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2019年09月30日

第5回 金子賢治(日本文化藝術財団専門委員/茨城県陶芸美術館館長)

作家は「鑑賞」から「創造」に視点を移すこと
自分の中の伝統性を見つめ、プロセスの中で創造と伝統を融合させる


「創造する伝統」、創造と伝統がもっとも息づくところというのは、「できあがったものに至る過程、つまりプロセスである」という金子賢治氏。それは、見る側だけではなく作家自身が強く意識することだという真意は。
(取材:ごとうあいこ)

 
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 鑑賞の論理の話をしましたけれど、僕らのような評論家みたいな者が言っているだけではダメです。作家自身がそう思わなかったら何もならない。作家もある程度、歴史を紐解いていかないと、今は一歩も進めない状況だと思うんです。

 ただ、歴史を紐解くというのは、過去の作品をそのまま写して土をはめていくということではないんです。作家は、土に触ったところからあれこれ模索を続け、七転八倒するような思いで格闘し、自分のかたちを探り取る。そういうプロセスを経ながら意識的に取り組んでいるか。歴史を知る中で、この造形芸術という広い世界のどこに自分がいるのか、どの辺に立っているのかということを考え、自分を見つめる「目」みたいなものを作家自身が持つことです。

 作品の批評も他人のことは言えるけれど、自分のことになるとわからなくなる作家が多いですよ。不安になってしまう。だから作家自身が歴史を紐解きながら、一体何が近代の工芸の中で問題になってきたのかを考え、「鑑賞」から「創造」に視点をスライドさせるんです。

 作家は自分が100%ですから、自分のことだけでいい。しっかり自分で自分を見つめる作業をやらないことには、前に進めない時代になっているといえます。歴史をさかのぼれば、もう100年以上も、近代的な自我によってモノを作ることが蓄積されているわけです。ガムシャラに突き進むというよりは、一歩引いて自分の立ち位置を見る、そして何をやろうとしているのか? 何が足りないのか? どういう道を踏んできて、どこに向かうのか? 洗い直しや見つめる時間も“創造の前提”といえる、極めて重要な要素です。創造の前提があるからこそ、モノが出てくるのですから。

 そもそも作家は、いろいろなバックグラウンドがあります。始めたきっかけは大した理由じゃなかったとしても、それはそれでいい。ただ、ある程度の年月を経ると、疑問が出てくるんですね。「なぜ自分は土と対峙しているのか?」、「なぜ私の作品の素材は糸にしたんだろう?」と。そういうときに自分で納得するものを持たなくてはいけない。例えば土だったら、作家の数だけ土の表情はあるわけです。その中で、「私はこの表情を選ぶ!」と意識的に選んだ表情に自分で納得し、その延長線上に表現を積み重ねていくことで作品になるんですよね。

作家は、そういうことを自分で見出ださなくてはいけない。それをやるには、書物を読んで歴史を紐解きながら、自分が今何をしているのかを見つめられるようにしないと。例えば造形の中で、半分が絵画彫刻、もう半分が工芸だとすると、自分は絵画彫刻の境目にいるのか、もっと端なのかなどを認識することが重要です。

もう一つ、「創造」ということでいうと、見た目の新しさではなく、作品を作るプロセスの新しさ。そこに「創造」を見るんです。極端な例をあげると、全くそっくりな2つの器があって、1つは古いものをそのままコピーしたもの、もう1つは、作家が試行錯誤しながらやっと辿り着いたかたち。見た目はそっくりでも、作家自身がアトリエで格闘しながら作った作品には、必ずそこに息づいているものがある。それが、見る側の精神に作用し、響くんです。

ファインアートは、「かたちに素材がはまらなければ、素材を変えればいい」というヨーロッパ近代の考え方ですが、日本の工芸や陶芸の場合は、素材に対する考え方やアプローチが違います。“素材を変える”ではなく、“素材の中に入る”んです。素材の中に入って、あれこれやりながら、素材と一緒にゴールが出てくる。最初に想定したものがうまくいかなければ、ゴールを変えて、こっちに行ったりあっちに行ったりしながら完成に至ります。

こんなふうに素材と連携した作品づくりというのは、ヨーロッパ近代の言い方だと「制約を背負う」こととなり、「素材に作家の表現が左右されてどうする」「素材に寄りかかっているようじゃダメ」と考えられています。制約をとっぱらってゼロにしようというのが、ヨーロッパの美学ですが、日本はそうではない。日本の工芸や陶芸は、歴史や伝統に深くかかわっているし、そういう文化の中で育っているから、作家も創造の中に伝統はどこか残していますよね。モノづくりでも、それは出てしかるべきで、そういうものをやめてしまっては、何も生まれてこない。それが、産業革命でグチャグチャになりながらも修復してきた、日本文化の太い流れに繋がるんです。

創造は創造、伝統は伝統。それが合わさればいいんです。作家は、自分の中にある伝統性みたいなものを見つめて、その上に現代を呼吸するということを付け加えられるかどうか。モノを作っていくときに創造のプロセスの中でそれができるかどうかなんです。プロセスとは、素材をさわっていることですが、それは木や土など直接触れるものだけじゃない、コンピュータグラフィックなども造形です。素材に何かを仕掛けて、創造の層のプロセスの中に、いかに新しいものを加えられるかが、創造する伝統なんだと思います。

創造する側の人間としては、何かネクストワンを付け加えていかないと、自分自身でも納得ができないでしょう。。その刺激は、どこから来るかわかりませんから、常にいろいろなものに関心を持って新しいものを吸収するということは必要です。それと、自分の意識とは別に、技術の蓄積が新しい表現を生み出すこともあります。徹底的な伝統の継承の中で生まれた発見も「創造する伝統」。技術の単純な積み重ねの先に突然開花する新しいものがあれば、それは「創造する伝統」に他なりません。

(完)


金子 賢治(かねこけんじ)
茨城県陶芸美術館館長
東北大学大学院修了。サントリー美術館学芸員として勤務。1984年より東京国立近代美術館に勤務、文化庁文化部地域文化振興課美術品登録調査官を経て、2000年東京都区立近代美術館工芸課長。2010年茨城県陶芸美術館館長に就任。東京国立近代美術館客員研究員を兼務。主著に『現代陶芸の造形思考』(阿部出版)など。

2019年08月31日

第4回 金子賢治(日本文化藝術財団専門委員/茨城県陶芸美術館館長)

徹底的な伝統の継承なくして花咲く創造はない
想像力豊かにプロセスや精神までさかのぼって見ることが肝要


「創造する伝統」を残していく、広げていくためには“現代的な味付け”と“徹底的な伝統の継承”の2つ考えなければならないという金子氏。
作品を見る側にも「鑑賞の論理」が問われると投げかけます。
(取材:ごとうあいこ)

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 前回、日本の工芸は、産業デザインと作家的な伝統工芸と分けて考えるべきという話をしましたが、大元には下支えとなっている職人仕事があります。近代的な作家活動というのも、そのベースがあって初めて花開くわけです。第一次産業革命以降、欧米文化を受け入れながらもアイデンティティを保持し続けた日本は、「伝統」ということを特に意識します。「創造する伝統」を残していく、広げていくためにはどうしても2つ考えないといけないんです。1つは、伝統に現代の味付けをするということ。もう1つは、徹底的な伝統の継承です。その両方がないといけないと思います。

 徹底的な伝統の継承がなければ、ベースが崩れてしまう。第一次産業革命で全部根絶やしにしたヨーロッパには、このベースがないんです。日本は、近代化の波にぶつかりながらも手放さなかった伝統があり、現代に受け継がれている技術がある。これを重要無形文化財や人間国宝に指定し、残しているところもあります。

 例えば、江戸時代に非常にレベルの高かった柿右衛門様式、今右衛門様式、鍋島様式など焼き物の技術。もし、柿右衛門や今右衛門が個人として作品を発表するなら、個性がないと作品にはならないけれど、重要無形文化財には団体指定があり、柿右衛門保存会、今右衛門保存会というように集団で指定できる。それはつまり、人間国宝級の技術を、個人ではなく集団で保有しているということです。これは技術の継承、徹底的な伝統の継承ですよね。


 船大工や左官などの職人もそうです。例え、スタイルは現代風になったとしても、技術そのものは、本当に徹底的な伝統の継承でないとできない。漆喰なども、今は全国で職人が何人いるかわからないくらいのものになってしまっている。今、漆喰で新しい住宅を作ろうという人はあまりいないけれど、伝統的な重要文化財になっているものは、崩れることもありますから。その時に、だんだんできる人がいなくなっていくという現実もありますね。宮大工の木組み技術もそうです。

 そういう職人技術の継承が現代まで受け継がれていくなかで、新しい創造も生まれるんです。むしろ、「創造する伝統」に必要な要素の1つ、”現代的な味付け”は、このベースがあってこそなのです。ただ、ここで問題になってくるのは、前回お話しした「できあがったものをどう見るか?」という観賞の論理です。技術や見た目の視覚的な判断ということではなく、創造と伝統が最も息づくところというのは、プロセスであるわけです。できあがったものを基準にすると、人によって見解がバラバラになるんですよ。

 一番典型的な例が、「縄文的か? 弥生的か?」という見方です。日本の文化を述べる前に比較表現としてよく用いられるのですが、荒々しく力があると“縄文的”で、上品な格調の高さを示す場合に“弥生的”と言うんです。縄文的な造形か、弥生的な造形かということでね、いろいろなものを対比するわけなんです。

 しかしそこで造形的な印象とは別の見解がでてくる。伝統をかたちとしてとらえるか? 精神としてとらえるか? で見方が変わるということなんです。つまり、できあがったものをいかに鑑賞するかではなく、縄文土器と弥生土器がどうやって作られたか、土器を作った縄文人、弥生人の精神までさかのぼらないと、本当の伝統がどこにあるかは見えてこないんですよ。

縄文土器の典型は、火炎土器といわれる炎があるようなデザインのものです。ああいうものは土をこねて、単にこう、ぐにゃぐにゃとしたらできるというものじゃない。「土を殺す」といいますが、土の性質を抑え込んで、型にギュッとはめて乾いたものをくっつけていかないとできないわけですよね。

 一方で、弥生土器は、ものすごくカーブがきれいで、ふにゃっとなっているんです。ろくろを使いませんから、紐づくりでね。紐を作って積み上げていくんです。土の積み方を工夫しないと、べちゃっとへたってしまうから、合理的な積み方をしながら、へたらないようにかたちを探るんです。

 縄文、弥生、両方の要素があって、それを作った当時の縄文人や弥生人が何をそこで思っていたかという部分に趣向のポイントを当てないと、本当の伝統の継承ということは、出てこないですよね。創造も生まれてこないんです。だから、あの時代はそういう土の作り方をしていたのか、ということを学ぶことが大事なんです。学んだ上で、それに近代的な趣向をどういうふうに味付けをするか、というのが、逆に出てくるわけですよ。

 創造と伝統という塩梅を見るためには、想像力を豊かにしないといけない。作る人間が何をやってきたのか、何を継承するのか、継承したものに何を付け加えているのかを考えないと。それがね、今の日本人はものすごい弱いわけですよ。形式に弱いっていうかね。荒れたスタイルの作品だと、作った人まで荒れていると判断する。けれども、それは作家の表現のスタイルであって、本人が荒れたままではスタイルはできないんですよ。作家は「荒れたように見せるスタイルを作る」と意識的にコントロールしてスタイルを作っているんです。そこに鑑賞の論理をもっていかないと。

 つまり、見る側としては、「できあがった作品自体を鑑賞するのか」「作品の精神までさかのぼるのか」で評価が分かれてしまうんですよね。作品ができるまでのプロセス、精神までさかのぼって考えることが「創造する伝統」には必要なんです。

(3へ続く)

金子 賢治(かねこけんじ)
茨城県陶芸美術館館長
東北大学大学院修了。サントリー美術館学芸員として勤務。1984年より東京国立近代美術館に勤務、文化庁文化部地域文化振興課美術品登録調査官を経て、2000年東京都区立近代美術館工芸課長。2010年茨城県陶芸美術館館長に就任。東京国立近代美術館客員研究員を兼務。主著に『現代陶芸の造形思考』(阿部出版)など。


2019年07月31日

第3回 金子賢治 (日本文化藝術財団専門委員/茨城県陶芸美術館館長)

時代のうねりの中で進化し続ける工芸の技術
“日本文化の再構築”から生まれた「伝統」そして「創造」とは


日本文化や伝統を色濃く残す、手作りの産業だった工芸。近代化の波や戦後の立て直しなど波乱の時代の中で、“日本文化の再構築”が行われ、進化し続ける工芸の「創造する伝統」をどう捉えるか。金子賢治氏が3回にわたって連載します。
(取材:ごとうあいこ)

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 日本の工芸の歴史はとても古く、1万2、3000年前の縄文時代から現代までずっと残っているんですよね。これは欧米にはない現象です。極端なことを言えば、手作りの文化は縄文土器から始まり、生活を支え、産業に発展していった。日本の場合は、焼き物が一番目立っているけど、それ以外にも、染色や漆、木、竹、それから硯など石を彫って作られる工芸品もそうです。また、工芸品に必要な材料の紅花や筆の刷毛用の動物の毛の生産など、特に徳川の300年は日本列島が沈むくらいにどこも手作りの産業であふれていた時代だったんですよね。
 
江戸時代は藩ごとに自分の国の経済を成り立たせないといけないから、藩主が自分の藩の産業振興のために、職人を招いて流通させていたという理由もあります。例えば、笠間焼きは、信楽の陶工が笠間に来て笠間焼きを起こし、笠間の陶工は益子に行って益子焼きを起こす。そうやって、どんどん各地に技術が産業として広がっていって、様々な工芸が生まれたんです。
 
欧米には日本のように古い時代から続く手作りの工芸の技術は、ほとんど残っていません。特にヨーロッパは、第一次産業革命で手作りのものを根絶やしにし、機械化に踏み切ったからです。日本も、“マシンエイジ”と呼ばれるヨーロッパの近代化の波には抗えなかった。縄文以来続いてきた手作りの工芸品、日本文化の太い流れとこの波がぶつかり合ってぐちゃぐちゃになるんだけど、そうなったことで、より伝統を意識するようになったんです。「古くていいものが日本にはあるんだ」と、日本の古いもの、いいところとヨーロッパの新しいところをミックスして、なにかもっと、日本を主張できるものを作ろうとしたんです。そうやって、これまでのものよりも、1つ高い次元での“日本文化の再構築”が行われたんですよね。だから、日本の場合は、欧米と違って、「伝統」ということをものすごく意識する。今でもそうでしょうね。
 
戦後日本の復興過程で、工芸の再建というのも日本人の生活の再建と同じように行われ、そこでまた、日本文化の太い流れを考えたんだと思います。ヨーロッパの近代化に押されて、常に何か、新しいもの、新しいものというふうに自分たちを活性化すると同時に、ヨーロッパ人に示したいという思いが日本の近代化を促進したんだと思います。そのぐらい、日本の近代化っていうのはある意味では「進めていかなければ置いていかれる」という強迫観念に襲われていた。逆を言えば、そういう思いがあったからこそ、いいものが出てきたとも言えるんじゃないでしょうか。1950年代、60年代の日本の戦後の美術を確立したものは、ものすごくヨーロッパで人気があり、値段も高くなっています。

工芸の世界も、道具の機械化でこれまで完全に手作りしていたものも機械を使えるようになった。よく誤解されがちですが、本来民芸っていうのは「気持ちのいい生活用具、美しい生活造形を作って使う人の手元に送ろう」というのが基本的な考え方。これを軸に考えると、手作りしかなかった時代の産業工芸が、機械時代に工業デザインに変われば、それが今の民芸だと言ってもいいわけです。
 
 手作りでも、機械でも、仕上がりが一緒でいいものができる、大量に作れるならいい。そうでなければ、民芸の本来の主張が一貫しない。ただ現実は、機械を使って功利主義的に、安ければいいとなると、だんだん粗悪品になってくるということがあるので、それは批判されてしかるべきです。

 柳宗悦さんの息子・柳宗理さんは、「現代の民芸は工業デザイン」だと言及しています。いい意味で、時代に合わせて効率を考え、融合すべきです。ただ、僕が問題視しているのは、実用品や産業工芸品と作家の作品を混同して捉えることです。使い手がいいといえば、古い雑器をコピーしてもいいけれど、それは作家の表現とは全く異なるもの。古いもののコピーでは、作家の作品にはならないわけです。ただ、民芸論の環境では、そこがすごく曖昧なんです。コピーでもいいという風潮がありますが、産業デザイン論としては立派でも、コピーでは作家の表現論には転化しないんですよ。

 焼き物の世界では特に多いのですが、日本人が古い焼き物を今でも使いたいという要望をかなえるためなんですね。コピー、つまり、写しを作って生業にしてきた。これは作家の作品ではなく、産業ですよ。絵画や彫刻で作家が写しを作ったら、偽物だと一蹴されるのに、焼き物の写しは、なんとなく許されてしまう。変な世界なんです。産業と作家の表現の境目が、もうグチャグチャになっているわけですよね。それは、焼き物自体が作家の表現がどうこうという世界ではなく、骨董趣味で、愛玩すればいいんだという、美術におけるヒエラルキーの考え方の1つの裏返しでもあるんですよね。

 つまり、ファインアートは、1段も2段も高いところにあり、アブライドアートは1段も2段も低いもの。さらにクラフトはもっと低い。それはヨーロッパ近代の考え方なんですけど、それがそのまま日本にドンッとぶつかってきたんですよ。美術教育とは、おしなべてそうです。そうすると、「焼き物はアートになれないもの」というような考えが根付いてきてしまう。焼き物を専門にしている学芸員や評論家でさえも、「焼き物は手でこうこすって、箱に入れて楽しむもの」だとね。だから、茶碗が立体造形になると、器しかなかった世界から立体を作ったと、低い工芸から高い彫刻になったんだと、騒がれたこともあったんです。そんな馬鹿な話はないですよ。

 産業デザインと作家が表現する作品とは、全く違うものなんです。そこを混同してしまうから、おかしくなってくる。日本の焼き物の最も多いパターンに、桃山陶芸至上論とかね、中国の宋の焼き物は最高峰であると、それを真似して作ろうとする傾向がある。その典型が曜変天目で、あれをなんとか再現しようとして一生を棒に振る人が何人いたか。作家の表現とはそういうことじゃない。表現をはきちがえているんですよね。

 僕らがよく、公募展の審査をやるときもそうでね。井戸茶碗の写しなんていうものは、いっぱい出てくるわけですよ。そうすると、それを見て、「これは非常に気持ちのいいものです。使いたくなります、だからいい作品だ」と言う人がいるんです。だけど、それは出来上がったものをどう見るか、という鑑賞の論理。そもそもが“写し”ということ自体に、作り手の制作のプロセスを見れば、その人が自分の個性を表現しようとしていないとわかる。それはもう、作家としての前提を欠いているわけです。そういうものは批判してやめさせなければいけない。そうしなければ、次の工芸の未来が出てこない。作家もそうだし、見る側もそうですよ。

 写しが悪いと言っているわけではない。そういうものを作って売るのはいいが、それは産業の表現、作品ではなく産業品であって、作家の表現ではないということなんです。

(2に続く)

金子 賢治(かねこけんじ)
茨城県陶芸美術館館長
東北大学大学院修了。サントリー美術館学芸員として勤務。1984年より東京国立近代美術館に勤務、文化庁文化部地域文化振興課美術品登録調査官を経て、2000年東京都区立近代美術館工芸課長。2010年茨城県陶芸美術館館長に就任。東京国立近代美術館客員研究員を兼務。主著に『現代陶芸の造形思考』(阿部出版)など。