フォーラム「子ども読書活動のきのう・きょう・あす」「谷川俊太郎の絵本と詩の世界」を開催しました(1)
[2025年05月21日(Wed)]
3月16日(日)、こどもと本ジョイントネット21・山口は、山陽小野田市立中央図書館で、フォーラム「子ども読書活動のきのう・きょう・あす」「谷川俊太郎の絵本と詩の世界」を開催しました

PDF表示
▲毎日新聞
横断幕も準備。
-thumbnail2.jpg)
申込が相次ぎ、定員を大幅に越えた約80名の方が、山陽小野田・宇部を中心に、下関・防府・山口・光・萩から来てくださいました。
第一部「谷川俊太郎さん、中也を読む」
中原中也記念館 館長 中原豊さんが、谷川俊太郎さんと中也との関わりについて語りました。
谷川さんが1994年の中也生誕の記念祭への参加をきっかけに、中也の詩と音楽を組み合わせた朗読などのライブを行ったり、2007年の生誕100年の記念祭に山口を訪れたりしたことなどを紹介されました。
また、谷川さんが山口を訪れた際の写真を見せてくださったり、

2014年、中原中也記念館開館20周年「中原中也誕生祭」の「空の下の朗読会」の時の谷川俊太郎・賢作さんです
中原中也記念館制作のCD『サーカス』に収録されている、息子の賢作さん作曲の曲の演奏で、谷川さんが中也「雪が降ってゐる……」などを朗読するのを披露され、会場の皆さんは耳をすまして聴き入っていました。
雪が降ってゐる……
雪が降ってゐる、
とほくを。
雪が降ってゐる、
とほくを。
捨てられた羊かなんぞのように
とほくを、
雪が降ってゐる、
とほくを。
たかい空から、
とほくを、
とほくを
とほくを、
お寺の屋根にも、
それから、
お寺の森にも、
それから、
たえまもなしに。
空から、
雪が降ってゐる
それから、
兵営にゆく道にも、
それから、
日が暮れかゝる、
それから、
喇叭[らつぱ]がきこえる。
それから、
雪が降ってゐる、
なほも。
(一九二九・二・一八)
また、谷川さんの中也に関する発言を紹介されたり、
「生長」(処女詩集『二十億光年の孤独』(1952)所収)と「生ひ立ちの歌」
生ひ立ちの歌
I
幼年時
私の上に降る雪は
真綿のやうでありました
少年時
私の上に降る雪は
霙のやうでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰のやうに散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪と見えました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
II
私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝む頃
私の上に降る雪は
いとなびよかになつかしく
手を差し伸べて降りました
私の上に降る雪は
暑い額に落ちくもる
涙のやうでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して 神様に
長生きしたいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞節でありました
「河原の小石」(『ミライノコドモ』所収)と「一つのメルヘン」
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
などとの比較を通じて、谷川さんの詩と中也の詩との深いつながりについて話してくださいました。
中原館長は、二人は世の中や言葉への向き合い方が共通していると指摘されました。
【次回に続く】


PDF表示
▲毎日新聞
横断幕も準備。
-thumbnail2.jpg)
申込が相次ぎ、定員を大幅に越えた約80名の方が、山陽小野田・宇部を中心に、下関・防府・山口・光・萩から来てくださいました。
第一部「谷川俊太郎さん、中也を読む」
中原中也記念館 館長 中原豊さんが、谷川俊太郎さんと中也との関わりについて語りました。
谷川さんが1994年の中也生誕の記念祭への参加をきっかけに、中也の詩と音楽を組み合わせた朗読などのライブを行ったり、2007年の生誕100年の記念祭に山口を訪れたりしたことなどを紹介されました。
また、谷川さんが山口を訪れた際の写真を見せてくださったり、
2014年、中原中也記念館開館20周年「中原中也誕生祭」の「空の下の朗読会」の時の谷川俊太郎・賢作さんです
中原中也記念館制作のCD『サーカス』に収録されている、息子の賢作さん作曲の曲の演奏で、谷川さんが中也「雪が降ってゐる……」などを朗読するのを披露され、会場の皆さんは耳をすまして聴き入っていました。
雪が降ってゐる……
雪が降ってゐる、
とほくを。
雪が降ってゐる、
とほくを。
捨てられた羊かなんぞのように
とほくを、
雪が降ってゐる、
とほくを。
たかい空から、
とほくを、
とほくを
とほくを、
お寺の屋根にも、
それから、
お寺の森にも、
それから、
たえまもなしに。
空から、
雪が降ってゐる
それから、
兵営にゆく道にも、
それから、
日が暮れかゝる、
それから、
喇叭[らつぱ]がきこえる。
それから、
雪が降ってゐる、
なほも。
(一九二九・二・一八)
また、谷川さんの中也に関する発言を紹介されたり、
「生長」(処女詩集『二十億光年の孤独』(1952)所収)と「生ひ立ちの歌」
生ひ立ちの歌
I
幼年時
私の上に降る雪は
真綿のやうでありました
少年時
私の上に降る雪は
霙のやうでありました
十七〜十九
私の上に降る雪は
霰のやうに散りました
二十〜二十二
私の上に降る雪は
雹であるかと思われた
二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪と見えました
二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました……
II
私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝む頃
私の上に降る雪は
いとなびよかになつかしく
手を差し伸べて降りました
私の上に降る雪は
暑い額に落ちくもる
涙のやうでありました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して 神様に
長生きしたいと祈りました
私の上に降る雪は
いと貞節でありました
「河原の小石」(『ミライノコドモ』所収)と「一つのメルヘン」
一つのメルヘン
秋の夜は、はるかの彼方(かなた)に、
小石ばかりの、河原があつて、
それに陽は、さらさらと
さらさらと射してゐるのでありました。
陽といつても、まるで硅石(けいせき)か何かのやうで、
非常な個体の粉末のやうで、
さればこそ、さらさらと
かすかな音を立ててもゐるのでした。
さて小石の上に、今しも一つの蝶がとまり、
淡い、それでゐてくつきりとした
影を落としてゐるのでした。
やがてその蝶がみえなくなると、いつのまにか、
今迄流れてもゐなかつた川床に、水は
さらさらと、さらさらと流れてゐるのでありました……
などとの比較を通じて、谷川さんの詩と中也の詩との深いつながりについて話してくださいました。
中原館長は、二人は世の中や言葉への向き合い方が共通していると指摘されました。

-thumbnail2.jpg)
【次回に続く】