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こどもと本ジョイントネット21・山口


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夏越大祓 @ 古熊神社に行きましたF [2020年06月30日(Tue)]
【前回の続き】

古熊神社では、6月30日16:00より夏越大祓がありますぴかぴか(新しい)

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▲『サンデー山口』第7244号(2020年6月27日)

大祓は、日常で犯した罪や心身のけがれを除き去ることを目的に6月と12月のみそか(30日)に行われる行事。6月の大祓を「夏越の大祓」と呼び、くぐることで心身を清め災厄を払うとされる「茅の輪」が設置される。山口市内の各神社では、6月28日と30日(火)に開催。主な実施内容や時間は次の通り。(略)
古熊神社(山口市古熊1)
 30日午後4時から。参列者はおはらいを受けた後、境内にある茅の輪をくぐり、日ごろの罪やけがれを清め、下半期も明るく元気に過ごせるよう祈る。「参列の際は間隔を空け、マスクの着用を」と同神社。
(『サンデー山口』第7244号(2020年6月27日)より)


茅の輪
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「夏越大祓 茅の輪くぐり」説明看板。
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茅の輪をくぐる時は『後拾遺和歌集』 (292 詠み人しらず )にある
拾遺和歌集 20巻 292 (2).png
『拾遺和歌集』00292(国立国会図書館蔵)

水無月(みなづき)の 夏越し(なこし)の祓(はらへ)する人は
    千歳の命 延ぶというなり


という歌を唱えながら左回り、右回り、左回りと8の字を書くように茅の輪を3度くぐりぬけるのが一般的です。
回るごとに「水無月の 夏越の祓 するひとは 千歳の命 延ぶというなり」「思ふ事 皆つきねとて 麻の葉を きりにきりても 祓へつるかな」「宮川の 清き流れに 禊せば 折れることの 叶わぬはなし」と唱える、
二十一代集 400巻 [8] 『後拾遺和歌集』和泉式部 (2).png
『二十一代集』(国立国会図書館蔵)

蘇民将来 蘇民将来」、「祓い給ひ 清め給へ 守り給へ 幸へ給へ」と唱えるなど、神社によっていろいろあるようです。

この神事は神話上の人物である蘇民将来(そみんしょうらい)がスサオノミコトから「もし疫病が流行したら茅の輪を腰につけよ」といわれ、その通りにしたら疫病から免れることが出来たという故事に由来すると伝えられています。


そういえば、神戸の高羽丹生神社で7月半ばに行われる「夏越祭」に行ったとき、茅で作った茅の輪をいただいたことがあったことを思い出しました。


「夏越大祓」の説明看板。
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夏越の花手水
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いつもはチェーンがかかっている場所も、草刈りをして臨時駐車場として準備されています。


茅の輪くぐりは山口大神宮でもあります。
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青々とした茅と白木の鳥居が印象的です。
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古熊神社に戻って・・・・・・。
ところで、放生池に詩碑があったのですが、説明もなく、字も立派すぎて誰の句か分かりませんでした。
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参考文献:
『拾遺和歌集』20巻
『二十一代集』400巻(吉田四郎右衛門尉 正保4)
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
三森神社・眼力さま・放生池・芭蕉句碑 @ 古熊神社に行きましたE [2020年06月29日(Mon)]
【前回の続き】

社殿に向かって左手に行ってみましょう。
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古神牛
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放生池
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きれいな花が咲いています。
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瀧が造られています。
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水神様
二重燈籠。148cm。
放生池に流れ込む水の水神として祀られているそうです。
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道真歌碑
放生池の中には、道真が蟄居中に詠んだ歌の石碑が建てられています。
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 海
海ならずたたへる水の底までにきよき心は月ぞてらさむ
    御祭神 菅原道真公御詠

 
池に架かる石橋@。
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池に架かる石橋A。
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三森神社
元は市内惣太夫町(JR山口駅裏辺り)に鎮座していた三つの神社(大歳森社・深田森社)が、明治41年に境内に合祀されました。三つの森が合わさったため、三森神社と呼ばれています。
御祭神は 大歳神・高龗神・闇龗神・柿本神。
御祭神の内の一柱、柿本人麻呂の大神の御神徳より、身体健全・脱腸封じのためお参りされる方が多いそうです。
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眼力さま
眼の神さまが祀られています。
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古くはこの祠前に湧き水があり、それで目を洗うと視力が衰えない、とされていました。
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確かに水が湧いていたような痕跡があります。
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め阿らい水。
角柱。49cm。
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眼力薬師姫大神。
角柱。54cm。
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眼力大神。
角柱。48cm。
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芭蕉句碑
山口有数の桜の名所ということから、芭蕉の桜の句碑が建てられています。
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鸛の巣に嵐の外の桜かな

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猿林を求めて、山の方へ行ってみました。

猿田彦大神
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往古は市内札の辻にあり大市町内会の人々によって守護されていたものを神社境内に何かの理由(道路整備等?)により移鎮したものだそうです。
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石が組んであるところがあります。
庭だったのでしょうか。
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下を見ると、社殿が見えます。
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放生池が見えます。
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三森神社が見えます。
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林の奥の
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開けたところに紅雪碑がありました。
境内案内図では「紅霊碑」となっていますが、「紅雪碑」の間違いだと思います。
そのことについては後日また。
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参考文献:
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P110「大渡の庚申」No.4
  P125「大殿の神」No.8,No.9,No.10
  P141「大殿のその他」No.2
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)
  P316「祭神別神社一覧」「大歳社」



【次回に続く】
藤森稲荷社 @ 古熊神社に行きましたD [2020年06月28日(Sun)]
【前回の続き】

藤森稲荷社
元は市内相良小路に鎮座していた藤森さまと稲荷さまを、明治41年古熊神社境内に遷した神社です。
倉稲魂神・事代主神・住吉神が祀ってあります。五穀豊穣・商売繁盛の神さまです。
地元の有志により毎年春と秋に祭典を行う藤森稲荷講が古くからあり、現在講員は50名を超えます。
今年の春のお祭りは6月3日に行われました。

赤い鳥居の方をくぐって階段を上ってみましょう。
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狛狐。
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左像は宝珠(玉)、右は巻物を咥えています。
本来は巻物ではなく鍵のようですが、巻物は知恵を象徴しているといわれています。
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また、この狐像は左像が女性、右が男性と分かるように造られています。
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尻尾の形が面白いです。
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拝殿。
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賽銭箱。
消えかかっていますが、宝珠紋だと思います。
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神額「正一位稲荷神社」。
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他のところにあった藤森稲荷神社の看板。
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本殿。
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藤森稲荷社の裏山に石柱が9基ありました。
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庚申塔。
角柱。44cm。
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稲荷。
角柱。55cm。
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月代大神
 大正十一年十二月


稲荷。
角柱。45cm。
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豊武大神
豊丸大神
 三十四才女


稲荷6基。
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それそれ以下のように入っています。
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正一位□□稲荷大明神

藤森稲荷社からの景色はお薦めです。
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参考文献:
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P109「大歳の庚申」No.2
  P124「大殿の神」No.4,5



【次回に続く】
金刀比羅神社・水神さま・道真詩碑・黒城碑・若水碑 @ 古熊神社に行きましたC [2020年06月27日(Sat)]
【前回の続き】

社殿を正面に見て右手に行ってみましょう。
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何の祠でしょうか?
人形がたくさん入っていました。
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石碑。
本社前石段並道路改修事業に寄付された方々の名前が彫られていました。
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本社前石段並道路改修事業・・・・・・


道真詩碑
道真公が11歳の春の夕方、父より「月夜に梅花を見る」と題して詩作を命ぜられて初めて作った漢詩の詩碑です。
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  月夜見梅華  
月耀如晴雪 梅花似照星
可憐金鏡轉 庭上玉房香


「道真詩碑」説明板。
※説明板には『菅家文章』となっていますが、『菅家文草』の間違いです。
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『菅家文草』(全12巻)の巻頭を飾っています。
『菅家文草』とは、900(昌泰3)年、道真が醍醐天皇に献上した家集(漢詩文集)で、それまでの自己の作品を集めて時代順に配列してあります。
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『菅家文草』巻第一(国立国会図書館蔵)


古神馬
戦時中青銅製の神馬は供出され、代わりにこの石製の神馬が祀られていましたが、 新しい神馬が祀られたので、ここに置かれています。
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金刀比羅神社
御祭神は大歳神・大山祇神です。交通安全・海上安全の神さまです。
初代山口市長 八木宗十郎氏より懇願され、境内に鎮座されたそうです。
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木の傍に瓦。「梅紋」です。
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神庫
中には山口天神祭にて御祭神がお載りになる御網代車(おあじろぐるま)、備立行列にて使用される御弓や大内十文字槍などが納められています。
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鳥居
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天満宮」という神額がかかっています。
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水神さま
御祭神は罔象女神(みづはのめのかみ)です。水の神さまです。
市内を流れる一の坂川の源流近くにあった祠が、ある時下流の千歳橋(山口市早間田)まで流れ着き、千歳橋の近くで近所の人が長くお祀りしてきましたが、昭和40年代に現在地に遷されました。
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燈籠。
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明和元(1764)年申歳八月
竹部源左衛門景豊
再建立


以前は早間田町内在住の方が毎年7月最初に日曜日に集まり祭事を行っていました。現在も7月にお祭りが行われています。
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)では、「河内様」となっています。
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水神さま手前の手水鉢。
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黒城碑
黒城とは岡村黒城(通称 圭三)のことです。
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『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)に以下のようにあります。

岡村黒城(通称 圭三)
弘化三年(一八四六)二月八日近江国堅田浦北川氏の家に生まれ、後に木村家に入った。弱冠にして京都に出て折から滞留中の岡村簣斎に師事した。簣斎その慧悟を愛して養子とした。長州藩に来ては山口明倫館の教授、私塾敬止塾の経営をした。明治五年学制領布の時山口第一小学校長に任じ、後山口黒谷に黒城私塾を開いた。当時家塾中最も盛んであった。ほかに山口師範学校で書道の教授をした。晩年は詩と酒を愛し自適していたが、明治四十三年五月三十一日長崎で没した。行年六十五、墓は古熊天神境内にある。


また、P142に「黒城私塾」について次のようにあります。

明治十年以降になると(略)山口には特にこの家塾が多く存立した。
それらの中には、岡村圭三の黒城私塾、福永淑人の西鄙私塾、(略)の如く、高い教育理念を貫き、多数有為な人材を養成して、名声の高かったものも少なくなかった(略)


黒城私塾 主要学科:修・漢 所在地:今市町 創業年:明治一〇 学年:三 教員数:六 政党数:男九四 女五 設置者・塾主:岡村圭三

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若水碑
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白銀若水翁頌徳碑」と彫られています。
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第二代目山口市長である白銀市太郎の頌徳碑です。
白銀市太郎は、全国初の名誉市長で残した業績には見るべきものが多く、道路・水道・バス関係の他の事業に功績がありました。
『山口市史』(山口市史編集委員会/編 山口市 昭和57.12)のP474に

白銀は (略)多くの行政遺産を残した業績を永く後世に伝えるため、古熊神社境内に頌徳碑が建立された。

とあります。



参考文献:
『菅家文草』(菅原道真/著 野田藤八 1700(元禄13)跋)
  ※国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されています。
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P123「大殿の神」No.3
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)
  P141〜144「家塾」
  P596「岡村黒城」
『山口市史』(山口市史編集委員会/編 山口市 昭和57.12)
  P469〜474「白銀市長の時代」
  P658〜660「家塾」


【次回に続く】
本殿 @ 古熊神社に行きましたB [2020年06月26日(Fri)]
【前回の続き】

本殿。 
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本殿の蟇股。
写真では上手く撮れていませんが、我が国最古の松竹梅の彫刻が施されています。
(古熊神社HPに写真があります。)

 御本殿の大きな特徴は、正面の向拝三間の斗拱間蟇股*の意匠(デザイン)です。まず中央には「梅に大内菱*」、向って右には「松に鳳凰」、向って左には「竹に鳳凰」となっています。この「松竹梅」となっている蟇股の彫刻は、我が国に現存する最古の松竹梅として有名です。
 松竹梅という組み合わせは今でこそ大変馴染みの深いものですが、庶民の間にも浸透したのは江戸時代に入ってからと云われ、当社が建てられた室町時代はまだ京の貴族の間のみの流行でありました。そんな中当社を創建された大内弘世卿は、社殿を造営するにあたり都の最先端の文化であるこの松竹梅を彫刻として取り入れたのです。その後、応仁の乱により京の神社仏閣がほとんど焼失してしまい、結果戦の少なかった山口に建てられた当社の松竹梅が、我が国で最も古いものとなった、といわれています。
 また、御本殿の木材のところどころに赤い染料が残っているところから、当初は全て赤色で染められた御社殿であったことも分かっています。

古熊神社HP「御本殿」

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本殿の随身。
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本殿の神殿狛犬。
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3E679E12-EC45-4F18-9D14-CDB246C63614.jpeg吽形

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A70934F4-2A10-4F18-AEDF-9921B885A9AE.jpeg阿形


本殿の裏の方には、テイカカズラの花がたくさん落ちていました。
上を見上げたけれど、どこに咲いているか全くわかりませんでした。
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こんなかわいい石仏も見つけました。
双体道祖神です。
自然石浮彫立像。48cm。
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2020)
  P653〜654,656〜657「古熊神社」「本殿」
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口の文化を守る会/編 山口市教育委員会 2004)
  P109「大殿の庚申」No.3



【次回に続く】
拝殿・幣殿・神楽殿・神饌所 @ 古熊神社に行きましたA [2020年06月25日(Thu)]
【前回の続き】

社殿。
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山口地方の神社に多く見られる「楼拝造」という二層構造の特徴的な造りの拝殿です。
楼閣のような拝殿はもともと楼門として建築され、それを後の時代になって床を張り、拝殿として活用しました。

神額「古熊神社」。
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拝殿。 
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拝殿内部。
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奉納額。
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菅原道真の生涯の絵でしょうか?
5歳で和歌、11歳で漢詩を詠み、18歳で文章生、26歳で秀才試に合格し、33歳で文章博士に讃岐の国司として赴任していた時に、日照りに悩む民衆のために雨乞いをして見事に雨を降らし、宇多天皇に認められ、55歳で右大臣になったという・・・・・・。
防府天満宮の「松崎天神絵巻」や大阪天満宮の「菅家廊下」のジオラマ?でも観た、弓術も上手く百発百中という場面がないようなので、違うかもしれません。
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拝殿左翼外観。
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拝殿右翼外観。
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拝殿と神楽殿。
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渡廊と幣殿。
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幣殿。
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翼廊。 
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幣殿と翼廊と神饌所。
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翼廊と神楽殿。
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神饌所。
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幣殿と神楽殿。
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神楽殿。
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神楽殿前の神馬。
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神饌所前の神牛。
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神饌所前の天神講碑。
篆額は「天神講之碑」で、花崗岩でできています。
明治二十三年一月」(1890年)と彫られています。
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手水鉢。 
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2020)
  P654〜6,8「古熊神社」「拝殿」
『山口市史 史料編 民俗・金石』(山口市 2015.3)
  P799〜801「天神講碑」



【次回に続く】
参道 @ 古熊神社に行きました@ [2020年06月24日(Wed)]
古熊神社に行きましたぴかぴか(新しい)

燈篭のある踏み切りを渡り椹野川にかかる赤い天神橋を過ぎると
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ほぼまっすぐ参道が伸びています。
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古熊神社は、山口の天神様、古熊天神とも呼ばれ、
菅原道真を主祭神とし、道真の子の菅原福部童子を配祀しています。
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『古画類聚』「後集 古画 人形服章 肖像1 菅原道真像」(原本 高野山寶積院旧蔵)(東京国立博物館蔵)

天神さまへの石段の手前左に東山嶽観音があります。
『山口古図』(山口県文書館蔵)にも「猿林ノ森」のところに「嶽観音堂」がありますひらめき
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御邉座四百年記念鳥居改修の碑。
2018(平成30)年で遷座400年になるのですね。
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一の鳥居の手前の神号碑。
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一の鳥居。
1701(元禄14)年建立です。こちらが御遷座400年記念事業で解体改修工事を行った石鳥居。
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​神額には古熊神社の旧社名である「今天神」と記されています。
『山口古図』(山口県文書館蔵)にも「今天神」とありますひらめきひらめき
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鳥居傍にある手水鉢。
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1373(応安6)年10月、弘世が京都の北野天満宮より勧請し、今の中市の山口井筒屋辺りに社殿を造営し、北野天神山口天満宮と称しました。前の通りは「天神通り」、横の通りは「北野小路」といいます。

その後、神託により長者山の麓、さらに御石の森に遷祀しました。
1618(元和4)年、初代長州藩主の毛利秀就が、現在の古熊の東山の麓に移建しました。また同時に神社名も「今天神」へと改められました。

1872(明治6)年に現在の社号である「古熊神社」と改名しました。

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市内がきれいに見えます。
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社務所。
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トイレ。
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「不浄」ではなく「可浄」となっています。
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境内図。
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狛犬。
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文政六年に造られたものです。
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案内板。
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国指定 重要文化財
 古熊神社本殿・拝殿
    大正六年八月一三日本殿 指定
    昭和二四年二月一八日拝殿 指定
   山口市古熊一丁目一〇番三号
本社は今から六二〇余年前(応安六年一三七三)に、大内弘世が京都の北野天神を勧請し、北野小路にまつっていたものを、元和四年(一六一八)に毛利秀就がこの地に遷宮した。祭神は菅原道真で福部童子を配神としている。
本社殿は、室町時代に建立されたものを、ここに移築したものである。本殿内にある宝殿の板に「天文十六年云々」の墨書があるので、本殿の建立もその頃と考えられる。本殿は三間社入母屋造り、拝殿は二重入母屋楼門造りでともに室町時代の様式をよく伝えている建物である。本殿の正面にある三つの蟇股にそれぞれ松竹梅の彫刻が見られるが、これはわが国で建築の装飾に松竹梅の組み合せをとりいれた最も時代の古いものとして有名である。 社宝として、重要文化財「紙本墨画天神図(昭和四八・六・六国指定)」がある。
本社の例祭は、一一月二五日で、二十三日からの神幸式には大拝司、花神子参向の古式神事が執行され、山口天神祭と称されている盛大な祭りである。
    山口県教育委員会
    山口市教育委員会


狛犬。
狛犬は平成2年のものですが、台座は戦前のものです。
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授与所。
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参集所。
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手水舎。
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絵馬を掛けるようになっています。
絵馬はもちろん道真様。
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参考文献:
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2020)
  P653「古熊神社」
『大内氏時代山口古図』(山口県文書館蔵)
  ※「軸物史料218」は山口県文書館の「高画質画像ダウンロード」サイトでインターネット公開されています。
『古画類聚』(松平定信/編 1795(寛政7))
  ※東京国立博物館の研究情報アーカイブでインターネット公開されています。



【次回に続く】
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鳥の詩 @ 中原中也記念館 屋外展示 [2020年06月23日(Tue)]
今年度の中原中也記念館の屋外展示は「鳥の詩」ですぴかぴか(新しい)
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前期(5月〜10月)は、「夏と私」「閑寂」「夜明け」の三つの詩が展示されていますかわいい

夏と私
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真ツ白い嘆かひのうちに、
海を見たり。鷗[かもめ]を見たり。

高きより、風のただ中に、
思ひ出の破片の翻転するをみたり。

夏としなれば、高山に、
真ツ白い嘆きを見たり。

燃ゆる山路を、登りゆきて
頂上の風に吹かれたり。

風に吹かれつ、わが来し方に
茫然[ばうぜん]としぬ、……涙しぬ。

はてしなき、そが心
母にも、……もとより友にも明さざりき。

しかすがにのぞみのみにて、
[こまね]きて、そがのぞみに圧倒さるる。

わが身を見たり、夏としなれば、
そのやうなわが身を見たり。
  
      (一九三〇・六・一四)

 
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初出は『桐の花』第15号(昭和5年10月)。昭和5年6月14日書かれた原稿が「ノート小年詩」に残されている。
深い悲しみを抱える〈私〉には、心の内の嘆きと、目の前に広がる夏の風景とが重なり合うように見えている。過去を思い悲嘆に暮れ、希望を前に何もなしえない自分、夏になるたび、そのような自分を見つめる〈私〉がいる。〈鷗〉の姿は、〈真ッ白い〉と表現された響きや、〈思ひ出の破片〉が翻るさまと呼応するかのようである。




閑寂
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なんにも訪(おとな)ふことのない、
私の心は閑寂だ。
    
    それは日曜日の渡り廊下、
    ――みんなは野原へ行つちやつた。

板は冷たい光沢(つや)をもち、
小鳥は庭に啼[な]いてゐる。

    締めの足りない水道の、
    蛇口の滴(しづく)は、つと光り!

土は薔薇色(ばらいろ)、空には雲雀(ひばり)
空はきれいな四月です。

    なんにも訪(おとな)ふことのない、
    私の心は閑寂だ。

 
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初出は『歴程』第二次創刊号(昭和11年3月)。詩集『在りし日の歌』収録。
〈私の心〉を乱すものは何も無く、その心境を映すように静かな春の日の情景が断片的に描かれている。〈小鳥〉や〈雲雀〉の姿はわずかに音や動きを感じさせるが、それらも静けさの一部として存在する。
(略)

「閑寂」は『サンデー山口』(第7225号 2020(令和2)年4月18日㈯号)「詩の栞」No.13に掲載されていました。
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▲2020年4月18日付『サンデー山口』(第7225号)「詩の栞」No.13

ぽっかりと空いた時間。屋外にはのどかな春の風景が広がっていますが、詩人はむしろ無為を楽しんでいるようです。俳人の山頭火は中也と直接会うことがなかったのですが、この詩の〈蛇口の滴は、つと光り!〉の一行について「これは俳句だ」と言ったと伝えられています。
  中原中也記念館館長 中原 豊




夜明け
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夜明けが来た。雀の声は生唾液(なまつばき)に似てゐた。
水仙は雨に濡れてゐようか? 水滴を付けて耀[かがや]いてゐようか?
出て、それを見ようか? 人はまだ、誰も起きない。
(にはとり)が、遠くの方で鳴いてゐる。――あれは悲しいので鳴くのだらうか?
声を張上げて鳴いてゐる。――井戸端はさぞや、睡気(ねむけ)にみちてゐるであらう。

[おけ]は井戸端の上に、倒(さかし)まに置いてあるであらう。
御影石[みかげいし]の井戸側は、言[こと]問ひたげであるだらう。
苔は蔭[かげ]の方から、案外に明るい顔をしてゐるだらう。
御影石は、雨に濡れて、顕心[けんしん]的であるだらう。
(とり)の声がしてゐる。遠くでしてゐる。人のやうな声をしてゐる。

おや、焚付[たきつけ]の音がしてゐる。――起きたんだな――
新聞投込む音がする。牛乳車(ぎうにうぐるま)の音がする。
《えー……今日はあれとあれとあれと……?………》
(くち)が力を持つてくる。おや、烏(からす)が鳴いて通る。

       (一九三四・四・二二)

 
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未発表詩篇。昭和9年4月22日制作。中也没後に『創元』第1輯(昭和21年12月)に掲載。
まだ誰も起きていない夜明けの風景。詩人は庭にあるさまざまな物たちが、それぞれに朝を迎える様子を思い描いている。そこへ〈雀〉〈鶏〉〈烏〉の声が入り込むことで、想像の世界に現実味が加わっていく。次第に人々が目覚め、賑やかになっていく一日の始まりを、想像と聞こえてくる音だけで表現した作品である。



中也の詠うたわいのない朝の情景のなんと愛おしいことか。
何気ない日常がどんなに大切なものであるか、今回のことで身にしみました。

5月18日までの1ヶ月余り鉄柵が閉まっていた中原中也記念館・・・傍を車や徒歩で通る度、とても寂しく思っていました。

自由に入ることのできる中庭は観光客や市民の皆さんの憩いの場でした。記念館に入るでもなく、椅子に座って本を読んだりしてくつろぐ人、中にはランチをする人もいたり・・・・・・そんな光景が戻るといいですね。
神福寺に行きましたB [2020年06月22日(Mon)]
【前回の続き】

神福寺には、境内から墓地を通って七尾山の麓を巡る神福寺八十八ヶ所がありますぴかぴか(新しい)

弘法大師。
丸彫坐像。46cm。神福寺八十八ヶ所の第一番です。
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十三重塔。
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光明塔(納骨堂)。
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地蔵。
丸彫半跏像。113cm。「天保十三」(1843年)と彫られています。
改座した時、台座の下より大量の小銭が発見されたそうです。
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庚申塔。
自然石。105cm。「寛政四子」(1792年)と彫られています。
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六地蔵。
光背型浮彫立像。コンクリート製で六体が一つになっています。
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宝篋印塔。
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五輪塔。
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弘法大師。
神福寺八十八カ所の二十二番。足王様の表示があるようです。
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庚申塔。
角柱。49cm。
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青面金剛。
光背型浮彫立像。一面六臂。50cm。
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地蔵。
丸彫立像。81cm。「文政五壬午歳」(1822年)
神社 御納経」と彫られています。神仏混肴の名残でしょうか。
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地蔵。
丸彫坐像。高さ32cm。頭痛山地蔵菩薩といわれ、頭痛を治してくれる地蔵として信仰されているそうです。
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如意輪観音。
丸彫坐像。高さ46cm。耳観音様として信仰されているそうです。
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裏山にも弘法大師像が続きます。
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屋根があるお大師様がいらっしゃれば、祠に入ったお大師様もいらっしゃいます。
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テイカカズラの花がたくさん落ちていました。上を見ても、木々はあまりに高くテイカカズラの姿は見えませんでした。
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地蔵。
丸彫立像。130cm。
墓地東側にある無縁佛の守護地蔵として移設されたとのことです。
享保十六亥」(1731年)「三界万霊」と彫られています。
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神福寺第五十一番札所。
五十一番の弘法大師像の堂です。
丸彫坐像のようですが、見ることができません。
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地蔵。
丸彫半跏像。94cm。水子地蔵として信仰されているそうです。
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南無当山稲荷大明神。
稲荷なので赤い鳥居があります。
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この辺りで来た道に戻るので、八十八ヶ所巡ったことになります。
八十八番札所は道の一番高いあたりにある奥の院堂だそうです。


参考文献:
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口市の文化財を守る会/篇 山口市教育委員会 2004.3)
  P20〜2「大殿の地蔵」No.47,No.48,N0.49,No.51,No52
  P39「大殿の六地蔵」No.7
  P46「大殿の観音」No.4
  P58〜9「大殿の諸佛」No.18,No.19,No21
  P90〜2「大殿の塔」No.54,No.58  
  P113〜4「大殿の庚申」No.14,No.15,No.16
神福寺に行きましたA [2020年06月21日(Sun)]
【前回の続き】

神福寺ではチェックすべきポイントが三つありますぴかぴか(新しい)

かわいい木造十一面観音立像
宮野の泊瀬観音堂にあった十一面観音があります。(秘仏なので拝観できませんが)

観音堂。
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「木造十一面観音立像」説明板。
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重要文化財 
木造十一面観音立像
   大正六年八月十三日指定
   所在地 山口市八幡馬場八一三番地
この像は、寺伝によれば大内氏の祖である琳聖太子が百済国から来朝したときに請来されたものと伝えられている。中国唐代の作と考えられる。一木造り、素地で、材は楠とも桜ともいわれはっきりしない。後には大内政弘の念持仏として、宮野の泊瀬観音堂の本尊になっていたが、堂の荒廃にともなって神福寺に移され祀られている。
秘仏のためふだんは公開されていない。蓮華座の上に立つ高さ49.5cmの小像であるが、製作年代が古いことと作りがすぐれていることにより、指定されている。
十一面観音の特徴は、頭上に十一面の化仏を載せていることで、祈念すれば現世利益十種と来世の果報四種の功徳があるといわれている。
本像は化仏の多くが脱落しており、五面しか残っていない。また、両手の指先、鼻頭や口唇に破損している所があるのは惜しいことである。
  秘仏であるので、通常は拝することはできない。
     山口県教育委員会
     山口市教育委員会


観音堂の蟇股。
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毎月21日には、ここの扉は開かれるのでしょうか、来てみないといけません。
ただ、厨子に入っている十一面観音は見ることできません。次のご開帳はいつなのでしょうか?
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周防国三十三番観音の二十九番となっています。
因みに、二十八番は花滝山清水寺、三十番は大梅山大通四海寺です。
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享保七年(一七二二)出版の「当国(周防国)順礼手引き」によれば、南北朝時代に大内弘世は深く観音を信仰し、所領の本国防州内に三三番の観音堂を定めたことに始まると伝えている。その二十六番から三十三番までが吉敷郡内の観音霊場である。
(略)
○二十九番同郡山口蜘蛛山泊瀬寺
 当山者大内之建立、本尊十一面観音、唐仏也
  みなひとのねがふこころはみねのつき、あまねくてらすのちのよまで
 どうは二けん四めん、たつみむき、はせよりだいつういんへ三十丁

(『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)P337〜8抜粋)

大阪市立美術館「仏像 中国・日本〜中国彫刻2000年と日本展・北魏仏から遣唐使そしてマリア観音へ」(2019年10月12日(土)〜12月8日(日))で展示されていたとのこと、行けばよかった・・・・・・残念もうやだ〜(悲しい顔)
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▲大阪市立美術館 特別展「仏像 中国・日本〜中国彫刻2000年と日本展・北魏仏から遣唐使そしてマリア観音へ」チラシ

チラシの一番左の仏像が神福寺の十一面観音ですexclamation×2
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東京国立博物館 特別展「名作誕生−つながる日本美術」(2018年4月13日(金)〜5月27日(日)でも展示されていたみたいですね。



かわいい古い宝篋印塔
裏山(七尾山)の墓地に行く途中の僧侶墓地と思われる一角にあります。

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永正17年(1520年)の宝篋印塔。義興の時代です。
永正拾七年十月廿日」とはっきり入っています。
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天文5年(1536年)の宝篋印塔。義隆の時代です。
天文五年
 法印宥任
 六月□日

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かわいい近藤清石翁の墓
墓地にあります。

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近藤清石(1833(天保4)〜1916(大正5))は、萩の豪家大玉新右衛門二男として生まれ、のち藩士近藤家を嗣ぎました。藩校明倫館に1859(安政)6年に入学、国学者近藤芳樹に師事し国学を修めました。諸国を遊歴、伊勢の足代弘訓から強い影響を受けました。
萩藩士(御手廻組)として密用方助筆、右筆役などを歴任しました。
1866(慶応2)年には戊午(安政5年)以来の事跡編纂掛となり、古記録の調査にあたりました。
1868(明治元)年、議政局書記を経て、1872(明治5)年、山口県庁御用掛、山口県神官教導職管事を兼任。1873(明治6)年、玉祖神社宮司、地誌訂正取調掛兼務となり、社家の指導につとめる一方、地誌および旧記の編纂に尽力しました。この間に『山口県地誌略属用地図』(宮川臣吉 1878)、『山口県史略』(博古堂 1883)などを著しました。
旧記掛時代の1881(明治14)年、同掛の編纂費用を用い興隆寺の蔵を購入、県庁へ移築。「旧記庫」として利用し、旧藩庁文書などの記録保存の基盤を整備しました。
1885(明治18)年に地誌局廃止のため退官。以後、郷土史の研究を精力的に行い、『防長旧族志』、『大内氏実録』(中元壮作・宮川臣吉 1885)、『山口名勝旧蹟図誌』(宮川博古堂 1894)など防長両国の史実に関する数多くの著作を残しました。
1901(明治34)年、山口県から防長風土記編纂方を委嘱され、4年半をかけて研究の集大成となる『山口県風土誌』をまとめました。
また、和歌・随筆・絵画にも秀で、後に山口の特産品となる大内塗を復興し、1884(明治17)年には雪舟の古跡雲谷庵を再建しました。 

50903907-1F81-46D7-AF77-23C45DF257D1.jpeg玉祖神社(防府市) 
28E7B4B4-01A5-44EA-BCD3-25DA27345CE1.jpeg大内塗 
IMG_1517.JPG雲谷庵(山口市天花)    



参考文献:
『山口市史 各説篇』(山口市史編纂委員会/編 山口市役所 昭和46.3)
  P337〜9「周防国三十三番観音」
『山口県地誌略属用地図』『山口県史略』『大内氏実録』『山口名勝旧蹟図誌』
  ※国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されています。
『山口市の石仏・石塔(2)―大殿・白石・湯田―』(山口市の文化財を守る会/篇 山口市教育委員会 2004.3)
  P91「大殿の塔」No.55,No.56
 


【次回に続く】
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