「或る男の肖像」 @ 中原中也を読む会「原田和明のオートマタと中原中也」展見学(2)
[2025年03月13日(Thu)]
【前回の続き】
一通り「原田和明のオートマタと中原中也」展を見学した後、別館2Fに移動し、皆で、「或る男の肖像」を読みました
中也の第二詩集『在りし日の歌』に収録されているのにもかかわらず、私自身あまり注目していなかった詩です。
何回も何回も、かみしめるように読んでみても、よく分からなかった詩です。
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或る男の肖像
1
洋行帰りのその洒落者(しやれもの)は、
齢(とし)をとつても髪に緑の油をつけてた。
夜毎喫茶店にあらはれて、
其処(そこ)の主人と話してゐる様(さま)はあはれげであつた。
死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。
2
――幻滅は鋼(はがね)のいろ。
髪毛の艶(つや)と、ラムプの金との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。
剃りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。
読書も、しむみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏(たそがれ)の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。
3
彼女は
壁の中へ這入(はひ)つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子(テーブル)を拭いてゐた。

原田さんは、この詩の第三節
彼女は
壁の中へ這入つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いてゐた。
の部分をオートマタにされていて、物憂げな男がテーブルをいつまでもいつまでも拭き続けています。
彼女が帰って来てもいいように彼女の座る椅子も用意されています。
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「或る男の肖像」は、もともとは、1937(昭和12)年の『四季』三月号に発表された「或る夜の幻想」の第四節から六節として掲載されていたものです。
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或る夜の幻想
1 彼女の部屋
彼女には
美しい洋服箪笥があつた
その箪笥は
かはたれどきの色をしてゐた
彼女には
書物や
其(そ)の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた
それで洋服箪笥の中は
本でいつぱいだつた
2 村の時計
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた
その字板のペンキは、
もう艶が消えてゐた
近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた
それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた
字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか、
僕にも、誰にも分からなかつた
3 彼 女
野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳(そび)えてゐた。
或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。
それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりで
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあつた。
4 或る男の肖像
洋行帰りのその洒落者は、
齢をとつても髪にはポマードをつけてゐた。
夜毎喫茶店にあらはれて、
其処の主人と話してゐる様はあはれげであつた。
死んだと聞いては、
いつさうあはれであつた。
5 無題
――幻滅は鋼のいろ。
髪毛の艶と、ラムプの金との夕まぐれ、
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。
剃りたての、頸条も手頸も、
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。
読書も、しむみりした恋も、
暖かい、お茶も黄昏の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。
6 壁
彼女は
壁の中に這入つてしまつた
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いてゐた。
(一九三三・一〇・一〇)
末尾にあるように、1933年10月10日に書かれました。ただ、初めに書かれた年であって、発表された1937(昭和12)年までの3年半の間、校正された可能性はあるということです。
1937(昭和12)年(というのは中也が亡くなった年です)は、長男文也が1936(昭和11)年11月になくなったこともあり詩が書けなくなった時期なんだそうです。
そして、「或る夜の幻想」全六節のうち第二詩集『在りし日の歌』には、第二節の「村の時計屋」と、第四、五、六節が「或る男の肖像」として収録されました。つまり、元の詩の男の物語だけが『在りし日の歌』に収録され、女の物語が省略されたということになります。
詩の中の「彼女」は長谷川泰子に違いありません。
「或る夜の幻想」を読めば、「或る男の肖像」でいきなり出てきた「彼女」との関係もよく分かり、
彼女は
壁の中に這入つてしまつた
というくだりも、よく理解できます。
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いてゐた。
テーブルを拭いて、去って行った「彼女」が帰って来るのをいつまでも待つ「彼」の心情もよく理解できます。
「彼」=中也の「孤独」を感じ、私的には、このオートマタが一番気に入っています。
「彼女」の物語を省いたことで、「彼」の孤独が際立つような気がします。
=皆の疑問=
1.「或る夜の幻想」の「ポマード」を「或る男の肖像」では「緑の油」としているが何故なんでしょう?
2.「剃りたての、頸条も手頸も、」とありますが、手頸を剃るって、普通のことだったのでしょうか?
一通り「原田和明のオートマタと中原中也」展を見学した後、別館2Fに移動し、皆で、「或る男の肖像」を読みました

中也の第二詩集『在りし日の歌』に収録されているのにもかかわらず、私自身あまり注目していなかった詩です。
何回も何回も、かみしめるように読んでみても、よく分からなかった詩です。
或る男の肖像
1
洋行帰りのその洒落者(しやれもの)は、
齢(とし)をとつても髪に緑の油をつけてた。
夜毎喫茶店にあらはれて、
其処(そこ)の主人と話してゐる様(さま)はあはれげであつた。
死んだと聞いてはいつそうあはれであつた。
2
――幻滅は鋼(はがね)のいろ。
髪毛の艶(つや)と、ラムプの金との夕まぐれ
庭に向つて、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。
剃りたての、頚条(うなじ)も手頸(てくび)も
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。
読書も、しむみりした恋も、
あたたかいお茶も黄昏(たそがれ)の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。
3
彼女は
壁の中へ這入(はひ)つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子(テーブル)を拭いてゐた。
原田さんは、この詩の第三節
彼女は
壁の中へ這入つてしまつた。
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いてゐた。
の部分をオートマタにされていて、物憂げな男がテーブルをいつまでもいつまでも拭き続けています。
彼女が帰って来てもいいように彼女の座る椅子も用意されています。
-thumbnail2.png)
「或る男の肖像」は、もともとは、1937(昭和12)年の『四季』三月号に発表された「或る夜の幻想」の第四節から六節として掲載されていたものです。
或る夜の幻想
1 彼女の部屋
彼女には
美しい洋服箪笥があつた
その箪笥は
かはたれどきの色をしてゐた
彼女には
書物や
其(そ)の他色々のものもあつた
が、どれもその箪笥に比べては美しくもなかつたので
彼女の部屋には箪笥だけがあつた
それで洋服箪笥の中は
本でいつぱいだつた
2 村の時計
村の大きな時計は、
ひねもす働いてゐた
その字板のペンキは、
もう艶が消えてゐた
近寄つて見ると、
小さなひびが沢山にあるのだつた
それで夕陽が当つてさへか、
おとなしい色をしてゐた
時を打つ前には、
ぜいぜいと鳴つた
字板が鳴るのか中の機械が鳴るのか、
僕にも、誰にも分からなかつた
3 彼 女
野原の一隅には杉林があつた。
なかの一本がわけても聳(そび)えてゐた。
或る日彼女はそれにのぼつた。
下りて来るのは大変なことだつた。
それでも彼女は、媚態(びたい)を棄てなかつた。
一つ一つの挙動は、まことみごとなうねりで
夢の中で、彼女の臍(おへそ)は、
背中にあつた。
4 或る男の肖像
洋行帰りのその洒落者は、
齢をとつても髪にはポマードをつけてゐた。
夜毎喫茶店にあらはれて、
其処の主人と話してゐる様はあはれげであつた。
死んだと聞いては、
いつさうあはれであつた。
5 無題
――幻滅は鋼のいろ。
髪毛の艶と、ラムプの金との夕まぐれ、
庭に向って、開け放たれた戸口から、
彼は戸外に出て行つた。
剃りたての、頸条も手頸も、
どこもかしこもそはそはと、
寒かつた。
開け放たれた戸口から
悔恨は、風と一緒に容赦なく
吹込んでゐた。
読書も、しむみりした恋も、
暖かい、お茶も黄昏の空とともに
風とともにもう其処にはなかつた。
6 壁
彼女は
壁の中に這入つてしまつた
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いてゐた。
(一九三三・一〇・一〇)
末尾にあるように、1933年10月10日に書かれました。ただ、初めに書かれた年であって、発表された1937(昭和12)年までの3年半の間、校正された可能性はあるということです。
1937(昭和12)年(というのは中也が亡くなった年です)は、長男文也が1936(昭和11)年11月になくなったこともあり詩が書けなくなった時期なんだそうです。
そして、「或る夜の幻想」全六節のうち第二詩集『在りし日の歌』には、第二節の「村の時計屋」と、第四、五、六節が「或る男の肖像」として収録されました。つまり、元の詩の男の物語だけが『在りし日の歌』に収録され、女の物語が省略されたということになります。
詩の中の「彼女」は長谷川泰子に違いありません。
「或る夜の幻想」を読めば、「或る男の肖像」でいきなり出てきた「彼女」との関係もよく分かり、
彼女は
壁の中に這入つてしまつた
というくだりも、よく理解できます。
それで彼は独り、
部屋で卓子を拭いてゐた。
テーブルを拭いて、去って行った「彼女」が帰って来るのをいつまでも待つ「彼」の心情もよく理解できます。
「彼」=中也の「孤独」を感じ、私的には、このオートマタが一番気に入っています。
「彼女」の物語を省いたことで、「彼」の孤独が際立つような気がします。
=皆の疑問=
1.「或る夜の幻想」の「ポマード」を「或る男の肖像」では「緑の油」としているが何故なんでしょう?
2.「剃りたての、頸条も手頸も、」とありますが、手頸を剃るって、普通のことだったのでしょうか?