第7回小郡むかし歩き 鉄道編C
[2023年05月01日(Mon)]
【前回の続き】

旧桂ヶ谷貯水池堰堤
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旧桂ヶ谷貯水池堰堤には、過去に「上水道施設巡り&ミニ講演会」(2021年11月6日(土))(山口市小郡文化資料館 企画展「小郡鉄道維新 −水を制して 機関庫をつかみ取れ−」関連イベント)、「森の中のお城?旧桂ヶ谷貯水池堰堤見学モニターツアー」(2022年5月1日(日))、「第11回おごおり俳句&ウォーキング 〜国登録有形文化財 旧桂ヶ谷貯水池堰堤を歩く」(2022年5月28日(土))で3度訪れています。
今回訪れると、新しくリーフレットが置いてありました。

四十八瀬川支流の桂ヶ谷川に築かれた、堤長約23.6m、堤高約13.4m、堤幅約3m、粗石コンクリート工法で施工された県内最古の重力式コンクリート造堰堤です。水圧をダムの重さで支える構造です。
1923(大正12)年3月に完成し、1955(昭和30)年頃まで稼働していました。
現在は、安全面への配慮から水が抜かれています。
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山口市小郡地域(旧小郡町)での近代的上水道は、下関市に次いで県下2番目に整備されました。小郡地域の市街地では飲用に適した水を得難く、不良な水に起因する伝染病の流行が懸念されていました。
桂ヶ谷貯水池堰堤の工事は、上水道敷設の認可を得た後の1922(大正11)年4月に開始され、翌年4月には給水が始まっています。
大正末期から昭和初期には、鉄道交通の発達とともに水の需要が急上昇し、上水道の拡張工事が行われました。
このような充実した上水道の獲得により、鉄道の重要拠点となる機関庫が旧小郡駅に移され※、町は飛躍的な発展を遂げていくのです。桂ヶ谷貯水池堰堤の上水道システムが稼働し始めた頃、1923(大正12)年4月1日山口線が島根県益田まで全線開通しました。
※1928年(昭和3)年4月1日に、 三田尻機関庫が小郡駅(現・新山口駅)に移転し小郡機関庫と改称されました。
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1928(昭和3)年4月に機関庫で使用された列車の給水は、1カ月で903万4000㎘でした。これは、1日あたり約32万3000㎘になります(25mプール約800杯の水量)。
その他、車両の洗車や、従業員の官舎・浴場で使用する水も含めると鉄道運用には大量の水が必要だったことが分かります。
(設置リーフレットより抜粋)
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2016(平成28)年に国の登録有形文化財となりました。
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堰体は緩やかなアーチを描いています。
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堰堤頂部の高欄は煉瓦を市松状に組んだ透かし積みです。
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取水塔は煉瓦が施され、煉瓦を徐々にせり出させた蛇腹で装飾されています。
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長手積みなど、いろいろな積み方がされています。
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取水塔の下には取水口が見えます。
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今回は下流側には行っていませんが、以前行った時の写真を載せておきます。
余水路があり、
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余水口からは水が出ていました。
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堰堤と並行して浄水場(緩速度濾過地3、配水池2)、排水管が整備され、合わせて運用されました。
粗石コンクリート工法・・・コンクリートを薄く(15cm位)敷いた上に粗石(φ35cm位の大きな石)を10cm位の隙間を空けて並べて、コンクリートで隙間を充填しして建造する工法
当時は高価だったセメントを使うコンクリートの節約が目的

旧桂ケ谷接合井建屋
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堰堤に溜めた水を隣にあった濾過池で浄化し上水にし、下流に送り出していました。
上水道関連の施設であることを示す「水」の文字をデザインしたロゴが建屋正面にあります。
この建屋は1928(昭和2)年に新たに設置されました。
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分かりにくいので、以前撮影した写真を載せておきます。
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鉄道構造物ではないので今回は訪れていませんが、旧小郡町には「東津地区共同水道栓」という「放任専用」の共同栓が1か所残っています。
住民に水を供給するために共同利用の給水栓があちこちの街角に設置されました。「放任」とはタダということで、無料で共用で使えるようになっていました。


旧桂ヶ谷貯水池堰堤には、過去に「上水道施設巡り&ミニ講演会」(2021年11月6日(土))(山口市小郡文化資料館 企画展「小郡鉄道維新 −水を制して 機関庫をつかみ取れ−」関連イベント)、「森の中のお城?旧桂ヶ谷貯水池堰堤見学モニターツアー」(2022年5月1日(日))、「第11回おごおり俳句&ウォーキング 〜国登録有形文化財 旧桂ヶ谷貯水池堰堤を歩く」(2022年5月28日(土))で3度訪れています。
今回訪れると、新しくリーフレットが置いてありました。
四十八瀬川支流の桂ヶ谷川に築かれた、堤長約23.6m、堤高約13.4m、堤幅約3m、粗石コンクリート工法で施工された県内最古の重力式コンクリート造堰堤です。水圧をダムの重さで支える構造です。
1923(大正12)年3月に完成し、1955(昭和30)年頃まで稼働していました。
現在は、安全面への配慮から水が抜かれています。
山口市小郡地域(旧小郡町)での近代的上水道は、下関市に次いで県下2番目に整備されました。小郡地域の市街地では飲用に適した水を得難く、不良な水に起因する伝染病の流行が懸念されていました。
桂ヶ谷貯水池堰堤の工事は、上水道敷設の認可を得た後の1922(大正11)年4月に開始され、翌年4月には給水が始まっています。
大正末期から昭和初期には、鉄道交通の発達とともに水の需要が急上昇し、上水道の拡張工事が行われました。
このような充実した上水道の獲得により、鉄道の重要拠点となる機関庫が旧小郡駅に移され※、町は飛躍的な発展を遂げていくのです。桂ヶ谷貯水池堰堤の上水道システムが稼働し始めた頃、1923(大正12)年4月1日山口線が島根県益田まで全線開通しました。
※1928年(昭和3)年4月1日に、 三田尻機関庫が小郡駅(現・新山口駅)に移転し小郡機関庫と改称されました。
1928(昭和3)年4月に機関庫で使用された列車の給水は、1カ月で903万4000㎘でした。これは、1日あたり約32万3000㎘になります(25mプール約800杯の水量)。
その他、車両の洗車や、従業員の官舎・浴場で使用する水も含めると鉄道運用には大量の水が必要だったことが分かります。
(設置リーフレットより抜粋)
2016(平成28)年に国の登録有形文化財となりました。
堰体は緩やかなアーチを描いています。
堰堤頂部の高欄は煉瓦を市松状に組んだ透かし積みです。
取水塔は煉瓦が施され、煉瓦を徐々にせり出させた蛇腹で装飾されています。
長手積みなど、いろいろな積み方がされています。
取水塔の下には取水口が見えます。
今回は下流側には行っていませんが、以前行った時の写真を載せておきます。
余水路があり、
余水口からは水が出ていました。
堰堤と並行して浄水場(緩速度濾過地3、配水池2)、排水管が整備され、合わせて運用されました。
粗石コンクリート工法・・・コンクリートを薄く(15cm位)敷いた上に粗石(φ35cm位の大きな石)を10cm位の隙間を空けて並べて、コンクリートで隙間を充填しして建造する工法
当時は高価だったセメントを使うコンクリートの節約が目的


堰堤に溜めた水を隣にあった濾過池で浄化し上水にし、下流に送り出していました。
上水道関連の施設であることを示す「水」の文字をデザインしたロゴが建屋正面にあります。
この建屋は1928(昭和2)年に新たに設置されました。
分かりにくいので、以前撮影した写真を載せておきます。
鉄道構造物ではないので今回は訪れていませんが、旧小郡町には「東津地区共同水道栓」という「放任専用」の共同栓が1か所残っています。
住民に水を供給するために共同利用の給水栓があちこちの街角に設置されました。「放任」とはタダということで、無料で共用で使えるようになっていました。