10月24日(火)、ジャズ スポット ポルシェで開催された
「第50回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音機ジャズの夕べ」に参加しました

進行は中原中也記念館の中原豊館長です。
参加者は、スタッフ2名を入れて16名(うち朗読者13名)。
第一部 蓄音器ジャズ久しぶりに参加したら、蓄音機が新しくなっていました。
コンパクトになりました。
まず、
Mezz Mezzrow Septet(Mezz Mezzrow and His Orchestra メズ・メズロウ楽団)の演奏で、A面とB面は同じ曲で、演奏の仕方が違うという珍しいレコードです。
New Orleans Jazz とあります。
フランスのジャズ評論家 Hugues Panassie(ユーグ・パナシェ)がプロデュースした録音です。

1.
Comin’ On with the Come On - Part1(さあ、始めよう 〜其一)
Mezz Mezzrow Septet メズ・メズロウ楽団
※レコードには「Mezzo」となっていますが「Mezz」の間違い?Mezz Mezzrow(メズ ・メズロウ)(1899〜1972)は、本名をMilton Mesirow(ミルトン・メジロウ)といい、米国のクラリネット・サックス奏者です。
Bandleader & Clarinet … Mezz Mezzrow(メズ・メズロウ)
Trumpet … Tommy Ladnier(トミー・ラドニア)、Sidney de Paris(シドニー・ド・パリス)
Piano … James P. Johnson(ジェイムズ・P・ジョンソン)
Guitar … Teddy Bunn(テディ・バン)
Bass … Elmer James(エルマー・ジェイムス)
Drums … Zutty Singleton(ズッティ・シングルトン)
Produce … Orchestra selected by Hugues Panassie(ユーグ・パナシェ)
New York, November 21, 1938 1938年11月21日 ニューヨークにて録音

2.
Comin’ On with the Come On- Part2 (さあ、始めよう 〜其の二)
https://m.youtube.com/watch?v=5DOCKLIVItETommy Ladnier, Sidney de Paris(tp) Mezz Mezzrow(cl) James P. Johnson(p) Teddy Bunn(g) Elmer James(b) Zutty Singleton(d)
Orchestra selected by Hugues Panassie
New York, November 21, 1938
3.
Dancing Tambourins(ダンシング・タンバリン)
Ralph Flanagan and His Orchestra(ラルフ・フラナガン楽団)

Ralph Elias Flenniken(ラルフ・エリアス・フラナガン)(1914〜95)は、Ralph Flanaganとして知られ、アメリカの人気のビッグバンドリーダー、ピアニスト、作曲家です。
4.
Singin’ Wind(唄ふ風)
Ralph Flanagan and His Orchestra(ラルフ・フラナガン楽団)
https://m.youtube.com/watch?v=4N_AkAw_aJw原曲はプッチーニの歌劇『蝶々夫人』のハミング・コーラスで、これをフラナガンがグレン・ミラー風に編曲しました。
ラジオ番組「S盤アワー」のエンディング・テーマとして親しまれた曲です。
「S盤アワー」は文化放送で1952〜68年放送され、日本ビクターの新譜を紹介していました。
第二部 自由朗読 1.N・Mさん
小松理虔「手繰り寄せる、線を」(
常磐線舞台芸術祭2023公式ガイドブックより)
「常磐線舞台芸術祭」は、舞台芸術の力をもって震災が生んだ「分断」を少しでも「つなぎ」それぞれが手繰り寄せ、地域のもつ本来の美しさや魅力を再発見し体感してもらうことを目的とした、福島県を中心とした常磐線沿線で繰り広げられる舞台芸術の祭典なのだそうです。
この夏たまたま旅行先でこのガイドブックを手に入れ、朗読されました。
2.山口智子
佐藤春夫「少年の日」(
『ちくま文学の森2 心洗われる話』(安野光雅・森毅・井上ひさし/編 筑摩書房 1988.5)所収)
少年の日
1
野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を籍き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し空よりも。
2
影おほき林をたどり
夢ふかきみ瞳を恋ひ
なやましき真昼の丘べ
さしぐまる、赤き花にも。
3
君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に石を投ぐ。
4
君は夜な夜な毛糸編む
銀の編み棒にあむ糸は
かぐろなる糸あかき糸
そのラムプ敷き誰がものぞ。『ちくま文学の森』にあるテキストは、
『筑摩現代文学大系 26巻 佐藤春夫 集』(筑摩書房 1976.11)を底本としています。
掲載された本により異同が見られるので、それについては、次回で。 【
次回に続く】
佐藤春夫は
「山口県民の歌」(3代目)、および
「山口市の歌」(2代目)を作詞し、それぞれ、県歌、市歌として、1962(昭和37)年9月に制定されました。
(『定本 佐藤春夫全集 別巻1』(臨川書店 2000.12.10)「年譜・著作年表」P375)
「山口市の歌」は広域合併のためで制定された新しい市歌「ふるさとの風 〜山口市民の歌〜」に取って代わられましたが、県民の歌は現役のままです。
https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/soshiki/21/13717.html♪
錦帯橋はうららかに 秋吉台はさやかなり
秀麗の地に偉人出で 維新の偉業為せるかな
誇と使命忘めや 山口県の我らみな(略)
3.K・Kさん
楳沢しのぶ「頑張らないを頑張る」(
「山口新聞」2023年9月30日
「東流西流」より)
(略)
新たにパン屋をはじめるときに決めたこと、『頑張らないこと』を頑張ろう。意識してサボろう。
自分のキャリアや収益になることも、しんどさが勝ってしまいそうなことはしない。それぞれのバランスを考えて判断する。(略)
楳沢しのぶさんは、「パンをきっかけに鹿野に人を呼び込みたい」と地元鹿野にUターンし「子たぬきのパン」を創業されています。
4.M・Sさん
まど・みちお「ミミズ」(
『Eraser けしゴム』(美智子/選・英訳 安野光雅/絵 文藝春秋 2013.6)所収)
まど・みちお「ぼくがここに」(まど・みちお詩集
『うちゅうの目』(奈良美智・川内倫子・長野陽一・梶井照陰/写真 フォイル 2010.8)所収)
小林秀雄『ゴッホの手紙』より抜粋
5.O・Yさん
名取春彦・上杉正幸『タバコ有害論に異議あり!』(新書y, 166)(洋泉社 2006.12)より
「第1章の3 タバコだけが有害なのか」
中原中也「わが喫煙」 おまへのその、白い二本の脛(あし)が、
夕暮、港の町の寒い夕暮、
によきによきと、ペエヴの上を歩むのだ。
店々に灯がついて、灯がついて、
私がそれをみながら歩いてゐると、
おまへが声をかけるのだ、
どつかにはひつて憩(やす)みませうよと。
そこで私は、橋や荷足(にたり)を見残しながら、
レストオランに這入(はひ)るのだ――
わんわんいふ喧騒(どよもし)、むつとするスチーム、
さても此処(ここ)は別世界。
そこで私は、時宜にも合はないおまへの陽気な顔を眺め、
かなしく煙草を吹かすのだ、
一服、一服、吹かすのだ……6、F・Yさん
中原中也「羊の歌」 羊の歌 安原喜弘に
I 祈り
死の時には私が仰向(あふむ)かんことを!
この小さな顎(あご)が、小さい上にも小さくならんことを!
それよ、私は私が感じ得なかつたことのために、
罰されて、死は来たるものと思ふゆゑ。
あゝ、その時私の仰向かんことを!
せめてその時、私も、すべてを感ずる者であらんことを!
II
思惑よ、汝 古く暗き気体よ、
わが裡(うち)より去れよかし!
われはや単純と静けき呟(つぶや)きと、
とまれ、清楚のほかを希(ねが)はず。
交際よ、汝陰鬱なる汚濁(をぢよく)の許容よ、
更(あらた)めてわれを目覚ますことなかれ!
われはや孤寂に耐へんとす、
わが腕は既に無用の有(もの)に似たり。
汝、疑ひとともに見開く眼(まなこ)よ
見開きたるまゝに暫しは動かぬ眼よ、
あゝ、己の外をあまりに信ずる心よ、
それよ思惑、汝 古く暗き空気よ、
わが裡より去れよかし去れよかし!
われはや、貧しきわが夢のほかに興ぜず
III
我が生は恐ろしい嵐のやうであつた、
其処此処(そこここ)に時々陽の光も落ちたとはいへ。
ボードレール
九歳の子供がありました
女の子供でありました
世界の空気が、彼女の有(いう)であるやうに
またそれは、凭(よ)つかかられるもののやうに
彼女は頸をかしげるのでした
私と話してゐる時に。
私は炬燵(こたつ)にあたつてゐました
彼女は畳に坐つてゐました
冬の日の、珍しくよい天気の午前
私の室(へや)には、陽がいつぱいでした
彼女が頸かしげると
彼女の耳朶(みみのは) 陽に透きました。
私を信頼しきつて、安心しきつて
かの女の心は蜜柑(みかん)の色に
そのやさしさは氾濫(はんらん)するなく、かといつて
鹿のやうに縮かむこともありませんでした
私はすべての用件を忘れ
この時ばかりはゆるやかに時間を熟読翫味(ぐわんみ)しました。
IIII
さるにても、もろに佗(わび)しいわが心
夜な夜なは、下宿の室(へや)に独りゐて
思ひなき、思ひを思ふ 単調の
つまし心の連弾よ……
汽車の笛聞こえもくれば
旅おもひ、幼き日をばおもふなり
いなよいなよ、幼き日をも旅をも思はず
旅とみえ、幼き日とみゆものをのみ……
思ひなき、おもひを思ふわが胸は
閉ざされて、醺(かび)生(は)ゆる手匣(てばこ)にこそはさも似たれ
しらけたる脣(くち)、乾きし頬
酷薄の、これな寂莫(しじま)にほとぶなり……
これやこの、慣れしばかりに耐へもする
さびしさこそはせつなけれ、みづからは
それともしらず、ことやうに、たまさかに
ながる涙は、人恋ふる涙のそれにもはやあらず……7、T・Hさん
芥川龍之介「一塊の土」後半部分
いつものように前半は要約して語ってくださり、後半を朗読されました。
お民の葬式をすました夜、お住は仏壇のある奥部屋の隅に広次と一つ蚊帳(かや)へはひつてゐた。ふだんは勿論二人ともまつ暗にした中に眠るのだつた。が、今夜は仏壇にはまだ燈明もともつてゐた。その上妙な消毒薬の匂も古畳にしみこんでゐるらしかつた。お住はそんなこんなのせゐか、いつまでも容易に寝つかれなかつた。お民の死は確かに彼女の上へ大きい幸福を齎もたらしてゐた。彼女はもう働かずとも好かつた。小言を云はれる心配もなかつた。其処へ貯金は三千円もあり、畠は一町三段ばかりあつた。これからは毎日孫と一しよに米の飯を食ふのも勝手だつた。日頃好物の塩鱒(しほます)を俵(たはら)で取るのも亦勝手だつた。お住はまだ一生のうちにこの位ほつとした覚えはなかつた。この位ほつとした?――しかし記憶ははつきりと九年前の或夜を呼び起した。あの夜も一息ついたことを思へば、殆ど今夜に変らなかつた。あれは現在血をわけた倅の葬式のすんだ夜だつた。今夜は?――今夜も一人の孫を産んだ嫁の葬式のすんだばかりだつた。
お住は思はず目を開いた。孫は彼女のすぐ隣に多愛のない寝顔を仰向けてゐた。お住はその寝顔を見てゐるうちにだんだんかう云ふ彼女自身を情ない人間に感じ出した。同時に又彼女と悪縁を結んだ倅の仁太郎や嫁のお民も情ない人間に感じ出した。その変化は見る見る九年間の憎しみや怒りを押し流した。いや、彼女を慰めてゐた将来の幸福さへ押し流した。彼等親子は三人とも悉(ことごと)く情ない人間だつた。が、その中にたつた一人生恥いきはぢを曝さらした彼女自身は最も情ない人間だつた。「お民、お前なぜ死んでしまつただ?」――お住は我知らず口のうちにかう新仏(しんぼとけ)へ話しかけた。すると急にとめどもなしにぽたぽた涙がこぼれはじめた。……
お住は四時を聞いた後、やつと疲労した眠りにはひつた。しかしもうその時にはこの一家の茅屋根(かややね)の空も冷やかに暁を迎へ出してゐた。……
(大正十二年十二月)8、F・Kさん
あべ和かこ「茜色の銀河」(
ポエム福島空の会『蒼い空』第10集より)
詩集『蒼い空』は中原中也記念館で読むことができます。
9、K・Kさん
石垣りん「ちいさい庭」 +解説文
(
『日本語を味わう名詩入門 15 石垣りん』(萩原昌好/編 あすなろ書房 2013.7)より)

10、S・Rさん
金子みすゞ「もくせい」「どんぐり」「なしのしん」『金子みすゞ童謡集 わたしと小鳥とすずと』((金子みすゞ/詩 矢崎節夫/選 高畠純/装丁挿絵 JULA出版局 1984.8)所収)
もくせい もくせいのにほひが
庭いつぱい。
表の風が、
御門のとこで、
はいろか、やめよか、
相談してた。 どんぐりどんぐり山で
どんぐりひろて、
お帽子にいれて、
前かけにいれて、
お山を降りりや、
お帽子が邪魔よ、
辷ればこはい、
どんぐり捨てて
お帽子をかぶる。
お山を出たら
野は花ざかり、
お花を摘めば、
前かけ邪魔よ
とうとうどんぐり
みんな捨てる 梨の芯梨の芯はすてるもの、だから
芯まで食べる子、けちんぼよ。
梨の芯はすてるもの、だけど
そこらへはうる子、ずるい子よ。
梨の芯はすてるもの、だから
芥(ごみ)箱へ入れる子、お悧巧よ。
そこらへすてた梨の芯、
蟻がやんやら、ひいてゆく。
「ずるい子ちやん、ありがとよ。」
芥箱へいれた梨の芯、
芥取爺さん、取りに來て、
だまつてごろごろひいてゆく。11、H・Mさん
自作ショートストーリー
「揺れる想い」12、T・Nさん
自作詩
「けずりカス」13、中原豊さん
中原中也「蜻蛉に寄す」 (
「サンデー山口」2023年10月22日
「中原中也 詩の栞」No.55より)
蜻蛉に寄すあんまり晴れてる 秋の空
赤い蜻蛉(とんぼ)が 飛んでゐる
淡(あは)い夕陽を 浴びながら
僕は野原に 立つてゐる
遠くに工場の 煙突が
夕陽にかすんで みえてゐる
大きな溜息 一つついて
僕は蹲(しやが)んで 石を拾ふ
その石くれの 冷たさが
漸く手中(しゆちゆう)で ぬくもると
僕は放(ほか)して 今度は草を
夕陽を浴びてる 草を抜く
抜かれた草は 土の上で
ほのかほのかに 萎(な)えてゆく
遠くに工場の 煙突は
夕陽に霞(かす)んで みえてゐる