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こどもと本ジョイントネット21・山口


〜すべての子どもに本との出会いを〜

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第41回やまぐち朗読Cafe 〜朗読と蓄音器ジャズの夕べ〜A第2部 自由朗読 [2022年11月11日(Fri)]
前回に続く

第2部 自由朗読

1、山口智子
柳田國男「浜の月夜」
(東京朝日新聞『豆手帖から』)

 あんまり草臥(くたび)れた、もう泊まろうではないかと、小子内(おこない)の漁村にただ一軒ある宿屋の、清光館と称しながら西の丘に面して、わずかに四枚の障子を立てた二階に上がり込むと、はたして古くかつ黒い家だったが、若い亭主と母と女房の、親切は予想以上であった。まず息を切らせて拭き掃除をしてくれる。今夜は初めて還る仏様もあるらしいのに、しきりにわれわれに食わす魚のないことばかりを歎息(たんそく)している。そう気をもまれてはかえって困ると言って、ごろりと囲炉裏(いろり)の方を枕に、臂(ひじ)を曲げて寝ころぶと、外は蝙蝠(こうもり)も飛ばない静かな黄昏(たそがれ)である。
 小川が一筋あって板橋がかかっている。その板橋をカラカラと鳴らして、子供たちがおいおい渡って行く。小子内では踊りはどうかね。はア、今に踊ります。去年よりははずむそうで、といっているうちに橋向こうから、東京などの普請場(ふしんば)で聞くような女の声が、しだいに高く響いて来る。月がところどころの板屋に照っている。雲の少しある晩だ。
 五十軒ばかりの村だというが、道の端には十二、三戸しか見えぬ。橋から一町も行かぬ間に、大塚かと思うような孤立した砂山に突き当たり、左へ曲がって八木の湊へ越える坂になる。曲がり角の右手に共同の井戸があり、その前の街道で踊っているのである。太鼓も笛もない。寂しい踊りだなと思って見たが、ほぼこれが総勢であったろう。後からきて加わる者が、ほんのふたりか三人ずつで、少し永く立って見ている者は、踊りの輪の中から誰かが手を出して、ひょいと列の中に引っぱり込んでしまう。次の一巡りの時にはもうその子も一心に踊っている。
 この辺では踊るのは女ばかりで、男は見物の役である。それも出稼ぎからまだ戻らぬのか、見せたいだろうに腕組でもして見入っている者は、われわれを加えても二十人とはなかった。小さいのを負ぶったもう爺が、井戸の脇から、もっと歌え、などとわめいている。どの村でも理想的の鑑賞家は、踊りの輪の中心に入って見るものだが、それが小子内では十二、三までの男の子だけで、同じ年ごろの小娘なら、皆列に加わってせっせと踊っている。この地方では、稚児輪みたような髪が学校の娘の髪だ。それが上手に拍子を合わせていると、踊らぬ婆さんたちが後から、首をつかまえて、どこの子だかと顔を見たりなんぞする。
 われわれには、どうせ誰だかわからぬが、本踊り子の一様に白い手拭で顔を隠しているのが、やはり大きな興味であった。これが流行か、帯も足袋も揃いの真白で、ほんの二、三人の外は皆、新しい下駄だ。前掛は昔からの紺無地だが、今年初めてこれに金紙で、家の紋や船印を貼り付けることにしたという。奨励の趣旨が徹底したものか、近所近郷の金紙が品切れになって、それでもまだ候補生までには行き渡らぬために、かわいい憤懣(ふんまん)がみなぎっているという話だ。月がさすと、こんな装飾が皆光ったり翳(かげ)ったり、ほんとうに盆は月送りではだめだと思った。一つの楽器もなくとも踊りは目の音楽である。四周(まわり)が閑静なだけにすぐに揃って、そうしてしゅんでくる。
 それに、あの大きな女の声のいいことはどうだ。自分でも確信があるのだぜ。一人だけ、見たまえ、手拭なしの草履だ。何て歌うのか文句を聞いて行こうと、そこら中の見物と対談してみたが、いずれも笑っていて教えてくれぬ。中には知りませんといって立ち退(の)く青年もあった。結局手帖を空しくしてもどって寝たが、何でもごく短い発句ほどなのが三通りあって、それを高く低く繰り返して、夜半までも歌うらしかった。
 翌朝五時に障子を明けてみると、一人の娘が踊りは絵でも見たことがないような様子をして水を汲みに通る。隣の細君は腰に籠を下げて、しきりに隠元豆をむしっている。あの細君もきっと踊ったろう、まさかあれは踊らなかったろうと、争ってみても夢のようだ。出立の際に昨夜の踊り場を通ってみると、存外な石高路でおまけに少し坂だが、掃いたよりもきれいに、やや楕円形の輪の跡が残っている。今夜は満月だ。また一生懸命に踊ることであろう。
 八木から一里余りで鹿糠(かぬか)の宿へくると、ここでも浜へ下る辻の処に、小判なりの大遺跡がある。夜明け近くまで踊ったように宿のかみさんは言うが、どの娘の顔にも少しの疲れも見えぬのはきついものであった。それから川尻(かわじり)・角浜(かどはま)と来て、馬の食べつくした広い芝原(しばはら)の中を、くねり流れる小さな谷地(やち)川が、九戸(くのへ)、三戸(さんのへ)二郡の郡境であった。青森県の月夜では、私はまた別様の踊りに出遭った。
  (大正九年八月・九月「東京朝日新聞」)


 柳田國男が三陸海岸北部に位置する陸中八木を訪問し 「清光館」 に宿泊したのは1920(大正9)年8月のことでした。
 「浜の月夜」は貴族院を辞して朝日新聞社の客員となった柳田が、「東京朝日新聞」に1920(大正9)年8月15日〜9月22日同紙に連載した『豆手帖から』の最終話です。
 この「豆手帖から」の旅は、1920年8月2日の仙台から8月29日八戸までの東北の旅です。
 その6年後に再訪した際に書かれた随想「清光館哀史」とともに、『雪国の春』(岡書院1928(昭和3).2.10)に収録されました。
 私は、『旅ゆけば物語』(ちくまの森13)(安野光雅・森毅・井上ひさし・池内紀/編 筑摩書房 1989)で読みました。
 


 「清光館哀史」は、昭和40〜59年まで現代国語の教科書(筑摩書房)に採録されていたそうです。ちょうどその時代、高校生活を送りましたが、覚えてないので、私の高校は筑摩の教科書ではなかったのでしょうね。

『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』(ちくま学芸文庫)
(筑摩書房 2011.5)
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2、K・Kさん
吉野弘「虹の足」

K・Kさんは、赤れんがで開催された写真展に出品されていました。

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https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/1873



3、原明子さん                 
川端康成「心中」
『掌の小説』より)

『掌の小説』(新潮文庫)
(新潮社 1971.3)
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『掌の小説』は、川端康成の掌編小説集で、「たなごころのしょうせつ」と一般に読まれますが、「てのひらのしょうせつ」とルビが付されている場合もあります。川端が20代の頃から40年余りにわたって書き続けてきた掌編小説を収録した作品集です。書影は、1971(昭和46)年に111編収録し、新潮文庫より刊行されたもので、のち1989(平成元)年の改版から11編追加されて122編収録となっています。
洗練された技法の凝縮で、川端の才能が余すことなく発揮されています。

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彼女を嫌って逃げた夫から手紙が来た。二年ぶりで遠い土地からだ。
(子供にゴム毬をつかせるな。その音が聞こえてくるのだ。その音が俺の心臓を叩くのだ。)
彼女は九つになる娘からゴム毬を取り上げた。


で始まる「心中」は、その後も、不思議な夫からの手紙が続き、妻はそれに従い、最後には衝撃的な結末へと導かれるのですが、読書の楽しみを奪ってしまうので、ネタバレをここで記すのはやめます。

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4、T・Hさん
室生犀星「あにいもうと」

『日本近代短篇小説選 昭和篇1』(岩波文庫)
(紅野敏郎・紅野謙介・千葉俊二・宗像和重・山田俊治/編 岩波書店 2012.8)
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5、N・Mさん
原摩利彦「始原の夜」
『新潮』2022年11月号(新潮編集部/編 新潮社 2022.10.7)より)

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6、桑原滝弥さん
エッセイ「ラヴ遺書」、詩「記憶」
(自伝詩集『詩人失格』(桑原滝弥/詩 私誌東京 2022.7))

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桑原滝弥さんは、山陽小野田市立中央図書館で「オープンマイク」を開催されます。

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https://blog.canpan.info/jointnet21/archive/1879

また、山口県立大学の「地方移住をめぐる公開シンポジウム」で、プレゼンをし、パネリストを務められます。

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7、M・Yさん
桑原滝弥「space turbo」
『詩人失格』(桑原滝弥/詩 私誌東京 2022.7)より )



8、K・Hさん
中村つよし「愛のカタチ」



9、H・Mさん
自作ショートストーリー「心模様」



10、中原豊さん
萩原朔太郎「殺人事件」「春夜」
(詩集『月に吠える』より)

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  殺人事件       

とほい空でぴすとるが鳴る。
またぴすとるが鳴る。
ああ私の探偵は玻璃の衣裝をきて、
こひびとの窓からしのびこむ、
床は晶玉、
ゆびとゆびのあひだから、
まつさをの血がながれてゐる、
かなしい女の屍體うへで、
つめたいきりぎりすが鳴いてゐる。

しもつき上旬(はじめ)のある朝、
探偵は玻璃の衣裝をきて、
街の十字巷路(よつつぢ)を曲がった。
十字巷路に秋のふんすゐ。
はやひとり探偵はうれひをかんず。

みよ、遠いさびしい大理石の歩道を、
曲者(くせもの)はいつさんにすべつてゆく。



  春夜

淺蜊のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みぢんこのやうなもの、
それら生物の身體は砂にうもれ、
どこからともなく、 
絹いとのやうな手が無數に生え、 
手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。
 
あはれこの生あたたかい春の夜に、 
そよそよと潮みづながれ、 
生物の上にみづながれ、 
貝るゐの舌も、ちらちらとしてもえ哀しげなるに、 
とほく渚の方を見わたせば、 
ぬれた渚路には、 
腰から下のない病人の列があるいてゐる、 
ふらりふらりと歩いてゐる。
 
ああ、それら人間の髪の毛にも、 
春の夜のかすみいちめんにふかくかけ、 
よせくる、よせくる、 
このしろき浪の列はさざなみです。


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「詩人・萩原朔太郎の没後80年にあたる2022年は、朔太郎を介した企画展「萩原朔太郎大全2022」が全国52か所の文学館や美術館、大学等で開催されます。
 中原中也記念館では、その一環として「萩原朔太郎と中原中也―朔太郎大全2022」と題し二人の詩人の献呈署名入り詩集を11月27日(日)まで展示しています。」
と紹介されていました。
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