感性を光らせて新しい滴りが生み出されたとき「創造する伝統」となる
伝統というものがいかに創造する力を豊かに持ち続けていくかーー。
「『創造する伝統』とは、伝統を守っていくクリエイティブな力、それをよみがえらせなくてはならない、みんな忘れてしまっている」と警鐘を鳴らす芳賀徹氏。芳賀氏が考える「創造する伝統」について、2回にわたって連載します。
(取材:ごとうあいこ)
伝統とはなにか。伝統とは、日々の暮らしの中からつくられることでもあると思う。それは、朝起きて、ごはんを食べて、歯を磨き、寝るという日常だ。日常の中の習慣は、自分の生まれた家、環境、国によっても違うだろう。そしてそれが、自身のアイデンティティに影響する。つまり、日常を積み重ねていくことで、アイデンティティは形成されると言えるんじゃないか。
古から現代へ、人から人へ、脈々と伝わり受け継がれてきたものの多くは、日常の中で育まれ、アイデンティティにすりこまれるけれど、磨かなければ光らない。そして、連綿と続く日々の暮らしの中で生まれ、時代を経て「伝統」と呼ばれるものとなっていった作法、技法、表現藝術、そのすべての根幹には、継承されるべき型があるんだ。能や歌舞伎、書道なども、伝統、決まった型があり、まずはそのすべてをマスターするだろう。300年、あるいは1000年の歴史を背負って、技を、腕を鍛え、新しい表現を磨いていく。そして、磨けば磨くほどやがて、甕を満たした水が静かに流れ出るように、新しいものが滴り出てくる。満を持して流れ出た、その新しい滴りこそが、「創造する伝統」なんだ。
伝統なくしてゼロからものをつくるなんてことは不可能に近いだろう。伝統に、新しいものが100分の1、1000分の1くらいでも加わると素晴らしくなる。三代目市川猿之助や書家の井上有一もそうだろう。ただし、それは、創造のために伝統を活用するというようなことでは決してない。伝統の学習が深まったところから生まれる新しいもの、意外な新展開を期待しているということだ。
絵画の世界でも、日本画や油絵は伝統であり、長い歴史がある。そして伝統には、継承の型がある。この型の上に新しいものを加えていくことは、本当に大変だが、モネやマネ、セザンヌなんかはそれをやった。アンフォルメルの今井俊満や具体の白髪一雄、田中敦子も、伝統をふまえて新しい挑戦をした前衛の画家たちだ。
創造とは、つまり前衛だ。モネもマネもセザンヌも、みんな前衛だった。洋画なら油絵という伝統の中で、まだ誰もやったことのないことをやる。新しい目で、伝統の深め、可能性を広げていく人が前衛であり、数百年後に歴史に名を残すことになる。一時代の前衛であってこそ、やがて古典となるのだ。それこそが、私たちが求める「創造する伝統」じゃないかと思う。
一方で、名工と言われる職人たち、左官や石工など「技術を継承する」人たちも忘れてはならない。代々伝わる技術を会得し、完璧に再現するだけでも大変なことだ。ものづくりの技術を継承し、新たな時代へ伝統をつなげることもまた「創造する伝統」だろう。このように、「創造する伝統」は一筋ではない。だから、はっきり言いたいのは、「創造する伝統」という観念を先に頭の中でつくり、それに合うかどうかを当てはめているようじゃダメということだ。
伝統とは、日常の中で根付く習慣、育まれるアイデンティティと強く結びついた歴史でもあり、欠かせないものだ。自分というのは、何者なのか。歴史から、作品から、日常から感じて、学んで、自分の中に受け取り、自覚する。伝統の型をマスターした上で、感性を光らせて新しい滴りが生み出されたとき、「創造する伝統」となることは間違いないだろう。
芳賀 徹(はがとおる)
東京大学名誉教授/比較文化史、比較文学
1960年 東京大学大学院比較文学比較文化博士課程修了。文学博士。1955−1957年 パリ大学、1965−67年 プリンストン大学留学。1963−92年 東京大学講師、助教授、教授。1991−97年 国立日本文化研究センター教授。1999−2009年 京都造形芸術大学学長。1998−2010年 岡崎市美術博物館館長。2009−2017年 静岡県立美術館館長。
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