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こどもと本ジョイントネット21・山口


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紙本墨書豊浦宮法楽和歌 @ 忌宮神社A [2019年09月10日(Tue)]
【前回より続く】

尊氏の前文には、

西国下向し時参詣長門国
神功皇后之社壇□洛し□
不□幾日一天得静謐し時
四海属無ゐし化仍以二首篇
詠脩一心之法楽歌


西国に下向した時長門国の神功皇后を祀る社「忌宮神社」に参詣して
数日心を込めて祈願したところ、
その後、再入洛を果たし
今や一天静謐の時を得、四海無為の化に属せりとして2首の歌を詠んで神に対するよろこびを述べています。

法楽和歌.jpg

直義の前文には

神功皇后宮者本朝鎮護之
大廟外国降伏之霊祠也先
年忝詣之時中懐祈願之趣
玄応太速冥助掲焉回致
一心懇信詠二首和歌


神功皇后宮は本朝鎮護の大廟、外国降伏の霊祠で、
先年参詣の時の祈願に対する冥助(神の助け)掲焉(著しい)の即効性を讃えています。


忌宮神社の神紋は白鳥です。
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白鳥ではないですが、いつ行っても、境内には鶏がいっぱいいて、とっても元気ですわーい(嬉しい顔)
この鶏さん、写真を撮る間じっとしてボーズをとってくれるんですよるんるん
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境内には、神功皇后が植えた逆松や、
武内宿祢が植えた公孫樹や、
195年には、渡来人が蚕種を献上したという蚕種渡来地の碑が境内の一角にあります(シルクロード日本上陸の地)。

また、神門の前に「鬼石」と呼ばれる石があります。
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第十四代仲哀天皇は、九州の熊襲の叛乱を平定のためご西下、ここ穴門(長門)豊浦(長府)に仮の皇居を興されたが仲哀天皇七年旧暦の七月七日に朝鮮半島の新羅国の塵輪(じんりん)が熊襲を煽動し豊浦宮に攻め寄せた。皇軍は大いに奮戦したが宮内を守護する阿部高麿、助麿の兄弟まで相次いで討ち死にしたので、天皇は大いに憤らせ給い、遂に御自ら弓矢をとって塵輪を見事に射倒された、賊軍は色を失って退散し皇軍は歓喜のあまり矛をかざし旗を振りながら塵輪の屍のまわりを踊りまわったのが数方庭(八月七日より十三日まで毎夜行われる祭)の起源と伝えられ、塵輪の顔が鬼のようであったところからその首を埋めて覆った石を鬼石と呼んでいる。

2017年8月14日訪れた時、境内にたくさんの竹が立てられていました。前日まで行われた数方庭(すほうてい)祭の跡のようでした。
数方庭祭は、忌宮神社で8月7〜13日に行われる祭で、仲哀天皇が、九州の熊襲を扇動して攻めてきた新羅の塵輪を退治し、人々が矛をかざし旗を振って歓喜したのが始まりと伝わり、1800年の歴史があるそうです。
境内の広庭は、広い砂の庭で、運動場のような雰囲気で、お祭りには最適な感じの場所ですかわいい


境内社の八坂神社です。
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境内にあるMで久し振りに食事をしました。
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下関市長府には、他に、尊氏が寺領(小月)を寄進(1334(建武元)年? 1336(延元元・建武3)年?)した長福寺、現在の名前は、功山寺があります。1650(慶安3)年、毛利秀元が死亡し、その法号「智門寺殿功山玄誉大居士」により改称しました。
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紙本墨書豊浦宮法楽和歌 @ 忌宮神社@ [2019年09月09日(Mon)]
9月1日、下関市長府にある忌宮神社に行きましたぴかぴか(新しい)

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忌宮神社は仲哀天皇・神功皇后が西征の際に滞在した行在所である穴門豊浦宮の遺跡に営まれたという伝説があります。

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社頭由緒書。
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長門国二ノ宮 旧国幣社 忌宮神社 由緒
忌宮神社は、第十四代仲哀天皇が九州の熊襲を平定のため御西下この地に皇居豊浦宮を興して七年間政治を行われた旧址で、天皇が筑紫の香椎で崩御せられたのち御神霊を鎮祭す。その後聖武天皇の御代に神功皇后を奉祭して忌宮と称し、さらに応神天皇をお祀りして豊明宮と称す三殿別立の古社(延喜式内社)であったが、中世における火災の際中殿に合祀して一殿となり、忌宮をもって総称するようになった忌とは斎と同義語で、特に清浄にして神霊を奉斎する忌みである。
現在の社殿は明治十年の造営で、昭和五十六年に改修す。
古来、文武の神として歴朝の尊崇武将の崇敬篤く、安産の神として庶民の信仰を受け、長門の国二ノ宮として広く親しまれている。
例大祭 十二月十五日  奉射祭一月十五日
春季大祭 五月十五日(近い日曜日)  蚕種祭 三月二十八日
秋季大祭 十月十五日(近い日曜日)  数方庭祭八月七日より十三日まで毎夜
御斎神事 十二月七日より十五日早朝まで斎行される特殊神事で境内周辺に注連縄を張って一般の進行を禁じ、神職のみ参籠して厳格な潔斎を行い、古式による秘祭を奉仕する。
境内社 荒熊稲荷神社 八坂神社

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古くから武神としてあがめられ、南北朝時代には足利氏及びその僚属の信仰を得て社壇大いに栄えたようです。

九州国立博物館 特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」で観た「紙本墨書豊浦宮法楽和歌」が奉納されており、その信仰を物語っています揺れるハート
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第一紙 尊氏筆、第二紙 直義奉納、第三紙 高経奉納、第四紙 直冬奉納の四通を一巻の巻子装にしたものです。

いずれも、祭神の護りをたたえており、「お礼の言葉(真名本)+ 和歌二首(草書)+ 日付 + 署名 + 花押 」の構成となっています。

尊氏は、1336(延元元)年、忌宮神社で戦勝祈願を行い、

この御代はにしの海よりおさまりてよもにはあらき波風もなし

いにしへの二つのたまの光こそくもらぬ神のこころなりけれ

と詠み、延元2年すなわち1374(北朝建武)年11月15日に奉納しました。
二首目の、「2つの珠」とは神功皇后が豊浦津で、住吉大神の化身である龍神から授けられた二つの如意珠、潮干珠(しおひるたま)・潮満珠(しおみつるたま)のことです。
この珠を海にかえすと二つの島「干珠・満珠」になったといういわれがあり、現在も、忌宮神社の飛び地境内です。(他の伝説もあるようです。)

直義(尊氏の弟)・高経(斯波氏)は、1344(康永3)年12月15日に二首の歌を納めています。

直冬(尊氏の庶長子・直義の養子)の二首の奉納の日付は「貞和七(1351)年六月一日」になっています。(1351年は、南朝は正平6年、北朝は前年貞和を改元し、観応2年です。)

いろいろあった尊氏VS直義・直冬ですが、各々法楽和歌を奉納(時期は違いますが)し、それが仲良く一巻になっているのはいいですよねかわいい

九博では、尊氏の和歌の部分しか展示されていませんでしたが、「建武二二年十一月十五日」となっていました。「二二」で「四」……興味深かったです揺れるハート

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【次回に続く】
下関市立美術館 特別展「横山眞佐子と3人のゆかいな仲間たち 安野光雅/角野栄子/あべ弘士」に行きましたA [2019年09月08日(Sun)]
【前回の続き】

次の部屋は角野栄子さん。

美術館に入ったところには、「小さなおばけ」シリーズ(ポプラ社)の「おばけのアッチのほんだな」がありました揺れるハート
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『魔女からの手紙』(ポプラ社 1997,11)
カスレちゃんという魔女にとどいた20人の魔女からの手紙。著名な画家陣が魔女のイメージで描いた絵に角野栄子が手紙文をつけた注目の絵本。ポプラ社HP
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魔女の絵を描いたのは、荒井良二、ディック・ブルーナ、いとうひろし、大島妙子、鴨沢裕仁、和田誠、市川里美、五味太郎、黒井健、児島なおみ、スズキコージ、橋本淳子、国井節、長新太、高林麻里、宇野亜喜良、西巻茅子、杉浦範茂、スーザン・バーレイ、太田大八の東西の20人の画家。

『魔女に会った』(角野栄子/文・写真 みやこうせい/写真 福音館書店 「たくさんのふしぎ」通巻95号 1993.2 「たくさんのふしぎ傑作集」 1998.4)
歴史上の魔女、今も生きている魔女。魔女っていったいなんでしょう。『魔女の宅急便』の著者が、ドイツやベルギーのお祭りを訪ね、ルーマニアに今もいるという魔女を訪ねて、魔女とは何かを探る、とってもおもしろい魔女見聞記です。福音館書店HP
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角野さんが集められた魔女の人形も展示されていました。

『魔女の宅急便』(角野栄子/作 林明子/画 福音館書店 1985.1)
13歳の満月の夜、魔女の子キキはひとり立ちの旅に出ました。 使える魔法はほうきで空を飛ぶことだけ。たどり着いたコリコの町で、空飛ぶ「宅急便屋さん」をはじめます。 人々の思いをのせたさまざまな荷物を届けながら、キキは、喜び、悩み、そして成長していきます。福音館書店HP
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『おばけのアッチ スパゲッティ・ノックダウン!』(アッチ・コッチ・ソッチの小さなおばけシリーズ40)(佐々木洋子/え ポプラ社 2019.1)
外国に行っていたアッチのなかよしのエッちゃんが、スパゲッティを食べにきました。すると、ドララちゃんもやってきて……!?ポプラ社HP
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ブラジルに移民されていた時の、お父様あてのお手紙も展示してありました。

『サラダでげんき』(角野栄子/さく 長新太/え 福音館書店 「こどものとも年中向き」通巻302号 1989年7月号 「こどものとも絵本」2005.3)
お母さんが病気なので、りっちゃんは元気になるサラダを作ってあげようと野菜を切っていましたが、ネコがやってきてかつおぶしを入れるといいよといいます。次にやってきたイヌはハムサラダが一番といい、スズメはトウモロコシ、アリは砂糖をすすめ、最後にはアフリカゾウが飛行機でやってきて……。サラダを食べたお母さんはたちまち元気に!福音館書店HP)(福音館書店HP) 
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最後の部屋はあべ弘士さん。.
段ボールで作ったトラやキリンやサルなどの立体作品が 展示室をいっぱい彩っていました。
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アクリル板のフラミンゴ、アフリカのタペストリーも。
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(▲チラシより)

ケースの中は「山口県県外広報誌「私の地球 やまぐち」」の表紙絵やイラストが展示してありました。
山口県は県外向けの広報誌「私の地球・やまぐち」を1997年7月に創刊しました。存在感ある県づくりを一層推進するため、従来のフォト誌「フォトやまぐち」を県外者へアピールする県外広報誌として一新させ、誌名は三隅町出身の画家 香月泰男が古里を「私の地球」と呼んだ言葉からとられました。A4判、16ページ。編集のキーワードは「ひとのくに山口」。毎回、山口県にゆかりのある人を取り上げ、山口県の新しい魅力を引き出しました。
その表紙やイラストをあべ弘士さんが担当されました。
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あべさんのイベントでこのミミズクの絵葉書をGETして家にあるのですが、今回、『私の地球 やまぐち』の創刊号を飾った絵だということを初めて知りました揺れるハート

『100年たったら』(石井睦美/文 あべ弘士/絵 アリス館 2018.11)
ずっと昔、草原にライオンがひとりっきりで住んでいました。ある日、飛べなくなった一羽の鳥が草原におりたち、一緒に過ごすようになりますが……。ライオンと鳥がたどる、はるかな時と巡る命を描いた、せつなく壮大な物語。アリス館HPより)
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原画が二段掛けで展示してるのには、がっかりしました。あべさんの描く動物の絵は、かつて飼育員さんだけあって、嘘がなくとってもいいのに、せっかくの絵が活きていませんでしたもうやだ〜(悲しい顔)
このボリュームなら、あべさんに関しては、もっと広いスペースのところに展示して欲しかったです……。

それと、それぞれの原画が(もちろんあべさんだけではありません)掲載されている本や絵本を自由に閲覧できるよう設置する配慮をしていただきたかったですがく〜(落胆した顔)

『えほんねぶた』(講談社 2005.7)
あべ弘士がねぶた祭りで描いた!跳ねた!
えほんねぶたが組み立てられる数か月を追ったノンフィクション写真絵本
講談社BOOK倶楽部HP
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一番奥に暗幕が掛けてあり、中にはあべさんのねぶた絵が飾ってありました。
すごい迫力ですわーい(嬉しい顔)


こどもと本ジョイントネット21・山口は、下関市立美術館 特別展「横山眞佐子と3人のゆかいな仲間たち 安野光雅/角野栄子/あべ弘士」を後援しました。
下関市立美術館 特別展「横山眞佐子と3人のゆかいな仲間たち 安野光雅/角野栄子/あべ弘士」に行きました@ [2019年09月07日(Sat)]
9月1日(日)、下関市立美術館に特別展「横山眞佐子と3人のゆかいな仲間たち 安野光雅/角野栄子/あべ弘士」を観に行きましたぴかぴか(新しい)
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下関市立美術館は1983年の開館当初、絵本の原画展を全国の公立美術館に先駆けて、丸木俊や瀬川康男らの作品を集めた「秀作絵本原画展」(1986.4.26〜1986.5.18)を皮切りに、外部団体主催も含め、34回の原画展を開催してきました。

そのほとんどに横山さんは携われています。
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(▲横山眞佐子さんとこどもの広場のスタッフ&黒瀬圭子さん こどもの広場にて 2019年2月11日撮影)

「秋野亥左牟展:古代からのメッセージ」(1996.1.3〜1996.2.18)、「アメリカ黄金時代の絵本作家たち:ロバート・マックロスキー/マーク・シーモント/マーシャ・ブラウン/バーバラ・クーニー」(1996.11.13〜1996.12.15)、「ターシャ・テューダーの世界展:絵本・花・カントリーライフ」(2000.11.9〜2000.12.17)、「エリック・カール絵本の世界:いろのまほうつかい」(2004.4.7〜2004.5.16)等々、心に残っています。

2Fの展示室に行くと、まず、横山眞佐子さんの部屋。
1979年、児童書専門店「こどもの広場」は、下関にわずか5坪ほどの店舗でスタートしました。当時、児童書の専門店は日本でも23軒目だったそうです。それから40年にわたり地域に根づき、絵本の素晴らしさを多くの人に伝えてこられています。
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(▲こどもの広場 2018年4月15日撮影)

横山さんがセレクトされた本棚があって、8月31日と9月1日の2日間は好きな本を持って帰っていいとのことでした。
私は、定番ですが、

『アレクサンダとぜんまいねずみ―ともだちをみつけたねずみのはなし』(レオ・レオニ/著 谷川 俊太郎/訳 好学社 1975.4)
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を選びました。連れは、

『しゅてんどうじ ― 曼殊院所蔵「酒呑童子絵巻」より』(木島始/構成・文 リブロポート 1993.10)
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をチョイス。ちょっと、面白い絵本なので後日紹介いたします。


次は、安野光雅さんの部屋。
『街道をゆく』(週刊朝日「街道をゆく」(1991/8-1996/3))、『旅の絵本W』、『繪本 平家物語』、『空想工房の絵本』、『中国路』から24点が展示されていました。
特に、『中国路』は、安野光雅さんの山口県内を描かれたものがたくさん展示されいて、興味深かったです。

『旅の絵本W』(福音館書店 1983.9)
だれでも知っているアメリカ、初めて見るアメリカ。自由の風吹く大地にはスターやヒーロー、事件がいっぱい。逆からめくれば読者は歴史の旅人です。福音館書店HP
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『繪本 平家物語』(講談社 1996.2)
「祇園精舎」より「女院死去」まで精密な絹絵と書き下ろしの文章で織りなす、(略)79場面・143章段を収載。
安野光雅が描く勇壮で気品高い『平家物語』。
戦記文学の古典・平家物語全12巻の名場面を79枚の流麗な絹絵に描下ろした安野光雅のライフワーク。画家がまとめた読み易い文章と共に甦る現代版平家物語絵巻。
講談社Book倶楽部HP
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▲『繪本 平家物語』より「壇浦合戦」

以前、下関美術館で行われた「安野光雅 平家物語の世界展」(1996.4.23〜1996.5.26)で観たことがあります。
絹地に墨や岩絵具で着彩するという日本画の手法が用いられた絹本画です。講談社の月刊PR誌「本」に、1989(平成元)年1月号〜1995(同7)年12月号まで連載された作品を軸として、連載終了後の1996(同8)年に安野氏が新たに書き下ろした文章とともに出版されました。
壇ノ浦の地での「平家物語」の展覧会ということで、大勢の人が詰めかけていました。

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(▲下関市みもすそ川公園の源義経と平知盛像 2018年4月15日撮影)

『空想工房の絵本』(山川出版社 2014.3)
安野光雅が描く不思議な絵には、ひとつひとつの作品に仕掛けと意味が隠されており、見るものを空想の世界へと誘う。そんな不思議な絵や、絵科学的に捉えた視点から描いた絵など未発表の絵を120点掲載。山川出版社HP)
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『中国路』(安野光雅美術館 2016.9.1)
2015年6月から1年間、画家・安野光雅先生が故郷の島根県津和野町を中心に、思い出深い中国地方などでスケッチ旅行を行いました。倉敷、下関、宮島、浜田などの風景画32作品を収録しています。
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【次回に続く】
九州国立博物館 特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」に行きましたB [2019年09月06日(Fri)]
【前回の続き】

室町時代には多くの日本独自の芸術が花開きました。
「座敷飾り」や「茶の湯」「生け花」「能・狂言」などの伝統文化が誕生しました。

灰被天目茶碗 銘 虹(中国・元〜明時 14〜15世紀代 高6.9cm 口径12.2cm 高台径4.4cm 文化庁)重要文化財
確か義政が所有していたと思うですが、第2章に展示してあったのは、唐物だからでしょうか。
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油滴天目茶碗(中国・南宋時代 12〜13世紀 建窯 高7.0cm 口径12.6cm 九州国立博物館)重要文化財
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なども展示してありました!

そして、文化交流展 特集展示 館蔵名品展「更紗 生命の花咲く布」
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  るんるん会期 2019年7月30日(火)〜10月20日(日)
  るんるん場所 4F 文化交流展示室 第9室

に、なんと、この油滴天目茶碗を包むための「白地草花文様更紗包裂」、「油滴天目仕覆」が展示してあったのです揺れるハート
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勘合体験コーナーもありました。
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と、観るべきものの多いとても充実した展覧会でした。
8月4日にNHK日曜美術館で「よみがえる美の力〜室町将軍の文化戦略〜」を放映していましたが、きちんと観ていなかったので、今更ながら残念もうやだ〜(悲しい顔)

NHK Eテレ「びじゅチューン!」「なりきり美術館」もやっていました。
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もっと九博を楽しみたかったのですが、
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雨が心配でとりあえずJR博多駅まで帰ることにしました。

西鉄大宰府駅で面白いポストを発見!
上部には、大宰府天満宮の「鷽替え神事」のウソ(鷽)が乗っています。
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九州国立博物館 特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」に行きましたA [2019年09月05日(Thu)]
【前回の続き】

8月28日は大雨の影響で西鉄大牟田線・大宰府線が終日運休していたので、太宰府ライナーバス「旅人」で大宰府に行きました。
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参道を行くと、
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コーヒー店Sの太宰府天満宮表参道店がありました。
あの隈研吾さんのデザインだそうで、「自然素材による伝統と現代の融合」というコンセプトの、伝統的な木組み構造を用いた特徴的なデザインになっています。
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3つ目の鳥居をくぐり、菅原道真公ゆかりの御神牛を左に進むと、
鳥居の先に
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心字池が見えてきます。
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心字池に掛かる赤い3つの御神橋は、太鼓橋・平橋・太鼓橋の三橋からなり、手前から「過去」・「現在」・「未来」を表し、三世一念の仏教思想で、心字池を端から端まで渡ることで参拝者の心身ともに清められるそうです。
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るんるん心字池にかかる 三つの赤い橋は
  一つ目が過去で 二つ目が現在
  三つ目の橋で君が 転びそうになった時

と、さだまさしの「飛梅」の歌を歌いながら渡りましたが、もちろん転びませんでした。

こちらは、御神橋の途中にある社で、海の神「綿津見」三神が祀られている志賀社です。
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国の重要文化財に指定されています。
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太宰府天満宮の楼門と御本殿を横目で見て、鳥居の手前を右に進み、九州国立博物館に向かいます。
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ここを抜ければ九博です。
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九博が見えてきました。
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いよいよ九博の特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」
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展示構成は4章に分かれていました。

第一章 南北朝の動乱と足利尊氏

絹本著色伝足利尊氏像(南北朝〜室町時代 14〜15世紀 縦107.0cm 横56.7cm 広島県尾道・浄土寺)
身にまとった袍(ほう)には足利将軍家の家紋である五七桐が一面に散らされています。
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日月図軍扇(足利尊氏所用 南北朝時代 14世紀
縦18.5cm 横(上弦)48.0cm 九州国立博物館)
表裏に金箔の日輪と銀箔の月輪を大きく配した扇で、尊氏の花押が据えられています。
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第二章 室町の栄華─義満・義持と唐物荘厳

朱漆雲龍鎗金印箱(中国・明時代 15世紀 縦・横とも20.1cm、高さ22.3cmの切面型 朱漆に雲竜の沈金文様 毛利博物館)重要文化財
同じく雲竜の金象嵌文様を施した錠前と鍵がともに残されています。
木印 日本国王之印(サクラ材 印面「日本国王之印」10.1cmの正方形 高さ右側4.1cm 左側3.5cm 上方側面に「上」と線刻 下方側面に「日本国王臣源」の墨書 毛利博物館)重要文化財
この印を捺印した大内義長の証判に「日本国昔年欽奉大明国勅賜御印壹顆」とあり、明から義満に与えられた勘合印であったとされています。もっとも原印は金印でしたが、戦乱の間に原印が失われたので、代用として製作されたものと考えられています。
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第三章 将軍権力のゆらぎと成熟する文化―義教・義政の時代

青磁輪花茶碗 銘 馬蝗絆(龍泉窯 高9.6cm 口径15.4cm 底径4.5cm 南宋時代 13世紀 東京国立博物館)重要文化財
義政がこの茶碗を所持していたおり、ひび割れが生じたため、代わるものを中国に求めたところ、明時代の中国にはもはやそのようなものはなく、鉄の鎹でひび割れを止めて送り返してきたといいます。この鎹を大きな蝗に見立てて、馬蝗絆(ばこうはん)と名づけられました。
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能装束藍紅紋紗地大極図印金狩衣(室町時代 16世紀 山形・黒川能下座)重要文化財
文様は、漆の下付けに金箔を置く技法で、古代中国の世界創成感を図柄にした、中国・明からの舶載裂を日本で狩衣に仕立てたもので、能が誕生した室町時代に遡る数少ない能装束の遺例です。
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第四章 戦国の将軍たち―流浪する将軍と室町幕府の終焉

太刀 銘長光(大般若長光)(鎌倉時代 13世紀 東京国立博物館)国宝
備前長船の祖、光忠の子として知られる長光の最高傑作です。室町時代に銭六百貫に値するとの極めて高い評価を受け、全「六百巻」からなる経典の大般若経にかけて「大般若長光」と名付けられました。剣豪将軍とも称される十三代義輝ゆかりの名刀として知られています。
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【次回に続く】
九州国立博物館 特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」に行きました@ [2019年09月04日(Wed)]
8月28日(水)、大宰府にある九州国立博物館に特別展「室町将軍 ― 戦乱と美の足利十五代 ― 」を観に行きましたぴかぴか(新しい)

第一級の絵画・文献資料や将軍ゆかりの「御物」(ごもつ)から、厳選した国宝14件、重要文化財71件の計134件が一挙公開――といっても、当然展示替えもあり、134件全て観ることができた訳ではありませんでしたが、室町幕府・足利将軍15代のおよそ240年を通観できる大規模の展覧会でしたわーい(嬉しい顔)

京都・等持院の足利将軍像13軀が勢ぞろいしての公開は(等持院で観たことはありましたが)寺外初らしく、おまけに、写真を撮ってもよかったのでしたひらめき

初代 尊氏
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二代 義詮
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三代 義満
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四代 義持
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五代 義量
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六代 義教
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七代 義勝
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八代 義政
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九代 義尚
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十代 義稙
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十一代 義澄
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十二代 義晴
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十三代 義輝
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十四代 義栄
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十五代 義昭
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【次回に続く】
ワークショップ「紙資料を未来へー文学館のシゴト」A [2019年09月03日(Tue)]
【前回(8月21日の記事)の続き】

現在の糸綴じには、ナイロン糸などの強度を増した糸を使っているので行われないようですが、以前は背に麻や木綿の平織りした幅10mm程度のテープを直角に当て、テープごと糸綴じして製本強度を上げていました。

資料をばらばらにして、劣化防止処理をし、再び綴じる時、この麻かがり綴じを使われたとのことです。
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糸で綴じる中綴じの本は何冊も作ったことがあったのですが、それを何束か重ねた糸かがり綴じの製本の仕方は初めてだったので、とても参考になりました。
「テープかがり綴じ」で、16ページ(8枚)で一つの折丁を8束作りかがってみました。
いい感じにできたので、上製本で仕上げてみよう、と思っています。
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花布かわいい
花布が、貼り付けただけではなく、つまり装飾としてだけではなく、製本の一部になっている本があることを教えていただきました。
トーク「紙資料を未来へー文学館のシゴト」のとき、展示してあった17世紀の本です。
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花布が編んであります。
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手編みの花布は、もちろん装飾の意味もありますが、色糸を折り丁に交互に縫いつけることで、「折り丁がバラバラにならないための補強」「指をかけて本を取り出しても本を傷めない」という機能的な役目も果たしています。
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表紙に、巻物などにも使う笹小鉤(ささこはぜ)(笹留め)のようなものが付いていて、
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引っ掛けるようになっています。
湿気によってうねって本が開き気味になるのをカバーするためだと思います。
もっと古い時代の本では、本を閉じておく金具やベルトを表紙に取り付けたりりすることもあったようです。
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背に凸凹があります。
これは、表表紙と裏表紙をつなぐ背綴じ紐で、ここに折丁を糸で留めます。そのため、盛り上がった構造になっているようです。
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ヘラにも注目かわいい
ヘラは牛骨を削って好みの形にカスタマイズし、リンシードオイル(亜麻仁油)に4、5日つけ込んだものだそうです。そうすると飴色に変わります。繊維も締って丈夫になるそうです。
今回、お借りしたヘラがそれでした。すごいひらめき
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教えていただきたいことがたくさんありますが、鳥取は遠いですちっ(怒った顔)

そして、ワークショップの午前の部に参加した方の中に、トーク&記念館見学をした人が半分近くいて、皆さんの感心の深さが伺い知れました。

秦さん、本当にありがとうございました。
中原中也記念館の皆様もこんな楽しいワークショップを企画してくださって、ありがとうございました。
トーク「紙資料を未来へー文学館のシゴト」を聴講しましたA中原中也記念館特別企画展「富永太郎と中原中也」“紙資料修復のシゴト”見学 [2019年09月02日(Mon)]
【前回の続き】

トークの後は、希望者で中原中也記念館へ移動し、
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秦博志さんと担当の学芸員 原明子さんの解説で、修復された資料を中心に特別企画展「富永太郎と中原中也」の見学をしました。
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正岡忠三郎日記帖「日記帖6」(大正13年9月15日ー同14年7月8日)《展示@展示ケース3》は、手帖のような形をしていますが、開けなくなっていたのを、一度全部ばらし、劣化を止める処置をし、再び製本したそうです。

中原中也創作ノート「ノート1924」《展示@展示ケース4》は、製本に痛みが出ていて、時代はわからいけれど修復の跡があったそうです。それも全て剥がし、ばらばらにし、綴じ直したそうです。このような大学ノートは隠すところがないので修復が難しいそうです。開いて展示してあるのですが、雁皮紙による補強の様子を見ることができますわーい(嬉しい顔)

正岡忠三郎宛富永太郎書簡 1925(大正14)1月15日《展示@展示ケース4》について、「端の欠損は、何故、修復しないのですか?」と質問したところ、「破損が進むようなものは修復するが、なるべくそのまま残す」というお答えでした。

富永太郎創作ノート「詩帖1」(大正13年)《展示@展示ケース5》は手帖のような形をしていますが、開けることができなし、村井康男宛富永太郎書簡 1924(大正13)10月2日(推定)(展示@展示ケース4)は原稿用紙に書かれていて、クリップで留めた跡の錆びが目立ちますが、所蔵されている神奈川県立神奈川近代文学館は「資料はそのままの形で残す」という考えから修復されていないとのことです。

中原中也日記帖「新文芸日記」(昭和2年1月ー12月(推定))《展示A展示ケース8》。

富永太郎油彩画「Mme M.et sa fille」(M夫人とその娘)(大正12年6ー8月制作)・「Coin de Jardin」(庭の隅)(大正12年8月制作)《展示A展示ケース10》は、丸めた状態で正岡忠三郎の家で発見されました。まず皺を伸ばし絵具の落ちたところに色を入れて修復されています。

富永太郎水彩画「Souvenir de Shang-hai」(上海の思ひ出)(大正13年10月16日制作(推定))《展示A展示ケース10》は、茶色のインクで描かれていてます。恐らくセピア(イカ墨)インクで描かれており、これは、耐光性をもった顔料インクです。
マット装をしたそうです。

正岡忠三郎宛富永太郎書簡 1921(大正10)8月12日《2F 展示B》には、インク色の濃淡があることについて質問したところ、つけペンのインクとのことでした。インクの薄いところと濃いところでは酸化の度合いが異なるそうです。
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中原中也創作ノート「ノート小年時」《2F 展示C》は、「ノート1924」同様大学ノートなので、上製本のように修復跡を隠すことができず、修復が難しかったそうです。「過去の修理の際に付けられたと思われる製本クロスに硬化が見られ本紙への負担が目立ち始めていました。またインク焼けの兆候が見られました。ばらばら解体し、赤インクで書かれたところがあり、赤インクは耐水性がないので、まず滲み止めをしました。フィチン酸カリウム溶液による安定化処理をし、繕い、脱酸化を行い、背のクロスを新調し、再製本しました。」
また、掛け軸と同じく、50年後の修理を見越して、次に修理する時に、それが可能なように、なるべく弱い糊を使うのだそうです。

また、今回展示されていませんでしたが、正岡忠三郎日記貼(大正12年使用)は、同じく大学ノートです。「製本の壊れが見られました。背をくるむ布クロスははがれ、最終頁と裏表紙は粘着テープで補修咲入れていました。また、インク焼けの兆候が見られました。そこで、解体し、テープを除去し、滲み止めをし、フィチン酸カリウム溶液による安定化処理をし、繕い、脱酸化を行い、再製本しました。」
トーク「紙資料を未来へー文学館のシゴト」を聴講しました@ [2019年09月01日(Sun)]
8月17日(土)、セントコア山口で行われた中原中也記念館主催のトーク「紙資料を未来へー文学館のシゴト」に参加しました。

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中原中也記念館は今年の2月で25周年を迎えました。中原中也に関する一次資料の展示・イベント・出版を通して中也の世界を伝えてきました。

講師の修復家の秦博志さんは、中也に関する一次資料(直筆資料等)を後世に残していくためのいろいろな研究、技術が生かされている様子を写真を投影されながら、話してくださいました。

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「紙資料は後世からのプレゼントではなく、預かり物です。次の時代の人に残さなくてはいけない。
だからと言って、しまいこんで使わないのではなく、経年劣化をくい止め、紙資料を現代に活用することが大切」と話されていました。

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また、修復することによって見えてくるものもあるのだそうです。例えば、「春の夕暮」が書かれた原稿用紙の裏側に書かれた「青木三造」ですが、裂け方(中也が裂いたっぽい)からどちらを残そうとしてしていたかが分かります。

▼秦博志さんがてがけた資料修復の報告書
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秦さんは東京の美大の出身で油絵画家を目指されていた時期もあったそうですが、東京修復保存センターに就職されました。
記念館が、中也の日記「ボン・マルシェ日記」の修復を東京修復保存センターに依頼したときの担当が秦さんでした。2005年のことです。
 
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その後、故郷の鳥取に修復工房を開設され、今回の資料修復事業につながりました。
2016年度606点、18年度に190点、計796点の資料が修復されました。

▼中原中也記念館収蔵資料の修復報告書
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@火災による炭化 → プラズマ処理
中也の生家である中原医院の建物は1972年に火災で焼失しました。 火災現場から救出された資料は、周囲が焼け焦げ、あるいは消火の際に水をかぶり、非常にもろくなってしまいました。
紙は本来、親水性(水になじみやすい)ですが、火災による炭化で、疎水性(水をはじく)になり、糊がつかなくなっていました。
窒素ガスを使用したペン型のプラズマ放電装置によりプラズマ処理することで表面を改良し、裏打ちするこができました。
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A酸性紙問題 → 脱酸性化処理 ブックキーパー法
近現代資料に共通の酸性紙問題です。
15世紀頃紙は麻ボロを集めてstamping millで細かくして製紙原料にし、紙を作っていました。
印刷技術が確立して紙への需要が大きくなると供給不足になり、19世紀には木材パルプからつくられるようになります。
また、洋紙は、古くからインクの滲みを解決するため、ゼラチンの液に浸していました。その後19世紀初頭、ロジン(松脂)などを原料とした滲み止め材 ロジン・サイズが製造工程の途中で施されるようになりました。陰イオンを持つ鹸化ロジンエマルションを、同じく陰イオンを持つ紙の繊維のヒドロキシ基に定着させるためには、硫酸アルミニウムを添加して、錯体のロジン酸アルミニウムを形成させる必要があります。しかし、硫酸アルミニウムの持つ硫酸イオンは空気中の水分と反応して紙の中で硫酸を生じ、紙を酸性にします。この硫酸は紙の繊維であるセルロースを徐々に加水分解する作用を持ち、経年変化で次第に紙を劣化させます。
酸性紙の脱酸(中和)処理とは、紙の中の酸をアルカリ物質により中和する処理のことをいい、劣化により失われた紙の強度を回復するのではなく、将来の劣化を抑制する方法です。
アルカリ性の酸化マグネシウムの微粒子を分散させた不活性な液体(無害のフッ素化合物)の中に分散液に紙を浸漬、あるいは液を紙に噴霧し、この液体を気化させると、酸化マグネシウムの粒子だけが紙の中に残ります。
これによって紙のpHを8〜9.5に上昇させ、紙の寿命を5倍程度のばすことができます。
・・・書いていてよくわかわからないけど、こんな話でしたちっ(怒った顔)(すみません。うまくつたえられなくて…)
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▼洋紙の違い
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Bインクの抗酸化処理
鉄製のクリップやステープラの芯などの金具が錆びるとやがて紙に穴が開きます。
それと同様なことが、古典ブルーブラックインクでも起こっているのだそうです。
実際、記念館に展示されている中也の書いたものを見ると、ブルーブラックで書いているにもかかわらず、黒インクて書いているとしか思えません。
実は、このブルーブラックインは、タンニンを反応させ黒い顔料を生成したもので、配合されている鉄が、経年の酸化によって黒く変色します。なんと、筆跡が錆びているのです。さらに、酸化が進み、紙に穴が開いてしまったものもあります。
この筆跡の腐食を食い止めるために、ジュースや肉類などの酸化を抑える抗酸化剤のフィチン酸を使って抗酸化処理をされたそうです。

▼古典ブルーブラックインクと染料インクの違い
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C紙の破れ、脆弱化、欠損 → リーフキャステイグや裏打ち補修など

リーフキャステイグ(漉き嵌め)とは、紙漉きの簀に載せて紙漉きと同じように漉きます。水の中に繊維を分散させて、 その繊維を資料の欠損部に流し込むことで、 欠損部を埋めて補紙を形成する修復方法です。この方法は、両面に文字がある資料でも文字を隠さず補修することができます。

裏打ち補修は、裏全面に薄い和紙を貼る方法です。
糊は、小麦粉から抽出した生麩糊の粉を使用する度に水で溶いて煮て、デンプン糊を作ります。冷蔵庫で1週間位もつそうです。
和紙は美濃紙などが用いられます。

綴じ糸によって切れた部分の補強には、雁皮紙を使います。

以上のようなお話だったのですが、途中、勉強不足のためついていけず未消化な部分もあり、また、用意されていた画像を全部見せていただきたかったですふらふら
なので、ぜひ、もう一度、じっくりお聞きしたいです。

今、記念館で配布しているリーフレット「紙資料を未来へー中原中也記念館 資料修復事業」に、今回のトークのエッセンスが、わたしの拙い文章と違って、わかりやすく記載してあります。
ぜひ、記念館でそちらをGETしてくださいひらめき
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【次回に続く】