6月26日(金)、中原中也記念館の
「中原中也を読む会」に参加しました

今日の中原中也を読む会は、
屋外展示「故郷の詩」を見学して、展示してある詩を読み深める会の予定でしたが、

あいにくの大雨で、屋外での展示見学はせずに、中原中也記念館 別館で、菅原真由美学芸担当職員のご指導のもと、
「暗い公園」「冬の長門峡」について読み解きました。
「帰郷」 は9月の中原中也を読む会
「中原中也の詩「帰郷」を読む」で取り上げることになっています。
まず、菅原さんから「帰郷」「暗い公園」「冬の長門峡」の三篇を“故郷の詩”として選んだ理由を教えていただきました。その理由は、詩それぞれによって違っています。
「帰郷」は、中也の“故郷”の詩といえば「帰郷」の詩を誰でも思い浮かべる定番の詩だから。
「暗い公園」は、〈
故郷〉という言葉が入っていることから。
※
「別離」にも、〈
故郷〉という言葉が入っています。
※
「泣くな心」には、〈
郷(くに)〉という言葉が入っています。
「冬の長門峡」は、中也には故郷の地名を織り込んだ詩がほとんどなく、ましてや、故郷の地名がタイトルに入っている詩は他にないことから。
※
「蝉」には、〈
水無河原〉(吉敷川のこと)が詠まれていますが、タイトルではありません。
また、展示に使われた写真の案も見せていただきました。
デザインは
林千代さんによるものです。
暗い公園
雨を含んだ暗い空の中に
大きいポプラは聳[そそ]り立ち、
その天頂(てつぺん)は殆んど空に消え入つてゐた。
六月の宵、風暖く、
公園の中に人気はなかつた。
私はその日、なほ少年であつた。
ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴つてゐた。
仰ぐにつけても、私の胸に、希望は鳴つた。
今宵も私は故郷(ふるさと)の、その樹の下に立つてゐる。
其[そ]の後十年、その樹にも私にも、
お話する程の変りはない。
けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。
(一九三六・一一・一七)「暗い公園」は、雑誌などにも発表されず『在りし日の歌』にも選ばれなかった未発表詩篇であり、
「草稿詩篇(1933年〜1936年)」に分類されています。
自筆原稿が残っているということで、コピーを見せていただきました!
暗い公園
雨を含んだ暗い空の中に
見上げると[大きい]ポプラは聳り立ち、
その頂き[天頂(てつぺん)]は殆んど暗空[空]と混同された[に消え入つてゐた]。
六月の宵の[、]風は生暖く、
公園の中にはゐ誰も[人気は]なかつた、[。]
私はその日まだ[、なほ]少年であつた。
ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタ[と]鳴つてゐた。
それを見上げるにつけても[仰ぐにつけても]、私の胸には[、]希望が湧いた。[は鳴つた。]
今宵も私は故郷(ふるさと)の、その下[樹]の下に立つてゐる。
そして、何か、‥‥何か私はその後失ったやうに感じている。(と思っている。)
その樹も私も、何処かといって別に変わりもないけど。
そ[其]の後十年、その樹にも私にも、
お話する程の変りはない。
けれど、あゝ、何か……[、]何か[……]変つたと思つてゐる。
それは ((希望の点さ。)) と理性は直ちに云ふのだけど。
心はいつかう承服しない。
(一九三六・一一・一七)と随分訂正を加えるというか、削ぎ落としています。
国書データベース
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/300020621/1?ln=ja で見ることができます。
中也の長男 文也は、1936年11月10日に亡くなりました。
「暗い公園」は末尾に
一九三六・一一・一七と記されていることから、文也が亡くなってからわずか1週間後に作られた詩ということになります。
菅原さんは、「中也が実際は他に詩を書いていたかもしれませんが、それが確認できない以上、文也の死に近い時期に書かれた詩といえます」と言われました。
そして、原稿用紙も、「夏の夜の博覧会はかなしからずや」「冬の長門峡」と同じものが使われているそうなのです。
ただ、その二つは、
日記に書かれた
「文也の一生」の後に書かれ、「文也の一生」と同じ毛筆書きです。その感情がほとばしるような筆の勢いは、胸を打ちます。
「文也の一生」は、現在記念館で開催中の
「テーマ展示「詩集『在りし日の歌』」」 (2026年2月18日(水)〜11月29日(日) ※特別企画展期間(7月30日(木)〜10月4日(日))は除く))に展示されています。
PDF表示一方、「暗い公園」は万年筆で、ブルーブラックのインクで書かれています。文字の乱れも特に感じられません。
中也は、12月28日の忌明けの日まで毎日、僧侶を呼んで読経してもらい、自分も一歩も家から出ずに般若心経を読む日々だった、と記念館の展示で見たことがあります。
そんな日々に書かれた詩ですが、子を失った悲しみを表現するという訳ではなく、
私の胸に、希望は鳴つた。と、以前と変わらず希望を失わないようにしている中也がいます。
其の後十年、その樹にも私にも、
お話する程の変りはない。と、表面的には何も変わらないように言っていますが、
けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。本質的な変化は見えないところで進んでいくのに気付いています。
何か大切なものを失った時、少し後になってからその悲しみが襲って来るというのは誰しも経験があるのではないでしょうか。
しかし、文也の葬儀の際、いつまでも遺体を抱いて離さず、母フクがやっとのことであきらめさせて、遺体を棺の中に入れたことを知っているので、〈
希望〉に違和感を抱く自分がいます。
木の梢を見ている構図は、早大ノートの
「いちぢくの葉」(昭和5秋製作)に通じます。
中也には「いちぢくの葉」という詩が二つあり、「
いちぢくの、葉が夕空にくろぐろと」で始まる詩の方です。
いちじくの葉
いちぢくの、葉が夕空にくろぐろと、
風に吹かれて
隙間より、空あらはれる
美しい、前歯一本缺け落ちた
をみなのやうに、姿勢よく
ゆふべの空に、立ちつくす
――わたくしは、がつかりとして
わたしの過去のごちやごちやと
積みかさなつた思ひ出の
ほごすすべなく、いらだつて、
やがては、頭の重みの現在感に
身を托し、心も托し、
なにもかも、いはぬこととし、
このゆふべ、ふきすぐる風に頸(うなじ)さらし、
夕空に、くろぐろはためく
いちぢくの、木末(こずえ) みあげて
なにものか、知らぬものへの
愛情のかぎりをつくす。夏の午前よ、いちじくの葉よ、
葉は、乾いてゐる、ねむげな色をして
風が吹くと揺れてゐる、
よわい枝をもつてゐる……
僕は睡ねむらうか……
電線は空を走る
その電線からのやうに遠く蝉は鳴いてゐる
葉は乾いてゐる、
風が吹いてくると揺れてゐる
葉は葉で揺れ、枝としても揺れてゐる
僕は睡らうか……
空はしづかに音(ママ)く、
陽は雲の中に這入はひつてゐる、
電線は打つづいてゐる
蝉の声は遠くでしてゐる
懐しきものみな去ると。
(一九三三・一〇・八)ポプラは暗い空に聳り立ち、
その黒々と見える葉は風にハタハタと鳴つてゐた。 (「暗い公園」)
夕空に、くろぐろとはためく
いちぢくの、木末 みあげて (「いちぢくの葉」)
いちぢくは、まさに、「暗い公園」のポプラでもあります。
また、〈
ハタハタ〉という句は、詩
「曇天」を思い起します。
曇天
ある朝 僕は 空の 中に、
黒い 旗が はためくを 見た。
はたはた それは はためいて ゐたが、
音は きこえぬ 高きが ゆゑに。
手繰り 下ろさうと 僕は したが、
綱も なければ それも 叶(かな)はず、
旗は はたはた はためく ばかり、
空の 奥処(をくが)に 舞ひ入る 如く。
かかる 朝(あした)を 少年の 日も、
屡々(しばしば) 見たりと 僕は 憶(おも)ふ。
かの時は そを 野原の 上に、
今はた 都会の 甍(いらか)の 上に。
かの時 この時 時は 隔つれ、
此処(ここ)と 彼処(かしこ)と 所は 異れ、
はたはた はたはた み空に ひとり、
いまも 渝(かは)らぬ かの 黒旗よ。しかし、「曇天」で、
渝らぬと詠っているのに対し、「暗い公園」では、
けれど、あゝ、何か、何か……変つたと思つてゐる。というところが違っています。
「冬の長門峡」もそうなのですが、「暗い公園」も、背景など推測せず、詩だけをみれば、最愛の息子の死などみじんも感じられす、普遍性がそこにあり、詩人としての中也のすごさを感じます。
自分の中に悲しみを深く吸収して根源的で普遍的なイメージに昇華させているといえるでしょう。
それに対し「夏の夜の博覧会はかなしからずや」は、〈かなしからずや〉の句がリフレインとなって鳴り続ける“哀しみ”の詩です。
「第19回中原中也賞贈呈式&川上未映子×穂村弘トークセッション「中原中也、その愛と魅力と謎 」」(2014年4月29日)で作家の
川上未映子さんと歌人の
穂村弘さんが話されていました。すっかり忘れていたのですが、菅原さんのお話で思い出しました。その内容は、『中原中也研究』第19号(2014年8月31日発行)で読むことができます。
夏の夜の博覧会はかなしからずや
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
雨ちよと降りて、やがてもあがりぬ
夏の夜の、博覧会は、哀しからずや
女房買物をなす間、かなしからずや
象の前に余と坊やとはゐぬ
二人蹲んでゐぬ、かなしからずや、やがて女房きぬ
三人博覧会を出でぬかなしからずや
不忍ノ池の前に立ちぬ、坊や眺めてありぬ
そは坊やの見し、水の中にて最も大なるものなりきかなしからずや、
髪毛風に吹かれつ
見てありぬ、見てありぬ、
それより手を引きて歩きて
広小路に出でぬ、かなしからずや
広小路にて玩具を買ひぬ、兎の玩具かなしからずや
2
その日博覧会に入りしばかりの刻は
なほ明るく、昼の明(あかり)ありぬ、
われら三人(みたり)飛行機にのりぬ
例の廻旋する飛行機にのりぬ
飛行機の夕空にめぐれば、
四囲の燈光また夕空にめぐりぬ
夕空は、紺青の色なりき
燈光は、貝釦の色なりき
その時よ、坊や見てありぬ
その時よ、めぐる釦を
その時よ、坊やみてありぬ
その時よ、紺青の空!
(一九三六・一二・二四)参加者の方より、詩にある〈
ポプラ〉はどこにあるのでしょうか、という質問がありました。
今日の参加者5名のうち、4名が山口市生まれ育ちで、その私たちにとって中也の樹といえは、やはり生家跡に今も〈
聳り立〉つ
カイヅカイブキなのです。
でもイブキは〈
風にハタハタと鳴〉ったりしません。
幅の広い葉を持つ〈
ポプラ〉や〈
いちぢく〉でなくてなりません。
〈
ポプラ〉といえば〈
木(こ)〉としか詩の中では出てきませんが
「月夜とポプラ」という詩もありましたね。
月夜とポプラ
木(こ)の下かげには幽霊がゐる
その幽霊は、生まれたばかりの
まだ翼(はね)弱いかうもりに似て、
而[しか]もそれが君の命を
やがては覘(ねら)はうと待構へてゐる。
(木(こ)の下かげには、かうもりがゐる。)
そのかうもりを君が捕つて
殺してしまへばいいやうなものの
それは、影だ、手にはとられぬ
而[しか]も時偶[ときたま]見えるに過ぎない。
僕はそれを捕つてやらうと、
長い歳月考へあぐむだ。
けれどもそれは遂に捕れない、
捕れないと分つた今晩それは、
なんともかんともありありと見える――
(一九三五・一・一一)〈
あゝ〉という表現が、屋外展示の三篇ともある、という指摘が参加者のNさんよりあり、それに対して、中也の詩論や中原思郎の本から答えてくださいました。