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2019年06月30日

第2回 芳賀徹(日本文化藝術財団顧問/東京大学名誉教授)

「創造する伝統」は知の蓄積と新しいものへの想像力
学びを深めてこそ手にできる意外な新展開に期待


日々の暮らしの中で根付いた習慣、育まれたアイデンティティから形成され、継承される「伝統」。そして、脈々と続く伝統は歴史とも言えると芳賀徹氏。長い歴史の中で、伝統の型を守りながら新しい道を開いた“前衛”と呼ばれる先人たちは、「創造する伝統」をどう表現してきたのだろうか。
(取材:ごとう あいこ)


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 「創造する伝統」が一筋ではないと話したように、その観念を先に頭の中でつくり、条件を並べて、創造する伝統かどうかなんてやるよりも、作品をたくさん見てそこから感じ取ることが重要だ。すぐれた作家は、「創造する伝統」を見事に体現している。作品そのものに「創造する伝統」がしっかりと息づいているんだ。それは、まず、歴史を読めばすぐにわかる。

 歴史を読み解くために必要なのは、資料や文献だけではない。資料と資料のはざま、ギャップの部分をつなげるためには、イマジネーションは欠かせないだろう。資料や文献がそろっていないから分からないというのでは、不十分だ。例えばそれが政治史だとしたら、まったく違う分野の仏教史を読み、考古学、建築などあらゆる分野から考察する。もちろん、目を皿のようにして隅々まで読み、共通して動かないファクトを吸い上げる能力は必要だが、イマジネーション力も持ち合わせていないとダメなんだ。

 歴史をひもといて考えると、「創造する伝統」は学問にも当てはまるだろう。アインシュタインの功績だって、ニュートン以来の研究の蓄積があってこそだ。学問、つまり、知の蓄積に加えて新しいものへの想像力。イマジネーションだ。日本の歴史でも、古事記、日本書紀は神話としてとても面白いものだし、歴史学や美術史、短歌俳句の中にも、「創造する伝統」につながるものはたくさん眠っている。

 松尾芭蕉や与謝蕪村は俳句界の前衛だろう。「五七五」はしっかりと受け継ぎながら、日本語を見事に操っている。また、正岡子規は前衛のリーダー、トップみたいなものだ。まわりを破壊して、伝統を罵倒しながら、いかにも日本人らしく生きた。子規も、芭蕉や蕪村と同じように、俳句という偉大な伝統、短歌の型は受け継ぎながら新しい風を起こし、「創造する伝統」を表現したんだ。

“雲の峯 幾つ崩れて 月の山”
 これは、芭蕉が月山に登ったときを詠んだ句だ。7月末の暑い頃で、白装束で修験道の峰を登っていく。前後に白い入道雲がニョキニョキ立っていたのがいつの間にか崩れて消えて、ふと気づくと目の前に月山が、ほのかに月の光を浴びて浮かんでいるんだ。「雲の峰」は夏、「月の山」は秋、峯は男性、男性は力で、陽で、昼間を表す。一方で、月の山は女性、夜で、臥せている。死の世界だ。つまり、昼から夜へ、動から静へ、男性から女性へ、生命から死へ「幾つ崩れて」なのである。知の蓄積、そしてイマジネーションをもって読み解いていけば、松尾芭蕉がいかに世界の前衛であったかは明白だ。

“春の海 ひねもすのたり のたりかな”
 古典的前衛ともいえよう、子規も傾倒した与謝蕪村の名句。ボードレールやランボーより1世紀も早く、日本で世紀末的アンニュイを詠んだ蕪村こそ、古典的前衛であり、「創造する伝統」ではないかと私は思っている。蕪村に限ったわけではなく、日本の近代の文人・詩人たちは、みんな鬱屈の中に悩み、その中から素晴らしい文章や数々の名句を残している。福沢諭吉もそれゆえに実に力強い。夏目漱石だって前衛と言えよう。さらに時代をさかのぼれば、紫式部や清少納言などは、世界的古典文学であるし、古典的前衛だ。

 知の蓄積とイマジネーション、それは伝統から新しい滴りを生み出す「創造する伝統」に必要な要素であることは明白だろう。芭蕉は、中国の詩をよく読んで学んでいたし、蕪村も驚くべき精鋭だった。ファッションデザインでも絵画でも書でも、勉強しないで、ひょこっと才能がある程度では行き詰まるだろう。もちろん、感性はなくてはならないが、磨かなければ光らないのが才能だ。伝統の学習が深まったところに、わずかな滴りから生まれる新しいもの、意外な新展開こそが、「創造する伝統」ということを、どうか忘れないでほしい。
【完】


芳賀 徹(はがとおる)
東京大学名誉教授/比較文化史、比較文学
1960年 東京大学大学院比較文学比較文化博士課程修了。文学博士。1955−1957年 パリ大学、1965−67年 プリンストン大学留学。1963−92年 東京大学講師、助教授、教授。1991−97年 国立日本文化研究センター教授。1999−2009年 京都造形芸術大学学長。1998−2010年 岡崎市美術博物館館長。2009−2017年 静岡県立美術館館長。
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