考えは矛盾するものではなく、自然の味方を増やすことによって人間の生命と食料を守る点においては共通していると考える。(P226-227)


 次の2点について、この本の著者のご意見に私は賛同できません。訳者のお考えに賛成です。ただ訳者は「著者と訳者の考えは矛盾するものではなく、自然の味方を増やすことによって人間の生命と食料を守る点においては共通している」とおっしゃっています。
 まず1点目は、「まもなく90億人になろうとする世界人口を有機栽培だけで支えることは困難であり、必要な場合には農薬も使わなければならない」という著者の考えに対してです。このようなお考えは、抗生物質の濫用に対する著者の考え方とは矛盾するように感じます。しかも「その病害虫のみに有効で、味方になる生物を殺さないような薬剤を開発すること」に極めて楽観的です。そのような開発を目指すのではなく、「自然の味方を増やすことによって」、世界人口を支える方策を見出すことこそ、これからの時代必要になってくるのではないでしょうか。食品ロスの問題にも言及する必要があります。
 2点目は、遺伝子組み換え技術の利用についての著者の考え方についてです。著者は「農薬の使用を減らすために病害虫抵抗性の品種を育種する上での遺伝子組み換えは認めるべきである」という立場です。「自然の味方を増やす」というスタンスである以上、反自然的行為である遺伝子組み換え技術を容認するべきではないのではないかと思います。
皆さんはどのようにお考えになりますか。

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続いて「土と内臓」から微生物を考える
 続いて「土と内臓―微生物がつくる世界」を引用しながら、微生物の素晴らしさ、怖さについて考えてみましょう。
 訳者はこの本の著者を「訳者あとがき」で次のように紹介しています。また著者がこの本を著すことになった経緯にも触れています。さらに読後のご自分の感想も書かれています。私も訳者と同じようなことを感じました。

 著者のデイビッド・R・モントゴメリーとアン・ビクレー夫妻はそれぞれ地質学者と環境計画を専門とする生物学者で、土と環境のエキスパートではあるが、微生物学者や医師ではない。2人が微生物に関心を持つきっかけとなったのは、彼らの個人的な体験だった。そのいきさつは本文中に、臨場感あふれる筆致で描かれている。著者は新居の庭が植物の栽培に適さないことに気づき、土壌改良のために有機物を大量に投入する。それが予想以上の効果を収めたころ、アンががんと診断され、自身の健康と食生活に向き合うことになる。
 この2つの経験を通じて、自分の身体と庭というもっとも身近な環境から微生物をとらえ直し、実体験を医学、薬学、栄養学、農学など多分野の知見と融合させ、魅力的な物語に仕上げたのが本書だ。この本を読み終えたとき、私たちの健康や生活が隠された自然の半分なしには1日として成り立たないことが、改めて認識されるだろう。著者も言うように、それは私たちの一部であり、また私たちがその一部でもあるからだ。(P333)


 訳者は、この本の概要を「訳者あとがき」で次のようにまとめています。

 本書の原題The Hidden Half of Natureは「隠された自然の半分」という意味だ。それが示すとおり本書は、肉眼で見えないため長いあいだ私たちの前から隠されていた、そして今も全貌が明らかにはなっていない微生物の世界を扱っている。
 昨今、腸内フローラという言葉がちょっとした流行語となっている。腸内細菌の重要性は以前から言われてきたが、さらに一歩進んで、細菌の多様性やバランスが注目されるようになったということだろう。腸、特に大腸の内部は、人間にとってもっとも身近な環境といえる。そこでは数多くの微生物が生態系を築き、人体と共生して、食物を分解し人間に必要な栄養素や化学物質を作り、病原体から守っている。それと同じことが、土壌環境でも起きている。腸では内側が環境だったが、根では裏返って外部が環境となる。そこに棲息する微生物は植物の根と共生して、病原体を撃退したり栄養分を吸収できる形に変えたりしている。さらに、微生物は細胞内でも動植物と共生していることがわかっている。古代の海で、あるとき捕食され他の微生物に取り込まれた微生物細胞が、生き延びて捕食者と共生関係を築くという常識を超えた事態が起きた。ここからやがて複雑な多細胞生物への進化か始まったのだ。
 そうした微生物感は、決して古いものではない。コッホやパスツールらによる病原体の発見以来、長い間微生物は主に、撲滅すべき病気の原因とされてきたし、この見方は今も根強く残っている。病原体としての微生物という考え(細菌論)にもとづいてさまざまなワクチンや抗生物質が作られ、おかけで多くの人の命が救われたこともたしかだ。しかし抗生物質の濫用は薬剤耐性菌を生み、また体内の微生物相[ある生態系または宿主に定住する微生物集団]を改変して免疫系を乱して、慢性疾病の原因になっている。
 同じことは土壌でも起きている。人類は有機物と土壌の肥沃度の関係に直感的に気づき、農地に堆肥や作物残渣などを与えてきた。科学者が、有機物に含まれる栄養分は植物の成長に寄与していないことを発見すると、化学肥料がそれにとって代わった。当初、化学肥料の使用で爆発的に収穫が増大したが、やがて収量は低下し、病気や害虫に悩まされるようになった。実は、土壌中の有機物は植物そのものではなく土壌生物の栄養となり、こうした生物か栄養の取り込みを助けて、病害虫を予防していたのだ。
 このような進化史、科学史の流れから、微生物と動植物との共生関係、免疫との関わりについての新しい知見までの概観が本書1冊に凝縮されている。(P332-333)


 著者は、多くの科学者らの知見に基づき、「微生物は人間と植物の欠くことのできない一部分であり、そうあり続けていたのだ」という見分をすることにより、農業と医学の分野において新しい解決方法を見出す可能性が生まれると、本書の概要について「はじめに」で次のように書いています。新たな微生物を求めてジャングルを飛び回っている学者をテレビが紹介していました。

 近年の発見を見れば見るほど、微生物が植物と人間の健康維持に果たす役割に、私たちは興味をそそられた。そして私たちは、人間の体表面と体内に住む微生物を指す新しい呼び名――ヒトマイクロバイオーム――を知った。地力を回復させ慢性的な現代病の流行に対抗するのに微生物が役立つことを、私たちは知り始めた。自然のまったく新しい味方を、私たちは偶然発見したのだ。
 本書で私たちが話すのは、自然の隠れた半分をめぐって起こりつつある革命についての知識と洞察を明らかにし、両者を結びつけていく過程だ。私たちは多くの科学者、農家、園芸家、医師、ジャーナリスト、作家の仕事に依拠し、そこから引用し、それらを支持している。それは人類と微生物との関係を探究するものがたりだ。目に見えない厄介物と長い間考えられていた微生物が、人間が現在直面するもっとも差し迫った問題のいくつかに取り組む手助けをしてくれることを、今私たちは認識している。
 この微生物に対する新しい見方は衝撃的だ――微生物は人間と植物の欠くことのできない一部分であり、そうあり続けていたのだ。こうした見分をすると、農業と医学の新しいやり方を約束する驚くべき可能性が生まれる。顕微鏡規模での畜産や造園を考えてみよう。有益な土壌微生物を農場や庭で培養すれば、病害虫を防除して収穫を高めることができる。医学分野では、人体の微生物生態の研究が新しい治療法を推し進めている。2、30年前であれば、このような考えは荒唐無稽なものに思われただろう。目に見えない生命自体が何世紀か前にはそうであったように。微生物が健康の基礎であるという科学的知識が明らかになってきたことで、農地の土壌と私たち自身の身体に棲む微生物への、無差別攻撃の正当性が疑われている。土やからだの中には私たちの密かな物言わぬ仲間がいるのだ。(B-C「はじめに」)


 続いてこの本を読んで重要な指摘だと感じた個所を順次列記していきたいと思います。
 著者は、地球上の生命の誕生を次のように記述しています。にわかには信じがたいことですが、微生物の不思議を信じる私には、すとんと入ってきます。皆さんはいかがですか。

 遠い違い昔のある日、二つの微生物が次々と驚くべき出来事を引き起こし、それによって生命の歴史はすっかり変わった。すべては最古の生物の一つ、古細菌が細菌と合体したときに始まった。この結合により複合生命体、初期の単細胞生物が複雑な生物へと進化するきっかけとなった微生物の雑種が誕生した。そう、この奇想天外な生命体がやがてあなたや私を含むあらゆる真核生物となって地球の表面を歩き、走り、滑空し、のだうち、くねり、泳いでいるのだ。
 生物が密接に共同して、あるいは一方がもう一方の中で生きていることを共生と呼ぶ。微生物の共生が多細胞生物のもとになったという考えは、初めは生物学の権威筋からほとんど支持されなかった。20世紀の進化生物学者の大半は、ダーウィンが信じたものを信じていた――進化は個体間の競争が動かす、ゆっくりとしたたゆみない種分化の過程である。しかし粘り強い異才の科学者、リン・マーギュリスは、1970年代から80年代にかけてこの旧来の進化観に立ち向かった。彼女は、地球上に棲息していた最初期の微生物同士の協力関係を基礎にした、根本的に違う進化過程を提唱したのだ。(P61)


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 上図は「微生物の融合」を示した挿絵で、「古細菌と細菌がどのように最初の原生生物を構成し、その後に続く多細胞生物すべての基礎を築いたかについてのマーギュリスの見解。二番目の融合では、原生生物が酸素を利用する細菌と共生関係を結んで、動物、菌類、さらに後には植物の祖先となった」(P69)と解説されています。

 著者は、微生物の世界は、対立と同じくらいに協力と順応が行われており、微生吻と植物と動物の関係も同様であり、この共生関係が植物の健康と土壌の肥沃さの基礎となっていると、次のように述べています。

 微生物が手を組んで多細胞生物を生み出して以来、全面的な対立と同じくらいに協力と順応が、微生吻と植物と動物の関係を形成した。くり返し、生命の樹が大きくなるにつれて、逆境の中で関係が生まれ、必要に応じて加えられた。顕微鏡下の世界がこれほどまでに協力的な場所だとは――また、証拠のいくらかはまさにわれわれの体内に隠されていようとは――ダーウィンは想像もしなかっただろう。私たちは、遺伝子の3分の1以上を細菌、古細菌、ウイルスから受け継いだのだ。
 微生物の共生がありふれたものであり、不可欠なものでもあることを認識することは、自分と自然の隠れた半分との関係の見方を作り直すことだ。こうした持ちつ持たれつの関係が明らかになるにつれて、微生物を病気を運ぶもの、作物と人間への脅威という型にはめる旧来の考えを、科学者は見直し始めた。私たちは特に、共生関係が植物の健康と土壌の肥沃さの基礎をいかに形作っているかを学んでいる。(P75-76)


 著者は、ハワードの主張を正しいと考え、「化学肥料はステロイド剤」であり、昆虫と菌類は「生物学的清掃係」だと述べています。このような考え方がより自然と共に暮らすことになるのだと思います。人間は自然の一部なのですから。

 化学肥料はステロイド剤
 それからの20年間、ハワードは実験を続け、常にリービッヒの弟子たちの信じるところと対立する見解に至った。植物がなぜ病気になるのか、ハワードは急進的な新しい結論に達した。作物を病害虫から守るために殺虫剤や除草剤を使用すると、作物が健康に育ちにくくなる――そしてさらに多くの毒物が必要になる――とハワードは考えた。昆虫と菌類はさほど問題ではなく、むしろ生物学的清掃係だ。傷ついたり・弱ったりした作物を取り除いてくれるのだ。ハワードの見方では、近代農業は作物を病気にかがりやすくする道を突き進んでいた。(P92)


 著者は、「有機物は微生物と菌類という触媒に栄養を与え、それらがかつての生物を新たな生命の基本成分へと再び循環させる」と考え、「化学肥料を、長期的な土壌の肥沃さや植物の健康と引きかに短期的な能力を高める農業のステロイド剤」とみなし、「農芸化学的手法がやがては必ず失敗する」と考えています。

 ハワードが、実物大の畑で実際に起きた事例証拠に執着したことは、その見解を科学界に広めるためにならなかった。統計学的分析と小試験区での実験――農業研究の基本――をあからさまに軽蔑したこともだ。
 それでも、現代の有機農業・園芸運動の起源は、ハワードの研究から直接始まるものだ。堆肥を用いて熱帯の土壌に肥沃度を復活させる実験から、ハワードは化学肥料を、長期的な土壌の肥沃さや植物の健康と引きかに短期的な能力を高める農業のステロイド剤として見るようになった。リービッヒによる農芸化学の強調は、化学者の目を曇らせたと、ハワードは考えた。新しい農芸化学の英知の致命的欠陥は、ハワードの見たところ、農芸化学を重視したことで、リービッヒとその信奉者は有機物の役割の大切さを見過ごしてしまったことにあった。有機物は微生物と菌類という触媒に栄養を与え、それらがかつての生物を新たな生命の基本成分へと再び循環させるのだ。
 化学肥料を土壌肥沃度維持の基礎とする同僚たちの見方とは対照的に、ハワードは農芸化学的手法がやがては必ず失敗すると考えるようになった。
 【ハワードの著書より】
 化学肥料によって徐々に土壌が汚染されつつあることは、農業と人類にふりかかった最大の災害の一つである。(P94-95)


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 上図は「根の健康」と題する写真で、「異なる肥料を与えて100日目のトマトの根」(P101)の状況を示したものだそうです。いわゆる有機農業の優位性を如実に示しているとともに、根の生育が悪いために与える化学肥料を増やしていかなければならないという慣行農法の問題点を示しているように感じます。

 「微生物という仲介者の活動を通じて」、土壌中の腐植が植物に影響するというハワードの説を、著者はハワードの著書を引用しながら、次のように解説しています。

 これほど明白な違いがあったのは、菌根が植物と土壌が持つ栄養とのあいだに橋渡しをしたからだと、ハワードは考えた。肥沃度は単に土壌の化学成分のことを言うのではない。菌類、土壌生物、植物のあいだの生物学的相互作用もかかわっているのだ。

 【ハワードの著書より】
 自然は、植物と肥沃な土壌を結びつけるために、そのメカニズムを担う命をもった重要な「部品」を与えてくれた……私たちは、ある土壌菌が作物の根と土中の腐植を直接に結びつけるという共生の顕著な実例を扱うことになりそうだ。

 土壌中の腐植が植物に直接影響するのではないことを、ハワードは理解した。微生物という仲介者の活動を通じてそれははたらくのだ。これはリービッヒが見落としていたことだ。(P103)


 ミミズの働きを「小さな肥料工場」といい、その役割の大きさを、次のように記述しています。ミミズの多寡が、肥沃な土壌かどうかを確かめるリトマス試験紙と言えるようです。

 ハワードはミミズを「庭師の無償の下働き」であり、同時に農業における炭坑のカナリアだと考えた。ミミズの数が増えていれば、土が健康であるしるしだ。ミミズの減少は破滅の予兆だ。コネチカット農業試験場が、腐植にはミミズの糞が平均的な表土と比べて50%多く含まれていることを報告した理由を、ハワードは説明している。ミミズの糞には、表土全体の5倍の窒素、7倍の水溶性リン酸塩、11倍のカリウムが含まれているのだ。ミミズは腸内で土を有機物と混ぜて新しく作りかえ、植物養分を含ませて土壌に戻していた。要するに、ミミズは小さな肥料工場として働き、来る日も来る日もせっせと畑を肥やしているのだ。よい土地ではミミズは少なくとも1エーカー当たり25トンの栄養豊富な糞を作りだすと、ハワードは計算した。これを無料で毎年やってくれるのだ。そんなミミズたちを殺す化学物質を農地にまき限らすことに、何の意味があるのか。化学肥料に費用をかけず作物の生長を促すにはミミズの養殖をすることだと、ハワードは考えていた。ミミズに餌を与えれば、土に餌を与えることになるのだ。(P104-105)

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 上図は「地下の経済」と題する挿絵で、「植物の根を取り巻く根圏は、植物と土壌微生物のあいだで無数の取引が行なわれる場所だ。菌類と細菌は植物の滲出液を消費し、見返りとして植物の生長と健康に必要な栄養および代謝産物を与える」(P131)と解説されています。このように自然界には、いろんな場面で共生関係が存在しています。私たち人間も見習うことが必要なのではないでしょうか。

 「微生物が自然の土壌肥沃度に生物学的な触媒としてはたらいでいる」という立場に立つと、農芸化学つまり慣行農業の、次のよう問題点が見えてきます。

 微生物が自然の土壌肥沃度に生物学的な触媒としてはたらいているとする新しい解釈は、現代農業の哲学的基礎に異を唱えるものだ。農芸化学が短期的に収穫量を高めるうえで効果的だったことは、誰にも否定できない。しかし徐々にそれによって、長期的な収穫を危うくしてしまったと思われるようになってきた。養分移行の阻害に加えて、農薬の過剰使用は植物の防衛機構を低下・無力化させ、弱った作物を病原体が攻撃する隙を作ることがある。うかつにも有益な土壌生物を激減させてしまったことで、植物が微生物との適応的な共生によって築き上げた栄養と防衛のシステムを、私たちは邪魔しているのだ。
 土壌を生物学的システムと考えれば、少数の植物病原体に「対処」する農芸化学的手法が、現代農業を悩ませている問題の根っこにある理由を把握しやすい。広範囲に効く殺生物剤がよいものも悪いものも一緒に殺してしまうと、真っ先に復活するのは悪者や雑草のようにはびこる種だ。この根本的な欠陥によって、農薬を基礎とした農業は中毒性を持たされている――使えば使うほど必要になるのだ。販売店や中間業者にとって、これは商売としてうまみのあるものだが、客にとっては長い目で見て逆効果だ。そして農業の場合、私たち全員に影響が及ぶのだ。(P132)


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 上図は「ハイジの皿」と題する挿絵で、「全体的な健康を促進し、免疫系を維持し、がん予防に役立つ食事見直しの出発点」(P148)と解説されています。ただ祖先が何を食べていたかによって、腸内にいる微生物の種類は異なるようですので、あくまでも参考程度でいいのではないかと思っています。

 著者は、私たちの「足元にある微生物の世界を発見して」、「自分自身の健康の基礎に対する見方が変わり始めた」と言っています。微生物の世界をできる限り正確に知ることにより、私たちは従来の常識を考え直す必要があるようです。

 私がマイクロバイオーム[宿主に定住する微生物の遺伝子の総称。ある宿主の特定の微生物相、つまり微生物個体群も指す]について調べてわかったことで、たぶん一番奇妙なのは、マウスを使った実験で大腸の腸陰窩の内部奥深く、大腸の磨耗でできた渦のようなくぼみに、ある種の細菌が大量に棲息しているのが見つかったことだ。研究者もこれは奇妙だと思った。粘液と腸陰窩は共に、大腸細胞が分泌する抗菌物質のために、細菌の棲息に適していないと長いあいだ考えられてきたのだ。
 しかし大腸陰窩での生活は、粘液中の抗菌物質を逃れる方法を見つけた細菌にとっては快適なものだ。腸陰窩と大腸壁を覆う粘液は、餌だけでなく捕食者からの保護も提供してくれる。腸陰窩の側面や底に見られる特殊な細胞は、杯細胞と呼ばれるが、これ以上ぴったりの名前はない。この細胞は炭水化物を豊富に含む粘液を分泌し、腸陰窩に棲む細菌はそれを食べることができる。細菌の中に、粘膜に入りこむだけでなく、大腸細胞やGALT[腸管関連リンパ組織と呼ばれる、消化管を取り巻く免疫組織および細胞。人体内にある免疫系の大多数はGALTである]の近くで何ごともなく棲息できるものがいるという発見は、微生物とそれが人間の健康と幸福に与える影響について新しい考え方へと通じている。
 デイブと私は、マイクロバイオームについて熱心に学ぶにつれて、このテーマに関する最新の研究のほとんどが、免疫と炎症を中心にしていることに気づいた。そして、足元にある微生物の世界を発見して土壌肥沃度に対する古くさい見方を捨てたように、免疫学の興味深い世界におそるおそる足を踏み入れると、自分自身の健康の基礎に対する見方が変わり始めた。ある意味で、私たちの母親がいつも言っていたことは、正しかったようだ――人間は中身が肝心。(P164)


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 上図は「体内の生命」と題する挿絵で、「マイクロバイオームは人体内のどこよりも大腸に多く棲んでいる。ほとんどの細菌は内腔に棲息するが、ある種の細菌は大腸陰窩や腸壁を覆う粘膜層の中にいる。免疫細胞はGALT(腸管関連リンパ組織)に集まっている」(P163)と解説されています。
 最近では腸内フローラという言葉が一般化されているように思えます。つまり私たちの腸内には微生物が生息していることは、十分認知されてきているように思います。

 著者は、抗生物質ができる前の人間の健康にとっての最大の脅威は、感染と感染症であったと指摘し、その例を次のとおりいくつか挙げています。抗生物質によって感染と感染症は制圧されたが、その一方で増えた病気についても言及しています。それは、現代病である慢性疾患や自己免疫疾患であるとし、新たな脅威として私たちの前にたちはだかっていると述べています。

 減った病気と増えた病気
 抗生物質ができる前、感染と感染症は人間の健康にとって最大の脅威だった。何世紀にもわたり、結核、天然痘、腸チフスは世界中で主要な死因の座を占めていた。黄熱病の大流行が、18世紀末から19世紀初めにかけてニューヨークとフィラデルフィアを襲った。感染者の5%から10%ほどが死亡した。生き残った人々も苦痛――熱、痛み。一目でわかる皮膚と白目の黄変――にさいなまれている。1822年までに、蚊の駆除が功を奏して、北部の都市では黄熱病はおおむね収束した。しかし内部の都市は19世紀末まで悩まされ続けることになる。
北部では黄熱病が下火になり始めたころ、新しい病気がアジアから船で到来した。1832年、コレラがニューヨークで発生し、数十年にわたってアメリカじゅうの大都市を席巻した。流行のたびに都市はがたがたになった。田舎に逃げる手段がある人々はそうしたが、貧しく、ほとんどが来たばかりの移民は街にとどまり、苦しみ続けた。
アメリカ人の感染症による死亡者数は、上下水道、ゴミ収集などの衛生対策が広く行なわれるようになると、徐々に減少した。1940年代には、抗生物質とワクチンの開発が本格化し始めていた。公衆衛生対策が引き続き行われたことと相まって、これら新しい治療法は、悪名高い病原体を1つまた1つと制圧していった。
 しかし現代病、つまり関節炎、若年性(一型)あるいは成人発症性(二型)糖尿病といった、いわゆる慢性疾患は、第二次世界大戦後の数十年間も増え続けた。慢性疾患は人から人へ移ることはないが、子どもから大人までどの世代にも襲いかかる。そして、いったんかかってしまうと縁を切るのは難しい。アメリカ疾病予防センターによれば、慢性疾患は2010年のアメリカにおける成人の死因で、上位10項目中7項目を占める。全成人の約半数が少なくとも1つの持病を持つと、2012年に同センターは報告している。
  《中略》
 20世紀後半の数十年間に、先進国では自己免疫疾患が劇的に増加し、哀えるきざしは見られない。先進諸国では一型糖尿病がこの30年で2倍以上増えており、より若くしてかかるようになっている。慢性的炎症に関係する現代の健康問題は、もっとも古い敵、病原体と今や肩を並べる脅成となっている。(P167-P169)


 著者は、「自分の身体が完全に自分だけのものではないことを受け入れるなら、免疫系の二重性を矛盾なく説明できる」と、次のように解説してくれています。これは「あなたの体は9割が細菌」にも通じる指摘で、どうも私たちの体は自分だけのものではいないようです。このように考えた方が、現代病への適切な対応策も受け入れることができるように思えます。

 新しく出てきたもう一つの免疫系の見方は、ある観察結果にもとづいている。それは、脊椎動物の腸内微生物相が比較的安定した多様性の非常に高い群集からできていて、ほかにはいない種が数多く棲息しているというものだ。これらの性質は、無脊椎動物の体内に棲み外部の環境条件に応じて絶えず変化する、きわめて一過性の微生物群集とはまったく対照的だ。複雑な免疫系のおかげで、私たちを含めすべての脊椎動物は、接触する微生物すべて――蛮族と生涯体内に棲んでいる微生物相――を識別することができるのだ。
 自分の身体が完全に自分だけのものではないことを受け入れるなら、免疫系の二重性を矛盾なく説明できる。いくつもの微生物景観から自分の身体ができていると考えてみよう。腸の河川流域、髪の毛の森、乾いた足の爪の砂漠、目の空。これらの場所には相互に影響しあう住人が多数いて、地球上のあらゆる生態系と同様に活発に動いている。それは同時に、目に見える生態系で起きているいつもの自然のプロセス――資源の不足と充足の循環、激変、捕食と被捕食の関係、温度と湿度の勾配など――に支配されている。
 私たちにとってもっとも利益にかなうのは、身体の生態系に棲息するものたちが、焦土作戦を採用するために免疫系の引き金を引かないことだ。そんな事態は人間にとっても微生物にとっても災難だ。そこで、正当に評価がされていないけれども、免疫系の本業は、体内外に無数にある生態系と、その居住者の健康を保つことだと考えてみる。もちろん時には、急激な炎症を引き起こして、門の前に現れた蛮族を撃退する必要もあるだろう。しかし全般的に見て免疫系の最優先目的は、身体の生態系が正しく――私たちのために――はたらくようにすることだ。
 このような見方は、マイクロバイオームに関する新しい発見ときわめて一致する。哺乳類の免疫系は、身体に長く棲んでいる微生物との関係を監視し、良好に維持するように進化したという証拠が積みあげられている。そしてあらゆる共生関係と同じで、微生物が繁栄するとき、私たちも繁栄する。メカニズムや細かい部分はまだ完全にはわかっていないが、マイクロバイオームの混乱が、多くの慢性疾患と自己免疫疾患にかかりやすくなる根本的原因の中にあるようだ。(P171-172)


 人間の微生物の獲得方法を次のように記述しています。まさに人間誕生の神秘です。人類存続のためには、社会全体で母体を大切にすることが必要です。と同時に、私たちは微生物と共に生きていることも承知しておかなければなりません。

 植物と同じように、私たちは周囲の環境を利用してマイクロバイオームを集め、培養する。しかし人間の獲得計画はもう少し複雑だ。出産の数時間前、母親は特殊な膣粘液の生産量を増やし、特有の微生物を育てる――子どものためにだ。赤ん坊が子宮をするりと抜け、この世に向けて下降を始めるとき、その微生物が取りつく。私たちと微生物は切っても切れない関係になる。それは色々な意味で一生の準備だ。誕生の旅路もまさに終わりに近づいたとき、母親の便にまみれて、私たちの最初のマイクロバイオームに仕上げが完了する。科学者の中には、胎盤と、おそらくは子宮さえも、最初のマイクロバイオームの種をまくのを助けているのではないかと考える者がいる。母親の細菌は臍帯血と羊水からも見つかっているからだ。(P187)

 「生態学では、宿主の体内または体表に害を及ぼすことなく棲んでいる生物」であり、「マイクロバイオームにおいては、一部の共生生物は他の要因、たとえば環境条件や微生物群集などが変化すると病原性を持つことがある」と解説されている共生生物について、著者は次のように紹介しています。その量の多さといい、その役割の重要さといい、私たちは共生生物に大きな恩恵を受けているようです。

 共生生物の本当の重要性は、やはり数字を検討することで明らかになる。微生物の細胞の数が、特に腸内では、われわれ自身のものを大きく上回ることを思い出してほしい。そして細胞の重さは100万分の1グラムのそのまた100万分の1にすぎないが、人間のマイクロバイオームを全部合わせると数キログラムになる。ヒトの皮膚1平方インチに約50万個の微生物が棲んでいる――ワイオミング州の人口とほぼ同じだ。人間の体内には天の川銀河の星の数よりたくさんの微生物がいる。私たち1人ひとりか微生物の銀可を持っているのだ。そして細菌の場合、ある人のマイクロバイオームを構成する微生物の組み合わせ全体は、指紋のように固有であるだけでなく、時とともに変わる。50歳になってからのマイクロバイオームは、2歳のときのマイクロバイオームと似ても似つかない。
 そして面白いのが、根圏に棲息する細菌が病原体の存在を植物に知らせるのと似た活動が、大腸の中でも起きでいる形跡があることだ。粘液層に棲む細菌は、内腔の病原体が粘液層に定着しようとすると、化学的メッセージによって大腸細胞に警報を鳴らす。
 共生生物の中には有益なあまり、それなしでは人間が病気になるものがある。病原体が免疫反応の引き金を引くことは昔から知られているが、共生生物が免疫系と相互に作用する――ときどきてはなく、常に――ことも今では明らかになっている。それどころが共生生物は免疫細胞に準備をさせ、訓練する上で、病原体と同じくらい大きな役割を果たしているようだ。ある意味で、その役割はいっそう重要である。と言うのは、共生生物は体内の炎症の全体的なレベルを調節する上で中心的な役割を果たしており、一方で炎症は人体のすべてか順調に動き続けるために必要であることを、マイクロバイオームの研究者は発見しつつあるからだ。(P187-188)


 著者は、私たち人間は「微生物のまったくいない無菌の身体を持ったことは」なく、「微生物が免疫系のはたらきを助けていると考え」、微生物という「小さな仲間たちに十分な栄養と、すみかと、安全を与えつづけること」によってこそ、健康を維持することができると述べています。私たちの健康維持を考える上で、微生物レベルから見直すことが重要なようです。

 人間が 微生物のまったくいない無菌の身体を持ったことはない。もしそんな状態が実現したとすれば不健康この上ないことになるだろう。人体内部に棲む微生物群集は、敵の撃退を助けることから、人間の健康維持に役立つ代謝副産物の供給まで、数知れぬ役割を果たしている。たとえば私たちは、神経系が正しく機能するために必要なビタミンB12、血液凝固と骨の健康に関係するビタミンKといった、健康に欠かせないビタミンを作る腸内細菌相に支配されている。だがそれらは、人間が生きるために必要な数ある分子や化合物の中の2つにすぎない。微生物は、私たちの血液中にある代謝産物[生物の代謝の副産物としてできる分子や化合物。動植物と共生する多くの微生物が作る代謝産物は、宿主の正常な成育と長期的な健康に不可欠である]の、3分の1までもを作りだしているのだ。
 免疫系は微生物を殺すために進化したと、かつて私たちは考えていた。それが今では、微生物が免疫系のはたらきを助けていると考えられるようになっている。有益微生物が人間の健康にどのように影響するのか、細部とメカニズムはわかり始めたばかりだが、マイクロバイオームが混乱すれば、ちょっとした体調不良から深刻な病気まで、さまざまな影響が出ることははっきりしている。
 つまり、私たち自身をみずからのマイクロバイオームの世話係として捉えなおし、小さな仲間たちに十分な栄養と、すみかと、安全を与えつづけることが必要なのだ。なぜなら彼らが元気なら、私たちも元気だからだ。それはただの自然の隠れた半分ではない。私たちの免疫系のもう一本の腕であり、腰かけの脚のように、どの一本が欠けても安定しないのだ。それでもなお医学界は、19世紀の微生物学の宣言書――細菌論―-に支配され、すべての微生物に今もおおむね敵対的な立場を取っている。(P196-197)


 次に書かれていることは、既に「あなたの体は9割が細菌」でも指摘されていました。多くの人が知らないところで、とんでもないことが行われているのです。抗生物質の有効性だけでなく、その問題性をも考えた上での対応が求められています。しかも多くの場合がそのような問題を知らずに使っていることに、事態の深刻さがあります。

 過去半世紀、抗生物質は常に過剰処方され、耐性菌の増加につながった。しかし、より深刻な抗生物質の乱用が現在進行中なのを、知る者は少ない――成長促進のために、健康な家畜に大量投与されているのだ。抗生物資を与えた動物は、与えないものより早く太る。全世界で使われる抗生物質のおよそ90%が、明らかな感染のない動物に与えられている。これは耐性菌を発生させるさらに効果的な方法であり、実際そのように働いている。
 人間と動物に共通して感染する微生物のあいだに、抗生物質耐性が急速に広まれば、将来の世代は、一度は克服したと思われていた感染症に日常的にかかって死ぬ恐れが生じる。そのような未来が闇の中からはい戻ってくるなら、それは21世紀のわれわれが抱いている、現代医学は伝染病を今にも征服しようとしているという確信が、大きく後退したことを意味する。(P237)


 「抗生物質の効果に関する最近の知見」として、「抗生物質が殺しているのは細菌だけではない」、「それは大腸内壁の細胞も壊しているのだ」と記述しています。「細胞一つひとつにある小さな発電所、ミトコンドリアにダメージを与える」というのです。私たちは抗生物質の濫用を厳に慎まなければならないようです。

 抗生物質の効果に関する最近の知見は衝撃的だ。オレゴン州立大学の研究者は、マウスの実験で、抗生物質が殺しているのは細菌だけではないと報告した。それは大腸内壁の細胞も壊しているのだ。どのようにして抗生物質が哺乳類の細胞を殺すことができるのか? 細胞一つひとつにある小さな発電所、ミトコンドリアにダメージを与えるのだ。大昔、ミトコンドリアは独立した細菌だったことを思い出してほしい。ミトコンドリアのルーツか細菌であることが原因で、ある種の抗生物質に弱点があるらしいのだ。
 過去50年で、病原体のない慢性疾患や自己免疫疾患が大幅に増えたことを、細菌諭では説明できない。ヒトの遺伝的特徴の変化も同様だ――遺伝子がわずか2世代でこれほど大きく、これほど多くの人間のあいだで変わるはずがない。だが、急激に変化しているのは、私たちのマイクロバイオームなのだ。微生物にとって、ヒトの1世代30年は75万世代以上に当たる。このよう世代会計に関して、人類がはるかにおよぶところではない。私たち一人ひとりの生命が、私たちの味方もいればそうでないものもいる微生物の、進化の競技場にあたるものなのだ。(P238)


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 上図は「大きな変化」と題する円グラフで、「20世紀のあいたに、アメリカでは死亡原因で慢性疾患は感染症を抜いた(Jones et al.2012のデータより)」(P239)と説明されています。微生物の世界を覗くことができるようになった今日、微生物の視点から病気や健康について考えるべき時期に来ていると言えるのではないでしょうか。

 著者は、過去50年の病気の変化を「遺伝子のせいも多少あるかもしれないが、腸マイクロバイオームの変化の関与も大きくなっている」と見ています。腸機能障害や自己免疫疾患は、「少なくとも部分的には、免疫系がひどく故障した結果起きることがわかってきて」おり、その要因は現代人の生活スタイルにあると言及しています。

 1960年代から70年代にかけて子ども時代を送った著者2人のどちらも、クラスメートや友達に、臨死体験を避けるために親や教師が過剰なまでに見張っていなればならないほど重症のアレルギーや喘息を持つ子がいた記憶はない。また。今日流行しているクローン病や過敏性賜症候群のような、よくある腸の機能障害も思い出せない。
過去50年に研究者が見てきたのは、腸機能障害のただの上昇傾向ではない。40倍の増加だ。患者が1万人に1人から250人に1人にまでなったのだ。私たちがこのような病気にかかりやすくなったのには、遺伝子のせいも多少あるかもしれないが、腸マイクロバイオームの変化の関与も大きくなっている。
 腸機能障害と、喘息やアレルギーのような自己免疫疾患は、少なくとも部分的には、免疫系がひどく故障した結果起きることがわかってきている。こうした病気にはすべて、度を越した免疫反応が自分自身の細胞や組織を傷つけるという特徴的な症状がある。
 どうして自分の免役系が自分に牙をむくのだろう。大きな要因は、進化によって研ぎ澄まされた私たちの優秀な免疫系が、極度に衰えたことにあると考えられるようになってきた。厳しいトレーニングと有益微生物の助けかなければ、特殊化された私たちの免疫細胞と組織は怠けるようになる、あるいはぼんやりしてしまうとも言えるだろう。来る日も来る日も、体内外が微生物で飽和することによって、さまざまなフィードバックループが活性化されたり鋭敏になったりし、免疫系は微生物が敵か見方かを見分けることを覚えるのだ。きれいすぎる環境条件、極度に殺菌された食物や水、抗生物質のくり返しの服用、土や自然との接触の少なさ、こういったことはすべて私たちにとって不利益となる。これらの要素は微生物と免疫系の伝達を妨害する。そうなると、炎症のバランスのよい割り当て(免疫系はそうするように進化している)は放棄されてしまう。(P240-241)


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 上図は「食物の経路」と題する挿絵で、「胃で分解された単純糖質、大部分の脂肪とタンパク質は小腸で吸収される。大腸内の細菌は複合糖質を発酵させる」(P258)と説明されています。

 著者は、「大腸での発酵細菌の活躍」ぶりを「ゴミを黄金に」という言葉で示しています。大腸のはたらきを次のように書いています。最近、腸内フローラという言葉をよく耳にするようになり、腸内の微生物が注目されています。大腸内で作られる物質が脳にも作用し、大腸の役割の大きさが言われています。NHKテレビでも特集が組まれ、大腸への見直しが一般化しつつあるように思えます。

 大腸は、消化できないものを溜めておくしか能のない、つまらないゴミ箱などではまったくない。それどころか。このあまり愛されることのない場所には、ヒト腸内の微生物相で優位を占める2つの門の発酵細菌――バクテロイデス門とフィルミクテス門――のおかけで、すばらしい化学物質が集まっているのだ。その代謝産物は短鎖脂肪酸(SCFA)と呼ばれる。薬効成分の宝庫だ。短鎖脂肪酸は究極のリサイクルだと考えられる――細菌は人間が消化できないものを食べて繁栄し、その廃棄物で今度は人間が成長するのだ。(P259)

 「あなたの体は9割が細菌」で紹介されていた糞便微生物移植(FMT)の有効性が、この本でも紹介されています。このように農学も同様ですが、医学も微生物の世界から見直してみる必要があると言えるようです。

 C・ディフィシル感染症を除去し、腸内細菌相を変える能力がFMTにあると証明されたことで、この技術を他の病気、たとえば自己免疫疾患、肥満、糖尿病、多発性硬化症などの治療に応用する可能性を探る新しい取り組みへの道が開かれた。手法はすでに進歩している。フリーズドライした便を経口カプセルに詰めるような新しい送達手段は、間違いなく普及率を高めるだろう。(P272)

 微生物の視点から見る、摂り過ぎのタンパク質や脂肪の弊害について、著者は次のように記述しています。私たちは、タンパク質や脂肪の摂り過ぎに注意する必要があるようです。

 要するに、「すべての食事に肉を」という西洋型の食事の哲学は、多すぎる半消化のタンパク質を、あってはならない場所へもたらしかねないのだ。そして、完全にはわかっていない理由により、消化されていない赤肉のタンパク質は、特に有害な副産物を生むらしい。たまに、あるいは低濃度なら、窒素や硫黄を含む化合物にさらされても大して問題はない。だが、タンパク質腐敗の細菌性副産物を慢性的に浴びた大腸細胞は、長年かけてひどく傷つけられる。これは、大腸がんが人生の後半に発生し、タンパク質の腐敗が起きる大腸の下部で主にできる理由の説明になるかもしれない。
 ほかにも問題のある副産物が、大腸で作られている。脂肪をたくさん食べると、肝臓が刺激されて胆汁を生産し、小腸に届ける。人間には胆汁が欠かせない。それは洗剤のように作用して。脂肪を吸収できるように小さな分子に分解する。小腸で利用された胆汁はほとんどすべて、脂肪が十分分解されたあとで肝臓に送り返される。この「ほとんど」というのがくせ者だ。約5%の胆汁が腸管を下り続け、大腸に到達する。だから、脂肪をたくさん摂る人は脂肪を分解するために胆汁をたくさん分泌し、したがって大腸に届く胆汁も多くなる。だが、何がこの胆汁を捕らえて変質させるのか?
 大腸細菌相だ。それが胆汁を二次胆汁酸というきわめて有害な化合物に変える。そして腐敗の副産物のように、二次胆汁酸は大腸内壁の細胞に毒性を持つ。それはDNAに損傷を与え、細胞の異常な成長を引き起こす。そして異常な細胞が現れると、腫瘍に変わる可能性が生まれる。(P277-279)


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 上図は「食事の重要性」と題する挿絵で、「食事が違えは、腸内細菌相への効果も違う。矢印の大きさは、消化管内に届く食品の栄養素や微生物が作る物質の、相対的な量を表わす。複合糖質に富む食事は、最高レベルの有益な微生物代謝物を生み出す」(P278)と説明されています。私たちは食事について微生物レベルで考えてみる必要がありそうです。

 著者は、ほとんどの人にとっての健康な食事について、次のように述べています。

 私たちの多くが飽き飽きしているのも無理もない。私たちの内なる雑食動物に何を食べさせるべきかは、たぶん重要なことだ。それはハイジが考えた皿のようになるだろう。仕組みはかなり単純だ。中ぐらいの大きさの皿を選び、野菜、豆、葉物野菜、果物、未精米の全粒穀物を使って食事を作る。好みで肉を加え、健康にいい油を少し野菜に垂らすか上に振りかける。デザートと甘いものは特別のものだ。だから特別の機会のために取っておこう。
 もちろん、腸の機能異常、糖尿病、特定の食品へのアレルギーなどを持つ人には、食事への特別な配慮がなされる。しかしほとんどの人にとっては、健康な食事の鍵はバランスに多様性――そして精製炭水化物をはずすこと――といたってシンプルだ。(P281)


 著者は、食事や運動の生活スタイルを変えることによって、健康が改善され体験を次のように記述しています。

 初めての菜園を作ったことがきっかけで、私たちは食生活の改善を改める方向へと歩み出した。はじめ、私たちががんだのコレステロールだの何だのについて考えていなかった。しかし自家製の作物が山のようにできると、私たちは野菜を主菜として以前よりたくさん食べるようになった。そして庭で穫れるものを食べることが多くなったので、肉、チーズ、パンを食べる量が減り、戸棚のスナック類はほとんど食べなくなった。
 しばらくして、食べものを変え、毎日往復4キロを歩いて通勤することにしたところ、私の健康状態は目に見えて改善された。以前、私には高血圧、高コレステロール、胃酸の逆流、慢性的な腸の問題があり、コレステロールの薬と、胃酸逆流の紫色の小さな丸薬を飲んでいた。主治医は、血圧の薬も飲んだほうがいいかもしれないとも言っていた。新しい食事法にしてから1年後、私の血圧とコレステロールは正常値の範囲内に低下した。胃酸の逆流も繰り返す突発的な下痢もなくなった。体重も大幅に、約11キロ減った。もうどんな薬もいらなくなり、食生活を変えて腸内の微生物の庭園を耕すことで、健康がこんなに改善されるのかと、私は今でも驚いている。(P282-283)


 著者は、「土壌の健康とヒトの健康は根本でつながって」おり、このことは第二次世界大戦前に洞察されていたが、戦争のため関心は薄れ、戦後、進められた工業的農法の問題点を、次のように書いています。私たちは、土壌の健康の衰えに伴う、見た目ではわからない「カロリーは高いが栄養に乏しい食品」の実態について、もっと関心を持つ必要があるように思います。

 土壌の健康とヒトの健康は根本でつながっているとするバルフォアとハワードの洞察は、第二次世界大戦の余波で二の次にされた。産業界は工場生産を戦車からトラクターへ、弾薬から肥料へ、毒ガスから殺虫剤や除草剤へと転換するのに忙しかった。手頃な値段で農薬と農業機械が普及し、主役の座につくにつれて、土壌の健康が土壌肥沃度に果たす役割への関心は薄れていった。
 だが、軍需産業の一部が農化学産業となって急成長する一方、工業的農法によって栽培される食物の栄養価が低下していることに、科学者は懸念する声を上げていた。中でも遠慮なく発言していた一人、ミズーリ大学の農学者ウィリアム・アルブレヒトは、カロリーは高いが栄養に乏しい食品に依存する危険性を警告した。工業化された農業の下で土壌の健康は衰え、ヒトの健康もそのあとを追うとアルブレヒトは予見した。(P288)


 13年間の研究により、「日常の耕作が土壌肥沃度を大幅に低下させるだろう」という「アルブレヒトの懸念」について、著者は次のように記述しています。微生物に対する考察によって、私たちは化学肥料の限界性を認識しなければならないように思います。

 そして、有価物を畑に戻すことが肥沃度を保つ鍵であることの有力な証拠を、アルブレヒトは示した。ミズーリ州中部で行われた研究では、末開墾の草原と、60年間有機物を加えることなく収穫を続けてきた近隣のトウモロコシ畑とコムギ畑で、土壌有機物を比較した。浸食はわずかだったが、耕地からは未開墾地と比べて3分の1を超える土壌有機物が失われていた。同様に、連作によって植物が利用できる窒素は13年の研究期間に約3分の1減少した。この研究や他の研究から、アルブレヒトは不穏な結論を導き出した。何らかの方法で有機物を土壌に維持するか補充するかしなければ、日常の耕作が土壌肥沃度を大幅に低下させるだろう。
 アルブレヒトの懸念を共にする者はほとんどいなかった。土壌有機物の減少はゆっくりと起き、アメリカの農地はまだ収益の上がる作物を生産していた。ならばどうして心配する必要があるだろう? さらに農家は、化学肥料が劣化した土地でたちまち収穫を上げてくれると思っていた。アルブレヒトはこれがゆがんだ動機づけに向かっていると考えた――肥沃度を支える土壌有機物の喪失を、農家はまんまと逃れ、それでもなお収穫高を増やすことが、ふんだんに施した安い化学肥料のおかげでできるのだ。少なくともしばらくは。(P289-290)


 著者は、農業界にしろ医療界にしろ、従来の化学主導の考え方を改め、微生物レベルで見直すことの必要性を次のように主張しています。目に見えない世界についても、微生物を通じて捉え直すこと、つまり自然と共に暮らすことが、私たち人類がより幸せに生きていくために大切なことのように感じます。

 土壌から植物への微量栄養素の移動を引き起こし、あるいはそれに影響する微生物群集を、慣行農業は直接的であれ間接的であれ変える。ほとんどの土壌ではミネラル豊富な作物が育つのに十分な濃度があるにもかかわらず、鉄と亜鉛の不足は、人間にきわめてよく見られる栄養欠乏の一つだ。多くの場合、鉄、亜鉛、その他の微量栄養素は別の元素、たとえば酸素と結合しやすく、比較的水に溶けにくい化合物を作っている。まわりの土の中にあっても、固定されていて植物には利用できない。ある種の微生物にはこうした元素を分離してやることができる。これが、見過ごされてきた疑問を近代農業に投げかける。私たちの農業慣行が、微生物界の港湾作業員をお払い箱にして、根圏のすぐ沖合にいる微量栄養素を積んだ貨物船を立ち往生させているとしたらどうだろう?
 農業の主流にいる人々は誰も、この問題について心配していなかった。それどころか、1950年代初めには、農業用化学製品の普及により収穫量が大幅に向上し、作物に害を与えるさまざまな病原体が制圧されていた。こうした奇跡のような成果があったので。化学製品の使用量は増加した。ちょうど同じ時期、医療分野で抗生物質の使用量が増えたのと同じように。望みの結果をたちどころにもたらしでくれる化学物質の使用に、誰が異論を唱えられるだろう。(P296-297)


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 上図は「植物には食べ物が大切」と題する挿絵で、「有機物に富む土壌は、より多様で豊富な土壌生物の群集を支える。こうした群集は、微量栄養素を利用しやすくし、植物に有益な化合物を豊かにする」(P298)と説明されています。この挿絵は私たちに様々な示唆を与えてくれています。

 化学農薬の害の有無は微生物レベルで考える必要があると、著者は除草剤グリホサートの場合を例に次のように述べている。私たちにはどちらの主張が正しいかの判別はできませんが、どちらがより自然と共に暮らすということに相応しいかで考えればいいのではないかと思っています。

 殺生物剤(除草剤、殺菌剤、抗真菌剤、殺虫剤)の悪影響を指摘する研究に対して、農業化学製品のメーカーが猛烈に異議を唱えるのは驚くまでもない。生命の樹の大枝それぞれに1つの薬剤があるので、メーカーにとってはこの問題に多くがかっているのだ。たとえば、除草剤グリホサートの場合を考えてみたい。初期の段階の研究で、グリホサートは人体に対するめ直接毒性が低く、すぐに分解されるとされた。しかし最近の複数の研究で、グリホサートはやはりそれほど無害とは言えないかもしれないと、科学者は報告している。悪影響は急性毒性よりも微生物群集の攪乱によるものだと、研究者は結論している。こうした研究の中には、グリホサートが根圏微生物相に影響して、植物が取り込む栄養(リン、亜鉛、マグネシウムなど)を減らすことを証明した実験もある。また、グリホサートが家禽やウシの腸内生物相を変化させ、病原体が有益細菌を抑えて増殖しやすくすることもわかっている。こうした観点から、『フード・ケミストリー』誌に2014年に掲載された、市場に出回っているダイズにかなりの濃度のグリホサー卜が残留していることを報告する論文は、世界でもっとも売れている除草剤に対する疑問を間違いなく深めるだろう。(P302)

 「微生物肥料の商品化」に将来性があり、「土壌有機物――長い時を経て証明された、土壌をいつまでも肥沃に保つ天然の基礎――の再生に重点を置くことが、私たちの子孫のためになるだろう」と、著者は主張しています。安全安心な食を得るために、「微生物肥料の商品化」に期待したいところです。

 微生物の生態を利用して土壌と作物の健康を増進し収穫を高めることには、現実の見込みがありそうだが、土壌肥沃度の生物学的基礎が認められるには依然手ごわい障壁が存在する。なにしろ、現代の農業慣行は1世紀半におよぶ化学を中心とした理論と実践にこり固まっているのだ。また現場レベルでも、微生物生態への私たちの理解がまだ未熟であるという限界がある。だが、それは変わりつつある――それも急速に、微生物肥料の商品化か増えているのは、すでに従来の化学肥料とコスト競争力があり、より多くとまでは行かなくても、同等の収穫を生む手法があることの反映だ。化学肥料は間違いなく、将来にわたって商業的農業には欠かすことかできないだろう。しかし、その使いすぎを減らしていき、土壌有機物――長い時を経て証明された、土壌をいつまでも肥沃に保つ天然の基礎――の再生に重点を置くことが、私たちの子孫のためになるだろう。(P308-309)

 著者は、本書のまとめを次のように記述しています。著者は、「はじめに」で「現代の科学業界用語は、大部分があきれるほど退屈きわまりない」と指摘しており、一般の者でも分かりやすいように書いてくれています。

 微生物が土壌の健康と人間の健康の両方に果たす、きわめて重要な役割の類似が明らかになった今、私たちの世界を見る目は変わらずにはいられない。足元にある隠された自然の半分を見ることは依然できないが、それが日々の庭で目にする生命と美の根本であることを、私たちは知った。そして私たち一人ひとりは数十兆の仲間たちの一員であることを知り、自分自身への見方も変わっている。
 まわりの動物、植物、景観は、自然という氷山の目に見える一角にすぎないことを実感して、私たちは畏敬の念を抱き、微生物の不思議な世界が土壌を肥沃にし、食べ物を栄養豊かにしていることに感謝するようになった。ほとんどの微生物は有害であり、免疫系や抗生物質によって制圧すべき敵だと私たちは思ってきた。しかし微生物群集は、私たち自身の代謝の主要な部分と一体となっている。私たちは土壌(体内のものにせよ体外のものにせよ、よくも悪くも)に与えたものの産物を収穫していることを知れば視野が広がり、土壌中あるいは人体内にも有益な微生物を増やすことの、農業や医療における計り知れない価値がはっきりする。
 優に1世紀以上、人類は見えない隣人を脅威と見てきた。土壌生物をまず農業害虫と考え、そして細菌論のレンズを通して、微生物を死と病気を運ぶものという型にはめた。この視点から生まれた解決策――害虫を一掃するための農薬と病原体を殺すための抗生物質――は、われわれの慣習に定着した。悪い微生物を殺すことに熱中するあまり、居あわせた害のない微生物への付随被害を、私たちはあまり気にしてこなかった。もっとも、自分たち自身への影響は見え始めている。
 さまざまな殺生物剤を農地にまき散らせば、一時的に農業害虫を抑えられるかもしれないが、長期的には害虫が逆襲してくる。ここ数十年の抗生物質の多用と完全に傾向が同じだ。それは抗生物質耐性菌を生み、今や防衛手段にない菌の数が増えている。問題を解決する代わりに、持久力に乏しい解決手段への依存症に私たちはなってしまったのだ。庭や農地や人間に広範囲に効く殺生物剤を浴びせることは、園芸家、農家、医師にとってもはや習慣的な解決策であってはならない。
 こうしたことが意味するものは何か。土壌肥沃度と人間の免疫系――すべての人にとって決定的に重要な2つ――のはたらきは、私たちが思っていたのとは違うということだ。根圏の有益な微生物群集が乏しい植物は、自分を守り私たちの栄養となるフィトケミカル[植物が作りだす物質で微生物との情報伝達を含め、防御と健康にかかわる幅広い機能を持つ]の製造を手控える。特に私たち自身の健康に関係するのは、懸命に殺そうとしてきた微生物のほとんどが、実は人間にとって必要なものだったことだ。そしてマイクロバイオームを、特に子どものうちに混乱させることが、現代病の根本的原因として考えられるようになってきた。これは害虫や病原体と戦ってはいけないということではない。私たちが頼るようになった手段には、隠れたコストがあるということなのだ。(P313-314)


「闘う微生物」や「土と内臓」を読んで、どのようなことを考えた
 最後に、これらの本を読んで感じたことを書いて終わりたいと思います。
 「身土不二」という言葉があります。昔の人はすごいなと、今さらのように感じています。微生物レベルで考えると、人間の体と土壌は一体だったのです。「身土不二」の「土」には単に土壌といった意味だけではなく、地域・風土といった意味合いもあります。よく言われる地域でできる食物を摂ることで、その地域で健康に生活できるということなのだと考えます。
それはつまり自然と共に暮らすことではないかと思っています。人間は自然の一部であることを強く意識することが、様々な問題を考える上での大前提となるのではないでしょうか。それは同時に、微生物レベルで考え直すことでもあるように思います。
 これらの本を読んで強く思った具体的なことは、抗生物質の濫用と糞便微生物移植(FMT)の普及です。感染症から人間を救うための抗生物質の使用はやむを得ないにしても、お金儲けのための抗生物質の濫用は直ちにやめてほしいと思います。その一方で、糞便微生物移植は、難病の治療にも有効性があると言われています。その研究と普及を多くの患者さんが待っていらっしゃるのではと思います。
 私たちが気のつかないうちに、どんどん進行をしていることも多く、いろんな事柄に関心を持つことが必要なようです。その意味からも「土と内臓」はぜひ読んでほしいなと思っています。
微生物の世界を理解すると色んなことが見えてくると思っています。例えば、現代病と言われている慢性疾患や自己免疫疾患への対処法に、見通しを見出すことができるのではと考えています。また慣行農法の問題点を明らかにすることができ、食として有機農業・自然農法による農産物でなければならない理由が見えてくると思っています。微生物の世界を見ないものにする旧来の考え方にどっぷり浸かった今日の時代にあって、微生物の世界を知ってしまった私たちに何ができるのでしょう。感染症にかった時、必要最低限の範囲内で抗生物質を処方してもらうようにすることがあります。また現実には難しいことですが、不必要な抗生物質で飼育された肉や魚をできる限り食べないようにすることがあります。さらに有機農業・自然農法による農産物をできる限り食卓に並べるようにすることもあります。これらのことは現実にはとても難しいことですが、自分や自分の家族のためにも努力することが大切だと考えています。
 微生物レベルで考えることが一般的な時代になるためには、コペルニクス的転回が必要です。天動説が地動説に変わるために、多くの犠牲と長い時間が伴ったように、様々な犠牲と長い時間が必要なのだと思います。天動説や地動説を持ち出すのは大げさだと思われた方もいらっしゃるとは思いますが、微生物レベルで考えるということは、それほど大きな転換なのです。そして、必ずやそのような時代がやって来ると信じています。それほど微生物の魅力に取りつかれているのです。
 長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。

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森の活用・保全策を考える[2019年09月15日(Sun)]
森の活用・保全策を考える


小見出しは、次のとおりです。
  はじめに
  なぜこのテーマを
  どのようにして「森林」と「林業」を読むように
  今後の方向性を考える
  「森林」や「林業」を読んで、どのようなことを考えた


  
はじめに
 森の活用・保全策について、「森林未来会議」(熊崎実・速水亨・石崎涼子編著、筑地書館、2019年 以下「森林」と表記します)と「絶望の林業」(田中淳夫著、新泉社、2019年 以下「林業」と表記します)を引用しながら、門外漢ではありますが、少し考えてみたいと思います。
【下の写真は「森林未来会議」と「絶望の林業」の表紙です】
森林未来会議.jpg絶望の林業.jpg

なぜこのテーマを
 私は、長年、建築や住宅に関わってきました。そのため木材を提供してくれる森林や林業には、強い関心を寄せています。また環境問題も大きな関心事です。暮らしやすい生活をいかに確保するか、人類の存続をいかに継続していくかを考えるためにも、環境問題は避けて通れません。さらに人類の祖先は森に住んでいたと思っています。その時代のDNAが残っているとも考えています。したがって人類は、生物として木に囲まれていることが理想的ではと思っているのです。近年、頻繁に耳にするがけ崩れを考えると、私たち一人ひとりが、健全な森林をどのようにして守っていくのかを考えなければならないと思っています。また森の役割として、国土の保全、水源の涵養、地球温暖化の防止、生物多様性の保全が一般的に挙げられます。近年では森林浴が注目され、私たち人間の精神的な癒しの場ともなっています。里に暮らす私たちへの森の恩恵には、計り知れないものがあります。つまり快適な里での生活の原点は、森にあると考えるべきではないしょうか。このようなことから、森の問題は、私たちにとって、とても大切なテーマだと考えているのです。

水の循環.jpg

 山口市の森あるいは山を活用・保全ができないのかと考えてきた結果、国の補助金に胡坐をかいてしまっている森林組合の変革がない限り、山(森)の健全な活用・保全は、不可能に近いと考えるようになりました。私のような者には、荷の負えない問題だと思うことにし、真剣に考えないことになったのです。この森林組合を変革するためには、従来の考え方ではあり得ないことで、価値観の大転換が必要になってきます。そんなことは起こりにくいことです。他の分野でも同様ですが、発想の大転換が必要な時代でありながら、そのようなことは不可能だと思わせる時代でもあります。といったことで、山(森)の健全な活用・保全を考えることは、門外漢の私のような者は、成り行きに任せるしかないと考えるようになったのです。

どのようにして「森林」と「林業」を読むように
 そんな折、楽天からのお知らせで、「森林未来会議」という本の紹介がありました。「森を活かす仕組みをつくる」といったサブタイトルもあり、ひょっとしたら森再生の打開策が書かれているのではといった期待感から購入しました。しかも森の現場に近い、閉塞感の漂う現状を何とかしたいと思っている人たちの議論の成果をまとめた著書だけに期待は膨らみました。このことは、石崎涼子さん(森林研究・整備機構 森林総合研究所)が書かれた次の「あとがき」からも感じたのです(私は通常「はじめに」や「あとがき」から読み始めます)。

 この研究会には、研究者だけでなく、行政に携わる人々や教育に関わる人々、学ぶ人、森林経営に関わる人など様々な立場の者が参加し、立場を超え世代を超えた議論が交わされてきた。研究会の事務局を担当した筆者が最も苦労したのは、議論を止めるタイミングであった。毎回議論は盛り上がり、当初示した定刻が迫っても一向に収まる気配はない。毎回心苦しさを感じながらも、熱気溢れる議論に区切りをつけなくてはいけなかった。
 多岐にわたる議論の中でも特に印象深かったのは、研究会が立ち上がって間もない頃、当時大学院生だった女性が投げかけた問いであった。
「今、林業に携わる若い人たちが林業の魅力や面白さを感じることができないのはなぜでしょうか?」
 昨今、林業や山村での暮らしに魅力を感じて林業の世界に飛び込む若者が増えている。そんな若者が実際に携わった時に「大変だけど、やりがいがある」と実感できる仕事にしていくためにはどうしたら良いのだろう。(P312)

 しかし残念ながらザーッと読んだところでは、期待したほどの打開策の記述はありませんでした。無理もないことだとは思います。今までの林野行政が、現場からの声を聞き、長期的な視点から進めてこられたとは、とても思えないからです。しかも、生きがいややりがいを求める若者が出てきている一方で、世の中の風潮は、経済性や効率性が重視されています。このような時代にあって、そんなに簡単には打開策は出てこないのだと思います。長期的な視点に立って、じっくりと取り組んでいくしかないのだと思っています。
 ここは林政の専門家に聞くしかないと思い、専門家の友人に聞いてみました。そうすると、友人はこの問題を考えるために、とても分かりやすい本を紹介してくれました。そこには、林業の解決の難しい現実の問題を分かりやすく書かれていました。その上、この課題を克服するための見通しも示してくれていました。ただ、これが進むべき道だといった明晰な解はないと、前出の石崎さんは次のように「森林」で書かれています。

 森林の管理のあり方や森林官の役割について、これが進むべき道だ、この道を進めばバラ色だといった明晰な解は実はないのではないかと思う。他国の経験に目を向けると、自身の状態を相対的に捉えることができ、異なる選択肢があることも見えてくる。だが、結局のところは、自らのおかれた状態をよく見て、悩みつつ試行錯誤をしながら、地道に考え築いていくより他はない。森林を扱う技術や林業がそうであるように、誰が何をどう担っていくのかといった仕組みづくりにおいても、対象と対話して想像力を発揮し思考を重ねていくことが求められているのだろう。(P147-149)

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 さらに田中淳夫さんは、絶望しかないのだと、「はじめに」で次のように書かれています。

 私は、このところ「絶望の林業」という言葉をよく使うようになった。日本の林業の抱える問題を一つ一つ確認していくと、前途洋々どころか絶望してしまうからである。
 日本の林業には多くの障害がある。私は、それらの問題点に対して、どうすれば解決するか、という視点でこれまで見てきた。しかし知れば知るほどさまざまな要因でがんじがらめになっており、最近は「何をやってもダメ」という気持ちが膨らみつつある。近年の林業界の動きは、私の思う改善方向とは真逆の道を選んでいると感じる。その方向は林業界だけでなく、将来の日本の森林や山村地域に致命的な打撃を与えるのではないか、という恐れを抱く。それが絶望へとつながるのだ。(P5-6)

今後の方向性を考える
 とは言え、「森林」や「林業」の中で、今後の方向性が見えると感じた部分を著書から引用していきたいと思います。
 まず中村幹広さん(岐阜県森林整備課)です。中村さんは、「市町村が定期的かつ確実に専門知識を持った人材を確保する」ことの重要性とそのための人材育成についての具体的な提案を「森林」で次のようにされています。

 そして筆者はここで思考をさらに一歩進めて、市町村が定期的かつ確実に専門知識を持った人材を確保するために、全国の林業大学校に森林環境譲与税を活用した市町村林務職員養成のためのコースを開設するのもよいのではないかと考えている。2019年度から、市町村が実施する森林整備等に必要な財源に充てるため、国から市町村と都道府県へ森林環境譲与税が譲与される。この森林環境譲与税の一部をそれぞれが応分の負担で拠出し基金を造成する。運用益か基金の段階的な取り崩しにより市町村林務職員の養成コースを開設すれば、国が考える制度政策が現場で機能しやすくなるのは明らかだろう。資金を拠出した市町村も森林・林務政策に無関心ではいられなくなるし、都道府県が負担している林業大学校関連の予算も削減できる。別の見方をすれば、林業大学校における自主財源の涵養にも繋がるため、入学生を一人でも多く確保しようと、創意工夫を凝らした魅力的な養成コースの開設が全国に広がるかもしれない。加えて、養成された人材は確実に地域のために働いてくれるのだから、人材養成に投資した費用が地域外に流出することもない。これこそ最も費用対効果が高い賢いやり方と言えるのではないだろうか。(P165)

 さらに前出の中村さんは、「日本の森林・林業界も新しい発想や情熱を持った『個の可能性』を様々な形で登用し、それをネットワーク化すること」の重要性を次のように指摘されています。
 今後、日本の森林・林業界も新しい発想や情熱を持った「個の可能性」を様々な形で登用し、それをネットワーク化することができれば、専門的で制約があまりにも多い林務行政のような仕事であっても、これまで疑いもせず信じてきた限界を軽々と超え、既存の価値観にとらわれない大胆な挑戦が可能となり、それは新たな地域社会を創る大きな力となり得るだろう。
 そして地域社会の多様化、成熟化によって、仮に100人に1人しか評価しないような存在であっても、鍵と鍵穴の関係の如く、それは代替の利かない価値ある人材として評価されるようになった今だからこそ、組織が包含する「個の可能性」を発揮できる場を創出することによって、森林・林業政策にイノベーションが起こる可能性は高まっていくだろう。(P176-177)

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 鈴木春彦さん(豊田市森林課)は、市町村が林業職を採用することの重要性を次のように指摘されています。

 ところで、本稿で使った「市町村フォレスター」というポストは日本では公式には存在せず、それどころか、多くの市町村では林業職を採用する制度自体を持っていない。事務職として採用された一般職員が、人事異動の中で一定期間、森林・林業の業務に従事するというのが市町村林政体制の現状だ。専門家が「市町村森林行政の脆弱性」と指摘する背景には、このような市町村の人事制度の問題がある。
 しかし、変化の兆しはある。平成の大合併による森林面積増加や地方分権化への対応などを契機に、専門の林業職を採用する市町村が出始めているのだ。高まる市町村への期待に、専門職がいないと森林行政を前に進められなくなっているというのが実情であろう。森林フォーラムに参加している金沢市・富山市・福井市・群上市・豊田市には、既に林業職採用の職員が複数在籍している。石橋(2012)によると、全国の市町村の6%、53の自治体が林業職採用をしたと回答し、今後もそのような自治体は増えていくと予想される。市町村森林行政がパワーアップしていく前向きな動きとして捉えたい。(P207)

 横井秀一さん(岐阜県立森林文化アカデミー)は、「資質を高め能力を獲得するための教育制度」と「職に就くために資質・能力の具備を確認する資格認定制度」の構築が必要だと主張されています。

 最も理想的なのは、技術者が持つべき資質・能力を職種ごとに明確にし、資質を高め能力を獲得するための教育制度と、職に就くために資質・能力の具備を確認する資格認定制度を構築することである。林業先進国と目されるドイツ・オーストリア・スイス・アメリカなどには、こうした人材育成と人材登用の制度がある。悲しいかな、日本でこのような制度を導入するには、国家のあり方を変えるくらいの覚悟が必要で、現実的ではない。
 なら、今の日本で何ができるだろうか。いろいろな機会を駆使して、林業技術者を育てる教育(研修を含む)を実施するのが現実的だと考える。その教育には、就業前教育と就業後教育がある。それぞれを展望してみたい。(P215)

 また前出の横井さんは、研修のあり方についても提案をされています。

 林業技術者が真のプロフェッショナルとなり、高いスキルを持つことが組織の収益や個人の地位・収入の向上に繋がるようになれば、スキルアップに繋がるような研修に対する考え方や期待も変わることだろう。その実現を目指して、行政と民間が協働して、あるいは役割分担をしながら、研修のあり方を考えていく必要がある。もちろん、研修を担う人たちは、今から研鑽を重ねていかなければならない。
 就業前教育にしても社会人教育にしても、それが効果を上げるには、教育された人材を受け入れる組織、教育を提供する機関の考え方と関わり方が重要である。これまで、組織は林業の専門教育を軽視する、そのため専門教育の必要性が軽んじられる。そのため就業前教育が充実しない。それらのため教育の必要性を感じない、といった悪循環に陥ってきた。これを好循環に転換するには、教育を受けた人材を重用する仕組みをつくるなどのきっかけが必要かもしれない。しかし、何よりも大切なのはこの業界の人材に対する意識を変えることである。ただし、これは目的ではない。
 その先にあるのは、多様な森林経営・森林施業の現実であり、さらにその先には日本の林業の成熟が待っている。(P226)

 同時に田中さんも、人材育成の重要性が指摘されています。長期展望の森林経営のできる人材の必要性を、「林業」で次のように書かれています。

 やはり必要なのは、専門知識を備えた人材だ。森林のように長期スパンで動く自然を相手にするには、複雑な森林の生態から経済、経営、社会環境、そして関係者間のコミュニケーションに長けた人材が誇りを持って臨まなければ長期展望の森林経営はできない。情報を感度よく取り入れ、最新の知見を活かしていく。常に社会の動向をうかがってリスクマネジメントする能力と覚悟が必要だ。(P245-246)

 今後の方向性として、田中さんは「林業」の中で、森林生態系を健全にすることを大前提とした森づくりの指針づくりの重要性を、次のように指摘されています。

 重要なのは森づくりの指針だ。そこで考えるべきは資源と商品の関係だろう。数十年も先の木材の売れ筋を読んで、どんな木材が高く売れるだろうと考えて今から森づくりを行うのは不可能である。流行は短期間に変化する。技術の進歩も早い。画期的な情報通信技術や新素材の登場……など何がどのように進むかわからない。だから、森づくりは木材の生産を目標にしない。森林生態系を健全にすることを大前提とする。
 樹木草本、土壌、そして野生動物まで含めた生態系を多様で健全に育成することを目標とするのだ。生物多様性のある森は災害にも強いと研究でも指摘されている。病虫害の拡散を防止するほか、異齢・異種の樹根が伸びた表土は、崩壊しにくい。結果的に防災となり多様な資源の育成にもなる。リスクを減らせばコストダウンにもつながる。
 そのうえで利益をあげる方策を練る。そうすると過去の吉野林業方式が浮かび上がる。
まず健全に木々を育てる過程で出てくる産物(間伐材や下草など)や、製材間伐材で発生する端材、樹皮などを可能な限り商品化する。当然ながら新たな商品の開発のため、広く情報収集を行う必要がある。世間のニーズだけでなく、木材加工など新技術の情報を取得することも重要だ。同時に営業力も身につけねばならない。(P291-292)

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 さらに田中さんは、健全な森づくりを行う最大の有効策として、経営の多角化、健全な森づくり、利益の出る商品に仕立てるプロダクツの3つの組合せだと提案されています。

 整理すると、経営の多角化、健全な森づくり、林産物をもっと利益の出る商品に仕立てるプロダクツ。この三つを組み合わせることだ。
 ただし多品種少量生産だから生産量や生産効率が下がると心配するかもしれない。それでよいのだ。日本は人口減と高齢化が進み、木材の需要も林業の働き手も減少する。だから生産量が縮小してもよい。追求するのはトータルの利益の向上であり、受け取る利益の増大だ。森林の付加価値を高め、災害リスクを下げる。多角経営によって安定を図る。森林に関わる人々の生活が安定すれば、森づくりに労力を費やせる。それが健全な森づくりを行う最大の有効策である。(P296-297)

 また田中さんは、日本の場合、林業が森林環境や人間社会に及ぼす影響は大きいことから、森林を語るために林業にも目を配る必要があり、ある意味、日本の林業は、日本社会の縮図になっているのではないかと指摘されています。

 最近私がよく口にするのは「私は森林ジャーナリスト。林業ジャーナリストでも林業ライターでもない」だ。森林が好きだからこのニッチな分野を専門にしているが、森林とは動植物ほかの生物、土壌地質、水、気象などの自然に加え、文化、経済、政治など広範囲な分野を包含しており、林業はその中の一要素にすぎない。ただ日本の場合、林業が森林環境や人間社会に及ぼす影響は大きい。林業が健全に行われないと森林、そして日本社会もよくならないだろう。だから森林を語るために林業にも目を配っている。
 言い換えると、森林をよくする林業は応援するが、森林をダメにする林業はさっさと退場してもらいたいと思う。森林を破壊しても存続すべき林業なんてない。いや森林を破壊することは人類の未来を破壊することではないか。そんな思いで本書を執筆した。
 そして書き上げた今になって気づいたのは、ここに書いた林業の問題点は、日本社会のほかの多くの問題にも当てはまるのではないか、ということだ。ある意味、日本の林業は、日本社会の縮図になっているのかもしれない……。
 いつか、そうした中で生まれた絶望感を希望に変える日は来るのだろうか。(P299-300)

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「森林」や「林業」を読んで、どのようなことを考えた
 このような主張や提案を受けて、林業界の現状を全く知らない門外漢の私は、次のようなことを考えてみました。
 非現実的かもしれませんが、市域の森林の全コーディネートを市採用の林業職員に任せてはどうだろうかと思いました。もちろん全コーディネートの中には、その地域の森林に関わる多くの人たちとの良好なネットワークの形成も含まれています。さらに田中さんがおっしゃる「森林生態系を健全にすることを大前提とした森づくりの指針づくり」を担うことになります。さらに田中さんのおっしゃる「経営の多角化、健全な森づくり、利益の出る商品に仕立てるプロダクツの3つの組合せ」を目指す林業経営にも支援することも重要な役割です。地域の森林の活用・保全は、地域で暮らす林業職員が責任を持って進めるということにしないと、なかなかいい方向には進まないのではないでしょうか。
 何人採用できて、他の行政職員とのバランスをどのようにするのか、果たしてそのような優秀でやる気のある人材を確保することができるか、などなどと現状を考えると不安材料は尽きません。優秀でやる気のある人材を育てるためには、教育制度、研修制度の根本的な見直しが必要になってきます。そのためには、森林に関わる多くの人が、日本の森林の活用・保全を責任持って考えることだと思います。
 また田中さんは「森林のように長期スパンで動く自然を相手にするには、複雑な森林の生態から経済、経営、社会環境、そして関係者間のコミュニケーションに長けた人材が誇りを持って臨まなければ長期展望の森林経営はできない」と書かれています。つまり今日のような効率性や経済性が求められる社会では、実現が難しいことだと考えられるのです。もちろん効率化を進め、経済性を求めることも重要です。しかし自然を相手にする第一次産業については、少し考え方を変えた方が私たち人類にとって好都合なのではないでしょうか。確実性が比較的容易に見込める第二次産業の分野が、自然を相手にする第一次産業を少しカバーするようなことを考えていくべきではないでしょうか。またよく言われる近江商人の“三方よし”の理念を見直すことも必要になってくるように思います。
 もう少し妄想を続けさせていただきます。森の問題を、森林や林業の分野だけで考えることには限界があります。ここは“循環する地域づくり”といった視点から考える必要があるように思います。地域の森を健全に保つためには、どの程度の木材搬出量が必要なのかを想定し(A材〜D材ごとに。ただこの作業はとても難しいことなのかもしれませんが)、その量に見合った施設を整備するといった考え方で進めなければならないのではないでしょうか。採算のために施設の規模を決めるといった思考を改めることが重要だと考えています。さらに言えば、山の人だけでなく、川の人、里の人、海の人も、森を健全に保全するための木材搬出量の消費に協力するのです。双方がお互い様の精神を発揮するのです。このような総合的な視点は、政治の力が必要のように思います。ただ政治にも4年ごとの選挙があり、長期的な視点より、その場の課題への対応が求められているようにも思えます。

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 さて現実の社会に戻ってみましょう。私が今まで書いてきたことを実現するためには、価値観の大転換が必要です。しかし、このようなことは非現実的です。様々な分野でも同様のことが言えますが、発想の大転換が必要な時代でありながら、そんなことは不可能だと思わせる時代でもあります。結局、問題だらけの現状に甘んじざるを得ないのかと、悶々とした気持ちになるのです。
皆さんは、どのようにお考えでしょうか。

Posted by 東 at 10:09 | 研究員からの報告 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

報告「研究会:東信自給圏構想の現状とビジョン」[2018年04月11日(Wed)]
1スマート・テロワール協会マーク.jpg
登録商標:スマート・テロワール協会



報告「研究会:東信自給圏構想の現状とビジョン」
(長野県佐久市 佐久平プラザ21・2018/03/26)


 久しぶりに県外での研究会に参加してきました。長野県の東信地域でのスマート・テロワール(地域食料自給圏)の実現に取り組む「NPO法人信州まちづくり研究会」が主催するものです。東信地域でのスマート・テロワールの具体化の様子と副理事長の安江さんの熱意から、東京旅行を兼ねて長野県佐久市まで出かけました。まだまだ様々な課題はあるものの、東信地域での「地域食料自給圏」の実現に向けて着実に進めておられることを実感させていただきました。

 ここでは、前出の安江さんが研究会の内容をまとめられたものと私の疑問への安江さんの回答、配付された資料をベースに、研究会の様子などを報告させていただきます。お時間のある時にご一読ください。

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 会場はJR佐久平駅から私の足でも歩いて5分の「リゾートイン佐久平プラザ21」でした。出席者は安江さんのご尽力もあり、68名の実に多彩な人たちでした。中島恵理副知事さんをはじめ(山口県ではまず考えられないことです)、種子法の創設者であり世界的権威でもある松延洋平先生も東京から参加されていました。また県議会議員の方や政策研究大学院大学に出向されている農林水産省のお役人さん、上田市、佐久市、軽井沢町、御代田町の農政課・経済課の職員の出席もあったのだそうです。さらに地元出身者の方も駆けつけておられたようですし、静岡からの参加もあったそうです。今後の展開の実現性の高さを実感すると同時に、関係の皆さんの責任の重さを感じることができました。

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 主催者あいさつは、齋藤理事長に代わって、安江副理事長さんが行なわれました。故松尾雅彦さん(享年76歳)のご冥福をお祈りする黙祷から始まります。その後、3月23日に行われた東京帝国ホテルでの「お別れの会」の様子をお話されました。続いてNPO法人としての挨拶をされ、その中では次の2点をおっしゃいました。
・会員数はまもなく100名を超えるが、組織の広がりに相応しい体制も活動もまだできていない。今回の企画は、新たな体制作りのためのキックオフにしたいと考えている。
・そのためには、スマート・テロワール(地域食料自給圏)構想について、共通の理解と目標を持つことが重要で、今回はそのための企画でもある。

 研究会では5人の講師が提言・報告をされました。以下、お話の概要を箇条書きします。
4中田さん.JPG
 トップバッターは、東京に事務所があるスマート・テロワール協会を代表しての中田康雄さんです。「スマート・テロワールが目指すもの」と題して、根本思想と目指す目標について、お話しされました。中田さんは、カルビー鰍フ松尾雅彦さんの後継社長を務められた方で、現在、中田康雄事務所を開設され、経営コンサルタントをしながら、松尾さん亡き後のスマート・テロワール協会の体制づくりにご尽力されています。
○日本の農業に関連する問題点として、次の5点がある。
・自給率の低下→自給率を上げる必要がある
・畑作生産の衰退…1961年施行の「農業基本法」により、稲作中心に転換した
 →畑作と地場産業の復活
・消費の変化…食料品支出額は、畜産酪農品、小麦製品、大豆製品が米に比べ圧倒的に多い→稲作中心ではなく、畜産や畑作に着目すべき
・少子高齢化ではなく、向都離村が問題→農村での職場の確保
・大豆の収量の伸び悩み→日本の農業はもっと生産性をあげるべき
○農協の一括購入には、生産者の努力が評価されず、消費者の声が生産者に届きにくいという問題があった。
○畑作と畜産はスマート・テロワールの車の両輪。食品加工工場とは、市場を介さない契約栽培とする。畜産の堆肥により土壌を改善し収量の増加を図る。
○畜産が循環型社会の要。耕畜連携+農工一体が非市場社会のシステムで一体化。
○いまこそ福沢諭吉に学ぶとき。「文明論之概略」に「2つの眼を見開いて、表と裏と凝視せよ」、「世論とは、大成に順応して一生を送る連中に生じたもの。異端を尊べ」とある。

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 続いて、阿部長野県知事が唱える「地消地産」の実現策としての「地域食料自給圏実証実験」を行なっている現場の報告と今後の展望について、県の農業試験場を代表して、野菜花き試験場佐久支場長山下亨さんからお話がありました。
○実証試験には大きく分けて2つの事業がある。1つは「畑作輪作・耕畜連携実証」で、畑作輪作試験を農試・野花試・支場・畜試において実施し、規格外品による豚の肥育試験を畜産試験場で行う。もう1つの「農産物加工・地域内消費実証」は、輪作作物や肉の加工試験を地域の加工業者で実施し、東信地域の食品流通や消費動向調査は長野大学で行う。
○農産物加工・地域内消費の実証に当たっての「作物・品目」、「食品加工業者」、 「テスト加工品目」は、次のとおりである。ジャガイモは長野市の惣菜製造業者がポテトサラダを、小麦は東御市のパン屋が食パン・カンパーニュなどを、大豆は東御市の大豆加工組合が、豚は佐久穂町の肉加工業者がハム・ソーセージを製造する。調査項目は、加工適正、商品適正、採算性、消費者アンケートとしている。
○実証試験圃場は、長年、牧草地として管理されていた農地を畑へ転換した。7,500uの農地を4区画に分け、それぞれジャガイモ、小麦、大豆、飼料用作物として栽培をスタートさせた。各区に堆肥区、化学肥料区、連作区(堆肥・緑肥・化学肥料)の3つに分け、計12区画に区分し比較検討することとした。
○自給飼料による畜産と加工・販売による循環が自給圏(スマート・テロワール)構想の要である。そのための実験は、今年の1月スタートさせ、6月には加工品ができる予定である。
○30年度は、試作加工品についての加工適正、食味評価、販売評価を行うことにしている。
○農家に勧められるかどうかを確認するために、農家の手取りを算出することにしている。

6古田さん.JPG
 次には、長野大学環境ツーリズム学部長の古田睦美教授から、「食と農のネットワークがつくる持続可能な社会」と題して、たくさんの研究・調査データを元にお話がありました。長野大学では「地産地消論」という授業を開講しておられ、長野県農政部から、東信地域の食品流通の実態調査事業も受託しておられます。長野大学と「NPO法人信州まちづくり研究会」とは、年に数回コラボされているそうです。
○長野大学は、地域(旧塩田町)が全額出資して設立した公設民営の珍しい大学で(1966年4月設立)、2017年4月には上田市立の公立大学となっている。
○「NPO法人食と農のまちづくりネットワーク」が実施している「コラボ食堂」の取組についての紹介。この食堂では、食文化を未来に伝えること、農家の想いを消費者に伝えること、安全・安心・おいしさを追求することで、地産地消を推進している。
○調査の目的は、地域内の食料自給率の実態把握、地域内の循環の実態把握、消費の実態と意識(地元産選択)の把握である。
○地域での異業種の連携が必要である。またいくらだったらやれるのか、どの位の需要があるのかといったマーケティングが必要である。

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 続いて、食産業の循環システムを作っていく上で要になる畜産とその加工・流通事業を佐久穂町で起業している「きたやつハム梶v社長の渡邊敏さんがお話されました。渡邊さんは、ドイツの伝統的な製法を学ばれた方で、2012年よりドイツ農業協会の品評会で金賞、銀賞を連続受賞されています。安江さんによると、松尾さんがいつも「小さい工場で良いのだ。地元で育て加工し販売すれば、大企業に対抗できるよ」と仰っておられたのだそうです。それを地で行っているとのことです。また安江さんは、いろんなブランドを食べ比べしたが、間違いなく美味しいともおっしゃっています。ホームページも素敵だそうなので、ネットで検索してみてください。(http://kitayatu-ham.co.jp/
○八千穂村地域開発長期構想に基づき「八千穂JA」が1987年に設立した「きたやつハム工場」を、2012年に「きたやつハム梶vとして独立し、ブランドづくりを目指して、仔豚5頭で養豚を開始した。
○高品質の原料豚を求めて、自からが養豚を行う。
○生ハム用としては、6カ月ものが使われることが多いが、イタリアの例に倣い9カ月ものとしている(スペインでは2年もの)。
○耕作放棄地での養豚に拘っており、2〜3年で場所も替える。
○2015年に直営店を設け、県外からも多くのお客さんに来てもらっている。
○自分たちの事業が起点となって、佐久穂町の畜産物の生産振興と特産品による観光振興で、地域全体が潤うことが目標。
○後継者育成にも努めているが、生産者も増えており、スマート・テロワールの具体化に向けて好材料だと考えている。
○「きたやつハム梶vの特徴は、放牧豚肥育と本場ドイツ流の豚肉加工。

8吉田さん.JPG
 最後に、「NPO法人信州まちづくり研究会」の希望の星である吉田典生さんが、「新規就農:創業と今後の抱負」と題してお話されました。吉田さんは、愛知県ご出身で、10年間の国税職員として勤務の後、2年間の研修を経て、2012年に有機農業で新規就農されます。家族営農から農業経営者への転換を図り、パイオニア的存在として、地道に規模拡大を続けておられるそうです。安江さんによると、まだ41才と若いだけに無限の可能性を秘めておられ、地域のイノベーターになると期待しておられるとのことです。また親から、「農業はダメ!」と言われて育ち、農業を諦めかけている農村の若者達に、吉田さんから学んで欲しいと思っているともおっしゃっています。
○ほうれん草を中心に1haの家族営農で始めた。5年後の2017年には、社員4名、アルバイト4名で5haの農地を耕作し、有機JASインゲン、レタス、ミニ白菜、ニンジン等の契約出荷をしている。2018年4月には「Farmめぐる梶vを設立する予定にしている。
○今後の展開として次の3つを考えている
・目の多さを武器に発展を加速させる
・それぞれの長所を伸ばすことでパフォーマンスを引き出す+人財をさらに集める
・篤農家集団として、地域を牽引したい
○スマート・テロワールについては、次のように考える。
・中山間地での穀物生産のための水田の畑作転換は地域維持のために必要だが、「地主が転換に応じるか?」ここが鍵ではないか?
・そのために、政治や行政の力よりも必要なのは、その地域の人々が作り上げる「機運」だろう
・生産ベースができれば、名乗りを上げる農家はいるだろう。少なくとも私は・・・

9中島副知事.JPG
 休憩の後、安江さんたちの活動を高く評価しておられるという中島恵理副知事から、地方創生としての県政における循環型経済との関連について、お話しされました。
○地域経済の活性化の観点からも、環境、経済、社会の連環を考えなければならない。
○食の安全・安心が重要であり、生産者と消費者との交流は、不可欠である。
○「地産地消」から地域の消費は地域で生産するという「地消地産」への視点が重要である。
○エネルギーについても100%自給を実現したいと考えている。
○木材についても自給圏構想を持っている。ただ販売については県外も考えなければならない。
○直売所の増設が必要であると考えている。
○今後は、健康についても重要なテーマとして取り組む。

 続いて安江さんから、一般社団法人「東信自給圏をつくる会(仮称)」の結成に向けての協力、つまり会員登録と年会費の納入をお願いがありました。

10意見交換会.JPG
 さらに時間は押していましたが、最後に、本日の6名の講師と種子法の創設者である松延先生が壇上に上がられ、安江さんの進行による会場との意見交換が行われました。
 何人か発言がありましたが、私の記憶に残っているのは、次の2点です。
○スマート・テロワールの実現に向けては、地元の人たちが関わることが大切である。もっと地元の人たちの参加を訴える必要があるのでは。
○もっと地元出身者の活用を図る必要があるのでは。


蛇足ながら、私からの感想・2つの疑問点・お願いと、それらに対する安江さんから返信を掲載させていただきます。

<私からの感想>
 色々な方が参加されていましたし、その上副知事までも出席されており、それだけでも、とても素晴らしいことだと感じました。また最後に会場から発言された二人の方も、力強いご支援の意見だったと思います。地元の人たちにいかに浸透させるかということは、とても難しい課題だと思います。解決のためのヒントの1つが、後に発言された方にあったように思います。つまり地元出身者へのアプローチにあるようにも思えました。地元を離れた方に支援者となっていただく方法もあるなと思わせていただきました。
<安江さんからの返信>
 既に、首都圏にいて、故郷のことに関心を強めている方が応援して下さっています。その皆さんは、グローバルな価値観もお持ちで視野も広く包容力があるのでリーダーとして、あるいはコンサル的な役割もしていただけます。

<私からの疑問点その1>
 疑問に感じたことは、佐久支場での取組です。「スマート・テロワール」のキーワードの1つに「循環」があると考えています。その点から言えば化学肥料の使用には疑問があります。農業の現状を考えるとやむを得ないようには思いますが、私たちは異端を目指さなければならないのです。いつかの時点では見直しをお願いしたいなと感じました。
<安江さんからの返信>
 これは慣行農法との対比を掴もうという試みです。松尾さんの意図するところではないのですが、対比を知ることも悪くはないと割り切られたようです。松尾さんは、現場が納得の上で進むことが大事だと考えられておられ、全てをマイペースで仕切ろうとはされませんでした。その結果です。

<私からの疑問点その2>
 もう1点は、吉田さんが栽培されている作物についてです。吉田さんはおっしゃるとおり“希望の星”だと感じました。しかし現時点で栽培されている作物に、「スマート・テロワール」に出てくる大豆、小麦、ジャガイモ、トウモロコシといった作物は一つもなかったのです。このことも「スマート・テロワール」が動き出していない現時点ではやむを得ないことだとは思うのですが、一つもなかったことにやや残念な思いを持ちました。【後で確認したことですが、吉田さんは「生産ベースができれば」と既におっしゃっていました】
<安江さんからの返信>
 日本で農業というと、米と野菜しか、農業者も国民も頭にないのです。彼もそうでしたし、日本の農業者の99%がそうでしょう。無理はないのです。政府が穀物と畜産を、農業基本法を作った時に捨ててしまったからです。しかし、彼はスマート・テロワールを勉強してからこのことを理解しており、既に小麦生産の計画を立て始めています。
 穀物生産は、機械化と大規模化をしないと採算が取れません。その下地が日本にはないので、松尾さんが提唱するゾーニングと構造改善事業から入らないとできないのです。
 実は、この3月に入ってから発見したのですが、国もこのことを考えてくれていることが判りました。平成30年度農林水産省予算の中に、田んぼのゾーニングによる畑地転換の助成金が予算化されたのです。目立たない形でさりげなく予算化されていますが、国が田んぼを潰す奨励策を出したのは日本の農政史上初めてのことだと思います。その適用条件の中に問題はありますが、大きな障害のひとつが外された感があります。誰も話題にしていませんが、私たちにとっては素晴らしいでき事です。
 さらに、土作りには畜産の堆肥が必要ですが、日本の畜産業は風前の灯火です。畜産振興がまた大きな問題です。
 「スマート・テロワール」は革命だと思っています。しかし、共産主義革命と違って、理念、科学性、環境保全との整合性等から考えて、極めて必然性の高い革命だと思っています。時間がかかってもどんな困難があってもやっていかなければ、人類の寿命が縮まると思います。地球のがん細胞としての人類の悪い特性を抑制する策だと考えています。

<私からのお願い>
 「スマート・テロワール構想」は、地方を元気にする重要な構想だと思っています。東信地域で具体化に向けた取組を進められるとともに、全国各地の動きについても情報を集約していただけないかなと、虫のいいことを考えています。山口市でも、機会があるごと紹介していきたいと思っています。
<安江さんからの返信>
 承知致しました。私も同じ考えです。スマート・テロワール協会がその役割を果たして下さると考えております。中田様と他にも優れた指導者がいらっしゃいますのでできると思います。
【会場内の写真は、「ケイズプラン(代表:駒村常彦)」さんが撮影されたものを、東がサイズダウンの処理をしています】

Posted by 東 at 14:56 | 研究員からの情報 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

産直提携・身土不二の会・メルマガ【第7号】[2017年06月17日(Sat)]


発行日:2017年6月10日
発行責任者:循環する地域づくり研究所・主宰 東孝次
(産直提携・身土不二の会・事務局)
発行頻度:不定期
今回のテーマ:農業の究極は、自然栽培では

農業の究極は、自然栽培では
 農業を実践していない者が、机上で整理したものです(引用した著書の多くの筆者は農業実践者ですが)。次のURLに掲載していますので、お時間の取れるときにご一読ください。
また木村秋則さんの著書「百姓が地球を救う」(東邦出版 2012年)も、ぜひお読みいただければと思います。


「農業の究極は、自然栽培では」のURL:
https://blog.canpan.info/junkansurutiiki/archive/76



    【お願い】
 皆さんからの疑問、質問、原稿を募集しています。併せて、この会に参加くださる方も募集しています。参加を希望される場合は、お名前、ふりがな、住所(大字名まで)、E-mailアドレス、Facebook登録の有無、主な所属団体を事務局までメールでお知らせくださるようお願いします。また興味を持ってくださる方への呼び掛けもお願いします。
(事務局アドレス:noujin5283@ae.auone-net.jp(@を大文字にしています))

Posted by 東 at 11:43 | 産直提携・身土不二の会 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

産直提携・身土不二の会・メルマガ【第6号】[2017年06月17日(Sat)]
発行日:2017年4月16日
発行責任者:循環する地域づくり研究所・主宰 東孝次
(産直提携・身土不二の会・事務局)
発行頻度:不定期
今回のテーマ:
・有機農業の取組は、比較的余裕のある人たちのものとならないか
・新田浩之さんに聞く
・「第4回山口市有機農業推進会設立準備会」開催
・【先進事例紹介・第三弾】「新潟 十日町 人と自然と命をつなぐ『なぐも原・結の里』」


有機農業の取組は、比較的余裕のある人たちのものとならないか
 小田さんとの取組を始める際にも、幾人の方から有機農業の取組は、比較的余裕のある人たちのためのものとならないかといったご指摘を受けてきました。私も子供の貧困など、世の中にはもっと切実な課題があるのではないかと自問はしています。またスーパーでは午後7時前後の半額セールを待って弁当などを買っている人たちが多くいると聞いています。品物を定価より安く購入することに、経済的にはその必要がないにも関わらず大変な喜びを感じて参加している人たちもいらっしゃるとは思いますが、安さにひかれて買わざると得ない人たちもいらっしゃるという厳しい現実も、現にあります。しかも格差はますます広がっている状況にあります。このような中、手間暇のかかった有機農産物は、どうしても高くならざるを得ません。そのため比較的余裕のある人たちを中心に購入されることになるのです。確かにそのような見方ができない訳ではありませんが、有機農業の取組はそのような観点からだけで評価していいのでしょうか。うまく説明できないかもしれませんが、自分の頭の整理も込めて、敢えて挑戦してみます。
【下の写真は、福岡県東峰村です(「日本で最も美しい村」連合のHPより)】
福岡県東峰村.jpg

 既に書きましたように有機農産物を手にするのは、主に比較的余裕のある人たちだと思います。有機農業を実践しておられる方に聞くと、自分の信じる生き方を実行することであり、持続可能な農を継続したいからだとおっしゃいます。つまり有機農業を進めるということの主な目的は、比較的余裕のある人たちために健康で安全・安心な農産物を供給するということではないのです。有機農業の取組は、持続可能な農業を取り戻すことにより、次代に繋がるまちづくり・地域づくりを進めることでもあります。また市場経済では評価されない美しい自然景観を守り、環境を保全することでもあります。さらにいえば、今日一般に行われている、顔の見えない販売システムの問題点を克服することでもあります。そのために私たちが考えなければならないことは、特に子育て世代の比較的余裕があるとはいえない人たちにも、行き届くよう関係者の心遣いで可能にしていく仕組みづくりなのではないでしょうか。誰もが健康で安全・安心な食が確保できるよう、一緒に行動してまいりましょう。

新田浩之(しんたひろゆき、アグリプロジェクト・代表社員)さんに聞く
 まず新田さんを少しご紹介しておきましょう。大学を卒業され研究職として化学メーカーに就職されます。アレルギーの研究を通じて、その原因は食にあるのではないかと気づかれました。そこで食の健全化に取り組もうと、秋川牧園で7年、きららオーガニックで2年、野菜工房で9年と、山口の有機農業に深く関わってこられています。そこでお忙しいところ、時間をお割きいただき、お話を聞かせいただきました。その概要を報告させていただきます。
 最初に「山口市における有機農産物の生産、消費の実態と今後の可能性」についてお尋ねしました。生産者の規模は小さい上、若手が少なく、高齢化が進んでいるという現状だそうです。やはり定年退職後始められる方が多いようです。いつも取り引きしている訳ではないが、新田さんの「野菜工房」に搬入している生産者は7名くらいだそうです。市内はもちろん県内でも有機農産物を確保するのが難しく、適宜、県外から入れられているそうです。有機農産物を希望する消費者はある程度あるようです。今後の可能性については、厳しいのではないかとおっしゃいました。ただ販売先さえ確保できれば、もう少し広がる可能性はあるのではないかとも言われました。また有機農業を継承する研修の仕組みがあると、もっと有機農業が拡がっていくのだがともおっしゃいました。山口の有機農業者に対して閉鎖的な感じを持っていらっしゃるようで、他県ではもっとおおらかなように感じるとも言われました。私もそのような印象を持っていますので、もっと幅広い交流が必要なのかもしれません。
 次に小田さんと進めています“産直提携”の取組についてお尋ねしました。お金の支払いなど、企業経営の経験のない人がやるのは、なかなか難しい面があるのではとのことでした。扱える農産物が少ない状況のようなので、まず参加してくれる生産者を集める必要があるのではないかとおっしゃいました。その一方で消費者についても、いきなり会員募集ではなく、事前に趣旨等を理解してもらって、協力してもらえる人を見つけ出すことが大事ではないかと言われました。理想的な思い先行といった面があるので、じっくり腰を据えて取り組む必要があるのではないかとの助言も受けました。生産者は忙しいので、少し時間に余裕のある人が協力してくれるといいですねとも言われました。
 新田さんには「山口市有機農業推進会準備会」の世話人になってもらっています。今後の推進会の方向についても話が及びました。前回の世話人会では推進会が何を目指しているのか分からなかった、ミッションは「山口市内で有機農業を普及する」「有機の里づくりを目指す」ということでいいと思うので、それを具体化するためのビジョンづくりが必要なのではないかとおっしゃいました。今後、具体化に向けた取組が必要のようです。
 有機農業の現場を知らない私にとっては、とても有意義な時間となりました。お忙しい中、貴重な時間をお割きくださった新田さん、ありがとうございました。

「第4回山口市有機農業推進会設立準備会」開催
 「第4回山口市有機農業推進会設立準備会」が、3月23日、山口市役所の会議室で開催されました。その概略をご報告します。
 2月26日に開催した金子さんの講演会の参加者の感想は、金子さんの活動、講演内容を評価する声が圧倒的でした。この高評価の感想を受けて、次に繋がる活動に、早急に取り組む必要があるということは、世話人相互では一定の共通認識を持つことができました。今後の活動としては、「農園の視察見学」は畑に作物がない可能性があり、「ぼかし肥料の講習会」の開催しようということになりました。さらに「金子さんの農園見学」についても、金子さんの意向を確認した上で実施を検討しようということになりました。そのほか世話人の拡大・募集、会員募集、部会の設置など、様々な「今後、議論・検討すべき事項」が挙げられました。

【先進事例紹介・第三弾】「新潟 十日町 人と自然と命をつなぐ『なぐも原・結の里』」
 今回は、第三弾として、「新潟 十日町 人と自然と命をつなぐ『なぐも原・結の里』」をご紹介します。「なぐも原・結の里」のモットーは、「人と自然・社会の中から生まれたふれ愛の絆を大切に、共に手を携えて生きていく、そんな持続可能な村づくりをめざして」おられます。この団体が取り組んでおられます「農村交流」、「ダンボール堆肥交換事業」、「お米の学校」について、会のHPより転載します。
【下の写真は、「なぐも原・結の里」の活動写真です(団体のHPより)】
なぐも原.jpg

農村交流
 私たちは土作りを重視しながら資源循環型の農業生産を行っています。
 ここでできた農産物を販売することで収益を得ていますが、単に商品の売買だけに留まらず本当に顔の見える関係を築きながら、生産物を購入頂きたいと思っております。最近はスーパーなどでも、売り場に生産者の顔写真が掲示してあったり、「顔の見える関係」が演出されていますが、本来の意味は生産者と消費者が交流しながら信頼関係で結ばれることだと考えています。その信頼関係を作るきっかけとなるメニューを準備していますので、是非南雲原を訪れてみてください。南雲原の自然を満喫しながら、さまざまな体験をしていただき、そして生産者との交流を深めていただければと思います。

ダンボール堆肥交換事業
 結いの里では、資源循環型農業を標榜していますが、家庭で出る生ゴミをダンボール箱を使って堆肥化し、その堆肥を生産者が受け取り圃場に利用し、できた生産物の一部を消費者に還元するという取り組みを進めています。

お米の学校
 「お米の学校」の活動は平成10年に東京都内の小学校から始まりました。この活動は、子供たち全員がバケツの中で種もみを植えつけることから始め、世話をしながら収穫まで育て、そして獲れたお米をおにぎりとして食べます。その後にはワラを使って、工芸品を作ることも行っています。 稲という生き物を育てる過程で子供たちはさまざまなことを学んでいきます。

「なぐも原・結の里」のHP:
http://www.farmersnet.net/product/070315110918/070315110918_070406144034.html


【お願い】
 皆さんからの疑問、質問、原稿を募集しています。併せて、この会に参加くださる方も募集しています。参加を希望される場合は、お名前、ふりがな、住所(大字名まで)、E-mailアドレス、Facebook登録の有無、主な所属団体を事務局までメールでお知らせくださるようお願いします。また興味を持ってくださる方への呼び掛けもお願いします。
(事務局アドレス:noujin5283@ae.auone-net.jp(@を大文字にしています))

Posted by 東 at 11:29 | 産直提携・身土不二の会 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

農業の究極は、自然栽培では[2017年06月16日(Fri)]
 先日、「農業を実践していない者が農業を語るべきではない」と言われたばかりです。しかし私は敢えて「農業の究極は自然栽培ではないか」と、多くの人に伝えたいと思っています。作物は肥料を与えなければできないと思い込んでいました。そんな私が、自然農法や自然栽培を詳しく知ろうと思ったきっかけは、テレビからの情報でした。JAが自然栽培に取り組んでいるといったニュースに接したのです。農薬、肥料の販売による利益優先のJAではなく、地域の景観や環境の保全を目指すことこそJAの役割であるといった趣旨の発言を聞き、これぞ本物のJAだと感じたのです。

 どこのJAが聞き洩らしましたので、早速ネットで検索することにしました。石川県羽咋市の「JAはくい」でした。あのローマ法王に献上した米で一躍有名になられた高野さんの地元のJAです。羽咋市との協働で、「奇跡のリンゴ」で有名な木村秋則さんを塾長とする「のと里山農業塾」を開講し、自然栽培の普及に努めておられるのです。これも高野さんのアイデアからのようです。世界農業遺産に認定された「能登の里山里海」を次世代に継承していくため、人と環境に優しい農業の理念と技術を学ぶことのできる場を設けておられるのです。ネットの情報によると、4期生となる塾生は、昨年の12月から今年にかけて1年間の研修に取り組んでおられるようです。
【下の写真は「羽咋市神小原(ミコハラ)地区」です(「のとねっと」より)】
のとねっと.jpg

 さらに羽咋市では、自然栽培を羽咋のブランドにしようということで、「羽咋市自然栽培新規就農者支援亊業」も実施しておられます。この亊業は「自然栽培を羽咋のブランドにしませんか」といったキャッチフレーズで取り組まれています。伝統的な農業とそれに関わって育まれた文化、景観、生物多様性に富んだ地域を守るために、羽咋市と「JAはくい」とは、協働で自然栽培の普及を目指しておられるようなのです。このような地域こそ、行政とJAとの理想的なあり方ではないでしょうか。多くの地域で見習ってほしいものです。

 ほとんどのJAは、農家に肥料や農薬を販売することを業としています。そんなJAがなぜ無農薬、無肥料の自然栽培に取り組むのでしょうか。「JAはくい」のHPには、「“世界農業遺産に認定された『能登の里山里海』を次世代に継承する”ために、エコ農業・自然栽培を軸とする『環境保全型農業』の普及に努めていきます」とあります。生命力が強く、本当に安心で安全な国産の無農薬農産物を作り出すことで、再び朱鷺が大空を羽ばたくことの出来る「昔の里山」を復活させることを追求しておられるようです。このような農業や地域を目指すことこそ、JAの役割であり、行政の役割といえるのではないでしょうか。
「JAはくい」より早い時期から自然栽培に取り組んでいるJAの存在を、木村秋則さんの著書「木村秋則と自然栽培の世界」(以下「自然栽培の世界」という)で知ることができました。そのJAは「JA加美よつば」です。当時の代表理事組合長だった池田衛さんは、「自然栽培の世界」の中で、JAの将来目指すべき方向について、次のように書いておられます。
【下の写真は「自然栽培の世界」の表紙です】
木村秋則と自然栽培の世界.jpg

 要するに徹底的に食べる人の安全・安心、あるいは地球環境を考えられる農村地域になる。あとはそういうことで共鳴できるところとしっかり手を握り、企業の論理ではなく協同の論理、互いに助け合って生きていくという新しい価値観をもった社会を作りたい、というのが究極の目標です。(P140-141)

 このような元組合長さんの力強い発言がった上に、自然栽培を実践しておられる組合員お二人の方の対談が、「自然栽培の世界」に掲載されていただけに、かなり期待してネット検索しました。しかしその結果は残念なものでした。「JA加美よつば」のHPの中には、「安全・安心なお米を提供しようと、農薬・肥料の使用量を5割削減(一般米と比べ)して栽培したお米を『特別栽培米』として販売しています」といった記述しか見つけることはできなかったのです。自然栽培を進めているといった内容は、私には見出すことはできませんでした。

 「鰍竄ワと」代表取締役の高橋啓一さんが、「岡山で自然栽培の農商工連携急ぐ」と題して、「自然栽培の世界」に寄稿されています。高橋さんは、奇跡のリンゴのおいしさを味あわい、木村さんが出演されたNHKの番組のDVDを見て感激され、回転ずし店の経営の傍ら農業をやっておられることから、自然栽培に取り組もうと決意されました。そこで仲間を募って、2009年12月、任意団体「岡山県木村式自然栽培実行委員会」を立ち上げられます。そして翌年の2月に、木村さんを招いての懇談会や懇親会を開催されました。さらに2010年9月には、NPO法人としての「岡山県木村式自然栽培実行委員会」を設立されます。会のHPによると、「JAグループ岡山」とは協力関係にあるそうです。そのJAは、「自然栽培は各種ある栽培法の一つとして捉え、慣行栽培、有機栽培同様、自然栽培に取り組むJA組合員も公平にサポートする」という立場をとっておられるのだそうです。委員会の大きな活動の柱の一つが「認証活動」だそうです。栽培過程において、木村さんの提唱する「自然栽培」といえるかどうかを見極められるのだそうです。そのほか「春の自然栽培めぐり」や「お田植祭」などにも取り組んでおられます。亊業家が関わられることが、こんなに力強い活動となるのかということを痛感させられます。
【下の写真は「岡山県木村式自然栽培実行委員会」の集合写真です(会のHP より)】
岡山県木村式委員会.jpg

 木村秋則の著書である「百姓が地球を救う」(以下「百姓」という)によると、もう1つNPO法人があるようです。「JA加美よつば」とも関連のある「木村秋則自然栽培に学ぶ会」というNPO法人です。早速ネットで検索しました。所在地は東京都江東区になっていますが、フィールドは宮城県加美郡のようです。2010年9月に設立されましたが、HPでは、「ボランティアスタッフ募集のお知らせ(2014/03/05)」が「最新情報」となっており、現在の活動状況は不明です。

 次に「木村式自然栽培実行委員会」というキーワードでネット検索してみました。その結果、木村さんも書かれているように全国各地に自然栽培が広がっている様子が分かりました。NPO法人としては、「大阪府木村式自然栽培実行委員会」と「鳥取県木村式自然栽培実行委員会」があります。社団法人としては、「(社)新潟自然栽培研究会」の1つでした。任意団体としては、「青森県木村式自然栽培実行委員会」、「徳島県木村秋則式自然栽培実行委員会」、「木村秋則自然栽培研究会 -北海道の会-」、「木村式自然栽培勉強会@山梨」などが検索できました。全国各地において様々な方のご尽力で、本物を求める活動が展開されています。

 なお木村さんが指導された自然栽培の実験田のある石川県能登地域と、新潟県佐渡市という2つの地域が、「世界重要農業遺産システム(GIAHS、ジアス)」に、わが国で初めて認定されたそうです。それは先進国でも初めての快挙といえるのだそうです。「世界重要農業遺産システム」をWikipediaで調べました。「伝統的な農業や林業・漁業と、農林漁業によって育まれ、維持されてきた、土地利用(農地やため池・水利施設などの灌漑)、技術、文化風習などを一体的に認定し、次世代への継承を図る目的に2002年に国連食糧農業機関(FAO)が創設した。そしてそれを取り巻く生物多様性の保全を目的に、世界的に重要な地域を認定するもので、持続可能な農業の実践地域となる」とあります。この認定について木村さんは、「百姓」で次のように書いておられます。
【下の写真は「百姓」の表紙です】
百姓が地球を救う.jpg

 そして2011年、わたしが指導した自然栽培の実験田がある石川県能登地域と、新潟県佐渡市という2つの地域が、FAO(国連食糧農業機関)によってGIHAS【ジアス】(世界重要農業遺産システム)に認定されました。日本初、先進国で初めての快挙です。
 認定にあたり、わたしの自然栽培は肥料・農薬・除草剤を使わない『自然栽培AKメソッド』(Natural Farming AK Method=木村秋則式)として紹介されました。津軽のいちリンゴ農家の栽培法が、能登の水田による実績で、国連機関に認められたことは画期的です。
 自然栽培の正当性や将来性、そして責任をひしひしと感じた瞬間でもありました。(P203-204)


 ではいったい自然農法や自然栽培とは、どのようなものなのかをながめてみましょう。そのために、福岡正信さんや木村秋則さん、さらには自然栽培を科学的に研究しておられる杉山修一弘前大学教授の著書を、引用させていただきながら見てまいります。なぜ自然栽培が本物ではと感じているかといった観点から、整理させていただこうと思います。少し長くなりますが、お付き合いをお願いします。引用させていただいたのは、次の著書です。

・「木村秋則と自然栽培の世界」(木村秋則著 日本経済新聞社 2013年(初版2010年))
・「百姓が地球を救う」(木村秋則著 東邦出版 2012年)
・「すごい畑のすごい土」(杉山修一著 幻冬舎 2014年(初版2013年))(以下「すごい畑」という)
・「自然農法 わら一本の革命」(福岡正信著 春秋社 2013年(初版1983年))(以下「自然農法」という)
・「緑の哲学 農業革命論」(福岡正信著 春秋社 2017年(初版2013年))以下「緑の哲学」という)

 今日の社会は、余りにも科学技術が優先され、循環している自然に寄り添って生きることを忘れているように感じます。その意味から、福岡正信さんの指摘は本質をついているように思います。しかし、余りにも世離れしており、万人には付いていけません。仙人にならなければ実行できないように感じるのです。その点、木村秋則さんの自然栽培は、ある意味、現実的です。ここら辺りは、杉山さんが「自然栽培の世界」の中で、次のように指摘されています。

 木村秋則さんの「自然栽培」も福岡正信氏の「自然農法」も基本的考え方は同じです。しかし、いくつかの点で違いがあります。一番の違いは、木村さんが自分の農法を芸術や哲学ではなく、誰もが利用できる栽培技術に作り上げようと努力しているところだと思います。
 それは木村さんが自分の農法を「自然栽培」と名付けていることからもうかがえます。何もしないで自然に任せるのではなく、むしろ作物自身が本来持っている能力を発揮し、よく育つために積極的に働きかけをする。それが福岡正信氏の「自然農法」と木村秋則さんの「自然栽培」の違いと言えるでしょう。(P58)


 木村さんが社長を務めておられる「木村興農社」の熊田浩生主任研究員の「なぜ自然農法でなく自然栽培なのですか」という質問に対して、木村さんは「自然栽培の世界」の中で、次のように答えておられます。

 農家の人は農業で生活をしていかなければならない。なおかつ永続性がなければならない。(P35)

 木村さんは、ご自身の提唱されている自然栽培について、「百姓」の中で、次のような記述をされています。
【下の写真は「木村さんのリンゴ園【8月28日撮影】」です(「百姓」より)】
木村リンゴ園1.jpg

 草をぼうぼうに生やした畑が見せてくれる姿は、驚嘆の連続、毎日発見ばかりでした。そして、わたしはようやくひとつの答えにたどり着いた気がしました。
 まず、無農薬、無肥料栽培のリンゴ畑に雑草を生やすと、畑の土が大自然の山の土のように変わります。好き放題に伸びた各種雑草の根にさまざまな菌類やバクテリアが集まり、肥料分が足りないうちは、ずっとバクテリアが活動してくれます。すなわち、人間が肥料を施す作業は永遠に不要なのです。(P76-77)
 自然栽培(Natural Farming AK method)とは
「外部からの資材の投入なしに自然の力を利用して栽培を行う農業」(P82)

 EM農法のように有用微生物群を投入したりしません。なにも与えない、加えない自然栽培は、土壌生物の群集構造を、外部からではなく内部から変えていきます。(P84)

 いままで肥料・農薬・除草剤を与えて過保護にしてきた畑を。いきなりなにもしないで放っておけば、もちろん問題が出ます。果樹や農作物の生長は遅れ、病気や虫の被害を受けます。それは当たり前です。
 やめる代わりに、2つのことが必要です。
 @土を育てること
 A作物の能力を引き出すこと
 それが肥料・農薬・除草剤の代わりになります。そのためには人間の働きかけが必要です。(P86)

 「自然活かす」「土を活かす」のが自然栽培のポイントです。(P127)



杉山さんは、慣行農業と自然栽培との違いについて、「自然栽培の世界」と「すごい畑」の中で、次のように記述されています。
【下の写真は「すごい畑」の表紙です】
すごい畑.jpg

 近代の作物栽培では、化学肥料を施与して十分な養分を供給することと、農薬を撒き、作物以外の生物を排除することで高い生産効率を可能にします。それに対して、自然農法や自然栽培では外部からの化学肥料の投与ではなく、土の中の微生物の力を利用して、生態系内の養分循環を活発にすることで植物に養分を供給します。
 また農薬を撒かないことで農地に多様な生物相を作り上げ、生物間の相互作用(生き物と生き物の関係)を利用し病害虫を抑制することを基本にしています。
 福岡氏の「自然農法」は養分循環と生物間相互作用の発達を自然に任せる立場ですが、木村さんの「自然栽培」では、人間が手を加えることで養分循環と生物間相互作用の発達を促進します。土を耕すかどうかに端的に現われています。土を耕すことで土壌中の微生物の活性を向上させ、そのことで土壌の養分循環を促進しようとするのが「自然栽培」の立場と言えるでしょう。(「自然栽培の世界」P58)

 慣行栽培と自然栽培は全く逆の方向を向いた栽培システムです。慣行栽培は生物多様性を排除し、自然栽培は生物多様性を利用します。(「すごい畑」P151)

 「緑の革命」の技術(慣行農法(筆者注))に対して、自然栽培には少なくとも2つの有利性があります。1つは、肥料と農薬を使わないため、それにかかる生産コストを抑えることができることです。慣行の作物栽培では、化学肥料と農薬にかかる経費は労働費を除く生産コストの2割から5割を占めています。
 同時に自然栽培では、肥料・農薬を散布する作業にかかる労働時間を節約できます。
 自然栽培のもう一つの有利性は、農産物の安心・安全性です。
          <中略>
 さらに、自然栽培でつくられた食品は、腐りにくいという特徴もあります。
 自然栽培の農産物は、有機栽培以上に品質で優れるので、慣行栽培の農産物に比べ高い価格設定が可能です。低コストと高品質・高価格は、自然栽培の大きな利点です。
 一方、自然栽培の弱点は収量が少ないことです。
 低収量という弱点を低コストの生産と高品質の農産物という利点がどれだけカバーできるかが今後の発展の鍵を握っています。(「すごい畑」P177-178)


 「自然栽培の世界」には、木村さんと同じようなご苦労をされながら自然栽培に取り組まれ、成功された方々が寄稿されています。自然栽培は木村さんだけの技術ではなくなっています。無肥料とは、にわかには信じがたいことですが、木村さん以外の実践者がいらっしゃるのです。宮城県登米市で自然栽培を実践しておられる成澤之男さんは、自然栽培について「自然栽培の世界」で次のように書いておられます。
【下の写真は「木村さんのリンゴ園【5月24日撮影】」です(「百姓」より)】
木村リンゴ園2.jpg

 自然栽培は「現在の科学ではどうにもならない大自然の力を率直に認め、科学的な智恵と自然の素晴らしい力を借りて、植物に対するマイナス部分を極力減らし、プラス部分が最大限に働くように人間が植物を手助けする努力をすること(P126)

 科学者としての杉山さんは、「自然栽培」を科学の研究対象とすることについて、「すごい畑」で次のように書いておられます。

 「奇跡のリンゴ」を科学の研究対象とするには、前提条件が少なくとも2つあげられます。
 それは、再現性があることと、メカニズムの解明が可能なことです。
 同じことが繰り返されることを科学では「再現性」といいます。
         <中略>
 「奇跡のリンゴ」をつくれる人は、木村さんだけではありません。
 また「奇跡のリンゴ」の栽培技術は、現在「自然栽培」として、イネ、トウモロコシ、茶、ニンジン、トマト、ジャガイモなど多くの作物に広がり、いずれも成功を収めています。
 これらの例で分かるように、「奇跡のリンゴ」の栽培技術は木村さん以外の人でも利用することができるのです。
 つまり、「再現性」があるのです。
 「奇跡のリンゴ」は科学的な研究対象にすることが可能であり、また一般的な技術として普及できることを示しています。
 しかし、木村さんの農法に懐疑的な農業関係者は多くいます。
 その大きな原因は、現在の農学の常識では「奇跡のリンゴ」の成功をうまく説明できないことにあります。これまでの農学の知識から「奇跡のリンゴ」が成功した理由を説明することは、かなかなの難問です。
 「奇跡のリンゴ」の栽培法が、これまでのリンゴ栽培の常識とあまりにかけ離れているからです。
 残念ながら、まだ「奇跡のリンゴ」が成功した科学的メカニズムの詳細は、解明されていませんが、その「枠組み」なら示すことができるようになっていると私は考えます。(P22-24)


 また杉山さんは有機栽培と自然栽培の違いや自然栽培の可能性について、「自然栽培の世界」で次のように書いておられます。

 ところで、有機栽培と自然栽培はどこが違うのでしょうか。
 化学肥料も合成農薬も使わずに作物を栽培するという点で、2つの栽培法には共通点があります。しかし、作物栽培に対する基本的な考え方に違いがあるように感じます。有機栽培は近代農法の反省に立って、人工的に合成した肥料や農薬を使用せずに堆肥や鉱物など自然の代替物に置き換えるプロセスで成り立っています。
 それに対して自然栽培は福岡正信氏の「自然農法」に出発点があり、作物の本来の力を引き出すために人間が手助けするという考え方です。つまり、有機栽培は近代農業から資材の投入を少なくする減点法としてスタートしているのに対して、自然栽培は何もないところからスタートし、加算していく違いと言えるのではないでしょうか。(P62)

 私は科学者として、自然栽培に大きな可能性を感じています。その理由の1つは、木村さんの自然栽培には科学的に未知な現象がたくさんあることです。
 例えば、自然栽培を続けて3年くらい経つと、なぜか病気が減ってきます。この現象はまだ科学的には説明できません。案外、そこに科学の常識を覆う大きな発見が潜んでいるかもしれません。科学者にとってこのような研究テーマは大変魅力的に映ります。
 もう1つの理由は、「自然農法」「自然栽培」と続く栽培法は日本のオリジナル技術であることです。「自然栽培」の誕生には日本人の独特の自然観が少なからず関係していると思います。このオリジナルな技術の芽を伸ばして、普遍的な技術にまで育て上げることは、日本人、日本社会にとって大変意義のあることではないでしょうか。(P63)


 福岡正信さんの考え方には、「今の世の中というものが、あらゆる点で専門化され、高度化されてきたために、かえって全体的な把握ということが非常にむずかしくなった」(「自然農法」P30)、「価値観の逆転がないかぎり、根本的解決はできない」(「自然農法」P102)、「最終の目標っていうものは、単に作物を作るだけじゃなくて、人間完成のための農法になってなきゃいけないんだ」(「自然農法」P144)、「自然食の最大の価値と役目は、人間を自然のふところに還すことにある」(「自然農法」P223)、「食物生産の原点は身土不二、自給自足です」(「自然農法」P256)、「文明に反逆して、自然に還れ」(「緑の哲学」P120)などなど、傾聴に値する部分も多いのです。しかし世捨て人的な暮らし方は、万人向けとは言い難いように感じます。同感する人たちが、主体的に取り組まれたのでいいのだと思います。ただ「国民皆農の提案」は、なかなか面白い提案のように考えます。「自然農法」から該当部分を引用させていただきます。絵空事ではなく、自分の食料は自分で確保するという時代が来ているのかもしれません。
【下の写真は「自然農法」と「緑の哲学」の表紙です】
わら一本の革命.jpg

自然農法.jpg

 私は、実は、国民皆農っていうのが理想だと思っている。全国民を百姓にする。日本の農地はね、ちょうど面積が一人当たり一反ずつあるんですよ。どの人にも一反ずつ持たす。五人の家族であれば五反持てるわけです。昔の五反百姓復活です。五反までいかなくても、一反で、家建てて、野菜作って、米作れば、五、六人の家族が食えるんです。自然農法で日曜日のレジャーとして農作して、生活の基盤を作っておいて、そしてあとは好きなことをおやりなさい、というのが私の提案なんです。(P119)

 実は、自然栽培を前提とした場合、私にとっては困ることがあるのです。これからの地域づくりの方向だと考えていました“循環する地域づくり”に大きな修正が必要となるからです。人間をはじめとする生物が排出するものを、どう処理して次に繋げていけばいいのかが分からないでいるのです。つまり廃棄物の処理により生成されるものを肥料として使う必要がなくなるのです。じっくり時間をかけて山の土のような状態にして、肥料としてではなく、土として地球に還せばいいのかもしれません。このことについてヒントをお持ちの方がいらっしゃいましたら、ぜひご助言をお願いします。
もう1つお願いがあります。以上書いてきましたことは、農業を実践していない者が机上で整理したものです(引用した著書の多くの筆者は農業実践者ですが)。ぜひ農業に取り組んでいらっしゃる方からのご意見をお聞かせ願いたいと思っています。お忙しいとは思いますが、よろしくお願いします。

Posted by 東 at 10:56 | 研究員からの情報 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

産直提携・身土不二の会・メルマガ【第5号】[2017年03月21日(Tue)]


発行日:2017年3月15日
発行責任者:循環する地域づくり研究所・主宰 東孝次(産直提携・身土不二の会・事務局)
発行頻度:不定期
今回のテーマ: 「農」を考える(「先進事例紹介」はお休みです)


 第5号の記事は次のURLへお進みください。
  https://blog.canpan.info/junkansurutiiki/archive/70



【お願い】
 皆さんからの疑問、質問、原稿を募集しています。併せて、この会に参加くださる方も募集しています。参加を希望される場合は、お名前、ふりがな、住所(大字名まで)、E-mailアドレス、Facebook登録の有無、主な所属団体を事務局までメールでお知らせくださるようお願いします。また興味を持ってくださる方への呼び掛けもお願いします。
(事務局アドレス:noujin5283@ae.auone-net.jp(@を大文字にしています))

Posted by 東 at 15:34 | 産直提携・身土不二の会 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

産直提携・身土不二の会・メルマガ【第4号】[2017年03月21日(Tue)]


発行日:2017年2月4日
発行責任者:循環する地域づくり研究所・主宰 東孝次(産直提携・身土不二の会・事務局)
発行頻度:不定期
今回のテーマ:「第24回火の国九州・山口有機農業の祭典」に参加しました、「米沢郷牧場」のご紹介【先進事例紹介・第二弾】

「第24回火の国九州・山口有機農業の祭典」に参加しました
 「山口県有機農業研究会」などが主催する「第24回火の国九州・山口有機農業の祭典」に参加しました。この祭典は、2017年1月28日・29日、「ユウベルホテル松政」で開催されたものです。開会式の後、熊本地震での農業ボランティアの報告が行われました。
ここでは、その後行われた、内山節さんによる基調講演、私の参加した第3分科会、山本晴彦さんの基調講演の概要を、私のメモと記憶を頼りに、ご報告させていただきます。
【お断わり】私のメモと記憶を頼りに記述していますので、正確さを欠く部分がある点はご容赦ください。また挿入している写真は、関連のホームページから勝手に転写させてもらったものです。

内山節さんの基調講演
 「懐かしい未来へ」と題して、哲学者の内山さんが基調講演をされました。内山さんのお話は、10数年前、小田さんの農地をお借りして農業の真似事を始めたころ、NHKラジオの「深夜便」で聞いたことがあるように思います。東京都世田谷区ご出身の内山さんは、群馬県上野村の自然や人々に好感を持たれ、東京での大学人としての生活と上野村での農業生活を始められたそうです。3分の1程度の上野村での生活では、猪などへの対応ができず、現在は農業ができないでいるとのことでした。内山さんは「経済優先ではなく、地域の資源を使いながら、持続可能な地域をいかにつくるか」が重要な課題だとお話され、私たちが目指しているものと同じだと感じました。つまり“伝統回帰”が必要であり、“すべてが繋がっている暮らし”を求めるべきであるとおっしゃいました。そのためには、自ら工夫したり地域をデザインし、さらに外部協力者の力も借るなどの努力も重要であるとお話されました。つまり単に昔に返るのではなく、形態は新しいものに変えていかなければならないともおっしゃったのです。
【下の写真は、上野村です。(上野村のHPより)】
上野村.jpg

 上野村でのいくつかの取組についても紹介がありました。森林が村の総面積の約96%を占める上野村では、“薪で生きる村”を目指しておられるそうです。木工をはじめキノコ栽培、木質ペレットの製造、発電などに取り組んでおられるということでした。地域で自給できる地域エネルギーの創出に取り組んでおられます。また上野村でも移住対策に積極的に取り組んでおられます。内山さんのお話の中に、山から木を伐り出している25人は全員Iターン者だといったものがありました。会場からの「よそ者意識はないのか」の質問に対し、内山さんは「水田がないこともあり、よそ者意識はない」と回答されました。平地の少ない山間の村である上野村には、バブルに乗るのではなく、自然を守り共同体を守っていくしか進むべき道はなかったのです。中学生へのアンケートで、全員が地元で暮らしたいと回答したといった結果を、少し嬉しそうにお話されていました。私たちは、こんな地域こそ目指さなければならないのではと感んじたところです。

広島県神石高原町田邊真三さんの取組
 祭典では5つの分科会が準備されていました。私は「経営的視点からみた有機農業」の第3分科会に参加しました。神石高原町での「田辺ファーム」の取組について、有機農業指導のためスリランカへの行かれた田邊真三さんに代わって、司会進行役の「野菜工房」の新田(シンタ)さんから紹介がありました。田邊さんは実に様々な活動を展開しておられます。まず産消提携を目指す「かたつむりの会」です。ホームページによると、9つの生産者グループに対して、尾道地区に5ブロック、福山地区に5ブロックの消費者グループから構成されています。この会では、廃校になった小学校を再利用して「神石高原有機農業塾」も運営しておられます。この「神石高原有機農業塾」は、農業を志す若者たちの研修の場として設立されたもので、「地域環境を守り、持続可能な農業の実践、安全でほんものの食べ物を消費者に提供し、日本の食糧自給率の向上をめざすこと、そして、1年間の研修ののち、神石高原町へ定住して共に農業を守ってくれる若者を育てていくこと」を目的とされています。また消費者に安心してもらうために、「有機JAS認定」は取得しておられるとのことでした。有機野菜は流通しにくいということで、大手流通会社「ローソン」の資本が入った「ローソンファーム」も経営しておられます。ただ有機野菜の場合は特に、難しい課題もあるようです。さらに農業と医療との融合についても取り組んでおられます。医学的な根拠に基づいた食の提供が必要だと考えておられるようです。有機野菜は安全で健康にいいと言われていますが、医学的な根拠を示すことも重要かなとも思いました。医療との連携、新たな視点となったように思います。神石高原町が取り組んでいる「有機の里」構想にも参加しておられます。私たちにとっての多くのお手本があるように感じました。
【下の図は、かたつむり会のしくみ(会のHPより)】
消費者グループ.jpg

中村進卓さんの取組
 続いては、山口市平井で「なかむら自然農園」を運営しておられる中村さんです。会員制のネット販売を中心に、1千万円以上の売り上げをあげておられるそうです。中村さんのご説明の後、次の2つほど不躾な質問をさせていただきました。「有機JAS認定」を取得しておられるかと、差支えない範囲で通常の何割増しの値段で販売しておられるのかという質問です。前者の質問に対しては、取得していない、自分の栽培方法に信頼を寄せる消費者の方にのみ販売しているといった趣旨の回答をされました。そこで司会進行役の新田さんから、参加しておられる生産者の方々に対して、「有機JAS認定」を取得しておられるかと質問されました。鹿児島県や熊本県の生産者の方から発言があり、いずれの研究会も、「有機JAS認定」の取得を推奨しているといったお話でした。農園を見てもらえない遠い消費者への対応に、必要不可欠だとおっしゃっていました。どちらの主張も、まっとうなお考えだと思います。私は中村さんのお考えに賛同したいと思っています。というのは、「有機JAS認定」には、分業的な発想に基づいているように感じるのです。他人任せにするのではなく、自らが確認するということが大切だと思っています。とはいえ、分業的発想が蔓延している今日において、「有機JAS認定」も否定はできないとも思っています。後は生産者のポリシーによるものと思います。後半の質問に対しては、白菜400円で出しています、高いですかと回答されました。相場を知らない私は、返事のしようがありませんでした。価格をはじめ集荷方法、配達方法など、具体化に向けての議論をしていく必要があると思っています。様々な事例を参考にしながら、この会ができる方法を模索していきましょう。
【下の写真は、中村さんの畑です(農園のHPより)】
農園(中村).jpg

山本さんの基調講演
 2日目の基調講演は、「九州・山口地方における農業気象環境と気象災害について」と題する山本さんのお話でした。農業と気象との関わりについての話が聞けるものとして、期待して参加したのですが、残念ながら気象と災害についてのお話の方が多かったように感じました。その中で、気になったことをお示ししたいと思います。災害を未然に防ぐためには、住んでいる所の履歴を確認する必要があるということです。人口が増えたために、居住適地とはいえない場所にも住まざるを得なっています。いつ襲ってくるか分からない自然災害に合わないようにするためには、住んでいる所の地形をしっかり押さえておくことが重要であるといった指摘です。自然災害の多発するこれからの時代、私たちは肝に銘じておく必要があると感じました。地球温暖化に関連して、“エネルギーを使わない暮らし”を追求する必要があるといったご指摘もありました。後進国と言われている国の人々の生活が向上する時代を迎え、自分の暮らし向きを考え直す必要があるようです。
 自分の考えを含め長々と報告させていただきました。有機農業のことを余り知らない私にとっては、有益な祭典でした。2日目の「有機農家とこだわりのつくり手マルシェ」では、子連れの若い夫婦の参加が見られ、安全・安心の食等を求める需要は、結構あるなと感じることができました。【東孝次】

上野村のHP:http://www.uenomura.jp/
「かたつむりの会」のHP:http://katatumurinokai.com/
「なかむら自然農園」のHP:http://shop-yamaguchi.com/nakamura/


「米沢郷牧場」のご紹介【第二弾】
 「日本の農業問題を考える」(大野和興著 岩波ジュニア新書)に掲載されている団体(P182)のインターネット情報に基づくご紹介です。第二弾は、「有機農業の里として有名な山形県高畠町(「まほろばの里」と呼ばれています)にある「農事組合法人米沢郷牧場」(1978年に旗揚げ)です。
 「稲作、果樹、野菜、小規模畜産などの複合経営に取り組んでいる農家が集まる協同組織」です。「経営の主体はあくまで個別農家におきながら、個別農家ではやれない部分を協同の力でやりとげようという考え方で運営されて」いるのだそうです。「有畜複合経営(有機農法)で農民の自立と、より安全な農畜産物の生産を目指しています!」をモットーに取り組んでおられます。「BMW」技術(注)を早くから導入し自然循環農業を実践している生産者として全国でも先駆的な存在だそうです。生産者自らの手で飼料を作る「自家配合飼料」で行っておられます。非遺伝子組換え、ポストハーベストフリー(収穫後に農薬を散布しない)の飼料原料穀物の導入にも積極的に取り組んでおられ、また鶏の全飼育期間を通して抗生物質・合成抗菌剤などの投与もされていないそうです。前出の本によると、経営哲学は、「自給できるものは全て自給する。ものは捨てないでまわす。まず地域の資源はないかと探す。決して誰かのための原料提供者にはならない」とされています。この法人は、「参加農民数百人、亊業高数十億円となり、自立した農民集団として、日本を代表する存在に」なっているのだそうです。
 「産地の特徴」については、次のように記述されています。「豊な自然を最大限に利用し、稲作を主体に果物・野菜・畜産等の複合経営を営んでいます。特に、さくらんぼ・ラ・フランスそれに米沢牛は米と並んで特産品となっています。又、グループとしてBMW技術を駆使し、自然環境農業に取り組み、その中で生物活性水・完熟堆肥をフルに活用する農業体系を作っている」とあります。また「防除・土作り」については、次のように説明されています。「除草剤・土壌薫蒸剤は使用しない。完熟堆肥の多投入に努め、生物活性水等の活用で減農薬栽培を目指しています。又、作物毎に有機質100%のぼかし肥の独自製造をも行い、減化学肥料栽培をも目指」されているそうです。
【下の写真は、米沢郷牧場のHPの「TOP」の写真です】
米沢郷牧場.jpg

 置賜(オキタマ)地域と言えば、大英帝国の旅行家のイザベラ・ルーシー・バード(1831年(天保2年)〜1904年(明治37年))が1878年(明治11年)に日本を訪れた際、高畠町のある置賜地方へ足を伸ばし、この地方を「エデンの園」とし、その風景を「東洋のアルカディア」と評したということで有名です。またこの地域には「一般社団法人置賜自給圏推進機構」といった「NPO、協同組合、企業、任意団体等が協働して、山形県置賜3市5町の地域の課題に取り組む活動を応援し、社会目的にかなった経済活動や市民活動を応援し、社会目的にかなった経済活動や市民活動を拡げ、地域資源を基礎として、置賜自給圏の実現を目的とする」(定款より)組織があります。多彩なメンバーにより、恵まれた自然を生かしながら自給する地域づくりを目指しておられます。さらに生ごみの堆肥化でも有名な長井市もあります。一度訪問してみたい地方です。   【東孝次】

(注):「BMW技術」とは 【「BM技術協会」(BMW技術を研究、活用、普及し、「自然観を変え、技術を変え、生産の在り方を変える」ことを目指すものたちの全国組織)のホームページより引用】
 B=バクテリアの働きで
 M=ミネラルバランスンに優れた、生物にいい
 W=水を作ります
自然界から学んだBMW技術
 自然界は、動物の死骸や枯れ葉をバクテリア(微生物)が餌として分解し、水と土につくります。この自然浄化作用により「生態系の循環」が保たれていますが、中心にいるのが、微生物(バクテリア)です。BMW技術は自然の自浄作用をモデルにバランスよく微生物を活性化し、生き物にとって「よい水」「よい土」をつくりだす技術です。

地域循環システム
 畜産排せつ物による水質汚染、農薬による土壌汚染などの問題が深刻になってきました。BMW技術は、農畜産物の排せつ物や残さなどのバイオマスを「生き物によい水、よい土」に変え、農薬をはじめとする科学物質に頼らない本来の自然循環の仕組みをかたちづくります。BMW技術の働きを地域づくりに活かすために、考え出されたのが地域循環システムです。これは、ひとつのモデルですが、実際は地域の実情に合わせてさまざまなシステムがあります。
【下の図は、BMW技術の説明図です(協会のHPより)】


「米沢郷牧場」のHP:
http://www.farmersnet.net/product/070315110918/070315110918_070406144034.html
高畠町のHP:
http://www.town.takahata.yamagata.jp/index.html
BM技術協会のHP:
http://www.bm-sola.com/bm/archives/01_/index.html
一般社団法人置賜自給圏推進機構のHP:
https://www.okitama-jikyuken.com/


【お願い】
 皆さんからの疑問、質問、原稿を募集しています。併せて、この会に参加くださる方も募集しています。参加を希望される場合は、お名前、ふりがな、住所(大字名まで)、E-mailアドレス、Facebook登録の有無、主な所属団体を事務局までメールでお知らせくださるようお願いします。また興味を持ってくださる方への呼び掛けもお願いします。
(事務局アドレス:noujin5283@ae.auone-net.jp(@を大文字にしています))

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産直提携・身土不二の会・メルマガ【第3号】[2017年03月21日(Tue)]

発行日:2017年1月12日
発行責任者:循環する地域づくり研究所・主宰 東孝次(産直提携・身土不二の会・事務局)
発行頻度:不定期
今回のテーマ: 山口市主催のセミナーに参加して、「青空農園」のご紹介


山口市主催のセミナー「みんなに喜ばれる『もうかる農業』を目指して」に参加して
 「もうかる」という言葉には引っ掛かりを覚えましたが、山大の浅川先生がコーディネーターということもあり、このセミナーに参加してみました。既に3回目で、テーマは「販路と価格を自ら決定できる仕組みづくり」でした。
 まず「農業ビジネス」編集長でもある浅川さんから、セミナーの目的、前回、前々回の復習、今後の課題などについての説明がありました。4回にわたるセミナー全体の目的は、「山口市農業は山口市民の健康と豊かさのためにある」ということです。そのため「市内の農産物のニーズを知る」、「農業者が取引先(消費現場)と出会う」、「継続する取引の仕組みを学ぶ」という3つのステップで進められました。とても実践的で、農業者の意欲を呼び覚ますような内容でした。
浅川事務所の調査等により、山口市の農業、食の実態を次のように分析されています。
・山口市民の食のニーズは、生鮮野菜の支出額は米の8倍、畜産酪農品の支出額は米の15倍となっており、生鮮野菜や畜産酪農品(肉、牛乳、卵及び加工品)に注目することが重要。
・需要100に対して、供給は、米135%、野菜はわずか19%、果物8%となっており、山口市民の期待に応えていない。
・山口市民が食べているのは、野菜の市内生産量(農協出荷)のわずか5%、肉については生産量(農協出荷)の0%と、市内出荷はわずか。
・朝市・直販所では市内産が90%以上だが、スーパー・小売では市内産が数%、多い店舗で10数%とほとんど市外・県外産である。一方、野菜売上は、朝市・直販所で3.5億円に対しスーパー・小売で87.5億円となっており、スーパー・小売での販売が大きい伸びしろ。
・そこで前回、スーパーとのディスカッションと商談会を実施した。その結果、6生産者に対して3件、商談が成立した。ただし出荷に向けて対応中は1件のみ。未対応の2件は、新たに販売する生産物がないため。
・山口市でもっとも消費量の多い農産物はトウモロコシで、米の消費量9,696トンの対して、トウモロコシの消費量は25,529トンと2.6倍である。
・トウモロコシのお客さんは、103軒の畜産農家・法人で、生産者の仲間である。しかし市内のトウモロコシの生産量は、0kgである。誰も作ったことがないことから、来年度、畑作実演技術の実演会を開催する。
 浅川さんは、まとめとして、次の5つのポイントを挙げられました。
 @山口市内の野菜・畜産品・トウモロコシの潜在需要は大きい
 A市内・県外の需要に対応できる「仕組み」づくりが必要
 B稲作から一部畑作物への転換の「関心の高まり」
 C畑作については、実演会など実践的な「学びの場」が必要
 D今後の企画への期待として、新たな品目・販路・収益性を意識した「参加者の増加」
 浅川さんのお話の後は、次の講演者である及川株_業総合研究所社長と浅川さんが競演されたNHKの番組の上映がありました。
 終了後は、及川さんが「販路と価格を生産者自らが決定できる仕組みづくり」と題して、迫力のある講演をされました。その中で特に、すごいなと思ったのは、生産者が自分の才覚で、どこのスーパーにいくらで出すかということが決められる仕組みを構築されていることでした。「物流&ITプラットフォーム」と名付けられた農家の直売所亊業です
【下図は、当日配付された資料をスキャンしたものです】
直売所亊業.jpg

フロー.jpg

 店頭に直接並べられるように農家の方ですることは大変ですが、自分で価格を決め、株_業総合研究所へ売価の35%を手数料(流通・販売手数料込みです。ただしそのほか、シール代など、いくつかの経費負担金が必要です)として支払うのです。売れ残りは販売者の判断で値下げされるそうです。それでも売れない場合は販売者が廃棄するのだそうです。直売所への出荷のように、売れ残りの回収はしなくていいそうです。農協を通さない画期的なシステムだと感じました。なお流通価格の比較は次頁の図(当日配付された資料をスキャンしています)のとおりです。経験を積む中で、農家さんにも工夫が見られ、収穫祭や販売会などのチラシを入れたりされているそうです。また評判のいい農産物を出荷している農家さんの農産物が見られなくなると、あの農家さんはどうしているのかといった問い合わせもあったりするそうです。一般の販売では見られない交流もあるようです。
 このシステムは、農業や八百屋を経験され、日本の農業をなんとかしたいと思われた及川さんが、ITなども駆使し、考えられたものです。山口県内には、集荷拠点はまだできていません。近いうち作るようなことはおっしゃっていました。意欲のある若い農業者の方には、素人の私には耳寄りな仕組みのように思えました。皆さんはどのように思われますか。なお有機農産物についても質問も出されました。一般消費者には、有機だから少し高い農産物を買われるといったことが、まだまだ少ないので、有機農産物を排除はしていないが、特に有機には拘ってはいないとのことでした。
【下図は、当日配付された資料をスキャンしたものです】
流通価格の比較.jpg

 ここで私たちが目指す産直提携について考えてみたいと思います。価格の裏にある人間同士の交流こそ重要なのですが、分かりやすくするために、価格で考えてみたいと思います(貨幣経済に毒されているのかもしれません)。「末端価格」は市場流通の100円程度とし、生産者と消費者との協力により流通経費を20円程度に抑えれば、80円程度が「生産者手取金額」なり、一般消費者も購入しやすくなる上、有機に取り組む生産者も少しは意欲が湧くことになるのではないでしょうか。お金のために有機に取り組んでいるのではないと、生産者の方からお叱りを受けそうです。環境のため購入者のためであることは、十分承知しています。しかし年金がなくても“暮らしていける有機農業”を確立していくためにも、価格についても議論しておくことが重要だと考えています。皆さんはどのようにお考えですか。【東孝次】

「青空農園」のご紹介
 「第2号」でお約束した「日本の農業問題を考える」に掲載されている団体(P179)のインターネット情報に基づくご紹介です。第一弾は、「農民組合が中心になってつくった、生産者と消費者の協同の生産・加工・販売組織」である「有限会社(農業生産法人)青空農園」です。「消費者が個人として出資した農業生産法人の第一号」だそうです。まず代表取締役の菅澤千佳さんのごあいさつを引用します。
 私たちスタッフ自身が青空農園のファンであり、青空農園の野菜が大好きであることが、青空農園の根っこ、そして一番の誇りです。
 お野菜が新鮮で美味しくて、食べたら元気になることは何より素晴らしい!
 そういった私の思いを、青空農園スタッフとお客様、つまり「作る人・販売する人・食べる人」全ての皆様からご理解いただくことで、青空農園は支えられ、成り立っています。
持っている力そのもので育つ野菜は、時にはユーモラスな形のものもありますが、元気で奔放な姿をしています。上手に大きくなるように丁寧に環境を整えてあげた上で自然の恵みや変化する季節の中で力を蓄え、自然にのびのび成長した姿です。
 季節感が薄らいでしまいがちな今の時代、つい自分の都合を押しつけてしまいがちですが、野菜に携わっていると大小さまざまな変化に気がつくことができるようになり、それぞれの季節に合った旬の野菜を食することが楽しくなります。
 季節の野菜に合わせてメニューを考えることは とても広がりのあることで、 体も心も喜ぶ食卓になっていく、そう実感していただけると思います。
 身近にある良いものを気軽に健康にお役立ていただきたい、良質な野菜をなるべく多くの皆様にご提供したい、そのために日々頑張っています。
 青空農園の野菜を、どうぞご賞味くださいませ。
【下の写真は、販売風景です(「青空農園」HPより)】
直売所.jpg

 「青空農園」の願いとして、野菜を育てる「わたしたち」、お求めいただく「みなさん」、この野菜にかかわる全ての人たちが、毎日、楽しく笑顔で暮らせることだと掲載されています。「青空農園」では相模原市中央区に直売所を持っておられ、収穫された農薬不使用の野菜を販売しておられるようです。営業時間は、原則、毎週水曜日、土曜日の14:00〜18:00となっています。販売できる新鮮野菜の写真がネット上に掲載されています。また「あおぞら通信」という手書きのチラシを発行しておられます。その内容は、「今、収穫できる作物」や「野菜のかんたん調理法」などの役立ち情報や「青空農園」からの季節の便りなどとなっているようです。「青空農園」のホームページは、次のURLからご覧ください。
【東孝次】
http://aozora-nouen-sagamihara.com/index.html

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