仏像にまなぶ―正護寺の釈迦三尊像を中心に― @ 山口市文化財指定記念講演会
[2025年01月10日(Fri)]
2月15日(土)、山口市文化財指定記念講演会「仏像にまなぶ―正護寺の釈迦三尊像を中心に―」が開催されます

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令和5年1月11日に市指定文化財となった、木造釈迦如来坐像および両脇侍像について、末吉武史先生(県立萩美術館・浦上記念館)を講師に迎え、講演会と仏像現地解説を開催します。
日時
2025年2月15日(土)13:30〜16:00
場所
陶地域交流センター
山口市陶2595番地
正護寺
山口市陶3907番地
講師
末吉武史(県立萩美術館・浦上記念館)
日程
13:00 開場
13:30〜14:45 講演会(陶地域交流センター)
15:15〜16:00 仏像現地解説(正護寺)
聴講料 無料
定員
先着80名
申込・問合先
陶連合自治会事務局
083-976-8680
主催
陶連合自治会、ふるさと陶史楽会、宗教法人正護寺、山口市教育委員会
末吉武史
1969年奈良県に生まれる。
山口県立萩美術館・浦上記念館主幹、元福岡市博物館主任学芸主事。
主な著書 ・ 論文に 『九州仏 1300 年の祈りとかたち』 (福岡市博物館 2014)、 「福岡・長谷寺十一面観音像と九州の古代彫刻」(『仏教芸術』 P349 2016)など。
正護寺は、大内氏の重臣である陶氏2代 陶弘政を開基、傑山寂雄(けっさんじゃくゆう)大和尚を開山として創建されました。『防長風土注進案』に「北朝後光厳院延文年中陶越前守弘政建立」とあるので、延文年間 1356年から1361年までの間に建立されたことになります。
木造釈迦如来坐像および両脇侍像の獅子(亡失)に騎乗する文殊菩薩像、象に騎乗する普賢菩薩像)は、正護寺の本尊です。
螺髪ではなく、高い髻(もとどり)を結いあげ、宝冠をつけた頭部や胸飾が付属しているのをみると、一見、菩薩のようですが、衣を両肩に被う(通肩)姿は如来であり、両手の手のひらを上にして腹前(膝上)で上下に重ね合わせて示す印相も釈迦如来の禅定(ぜんじょう)印です。
宝冠釈迦如来像と呼ばれています。
釈迦如来坐像の底部に「仏師法印 院什作」の陰刻があります。
院什(いんじゅう)は、南北朝時代に京都の禅宗寺院などの造像で活躍した院派(いんば)に属する仏師です。
院派は、定朝の孫とされる院助を祖とし、平安時代後期から室町時代の仏師の一派で、名に院のつく仏師を多数輩出したことから、院派と呼ばれています。南北朝時代に入ると、足利将軍家の仏師となりました。
周南市長穂門前1075-1にある龍文寺 (りゅうもんじ)の木造釈迦如来坐像も「応安7年(1374)に、院什法印という仏師によって造られた寄木造りの像」と周南市のHPにありました。体内銘文による。56.4センチのヒノキの寄木造り。金泥彩。
https://www.city.shunan.lg.jp/soshiki/107/3421.html
龍文寺は、1429(永享元)年に陶氏5代 陶盛政が創建した寺です。ということは、この仏像は元々は他の寺に安置されていたのでしょう。
講師の末吉武史さんが第109回九州藝術学会 2023年12月2日(土) 沖縄県立博物館・美術館「仏師院什作 山口・正護寺釈迦三尊像について」で発表されています。
山口市のサイト「市指定文化財の新指定(令和5年1月11日)」に正護寺の「木造釈迦如来坐像及び両脇侍像 3躯」が新たに山口市指定文化財(彫刻)となった記事があります。
また、正護寺には、廃寺となった光明寺の本尊であったといわれる木造薬師如来坐像 (山口県指定有形文化財)が安置されています。カヤ材の一木造りで、平安時代前期の作で、山口県下の仏像の中で、日本製の仏像としては最古のものだそうです。
こちらに初めて正護寺を訪れた時のことを書いています。
https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/602


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令和5年1月11日に市指定文化財となった、木造釈迦如来坐像および両脇侍像について、末吉武史先生(県立萩美術館・浦上記念館)を講師に迎え、講演会と仏像現地解説を開催します。




陶地域交流センター
山口市陶2595番地
正護寺
山口市陶3907番地




13:00 開場
13:30〜14:45 講演会(陶地域交流センター)
15:15〜16:00 仏像現地解説(正護寺)










1969年奈良県に生まれる。
山口県立萩美術館・浦上記念館主幹、元福岡市博物館主任学芸主事。
主な著書 ・ 論文に 『九州仏 1300 年の祈りとかたち』 (福岡市博物館 2014)、 「福岡・長谷寺十一面観音像と九州の古代彫刻」(『仏教芸術』 P349 2016)など。
正護寺は、大内氏の重臣である陶氏2代 陶弘政を開基、傑山寂雄(けっさんじゃくゆう)大和尚を開山として創建されました。『防長風土注進案』に「北朝後光厳院延文年中陶越前守弘政建立」とあるので、延文年間 1356年から1361年までの間に建立されたことになります。
木造釈迦如来坐像および両脇侍像の獅子(亡失)に騎乗する文殊菩薩像、象に騎乗する普賢菩薩像)は、正護寺の本尊です。
螺髪ではなく、高い髻(もとどり)を結いあげ、宝冠をつけた頭部や胸飾が付属しているのをみると、一見、菩薩のようですが、衣を両肩に被う(通肩)姿は如来であり、両手の手のひらを上にして腹前(膝上)で上下に重ね合わせて示す印相も釈迦如来の禅定(ぜんじょう)印です。
宝冠釈迦如来像と呼ばれています。
釈迦如来坐像の底部に「仏師法印 院什作」の陰刻があります。
院什(いんじゅう)は、南北朝時代に京都の禅宗寺院などの造像で活躍した院派(いんば)に属する仏師です。
院派は、定朝の孫とされる院助を祖とし、平安時代後期から室町時代の仏師の一派で、名に院のつく仏師を多数輩出したことから、院派と呼ばれています。南北朝時代に入ると、足利将軍家の仏師となりました。
周南市長穂門前1075-1にある龍文寺 (りゅうもんじ)の木造釈迦如来坐像も「応安7年(1374)に、院什法印という仏師によって造られた寄木造りの像」と周南市のHPにありました。体内銘文による。56.4センチのヒノキの寄木造り。金泥彩。
https://www.city.shunan.lg.jp/soshiki/107/3421.html
龍文寺は、1429(永享元)年に陶氏5代 陶盛政が創建した寺です。ということは、この仏像は元々は他の寺に安置されていたのでしょう。
講師の末吉武史さんが第109回九州藝術学会 2023年12月2日(土) 沖縄県立博物館・美術館「仏師院什作 山口・正護寺釈迦三尊像について」で発表されています。
山口市のサイト「市指定文化財の新指定(令和5年1月11日)」に正護寺の「木造釈迦如来坐像及び両脇侍像 3躯」が新たに山口市指定文化財(彫刻)となった記事があります。
また、正護寺には、廃寺となった光明寺の本尊であったといわれる木造薬師如来坐像 (山口県指定有形文化財)が安置されています。カヤ材の一木造りで、平安時代前期の作で、山口県下の仏像の中で、日本製の仏像としては最古のものだそうです。
こちらに初めて正護寺を訪れた時のことを書いています。
https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/602