「第29回やまぐち 朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜」に参加しましたA
[2021年10月31日(Sun)]
【前回の続き】
【第二部 自由朗読】
1、MTさん
パブロ・ネルーダ「Here I love you.」
パブロ・ネルーダ(1904〜1973)は、チリの国民的詩人で、1971年にノーベル文学賞を受賞しました。
2、山口
国木田独歩「丘の白雲」(『詩想』より)
丘の白雲
大空に漂ふ白雲(しらくも)の一つあり。童(わらべ)、丘にのぼり松の小かげに横はりて、ひたすらこれをながめ居たりしが、そのまゝ寝入りぬ。夢は楽しかりき。雲、童をのせて限りなき蒼空(あおぞら)を彼方此方に漂ふ意(こころ)の閑(のどけ)さ、童はしみじみうれしく思ひぬ。童はいつしか地の上のことを忘れはてたり。めさめし時は秋の日西に傾きて丘の紅葉(もみじば)火のごとくかゞやき、松の梢(こずゑ)を吹くともなく吹く風の調(しらべ)は遠き島根に寄せては返へす波の音にも似たり。その静けさ。童は再び夢心地(ゆめこゞち)せり。童はいつしか雲のことを忘れはてたり。此後、童も憂うき事しげき世の人となりつ、様々のこと彼を悩ましける。そのをり/\憶(おも)ひ起こして涙催ふすはかの丘の白雲、かの秋の日の丘なりき。
「詩想」は、『家庭雑誌』第11巻105号(1898(明治31).4.15)に「獨歩吟客」の署名で発表され、後、『武蔵野』(民友社 1901(明治34).3)に収められました。

▲国立国会図書館蔵
今年生誕150年の明治の文豪 国木田独歩(1871〜1908)は、5歳の頃山口市(当時は吉敷郡山口町)で過ごし、再び、山口で少年期を送り、今道小学校(現山口市立白石小学校)、山口中学校(現山口県立山口高等学校)に通います。
山口での少年時代は、独歩の人間形成、文学形成に深く関わり、重要な意味を持っていると思われます。
山口の風景や体験は、「山の力」(『少年界』(1903(明治36).5)発表)や「馬上の友」(『青年界』(1903(明治36).5)発表。第三文集『運命』所収)など様々な作品に投影されています。
「丘の白雲」の「丘」は、
僕が未だ十五の時だ。そうだ中学校に初めて入つた年の秋のことだ。小春日和の佳い天気に日であつたが、僕の宅(うち)から五六丁もゆくと小(ちひさ)な丘がある、それは他の山脈は全く独立して居るので恰度(ちやうど)瘤(こぶ)のやうに見える、それへ僕は一人で遊びに出かけた。
と「馬上の友」で描かれた「丘」つまり「亀山」でないかと思われます。
「詩想」は、角川文庫『武蔵野』(KADOKAWA 2016.3)や岩波文庫『武蔵野』(岩波書店 2006.2)で読むことができます。

3、原明子さん
田中慎弥「雨の牢獄」(『田中慎弥の掌劇場』(毎日新聞社 2012)より)

原さんは、今 中原中也記念館で開催中の企画展U「雑誌「詩園」−中也・山頭火と山口の文学青年たち」を担当されました。
昭和13年、中原中也の詩を敬愛する山口県内の若い文学青年たちが同人誌『誌園』を創刊し、戦時下の山口の文学を支え、中也顕彰の先駆けとなりました。断片的には知っていたことが、とてもわかりやすくまとめてあって、ぜひ、みなさんにも見ていただきたい展示です。
展示してある写真の山頭火が、57歳だなんて、ちょっと驚きです。
4、SRさん
まど・みちお「おばあちゃん」「おじいちゃんのかお」「やさしい けしき」(『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』(理論社)より3編)

5、KKさん
金子みすゞ「きりぎりすの山登り」(『金子みすゞ全集』より)
きりぎりすの山登り
きりぎつちよん、山のぼり、
朝からとうから、山のぼり、
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
山は朝日だ、野は朝露だ、
とても跳ねるぞ、元氣だぞ。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
あの山、てつぺん、秋の空、
つめたく觸[さは]るぞ、この髭に。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
一跳ね、跳ねれば、昨夜[ゆうべ]見た、
お星のところへも、行かれるぞ。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
お日さま、遠いぞ、さァむいぞ、
あの山、あの山、まだとほい。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
見たよなこの花、白桔梗[しらききやう]、
昨夜のお宿だ、おうや、おや。
ヤ、ドツコイ、つかれた、つかれた、ナ。
山は月夜だ、野は夜露、
露でものんで、寝ようかな。
ア〜ア、ア〜ア、あくびだ、ねむたい、ナ。

6、THさん
荒川洋治「『門』と私」 + 夏目漱石『門』の最後
宗助は家(うち)へ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子(しょうじ)の硝子(ガラス)に映る麗(うらら)かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉(まゆ)を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪(き)りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏(はさみ)を動かしていた。
(『門』より最終部分抜粋)
7、KTさん
青木玉「帰りたかった家(うち)」(講談社 1997.3)より

8、OYさん
茨木のり子「尹東柱」(『ハングルへの旅』(朝日新聞社 1986.5)より)

9、UKさん
佐藤春夫「秋刀魚の歌」
秋刀魚の歌
あはれ
秋風よ
情[こころ]あらば傳へてよ
−−男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てたられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の兒は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
情あらば傳へてよ
汝(なれ)こそ見つらめ
世のつねならぬかの團欒(まどゐ)を
いかに
秋風よ
いとせめて
證(あかし)せよ かの一ときの團欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば傳へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼兒とに傳へてよ
−−男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんまは苦いか鹽つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
(大正十年十月)
朗読カフェで「秋刀魚の歌」を聴くのは2度目です。
1921(大正10)年11月1日発行の『人間』(第三巻第十一号)に掲載されたのが初出で、1923(大正12)年2月18日に新潮社より刊行された『我が一九二二年』に収録されました。
「さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか。」 のフレーズが余りにも有名な詩ですが、「人に捨てられんとする人妻」「夫を失はざりし妻」は谷崎潤一郎の妻 千代子 後の佐藤春夫夫人であり、「妻にそむかれたる男」「父ならぬ男」は、結婚していた妻 香代子と離婚したばかりの佐藤春夫、「愛うすき父を持ちし女の兒」「父を失はざりし幼兒」は潤一郎と千代子の間の長女 鮎子というのを知って味わうと、情景が鮮明に浮かび、なんとも、切ない詩です。
10、HMさん
自作ショートストーリー・エッセイ「介護生活は突然に」
お母様の検査結果を聞く前に亀山に登って心を落ち着かせたとのことで、独歩がそうであったように、山口人にとって、大切な場所なのですね
11、中原豊さん
ファン・ラモン ヒメネス「夕景」(『プラテーロと私』(伊藤武好、伊藤百合子/訳 長新太/絵 理論社)より)

フアン・ラモン・ヒメネス・マンテコン(1881〜1958)はスペインの詩人で、1956年にノーベル文学賞を受賞しました。
参加人数は、10名+スタッフ2名でした。
次回の第30回は、2021年11月16日(火)です。
【第二部 自由朗読】
1、MTさん
パブロ・ネルーダ「Here I love you.」
パブロ・ネルーダ(1904〜1973)は、チリの国民的詩人で、1971年にノーベル文学賞を受賞しました。
2、山口
国木田独歩「丘の白雲」(『詩想』より)
丘の白雲
大空に漂ふ白雲(しらくも)の一つあり。童(わらべ)、丘にのぼり松の小かげに横はりて、ひたすらこれをながめ居たりしが、そのまゝ寝入りぬ。夢は楽しかりき。雲、童をのせて限りなき蒼空(あおぞら)を彼方此方に漂ふ意(こころ)の閑(のどけ)さ、童はしみじみうれしく思ひぬ。童はいつしか地の上のことを忘れはてたり。めさめし時は秋の日西に傾きて丘の紅葉(もみじば)火のごとくかゞやき、松の梢(こずゑ)を吹くともなく吹く風の調(しらべ)は遠き島根に寄せては返へす波の音にも似たり。その静けさ。童は再び夢心地(ゆめこゞち)せり。童はいつしか雲のことを忘れはてたり。此後、童も憂うき事しげき世の人となりつ、様々のこと彼を悩ましける。そのをり/\憶(おも)ひ起こして涙催ふすはかの丘の白雲、かの秋の日の丘なりき。
「詩想」は、『家庭雑誌』第11巻105号(1898(明治31).4.15)に「獨歩吟客」の署名で発表され、後、『武蔵野』(民友社 1901(明治34).3)に収められました。

▲国立国会図書館蔵
今年生誕150年の明治の文豪 国木田独歩(1871〜1908)は、5歳の頃山口市(当時は吉敷郡山口町)で過ごし、再び、山口で少年期を送り、今道小学校(現山口市立白石小学校)、山口中学校(現山口県立山口高等学校)に通います。
山口での少年時代は、独歩の人間形成、文学形成に深く関わり、重要な意味を持っていると思われます。
山口の風景や体験は、「山の力」(『少年界』(1903(明治36).5)発表)や「馬上の友」(『青年界』(1903(明治36).5)発表。第三文集『運命』所収)など様々な作品に投影されています。
「丘の白雲」の「丘」は、
僕が未だ十五の時だ。そうだ中学校に初めて入つた年の秋のことだ。小春日和の佳い天気に日であつたが、僕の宅(うち)から五六丁もゆくと小(ちひさ)な丘がある、それは他の山脈は全く独立して居るので恰度(ちやうど)瘤(こぶ)のやうに見える、それへ僕は一人で遊びに出かけた。
と「馬上の友」で描かれた「丘」つまり「亀山」でないかと思われます。
「詩想」は、角川文庫『武蔵野』(KADOKAWA 2016.3)や岩波文庫『武蔵野』(岩波書店 2006.2)で読むことができます。


3、原明子さん
田中慎弥「雨の牢獄」(『田中慎弥の掌劇場』(毎日新聞社 2012)より)

原さんは、今 中原中也記念館で開催中の企画展U「雑誌「詩園」−中也・山頭火と山口の文学青年たち」を担当されました。
昭和13年、中原中也の詩を敬愛する山口県内の若い文学青年たちが同人誌『誌園』を創刊し、戦時下の山口の文学を支え、中也顕彰の先駆けとなりました。断片的には知っていたことが、とてもわかりやすくまとめてあって、ぜひ、みなさんにも見ていただきたい展示です。
展示してある写真の山頭火が、57歳だなんて、ちょっと驚きです。
4、SRさん
まど・みちお「おばあちゃん」「おじいちゃんのかお」「やさしい けしき」(『まど・みちお少年詩集 まめつぶうた』(理論社)より3編)

5、KKさん
金子みすゞ「きりぎりすの山登り」(『金子みすゞ全集』より)
きりぎりすの山登り
きりぎつちよん、山のぼり、
朝からとうから、山のぼり、
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
山は朝日だ、野は朝露だ、
とても跳ねるぞ、元氣だぞ。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
あの山、てつぺん、秋の空、
つめたく觸[さは]るぞ、この髭に。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
一跳ね、跳ねれば、昨夜[ゆうべ]見た、
お星のところへも、行かれるぞ。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
お日さま、遠いぞ、さァむいぞ、
あの山、あの山、まだとほい。
ヤ、ピントコ、ドツコイ、ピントコ、ナ。
見たよなこの花、白桔梗[しらききやう]、
昨夜のお宿だ、おうや、おや。
ヤ、ドツコイ、つかれた、つかれた、ナ。
山は月夜だ、野は夜露、
露でものんで、寝ようかな。
ア〜ア、ア〜ア、あくびだ、ねむたい、ナ。
6、THさん
荒川洋治「『門』と私」 + 夏目漱石『門』の最後
宗助は家(うち)へ帰って御米にこの鶯の問答を繰り返して聞かせた。御米は障子(しょうじ)の硝子(ガラス)に映る麗(うらら)かな日影をすかして見て、
「本当にありがたいわね。ようやくの事春になって」と云って、晴れ晴れしい眉(まゆ)を張った。宗助は縁に出て長く延びた爪を剪(き)りながら、
「うん、しかしまたじき冬になるよ」と答えて、下を向いたまま鋏(はさみ)を動かしていた。
(『門』より最終部分抜粋)
7、KTさん
青木玉「帰りたかった家(うち)」(講談社 1997.3)より

8、OYさん
茨木のり子「尹東柱」(『ハングルへの旅』(朝日新聞社 1986.5)より)

9、UKさん
佐藤春夫「秋刀魚の歌」
秋刀魚の歌
あはれ
秋風よ
情[こころ]あらば傳へてよ
−−男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。
さんま、さんま、
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
さんまを食ふはその男がふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てたられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の兒は
小さき箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。
あはれ
秋風よ
情あらば傳へてよ
汝(なれ)こそ見つらめ
世のつねならぬかの團欒(まどゐ)を
いかに
秋風よ
いとせめて
證(あかし)せよ かの一ときの團欒ゆめに非ずと。
あはれ
秋風よ
情あらば傳へてよ、
夫を失はざりし妻と
父を失はざりし幼兒とに傳へてよ
−−男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
涙をながす と。
さんま、さんま、
さんまは苦いか鹽つぱいか。
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。
(大正十年十月)
朗読カフェで「秋刀魚の歌」を聴くのは2度目です。
1921(大正10)年11月1日発行の『人間』(第三巻第十一号)に掲載されたのが初出で、1923(大正12)年2月18日に新潮社より刊行された『我が一九二二年』に収録されました。
「さんま、さんま さんま苦いか塩つぱいか。」 のフレーズが余りにも有名な詩ですが、「人に捨てられんとする人妻」「夫を失はざりし妻」は谷崎潤一郎の妻 千代子 後の佐藤春夫夫人であり、「妻にそむかれたる男」「父ならぬ男」は、結婚していた妻 香代子と離婚したばかりの佐藤春夫、「愛うすき父を持ちし女の兒」「父を失はざりし幼兒」は潤一郎と千代子の間の長女 鮎子というのを知って味わうと、情景が鮮明に浮かび、なんとも、切ない詩です。
10、HMさん
自作ショートストーリー・エッセイ「介護生活は突然に」
お母様の検査結果を聞く前に亀山に登って心を落ち着かせたとのことで、独歩がそうであったように、山口人にとって、大切な場所なのですね

11、中原豊さん
ファン・ラモン ヒメネス「夕景」(『プラテーロと私』(伊藤武好、伊藤百合子/訳 長新太/絵 理論社)より)

フアン・ラモン・ヒメネス・マンテコン(1881〜1958)はスペインの詩人で、1956年にノーベル文学賞を受賞しました。
参加人数は、10名+スタッフ2名でした。
次回の第30回は、2021年11月16日(火)です。