第7回小郡むかし歩き 鉄道編B
[2023年04月30日(Sun)]
【前回の続き】
清水橋梁(アーチ橋)【山口線】
面壁(スパンドレル)は布積みされた花崗岩。
アーチ環(アーチング)は煉瓦縦小口の4重巻き立て。
迫持と呼ばれます。
花崗岩の迫受石。
翼壁は花崗岩(説明がなかったけど、おそらく)の谷積み。
内部は、アーチ部分は半円アーチ型に長手積みされた煉瓦で、側壁は布積みされた花崗岩です。
アーチ橋を抜けると金網が張られていて、行き止まりになっています。金網の中は、柳井田水源地です。
今は通路としてではなく、集落の荷物置き場として使われているようですが、水道施設があることだし、カルバート(暗渠)だと思われます。
迫持・・・半円になるように、(ここでは)煉瓦を互いに迫り合わせて、迫石として両側から徐々にもち出して円弧状に積み上げ上から、その圧縮強度だけで荷重を支える建築方法
迫受石・・・迫石を受ける部分
ここでアーチの曲線が側壁の直線につながる
柳井田橋梁(上路プレートガーダー橋・橋台・橋脚・翼壁)
【山口線】
四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)に架かる上路プレートガーダー橋です。
柳井田堤(やないだつつみ)踏切を過ぎたところにあります。
国道9号の柳井田橋の近くから川岸に降りましたが、そこからは鉄道橋に近づけないので、遠目からの見学です。
橋台は、花崗岩の布積み。
翼壁は、花崗岩の谷積み(おそらく)。
橋脚は小判型、花崗岩でできています。
橋脚のところで主桁の幅が違っています。
上郷隠匿線
空襲から輸送の要であった蒸気機関車を守るため、1944(昭和19)年の初め頃、山口線の線路を現在のレストランねむの木の北10kmほどから分岐させ、現在の小郡IC方向へと伸ばし、山影に退避させる上郷隠匿線が敷設されました。
今では、痕跡も残っていませんが、いただいた資料の米極東空軍昭和22年9月23日撮影航空写真(写真番号R507-3-73)(国土地理院蔵)にははっきりと、谷間の方へ線路が伸びています。
【次回に続く】
清水橋梁(アーチ橋)【山口線】
面壁(スパンドレル)は布積みされた花崗岩。
アーチ環(アーチング)は煉瓦縦小口の4重巻き立て。
迫持と呼ばれます。
花崗岩の迫受石。
翼壁は花崗岩(説明がなかったけど、おそらく)の谷積み。
内部は、アーチ部分は半円アーチ型に長手積みされた煉瓦で、側壁は布積みされた花崗岩です。
アーチ橋を抜けると金網が張られていて、行き止まりになっています。金網の中は、柳井田水源地です。
今は通路としてではなく、集落の荷物置き場として使われているようですが、水道施設があることだし、カルバート(暗渠)だと思われます。
迫持・・・半円になるように、(ここでは)煉瓦を互いに迫り合わせて、迫石として両側から徐々にもち出して円弧状に積み上げ上から、その圧縮強度だけで荷重を支える建築方法
迫受石・・・迫石を受ける部分
ここでアーチの曲線が側壁の直線につながる
柳井田橋梁(上路プレートガーダー橋・橋台・橋脚・翼壁)
【山口線】
四十八瀬川(しじゅうはっせがわ)に架かる上路プレートガーダー橋です。
柳井田堤(やないだつつみ)踏切を過ぎたところにあります。
国道9号の柳井田橋の近くから川岸に降りましたが、そこからは鉄道橋に近づけないので、遠目からの見学です。
橋台は、花崗岩の布積み。
翼壁は、花崗岩の谷積み(おそらく)。
橋脚は小判型、花崗岩でできています。
橋脚のところで主桁の幅が違っています。
上郷隠匿線
空襲から輸送の要であった蒸気機関車を守るため、1944(昭和19)年の初め頃、山口線の線路を現在のレストランねむの木の北10kmほどから分岐させ、現在の小郡IC方向へと伸ばし、山影に退避させる上郷隠匿線が敷設されました。
今では、痕跡も残っていませんが、いただいた資料の米極東空軍昭和22年9月23日撮影航空写真(写真番号R507-3-73)(国土地理院蔵)にははっきりと、谷間の方へ線路が伸びています。
【次回に続く】