ウルグンさんによる馬頭琴(モリンホール)コンサート @ 「モンゴル大草原のものがたり 〜空をかけ、海をこえてやってきたモンゴル遊牧民の楽しいものがたり〜 モンゴル人絵本作家ボロルマー&ガンバートル絵本原画展」(3)
[2025年04月08日(Tue)]
【前回の続き】
3月28日(金)は、ウルグンさんによるモンゴルの民族楽器 馬頭琴コンサートを楽しみました

馬頭琴は、モンゴル語で「Морин хуур」(モリンホール)と言い、「モリ=馬 」「ホール=楽器」を意味しています
ユネスコ世界無形遺産に登録されているモンゴル民族伝統楽器で、日本では『スーホの白い馬』(大塚勇三/訳 赤羽末吉/絵 福音館書店) で有名です。
▼『スーホのしろいうま』(こどものとも 1961年10月号)
(大塚勇三/訳 赤羽末吉/絵 福音館書店 1961)

▼『スーホの白い馬』(大塚勇三/再話 赤羽末吉/画 福音館書店 1967)

先端が馬の形を模した棹と、四角い共鳴箱、外弦と内弦の2本の弦から構成されています。

弓で弦をこすって音を出す擦弦(さつげん)楽器です。
弦と弓はウマの尻尾毛またはナイロンを束ねて作られています。ウマの尾毛の場合、低音弦(外弦)は120本、高音弦(内弦)は80本、弓は150〜180本程になります。

「モンゴルでは、モリンホールの音色を耳にした人に 「幸運が訪れる」とされ、結婚式や祝い事には欠かせない音楽となっています。」と話されていました。

今日のプログラム
ボルジギン草原(Borjigin tal)(Боржигин тал)
ボルジギン(Borjigin)(Боржигин)はモンゴル帝国のカアン(ハーン)の家系となったモンゴル部の中心氏族で、チンギス・カンも出ています。
「チンギス・カンの聖なる草原」という意味だそうです。
オイラト族の旋律(Dörvön oiradiin uria)(Дөрвөн oйрадын yриa)
ここで、5度調弦の馬頭琴に変えられました。
馬頭琴の弦(馬尾の毛またはナイロン)は4度または5度に調弦され、高音弦は雌馬の尾105本、低音弦は雄馬の尾130本程度を束ねたものであるとか!
昔、モンゴル西方に住んでいたオイラト(Oirad)(Ойрад)族の曲、つまり、西モンゴルの音楽で、独特の旋律の曲です。
君をのせて(久石譲/作曲)
馬頭琴は日本の曲とも親和性があるそうです。
滝廉太郎の「荒城の月」は教科書にも載っていて、モンゴルでは誰でも知っている曲だとか
ブラームスの子守唄
馬頭琴はクラシック音楽を演奏することもできます
メロディ(Mongol ayalguu)(Монгол аялгуу)(ジャンツンノロブ/作曲)
馬頭琴のための協奏曲。
心のゴビ(Сэтгэлд шингэсэн говь)(ジャンツンノロブ/作曲)
このゴビはいわゆるゴビ砂漠のことではなく広義なゴビを指すそうです。
「心のゴビ」は1988年にモンゴル国を代表する作曲家 ナツァギーン・ジャンツァンノロブ(Natsagiin Jantsannorov)(Нацагийн Жанцанноров)氏によってモリンホール(馬頭琴)のために作曲されました。
ゆっくりした美しい壮大なメロディの部分と、アップテンポな部分があります。
マンドゴラ・ハーンの賛歌
マンドゥールン・ハーン(Мандуул хаан)は人名です。
ホーミー(Хөөмий)(喉歌)も披露されました。
初めて生で聴くホーミーは、すごくて・・・。
みんなで、ホーミーの練習もしました。
前方に座っていたぐずり気味の小さな子たちも、目を輝かせてチャレンジしていました。
モンゴルの民族楽器は、モリンホール以外にも、ウシのツノの楽器「エヴェル・ブレー」(Ever buree)(Эвэр бүрээ)などがあるそうです。
スーホの白い馬(チ・ボラグ(Чи Булаг)/作曲)
「スーホの白い馬」は、内モンゴル東部のチャハル(Цахар)地方に伝わる民話です。
モリンホールの起源に関連した伝承は、「スーホの白い馬」だけでなく、「フフー・ナジムルの伝説」(Хөхөө Намжилын домог)「バトルと黄色い馬」など数多く伝わっているそうです。いずれも、失った馬を偲び、その皮と尾の毛、骨を使って楽器を作ったというところは、同じだそうです。
ジャラムハル(Жалам Хар)(黒い駿馬)
黒い馬にまたがって疾走する少年をあらわす民族舞踊の曲だそうで、大草原の広大さや駿馬の力強い走りが目に浮かびました。

万馬の轟き(チ・ボラグ/作曲)
アンコール曲として用意されていました。
モリンホールの音色は深く重厚で、時に軽やかで、疾走する馬、動物の鳴き声や風の音などモンゴルの草原、大自然を思い起させ、その豊かさにすっかり魅了されました
ブラームスの子守唄の演奏の後、宇田祥子さんによるストーリーリング「エルヒーメルゲン」 (Erkhii Mergen)(Эрхий Мэргэн)がありました
「エルヒー」はモンゴル語で親指のこと、「メルゲン」は弓の達人に与えられる称号を意味し、
ツバメの尾が二つに分かれている訳や、一日に昼と夜があること、タルバガン(Тарубаган)(モンゴルマーモット)にまつわる伝説でした。(тарвага(タルバガ)ともいうとのこと)

ある時、七つの太陽が大地を照らすようになり、ひどい干魃に苦しむみんなは、弓の名手のエルヒー・メルゲンに助けを求めました。彼は「七つの太陽を7つとも射落とす。もしできなければ、親指を切り落とし、人であることをやめ、水も飲まず枯草さえ食べない生き物になって、暗い地下に住むものになる」と誓いました。そして太陽めがけて矢を放ち、東側から順番に6つは射落としたものの、7つ目の矢を放った時、ツバメが間に入り、矢はツバメの尾に当たったため尾が2つに割れてしまいました。太陽は彼を恐れ、西の山の向こうに逃がれ隠れてしまい、射落とすことができませんでした。そこで、親指を切り落として、地下へもぐり、タルバガンになりましたが、今でも最後の太陽を打ち落とそうと、日の出と日の入りの頃に必ず巣から出てきます。一方、太陽は彼を恐れ、夜は西の山に隠れ、昼だけ出てくるようになりました・・・というようなお話でした。(自分の記憶とメモだけで書いたので少し違っているかも?)
タルバガンは、地中に巣穴を掘り、なんと、足指が4本で、親指がないんだそうです
▼右から二番目がストーリーテリングをされた宇田祥子さん

ボロルマーさんのライブペインティングもありました

ボロルマーさんは、ライブペイントは初挑戦だそうです。
もちろん徳地和紙に描かれました。

コンサート終了後、モリンホールを弾く体験もしました
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椅子に浅く腰掛け、共鳴箱を膝の間にはさんで,棹を立てて、右手で弓を下から持ち上げる感じで持ち、弓を使って演奏します。
弦の押さえ方が、指で弦を横から押すような形になるのが特徴です。
自分でもステキな音が出せるのに感激しました
馬頭琴を持って

ウルグンさんと

ウルグン(URGUNBAYAR)(Ургунбаяру)
馬頭琴演奏家。内モンゴルオラハンド出身。子どもの頃から馬や羊、牛などたくさんの家畜が身近にいる環境で育つ。
1996年9月、内モンゴル大学芸術学院付属中等専門学校楽器及び演奏学科に進学し、モリンホール(馬頭琴)を学び始める。2001年9月、内モンゴル大学芸術学院音楽学部に進学しモリンホール(馬頭琴)を専攻。同時に、内モンゴル・モリンホール(馬頭琴)芸術学院の教師に就任。2005年7月、内モンゴル大学芸術学院音楽学部を卒業、同学のモリンホール(馬頭琴)教師に就任。2009年4月、来日。2009年〜2011年、新潟大学教育学部音楽科にて作曲を勉強。
現在は、日本で馬頭琴の指導と紹介活動に精力的に携わり、全国各地でコンサートを開催している。
宇田祥子(うだ・さちこ)
鳥取県生まれ。東京都で小学校教師を26年間勤めた後、内モンゴル師範大学日本語科講師、モンゴル国立教育大学日本語夏期講座講師を勤める。
2005年モンゴル国文部科学省より教育功労賞受賞。
地域ではストーリテリングやブックトークを中心に、子どもと本を結ぶ活動を行っている。「おはなしブリュッケン」代表。
松江市在住。
3月28日(金)は、ウルグンさんによるモンゴルの民族楽器 馬頭琴コンサートを楽しみました

馬頭琴は、モンゴル語で「Морин хуур」(モリンホール)と言い、「モリ=馬 」「ホール=楽器」を意味しています

ユネスコ世界無形遺産に登録されているモンゴル民族伝統楽器で、日本では『スーホの白い馬』(大塚勇三/訳 赤羽末吉/絵 福音館書店) で有名です。
▼『スーホのしろいうま』(こどものとも 1961年10月号)
(大塚勇三/訳 赤羽末吉/絵 福音館書店 1961)

▼『スーホの白い馬』(大塚勇三/再話 赤羽末吉/画 福音館書店 1967)

先端が馬の形を模した棹と、四角い共鳴箱、外弦と内弦の2本の弦から構成されています。

弓で弦をこすって音を出す擦弦(さつげん)楽器です。
弦と弓はウマの尻尾毛またはナイロンを束ねて作られています。ウマの尾毛の場合、低音弦(外弦)は120本、高音弦(内弦)は80本、弓は150〜180本程になります。

「モンゴルでは、モリンホールの音色を耳にした人に 「幸運が訪れる」とされ、結婚式や祝い事には欠かせない音楽となっています。」と話されていました。



ボルジギン(Borjigin)(Боржигин)はモンゴル帝国のカアン(ハーン)の家系となったモンゴル部の中心氏族で、チンギス・カンも出ています。
「チンギス・カンの聖なる草原」という意味だそうです。

ここで、5度調弦の馬頭琴に変えられました。
馬頭琴の弦(馬尾の毛またはナイロン)は4度または5度に調弦され、高音弦は雌馬の尾105本、低音弦は雄馬の尾130本程度を束ねたものであるとか!
昔、モンゴル西方に住んでいたオイラト(Oirad)(Ойрад)族の曲、つまり、西モンゴルの音楽で、独特の旋律の曲です。

馬頭琴は日本の曲とも親和性があるそうです。
滝廉太郎の「荒城の月」は教科書にも載っていて、モンゴルでは誰でも知っている曲だとか


馬頭琴はクラシック音楽を演奏することもできます


馬頭琴のための協奏曲。

このゴビはいわゆるゴビ砂漠のことではなく広義なゴビを指すそうです。
「心のゴビ」は1988年にモンゴル国を代表する作曲家 ナツァギーン・ジャンツァンノロブ(Natsagiin Jantsannorov)(Нацагийн Жанцанноров)氏によってモリンホール(馬頭琴)のために作曲されました。
ゆっくりした美しい壮大なメロディの部分と、アップテンポな部分があります。

マンドゥールン・ハーン(Мандуул хаан)は人名です。
ホーミー(Хөөмий)(喉歌)も披露されました。
初めて生で聴くホーミーは、すごくて・・・。
みんなで、ホーミーの練習もしました。
前方に座っていたぐずり気味の小さな子たちも、目を輝かせてチャレンジしていました。
モンゴルの民族楽器は、モリンホール以外にも、ウシのツノの楽器「エヴェル・ブレー」(Ever buree)(Эвэр бүрээ)などがあるそうです。

「スーホの白い馬」は、内モンゴル東部のチャハル(Цахар)地方に伝わる民話です。
モリンホールの起源に関連した伝承は、「スーホの白い馬」だけでなく、「フフー・ナジムルの伝説」(Хөхөө Намжилын домог)「バトルと黄色い馬」など数多く伝わっているそうです。いずれも、失った馬を偲び、その皮と尾の毛、骨を使って楽器を作ったというところは、同じだそうです。

黒い馬にまたがって疾走する少年をあらわす民族舞踊の曲だそうで、大草原の広大さや駿馬の力強い走りが目に浮かびました。


アンコール曲として用意されていました。
モリンホールの音色は深く重厚で、時に軽やかで、疾走する馬、動物の鳴き声や風の音などモンゴルの草原、大自然を思い起させ、その豊かさにすっかり魅了されました

ブラームスの子守唄の演奏の後、宇田祥子さんによるストーリーリング「エルヒーメルゲン」 (Erkhii Mergen)(Эрхий Мэргэн)がありました

「エルヒー」はモンゴル語で親指のこと、「メルゲン」は弓の達人に与えられる称号を意味し、
ツバメの尾が二つに分かれている訳や、一日に昼と夜があること、タルバガン(Тарубаган)(モンゴルマーモット)にまつわる伝説でした。(тарвага(タルバガ)ともいうとのこと)
ある時、七つの太陽が大地を照らすようになり、ひどい干魃に苦しむみんなは、弓の名手のエルヒー・メルゲンに助けを求めました。彼は「七つの太陽を7つとも射落とす。もしできなければ、親指を切り落とし、人であることをやめ、水も飲まず枯草さえ食べない生き物になって、暗い地下に住むものになる」と誓いました。そして太陽めがけて矢を放ち、東側から順番に6つは射落としたものの、7つ目の矢を放った時、ツバメが間に入り、矢はツバメの尾に当たったため尾が2つに割れてしまいました。太陽は彼を恐れ、西の山の向こうに逃がれ隠れてしまい、射落とすことができませんでした。そこで、親指を切り落として、地下へもぐり、タルバガンになりましたが、今でも最後の太陽を打ち落とそうと、日の出と日の入りの頃に必ず巣から出てきます。一方、太陽は彼を恐れ、夜は西の山に隠れ、昼だけ出てくるようになりました・・・というようなお話でした。(自分の記憶とメモだけで書いたので少し違っているかも?)
タルバガンは、地中に巣穴を掘り、なんと、足指が4本で、親指がないんだそうです

▼右から二番目がストーリーテリングをされた宇田祥子さん
ボロルマーさんのライブペインティングもありました

ボロルマーさんは、ライブペイントは初挑戦だそうです。
もちろん徳地和紙に描かれました。
コンサート終了後、モリンホールを弾く体験もしました

椅子に浅く腰掛け、共鳴箱を膝の間にはさんで,棹を立てて、右手で弓を下から持ち上げる感じで持ち、弓を使って演奏します。
弦の押さえ方が、指で弦を横から押すような形になるのが特徴です。
自分でもステキな音が出せるのに感激しました

馬頭琴を持って

ウルグンさんと



馬頭琴演奏家。内モンゴルオラハンド出身。子どもの頃から馬や羊、牛などたくさんの家畜が身近にいる環境で育つ。
1996年9月、内モンゴル大学芸術学院付属中等専門学校楽器及び演奏学科に進学し、モリンホール(馬頭琴)を学び始める。2001年9月、内モンゴル大学芸術学院音楽学部に進学しモリンホール(馬頭琴)を専攻。同時に、内モンゴル・モリンホール(馬頭琴)芸術学院の教師に就任。2005年7月、内モンゴル大学芸術学院音楽学部を卒業、同学のモリンホール(馬頭琴)教師に就任。2009年4月、来日。2009年〜2011年、新潟大学教育学部音楽科にて作曲を勉強。
現在は、日本で馬頭琴の指導と紹介活動に精力的に携わり、全国各地でコンサートを開催している。


鳥取県生まれ。東京都で小学校教師を26年間勤めた後、内モンゴル師範大学日本語科講師、モンゴル国立教育大学日本語夏期講座講師を勤める。
2005年モンゴル国文部科学省より教育功労賞受賞。
地域ではストーリテリングやブックトークを中心に、子どもと本を結ぶ活動を行っている。「おはなしブリュッケン」代表。
松江市在住。