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2020年02月29日

第10回 倉方俊輔(日本文化藝術財団専門委員/大阪市立大学准教授)

真に創造的なものは世紀をまたいでも滅びない
いきいきとした姿で輝き続けるものが創造を呼ぶ



伝統には創造が必要で、人為的に変形させる荒技ができる人を「建築家」と呼んだ近代。「創造する伝統の中心には建築があった」という倉方氏。権威が変転した時代に生まれた創造を建築からひもときます。
(取材:ごとうあいこ)


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 前回、権威と伝統が結びついた象徴に建築が使われたという話をしましたが、近代ではこれが盛んに行われました。カトリックが古代ローマで存在した形式を用いながら自分たちがもっている伝統を加工していく。これは、固形化した権威の下での伝統しかなかった中世とはかなり違います。古代ローマのものを軸に歪めたり、重ねたりなど加工を施したバロック建築は、伝統の継承を匂わせながらも創造を加えることで新しく生まれ、生きた伝統を表現しました。伝統は固形化するものだというのは中世までの考えで、近代は、“伝統は変形させて生かすもの”という時代です。伝統には創造が必要であり、その先駆け、中心にいたのが、建築家なのです。あたかも伝統に沿うように見せながら、意識的に変革する。これができる人が真のアーティストであり、建築が一番早かった。それから、絵画や彫刻、工芸などに広がっていきました。

 建築の概念がしっかり確立されたのは近代からですが、西洋は、ギリシャ時代に建築論はあるし、ローマ時代も存在しました。その時代にはすでに建築家のような人がいて、コンセプチュアルな建物も作られていたんですよね。まだ、近代のような活躍はしていないとしても、西洋は日本の歴史のように明解な転換期はないから、建築についてもなんとなく伝統と絡めながら連続した話ができます。

 一方、日本の場合は、明治以前と以後がはっきりと違う。建物は建造物でしかなく、そこに概念はありませんでした。日本の建物は、左官屋や床職人、壁職人などパーツごとに専門の職人が作り、その職人たちを現場監督として大工棟梁が束ねることで作られていました。建築は建物を建てる行為でもなければ、技術の総称でもありません。現場監督としてその場に立つ大工棟梁は建築家ではないのです。建築家とは、世界観を持って概念を表現しながら全体を構成できる人であり、踏み込んでいえば、大工仕事ができなくてもつとまるということになります。

 明治以前で建築家の資質がある人を挙げるなら、織田信長ではないでしょうか。信長は、それまでの城とはまったく違う、天守閣がある多層の城を築きました。歴史の流れで少しずつ城が階層式になっていったのかと思いきや、そうではないんですよね。それまでは、平建ての城が主流だった中で、信長が琵琶湖の湖畔に建てた安土城でいきなり城が多層となったのです。豊臣秀吉や徳川家康など、後の武将たちは、安土城を真似して多層式の城を建てるようになったといわれています。この独創的な造りの安土城を考案した信長は極めてアーキテクト的な人物だったと思います。つまり、このように特異な発想を持ち、かたちにできる人が近代以前には皆無だったわけではないのです。ただ、新しいことをやらなくても、やっていけた時代だったというだけなんですよね。

 それが近代以降、新しいことを取り入れていかないと立ちゆかなくなるような社会状況となります。日本は西洋文化の流入で伝統が意識され、ものづくりがより創造的になっていく。建物も西洋からきた“建築”という概念を受け、近代以前のものと現代を融合させながらどう伝統と結びつけていくのかが考えられるようになり、最初に動いたのが伊東忠太でした。これが、日本の建築史の始まりです。そして近代の建築は、創造の宝庫だったともいえるでしょう。時代を超えてもワクワクするものが多いのです。

 本当に創造的なものは、世紀をまたいでも滅びることはなく、いきいきした姿で輝き続けています。ルネサンスやバロックでもたくさんの建築が生まれましたが、今見ても面白いのは、思考も刺激されるからです。「このかたちとこのかたち、こうやったらつながるのか」など発見の喜びがあったり、アイデアが生まれたりもする。逆に、模倣されただけのものや、形式だけ引き継いでいるようなものは、廃れるのも早いです。伝統芸能も、創始者の人のパワーはすごいけれど、後に続く者が形だけを真似したところで響かないでしょう。引き継いでいくほうも伝統に変化を加えなければ、伝統は死んでしまいます。これは専門家が見れば、一目瞭然です。だから、見る側も知識があると比較しやすいし、きちんと判断もできるから、専門家が守られるべき伝統を見極めるということも重要だと思います。

 私は、伝統と呼ばれ、保護されるべきものは、良し悪しは別として基本的に残したほうがいいと思っています。1980年以降、現代においては特に、残りづらくなってきていますが、どういうかたちであれ、残すべきです。例えば植物や病原菌なども、有事の際には使えるように残しているでしょう。そこから新しいものができる、特効薬などが生まれる可能性もあるからです。センスも同じことで、なるべく多様に残しておけば、創造の種になり得る。創造につながる可能性があるから残すということで、そのままの姿で未来永劫保ち続けるということではなく、何かを生み出すための源泉として、伝統的なものは多様に残すべきだと思うのです。

(3へ続く)


倉方 俊輔(くらかたしゅんすけ)
建築史家。1971年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科卒業、同大学院修了。伊東忠太の研究で博士号を取得し、2011年から大阪市立大学准教授。日本の近現代建築の研究と並行して、『東京モダン建築さんぽ』『建築の日本−その遺伝子のもたらすもの』『伊東忠太著作集』『吉阪隆正とル・コルビュジエ』などの編著書の執筆、メディア出演、日本最大の建築公開イベント「イケフェス大阪」実行委員、Ginza Sony Park Projectメンバーを務めるなど、建築の価値を社会に広く伝える活動を行っている。日本建築学会賞(業績)(2016年)、日本建築学会教育賞(2017年)受賞。
「創造する伝統賞」の前身である「日本現代藝術奨励賞」の第13回受賞者。
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