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こどもと本ジョイントネット21・山口


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第30回中原中也賞受賞詩集 高村而葉『生きているものはいつも赤い』 @ 中原中也記念館 特別展示 & 中原中也を読む会 [2025年05月26日(Mon)]
4月25日(金)、中原中也記念館で開催された中原中也を読む会「第30回中原中也賞受賞詩集 高村而葉(たかむらじよう)『生きているものはいつも赤い』を読む」に参加しましたぴかぴか(新しい)

読書コーナーに展示してある「第30回中原中也賞 高村而葉氏『生きているものはいつも赤い』特別展示」(2025年4月16日(水)〜5月25日(日))を展示担当された中原豊館長の解説で見学しました。

展示は、パネル(略歴・詩「パプーシャの家」抜粋・選評抜粋など)や宇野紘城さんの装画および、高村さんから展示用に送られてきた書物・DVD・映画チラシ6点のみでしたが、詩を読み解くのに役立つものです。

『生きているものはいつも赤い』は、青い本で、ついタイトルを『・・・いつも青い』と言ってしまいそうですが、表題は詩「絞める手を疑うこと」の一節からとられました。

すべての生きているものが朝焼けに照らされて、本来、バラバラのものがいっしょにいる瞬間をイメージした

と、高村さんは言われました。

別館に移動し、詩「パプーシャの家」を皆で鑑賞しました。


受賞コメント

20年前、生きている詩人に会うという目的のために、ほとんど詩のことを知らないまま、詩(のようなもの)を書き始めました。

とあり、「生きている詩人」とは誰なんだろうと気になっていました。
その疑問は展示を観て解けました。


展示期間が25日で終わったので、展示されていたものを紹介します。

1チラシ 映画「急にたどりついてしまう」
(福間健二/監督・脚本 1995)

 映画「急にたどりついてしまう」で、詩人 福間健二を知ったそうです。



2詩集『行儀のわるいミス・ブラウン』
(福間健二/詩 雀社 1991)

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そうです。生きている詩人とは福間健二(1949.3.10〜 2023.4.26)。

生きている詩人に会いに行ったのは、春らしい日だったと記憶している。そして、初めて詩のようなものを書いたのは、その数日前の明け方だった。
(「第30回中原中也賞贈呈式・記念講演」配布パンフレット)

高村さんは、2008年から現代詩手帖の新人欄に毎号作品を投稿し、2009年に詩の登竜門といわれる第47回 現代詩手帖賞最優秀新人賞を受賞しました。

今起こっていることは今だけのことではない、という当然の事実に息苦しさと似た気持ちを抱きますが、この<今>が内を貫いてだだっぴろい所に放り出されるように書いていけたら、と思います。
(『現代詩手帖』2009年5月号)

その後2012年に詩集を作る話もあったようですが、頓挫し、

およそ、一五年のあいだに書いた詩を、数年かけて推敲し、行きつ戻りつしたものだ
(瀬尾育生「高村而葉詩集によせて」)

そして、2023年詩作のきっかけとなった詩人 福間健二が亡くなったことから、2005〜23年に手掛けた22篇から成る初詩集『生きているものはいつも赤い』ができました。

展示してあった本が手に入らなかったので、私は、『福間健二詩集』(現代詩文庫 156)(福間健二/著 思潮社 1999.3)を読みました。

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3アンソロジー詩集『ジャイアントフィールド・ジャイアントブック』
(山田亮太/編 ヴァーバル・アート・ユニットTolta (トルタ) 2009.12)

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山田亮太第一詩集『ジャイアントフィールド』(山田亮太/著者・編集 思潮社 2009.5)の第15回(2010年)中原中也賞最終選考落選を記念して、『ジャイアントフィールド』 から抜き出した言葉を使った詩、短歌、俳句を執筆者に1篇ずつ寄稿してもらい、1冊にまとめたアンソロジーで、執筆者は大学生から三角みづ紀、渡辺玄英 、瀬尾育生、谷川俊太郎まで60名です。
『ジャイアントフィールド』のなかの言葉をジャイアントに拡大した無重力アンソロジー詩集。
この執筆者の一人に高村さんが入っています。

同じく受賞コメントで、

言葉で説明できないことそのものを、言葉によって密閉して渡すことができる詩は、人間と人間をど こか深い部分で親密にする力があるはずです。
これからも、対話の可能性としての詩を書き続けていきます。




4DVD「カルメン故郷に帰る」
(木下恵介)1951年一般公開

この映画を題材とした同タイトルの詩「カルメン故郷に帰る」が詩集に収録されています。
映画は日本初の総天然色映画、高峰三枝子主演のコメディです。



5文庫本『フォークナー短編集』
(ウィリアム・フォークナー/著 龍口直太郎/訳 新潮社 1955.12)

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新潮文庫『フォークナー短編集』所収の短編小説「エミリーにバラを」(A Rose for Emily)を題材とした詩「エミリーは薔薇なんていらない」が収録されています。

私は『エミリーの薔薇』(W・フォークナー/著 龍口直太郎/訳 コスモポリタン社 1952.2)で読みました。

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フォークナーのこの作品の中にバラの花は全く出てこず、バラに関するものといったら「バラ色のあせた寝台の垂れ幕」「バラ色の電灯の笠」しか出てきません。
しかし、原題は「A Rose for Emily」です。

そのまま訳せば『エミリーへの薔薇』。龍口直太郎は「エミリーの薔薇」と訳したタイトルを「エミリーにバラを」と変えています。高橋正雄も「エミリーに薔薇を」としています。

『完全版 十字路が見える W 北斗に誓えば』(北方謙三/著 岩波書店 2023.3.24)「文学の香りというやつを求めてみたが」(週刊新潮 2022年2月3日号コラム 北方謙三「十字路が見える」第396回に掲載されたもの)に、
 
 どれぐらい前か、フォークナーの作品を再読していた。『エミリーに薔薇を』があった。(略)ただ、ずっと昔に私が読んだ時は、『エミリーの薔薇』というタイトルで、それ以後、『エミリーに薔薇を』とか『エミリーへの薔薇』などというタイトルが出てきたようだ。(略)
 最初に読んだのは、瀧口直太郎訳であった。(略)『エミリーの薔薇』は、かなりの超訳になるだろうと思うが、(略)
 タイトルとして、原題よりすぐれている、という言い方もできるかもしれない。
 南部の屋敷で暮らす、上流階級の女性の、不幸な一生の中で、唯一手にした薔薇。それが描出されているのだ。エミリーへ薔薇を贈るという意味合いだと、鮮烈さは消える。
 私は、日本で最初に訳したであろう、瀧口直太郎訳のタイトルに、この作品を象徴するような凄さがある、と感じる。(略)深い意図でそうされたのだろう、と思えてならない。


とあります。
私も、北方謙三さんに賛成!

しかしながら、フォークナーは1955年8月に来日し、長野市で「アメリカ文学セミナー」が開催されました。その際、なぜそのようなタイトルをつけたか、直接質問してみたことが、訳者 瀧口直太郎による新潮文庫の「解説」に書いてあります。

バラの花ぐらい贈ってやらないと、エミリーがあまりにもかわいそうではないか、という返事がかえってきた。(略)「ミス・エミリーにバラの花を捧げよう」というのが作者の意図なのであろう。拙訳を改めるにあたって、(略)「エミリーへのバラ」としている人もいるが、これではバラが主体になってしまうので、私は作者の意図をくんで、『エミリーにバラを』とした。(略)
  (一九六九年十月)


そこで、龍口直太郎も、あえて日本語の題名を変えた次第。



6詩集『パプーシャ その詩の世界』(ムヴィオラ刊)

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帯に

書き文字を持たない
ジプシーの一族に生まれながら、
言葉を愛した女性、パプーシャ。
魂揺さぶる数々の詩を初翻訳。

フィツォフスキのジプシー論文、
谷川俊太郎(詩人)による特別寄稿、
映画『パプーシャの黒い瞳』の物語採録も掲載。


とあります。
『パプーシャの黒い瞳』は、ポーランドのヨアンナ・コス=クラウゼ(Joanna Kos-Krauze)&クシシュトフ・クラウゼ夫妻が脚本・監督の歴史上初めてのジプシー女性詩人“パプーシャ”(ブロニスワヴァ・ヴァイス)を描いた映画です。

この本が手に入らなかったので、『立ったまま埋めてくれ―ジプシーの旅と暮らし』(イザベル・フォンセーカ/著 くぼたのぞみ/訳 青土社 1998.11)「パプーシャの口からこぼれた歌」を読みました。

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パプーシャとは「人形」という意味の愛称、本名はブロニスワヴァ・ヴァイス(1910〜1987)でロマ初女性詩人です。ロマは文字を持たず、集団で移動しながら生活していました。パプーシャは言葉に強い関心を寄せ、自らの意志で文字を学び、ロマが音楽にのせて歌っている詩を文字化しました。また自分自身でも詩を生み出すようになりました。詩人 イェジ・フィツォフスキにより出版され、パプーシャは一躍時の人となり、ポーランド社会主義共和国の同化政策に利用されることになりました。文字化されることで、ロマの世界のいわば秘密が人々に知れ渡るにつれ、パプーシャは、ジプシーのコミュニティー内で厳しく非難されるようになり、裏切り者として迫害され、つらい晩年を送りました。

詩集にはこの「パプーシャ」を題材とした詩「パプーシャの家」が収録されています。



選評などが掲載された『ユリイカ』2025年4月号(青土社)や受賞詩集『生きているものはいつも赤い』(思潮社)は本棚の置かれ、いつでも手に取って読むことができます。

『ユリイカ』には、

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第30回中原中也賞発表
高村而葉『生きているものはいつも赤い』
受賞詩集より――「パプーシャの家」「山の目」「絞める手を疑うこと」「光の墓場に根を伸ばして」
選評=カニエ・ナハ、川上未映子、野崎有以、蜂飼耳、穂村弘


が掲載されています。


『生きているものはいつも赤い』
(高村而葉/詩 思潮社 2024.11.15)
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目次



パプーシャの家
静かに生きる人の姿勢で
新しいひとつの謎になる、わたしたち
遠くの顔をなぞる
彫り込まれた、本を開いている
エミリーには薔薇なんていらない



無重力のための習作
バサバサッと、心臓が鳴った
盗蜜する長い猛者
青白い電気が、美、美、美、と走った
この円陣は誰のためのものか
そのまま、ゆれつづける



山の目
絞める手を疑うこと
いい感じに開く
銭湯平野
やわらかくてわずかに苦い



消えいるものが満ちるところ
美しく描いてはいけない
跳ねる豆
カルメン故郷に帰る
光の墓場に根を伸ばして

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