日本の伝統文化における音楽の原点は暮らしの響き
日本の伝統文化に息づく音。自然への憧憬や暮らしの中に溶け込んだ音は、いわゆる西洋音楽とは違う世界観で表現され、唄い、伝承されてきました。西洋音楽から日本の伝統音楽の研究に転向した茂手木潔子氏が考える音の世界。「創造する伝統」としての音楽とは。
3回にわたって連載します。
(取材:ごとうあいこ)
日本に元々あった音楽や、音の姿ってなんだろう。西洋音楽の教育を受けてきた私が日本の音楽、伝統音楽の研究を始めて、最初に衝撃を受けたのは、国立劇場に勤務して間もない頃でした。1977年にシュトックハウゼン作曲の新作雅楽の上演を演出家の木戸敏郎さんが手がけることになり、私は、シュトックハウゼンに作曲を依頼するための資料作りを手伝いました。楽器の音色や音域、奏法特性を五線譜で示して録音したテープを添えた資料を作ったものの、雅楽の箏の左手奏法については言及しませんでした。すると、シュトックハウゼンが作品に左手の奏法をたくさん書いてきたのです。
雅楽の箏は、左手を使わないことは常だったので困りましたが、同時に「確かに、なぜ左手を使わないのか」という疑問が浮かび、木戸さんは様々な文献を調べたんですね。そうすると「応仁の乱のときに左手を使う奏法がわからなくなってしまったらしい」という記述が出てきました。つまり、左手を使わない奏法は、実は雅楽の伝統の伝承ではなかったんですね。これはショックでした。
そうすると、私たちが今知っている音楽は、元々このかたちだったのかと、さらなる疑問が生まれました。元々の音楽のかたち、伝統を受け継ぐということはどういうことなのか。そう考え出した頃に出会った方々がアドバイスをくださったのですが、その中の1人である作家の辻邦生さんがこうおっしゃったんです。「伝統という言葉はフランス革命から来ていて、『伝統』や『古典』は明治になってから生まれた言葉だ」と。辻さんが考える伝統とは、「現代の中でも、いきいきと活気を持って行われているもの」であるともおっしゃいました。
つまり、伝統には、現代にも通ずる説得力がなければならない。そして、そこには同時代性がなくてはならない。ただ、脈々と続いているだけでは単なる因襲または慣習でしかないし、いきいきしていないものは遺物なのです。例えば、歌舞伎は同じ作品であっても毎回台本を作り変えます。その時に人気の役者に合わせて再構成することもあります。正月歌舞伎など、流行り言葉をどんどん入れます。音楽も毎回、どんな音楽で組み合わせるかを再検討しますし、地方巡業などで面白い音があると、すぐに黒御簾に入れることなども昔から行われているんですね。
音楽は、昔のものをそのまま演奏していても、今の若い人には身近でないために興味を引かない場合もあるし、「この楽器はこう使うもの」と従来の楽器奏法に縛られすぎると、新しいエネルギーが生まれない。「現代の中でも、いきいきと活気を持って行われるもの」が伝統であるなら、それが途絶えそうな時に、何を残すかといったら、私は、楽器ではなくて、音楽を創りだした発想、どんな音を出したかったかという考えを残すべきだと思うのです。箏という楽器にこだわって、箏でヴィヴァルディを演奏するよりも、ヴァイオリンで声明のようなうねる旋律を演奏する方が伝統の創造活動だと思うんですね。
そもそも、箏や三味線は中国から来ていますが、三味線などは中国の弾き方と違います。日本ではベンベンとかビンビンと響く「さわり」という仕組みを棹の上部に作って、撥で演奏しますけれども、撥を使うようになったのは、琵琶の演奏家が三味線を弾いたことからなのです。琵琶には中国から伝来した琵琶と、インドから伝わったらしい琵琶があるのですが、このビンビンいう音は、日本独自というよりは、インド系の音の影響だと考えられています。当時の人々が出したい音は、複雑な音色の音だったのでしょうね。つまり、楽器の文化というよりは、音の出し方が生活や文化に密着しているのです。私たちが受け継いできた音の作り方があって、その楽器からどういう音を出したいのか、それを奏で、作りたい音を出せるように楽器の奏法が変えられていったと考えています。
西洋から音楽や楽譜が入ってきてからは、学校教育の音楽はドレミやハーモニーが重視されるようになりました。近年、学校の音楽教科書に掲載されている横笛は、指穴の大きさを変えてドレミに調律した笛が多く、音域も、東京以外では使わない高い音域の笛です。リコーダーと似た指使いでドレミが出せるように高めの8本調子を使うんですね。これが学校音楽を通じて全国に出回っています。東京では6本、あるいは7本を使い、東北だと通常3本か4本の低い音なんです。このように、学校教育と地域の伝統が乖離してしまうのは危険ですね。
一方で、伝統音楽の在り方として、歴史的な重要さのみや、視覚的なスタイルを優先することで音楽そのものの本質を見失ってしまうのは本末転倒です。かつて、木戸敏郎さんが雅楽の演奏会を洋服で上演したことがありましたが、日本音楽研究者の評議員から「神聖な舞台に土足で上がるようなものだ」と猛反発がありました。雅楽の演奏では、海松装束を着るのが慣例とされていたからです。
けれども、雅楽で海松装束を着るのは大正時代頃から決まったことであって、それも武士の服装を取り入れたもの。何より木戸さんは服装よりも、雅楽の楽器に焦点を当て、音楽そのものをクローズアップするという意図があったんですね。それなのに、「雅楽は海松装束」という先入観と、目の前に見えているものは昔から変わっていないという思い込みに縛られてしまう。「日本音楽だから演奏時には和服を着るべき」という意見は、音楽そのものの魅力が忘れられているような気がしてなりません。和服は、かつての日本人の普段着というだけ、楽器の演奏時に和服を着ることは、当時の現代性を反映していただけだとも言えるでしょう。そうすると、現代では、洋服で演奏したって構わないと思うのです。
日本の伝統音楽で引き継ぐべきこととは、近い時代の歴史や慣習ではなくて、伝えられてきた音色や、どのように音を表現してきたのかという考え方だと思います。日本人が出してきた音、出したかった音、響き。美しいハーモニーではなく、引っ掻いたり擦れたり、いろんな音が混じり合うような響きを出す奏法から生まれる雑味のある音楽がそれでしょうか。生活の中で耳にする自然界の音を、楽器で再現していると思うのです。
(2へ続く)
茂手木 潔子(もてぎきよこ)
日本の伝統音楽研究を専門とする。文楽義太夫節、民俗芸能・仏教や歌舞伎下座音楽の楽器、越後酒屋唄の研究を通して、日本の音文化に共通する特徴を「めいめい」のキーワードをもとに研究している。
著書『文楽 声と音と響き』『浮世絵の楽器たち』『酒を造る唄のはなし』『おもちゃが奏でる日本の音』など。論文「義太夫節の学習法」「近松の文章の音楽性をめぐって」「北斎と馬の鈴」など。
2017年4月〜2019年3月まで「季節の音めぐり」と題したエッセイを、当財団ブログに連載。https://blog.canpan.info/shikioriori/
山梨県笛吹市出身。現在、聖徳大学教授 上越教育大学名誉教授 日本大学芸術学部非常勤講師。「創造する伝統賞」の前身である「日本伝統文化奨励賞」の第2回受賞者。
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