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こどもと本ジョイントネット21・山口


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猿林暁月 @ 山口十境詩 [2020年05月31日(Sun)]
古熊神社の鳥居をくぐったところに
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『山口十境詩』の一つである「猿林暁月」 の詩碑がありますぴかぴか(新しい)
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「猿林暁月」石碑。
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猿林暁月
曙色初分天雨霜
凄々残月伴琳琅
山人一去無消息
驚起哀猿空斷腸


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猿林えんりんの暁月ぎょうげつ
曙色しょしょく、初はじめて分あきらかなり
てんの霜しもをして雨らしむる、と
凄々せいせいたる残月ざんげつ、琳琅りんろうを伴ともな
山人さんじんひとたび去って、消息しょうそく
驚起きょうきすれば、哀猿あいえんむなしく腸はらわたを断


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猿林の由来
あけぼのの陽光によって、ようやく晴れあがってきた。
寒気のきびしい霜の朝である。
さむざむとした残月が、玉がふれ合って
鳴る音色を奏でるように空にある。
山居していた隠者はひとたび去って以来
たよりひとつもよこさない。
夜明けにおどろいて起きれば、
野猿が悲しげに鳴く声に断腸の思いがする。


古熊猿林について
 猿林とは、古熊にあった永興寺跡から現在の古熊神社一帯の山林を指す。
 大内氏第二十三代弘幸は延慶二年(一三〇九)に臨済宗永興寺を創建したが後に荒廃した。
 大内氏の学問の源流は重弘、弘幸、弘世三代の禅宗信仰によるもので、鎌倉末期から大内氏の臨済宗信仰はとくに厚く室町以後の山口文化の根底は、大内氏と京都五山名僧との交流によって展開された。
 古熊神社は應安六年(一三七三)に大内弘世が京都北野天神を勧請し市内北野小路に鎮座していたものを、元和四年(一六一八)に毛利秀就が古熊に移した。菅原道真が祭神で本殿、拝殿ともに国指定重要文化財となっている。



古熊猿林とは、古熊にあった永興寺跡から現在の古熊神社一帯の山林を指すそうです。

椹野川に架かる赤い天神橋を渡って山の方に向かって行くと古熊神社あります。
道の両脇は田園風景だったという思い出がありますが、今は家が建ち並び様変わりしていました。
以前は確か途中に「古熊の猿林」の大きな標識があったと思いますが、それもありませんでした。

中国では、猿の鳴き声は悲しく響くとされています。
杜甫の「登高」にも

風急天高猿嘯哀   風急に天高くして猿嘯くこと哀し
風が激しく吹き、空は抜けるように高く澄み渡って、猿の啼く声が悲しい

とあります。

明使 趙秩が山口に滞在したのは、1372〜1373年のことです。
古熊神社つまり弘世の勧請した「北野天神」が遷座したのは1373(応安6)年10月ですが、それは北野小路であり、もちろん、この地にありませんでした。
弘世の父 弘幸(?〜1352(正平7/観応3))の菩提寺である永興寺はありましたが・・・・・・。

当時はこの辺りはまだまだ寂しいところだったのでしょう。
企画展I「〈汽車が速いのはよろしい〉― 中也の詩と乗り物」見学 @ 中原中也を読む会 [2020年05月30日(Sat)]
新型コロナウィルス感染拡大防止のため3月、4月、5月と中止となっていた「中原中也を読む会」ですが、6月26日(金)は予定通り開催されますぴかぴか(新しい)

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中原中也を読む会は、テーマに沿った中也の詩などを読み込んだり、詩に曲をつけたものを聞いたり、記念館の展示を学芸員の解説とともに見学するなど、気軽におしゃべりしながら、中也の詩の世界を楽しく味わう会です。 詩にちょっと興味はあるけど、なんか難しそう…という方にお薦めでするんるん

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企画展I「〈汽車が速いのはよろしい〉― 中也の詩と乗り物」を学芸員による解説と共に見学し、その後、中也の詩を読み深めます。

るんるん日 時るんるん 2020年6月26日(金)13:30〜15:00
るんるん場 所るんるん 中原中也記念館
るんるん参加費るんるん 無料 
るんるん定 員るんるん 5名(要申込・先着順)
  ※新型コロナウィルス拡大防止のため定員が設定されました
るんるん申込・問合先るんるん 中原中也記念館 電話083‐932-6430

※新型コロナウィルスの影響により急遽中止・内容変更する場合があるそうです。

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シランが花盛りです [2020年05月29日(Fri)]
シランはランの中ではとてもポピュラーで、鮮やかな赤紫色で春を彩る花の一つですが、我が家にはありませんでした。
そのシランを4本いただき、枯れてはいけない、と別々の場所に2本ずつ植え、その一つに今年やっと花がつきましたぴかぴか(新しい)
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維新記念公園(5月1日)に行ってみると、あちこちで咲き誇っていました。
維新記念公園はシランの名所ですわーい(嬉しい顔)
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花が紫色の蘭ということから紫蘭(シラン)という名前がついたようです。
別名は、ベニラン(紅蘭)、シュラン(朱蘭)、シケイ(紫宦jといいます。
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国立東京国立博物館が所蔵する重要文化財に紙本墨画「蘭專ッ芳図」というのがあります。
南北朝時代に、建仁寺や南禅寺の住持をつとめた名僧 玉畹梵芳(ぎょくえんぼんぽう)(1348〜1424)が描いたものです。
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▲「蘭專ッ芳図」(玉畹梵芳/筆)(国立東京国立博物館蔵)


「蘭專ッ芳」は、蘭と宸ェともによい香りを発するので、優れた人徳のたとえに用いられることに由来します。
この宸ェ、シランのことです。

日本最古の漢詩集『懐風藻』(751(天平勝宝3))の「暮春於弟園池置酒」(従三位兵部卿兼左右京大夫藤原朝臣万里〈藤原麻呂〉)に

絃歌迭奏、蘭專ッ欣
絃歌迭奏し、蘭專ッじく欣ぶ

とあります。
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▲「藤原朝臣麻呂」(『前賢故実 巻第2』(菊池容斎 (武保)/著 雲水無尽庵 明1)(国立国会図書館蔵)


万葉集には「(けい)」という名で登場しますかわいい
ただ、歌の中には読み込まれていませんが、
巻17ー3967,3968の題詞にあります。
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『[曼朱院本]萬葉集』巻17-3967,3968(京都大学附属図書館蔵)

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『万葉集』巻17-3967,3968(清水浜臣 国立国会図書館蔵)

忽辱芳音翰苑凌雲 兼垂倭詩詞林舒錦 以吟以詠能蠲戀緒春可樂 暮春風景最可怜 紅桃灼々戯蝶廻花儛 翠柳依々嬌鴬隠葉歌 可樂哉 淡交促席得意忘言 樂矣美矣 幽襟足賞哉豈慮乎隔藂琴趨ウ用 空過令節物色軽人乎 所怨有此不能黙已 俗語云以藤續錦 聊擬談咲耳


『畫本野山草』(橘保国/作)には「紫宦@しらん シケイ」という名前で載っています。
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『畫本野山草』巻1「紫宦v(国立国会図書館蔵)

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『畫本野山草』巻1「志らん」(国立国会図書館蔵)

塊茎を漢方で白及(びゃっきゅう)といい止血薬にします。


維新記念公園のシランは5月27日現在は殆ど刈り取られていていました。葉もとてもいいのに残念ですもうやだ〜(悲しい顔)



参考文献:
「蘭專ッ芳図」(玉畹梵芳/筆)
  ※東京国立博物館「研究情報アーカイブズ」でインターネット公開されています。
『[曼朱院本]萬葉集』
  ※京都大学貴重資料デジタルアーカイブでインターネット公開されています。
『前賢故実』(菊池容斎 (武保)/著 雲水無尽庵 明1)
『万葉集』(清水浜臣)
『畫本野山草』
  ※以上3点は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
続きを読む...
特定外来生物オオキンケイギクが満開です!! @ 山口県S会館そばM川土手 [2020年05月28日(Thu)]
山口県S会館そばのM川の土手にキバナコスモスに似た花が咲き誇っていますぴかぴか(新しい)
これって、もしかしたらオオキンケイギクではどんっ(衝撃)
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見分ける方法としては、葉っぱを見るのが一番だそうです。
キバナコスモスの葉は幅が広くてギザギザとしています。
オオキンケイギクの葉は、細長くてへら状をしています。
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ということは、やっぱり、オオキンケイギクですねむかっ(怒り)

以前、吉敷川の河川敷に群生しているのを見かけたことがありますが、最近見ないような気がしていました。
まさか、こんなところに生えているなんてちっ(怒った顔)
そういえば、今年コロナの影響で、川土手の草刈り(市内一斉清掃)ができなかったからでしょうかexclamation&questionexclamation&question

38154B3F-0D83-498D-9598-5CE043440424.jpeg以上2020年5月20日撮影

ご存知でしょうが、オオキンケイギクは、特定外来生物です。

和 名 オオキンケイギク
科 名 キク(Compositae)
学 名 Coreopsis lanceolata
英語名 Lanceleaf tickseed
原産地 北アメリカ(ミシガン〜フロリダ、ニューメキシコ)原産である
特 徴 キク科の多年生草本で、高さは0.3〜0.7m程度である。
    温帯に分布する。路傍、河川敷、線路際、海岸などに生育する。
    開花期は5〜7月。頭状花。虫媒花。痩果をつける。
    ホソバオオキンケイギク、アラゲオオキンケイギクを区別する文献もある。
定着実績 1880年代観賞用、緑化用に導入。全国的に逸出している。

環境省「オオキンケイギク」より抜粋)

「特定外来生物」とは、外来生物(海外起源の外来種)であって、生態系、人の生命・身体、農林水産業へ被害を及ぼすもの、又は及ぼすおそれがあるものの中から指定されます。
特定外来生物は、生きているものに限られ、個体だけではなく、卵、種子、器官なども含まれます。

環境省「外来生物法」より抜粋)


外来種被害予防三原則
1.入れない
 〜悪影響を及ぼすおそれのある外来種を自然分布域から非分布域へ「入れない」。
2.捨てない
 〜飼養・栽培している外来種を適切に管理し、「捨てない」(逃がさない・放さない・逸出させないことを含む)。
3.拡げない
 〜既に野外にいる外来種を他地域に「拡げない」(増やさないことを含む)。

環境省「外来種被害予防三原則」より引用)


では見つけた私はどうしたらいいのでしょうか?
山口県のサイトを検索したところ

もし、家の周りで見つけた場合には、種ができないうちに刈り取るか、根を残すことなく引き抜くようにしましょう。
山口県環境生活部自然保護課自然・野生生物保護班「オオキンケイギクについて」より抜粋)

とありました。


私には、急斜面の土手で刈り取り作業をする実力はないので、とりあえず、当該地区の町内会役員の方に相談してみますパンチ


環境省の特定外来生物のサイトに「特定外来生物オオキンケイギク」のリーフレットがありました。
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(リーフレット『特定外来生物オオキンケイギク 中国・四国版』(環境省・中国四国環境事務所 野生生物班 2017.2改訂))【PDF 外面 内面

ほかのキク科の植物と同じように、中心部に管状花、その周りに舌状花があります。
形としては、コスモスの花に似ています。

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下の方につく葉は鳥の羽根のように枝分かれするものや、深く切り込むだけなど様々な形をしています。茎の同じ場所から対になって葉が生えています(対生)。
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公園や川原、土手など公共の場所に生えている場合は、その管理者と相談しながら駆除を進めていく必要があります。
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山口県の管理する河川一覧」の中にM川があったので、山口県が管理者のようです。
山口県土木建築部河川課に連絡した方がいいのでしょうか?


山口市環境部のHPに山口市環境部の作ったチラシもありました。
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(チラシ「オオキンケイギクはみんなで駆除しましょう!」(山口市環境部環境政策課環境共生担当))
続きを読む...
ホオノキの花 × 西の魔女が死んだ @ ホオノキB [2020年05月27日(Wed)]
【前回の続き】

ホオノキの花は一斉には咲かず、開花日がバラバラになるように咲くので、花が変化していく様子が観察できます。
写真のように一つの枝に、これから咲く蕾、開きかけの蕾、開いたばかりの花、雄蕊が落ちた花、咲き終わって花被片の散ったものが混在しています。
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その花は陽の光を浴びて開きます。少し古くなると開いたままですが、陽がかげると閉じ、陽が射して明るくなるとまた開くのです。

ホオノキの花は時期によって性転換します。
開花1日目は雌性期(しせいき)(雌蕊が開き、雄蕊は閉じている)、いったん花を閉じて2日目は雄性期(ゆうせいき)(雄蕊が開き、雌蕊は閉じている)です。
これを「雌性先熟」といいます。
同花受粉を防ぐためです。

朴の木が咲くと匂いでわかります

ホオノキの花は、蜜を出さないで香りで虫を誘う虫媒花です。
マルハナバチ、ハナアブ類、ハナムグリなどの甲虫類が花粉を食べる虫が訪れます。


撮った写真を見てみましょう。
中央にある赤い雌蕊の柱頭部をそり返らせ、花粉を受け取れる状態になっています。雄蕊は閉じています。【雌性期】
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上部の雌蕊の柱頭は閉じた状態となり、下部の雄蕊の葯が裂開して花粉を出します。【雄性期】
花糸は赤色、葯は黄白色です。
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雄蕊の一部は花披片上に落ちています。
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さらに雄蕊が落ちています。
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花被片は褐色になり、閉じた雌蕊の柱頭は緑色になっています。
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雄蕊は落ち、花被片も落ちかけています。
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こちらは、花被片は落ち、雄蕊が少し残っています。
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雄蕊も花被片もすっかり落ちています。
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受粉できたのか雌しべだった子房が膨らんでいます。
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「それから、沢の向こうに、大きな白い花をいっぱいつけた木があったよ」
「ああ、それは朴の木です。その花は陽の光を浴びて開きます。少し古くなると開いたままですが、陽がかげると閉じ、陽が射して明るくなるとまた開くのです。朴の木が咲くと匂いでわかります」
「何か、甘ずっぱい匂いがしていた」
「そうでしょう。何だかふらふら誘われていきそうですね。」

(愛蔵版『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』(新潮社 2017.4)P152より引用)

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森の中で、この花に出会ったら、甲虫でなくともふらふら誘われていきそうな高い香りの花です。
何ともいえない甘い爽やかな香りに包み込まれて、とても元気をもらいました揺れるハート

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『西の魔女が死んだ』は、学校生活に悩む人、社会に疲れた人に特にお勧めです。
ホオノキA [2020年05月26日(Tue)]
前回の続き

『西の魔女が死んだ』から少し離れます。

ホオノキは、山口県内の山地にも自生するモクレン科モクレン属の落葉高木です。
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木材は狂いが少なく、細工物やまな板などに利用されるそうです。
昔はマッチの軸木、下駄の歯(朴歯下駄)、鉛筆材、木版材(浮世絵の下絵に用いられました)、日本刀の鞘はホオノキを加工して作られていました。
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葉は20cmから40cmと大きいです。
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枝先に集まって付くので、輪生(1か所から3つ以上、輪のように葉が出ること)のように見えます。
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こういうのを偽輪生というのだそうです。
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よく見ると、ちょっとだけ葉っぱの出る所がずれています。
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互生です。
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葉の裏側は白い粉を吹いたような白っぽい色です。
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ホオノキの大きな葉は「朴葉(ほおば)」とも呼ばれ、食べ物を盛るための器として利用され、包んだりするのに使われてきました。
福井で「朴葉飯」、高山で「朴葉味噌」「朴葉焼き」を食べたことがあります。

ホオノキの別名ホオガシワのカシワは、古来、食物を盛るのに用いる葉の総称です。

万葉集には「保寶葉」「保寶我之婆」「保寶我之波」(ほほがしは)として登場します。

万葉集巻19-4204、4205に「見攀折保寶葉歌二首」(攀(よ)ぢ折(を)れたる保寶葉を見る歌二首)です。
4204番は「講師僧恵行」(講師(国分寺の僧)である僧恵行)、4205番は「守大伴宿祢家持」(越中国守である大伴家持)の歌です。
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『万葉集』巻19-4204〜5(清水浜臣)(国立国会図書館蔵)

吾勢故我 捧而持流 保寶我之婆 安多可毛似加 青盖
わがせこが ささげてもてる ほほがしは あたかもにるか あをききぬがさ
我が背子が 捧げて持てる ほほがしは あたかも似るか 青き盖
あなた様が高く差し上げて持っている(さしかざしている)ホオガシワはあたかも貴人にかざす青い蓋(きぬがさ)に似てますね。

「捧(ささ)ぐ」は「両手で高く差し上げる」こと。
「蓋(きぬがさ)」は「絹で張った長い柄の傘」で、貴人が外出の際、従者が背後からさしかざしました。
補注によると、蓋は、三位以上の者が用いることになっており、一位の者は「深緑色」であったとあります。
家持が青々としたホオノキの葉を持っている様子を、一位の人の「蓋」のようだと、僧恵行は讃えています。

皇神祖之 遠御代三世波 射布折 酒飲等伊布曽 此保寶我之波
すめろきの とほみよみよは いしきをり きのみきといふぞ このほほがしは
皇神祖の 遠御代御代は い重き折り 酒飲みきといふぞ このほほがしは
皇祖の遠い昔から代々、葉を折り重ねて酒を飲んだということですよ、このホオガシワは。

「皇神祖(すめろき)」は「皇祖以来の歴代諸天皇」を指します。他に「天皇」「皇祖神」「皇祖」等とも表記されます。
「いしく」の「い」は接頭辞です。
「しき」は動詞「し(頻)く」で「くりかえし」「たびたび」の意で使われており、「いしきおり」で「くりかえし折る」の意です。
また、動詞「敷(し)く」で「(食物を盛るために、木の葉を)平らに広げる」の意で使われ、「いしきおり」で「平らに広げて折る」とも考えられます。
家持は、僧恵行の詩に対して、ホオノキの葉で酒を飲んだ昔を述べて葉を讃えました。


ホオノキの幹や枝の皮は、漢方の生薬として使われ、「厚朴(こうぼく)」と呼ばれています。
『本草図譜』巻82 喬木類1には「厚朴」として載っています。
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『本草図譜』巻82 喬木類1「厚朴」

いわゆるホオノキです。日本産のものは「和厚朴」と呼ばれています。
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『本草図譜』巻82 喬木類1「厚朴 一種」

そして、中国産の厚朴である「ほゝのき 唐厚朴」も載っています。
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▲『本草図譜』巻82 喬木類1「ほうのき 唐厚朴」



参考文献:
『万葉集』(清水浜臣)
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)
  ※以上は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。


【次回に続く】
ホオノキの花 × 西の魔女が死んだ [2020年05月25日(Mon)]
5月はホオノキの花が見ごろ
5月に開花の見頃を迎えるのはホオノキ、白い大輪の花は夏の季語でもある。


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▲『サンデー山口』第7232号(2020.5.16)

という記事を地域情報誌『サンデー山口』に見つけ、山口県林業技術部山口県林業センター(山口市宮野上1768-1)に行ってみましたぴかぴか(新しい)

ホオノキの花には、梨木香歩さんの『西の魔女が死んだ』を読んだ時からずっと会ってみたいと思っていました。
主人公まいが、「空中に咲く蓮の花」と呼んでいた花ですかわいい

『西の魔女が死んだ』については、「銀龍草(ギンリョウソウ) × 西の魔女が死んだ」で既にアップしました。
本書の初版の楡出版(1994.4)の表紙はホオノキの花のイラストが使われています。その後、小学館(1996.3)、新潮文庫(2001.8)、 新潮社(愛蔵版『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』 2017.4)から3冊出ましたが、初版とは装幀が変わってしまい、ちょっと残念ですふらふら
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▲『西の魔女が死んだ』(梨木香歩/作 楡出版 1994.4)

さて、お目当てのホオノキは、樹木見本園ではなく、奥の駐車場のところに生えていました揺れるハート
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車から降りると、「何かとても甘やかな匂い」に包み込まれました。
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高い大きな樹木に「白い大きな花」が咲いているので、これがホオノキだとすぐ分かりました。
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でも、他の花木のように一斉に鮮やかに咲き誇るのではなく、こちらにぽつん、あちらにぽつんという咲き方です。
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幾つも幾つもまるでぼんぼりを灯すようにしてつけている」と表現されています。
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泰山木を一回り大きくした」ような大きな花です。
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萼と花弁は未分化だそうです。そんな萼と花弁をまとめて花被片いいます。
全体が花弁に見えますが、外側の3枚はなんとなく萼に見えないことはありません。
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空中に咲く蓮の花」とは言い得て妙ですひらめき
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蕾も、けっこう、ハスの花に似ている気がします。
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雄蕊も花被片もすっかり落ちた花がありました。
もしかしたら、まいにはこれが雪洞の蝋燭に見えたのかもしれません。
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 ここはいつか来たことがあるような気がする、とまいはぼんやり思った。
 ふと、急に空が明るくなって陽が微かに射し込んだ。同時に何かとても甘やかな匂いがして、まいはその方角に瞳を凝らした。
 沢の向こう側の山の斜面に、二、三十センチはありそうな白い大きな花を、幾つも幾つもまるでぼんぼりを灯すようにしてつけているのが目に入った。花は泰山木を一回り大きくしたようでもあり、蓮の花のようでもあった。
 そうだ、あれは空中に咲く蓮の花だ。おばあちゃんは、蓮の花は空中には咲かないと言っていたけど、霧の中で夢のように咲いている。まいはすっかり魅了されて動けなかった。ああ、おばあちゃんの言うとおり、人間に魂があるのなら、その魂だけになってあの花の廻りをふわふわと飛遊していられたらどんなに素敵だろう。

(愛蔵版『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』(新潮社 2017.4)P140より引用)


【次回に続く】
シャクヤク × 和菓子 [2020年05月24日(Sun)]
シャクヤクの一重咲きで、雄蕊が大きく発達して盛り上がったを花を「金蕊咲き」と呼ぶそうです。
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その雄蕊を見ていると、上生菓子を想い起しますぴかぴか(新しい)
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イメージでいうと、上生菓子のきんとん(金団)です。
餡・求肥などの芯に、練切り餡のそぼろをきせた生菓子です。
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国立国会図書館の「あれもこれも和菓子」というサイトで、『御蒸菓子図』という江戸時代、菓子屋から出された和菓子のカタログを見つけました。
その中から、シャクヤクの蕊に似た御菓子を自分なりにセレクトしてみました。(達筆過ぎて読めないところもありますもうやだ〜(悲しい顔)

金飩は「きんとん」のことです。
御蒸菓子図2 53-4  (2).png黄金飩

毛毬栗とは「いがぐり」のこと、毛毬餅はイガグリをイメージしたのでしょうか。
御蒸菓子図2 53-10 (2).png毛毬餅

御蒸菓子図2 53-17 (2).png□春 
御蒸菓子図2 53-20 (2).png八重正□ 
御蒸菓子図2 53-29 (2).png□錦 
御蒸菓子図2 53-30 (2).png初紅葉 
御蒸菓子図2 53-36 (2).png千代□ 
御蒸菓子図2 53-37 (2).png□千代
▲『御蒸菓子図』(国立国会図書館蔵)

『船橋菓子の雛形』には、「黄巾頓」と他のお菓子との三種盛の見本がありました。
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▲『船橋菓子の雛形』(国立国会図書館蔵)

その他『御蒸菓子図』(虎屋伊織)(東京国立博物館蔵)や『御蒸菓子絵形』(東京都立中央図書館特別文庫室蔵)などのいろいろな菓子見本帳を眺めていると楽しくなります。

シャクヤクの花弁を飴細工で作って、蕊は鶏卵素麺で作ったらどうかなどと、妄想しています。

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(2020年5月22日撮影)



参考文献:
『御蒸菓子図』
『船橋菓子の雛形』
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
『御蒸菓子図』(虎屋伊織)
  ※国立公文書館デジタルアーカイブでインターネット公開されています。
虹橋跨水 @ 山口十境詩 [2020年05月23日(Sat)]
萩往還の山口市木町橋の傍に、
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『山口十境詩』の一つである「虹橋跨水」 の詩碑がありますぴかぴか(新しい)
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虹橋は、木町橋のことではなく、山口市の天花にあった橋です。
1983(昭和58)年3月に治水ダムとして完工した一の坂ダム錦鶏湖に水没しました。
下の写真は、東鳳翩山山頂から一の坂ダム、錦鶏湖を写した写真です。
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「山口十境の詩について」の説明板。
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 山口市に天花という地名を持つ集落がある。室町時代の大内文化を偲ばせる優雅なひびきをもっている。
 大内文化は山口に「西の都」といわれる京風の街つくりをした大内弘世時代の五山文学普及によってつくられてきた。
 五山文学とは、室町幕府が京都五山として寺格を制定した天龍寺、相国寺、建仁寺、東福寺、万寿寺の各禅僧によって成立される。
 一三七三(文中二)年、明国から日本に渡来した趙秩が山口も訪れ、当時の景観から十カ所を選び作詩をした。今から約六三〇年前のことであった。

猿林暁月(古熊)
梅峯飛瀑(法泉寺)
初P晴嵐(宮野江良
C水晩鐘(宮野恋路
氷上滌暑(氷上)
南明秋興(御堀)
虹橋跨水(天花)
象峯積雪(象頭山)
鰐石生雲(鰐石)
温泉春色(湯田)
 
 以上の詩のうち、当時の風趣が残されていない場所はわずかであり、山口の自然はおだやかで美しい。十境の詩碑はその伝統に裏打ちされた歴史文化都市山口の証である。


「虹橋跨水」石碑。
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盤浸甃玉按東流
鞭石尋仙興未休
借得紫虹飛欲去
扶桑何處是三洲


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虹橋にじはし、水かわに跨またがる          
盤浸甃玉ぼんしんしゅうぎょく、東流に按じふ
石を鞭むちうち、仙せんを尋たずねて興きょういまだ休まず
りに紫虹しこうを得なば、飛んで去らんと欲ほっ
扶桑ふそう、何いずれの処ところか、是これ、三洲さんしゅう


「虹橋跨水」の詩の内容説明板。
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虹橋、水に跨る
水中に在る岩や美しく平らな岩が
東流する一の坂川に交わり出迎える
私は始皇帝よろしく海を渡り東方にある不老長寿の
神仙の世界を探し求めて興味が尽きない
仮に木造の虹橋ならぬ大空にかかる虹の橋を
渡れるならば空を浮遊して人間界から去ってしまいたい
仙界の扶桑はどのあたりか 、三州はいづこにありや

(虹橋はもと一の坂川上流の天花にあったが、ダム下に水没した。)

  詩の意訳と解説は郷土史家荒巻大拙氏による。


 【扶桑】日の出る東海(日本海)中にあり、扶桑(神木)が繁っている神仙の国
 【三州】渤海中にある蓬莱(ほうらい)、方丈(方壺)、嬴州(えいしゆう)の三神山

大空をわたる虹の橋に例えられような虹橋とは、どんな橋だったのでしょう。
学生の頃、一の坂川を上り、天花方面から東鳳翩山に登る学校行事がありましたが、もしかしたらその時、虹橋を渡っていたかも・・・・・・。

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「山口ゲンジボタル発祥地」の説明板もありました。
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ホタルの舞う季節になりました。
D2462550-8445-4A42-A797-8006D0E0C0A3.jpeg蛍かご
テイカカズラが咲いていますB [2020年05月22日(Fri)]
【前回の続き】

もちろん自生しているものばかりでなく園芸種も豊富です。
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(2018年5月22日撮影) 
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ハツユキカズラ
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何カズラかな?我が家のです。何年も刈り込んだこともないのに花も実もなりません。
今、新芽がきれいです。
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維新百年記念公園にある陸上競技場には、テイカカズラの仲間スタージャスミンの生垣が造られていまするんるん
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(2018年6月1日撮影)


万葉の時代は、テイカカズラは
都多(ツタ)・綱・津田(ツタ)・角(ツノ)・
石綱(いはつな)(イワツナ)・石綱(いはつた)(イワツタ)・石葛(いはつな)(イワツナ)
などと呼ばれていました。

『万葉集』巻6-1046に石綱を詠った歌があります。
平城京から恭仁京(くにのみやこ)に遷都した後、奈良の都が荒廃していくのを悲しんで詠んだ歌、三首のうちの一首です。

万葉集巻6ー1046(近衛文庫 京都大学附属図書館蔵)
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[曼朱院本]萬葉集 巻6-1046(京都大学附属図書館蔵)
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『万葉集』巻6-1044〜6(清水浜臣)(国立国会図書館蔵)
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傷惜寧楽京荒墟作歌三首
作者不審
ならのみやこのこうきょをいたみおしみてつくれるうたさんしゅ 

『万葉集』巻6-1046(清水浜臣)(国立国会図書館蔵)
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石綱乃 又變若反 青丹吉 奈良乃都乎 又将見鴨
いわつなの またをちかえり あおによし ならのみやこを またもみむかも
石綱の また変若かえり 青丹よし 奈良の都を またも見むかも
イワツナのようにまた若返って、奈良の都が栄えるのをまた見ることができるでしょうか。

 「石綱の」  「をちかへる」に懸かる枕詞 
 「青丹よし」 「なら」に懸かる枕詞
 「変若」   をち→復ち。もとにかえること。

ここで思い出すのが、「藤波の花は盛りになりにけり @ フジ@」で紹介した太宰府に赴任中の大伴旅人の歌(巻3-331)です。

吾盛 復将變八方 殆 寧樂京乎 不見歟将成
わがさかり またをちめやも ほとほとに ならのみやこを みずかなりなむ
我が盛り また変若めやも ほとほとに 寧楽の京を 見ずかなりなむ
わが権勢を誇っていた頃にまた復帰できるだろうか。いやいや、このまま奈良の都を見ずじまいになりそうだ。


巻2-135に「角」、巻3-282に「角」、巻3-423「葛」、巻9-1804に「都多」、巻13-3291に「津田」、巻13-3324・3325に「角」、巻17-3991に「都多」、巻19-4220に「都多」などと出てきます。



参考文献:
『万葉集』(近衛文庫)
『[曼朱院本]萬葉集』
  ※以上2冊は京都大学貴重資料デジタルアーカイブでインターネット公開されています。
『万葉集』(清水浜臣)
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
テイカカズラが咲いていますA [2020年05月21日(Thu)]
【前回の続き】

テイカカズラは、日本自生種だけあって、本当にあちこちに自生していますぴかぴか(新しい)

禅昌寺 参道(山口市小鯖)
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(2018年5月27日撮影)


禅昌寺 賽の河原(山口市小鯖)
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(2018年6月3日撮影)


玉祖神社 本殿裏の杜(防府市大崎)
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(2018年6月3日撮影)


鴻ノ峰(山口市)
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(2018年6月13日撮影)


馬庭(山口市朝田)
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(2018年6月23日撮影)


玉祖神社に種田山頭火の句碑がありました。
テイカカズラのことを詠った句ではありませんが、まして、テイカカズラは草本類ではありませんが、高木に立ち上っている様子がなんだか相応しい気がして・・・・・・。

雑草礼賛  
生えよ 伸びよ 咲いてゆたかな 風のすずしく 
山頭火



【次回に続く】
テイカカズラが咲いています@ [2020年05月20日(Wed)]
5月19日、ご近所のテイカカズラがきれいに咲いていますぴかぴか(新しい)
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人知れず樹木に咲く花に興味を持ってから、上を見て歩くことが多くなりました。
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そんな樹木にまつわりついて咲いているのがテイカカズラ。
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付着根を出して周りの木や石垣などによじ登ります。
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キョウチクトウ科テイカカズラ属のつる性常緑低木です。
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基部は筒状で、先端は5裂して広がり、全体としてプロペラ状になった直径2〜3cmの小花を多数付けます。
咲き始めは真っ白ですが、やがて淡い黄色に変化し、ジャスミンに似た芳香があります。
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一番最初に意識して見たのが、萩城下町です。
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(2018年5月23日撮影)

武家屋敷の築地塀とあまりにマッチしていたので、帰って調べてみると、
「テイカカズラ」だということが分かりました。
「テイカ」とは、あの、藤原定家exclamation×2

式子内親王(1149(久安5)〜1201(建仁元))を愛した藤原定家(1162(応保2)〜1241(仁治2))が、死後も彼女を忘れられず、ついに葛に生まれ変わって彼女の墓に絡みついたという伝説に由来します。
この伝説を脚色したものが金春禅竹(1405(応永12)〜1471(文明3)以前)の謡曲『定家』です。

式子内親王は、藤原定家の父である藤原俊成に師事していたことや、定家の日記『明月記』にはしばしば式子内親王に関する記事が登場することから、そのような伝承が生まれたのでしょう。

藤原定家が京都・小倉山の山荘で選んだとされる『小倉百人一首』には、二人の歌があります。
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『小倉百人一首』「式子内親王」「権中納言定家」(菱川師宣/画 本問屋 1680(延宝8))(国立国会図書館蔵)

89番歌  式子内親王
玉の緒よ たえなば絶えね ながらへば
忍ぶることの 弱りもぞする
 たまのをよ たえなばたえね ながらへば
 しのぶることの よはりもぞする


97番歌  権中納言定家
来ぬ人を 松帆の浦の 夕なぎに
焼くや藻塩の 身もこがれつつ
 こぬひとを まつほのうらの ゆふなぎに
 やくやもしほの みもこがれつつ



『和漢三才図会』巻第69 蔦草類「絡石」(寺島良安尚順/編 江戸時代)には、「「黄門定家卿の古墳の石に生ず」ことから「定家葛」の名前が付いた」と記されています。
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▲『和漢三才図会』巻第69 蔦草類「絡石」(国立国会図書館蔵)

絡石 ていかかつら
 石鮫 懸石 耐冬 雲花 雲丹 雲英 石皿 雲珠 石龍藤


椄絡石 和名豆太 俗云定家葛 相伝 黄門定家郷之古墳之 葉似薮柑ヤブコウジ 而無刻歯 無花実又蔓白汁

椄絡石。和名豆太。俗に定家葛と云ふ。黄門定家卿(藤原定家のこと)の古墳の石に生ず、因って之を名づくと相伝ふ。葉は藪柑子の葉に似て而も刻歯無く、花実無し。又蔓白汁も無し。


『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7には、「絡石 テイカカズラ」が、近縁種「チリメンカズラ」(縮緬葛)、「セキダカズラ」(雪駄葛)、「ハツユキカズラ」(初雪葛)、「ツルクチナシ、チョウジカズラ」等とともに紹介されています。

絡石らくせき
いはつな 万葉集、ていかかつら、さいのつの 尾州

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▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7「絡石」(国立国会図書館蔵)

山中に自生せり。細茎さいけい蔦生まんせい木石もくせきを絡まとい四時凋しぼまず。葉は胡頽子こたいし(ぐみ)に似て対生す。茎は白汁しるあり。夏月なつに花あり。五弁白色香あり。後細長さいちょうの角つのを結ぶ。長さ六七寸。(略)

一種 ちりめんかつら
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▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

葉絡石より小さくして皺あり、花実共に同じ  

一種 せきたかつら
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▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

山中の木石に貼す。形状絡石に似て小なり。夏月は緑色。冬月に至れば紅紫色(略)石皿なり。

一種 はつゆきかつら
本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7 絡石一種 19-12 初雪葛 倍率50% (2).png 
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

葉はていかかつらにより濶ひろく水蝋樹いぼたに似て深緑色。嫩葉(若い葉のこと)白色なるをはつゆきかづらと云。花は前條と同じ。実は一蔕てい両角下垂す。長さ一尺計ばかり。

一種 つるくちなし 丁子かつら
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▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)

藤蔓とうまん絡石の如し。葉は山梔子くちなしに似て小く花も亦山梔子にて小なり。白色黄心実亦細長の角あり。

一種 はうらいかつら
本草図譜 第4冊 巻31蔓草類7 絡石一種 19-13 (2).png
▲『本草図譜』第4冊 巻31 蔓草類7(国立国会図書館蔵)



参考文献:
『小倉百人一首』(菱川師宣/画 本問屋 1680(延宝8))
『和漢三才図会』巻第69 蔦草類「絡石」(寺島良安尚順/編 江戸時代)
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)
  ※以上は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。



【次回に続く】
シャクヤクが咲きました [2020年05月19日(Tue)]
今年も我が家のシャクヤクが咲きましたぴかぴか(新しい)
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2020年5月1日に維新百年記念公園で撮影したものです。
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シベリア、中国、モンゴルの原産で、日本には古く中国から渡来しました。室町時代には大内氏館に植えられていました。(「大内氏館(12)ソテツとシャクヤク」参照)


小野小町の「百夜通い(ももよがよい)」伝説の一つに、小町を慕う深草少将に、毎晩芍薬を一株ずつ通い路に植えて百株になったら契りを交わす、と約束するものがあります。

『三十六歌仙像』「小野小町」(京都大学附属図書館蔵)
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『前賢故実』巻第4「小野小町」(国立国会図書館蔵)
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いろいろなバージョンのお話があるようですが、シャクヤクは、歌人としても絶世の美女としても知られる小野小町に相応しい気がします。


『畫本野山草』2巻「芍薬」(橘保國/畫圖 芸艸堂)(国立国会図書館蔵)
江戸時代の「絵本」は、画業志望者用の絵手本でした。この『畫本野山草』もその一つで、大坂の絵師橘保国(号、後素軒)(1715〜92)の描いた草木画集です。
図の脇に「花朱 生エンシ クマ」などと絵具の使用法があるものもありますが、「芍薬」のページには指示がありません。
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『本草図譜』第1冊 巻9芳草類上之上「芍薬」(国立国会図書館蔵)
本草図譜 第1冊 巻9芳草類上之上 芍薬 (2).png


『梅園草木花譜夏之部』巻1「芍薬」(毛氏江元寿梅園直脚(毛利梅園)/書画并撰著)(国立国会図書館蔵)
「花譜」とは、花を、四季の順や分類などに従って記録した図譜です。
梅園草木花譜夏之部1 芍薬 54-15 (2).png 梅園草木花譜夏之部1 芍薬 54-16 (2).png

唐代に牡丹が愛好されるようになると「木芍薬」と言われていた牡丹は「花王」になり、芍薬は「花相」となり、草本なので「草牡丹」とも呼ばれました。

『梅園草木花譜春之部』巻3「草芍薬」(毛氏江元寿梅園直脚(毛利梅園)/書画并撰著)(国立国会図書館蔵)
「草芍薬」は「ヤマシャクヤク」のことです。
梅園草木花譜春之部3 草芍薬 53-36 (2).png


『あづまにしきゑ』「楳嶺花鳥画譜 芍薬・鸛」(楳嶺/作 明治16)(国立国会図書館蔵)
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『三十六花撰』「東京百花園芍薬」(喜斎立祥/作)(国立国会図書館蔵)
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『芍薬花譜』(賀集久太郎/編 朝陽園 明31.9)(国立国会図書館蔵)
本当は彩色の花譜で、すごく素敵な本なのですが、カラーではないのが残念です。
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参考文献:
『三十六歌仙像』
 ※京都大学貴重資料デジタルアーカイブ でインターネット公開されています。
『前賢故実』(菊池容斎 (武保)/著 雲水無尽庵 1868(明治1) )
『畫本野山草』(橘保國/畫圖 芸艸堂)
『梅園草木花譜夏之部』『梅園草木花譜春之部』(毛氏江元寿梅園直脚(毛利梅園)/書画并撰著)
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)
『あづまにしきゑ』
『三十六花撰』
『芍薬花譜』(賀集久太郎/編 朝陽園 明31.9)
 ※以上は国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
シュロの花が咲きました [2020年05月18日(Mon)]
5月1日、ご近所でシュロの花が咲いていましたぴかぴか(新しい)
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ヤシ目ヤシ科シュロ属で、普通は雌雄異株・雌雄異花です。
大型の苞から花序が出ています。
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今年の花序の下には、枯れた昨年の花序が見えます。
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上の写真の木はトウジュロ、下の写真の木は、ワジュロといわれるものだと思われます。
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常緑高木で、高さ6メートルにも達します。
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日本ほか中国からミャンマーまで分布しています。
温暖な九州地方の原産とされており、早くから観賞用に栽培されていたようです。


清少納言『枕草子』37(40)段「花の木ならぬは」

姿なけれど、すろの木、唐めきて、わるき(わろ)家の物とは見えず。

趣のあるようすはないけれど、シュロの木は唐風で、下賤の家のものとは見えない。

 すがた【姿】外見。外形。かっこう。趣のあるようす。
 わる・い【悪い】(品質や程度などが)劣っている。上等でない。いやしい。
 わろ・し【悪し】(品質や程度などが)劣っている。上等でない。いやしい。貧しい。
  ※前田家本枕草子木は「唐めきて、―・き家のものとは見えず」
 から−め・く【唐めく】中国風に見える。


家紋に「棕櫚紋」というのがあります。
幹の頂上に、長い柄を持つ固い葉が数本つきますが、この葉が一見熊手のようで形が面白いので、紋章化されたと思われます。
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その起源は明らかではありませんが、室町時代には既に家紋になっていたようです。
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『本草図譜』第11冊 巻85喬木類4「椶櫚」があります。
本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 椶櫚 (2).png 本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 シュロ (2).png 本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 木の形、トウシュロ 倍率50% (3).png
▲『本草図譜』第11冊 巻85喬木類4(国立国会図書館蔵)

樹直聳(ちょくしょう)(真っ直ぐに聳(そび)える)して枝なく梢に月々に新葉を生し四時(しじ)(しぼ)まず。一葉の形手を開くが如し。夏の初梢の葉の間に房を生ず。外皮ありて形蜀忝(黍)(モロコシ)の実の如く長ざれり。外皮落て顕る形魚子(なのこ)(魚の腹子)の如し。初黄色、花開く時は淡黄色となる。花弁苞微にして見易からず。後実を結ぶ形いんげんまめに似て短し。熟されば黒褐色となる。(略) 

「とうしゅろ」
本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 木の形、トウシュロ 倍率50% (2).png 本草図譜 第11冊 巻85喬木類4 トウシュロ (2).png
▲『本草図譜』第11冊 巻85喬木類4(国立国会図書館蔵)

木の形しゅろと同じく葉も形同じといえども短く厚く硬くして年を重といえども下垂せずして直立す。花、実も前條と同じ。外皮の毛をとり用いるを此亦前に同じ

トウジュロは、葉が垂れ下がらない、と書いてあります。


「棕櫚の花」は夏の季語です。

梢より放つ後光やしゆろの花 蕪村 「新花摘」

異人住む赤い煉瓦や棕櫚の花  夏目漱石 明治二十九年
敷石や一丁つゞく棕櫚の花  夏目漱石  明治二十八年
世はいづれ棕櫚の花さへ穂に出でつ  夏目漱石 明治三十年
ぬきんでゝ雑木の中や棕櫚の花  夏目漱石 明治三十六年

吾も亦愛す吾廬や棕櫚の花  正岡子規
村落に洋館ありて棕櫚の花  正岡子規
棕櫚の花梯子とゞかぬ高さかな  正岡子規
棕櫚の花闇の夜頃を匂ひけり  正岡子規
棕櫚の花闇の空より匂ひけり  正岡子規


枝がなく、まっすぐに伸びた幹は俗に「シュロの毛」と呼ばれる古い皮で覆われています。
シュロ皮の繊維は縄、敷物、ホウキ、タワシなどになります。


5月17日に見に行くとずいぶん様子が変わっていました。
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秋には小さな実がいっぱい実るそうです。
実は生薬になるとのことです。



参考文献:
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)(国立国会図書館蔵)
  ※いずれも国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
  ※『本草図譜』巻1〜4は、国立国会図書館デジタルコレクションでは抜けていますが、国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧できます。
第5回アーサー・ビナード研究会 [2020年05月17日(Sun)]
5月18日(月)、ギャラリーカフェつるかめで、「第5回アーサー・ビナード研究会」が開催されますぴかぴか(新しい)

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 アーサー・ビナード研究会は、アーサーさんの絵本・翻訳本・詩集・紙芝居などを持ち寄って、ブック・トーク形式の朗読カフェを行います。 作品は、すでに70点以上あります。図書館でアーサーさんの絵本をさがして、作品を素材に語り合いましょう。
 初めての方も、ぜひどうぞ。事前予約は不要です。
 5月18日には、新作絵本『そもそもオリンピック』(スズキコージ/画 玉川大学出版部)、『あつまるアニマル』(ブライアン・ワイルドスミス/作 講談社)や『このフクロウったら!このブタったら!』(アーノルド・ローベル/作 長崎出版) の夢分析・夢占いにも挑戦します。


かわいい会場がギャラリーカフェつるかめに変更になりましたので、ご注意ください。
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るんるん日 時るんるん 2020年5月18日(月)14:00〜16:00
るんるん場 所るんるん ギャラリーカフェつるかめ(山口市後河原219-1)
       携帯電話 090-1486-2166
るんるん定 員るんるん 20名
るんるん参加費るんるん 資料費・連絡通信費・お茶代・お菓子代などとして500円徴収予定
       差し入れ大歓迎exclamation×2
るんるん主 催るんるん アーサー・ビナード研究会(代表 金崎清子)
るんるん問 合るんるん 山口の朗読屋さん(代表 林伸一)        
       携帯電話 090-6415-8203
       fax to 083-920-3459
       mail to hayashix@yamaguchi-u.ac.jp


『そもそもオリンピック』
(スズキコージ/画 玉川大学出版部 2020.2)
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『あつまるアニマル』
(ブライアン・ワイルドスミス/作 講談社 2008.10)
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『このフクロウったら!このブタったら!』
(アーノルド・ローベル/作 エイドリアン・ローベル/彩色 長崎出版 2013.1)
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かわいい前回4月18日の様子が新聞に掲載されました。
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新型コロナウイルスの感染拡大防止対策をしての実施だったようです。
アーサー・ビナードの擬音表現の面白さや「夢分析」と結び付けた考察、編集能力の高さが明らかにされたそうです。



かわいい山口市立図書館通常開館のお知らせかわいい
新型コロナウイルスの感染拡大防止の観点から、山口市立図書館の各館は臨時休館していましたが、下記の期日から通常開館しますぴかぴか(新しい)

 山口市立中央図書館・小郡図書館 5月18日(月)〜
 秋穂・阿知須・徳地・阿東図書館 5月19日(火)〜

マムシグサ × 『草木図説』&『本草図譜』 [2020年05月16日(Sat)]
ウラシマソウと同じテンナンショウの仲間のマムシグサにも会いましたぴかぴか(新しい)
もう、花は終わって実がなっていました。
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今は緑色ですが、これが秋(?)になると真っ赤になります。
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マムシグサ系は分類が混乱していることもあり、素人目には判別がつきにくく同定が難しいです。


『草木図説』という飯沼慾斎による江戸時代の植物図鑑があります。リンネの分類による24綱目に分けて、草類1250種、木類600種の植物学的に正確な解説と写生図から成ります。草部20巻、木部10巻。草部は1852(嘉永5)年頃成稿、56(安政3)年から62(文久2)年にかけて出版されました。

『草木図説前編 草部』巻19
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▲『草木図説前編 草部』巻19(国立国会図書館蔵)

「マムシグサ」が載っています。別名が「ヘビノ大八」「斑杖」となっています。

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▲『草木図説前編 草部』巻19(国立国会図書館蔵)

草天南星と同く一茎に大葉あって花茎出す。其小葉の形亦天南星と同じけれ。只に邊縁に細居(鋸)歯あって彼の平等なると不同。又茎の斑色紫褐を交え。尤蛇斑に似たるを此種の殊標(しゅひょう)とす。亦雌雄草を異にし蕋状等(天)南星と全く同じ。此種は葉形花色に種々あり。又葉形一般なる種に苞色に青と帯暗紫とあり。又葉心に白斑あって苞暗紫なるあり。又苞の尖のみ暗紫にして茎の斑尤著明なるあり。又葉狭長にして光沢つよく中心に一白道あって苞色暗紫なるあり。(略)

と変異が多いことが書かれています。


「日本で最初の植物図鑑」ともいわれている『本草図譜(ほんぞうずふ)』という全96巻からなる植物図鑑があります。「本草」は漢方で薬用とされる植物等のこと。本草学者であった岩崎灌園(いわさきかんえん)が各地を踏査して写生した2,000種もの彩色した植物図で、余白に解説を添えた書で、『本草綱目』の分類に従って排列しています。1828(文政11)年に全96巻(92冊)が完成し、予約配布方式で1830(天保元)年に配布を開始、最初の4冊は木版本、残り88冊は手書きで作成して、灌園没後の1844(弘化元)年に配布を終えました。

『本草図譜』第3冊 巻22毒草類2には「マムシグサ」「ヘビノダイハチ」は別々に紹介されています。
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▲『本草図譜』第3冊 巻22毒草類2(国立国会図書館蔵)

まむしさう 漢名 蛇頭草
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▲『本草図譜』第3冊 巻22毒草類2(国立国会図書館蔵)

へびのだいはち
本草図鑑 第3冊巻22 毒草類2 ヘビノダイハチ (2).png 本草図鑑 第3冊巻22 毒草類2 ヘビノダイハチ (3).png
▲『本草図譜』第3冊 巻22毒草類2(国立国会図書館蔵)


いずれの本も、絵がとってもよくて、眺めているだけで楽しいです。


参考文献:
『草木図説前編 草部』(飯沼慾斎[他]/著 出雲寺文治郎[ほか12名]/出版 1856(安政3))(国立国会図書館蔵)
『本草図譜』(岩崎常正(潅園)/著)(巻5〜10 須原屋茂兵衛、山城屋佐兵衛/刊 1830(文政13) )(巻11〜96 筆彩の写本)(国立国会図書館蔵)
  ※いずれも国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
  ※『本草図譜』巻1〜4は、国立国会図書館デジタルコレクションでは抜けていますが、国立公文書館デジタルアーカイブで閲覧できます。
ウラシマソウ × 恩地孝四郎『博物志』 [2020年05月15日(Fri)]
林の中を歩いていたら、ウラシマソウに出合いましたぴかぴか(新しい)

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恩地孝四郎『博物志』(玄光社 1942)(国立国会図書館蔵)P22〜23に「ウラシマソウ」について書いています。
恩地孝四郎は、装丁家としても版画家としても大好きですわーい(嬉しい顔)
この『博物志』は自身が自分の古風なカメラで動植物を接写し、それに詩的エッセイを添えた随筆・写真集です。

同じ雑草組のY君が、どうも僕の趣味は陰性だというふ。変わった形の花などはとかく陰地に多いので、自然僕の場合はそうなるらしいのだが、僕の雑草採集を積極的にしたのは、このウラシマソウが口あけなのだから、それも致し方ない。(略)なかでもこのウラシマソウが一番怪奇である。花弁のように位してゐる苞は、どぎつい紫紺で、花柱の先端は延びて長い糸となって、ゆらゆらと垂れている。釣糸を垂れているようなので、かくは浦島と、童話人物の名をもらってゐるが、仮に童話的だとしても、ドイツあたりのゑごい童話味だ。日本の明るさや淡白さではない。陰の濃い湿地の森のなかなどに、ずらりとこの花が生えて並んでゐると、一寸うす気味悪い。妖気が漂ってゐる。しかし、僕はこの花はきらひではない。妖気もわるくはないが、その強い色や大まかな形がいい。一茎一花、明晰でいい。菊なんかのようにくしやくしやしてなくていい。(略)

博物志 ウラシマソウ 恩地孝四郎 (3).png『博物志』(国立国会図書館蔵)より

『博物志』のP13には、「ウラシマソウ」の写真がもう一つあります。
博物志 ウラシマソウ芽 恩地孝四郎 (2).png『博物志』(国立国会図書館蔵)より

芽といふもの、即ちその草一生の縮壓されたその予告的な姿を包蔵している様態、それが一本の形で収められてゐる点で甚だ典型的である。一旦被苞が割れた時には、既に葉も花もさりつと畳まれた姿を見せる。何か動物の軀体でもみるようだ。芽出しには先細りの水々しい棒。まつすぐにつつたつて来る。その狭い包のなかに誠に規帳面に、よく折り畳まれて収まつてゐる。仲間の天南星科の草草、テンナンショウ、マムシグサ、ムサシアブミなどみな同様であるが、浦島草は花の先が長い糸を成してゐるだけに一層趣きが深い。うまい具合にその長い糸が美しい曲線で畳まれてゐる。
冬の湿つた土は黒い。そこからしらじらと生まれ出て来るこの芽にはいつもはつとする。


こちらは昨年撮ったマムシグサの写真です。
きれいに折り畳まれた芽が開いていく様子はとても面白いです。
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『博物志』は昭和17年というまさに戦時下に発行されています。

心の文化を伴わない文明は不具であり、不健全でありやがては病弊を以つて倒れるべき運命にある。


参考文献:
『博物志』(恩地孝四郎/作 玄光社 1942)
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
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法泉寺のシンパク @ 大内政弘の墓&法泉寺跡に行きましたE [2020年05月14日(Thu)]
【前回の続き】

法泉寺跡には「法泉寺のシンパク」という国の天然記念物のイブキの木がありますぴかぴか(新しい)
法泉寺の山門の側に植えたものといわれ、現在でもこの地は「山門の壇」と呼ばれているとのことです。

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国指定 天然記念物
法泉寺のシンパク
   昭和三年一月一八日指定
   所在地 山口市滝町一九〇四番の一
 シンパクはイブキの別名で、ヒノキ科の常緑中高木で主幹は直立する。
 このシンパクは、大内氏時代ここにあった法泉寺の山門脇に植えられていたものであったという。法泉寺は一四〇〇年応永年間創建されたといわれ仏殿の壇、経蔵の壇、方丈の壇などの地名が残っており、当時の規模をすることができる。しかし寺は大内氏滅亡後は廃絶したらしく、このシンパクが残っているのみである。
 このシンパクは三株が相接して成育しているように見えるが、一株が根元から直に三分岐したものである。根元の周囲は九.八メートルを超える。三幹の内 東側の株が樹勢おう盛でよく繁茂して高さは約十二メートル、目通り周囲は三.三mある。
 他の二幹は目通り周囲はほぼ三メートルに近い。老樹であるので内部は腐朽しているらしいが、新しい樹皮で包まれて奇形を呈している。


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文化遺産オンラインの「法泉寺のシンパク」項に

山口県山口市上宇野令
指定年月日:19280118
管理団体名:山口市(昭3・2・9)
史跡名勝天然記念物
天然紀念物調査報告(植物之部)第八輯 七一頁 参照
根元ヨリ三大支幹ニ分ル根元ノ總周囲三丈一尺、西北ノ支幹ハ傾斜セリ大内氏時代ノ遺木ニシテいぶき Juniperus chinensis L. ノ代表的巨樹ナリ


『天然紀念物及名勝調査報告 植物之部 第八輯』(三好學/著 内務省 1928(昭和3).4)(国立国会図書館蔵)P71〜74「法泉寺の槙柏」で1927(昭和2)年に行われた調査の報告を読んでみましょう。

所在 山口県吉敷郡山口町大字上宇野(令)字幼松院(民有)
槙柏は山口県庁六七町を距る山地にありて、里道の西方に接する田畝の中に立てり。この點は応永の頃大内義弘(政弘の間違い)の菩提寺法泉寺の在りし処にして、槙柏(イブキ)は当時の遺木なりと云ふ。
本樹は根元より北南西の三大支幹に分かる。
(略)
本樹は巨樹及老樹として有数なものなれば、天然記念物として指定されんことを望む。

とあります。「田畝(でんぽ)」とは「たはた」のことなので、もうしかしたら、「法泉寺跡」で掲載した石垣のいずれかは、段々畑の名残ではないかと不安になりましたふらふら

1927(昭和2)年当時の貴重な写真を国立国会図書館デジタルコレクションから転載させていただきます。
法泉寺の槙柏2 (2).png 法泉寺の槙柏3 (2).png


参考文献:
『天然紀念物及名勝調査報告 植物之部』第8輯(史蹟名勝天然紀念物保存協会/編 刀江書院 1928(昭和3))
  ※国立国会図書館デジタルコレクションでインターネット公開されています。
法泉寺跡 @ 大内政弘の墓&法泉寺跡に行きましたD [2020年05月13日(Wed)]
【前回の続き】

次は、来た道を戻り、法泉寺跡を目指しますぴかぴか(新しい)
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林の間からシンパクが見えるので、どこかに行く近道がないか、探しましたが、ありませんでした。
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結局、分岐点まで戻りました。
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     多々良朝臣政弘
 はなれがたきはまじはりの中
折れわびぬはふ木あまたの藤のはな


『新撰菟玖波集』の政弘の歌です。
この時期本当にフジがきれいです。
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五十鈴川の水は清らかです。
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この標識が目印です。
車の場合は、このまま直進すると堰堤下に数台程度の駐車場があります。
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左手にあるこの道を入って行きます。
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登りついたところは、石垣で檀が造ってあります。
「檀」とは 土を小高く盛り、上を平らにした場所です。

近藤清石の『大内氏実録』「巻九 世家第九 政弘」に

法泉寺舊址(きゅうせき)には古栝(かつ、「いぶき」のこと)の大樹一株残りて。仏殿檀。経蔵檀。方丈嶽。風呂谷。山門檀。御廟野等の字あり。

とあり、この辺りは、山門檀というようです。
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さらに上に登ってみました。
すっかり藪になっていますが、やはり「檀」になっています。
この辺りを、「仏殿檀」それとも「経蔵檀」というのでしょうか。
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「山口県の文化財」HPでは、同じサイトであるもかかわらず、法泉寺の創立について異なることが書いてあります。

法泉寺は応永年間(1394〜1427)頃に大内氏が建立した寺で、大内氏滅亡後は廃絶した。このシンパクは、(略)法泉寺の山門の側に植えたものといわれ、現在でもこの地は「山門の壇」と呼ばれている。
(「山口県の文化財」HP「法泉寺のシンパク」より抜粋)

応永年間(1394〜1427)というと、義弘(1356〜1400)または盛見(1377〜1431)が創建したということになります。

 法泉寺という寺号は、大内氏29代政弘(1446〜95)の法号に由来する。すなわち大内氏30代義興(1477〜1529)は父政弘(法泉寺殿直翁正大禅定門)の菩提を弔うために自らが建立した凌雲寺(現在跡地は国指定史跡)の東南瀧の地に七堂伽藍の美をつくした臨剤宗法泉寺を建立した。
 しかし、天文20年(1551)8月28日、陶氏の山口攻め入り、大内氏滅亡によって寺は焼失し、今は山門付近にあったというシンパク(国指定天然記念物)が周辺の石垣とともに住時をしのばせている。

(「山口県の文化財」HP「法泉寺厨子」より抜粋)

と、こちらでは「義興が建立」とあります。


『大内氏実録』には、
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『大内氏実録』「巻九 世家第九 政弘」(近藤清石/著 中元荘作 明18)(国立国会図書館蔵)

秋七月病む。重り。九月十八日の夜卒す。享年五十歳なり。(※1)遺命にして薄葬にせしむ。(※2)十九日。吉敷郡上宇野令瀧の法泉寺に殯(ひん(もがりのこと))す。(※3)廿二日。法泉寺の後山に葬り。(※4)法泉寺(※5)直翁(※6)直正を法名す。従三位を贈らる。(※7)政弘深く和歌に志をよせ。終焉の夕まで猶吟詠せしめば。秀逸ども多かるる。(※8)一重なる人もぞあると世を知れば薄き衾もさゑぬ夜半哉。と云ふ歌ハ。もとも人の賞する所なり。また連歌に技巧にて。宗祇の新撰菟玖波集ハ。政弘のすゝめによりての撰なりと云ふ。(※9)

※1 系図。長禄三年(1459年)氷上山上宮参詣目録に。十四歳とあり。本年五十歳なり。
※2 朝迺雲(『あしたの雲』)
※3 同上。
※4 同上。
※5 系図。古文書。幻松院古位牌。
※6 系図古位牌。
※7 公卿補任。系図。大系図。扶桑拾葉集作者目録。新撰菟玖波集。
※8 朝迺雲。
※9 朝迺雲。


とありますが、ほぼ、「大内政弘の墓」のところに『奉悼法泉寺殿辞(あしたの雲)』を揚げましたが、ほぼその記述通りで、政弘が死去した際には、すでに法泉寺があったことが読み取れます。

法泉寺についての註にさらにこうあります。

法泉寺は開山を圓悟碩溪と云ふ。創建年月知れず応永年中道朴と云ふ僧あり。其名氷上山興隆寺蔵経勧進帳に見えたり。またこれより先に。応永七年二月兵部卿師成親王本寺にて御落飾の叓と南朝編年記略に見えたれば。古刹なるや。(略)御廟野ハ。やや距たれり。古墓あまたありて。其中におもたちたるもの二あり。一を政弘興の墓。一を兵部卿師成親王の御墓と云へり。(略)


法泉寺の寺号は棯小野に伝えられたようです。

法泉寺厨子 (棯小野)
法泉寺は禅宗で、大内政弘の菩提寺として山口にあったが、天文20年(1551年)の陶氏の反乱の時、捻小野龍岩山に避難し、その後毛利輝元によって弘治3年(1557年)にそこで復興された。元和7年(1621年)に浄土真宗に改宗し、現在地に移ったのは宝永2年(1705年)である。 法泉寺には山口県指定の仏を納める厨子と、宇部市指定の「銅造浮彫菩薩形半像」の文化財がある。これらは大内氏の祈願所寿明院にあったもので、厨子は大内文化建築の特色を残しており、銅仏は大内氏の祖の琳聖太子が渡来時に持参したものと伝えられる。

(防長風土注進会「山口県史跡かわらばん」HP『ふるさと小野 史跡案内』(小野地区部落長会/制作 小野郷土史懇話会/編集 宇部市教育委員会/発行 2009(平成21)年3月))

法泉寺は明応年間(1492〜1501)に、大内氏によって山口に建立された禅宗寺院で、大内氏滅亡後は小野に移されました。また大内氏は享禄年間(1528〜32)に棯小野に寿明院観音堂も建立していました。この厨子は観音堂にあったといわれ、寿明院が廃寺後に、大内氏ゆかりということから法泉寺に移されたと考えられます。
(宇部市HP「法泉寺厨子」より引用)

宇部市のHPでは、法泉寺は義興が建てたという説のようです。


義興の凌雲寺といい、政弘の法泉寺といい、寺跡はあるのに詳しいことがわからないとは……。


 あしたの露ハ夕の風に残る事なく(、)宵のいなつ(づ)まは暁の雲にとゝ(ゞ)まるためしなし(。)谷の菊をもてあそひ(び)(、)園の桃を愛せし人も(、)皆むかしか(が)たりにそ(ぞ)成にける(。)常なき世の消息(、)今更おと(ど)ろくもおろかなるに似たり(。)
猪苗代兼載『奉悼法泉寺殿辞』(『大内氏実録土代』巻二十 「近藤清石文庫」 山口県文書館)より)



参考文献:
『大内氏実録』(近藤清石/著 中元荘作、宮川臣吉 1885)
  ※国立国会図書館のデジタルコレクションでインターネット公開されています。
『奉悼法泉寺殿辞』(『大内氏実録土代』巻二十 「近藤清石文庫」 山口県文書館)
  ※山口年文書館のサイトで(『大内氏実録土代』巻二十の58画面〜)公開されています。

   

【次回に続く】
師成親王の墓 @ 大内政弘の墓&法泉寺跡に行きましたC [2020年05月12日(Tue)]
【前回の続き】

政弘の墓の近くに師成(もろなり)親王の墓があるというので、行ってみましたぴかぴか(新しい)

現地に標識などないので、要注意です。
こんな時に先ほどあった現地案内図が役に立ちますわーい(嬉しい顔)
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大内政弘の墓を左手に見て右折して進みます。
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道らしきものがないので、少し不安です。
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しばらく草叢(?)を進むと、杉林の中、左手に墓が見えてきます。
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ありましたひらめき
こちらが師成親王の墓所です。
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師成親王の墓。
宝篋印塔です。
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師成親王(1361(正平16/康安元)〜)は、後村上天皇の第五皇子で、南朝の親王です。
出家して臨済宗仏光派に属し、竺源恵梵(じくげん えぼん)と号しました。
1399(応永6)年10月義弘が足利幕府軍と戦った「応永の乱」では、義弘と共に堺で戦いました。12月義弘は堺で討死し、翌1400(応永7)年2月山口に逃れ、法泉寺に入り、同寺に住した後、伊勢南陽寺に住し、後また、山口に帰り、薨去したといいます。
歌人としても優れていた師成親王は教弘の和歌の師となり、自分の叔父の宗良親王の遺した歌集『李花集』を自ら書写し、1452(享徳元)年教弘が賜ったといことが、『李花集』の奥書に書かれています。

此本書、先師兵部卿師成親王出家号恵梵筆跡也、教弘相伝之、
  旹享徳改元仲冬廿日
      多々良朝臣(大内教弘)印判


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『李花集 : 宗良親王御集』(宗良親王/著 紅玉堂書店/出版 昭和2)国立国会図書館蔵)

伊勢の南陽寺にいたというのは、『新葉和歌集』の奥書でわかります。

応永卅年三月書写之、于時勢州安芸郡栗真庄南陽寺泉昌庵、行年六十三
同四月三日、以耕雲自筆本校合了、
(略)
  応永卅弐年月日  釈竺源叟恵梵志之


山口で薨去したという周防説は、現在では有力ではないようですが、師成親王が書写した『新葉和歌集』や『李花集』は大内氏に相伝され、その文芸活動に少なからず影響を与えたことに間違いありません。

師成親王の墓でないとすれば、誰の墓でしょうか?


参考文献:
御薗生翁甫 「師成親王と崇光院三ノ宮法泉寺方丈」(『大内氏史研究』(山口県地方史学会 1959))
『山口市史 史料編 大内文化』(山口市 2010)
  P617〜8「新葉和歌集富岡本」
  P618「李花集」
『李花集 : 宗良親王御集』(宗良親王/著 紅玉堂書店/出版 昭和2))
  国立国会図書館デジタルアーカイブでインターネット公開されています



【次回に続く】
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