“めいめい”という感覚こそ日本文化の根底にあるもの
前回の「日本の伝統音楽は、楽譜を基準にメロディ・リズム・ハーモニーで統一するスタイルではない」という背景には、「そろえないことをよしとする文化があったから」と話す茂手木氏。それを掘り下げていくと、日本の音を考えるアイデンティティに深く結びついてくるのではないでしょうか。
(取材:ごとうあいこ)
私たちは、四季の移り変わりの中で、季節の音を意識しながら過ごしています。『源氏物語』や『枕草子』などには、風の音、水の音、虫の声、自然の音の描写がたくさん出てきますが、こうした自然の音への共感が楽器にも取り入れられて、音楽作品の基盤を支えています。
最初に話しましたが(※第7回の記事)、国立劇場でドイツの作曲家、シュトックハウゼンが新作雅楽を作ったときに、面白いことがありました。雅楽の楽太鼓は打つたびに、桴を差し込む金具部分がビリビリと振動するのですが、日本人の私たちは全く気にならないこの音を、シュトックハウゼンは「耳障りなので鳴らないようにガムテープで固定してほしい」と言うのです。西洋の“ミュージック”に雑音はいらないんですね。
けれども、日本の楽器は、三味線なら「サワリ」という、棹の糸巻きに近い所に少しだけ突起を作って複雑な音が出るようになっていますし、歌舞伎の大太鼓では、右桴(バチ)で太鼓を打つ時に、わざわざ左桴を革面に触れるように当てて、ビリビリいう音を出すんです。これは、日本人が自然音を好む感覚ですね。風の音や雨音など、自然音にはシャーッとかザーッという、まざりものがたくさんあります。まざりもののない音も出せるのに、尺八などは意図的に息音を混ぜた音色を出し、まるで風が吹くような音にするのです。日本の寺社の鐘の音だって複雑な音色に仕上がっていますし、読経でも声明でも、みんなの声が違うからありがたみが出るといわれます。
日本語の「自然」という言葉は、もともと「じねん」と発音し、「おのずから」という意味で、人間も自然の一部だと考えていました。ですから、「一人ひとりのあるがままの声」を活かすことや、風や雨の音のような雑音を含む音を音楽に取り入れることも当然だったのでしょう。日本の伝統音楽は、このように、「あるがままを良し」とする文化が根底にありますから、合奏や合唱が「そろわない」のではなく、個々の声質や音から音への進み方について、「そろえない」という感覚でやってきたんだと思います。
かつて、工業デザイナーの秋岡芳夫さんが言及していましたが、日本人はそれぞれ自分の好みを持っていて、それが個々に異なる茶碗や箸の形や色、模様に表れるというのですね。最近ではそろいのものを使う家庭も多いようですが、“めいめい茶碗”という言葉があるように、家族でも違う柄やサイズ、また色や模様の異なる茶碗を一人ひとり選んで使うという文化があります。この、“めいめい”という考え方を音楽に当てはめたときに、しっくりきました。日本の伝統音楽は、“めいめい”文化を代表しているんだと。しかし明治時代に西洋式の音楽教育が始まったことにより、日本も“めいめい”から“均一”統一”という動きに変わっていきます。
西洋音楽ではメロディ・リズム・ハーモニーを尺度として基準となる音があり、音程や縦の拍子を合わせることが重要視されます。ピアノで弾かれた音に自分の声を合わせなくてはいけない。リズムをとって合わせないといけない。これができないと「音痴」の烙印をおされてしまい、音楽が楽しめなくなってしまう。
日本の伝統音楽は、その人の出やすい声で、その人流の表現の仕方を大事にします。長唄で唄方(歌い手)と三味線・笛(篠笛)・打楽器で演奏する場合は、まず唄方が声を出し、その声を聴いて三味線の基本音を決めて調弦し、続いて笛はどの音域のものが良いか持っている笛の束から選びます。篠笛は、半音ずつ違う音域の笛を10本以上準備しているのが常です。楽器ではなく、人に合わせる。まず「人ありき」です。それが日本の伝統音楽の良さなんですよね。
今は、とかくリズムとか、西洋楽器とのセッションとかそういう方面にかっこよさを求める傾向があるので、もう少し日本の音そのものにも目を向けてほしいと思います。私は、昔の楽器をたくさんコレクションしています。集めた楽器には、昔の音が残っていますが、高度成長期以降に作られた楽器の音色と明らかに違うんです。私のコレクションは美しい装飾や、由緒いわれのある特別な楽器ではなく、庶民の生活の中にあった音を出す道具が多いですが、これらは、江戸時代から明治頃の一般の人々がどのような音色や音質を好んでいたかの証拠になります。当時の録音が残っているわけではないので、実物はとても貴重です。実際の音を聴くことで、今に繋がる共通点も見つけられるし、新しい発見にも繋がっていくのです。
日本の楽器を使って、日本の音楽をただ奏でているだけでは、単なる伝承にすぎません。昔の楽器で、教わった通りに演奏しているだけでは何の変化もなく、伝承の域を超えることはできないのです。そこに問題を投げかけて、新たな伝統の在り方を感じさせるような演奏でないと、なかなか感動も生まれない。創造する伝統という観点でいえば、伝統とは、同時代にも説得力を持って訴えかけることのできるものだと思います。そしてさらに、未来にどうあるべきかという本質的なところにまで踏み込んで挑戦して欲しいですね。
(了)
茂手木 潔子(もてぎきよこ)
日本の伝統音楽研究を専門とする。文楽義太夫節、民俗芸能・仏教や歌舞伎下座音楽の楽器、越後酒屋唄の研究を通して、日本の音文化に共通する特徴を「めいめい」のキーワードをもとに研究している。
著書『文楽 声と音と響き』『浮世絵の楽器たち』『酒を造る唄のはなし』『おもちゃが奏でる日本の音』など。論文「義太夫節の学習法」「近松の文章の音楽性をめぐって」「北斎と馬の鈴」など。
2017年4月〜2019年3月まで「季節の音めぐり」と題したエッセイを、当財団ブログに連載。https://blog.canpan.info/shikioriori/
山梨県笛吹市出身。現在、聖徳大学教授 上越教育大学名誉教授 日本大学芸術学部非常勤講師。「創造する伝統賞」の前身である「日本伝統文化奨励賞」の第2回受賞者。
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