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2019年11月30日

第7回 茂手木潔子(日本文化藝術財団専門委員/聖徳大学教授)

楽器を通じて表現される音作りの考え方こそ大事にしたい
生きるための唄が伝えるダイナミックな伝統のかたち



いろいろな音が混じり合う、雑味のある音こそが日本の伝統音楽の原点ですが、楽譜やメロディ・リズム・ハーモニーの普及で、音楽は変化してきました。かつては日本のあちこちで唄われていた ”生きるための唄の文化”もまた、消えつつあるのです。
(取材:ごとうあいこ)


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 私は日本の音楽を専門に研究していますが、現在の日本の音楽教育では、西洋音楽が音楽や楽器の基準になっています。日本音楽や日本文化をこの西洋音楽の基準に当てはめていこうとすると、日本音楽の表現方法や音作りの考え方では、なかなか入る場所がないんですよね。世界には、実に様々な価値観を持った音楽が存在していて、国によって文化が異なることと同様に、音楽の表現方法も様々なのです。

 日本の音楽は、もともと即興性に溢れ、場に応じて演奏を自由自在に対応させることもできました。しかし、いわゆるクラシック音楽の楽譜ありきの価値観で演奏してきた人は、メロディ・リズム・ハーモニーを神様みたいに崇めていて、それを忠実に守ろうとするんですね。ルールの中に楽器や声を当てはめ、メロディ・リズム・ハーモニーを壊さないように音楽を作る。そもそも、日本の伝統音楽では、メロディ・リズム・ハーモニーを必須とした音楽づくりをすることはなかったのですから。

 楽器もそうです。例えば、バリにはガムランという民族音楽がありまして、村ごとにその地域の人々が集まって演奏します。家族や親戚で集まったときなどは、家の台所用品を持ち出して、ガムランのように演奏できてしまうそうです。フライパンなど音を鳴らせるものを寄せ集めてガムランをする。専用の楽器を持っていなくても、方法論があるから、フライパンでもガムランになるんです。こんなふうに、仮に楽器がなくても方法論がしっかりあれば、音楽を作り出すことができるわけです。伝統を継承するということは、たとえ楽器がなくても音楽づくりの方法論を生かして伝統の響きやリズムを表現することだと思います。

 私は、大森貝塚を発見したエドワード・シルベスター・モースが日本滞在中に見聞きした当時の音楽や音文化についても研究をしています。彼が残したコレクションから19世紀の日本の庶民の暮らしについて読み解くと、伝統的な音文化について記述があり、これがとても興味深い。とにかく一番書かれているのが、日本ではどこに行っても人々が唄を唄っているということ。仕事をしながら唄うという文化に驚いているんですね。江戸時代には定着していた出稼ぎ、鳥追いの唄とか、木遣唄、酒屋唄とかね。こういう作業唄って日本にとても多かった。作業唄は、人に聴かせるための音楽ではなくて、体を動かす動作のタイミングや時間を計ったり、単純作業の辛さを紛らわせたりするものだったのです。日本にはたくさんの民謡がありますが、民謡の起こりは作業唄がほとんどです。

 作業唄の中でも、私がここ10年以上研究をしているのが、越後の酒屋唄。酒造に携わる人々が、お酒を造りながら唄う唄で、唄うことは「唄半給金」と言われるほど、酒造業には必要不可欠でした。酒屋唄には、決まった楽譜や歌詞はなく、即興で歌詞を作って唄うこともできます。声色や音程がバラバラでも構わないし、声が揃わなくてもいい、言葉とリズムがはっきりしていれば旋律や音程は二の次です。一人ひとりの発声が違うことで、親方は、唄声を聴いて、みんなが現場にいるかどうか確認し、一人ひとりのコンディションまでチェックできるのです。酒蔵での仕事は過酷なので、蔵人たちは桶を洗いながら故郷に残した家族への思いを唄ったり、眠気で六尺桶の中に落ちないように、そして沈みがちな自分の気持ちを鼓舞するように唄います。言ってみれば、彼らは生きるために唄を唄ってきたのです。

 酒造りは万葉時代からあったけれど、こういうふうに唄い出したのは、江戸時代あたりだったようです。酒造技術が発達して、団体作業で酒造りが行われるようになり、それで作業唄も発展してきました。唄の歌詞には、八百屋お七の話を取り入れたり、江戸の街の名前を入れたりしてアレンジされました。伝承方法は耳コピーですから、師匠や親方が唄う様子を何度も見て、聴いて、それで覚える。これは、作業唄に限らず、歌舞伎も、能も、文楽も同じで、楽譜や教本よりも、口頭伝承が普通。日本の伝統的な音楽の教育方法はみんなそうでした。楽譜ありきではなく、音楽が先。音楽を体得する過程で、常に変化に対応できるような力を育てる訓練がなされるんです。

 毎日繰り返し、何度も聴いているうちに、メロディや拍子が自分の中に入ってきて、そこから自分がその仕事をするようになった時は、もう唄えるようになっている。それと同時に、いろんな人のパターンも覚えているから、臨機応変にアレンジもできる。だから、歌舞伎でも、浄瑠璃でも、役者や演奏者の組み合わせによって曲調や歌詞が多少変わっても対応できるんです。楽譜をベースに構成される西洋音楽では勝手に楽譜を変えることはできませんから、大きな違いですね。例えば、オペラの音楽では全部決まったことをそのままやるので、人が変わったからといって音楽が省略されたり、付け加えられたりということはありません。

 酒屋唄は、日本人の唄に対する本来の表現方法を代表していると思います。楽譜がない、歌詞も決まっていない中、即興的に唄を作る一人ひとりが、作曲家であり、作詞家であり、演奏家でもある。日本には、こういうふうに庶民の間で流行った音楽でとても素敵なものが多くありました。上流階級の人が趣味で奏でる楽器や教養のための音楽とは一線を画すもので、生きるため、必死の状態で唄うエネルギーに胸を貫かれる。芸術といっていいかはわかりませんが、これも伝統の一つ。ダイナミックな伝統のかたちだと思うのです。

(3へ続く)

茂手木 潔子(もてぎきよこ)
日本の伝統音楽研究を専門とする。文楽義太夫節、民俗芸能・仏教や歌舞伎下座音楽の楽器、越後酒屋唄の研究を通して、日本の音文化に共通する特徴を「めいめい」のキーワードをもとに研究している。
著書『文楽 声と音と響き』『浮世絵の楽器たち』『酒を造る唄のはなし』『おもちゃが奏でる日本の音』など。論文「義太夫節の学習法」「近松の文章の音楽性をめぐって」「北斎と馬の鈴」など。
2017年4月〜2019年3月まで「季節の音めぐり」と題したエッセイを、当財団ブログに連載。https://blog.canpan.info/shikioriori/
山梨県笛吹市出身。現在、聖徳大学教授 上越教育大学名誉教授 日本大学芸術学部非常勤講師。「創造する伝統賞」の前身である「日本伝統文化奨励賞」の第2回受賞者。
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