• もっと見る

JUMBO〜Moving Sweet Dreamer〜

自分に乾杯と言える人生

一秒悩んだら次の一秒はアクション


キリバス訪問編その1 [2015年11月19日(Thu)]
2015年10月19日から22日までの4日間、太平洋のほぼ真ん中に位置するキリバス共和国(以下キリバス)を訪問した。キリバスは太平洋に浮かぶ島国で、北はマーシャル諸島、西はナウルとソロモン諸島、南はツバルとクック諸島が接している。33の島はほとんどがサンゴ礁でできており、島の面積を全て足しても対馬ほどの面積しかないのに、世界第3位を誇る広大な排他的経済水域を有している。また隆起性珊瑚でできているバナバ島の最高地点が81mであることを除いて、ほとんどの島では海抜3.5mを超えるところがなく、地球温暖化による海水面の上昇が深刻な問題になっている。2055年までに最大30センチ近く上昇すると予測されていて、世界銀行によると首都タラワ周辺の島の5〜8割りが浸水する可能性があり、政府は将来の国民の海外移住も視野にフィジーの土地購入を決定し、国民の職業訓練も行っているという。

キリバス1.jpg

キリバス3.jpg

キリバス5.jpg

WHO(世界保健機関)が定める公衆衛生上の問題としての制圧目標(人口1万に1人未満となること)は人口100万人以上の国を対象としているため、現時点で制圧を達成していない国はブラジルのみとなっているものの、キリバスは有病率が1万人に1人以上の国でもある。初訪問となる今回の目的は、多くの離島を持つ太平洋島嶼国がどうやってハンセン病対策を行っているか、その現状について保健省やWHOの担当者から報告を聞いて実際に現場を見ることである。

ホテルに到着しマニエバ(Maneaba)というこの国特有の深い屋根の集会場で、WHOと保健省のハンセン病担当者エレイ女史から説明があった。

エレイ女史によると、キリバスの人口10万人に対して毎年100〜200名の新規患者が発見され、10月の時点で121人が治療中だという。患者は貧困層に多く、南タラワに集中しているもののそのほかの地域では患者が少ないわけではなく、発見できていないだけだという。たった3人のハンセン病担当者で広大な範囲を持つキリバスを管轄しており、特に人口密度の多い南タラワとアウターアイランドと呼ばれるメインの島の周りにある島をいかにフォローすることが課題となっている。キリバス27.jpg

翌日から視察をスタートした。曇っていた前日とくらべ快晴で遠浅の海が白くエメラルド色に輝き美しい、しかし赤道に近い首都タラワは日中35度以上にもなる。道路はL字型の島と同じように細長く伸びていて、道の両側に海が広がるという世界でも珍しい景色を望むことができる。丁度朝の通学時間で、鮮やかな青い制服を羽織った子供達が物珍しそうにこちらを見て人懐っこく手を振ってくれる。

キリバス32.jpg

まずは空港のあるボンリキ地区のナワーワ病院を訪れた。午前10時を過ぎたばかりだが既に炎天下で、水色の壁と白い屋根を有する爽やかな雰囲気の病院で、ニュージーランドのPacific Leprosy Foundation(以下PLF)がリノベーションを行ったスキンクリニック(皮膚病のためのクリニック)に入った。3人の患者が私の訪問を待ってくれていた。カノンガオちゃんという11歳の女の子は母親が発見し病院に連れて来てくれ、顔にも手にもほとんど症状が出ていなかったが、薬を飲んでいて治療中だという。16歳の男の子のベベルティくんは顔全体と主に鼻にハンセン病のリアクションが出ていたが、笹川会長が薬を根気強く飲めば必ず治ると励ましたところはにかんだ笑顔を見せてくれた。
キリバス18.jpg

キリバス17.jpg

保健省のエレン女史によると子供の患者が多いのが太平洋地域の特徴で、患者の20〜30%が子供だという。病気の発見方法、年齢、場所などをデーターベース化しており、1人家族に症状が出たら家族全員も調べることも行っているという。

キリバス20.jpg
病院を後にし、空港のすぐ目の前にあるボンリキ村を訪れた。週に2回しか飛行機がやってこないからか、騒音とは無縁のようだ。ヤシや他の多くの植物で鬱蒼とした集落には高床式の小屋と、マニエバスタイルの屋根が深い小屋があり、中で子供が昼寝をしていたり、ハンモックにゆらゆらしているおじさんがいたりとのんびりした雰囲気だ。小屋の中にはタターケさん26歳がそのお父さんと生活していた。彼の足は麻痺しているようだが、ハンセン病が原因ではないとのこと。離婚したのだそうだが、その理由がハンセン病になる前だということで少しほっとした。村には親戚一同が住んでいて、足が麻痺しているので友人に来てもらい課外活動をするのが楽しみだという。薬はポケットに常に入れていて、飲んでいるそうだ。お父さんは曾おじいさんから聞いた第二次世界大戦中の日本軍がハンセン病患者を火に放り込んだという話も聞かせていただき、とても心が痛んだ。

キリバス21.jpg

 次に道路沿いにあり大きなヤシの木の下にトタン板の屋根でお店を構えるKimwaere Mikaereさん(62歳)のいるナベルビレ村を訪れた。彼は手に少し障害があるが、PLFが患者に対して行っている支援事業により、電気コンプレーッサーポンプを購入し、タイヤの空気入れと車の洗浄を行い、1日12時間の労働で最低でも20オーストラリアドル、多い時で30ドルを稼いでいるという。国の平均が12ドル50セントということを考えると大変なことで、彼も支援によって仕事を始めてから自信が持てるようになったという。PLFのフィールド部長のウェインさんによると、39人に果物を育てたり、魚を取って乾燥させたりするノウハウや帳簿のつけ方などのトレーニングを行っているという。彼の店の看板には大きな文字で「PLFサポート受けている」と書かれていたのが印象的であった。キリバス22.jpg

キリバス26.jpg

キリバス24.jpg
トラックバック
※トラックバックの受付は終了しました
コメント