高村光太郎と『詩集 大東亜』 @ アーサー・ビナード「絵本の向こうに日本がみえる〜アメリカ生まれの詩人がこの国の言葉を語る〜」
[2026年07月29日(Wed)]
【前回の続き】
講演の中(『知らなかった、ぼくらの戦争』と『ポチャッ ポチョッ イソップ:カエルのくににつたわるおはなし』の間)で、アーサー・ビナードは『詩集 大東亜』について紹介され、その中の鈴樹昌の「日本の母」を朗読されました。
『詩集 大東亜』
(軍事保護院献納詩)
(日本文学報国会/編 河出書房/刊 1944.10.20)

『詩集 大東亜』は、昭和19(1944)年、戦時中、日本軍に捧げるために詩人たちが捧げた戦争詩の詩集です。初版 3000部刷られました。
参加詩人のあいうえお順に編まれています。井上靖、佐藤春夫、西条八十、更科源蔵、神保光太郎、高橋新吉、高村光太郎、土井晩翠、日夏耿之介、室生犀星、堀口大學といった錚々たる詩人が並びます。
序文は、高村光太郎で
ただ是れ利のゆえに吾が神国をたしなめんとする米英等醜(しこ)のともがらを悉く打ちはらい、吾が神ながらの道と力と徳とによって世界をすすぎ清めんとする此の聖戦のみ旨を、われら臣民ひとりとして知らざるはなし
烈しい言葉に驚かされます。
高村光太郎といえば、詩集『道程』、『智恵子抄』などで有名です。
道程
どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自墮落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦惱にもみつぶされたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戰慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命いのちの道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が此命いのちに導く道だつた
そして僕は此處まで來てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の廣大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命いのちの意味をはつきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻しては眼をはぢき
もう此處と思ふところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ嚴格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
とうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一變した
俄かに眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く樣に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の氣魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ聲につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつてゐた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を經驗した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には廣漠とした岩疊な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は氣味の惡い程靜かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅ながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同屬を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
聲をあげて祝福を傳へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに從つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千萬人の中で百人も殘れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の爲め人間を澤山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育はぐくまれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい氣を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て來ても乘り越して歩け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程の爲め
『美の廢墟第六號』
(美の廢墟社 1914(大正3).3.5)
戦争協力詩を多く発表、戦意高揚に努め日本文学報国会詩部会長も務めました。
危急の日に
「本日天気晴朗なれども波高し」と
あの小さな三笠艦がかつて報じた。
波大いに高からんとするはいづくぞ。
いま神明の気はわれらの天と海とに満ちる。
われは義と生命とに立ち、
かれは利に立つ。
われは義を護るといひ、
かれは利の侵略といふ。
出る杭を打たんとするは彼にして、
東亜の大家族を作らんとするは我なり。
有色の者何するものぞと
彼の内心に叫ぶ。
有色の者いまだ悉く目さめず、
憫むべし、彼の頤使に甘んじて
共に我を窮地に追はんとす。
力を用ゐるはわれの悲みなり。
悲愴堪へがたくして、
いま神明の気はわれらの天と海とに満ちる。
──昭和十六年十二月四日──
1941(昭和16)年12月8日(9日づけ)の読売新聞夕刊に掲載
十二月八日
記憶せよ、十二月八日
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ・サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼等のジヤパン、
眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国に於て否定さる。
われらの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の爪牙を摧かんとす。
われら自ら力を養ひてひとたび起つ、
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する
十二月八日を記憶せよ。
──昭和十六年十二月十日──
『婦人朝日』第19巻第2号(1942(昭和17).2)
沈思せよ蒋先生
詩の精神は疑はない。
なるほど政治の上では縁が無い。
蒋政権を相手とせずと、
かつて以前の宰相は天下に宣した。
けれどもわたくしは先生によびかける。
心が心によびかけ得るのを
詩の精神は毫末も疑はない。
わたくしはむしろ童子の稚なさに頓著せず、
遠く先生に此の言をおくる。
詩流、礼にならはずである。
先生はいそがし過ぎる。
先生は一人で八方に気を配る。
目前の処理に日も亦(また)足りない。
米英的民主主義が右にゐる。
モスクワ的共産主義が左にゐる。
うしろには華僑が様子をうかがひ、
しかも面前にわが日本の砲火が迫る。
先生は一人でそれに当らうとする。
先生は思想と行きがかりとに憑かれてゐる。
何を為つつあるかをもう一度考へるため、
先生よ、沈思せよ。
この一月の月あかき夜半、
先生は地下の一室に何を画策する。
先生は人中の竜であると人はいふ。
先生の部下である愛すべき青年将校から
わたくしもかつて先生の出処行蔵をきいた。
先生は身を以て新生活の範を垂れ、
人みな先生に服すといふ。
わたくしも亦先生を偉とする者だが、
その先生に過ちが一つある。
抗日といふ執念を先生は何処から得たか。
東亜の強大ならんとするを恐れる輩(やから)、
先生の国をなま殺しにし、
わが日本の力を消耗せしめようとした、
彼等異人種の苦肉の計を思ひたまへ。
兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぐのはまだいいが、
外(ほか)其の務(あなどり)を禦(ふせ)ぐべき時、
先生は抗日一本槍に民心を導いた。
抗日思想のあるかぎり、
東亜に平和は来ない。
先生は東亜の平和と共栄とを好まないか。
今でも彼等異人種の手足となつてゐる気か。
わたくしは先生の真意を知りたい。
先生の腹心を披(ひら)いて見せてもらひたい。
画策にいそぐ時、人はまよふ。
一切を放擲して根源にかへる時、
天理おのづから明らかに現前する。
結局われわれは共に手をとる仲間である。
いくらあがいても、
さうならなければ東亜の倫理が立たない。
わが日本は先生の国を滅ぼすにあらず、
ただ抗日の思想を滅ぼすのみだ。
抗日に執すれば先生も亦滅ぶ。
わが日本はいま米英を撃つ。
米英は東亜の天地に否定された。
彼等の爪牙は破摧(はさい)される。
先生の国にとつて其は吉か凶か。
先生よ、沈思せよ。
わたくしは童子の稚なさに似た言を吐く。
やむなき思にかられて
ただひたすらに情を抒べるのみだ。
先生に語るべき胸中の氤慍(いんうん)は尽きない。
あり得べくんば長江のあたりへ飛んで、
先生を面責したいのだ。
むしろ多忙の画策をすてて、
沈思せよ、蒋先生。
昭和17(1942)年1月13日執筆、初出「中央公論」昭和17年2月号、詩集『大いなる日に』(昭和17年4月刊)収録
シンガポール陥落
シンガポールが落ちた。
イギリスが碎かれた。
シンガポールが落ちた。
卓上の胡桃割に挟まれた
胡桃のやうに割れてはじけた。
シンガポールが落ちた。
力が力をねぢ伏せた。
シンガポールが落ちた。
彼等の扇の要が切れた。
大英帝国がばらばらになつた。
シンガポールが落ちた。
つひに日本にっぽんが大東亜を取りかへした。
あまり大きな感激は
むしろ人を無口にさせる。
お伽噺にきくやうな
そんな猛獣毒蛇の巣に踏み入つて、
われらの同胞は戦つた。
あの米屋のむすこさんも、
あのお店の板前も、
あの哲学の研究生も、
あの訓導も、あの教授も、
われらの隣人が皆血を流して
文字通り面おもてもふらず突進したのだ。
言語にたえた強引に
油と火の海をも乗り越えたのだ。
空と海と陸との
こんな見事な一元化が曾てあつたか。
シンガポールが落ちた。
感謝の思ひに手がふるへる。
シンガポールが落ちた。
印度洋の波のやうに胸がゆれる。
シンガポールが落ちた。
残虐の世界制覇者をつひに破つた。
シンガポールが落ちた。
傲慢なアングロ・サクソンをつひに駆逐した。
シンガポールが落ちた。
大東亜の新らしい日月が今はじまる。
シンガポールが落ちた。
大東亜のもろもろの民よ、共にきけ。
ああ、シンガポールがつひに落ちた。
──昭和十七年二月十二日、A・K・に渡す──
1942年2月12日、JOAK放送
講演の中(『知らなかった、ぼくらの戦争』と『ポチャッ ポチョッ イソップ:カエルのくににつたわるおはなし』の間)で、アーサー・ビナードは『詩集 大東亜』について紹介され、その中の鈴樹昌の「日本の母」を朗読されました。
『詩集 大東亜』
(軍事保護院献納詩)
(日本文学報国会/編 河出書房/刊 1944.10.20)
『詩集 大東亜』は、昭和19(1944)年、戦時中、日本軍に捧げるために詩人たちが捧げた戦争詩の詩集です。初版 3000部刷られました。
参加詩人のあいうえお順に編まれています。井上靖、佐藤春夫、西条八十、更科源蔵、神保光太郎、高橋新吉、高村光太郎、土井晩翠、日夏耿之介、室生犀星、堀口大學といった錚々たる詩人が並びます。
序文は、高村光太郎で
ただ是れ利のゆえに吾が神国をたしなめんとする米英等醜(しこ)のともがらを悉く打ちはらい、吾が神ながらの道と力と徳とによって世界をすすぎ清めんとする此の聖戦のみ旨を、われら臣民ひとりとして知らざるはなし
烈しい言葉に驚かされます。
高村光太郎といえば、詩集『道程』、『智恵子抄』などで有名です。
道程
どこかに通じてる大道を僕は歩いてゐるのぢやない
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
道は僕のふみしだいて來た足あとだ
だから
道の最端にいつでも僕は立つてゐる
何といふ曲りくねり
迷ひまよつた道だらう
自墮落に消え滅びかけたあの道
絶望に閉ぢ込められたあの道
幼い苦惱にもみつぶされたあの道
ふり返つてみると
自分の道は戰慄に値ひする
四離滅裂な
又むざんな此の光景を見て
誰がこれを
生命いのちの道と信ずるだらう
それだのに
やつぱり此が此命いのちに導く道だつた
そして僕は此處まで來てしまつた
此のさんたんたる自分の道を見て
僕は自然の廣大ないつくしみに涙を流すのだ
あのやくざに見えた道の中から
生命いのちの意味をはつきりと見せてくれたのは自然だ
僕をひき廻しては眼をはぢき
もう此處と思ふところで
さめよ、さめよと叫んだのは自然だ
これこそ嚴格な父の愛だ
子供になり切つたありがたさを僕はしみじみと思つた
どんな時にも自然の手を離さなかつた僕は
とうとう自分をつかまへたのだ
恰度そのとき事態は一變した
俄かに眼前にあるものは光りを放射し
空も地面も沸く樣に動き出した
そのまに
自然は微笑をのこして僕の手から
永遠の地平線へ姿をかくした
そして其の氣魄が宇宙に充ちみちた
驚いてゐる僕の魂は
いきなり「歩け」といふ聲につらぬかれた
僕は武者ぶるひをした
僕は子供の使命を全身に感じた
子供の使命!
僕の肩は重くなつた
そして僕はもうたよる手が無くなつた
無意識にたよつてゐた手が無くなつた
ただ此の宇宙に充ちみちてゐる父を信じて
自分の全身をなげうつのだ
僕ははじめ一歩も歩けない事を經驗した
かなり長い間
冷たい油の汗を流しながら
一つところに立ちつくして居た
僕は心を集めて父の胸にふれた
すると
僕の足はひとりでに動き出した
不思議に僕は或る自憑の境を得た
僕はどう行かうとも思はない
どの道をとらうとも思はない
僕の前には廣漠とした岩疊な一面の風景がひろがつてゐる
その間に花が咲き水が流れてゐる
石があり絶壁がある
それがみないきいきとしてゐる
僕はただあの不思議な自憑の督促のままに歩いてゆく
しかし四方は氣味の惡い程靜かだ
恐ろしい世界の果へ行つてしまふのかと思ふ時もある
寂しさはつんぼのやうに苦しいものだ
僕は其の時又父にいのる
父は其の風景の間に僅ながら勇ましく同じ方へ歩いてゆく人間を僕に見せてくれる
同屬を喜ぶ人間の性に僕はふるへ立つ
聲をあげて祝福を傳へる
そしてあの永遠の地平線を前にして胸のすく程深い呼吸をするのだ
僕の眼が開けるに從つて
四方の風景は其の部分を明らかに僕に示す
生育のいい草の陰に小さい人間のうぢやうぢや匍ひまはつて居るのもみえる
彼等も僕も
大きな人類といふものの一部分だ
しかし人類は無駄なものを棄て腐らしても惜しまない
人間は鮭の卵だ
千萬人の中で百人も殘れば
人類は永久に絶えやしない
棄て腐らすのを見越して
自然は人類の爲め人間を澤山つくるのだ
腐るものは腐れ
自然に背いたものはみな腐る
僕は今のところ彼等にかまつてゐられない
もつと此の風景に養はれ育はぐくまれて
自分を自分らしく伸ばさねばならぬ
子供は父のいつくしみに報いたい氣を燃やしてゐるのだ
ああ
人類の道程は遠い
そして其の大道はない
自然の子供等が全身の力で拓いて行かねばならないのだ
歩け、歩け
どんなものが出て來ても乘り越して歩け
この光り輝やく風景の中に踏み込んでゆけ
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出來る
ああ、父よ
僕を一人立ちにさせた父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の氣魄を僕に充たせよ
この遠い道程の爲め
『美の廢墟第六號』
(美の廢墟社 1914(大正3).3.5)
戦争協力詩を多く発表、戦意高揚に努め日本文学報国会詩部会長も務めました。
危急の日に
「本日天気晴朗なれども波高し」と
あの小さな三笠艦がかつて報じた。
波大いに高からんとするはいづくぞ。
いま神明の気はわれらの天と海とに満ちる。
われは義と生命とに立ち、
かれは利に立つ。
われは義を護るといひ、
かれは利の侵略といふ。
出る杭を打たんとするは彼にして、
東亜の大家族を作らんとするは我なり。
有色の者何するものぞと
彼の内心に叫ぶ。
有色の者いまだ悉く目さめず、
憫むべし、彼の頤使に甘んじて
共に我を窮地に追はんとす。
力を用ゐるはわれの悲みなり。
悲愴堪へがたくして、
いま神明の気はわれらの天と海とに満ちる。
──昭和十六年十二月四日──
1941(昭和16)年12月8日(9日づけ)の読売新聞夕刊に掲載
十二月八日
記憶せよ、十二月八日
この日世界の歴史あらたまる。
アングロ・サクソンの主権、
この日東亜の陸と海とに否定さる。
否定するものは彼等のジヤパン、
眇たる東海の国にして
また神の国たる日本なり。
そを治(しろ)しめたまふ明津御神(あきつみかみ)なり。
世界の富を壟断するもの、
強豪米英一族の力、
われらの国に於て否定さる。
われらの否定は義による。
東亜を東亜にかへせといふのみ。
彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。
われらまさに其の爪牙を摧かんとす。
われら自ら力を養ひてひとたび起つ、
老若男女みな兵なり。
大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。
世界の歴史を両断する
十二月八日を記憶せよ。
──昭和十六年十二月十日──
『婦人朝日』第19巻第2号(1942(昭和17).2)
沈思せよ蒋先生
詩の精神は疑はない。
なるほど政治の上では縁が無い。
蒋政権を相手とせずと、
かつて以前の宰相は天下に宣した。
けれどもわたくしは先生によびかける。
心が心によびかけ得るのを
詩の精神は毫末も疑はない。
わたくしはむしろ童子の稚なさに頓著せず、
遠く先生に此の言をおくる。
詩流、礼にならはずである。
先生はいそがし過ぎる。
先生は一人で八方に気を配る。
目前の処理に日も亦(また)足りない。
米英的民主主義が右にゐる。
モスクワ的共産主義が左にゐる。
うしろには華僑が様子をうかがひ、
しかも面前にわが日本の砲火が迫る。
先生は一人でそれに当らうとする。
先生は思想と行きがかりとに憑かれてゐる。
何を為つつあるかをもう一度考へるため、
先生よ、沈思せよ。
この一月の月あかき夜半、
先生は地下の一室に何を画策する。
先生は人中の竜であると人はいふ。
先生の部下である愛すべき青年将校から
わたくしもかつて先生の出処行蔵をきいた。
先生は身を以て新生活の範を垂れ、
人みな先生に服すといふ。
わたくしも亦先生を偉とする者だが、
その先生に過ちが一つある。
抗日といふ執念を先生は何処から得たか。
東亜の強大ならんとするを恐れる輩(やから)、
先生の国をなま殺しにし、
わが日本の力を消耗せしめようとした、
彼等異人種の苦肉の計を思ひたまへ。
兄弟牆(かき)に鬩(せめ)ぐのはまだいいが、
外(ほか)其の務(あなどり)を禦(ふせ)ぐべき時、
先生は抗日一本槍に民心を導いた。
抗日思想のあるかぎり、
東亜に平和は来ない。
先生は東亜の平和と共栄とを好まないか。
今でも彼等異人種の手足となつてゐる気か。
わたくしは先生の真意を知りたい。
先生の腹心を披(ひら)いて見せてもらひたい。
画策にいそぐ時、人はまよふ。
一切を放擲して根源にかへる時、
天理おのづから明らかに現前する。
結局われわれは共に手をとる仲間である。
いくらあがいても、
さうならなければ東亜の倫理が立たない。
わが日本は先生の国を滅ぼすにあらず、
ただ抗日の思想を滅ぼすのみだ。
抗日に執すれば先生も亦滅ぶ。
わが日本はいま米英を撃つ。
米英は東亜の天地に否定された。
彼等の爪牙は破摧(はさい)される。
先生の国にとつて其は吉か凶か。
先生よ、沈思せよ。
わたくしは童子の稚なさに似た言を吐く。
やむなき思にかられて
ただひたすらに情を抒べるのみだ。
先生に語るべき胸中の氤慍(いんうん)は尽きない。
あり得べくんば長江のあたりへ飛んで、
先生を面責したいのだ。
むしろ多忙の画策をすてて、
沈思せよ、蒋先生。
昭和17(1942)年1月13日執筆、初出「中央公論」昭和17年2月号、詩集『大いなる日に』(昭和17年4月刊)収録
シンガポール陥落
シンガポールが落ちた。
イギリスが碎かれた。
シンガポールが落ちた。
卓上の胡桃割に挟まれた
胡桃のやうに割れてはじけた。
シンガポールが落ちた。
力が力をねぢ伏せた。
シンガポールが落ちた。
彼等の扇の要が切れた。
大英帝国がばらばらになつた。
シンガポールが落ちた。
つひに日本にっぽんが大東亜を取りかへした。
あまり大きな感激は
むしろ人を無口にさせる。
お伽噺にきくやうな
そんな猛獣毒蛇の巣に踏み入つて、
われらの同胞は戦つた。
あの米屋のむすこさんも、
あのお店の板前も、
あの哲学の研究生も、
あの訓導も、あの教授も、
われらの隣人が皆血を流して
文字通り面おもてもふらず突進したのだ。
言語にたえた強引に
油と火の海をも乗り越えたのだ。
空と海と陸との
こんな見事な一元化が曾てあつたか。
シンガポールが落ちた。
感謝の思ひに手がふるへる。
シンガポールが落ちた。
印度洋の波のやうに胸がゆれる。
シンガポールが落ちた。
残虐の世界制覇者をつひに破つた。
シンガポールが落ちた。
傲慢なアングロ・サクソンをつひに駆逐した。
シンガポールが落ちた。
大東亜の新らしい日月が今はじまる。
シンガポールが落ちた。
大東亜のもろもろの民よ、共にきけ。
ああ、シンガポールがつひに落ちた。
──昭和十七年二月十二日、A・K・に渡す──
1942年2月12日、JOAK放送



