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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

子どもと本をむすぶ活動をしています


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持ち寄り本カフェ @ 山陽小野田市立中央図書館 [2022年04月10日(Sun)]
今日4月10日(日)、山陽小野田市立中央図書館で、「持ち寄り本カフェ」が開催されますぴかぴか(新しい)

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本ってすごい! おもしろい!
本好き人間がすすめる"とびっきり"のほん・ホン・本!
「見るだけ」「聞くだけ」でもOK!
図書館員のおすすめ本もあるよ!
飲み物とおいしいお菓子をお出しします!


るんるん日 時るんるん 2022年4月10日(日)13:30〜15:00
るんるん会 場るんるん 山陽小野田市立中央図書館 2F 第一会議室
るんるん対 象るんるん 高校生以上
るんるん参加費るんるん \100 (お茶代として)  ※当日徴収
るんるん定 員るんるん 20名(要申込)
るんるん持参物るんるん 当日紹介したい本
るんるん留意点るんるん マスクの着用
るんるん申込方法るんるん カウンター・電話・Fax ・ Eメール
るんるん問合・申込先るんるん 山陽小野田市立中央図書館
    電話 0836-83-2870
    fax to 0836-83-3564
    mail to cyuo-library●city.sanyo-onoda.lg.jp
   (●は@に置き換えてください)
るんるん主 催るんるん 図書館創発会議
詩〜ポエム〜カフェ @ 山陽小野田市立中央図書館 [2022年04月09日(Sat)]
4月10日(日)、山陽小野田市立中央図書館で、「詩〜ポエム〜カフェ」が開催されますぴかぴか(新しい)

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自分の好きな詩・短歌・俳句、自作品を紹介しあいませんか?
参加者の詩を聞くだけの参加も可能です☆


るんるん日 時るんるん 2022年4月10日(日)10:00〜12:00
るんるん会 場るんるん 山陽小野田市立中央図書館 2F第1会議室
るんるん対 象るんるん 高校生以上
るんるん定 員るんるん 20人 (要申込)
るんるん参加費るんるん 無料
るんるん持参物るんるん 自分の好きな詩、または自作の詩
    (短歌・俳句でもOK!)
るんるんお願いるんるん マスクの着用
るんるん問合・申込先るんるん 山陽小野田市立中央図書館
   電話 0836-83-2870
   fax to 0836-83-3564
   mail to cyuo-library●city.sanyo-onoda.lg.jp
   (●は@に置き換えてください)
るんるん主 催るんるん 山陽小野田市立中央図書館
其中庵さくらツアーC其中庵(2) @ 山口市小郡文化資料館 企画展「山頭火と小郡農学校」 [2022年04月08日(Fri)]
前回の続き

其中庵の建物は、もともと国森樹明(信一)の親戚筋の神保氏の所有でした。

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『其中日記』の書き出しに

ついで神保夫妻来庵、子供を連れて(此家此地の持主)。
――矢足の矢は八が真 大タブ樹 大垂松 松月庵跡――


(『其中日記』(一)[昭和七年]九月廿一日)とあります。


当時の典型的な農家の間取りをしています。

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其中庵の中に入ってみましょうぴかぴか(新しい)
手前の引戸から入ると土間があり、右手に竈があります。

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左手側に低い上り框の付いた三畳間と板間、四畳半と三畳の和室になっています。

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框の付いた三畳間には、訪問客用に壁書が貼ってあります。

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四畳半の間。
鴨居には『其中一人』と書かれた額が掛けられています。

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荻原井泉水の書だったようです。
『其中日記』に

 井師筆の額を凝視して
雪あかりの「其中一人」があるいてゐるやうな

(『其中日記』(八)[昭和十年]二月七日)

 井師筆額字を凝視しつつ
「其中一人」があるくよな春がやつてきた
(改作)
(『其中日記』(八)[昭和十年]二月二十日)

とあります。


黒墨の法衣・網代笠(あじろかさ)・頭陀袋(ずだぶくろ)。

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押し入れを利用した仏壇。

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机と火鉢。

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『其中日記』[昭和十二年]三月八日に

机を南縁から北窓へうつす、これも気分転換の一法である。

とあるように、机の位置は隣の三畳間に置いたこともあったようです。


床の間。

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掛け軸は

空へ若竹のなやみなし

です。


三畳間の竹格子。

午後になると竹林の木洩れ日が…

射してきたようですが(見取図による)、今は竹林はなくなり、オゴオリザクラが植えられています。

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家全体一般的な農家のつくりですが、違っているのは、山頭火の要望で、家の中に便所があります。三畳間のもとは押し入れだったところを改装したようです。
(写真を撮り忘れました!)

便所が改築される(というのは、独身者は老衰の場合を予想しておかなければならないから)

 私は山を愛する。高山名山には親しめないが、名もない山、見すぼらしい山を楽しむ。
 ここは水に乏しいけれど、すこしのぼれば、雑草の中からしみじみと湧き出る泉がある。
 私は雑木が好きだ。この頃の櫨(はぜ)の葉のうつくしさはどうだ。夜ふけて、そこはかとなく散る木の葉の音、をりをり思ひだしたやうに落ちる木の実の音、それに聴き入るとき、私は御仏の声を感じる
 雨のふる日はよい。しぐれする夜のなごやかさは物臭な私に粥を煮させる。
 風もわるくない。もう凩らしい風が吹いてゐる。寝覚の一人をめぐつて、風はどこから来てどこへ行くのか。さみしいといへば人間そのものがさみしいのだ。さみしがらせよとうたつた詩人もあるではないか。私はさみしさがなくなることを求めない。むしろ、さみしいからこそ生きてゐる、生きてゐられるのである。

   ふるさとはからたちの実となつてゐる
 そのからたちの実に、私は私を観る。そして私の生活を考へる。
 雨ふるふるさとはなつかしい。はだしであるいてゐると、蹠(あしうら)の感触が少年の夢をよびかへす。そこに白髪の感傷家がさまよふてゐるとは、――
   あめふるふるさとははだしであるく

 最後に私は、川棚で出来た句『花いばら、ここの土とならうよ』の花いばらを茶の花におきかへなければならなくなつたことを書き添へよう。そして、もう一句、最も新らしい一句を書き添へなければなるまい。
   住みなれて茶の花のひらいては散る

(『三八九』復活第四集(1932(昭和7).12.15)「「鉢の子」から「其中庵」まで」より抜粋)


次回に続く
其中庵さくらツアーB其中庵(1) @ 山口市小郡文化資料館 企画展「山頭火と小郡農学校」 [2022年04月07日(Thu)]
前回の続き

山頭火は、「「鉢の子」から「其中庵」まで」(『三八九』第四集(1932(昭和7).12.5)に、小郡に其中庵を結ぶに至る経緯や自身の心境について書いてます。


 何処へ行く、東の方へ行かう。何処まで行く、其中庵のあるところまで。(略)

徳山、小郡、――この小郡に庵居するやうにならうとは、私も樹明兄も共に予期してゐなかつた。因縁所生、物は在るところのものに成る。

(略)庵居の場所を探ねるにあたつて、私は二つの我儘な望みを持つてゐた、それが山村であること、そして水のよいところか、または温泉地であることであつた。

(略)私の行手には小郡があつた、そこには樹明兄がゐる。そのさきには敬治兄がゐる。その近くのA村は水が清くて山がしづかだつた。(略)
 『もし川棚の方がいけないやうでしたら、ここにも庵居するに似合な家がないでもありませんよ。』
 此夏二度目に樹明兄を訪ねてきた時、兄が洩らした会話の一節だつた。(略)
 或る家の裏座敷に取り敢へず落ちついた。鍋、釜、俎板、庖丁、米、炭、等々と自炊の道具が備へられた。
 二人でその家を見分に出かけた。山手の里を辿つて、その奥の森の傍、夏草が茂りたいだけ茂つた中に、草葺の小家があつた。久しく風雨に任せてあったので、屋根は漏り壁は落ちてゐても、そこには私をひきつける何物かがあつた。
 私はすつかり気に入つた。一日も早く移つて来たい希望を述べた。樹明兄は喜んで万事の交渉に当つてくれた。
 屋根が葺きかへられる。便所が改築される(といふのは、独身者は老衰の場合を予想しておかなければならないから)。畳を敷いて障子を張る。――樹明兄、冬村兄の活動振は眼ざましいといふよりも涙ぐましいものであつた。
 昭和七年九月二十日、私は其中庵の主となつた。
 私が探し求めてゐた其中庵は(略)ふる郷のほとりの山裾にあつた。茶の木をめぐらし、柿の木にかこまれ、木の葉が散りかけ虫があつまり、百舌鳥が啼きかける廃屋にあった。
 廃人、廃屋に入る。
 それは最も自然で、最も相応してゐるではないか。水の流れるような推移ではないか。自然が、御仏が友人を通して指示する生活とはいへなからうか。

(『三八九』復活第四集(1932(昭和7).12.5)「「鉢の子」から「其中庵」まで」より抜粋)


1932(昭和7)年6月 第一句集『鉢の子』を刊行。嬉野、川棚と、安住の地を求め、8月27日、小郡町柳井田の竹浪憲治宅の裏屋に住み、矢足の家の改修を待ちます。
9月20日、小郡に住む国森樹明、伊東敬治ら友人の尽力により小郡矢足に庵を結び「其中庵」と名付け生活を始めました。

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1938(昭和13)年11月28日、湯田前町 徳重正人宅の裏屋 「風来居」に移るまで、この庵に暮らします。なお、湯田に居を移したのは、庵の老朽化に耐えられなかったからだそうです。

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この6年間に、庵からあちこちへ行乞に出かけ、1932(昭和7)年12月『三八九』4号、1933(昭和8)年12月 第二句集『草木塔』、1934(昭和9)年『三八九』5・6号、1935(昭和10)年2月 第三句集『山行水行』、1936(昭和11)年2月 第四句集『雑草風景』、1937(昭和12)年8月 第五句集『柿の葉』を刊行します。

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其中庵の名は、『妙法蓮華経』『観世音菩薩普門品(ふもんぼん)第二十五』にある

其中若有乃至一人称観世音菩薩名者 
  (ごちゅうにゃくうないしいちにんしょうかんぜおんぼさつみょうしゃ)
  (其の中に若し乃至一人あって観世音菩薩の名を称せば)
  【その中に観世音菩薩の名を称える者がいれば、】

其中一人作是証言
  (ごちゅういちにんさくぜ(さぜ)しょうげん(しょうごん))
  (其の中に一人是の唱言を作さん)
  【その中の1人が観世音菩薩の名を称えれば】

という一節から取られています。
意味は、この世の中の一人でも「南無観世音菩薩」と唱えると、皆が救われるというものです。
山頭火はこの「其中」という言葉が好きで、結庵するときは「其中庵」と命名すると平素から友人に語り、上記のように書き止めています。

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其中庵は、小郡町下郷矢足 其中庵公園内に復元されています。年中無休、入館無料。
現在の「其中庵」は、当時親しく訪ねていた 近木黎々火による見取図を元に1992(平成4)年に復元した建物です。

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現地案内板「其中庵」
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 自由俳人として知られる山頭火は、国森樹明、伊東敬治のすすめにより昭和七(一九三二)年九月にこの地に庵を結び「其中庵」と名付けました。
 山頭火は、近郊を行乞(ぎょうこつ)しながら、この其中庵で、『三八九』(さんぱく)第四、五、六集、句集『草木塔』、『山行水行』、『雑草風景』、『柿の葉』などを発行し、最も充実した文学生活を過ごしています。
 昭和一三(一九三八)年一一月、新たに湯田の「風来居」に移るまでの六年間、ここで多くの俳友と交流を深めました。
 現在の其中庵は、平成四年(一九九二)三月に当時の建物を復元したものです。



現地案内板「其中庵のいわれ」
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 山頭火が好んだ言葉に、法華経の普門品第二十五にある『其中一人作是提言』という一節があります。
 意味は、災難に遭ったとき、又は、苦痛に苛まれた時に、其の中の一人が『南無観世音菩薩』と唱えると観世音菩薩は、直ちに救いの手を差し伸べられて、皆を救われ、悩みから解き放たれるという事で、山頭火は結庵するときには庵名をその一節の中の『其中』にすると決めていました。
 「其中庵」の語源は、この『其中一人』を自分に置きかえて、その一人が住む庵ということで「其中庵」となったのです。 


『其中日記』昭和八年一月廿五日に

雪ふる其中一人として火を燃やす

とあり、『三八九』第六集には、「其中一人として」と題をつけて発表しています。
昭和十三年二月二十七日木村緑平宛書簡・山部木郎宛書簡、二十八日大前誠二宛書簡・巣山鳴雨宛て書簡には

其中一人いつも一人の草萌ゆる
 
とあります。


現地案内板「其中庵見取図」
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 この見取図は山頭火と親交のあった下関市の近木圭之介氏が作成されたものです。この見取図によって、其中庵を復元しました。


山頭火は、庵を構える場所の条件の一つに、上記のように

水のよいところ

とあげています。其中庵のほとりの井戸は、雨乞山からの水脈にあり、深くはありませんが清い水が常に湧いていました。
其中庵の周辺の水は、遠方から茶席用に汲みに来るほど味のよい水だったといいます。

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現地案内板「其中庵の井戸」
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 其中庵のそばにあるこの井戸は、雨乞(あまごい)山からの水脈にあたり、深くはないが清い水が常に湧いていた。山頭火は、庵を構える場所の条件の一つに、水の良いところをあげていたが、其中庵の周辺の水は、遠方から茶席用にくみにくるほど味のよい水だったたという。
 雨の翌日などは濁り、隣からもらい水をしていたというが、日々の山頭火の生活を支える水はこの井戸から得られた。
 やつと戻つてきてうちの水音
  (『其中日記』昭和九年四月二十九日)
 朝月あかるい水で米とぐ
  (『其中日記』昭和十年九月十三日)
 いま汲んできた水にもう柿落葉
  (『其中日記』昭和十年四月十四日)


『其中日記』昭和七年十月廿八日に井戸についてこんな記述があります。

井戸がいよ/\涸れてきた、濁つた水を澄まして使ふ、水を大切にせよ、水のありがたさを忘れるな、水のうまさを知つて、はじめて水の尊さが解る。
(略)
 秋ふかうなる井戸水涸れてしまつた
 こゝろつめたくくみあげた水は濁つて


翌昭和七年十月廿九日には

けふから貰ひ水、F家へいつたら誰もゐない、四季咲の牡丹がかゞやいてゐた、無断でバケツチマヽに一杯、よい水を貰うて戻る(倹約すれば一日バケツ一杯の水で事足るのだから幸である)。
(略) 
 お留守しんかんとあふれる水を貰ふ


昭和七年十一月廿五日には、

雨に汚れ物――茶碗とか鍋とか何とか――を洗はせる、といふよりも洗つてもらふ。
(略)
 冬蠅とゐて水もとぼしいくらし


昭和七年十二月八日には、

 冬は濁り井のなぐさむすべもなくて
これは実感そのまゝだ、濁り水を常用してゐるせいか、先日来腹工合が妙である。


昭和八年一月十二日には、

 よごれものは雨があらつてくれた

とあります。


次回に続く
其中庵さくらツアーA小郡農学校から其中庵までの道のり @ 山口市小郡文化資料館 企画展「山頭火と小郡農学校」 [2022年04月06日(Wed)]
前回の続き

山口市小郡文化資料館の方の引率で、小郡農学校のあった山手から其中庵のある矢足に向かいます。

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▲山口市小郡文化資料館にある案内図


庵までのポイント、ポイントに山頭火の句の書かれた案内板が立てられていて、一人で歩いても迷うことはありません。
山頭火の句を味わいつつ、山頭火の歩いた道のりをイメージし、山頭火が見た風景や抱いた想いを想像しながら歩きました。


案内板「其中庵まで750m」
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ふるさとのここにもそこにもいえが建ち


案内板「其中庵まで700m」
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へそが汗をためている


案内板「其中庵まで620m」
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水くんでくる草の実ついてくる


案内板「其中庵まで600m」
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三日月のどこやら子供の声がする


標識「其中庵まで550m」
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お地蔵さまもお正月のお花


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案内板「其中庵まで450m」
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灯ればしたしく隣があった


案内板「其中庵まで300m」
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移ってきてお彼岸の花ざかり


案内板「其中庵まで250m」
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この柿が庵らしくするあるじとして


黄幡大明神
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黄幡は「おおばん」と読みます。其中庵の入口にある神社です。

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祭神は埴安之命(はにやすのみこと)で、境内には安永2年(1773)の鳥居があり、文化〜天保年間(1804〜1843)の灯籠があります。


案内板「其中庵まで150m」
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誰も来ない茶の花が散ります

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案内板「其中庵まで100m」
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ふけて山かげのあれはうちの火


旧小郡町おすいマンホール。
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旧小郡町の下水道キャラクターであった「あめんぼ」の親子と周囲にSL山口号があしらってあります。


案内石柱
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山頭火は『其中日記』で「矢足」について

矢足は椿が多い、椿の里といつてもよからう(柿の里といつてもよいやうに)、今日もおばあさんとむすめさんとがその実をもいでゐる、絞つて油をとるために、――好ましい田園風景の一齣。

(『其中日記(八)』[昭和十一年]九月廿三日)と記しています。
同じく『三八九雑記』にも

 ここ矢足は椿の里とよばずにはゐられないほど藪椿が多い。(前のF家の生垣はすべて椿である。)
 ぶらぶら歩いてゐると、ぽとりぽとり、いつ咲いたのか、頭上ゆたかに、素朴な情熱の花がかがやいてゐる。
   水音の藪椿もう落ちてゐる


(『三八九』第六集(1933(昭和8).2.28)「三八九雑記」)と記しています。


山陽線小郡駅から南北々へ十丁あまり、山へ突きあたつた畑地の中にあります。自動車は通じませんが、道は割合に広くて直ぐで、矢足(ヤアシ)といふ部落の最も奥の家とお訊ねになれば、部落の人は誰でもよく教えてくれませう。
(『三八九』第四集(1932(昭和7).12.5)「三八九雑記」より抜粋)


次回に続く
着物のハギレで花のブローチをつくろう @ まちじゅう図書館講座 Cafeもやい×中央図書館 [2022年04月05日(Tue)]
5月3日(火・祝)、山口市立中央図書館で、まちじゅう図書館講座「着物のハギレで花のブローチをつくろう」が開催されますぴかぴか(新しい)

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針も糸も使わない、簡単な方法で布の花をつくり、ブローチにします。
母の日のプレゼントにもぴったり!ぜひ、ご参加ください。


るんるん日 時るんるん 2022年5月3日(火・祝)10:30〜12:00
るんるん場 所るんるん 山口市立中央図書館 交流スペース
るんるん講 師るんるん 元永由美子(Cafeもやい 店主)
るんるん対 象るんるん 小学生
るんるん定 員るんるん 10人
るんるん参加費るんるん 無料
るんるん申込・問合るんるん 山口市立中央図書館 カウンター又は電話 電話 083-901-1040
其中庵さくらツアー@小郡農学校 @ 山口市小郡文化資料館 企画展「山頭火と小郡農学校」 [2022年04月04日(Mon)]
4月2日(土)、山口市小郡文化資料館主催の「其中庵さくらツアー」に参加し、山口市小郡文化資料館から其中庵までの間を往復しましたぴかぴか(新しい)

山口市小郡文化資料館の企画展「山頭火と小郡農学校」の関連イベントです。

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山頭火は、1932(昭和7)年9月20日 、50歳の時に小郡町矢足(現山口市小郡下郷矢足)に其中庵を開き、1938(昭和13)年11月28日に湯田前町の風来居に移るまで暮らしました。

小郡農学校は正式名称を「山口県立小郡農業学校」といい、現在、仁保津にある山口県立山口農業高等学校の前身ですが、山頭火が其中庵に暮らしていた90年ほど前は、小郡文化資料館や小郡図書館周辺の一帯の小郡山手にありました揺れるハート

山頭火は、其中庵で過ごした6年間に、小郡農学校をたびたび訪れています。
山頭火の『其中日記』には、何度も「農学校」の記述が出てきます。


小郡農学校のクスノキ
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『小郡町史』(小郡町 2001)に

明治42年、大内村氷上から校舎を移転した当時植えられたものと想像せられ

とあります。

ケヤキもあったそうですが、今は伐採されて、「畜魂碑」の傍に切り株だけが残っています。

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石碑「山口農高 跡」
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揮毫したのは、平生町出身の彫刻家 河内山賢祐(1900〜1980)です。小郡農学校養蚕科を卒業しているそうです。
小郡文化資料館の入口には河内山の作品「のぞみ」があります。

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井上公園(山口市湯田温泉)の「井上馨銅像」(1956(昭和31)年)や、サビエル記念公園(山口市金古曽)の「聖サビエル記念碑」「ヴィリオン神父像」の作者として私には馴染み深いのですが、小郡農学校出身とは知りませんでした。
仁保津の県立山口農業高校には「平和の女神像」が建っているそうですが、何度も行っているのに、なんとなくしか記憶がありませんふらふら


かわいい参考かわいい
大内氷上の興隆寺の本坊(真光院)のあった跡には、1888(明治21)年、県立山口農学校が建設されました。1890(明治23)年に開校式が行われ、1910(明治43)年に小郡へ移転しました。
現在「農学校の跡」の碑が建てられています。

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▲石碑「農学校の跡」(山口市大内氷上)


石碑「山口農高 跡」裏面
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山手校舎があった1910(明治43)年7月から1973(昭和48)年3月までの間の学校名の変遷が刻まれています。

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自明治四十三年七月
至昭和四十八年三月
 山口県立農業高校
 山口県立小郡農学校
 山口県立青年学校教員養成所
 山口県立山口農業高等学校
昭和五十年十月建立



石碑「畜魂碑」
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畜魂碑は、農学校の実習などで命を捧げた家畜たちに厚い感謝と深い愛惜の念をこめ、これら家畜たちの魂を慰霊するために、1933(昭和8)年に建立されました。
毎年全校生徒によって、 畜魂祭が行われました。


次回に続く
田山花袋「丘の上の家」 @ 「第34回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜」に参加しましたA [2022年04月03日(Sun)]
前回の続き

私は、田山花袋『東京の三十年』より「丘の上の家」を朗読しましたぴかぴか(新しい)

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▲『東京の三十年』(田山花袋/著 博文館 1917(大正6))

「丘の上の家」は、当時の武蔵野であった渋谷、明治の文学青年(文学者)の交友の様子などが活写されていて、魅力的な回想記です。

「丘の上の家」に住んでいたのは、国木田独歩(1871(明治4) 〜 1908(明治41))です。

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国立国会図書館「近代日本人の肖像」 
 
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▲山口県政資料館 旧県会議事堂 パネル

「丘の上の家」は、豊多摩郡渋谷村上渋谷154番地にありました。現在の公園通りの坂の上あたり、NHK放送センターの南側、渋谷公会堂の裏手、現住居表示は「宇田川町7-21」です。
25歳の独歩は、1896(明治29)年に妻信子と離婚し、9月4日に、山路愛山の紹介で「丘の上の家」に転居し、翌年の5月まで暮らしました。

そこに――このさびしい丘の上の家に、かれは、お信さんにわかれた後の恋の傷痍を医してゐたのであつた。

 夏の末から、翌年、日光に行くまで、國木田君は、その丘の上の家で暮した。

 それは明治二十九年で、その四月の二十日に、私たちは飛鳥山の花を見捨てて日光のS院に行つて寓した。そして一月そこにいて、六月の初めに東京に帰つて来たが、その時はその丘の上の家を弟の北斗君が留守にたたんでしまつて、麹町の番町の二松学舎の近所に下宿しなければならなくなつていた。


当時「丘の上の家」辺りは、武蔵野の自然が広がり、小川や林などの自然豊かな場所でした。花袋の文章を読むと、風光明媚だった「渋谷村」の風景が鮮やかに頭に浮かびます。

 それは十一月の末であつた。東京の近郊によく見る小春日和で、菊などが田舎の垣に美しく咲いてゐた。(略)
 渋谷の通を野に出ると、駒場に通ずる大きな路が楢林について曲つてゐて、向うに野川のうねうねと田圃の中を流れてゐるのが見え、その此方の下流には、水車がかゝつて頻りに動いてゐるのが見えた。地平線は鮮やかに晴れて、武蔵野に特有な林を持つた低い丘がそれからそれへと続いて眺められた。私達は水車の傍の土橋を渡つて、茶畑や大根畑に添つて歩いた。
(略)
『ぢや、あそこだ。牛乳屋の向うの丘の上にある小さな家だ。』
 かう言つてある人は教へた。
 少し行くと、果して牛の五六頭ごろごろしてゐる牛乳屋があつた。『あゝ、あそこだ、あの家だ!』かう言つた私は、紅葉や栽込みの斜坂の上にチラチラしてゐる向うに、一軒小さな家が秋の午後の日影を受けて、ぽつねんと立つてゐるのを認めた。
(略)
 路はだらだらと細くその丘の上へと登つて行つてゐた。斜草地、目もさめるやうな紅葉、畠の黒い土にくつきりと鮮かな菊の一叢二叢、青々とした菜畠――ふと丘の上の家の前に、若い上品な色の白い痩削な青年がぢつと此方を見て立つてゐるのを私達は認めた。
(略)
『好い処ですね、君。』
『好いでせう。丘の上の家――実際吾々詩を好む青年には持つてこいでせう。山路君がさがして呉れたんですが、かうして一人で住んでゐるのは、理想的ですよ。来る友達は皆な褒めますよ。』
『好い処だ……。』
『武蔵野つて言ふ気がするでせう。月の明るい夜など何とも言はれませんよ。』
(略)
縁側の前には、葡萄棚があつて、斜坂の紅葉や穉樹を透して、渋谷方面の林だの丘だの水車だのが一目に眺められた。
(略)
それに、その丘の上の家の眺めが私達を惹いた。(略)
(略)
 丘の上の後の方には、今と違つて、武蔵野の面影を偲ぶに足るやうな林やら丘やら草藪やらが沢山にあつた。私は國木田君とよく出かけた。林の中に埋れたやうにしてある古池、丘から丘へとつづく路にきこえる荷車の響、夕日の空に美しくあらはれて見える富士の雪、ガサガサと風になびく萱原薄原、野中に一本さびしさうに立つてゐる松、汽車の行く路の上にかゝつてゐる橋――さういふところを歩きながら、私達は何んなに人生を論じ、文芸を論じ、恋を論じ、自然を語つたであらうか。



花袋は、「山林に自由存す」も、『武蔵野』も、この丘の家の印象だと言っています。

 玉茗君、柳田君、湖処子君などの感化があつたと見えて、その頃から、國木田君は例の『獨歩吟』の中にある詩をつくるやうになつた。『山林に自由存す』といふ詩も、『遠山雪』といふ詩も、『翁』も『去年の今日』も皆その丘の上の家で出来たのだ。
『春や来し、冬やのがれし』といふ詩の出来たばかりのを、私は其処で朗吟してきかせられたのを覚えてゐる。


 夏の末から、翌年、日光に行くまで、國木田君は、その丘の上の家で暮した。思ふに、國木田君に取つても、この丘の上の家の半年の生活は、忘るゝことが出来ないほど印象の深いものであつたらうと思ふ。紅葉、時雨、こがらし、落葉、朝霧、氷、さういふものが『武蔵野』の中に沢山書いてあるが、それは皆なこの丘の上の家での印象であつた。


この本を読んで、今の学生のノリと同じだと思いました。
花袋は、渋谷のはずれに住んでいた独歩の家を大田玉茗と初めて訪ねます。
花袋と独歩はその日が初対面でした。
独歩の日記『欺かざるの記』の明治29年11月12日に

新知の人、昨今兩日の中に三人を得たり。一人は留岡孝助氏なり。他の二人は田山花袋、大田玉茗なり。

とあります。

太田玉茗君と一緒に湖処子君を道玄坂のばれん屋といふ旅舎に訪ねると、生憎不在で、帰りのほどもわからないといふ。『帰らうか』と言つたが、『構ふことはない。國木田君を訪ねて見ようぢやないか。何でもこの近所ださうだ。湖処子君から話してある筈だから、満更知らぬこともあるまい。』かう言つて私は先に立つた。玉茗君も賛成した。

と、訪ねて行きます。

(略)ふと丘の上の家の前に、若い上品な色の白い痩削な青年がぢつと此方を見て立つてゐるのを私達は認めた。
『國木田君は此方ですか。』
『僕が國木田。』
 此方の姓を言ふと、兼ねて聞いて知つてゐるので、『よく来て呉れた。珍客だ。』と喜んで迎へて呉れた。かれも秋の日を人懐しく思つてゐたのであつた。
『湖処子君ゐませんでしたか。何処へ行つたかな先生、今日はゐる筈だがな……。又、妹でも恋しくなつて帰つて行つたかも知れない。』若い私達には一種共通の処があつて、一面識でも十年も前から交際でもしてゐる人のやうに、心に奥底もなく、君、僕で自由に話した。

(略)
 その時は何を話したか、今はすつかり忘れて了つたが、尠くとも若い心は、さはるものなくお互の会話の中に流れ合ひ混り合つて行つたに相違なかつた。ツルゲネフのことも話したらう。トルストイのことも話したらう。ハイネの詩やウオルズウオルスの詩のことも話頭に上つたらう。殊に玉茗君はその時分湖処子、嵯峨の屋などと共に、詩の方のチヤンピオンであつたので、詩についての話は、私より一層國木田君と共鳴したに相違なかつた。私達は日の暮れて行くのも忘れて話した。

と、初対面にかかわらず、すっかり友達になります。
そして、こんな日もありました。

 何うかすると、何処かに行つてゐないこともあつた。さういふ時には、私はひとり上にあがつて、一二時間待つてゐたりなどした。ある時雨の降る日には、矢張留守ではあつたが、ふと見るとそこに読みたいと思つた二葉亭の『かた恋』が置いてある。で、私は一人そこにねそべつて、一日静かにそれを読んで、帰つて来た。『昨日は君は留守だつたが、「かた恋」があつたので、それを読んで、静かに君の家で日を暮した。いろいろなことを考へた。忘れられない一日だ、』こんな手紙をそのあくる日書いてやつた。


面白いのは、ライスカレーを食べるくだりです。

 帰り支度をすると、
『もう少し遊んで行き給へ。好いぢやないか。』
 袖を取らぬばかりにして國木田君はとめた。
『今、ライスカレーをつくるから、一緒に食つて行き給へ。』かう言つて、國木田君は勝手の方へ立つて行つた。勝手の方では、下のその上さんがかれの朝夕の飯を炊いて呉れるのであつた。その上さんの名は忘れたが何でも磯といふ大工の嚊で、新宿で女郎をしてゐて、年が明けてそこに来て一緒になつたのであつた。『もう、飯は出来たから、わけはない。』かう言つて國木田君は戻つて来た。
 大きな皿に炊いた飯を明けて、その中に無造作にカレー粉を混ぜた奴を、匙で皆なして片端からすくつて食つたさまは、今でも私は忘るゝことが出来ない。
『旨いな、実際旨い。』かう言つて私達も食つた。


一度、炊きたてのご飯にカレー粉を混ぜただけのライスカレーを作ってみようと思っています。


 なつかしい丘の上の家は今は何うなつたか。もう面影もなくなつて了つたことであらう。林も、萱原も、草藪も、あのなつかしい古池も……。

と、花袋は「丘の上の家」を書き終えます。
花袋が記した1917(大正6)年頃には、「丘の上の家」辺りも様変わりしていたようです。


※『東京の三十年』(田山花袋/著 博文館 1917(大正6))は、国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。「丘の上の家
※「丘の上の家」の後半部分を略した「丘の上の家 抄」が「青空文庫」で公開されています。
※山口県立山口図書館は、『東京の三十年』(田山花袋/著 博文館 1917(大正6))を蔵書しています。請求番号/TA98(禁帯出)


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▲『作家の自伝25 田山花袋 東京の三十年(抄)/私の経験』
(田山花袋/著 佐伯彰一・松本健一/監修 相馬庸郎/編 日本図書センター 1995.11.25)
いちのさか絵画倶楽部展 [2022年04月02日(Sat)]
4月3日(日)まで、クリエイティブ・スペース赤れんがで、「いちのさか絵画倶楽部展」が開催されていますぴかぴか(新しい)

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いちのさか絵画倶楽部さんは、人物画の研鑽をする会で、毎年、春と秋の2回発表会をされています。春は、基本的には、人物画を2点、その他のもの(静物画・風景画など)を2点出展することになっているそうです。


まず、会場に入ったところに展示されているのはSSさんの作品です。

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今年の案内葉書に載った絵。
立体感を出すのに苦心されたそうです。
お母様のために描かれたそうです。

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NSさん。
左端の絵は、神秘スポットとして有名な「一の俣桜公園・蒼霧鯉池」を描いたそうです。

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YYさん。

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入会されたばかりのSNさん。

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YHさん。
人物画のモデルはお孫さん。成長記録にもなっているそうです。

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こちらのIAさんも新しく入会された方。

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FMさん。

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FYさん。
人物画以外は日本画です。

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KYさん。

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KYさんは、庭で育てている植物を描かれるのですが、とっても魅力的です。

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MJさん。
作品にするために、何度も菜の花をスケッチしに出かけたそうです。

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TTさん。

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宇部の工場。
工場群って、萌えます。

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飼育されている陸ガメ。
なんと8匹飼っているそうで(前はもっといたけど、譲渡されたそう)、カメ愛が溢れています。

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1つ持って帰っていいのなら、この絵でしょうか。

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TMさん。

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YTさん。

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3月の山口市美展で奨励賞を受賞した作品です。

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力作ばかりですので、今が盛りの一の坂川の桜を観がてら、お立ち寄りください揺れるハート

るんるん日 時るんるん 2022年3月31日(木)〜4月3日(日)10:00〜17:00 (最終日 16:00まで)
るんるん場 所るんるん C.S.赤れんが
        山口市中河原5-12
るんるん入館料るんるん 無料
るんるん主 催るんるん いちのさか絵画倶楽部
るんるん後 援るんるん 山口市


(※写真の掲載について、主催者の方に許諾を得ています。)
発達障害の子どもたちの作品展示会 @ 山口県政資料館 旧県会議事堂 [2022年04月01日(Fri)]
4月9日(土)まで、山口県政資料館 旧県会議事堂で、「発達障害の子どもたちの作品展示会」が開催されていますぴかぴか(新しい)
今日4月1日(金)、NPO法人山口県自閉症協会の担当者が会場にて説明等が行われますぴかぴか(新しい)

自閉症の子どもたちの作品展示会 2022年.PNG

「世界自閉症啓発デー(4月2日)」及び「発達障害啓発週間(4月2日〜8日)」に関する啓発活動の一環として自閉症など発達障害の子ども達の作品展示を行い、発達障害の特性に関する理解促進の契機とします。

るんるん日 時るんるん 2022年3月27日(日)〜4月9日(土)9:00〜16:30 ※月曜日休館
るんるん場 所るんるん 山口県政資料館 旧県会議事堂 議員控室(きらら倶楽部)
       山口市滝町1番1号
るんるん内 容るんるん 作品(絵画、書道、立体作品等 約100点)
       発達障害の障害特性等の啓発資料(ポスター、パンフレット等)
るんるん問合先るんるん 山口県障害者支援課 在宅福祉推進班
       電話 083-933-2764  fax to 083-933-2779
       mail to a14100@pref.yamaguchi.lg.jp
るんるん主 催るんるん 山口県、NPO法人山口県自閉症協会
   https://www.pref.yamaguchi.lg.jp/press/202203/051932.html
   https://www.facebook.com/pref.yamaguchi.kouhou/posts/4863937483701769/
るんるん協 力るんるん 認定NPO法人やまぐち発達臨床支援センター

かわいいNPO法人山口県自閉症協会の担当者による会場説明
   るんるん日時 2022年4月1日(金)11:00〜14:00 


かわいい山口県政資料館は、発達障害啓発週間中4月2日(土)〜8日(金)の間、、自閉症啓発のシンボルカラーであるブルーライトアップされますぴかぴか(新しい)

IMG_E7907.JPG山口県旧県庁舎 
IMG_E7906.JPG山口県旧県会議事堂