ゆきてかへらぬ
[2025年05月25日(Sun)]
4月19日(土)、山口情報芸術センター[YCAM]シネマで、映画「ゆきてかへらぬ」を鑑賞し、根岸吉太郎監督と中原豊中原中也記念館館長のトークを拝聴
-thumbnail2.JPG)
映画はネタバレになったらいけないので、あんまり書けませんが、中原中也の「ゆきてかへらぬ」などの詩、長谷川泰子『ゆきてかへらぬ』や小林秀雄の著書からの逸話が描かれ、言葉が随所に散りばめられ、「うんうん」ってうなずきながらずっと観ていました。もちろん、「こんなことはなかった筈」というフィクションの部分もありましたが、「それはそれでいいのだ」と思わせるだけの説得力もありました。
トークは、主演の広瀬すずが21歳の時依頼したこと、中也役の木戸大聖は目の輝きで決めたこと、中也の住んでいた町屋も小林の下宿もセットだということなど、など面白かった!

40年前に書かれた田中陽造の脚本を今の時代に受け入れられにあうように改変し、泰子、中也、小林の3人の青春に絞って時系列に組み立て直したということです。
▼『ゆきてかへらぬ 田中陽造自選シナリオ集』
(田中陽造/著 国書刊行会 2025.2)

中也は、山口中学を落第し、立命館中学に転学してから、東京に行くまでの間、8回転居を繰り返します。
京都市上京区岡崎西福ノ川 沢田方
1923(大正12)年4月に京大生が多く住む下宿に入居。立命館中学校広小路学舎に近い場所ではなく、岡崎善正寺の西辺り。
現在地は「京都市左京区岡崎西福ノ川町」。
京都市上京区聖護院西町九 藤本大有方
同年9月に転居。熊野神社の近くで、京都大学医学部付属病院の駐車場の東大路通をはさんだ向い辺り。
現在地は「京都市左京区聖護院西町10」。
京都市北区小山上総町
同じ月にさらに同志社の学生もいる下宿に転居。立命館中学校北大路学舎(北区小山西上総町)のすぐそば。
現在地は「京都市北区上総町」。
京都市丸太町中筋 菊ヤ方
同年11月には転居。「菊ヤ」は旅館で、河原町丸太町の東辺り、学校からは遠い。
現在地は「京都市上京区中町通丸太町下ル駒之町538-1」。
京都市寺町油ノ小路下ル西入ル
1924(大正13)年2月頃に転居。住所や転居時期は定かではなく、「『寺町』『油ノ小路』ともに南北の通り。『油ノ小路』は「押小路」の誤記か」との指摘があるそうです。寺町押小路であれば、京都市役所の北辺り。
京都市北区大将軍西町椿寺南裏 谷本方
同年4月に転居し、長谷川泰子との同棲が始まる。地蔵院椿寺の南辺り。マキノ等持院撮影所や日活大将軍撮影所等に比較的近い場所。
現在地は「京都市北区大将軍川端町」。
京都市上京区中筋通石薬師上ル 高田大道方
同年10月、富永太郎の下宿(京都市上京区下鴨宮崎町中ノ町下鴨郵便局下ル 西野喜一郎方)の近くに転居し、以後頻繁に往来。河原町今出川の南西辺り。
現在地は「京都市上京区中筋通石薬師上ル大宮町341−1」。
京都市上京区中筋通石薬師上ル角 山本方
1925(大正14)年2月に寺町今出川一条目下ル中筋角に転居。(7)の住居からさらに南西に行った辺り。この2階の窓は、中也が「スペイン式窓」と呼んで気に入っていました。
現在地は「京都市上京区河原町今出川下ル西入ル大宮町337」。
映画セットの下宿は、中也が「スペイン式窓」と呼んで気に入っていた家ではありませんでしたが、映画冒頭の京都の街並みの瓦屋根の美しさ、特に雨に濡れた屋根瓦の美しさ、赤い傘が印象的でした。
会場は、知っている方がいっぱい!
中には先月ジョイネットで主催し山陽小野田市立中央図書館で開催した中原豊さん「谷川俊太郎さん、中也を読む」ですっかり中也ファンになり、中也の生家跡に建つ中原中也記念館を今回初めて訪れ、宇部の映画館で「ゆきてかへらぬ」を観て、でも、どうしてもトークも聴きたくて今日来たという宇部市在住の人もいて、私自身いい仕事をしたなあ、って自分を褒めました。
タバコとマントの恋
中原中也
タバコとマントが恋をした
その筈だ
タバコとマントは同類で
タバコが男でマントが女だ
或時二人が身投心中したが
マントは重いが風を含み
タバコは細いが軽かつたので
崖の上から海面に
到着するまでの時間が同じだつた
神様がそれをみて
全く相対界のノーマル事件だといつて
天国でビラマイタ
二人がそれをみて
お互の幸福であつたことを知つた時
恋は永久に破れてしまつた。
(『文学界 第五巻第一〇号』(1938(昭和13)年10月1日発行)
《「地獄の季節」より》
アルチュール・ランボウ
小林秀雄訳
季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
無疵な魂(こころ)が何処にある。
俺の手掛けた幸福が
魔法を誰が逃れよう。
ゴオルの鶏(とり)が鳴くごとに、
幸福(あれ)にお禮を言ふことだ。
ああ、何事も希ふまい、
生(いのち)は幸福(あれ)を食ひ過ぎた、
身も魂も奪はれて、
意気地も何もけし飛んだ。
季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
幸福(あれ)が逃げるとなつたらば、
ああ、臨終(おさらば)の時が来る。
季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
※参考に『ランボオ詩集』収録の中也訳を載せておきます
幸福
アルチュール・ランボー
中原中也訳
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
無疵(むきず)な魂(もの)なぞ何処にあらう?
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。
ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。
もはや何にも希(ねが)ふまい、
私はそいつで一杯だ。
身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。
私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!
朝の歌
中原中也
天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。
樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森竝[もりなみ]は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
一つのメルヘン
中原中也
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
ゆきてかへらぬ
――京都――
中原中也
僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺(ゆす)つてゐた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々(あかあか)と、風車を付けた乳母車(うばぐるま)、いつも街上[がいじょう]に停(とま)つてゐた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団(ふとん)ときたらば影だになく、歯刷子(はぶらし)くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があつて、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いてゐた。
中原中也の思ひ出
小林秀雄
鎌倉比企ケ谷(ひきがやつ)妙本寺境内に、海棠(かいどう)の名木があつた。
こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎年のお花見を欠かした事がなかつたが、先年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切株を見に行くまで、何んだか信じられなかつた。それほど前の年の満開は例年になく見事なものであつた。名木の名に恥ぢぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目の様に細かく分れて行く梢(こずえ)の末々まで、極度の注意力を以つて、とでも言ひ度(た)げに、綴細な花を附けられるだけ附けてゐた。私はF君と家内と三人で弁当を開き、酒を呑み、今年は花が小ぶりの様だが、実によく附いたものだと話し合つた。(略)
中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮やかに思び出された。中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であつた。前年、子供をなくし、発狂状態に陥つた事を、私は知人から聞いてゐたが、どんな具合に恢復し、どんな事情で鎌倉に来るやうになつたか知らなかつた。久しく殆ど絶交状態にあつた彼は、突然現れたのである。
晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙つて見てゐた。花びらは死んだ様な空気の中を、まつ直ぐに間断なく、落ちてゐた。樹蔭の地面は薄桃色にべつとりと染まつてゐた。
あれは散るのぢやない、散らしてゐるのだ、一とひら一とひらと散らすのに、吃度(きっと)順序も速度も決めてゐるに違ひない、何んといふ注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考へてゐた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考へか、愚行を挑発されるだらう。花びらの運動は果しなく、見入つてゐると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになつて来た。我慢が出来なくなつて来た。
その時、黙つて見てゐた中原が、突然「もういゝよ、帰らうよ」と言つた。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。
「お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。
彼は、いつもする道化た様な笑ひをしてみせた。二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙つてゐた。彼は、ビールを一と口飲んでは、「あゝ、ボーヨー、ボーヨー」と喚(わめ)いた。
「ボーヨ一つて何んだ」
「前途茫洋さ、あゝ、ボーヨー、ボ−ヨー」と彼は眼を据ゑ、悲し気な節を付けた。
(略)
骨
中原中也
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑(をか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、――僕?
恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
死んだ中原
小林秀雄
君の詩は自分の死に顔が
わかつて了(しま)つた男の詩のやうであつた
ホラ、ホラ、これが僕の骨
と歌つたことさへあつたつけ
僕の見た君の骨は
鉄板の上で赤くなり、ボウボウと音をたててゐた
君が見たといふ君の骨は
立札ほどの高さに白々と、とんがつてゐたさうな
ほのか乍ら確かに君の屍臭を嗅いではみたが
言ふに言われぬ君の額の冷たさに触つてはみたが
たうたう最後の灰の塊りを竹箸の先で積もつてはみたが
この僕に一体何が納得出来ただろう
夕空に赤茶けた雲が流れ去り
見窄(みすぼ)らしい谷間ひに夜気が迫り
ポンポン蒸気が行く様な
君の焼ける音が丘の方から降りて来て
僕は止むなく隠坊の娘やむく犬どもの
生きてゐるのを確かめるやうな様子であつた
あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉がいえようか
君に取り返しのつかぬ事をして了つたあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた
あゝ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗って行け
何んの不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば


映画はネタバレになったらいけないので、あんまり書けませんが、中原中也の「ゆきてかへらぬ」などの詩、長谷川泰子『ゆきてかへらぬ』や小林秀雄の著書からの逸話が描かれ、言葉が随所に散りばめられ、「うんうん」ってうなずきながらずっと観ていました。もちろん、「こんなことはなかった筈」というフィクションの部分もありましたが、「それはそれでいいのだ」と思わせるだけの説得力もありました。
トークは、主演の広瀬すずが21歳の時依頼したこと、中也役の木戸大聖は目の輝きで決めたこと、中也の住んでいた町屋も小林の下宿もセットだということなど、など面白かった!
40年前に書かれた田中陽造の脚本を今の時代に受け入れられにあうように改変し、泰子、中也、小林の3人の青春に絞って時系列に組み立て直したということです。
▼『ゆきてかへらぬ 田中陽造自選シナリオ集』
(田中陽造/著 国書刊行会 2025.2)

中也は、山口中学を落第し、立命館中学に転学してから、東京に行くまでの間、8回転居を繰り返します。

1923(大正12)年4月に京大生が多く住む下宿に入居。立命館中学校広小路学舎に近い場所ではなく、岡崎善正寺の西辺り。
現在地は「京都市左京区岡崎西福ノ川町」。

同年9月に転居。熊野神社の近くで、京都大学医学部付属病院の駐車場の東大路通をはさんだ向い辺り。
現在地は「京都市左京区聖護院西町10」。

同じ月にさらに同志社の学生もいる下宿に転居。立命館中学校北大路学舎(北区小山西上総町)のすぐそば。
現在地は「京都市北区上総町」。

同年11月には転居。「菊ヤ」は旅館で、河原町丸太町の東辺り、学校からは遠い。
現在地は「京都市上京区中町通丸太町下ル駒之町538-1」。

1924(大正13)年2月頃に転居。住所や転居時期は定かではなく、「『寺町』『油ノ小路』ともに南北の通り。『油ノ小路』は「押小路」の誤記か」との指摘があるそうです。寺町押小路であれば、京都市役所の北辺り。

同年4月に転居し、長谷川泰子との同棲が始まる。地蔵院椿寺の南辺り。マキノ等持院撮影所や日活大将軍撮影所等に比較的近い場所。
現在地は「京都市北区大将軍川端町」。

同年10月、富永太郎の下宿(京都市上京区下鴨宮崎町中ノ町下鴨郵便局下ル 西野喜一郎方)の近くに転居し、以後頻繁に往来。河原町今出川の南西辺り。
現在地は「京都市上京区中筋通石薬師上ル大宮町341−1」。

1925(大正14)年2月に寺町今出川一条目下ル中筋角に転居。(7)の住居からさらに南西に行った辺り。この2階の窓は、中也が「スペイン式窓」と呼んで気に入っていました。
現在地は「京都市上京区河原町今出川下ル西入ル大宮町337」。
映画セットの下宿は、中也が「スペイン式窓」と呼んで気に入っていた家ではありませんでしたが、映画冒頭の京都の街並みの瓦屋根の美しさ、特に雨に濡れた屋根瓦の美しさ、赤い傘が印象的でした。
会場は、知っている方がいっぱい!
中には先月ジョイネットで主催し山陽小野田市立中央図書館で開催した中原豊さん「谷川俊太郎さん、中也を読む」ですっかり中也ファンになり、中也の生家跡に建つ中原中也記念館を今回初めて訪れ、宇部の映画館で「ゆきてかへらぬ」を観て、でも、どうしてもトークも聴きたくて今日来たという宇部市在住の人もいて、私自身いい仕事をしたなあ、って自分を褒めました。
タバコとマントの恋
中原中也
タバコとマントが恋をした
その筈だ
タバコとマントは同類で
タバコが男でマントが女だ
或時二人が身投心中したが
マントは重いが風を含み
タバコは細いが軽かつたので
崖の上から海面に
到着するまでの時間が同じだつた
神様がそれをみて
全く相対界のノーマル事件だといつて
天国でビラマイタ
二人がそれをみて
お互の幸福であつたことを知つた時
恋は永久に破れてしまつた。
(『文学界 第五巻第一〇号』(1938(昭和13)年10月1日発行)
《「地獄の季節」より》
アルチュール・ランボウ
小林秀雄訳
季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
無疵な魂(こころ)が何処にある。
俺の手掛けた幸福が
魔法を誰が逃れよう。
ゴオルの鶏(とり)が鳴くごとに、
幸福(あれ)にお禮を言ふことだ。
ああ、何事も希ふまい、
生(いのち)は幸福(あれ)を食ひ過ぎた、
身も魂も奪はれて、
意気地も何もけし飛んだ。
季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
幸福(あれ)が逃げるとなつたらば、
ああ、臨終(おさらば)の時が来る。
季節(とき)が流れる、城砦(おしろ)が見える。
※参考に『ランボオ詩集』収録の中也訳を載せておきます
幸福
アルチュール・ランボー
中原中也訳
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
無疵(むきず)な魂(もの)なぞ何処にあらう?
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える、
私の手がけた幸福の
秘法を誰が脱(のが)れ得よう。
ゴオルの鶏(とり)が鳴くたびに、
「幸福」こそは万歳だ。
もはや何にも希(ねが)ふまい、
私はそいつで一杯だ。
身も魂も恍惚(とろ)けては、
努力もへちまもあるものか。
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える。
私が何を言つてるのかつて?
言葉なんぞはふつ飛んぢまへだ!
季節(とき)が流れる、城寨(おしろ)が見える!
朝の歌
中原中也
天井に 朱(あか)きいろいで
戸の隙を 洩れ入る光、
鄙(ひな)びたる 軍楽の憶(おも)ひ
手にてなす なにごともなし。
小鳥らの うたはきこえず
空は今日 はなだ色らし、
倦(う)んじてし 人のこころを
諫(いさ)めする なにものもなし。
樹脂(じゆし)の香に 朝は悩まし
うしなひし さまざまのゆめ、
森竝[もりなみ]は 風に鳴るかな
ひろごりて たひらかの空、
土手づたひ きえてゆくかな
うつくしき さまざまの夢。
一つのメルヘン
中原中也
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
ゆきてかへらぬ
――京都――
中原中也
僕は此の世の果てにゐた。陽は温暖に降り洒(そそ)ぎ、風は花々揺(ゆす)つてゐた。
木橋の、埃りは終日、沈黙し、ポストは終日赫々(あかあか)と、風車を付けた乳母車(うばぐるま)、いつも街上[がいじょう]に停(とま)つてゐた。
棲む人達は子供等は、街上に見えず、僕に一人の縁者(みより)なく、風信機(かざみ)の上の空の色、時々見るのが仕事であつた。
さりとて退屈してもゐず、空気の中には蜜があり、物体ではないその蜜は、常住食すに適してゐた。
煙草くらゐは喫つてもみたが、それとて匂ひを好んだばかり。おまけに僕としたことが、戸外でしか吹かさなかつた。
さてわが親しき所有品(もちもの)は、タオル一本。枕は持つてゐたとはいへ、布団(ふとん)ときたらば影だになく、歯刷子(はぶらし)くらゐは持つてもゐたが、たつた一冊ある本は、中に何も書いてはなく、時々手にとりその目方、たのしむだけのものだつた。
女たちは、げに慕はしいのではあつたが、一度とて、会ひに行かうと思はなかつた。夢みるだけで沢山だつた。
名状しがたい何物かゞ、たえず僕をば促進し、目的もない僕ながら、希望は胸に高鳴つてゐた。
* *
*
林の中には、世にも不思議な公園があつて、不気味な程にもにこやかな、女や子供、男達散歩してゐて、僕に分らぬ言語を話し、僕に分らぬ感情を、表情してゐた。
さてその空には銀色に、蜘蛛(くも)の巣が光り輝いてゐた。
中原中也の思ひ出
小林秀雄
鎌倉比企ケ谷(ひきがやつ)妙本寺境内に、海棠(かいどう)の名木があつた。
こちらに来て、その花盛りを見て以来、私は毎年のお花見を欠かした事がなかつたが、先年枯死した。枯れたと聞いても、無残な切株を見に行くまで、何んだか信じられなかつた。それほど前の年の満開は例年になく見事なものであつた。名木の名に恥ぢぬ堂々とした複雑な枝ぶりの、網の目の様に細かく分れて行く梢(こずえ)の末々まで、極度の注意力を以つて、とでも言ひ度(た)げに、綴細な花を附けられるだけ附けてゐた。私はF君と家内と三人で弁当を開き、酒を呑み、今年は花が小ぶりの様だが、実によく附いたものだと話し合つた。(略)
中原と一緒に、花を眺めた時の情景が、鮮やかに思び出された。中原が鎌倉に移り住んだのは、死ぬ年の冬であつた。前年、子供をなくし、発狂状態に陥つた事を、私は知人から聞いてゐたが、どんな具合に恢復し、どんな事情で鎌倉に来るやうになつたか知らなかつた。久しく殆ど絶交状態にあつた彼は、突然現れたのである。
晩春の暮方、二人は石に腰掛け、海棠の散るのを黙つて見てゐた。花びらは死んだ様な空気の中を、まつ直ぐに間断なく、落ちてゐた。樹蔭の地面は薄桃色にべつとりと染まつてゐた。
あれは散るのぢやない、散らしてゐるのだ、一とひら一とひらと散らすのに、吃度(きっと)順序も速度も決めてゐるに違ひない、何んといふ注意と努力、私はそんな事を何故だかしきりに考へてゐた。驚くべき美術、危険な誘惑だ、俺達にはもう駄目だが、若い男や女は、どんな飛んでもない考へか、愚行を挑発されるだらう。花びらの運動は果しなく、見入つてゐると切りがなく、私は、急に厭な気持ちになつて来た。我慢が出来なくなつて来た。
その時、黙つて見てゐた中原が、突然「もういゝよ、帰らうよ」と言つた。私はハッとして立上り、動揺する心の中で忙し気に言葉を求めた。
「お前は、相変らずの千里眼だよ」と私は吐き出す様に応じた。
彼は、いつもする道化た様な笑ひをしてみせた。二人は、八幡宮の茶店でビールを飲んだ。夕闇の中で柳が煙つてゐた。彼は、ビールを一と口飲んでは、「あゝ、ボーヨー、ボーヨー」と喚(わめ)いた。
「ボーヨ一つて何んだ」
「前途茫洋さ、あゝ、ボーヨー、ボ−ヨー」と彼は眼を据ゑ、悲し気な節を付けた。
(略)
骨
中原中也
ホラホラ、これが僕の骨だ、
生きてゐた時の苦労にみちた
あのけがらはしい肉を破つて、
しらじらと雨に洗はれ、
ヌックと出た、骨の尖(さき)。
それは光沢もない、
ただいたづらにしらじらと、
雨を吸収する、
風に吹かれる、
幾分空を反映する。
生きてゐた時に、
これが食堂の雑踏の中に、
坐つてゐたこともある、
みつばのおしたしを食つたこともある、
と思へばなんとも可笑(をか)しい。
ホラホラ、これが僕の骨――
見てゐるのは僕? 可笑しなことだ。
霊魂はあとに残つて、
また骨の処にやつて来て、
見てゐるのかしら?
故郷(ふるさと)の小川のへりに、
半ばは枯れた草に立つて、
見てゐるのは、――僕?
恰度(ちやうど)立札ほどの高さに、
骨はしらじらととんがつてゐる。
死んだ中原
小林秀雄
君の詩は自分の死に顔が
わかつて了(しま)つた男の詩のやうであつた
ホラ、ホラ、これが僕の骨
と歌つたことさへあつたつけ
僕の見た君の骨は
鉄板の上で赤くなり、ボウボウと音をたててゐた
君が見たといふ君の骨は
立札ほどの高さに白々と、とんがつてゐたさうな
ほのか乍ら確かに君の屍臭を嗅いではみたが
言ふに言われぬ君の額の冷たさに触つてはみたが
たうたう最後の灰の塊りを竹箸の先で積もつてはみたが
この僕に一体何が納得出来ただろう
夕空に赤茶けた雲が流れ去り
見窄(みすぼ)らしい谷間ひに夜気が迫り
ポンポン蒸気が行く様な
君の焼ける音が丘の方から降りて来て
僕は止むなく隠坊の娘やむく犬どもの
生きてゐるのを確かめるやうな様子であつた
あゝ、死んだ中原
僕にどんなお別れの言葉がいえようか
君に取り返しのつかぬ事をして了つたあの日から
僕は君を慰める一切の言葉をうつちやつた
あゝ、死んだ中原
例へばあの赤茶けた雲に乗って行け
何んの不思議な事があるものか
僕達が見て来たあの悪夢に比べれば