「柳井市ゆかりの児童文学作家 いぬいとみこ生誕100年記念イベント」に参加しました
[2024年04月02日(Tue)]
2月24日(土)、アクティブやないで開催された「柳井市ゆかりの児童文学作家 いぬいとみこ生誕100年記念イベント」に参加しました

講演が始まる前に、会場のアクティブやないの近くにあるといういぬいとみこ文学碑に行ってみました。
碑は柳井市文化福祉会館から道路を隔てた公園に建っていました。

小さい碑は、
柳井戦時保育園
ほまれ園跡地
柳井高等女学校付設
昭和19年2月〜21年3月1日建立

光の消えた日
いぬいとみこ 作
長 新太 画
2001年3月19日建立
大きい碑は、

戦時保育園 ほまれ園といぬいとみこ
私たちは児童文学者として柳井に縁の深いいぬいとみこ先生の業績を記念して、1996年に市立柳井図書館に、いぬいとみこ記念文庫を設置し。このたび柳井戦時保育園 ほまれ園の記念碑をこの地に建立いたしました。
いぬい先生は昭和19年から22年(1947)まで柳井町の天神区と山根区で、ご両親と住まわれ、ほまれ園に新米の保母さんとして勤務。食糧の乏しいなか、原爆のせん光と遥か遠くの爆音に出遭いながら、出征中の父を持つ幼い子供たちの面倒を見てこられたのです。
その時の体験を、短篇「川とノリオ」、「いさましいありのボンズ」、戦時小説「光の消えた日」の作品にされ、「川とノリオ」は小中学校の教科書に載り、先生の平和への願いが書かれています。
「光の消えた日」には戦時下の柳井の静かな息づかいや園児たちの無邪気な行動、そして主人公の保母・今泉朋子の日常生活、クリスチャンとしての信仰体験、京都での青春時代が描かれています。
青年期を過ごした平和な町柳井は、いぬい先生の心のふる里であるかあらこそ、柳井の地名や人物名を親しみと愛を込めて使っておられます。
光台寺のわんわん門、土手のキリスト教会、谷林博図書館長、森重笑子柳女学徒動員生、檜垣慶典柳中の学徒動員生、山中君子保育園実習生、松宮園長、伊坂教頭、それに多くの園児たちです。
代表作「ながいながいペンギンの話」毎日出版文化賞、「木かげの家の小人たち」、「北極のムーシカ・ミーシカ」どちらもアンデルセン賞国内賞、他にも多くの受賞あり。東京都出身、大正13年3月13日生まれ。
2001.3.19 発起人代表 堀江 晋 副代表 谷林チサト

発起人会 檜垣慶典 園児
堀江 晋 梅本節治 岡部昌平
谷林チサト 矢倉茂生 玉井 豊
小林茂美 片山 淳 植松禎子
河内山美喜代 舛本美雄 田中桂子
福本幸夫 山中達郎 斉藤紀美子
中村正樹 野村 仁 赤堀孝子
藤麻 功 田島喜代子 陶山良恵
坪野 功 明本孝文 木村暉子
森重笑子 杉原勝人 上村民子
河野新一
三浦精子
町田佳江
柳井工業化学(株)
『光の消えた日』には石碑にある「園児」が以下の名前で出てきます。
岡部昌平 ⇨ 岡辺昌平
玉井 豊 ⇨ ユタカ
植松禎子 ⇨ サダコ
斉藤紀美子 ⇨ キミコ
上村民子 ⇨ タミコ

ー せんせい、おはよう!
と、まだ名前もおぼえていない男の子が二人、肩からぶらさげた防空カバンをゆすりながら、朋子のよこをはしりぬけていった。
もう、保育園はすぐのところだ。
ー おはよう!
と男の子たちにうしろから声をかけて、朋子は「ふつうの娘」から、保育園の「今泉先生」に早変わりした。
「光の消えた日」の第二節より
柳井市文化福祉会館と柳井市体育館の間に、「山口県立柳井高等女学校跡」の石碑がが建っています。ただ今は、柳井市体育館が 現在立替中のため傍に近づくことができませんでした・・・。

いぬいはまさにこの地で保母として働いていたのです。
そして、碑の中にある何人かは実名で小説に登場します。小説の中に全ての人の名前が刻まれているわけではないのが残念な気がしますが、建立当時、連絡のつかなかった方も多かったのでしょう。
そんな中で、「いぬいとみこ生誕100年記念イベント」の来賓の中に森重笑子さん、岡部昌平さんがいらっしゃって感激しました
森重さんからは、ひがしやの「翁あめ」をいただきました。
ありがとうございました。

いぬいの開いていたムーシカ文庫の卒業生の小松原宏子(児童文学作家、翻訳家、家庭文庫「ロールパン文庫」主宰)さんも駆けつけていらっしゃいました。
会場のアクティブやないの辺りは、『光の消えた日』の中で朋子と園児が菜の花を摘んでいた場所だと紹介がありました。
「いぬいとみこについての紹介」の映像もステキにまとめられていて楽しめました
村中李衣さんの講演「未来に託すものがたり〜いぬいとみこさんからのことづて〜」では、日本女子大学大学院で安藤美紀夫に師事し児童文学を学んだ李衣さんと、日本女子大学校国文学部で1年間余り学んだいぬいとの浅からぬ縁のお話もたくさんしてくださいました。



講演が始まる前に、会場のアクティブやないの近くにあるといういぬいとみこ文学碑に行ってみました。
碑は柳井市文化福祉会館から道路を隔てた公園に建っていました。
小さい碑は、
柳井戦時保育園
ほまれ園跡地
柳井高等女学校付設
昭和19年2月〜21年3月1日建立
光の消えた日
いぬいとみこ 作
長 新太 画
2001年3月19日建立
大きい碑は、
戦時保育園 ほまれ園といぬいとみこ
私たちは児童文学者として柳井に縁の深いいぬいとみこ先生の業績を記念して、1996年に市立柳井図書館に、いぬいとみこ記念文庫を設置し。このたび柳井戦時保育園 ほまれ園の記念碑をこの地に建立いたしました。
いぬい先生は昭和19年から22年(1947)まで柳井町の天神区と山根区で、ご両親と住まわれ、ほまれ園に新米の保母さんとして勤務。食糧の乏しいなか、原爆のせん光と遥か遠くの爆音に出遭いながら、出征中の父を持つ幼い子供たちの面倒を見てこられたのです。
その時の体験を、短篇「川とノリオ」、「いさましいありのボンズ」、戦時小説「光の消えた日」の作品にされ、「川とノリオ」は小中学校の教科書に載り、先生の平和への願いが書かれています。
「光の消えた日」には戦時下の柳井の静かな息づかいや園児たちの無邪気な行動、そして主人公の保母・今泉朋子の日常生活、クリスチャンとしての信仰体験、京都での青春時代が描かれています。
青年期を過ごした平和な町柳井は、いぬい先生の心のふる里であるかあらこそ、柳井の地名や人物名を親しみと愛を込めて使っておられます。
光台寺のわんわん門、土手のキリスト教会、谷林博図書館長、森重笑子柳女学徒動員生、檜垣慶典柳中の学徒動員生、山中君子保育園実習生、松宮園長、伊坂教頭、それに多くの園児たちです。
代表作「ながいながいペンギンの話」毎日出版文化賞、「木かげの家の小人たち」、「北極のムーシカ・ミーシカ」どちらもアンデルセン賞国内賞、他にも多くの受賞あり。東京都出身、大正13年3月13日生まれ。
2001.3.19 発起人代表 堀江 晋 副代表 谷林チサト

発起人会 檜垣慶典 園児
堀江 晋 梅本節治 岡部昌平
谷林チサト 矢倉茂生 玉井 豊
小林茂美 片山 淳 植松禎子
河内山美喜代 舛本美雄 田中桂子
福本幸夫 山中達郎 斉藤紀美子
中村正樹 野村 仁 赤堀孝子
藤麻 功 田島喜代子 陶山良恵
坪野 功 明本孝文 木村暉子
森重笑子 杉原勝人 上村民子
河野新一
三浦精子
町田佳江
柳井工業化学(株)
『光の消えた日』には石碑にある「園児」が以下の名前で出てきます。
岡部昌平 ⇨ 岡辺昌平
玉井 豊 ⇨ ユタカ
植松禎子 ⇨ サダコ
斉藤紀美子 ⇨ キミコ
上村民子 ⇨ タミコ


ー せんせい、おはよう!
と、まだ名前もおぼえていない男の子が二人、肩からぶらさげた防空カバンをゆすりながら、朋子のよこをはしりぬけていった。
もう、保育園はすぐのところだ。
ー おはよう!
と男の子たちにうしろから声をかけて、朋子は「ふつうの娘」から、保育園の「今泉先生」に早変わりした。
「光の消えた日」の第二節より
柳井市文化福祉会館と柳井市体育館の間に、「山口県立柳井高等女学校跡」の石碑がが建っています。ただ今は、柳井市体育館が 現在立替中のため傍に近づくことができませんでした・・・。
いぬいはまさにこの地で保母として働いていたのです。
そして、碑の中にある何人かは実名で小説に登場します。小説の中に全ての人の名前が刻まれているわけではないのが残念な気がしますが、建立当時、連絡のつかなかった方も多かったのでしょう。
そんな中で、「いぬいとみこ生誕100年記念イベント」の来賓の中に森重笑子さん、岡部昌平さんがいらっしゃって感激しました

森重さんからは、ひがしやの「翁あめ」をいただきました。
ありがとうございました。

いぬいの開いていたムーシカ文庫の卒業生の小松原宏子(児童文学作家、翻訳家、家庭文庫「ロールパン文庫」主宰)さんも駆けつけていらっしゃいました。
会場のアクティブやないの辺りは、『光の消えた日』の中で朋子と園児が菜の花を摘んでいた場所だと紹介がありました。
「いぬいとみこについての紹介」の映像もステキにまとめられていて楽しめました

村中李衣さんの講演「未来に託すものがたり〜いぬいとみこさんからのことづて〜」では、日本女子大学大学院で安藤美紀夫に師事し児童文学を学んだ李衣さんと、日本女子大学校国文学部で1年間余り学んだいぬいとの浅からぬ縁のお話もたくさんしてくださいました。